発表年 | スティーヴン・スティルス = マナサス:アルバムリスト |
1972 | Stephen Stills / Manassas |
1973 | Down The Road |
スティルスの3作目のソロアルバムを作る為に集められたメンバーによってマナサスが結成されたと言われています。 マナサスのメンバーは次の通りです。
マナサスのメンバーはスティルスを筆頭に、バッファロー・スプリングフィールド時代から親交のあった元バーズで、当時フライング・ブリトー・ブラザーズのリーダーだったクリス・ヒルマン。最初からスティルスのレコーディングに加わっていたか不明ですが、ヒルマンは自らのバンドメンバーのアル・パーキンスを連れてきます。この2人の参加によって、フライング・ブリトー・ブラザーズは解散してしまいます。 クリス・ヒルマンとアル・パーキンスの加入により、マナサス(というかスティルス)の音楽の幅は広がったのは間違いありません。 私は未聴なのでわかりませんが、ヒルマンとパーキンスの在籍していたフライング・ブリトー・ブラザーズというグループは、カントリー・ミュージックのようなことをしていたそうです。 マナサスのLP2枚組でリリースされた1stアルバムは、各面にサブタイトルが付いていて『The Wilderness』と名付けられたLPでいうところのB面に、カントリー色が色濃く出ています。 そしてもう一人。マナサスのラテン風味の要として、以後ソロ活動やCSN(Y)などで長い付き合いとなるジョー・ララがメンバーに加わります。 バッファロー・スプリングフィールド時代にもスティルスは ♪ウノ・ムンド というラテン調の曲を作っていますが、ジョー・ララの加入により一層ラテン色が強まります。 ドラムスには、スティルスとCS&N('69)から一緒に活動していたダラス・テイラー。それにポール・ハリスとカルヴィン・サミュエルズを加えた7人編成のバンド。それがこのマナサスになります。 スティルスにとってバッファロー・スプリングフィールド以来、CSN(Y)、そしてこのマナサスと3回目のスーパーバンドになるのですが、マナサスというバンドもこれまた短命に終わり、ファーストアルバムの『マナサス』('72)と次作『ダウン・ザ・ロード』('73)の2枚のみです。 『ダウン・ザ・ロード』発表後しばらくすると、クリス・ヒルマン、アル・パーキンス、ポール・ハリスの3人は、第2のCSNと言われた「サウザー・ヒルマン・フューレイ・バンド」(S-H-F)を結成すべくマナサスから離れていきます。 ちなみにSはJ.D.サウザー。Hはクリス・ヒルマン。Fは元バッファロー・スプリングフィールドのメンバーで、スティルスと共に活動し解散後ポコを結成していたリッチー・フューレイです。 以後スティルスは、第2期のマナサスの構想もあったようですが、マナサスはこの3人の脱退により解散してしまいます。不思議なことにスティルスがリーダーシップを持つバンドは長続きしないで解散してしまうようです。 (CS&N及びCSN&Yは現在も活動中ですが、マナサス活動時の'72〜'73は解散状態) しかし、このSHFも2枚のアルバムを発表してあえなく解散。スティルスは、このバンドのメンバー、クリス・ヒルマンとJ.D.サウザーと以後アルバムを制作に関しては付き合いがあるようです。 マナサスは本国アメリカをはじめヨーロッパツアーもしています。 西ドイツのTV番組(ビートクラブ〜ミュージック・ラーデン)にも出演していて、スタジオライヴが現在ビデオとDVDで見ることができます。タイトルは『ベスト・オブ・ミュージック・ラーデン・ライヴ』です。
ビデオでしたら比較的楽に見つけることができると思います。 この画像を見るとスティルスがフロントマンとして目立つのは当然なのですが、クリス・ヒルマンが全然目立ちません。その代わりジョー・ララとアル・パーキンスが目立ちます。特にララの明るさ(陽気さ)が随所に見ることができます。 と書いていたのですが、リージョン・フリーである事が判明! それに2002年9月26日、安くなって再発されます。 |