One from the Heart

Opening Montage (Tom's Piano Intro Once Upon A Town, The Wages Of Love)
Is There Any Way Out Of This Dream?
Picking Up After You
Old Boyfriends
Broken Bicycles
I Beg Your Pardon
Little Boy Blue
Instrumental Montage (The Tango, Circus Girl)
You Can't Unring A Bell
This One's From The Heart
Take Me Home
Presents



1980年8月10日、トムは、コッポラ監督の下で、脚本編集者として働いていたキャスリーン・ブレナンと結婚した。
2人の出会いは、1980年、Art Feinによって開かれた新年会で、その後、ゾエトロープ・スタジオでの再開を機に、接近したのである。

トムは冗談も交え、キャスリーンについてこう語る。
"釘の上に寝そべって、唇に釘を刺したまま、平然とコーヒーを飲める娘なんだ。俺にはまさにぴったりの女性だと思ってね"

また結婚生活7年目、1987年のインタビューでは、真面目にこう語っている。
"彼女は心の中に深い森を持っているんだ。俺はそこから色んなことを教わった。独りじゃ踏み出せないことをやれるようになったは、彼女の後押しと励ましのお陰さ"

2人の結婚式は、トムが、イエロー・ページで見つけた24時間営業のチャペルで行われた。
トムによると、マッサージの欄をめくっていたら、横のページに載っていたのが、マンチェスター・ブルーヴァードにある"Always And Forever Wedding Chapel"という教会だったとのこと。

"彼女に真実の愛を誓ったんだ"


さて、"Heartattack and Vine"リリース後の1980年10月、トムは、初めてツアーに出るのをやめ、再び、映画"One From The Heart"のサウンド・トラック制作へと戻った。
場所は、ハリウッドのワリー・ヘイダー・レコーディング・スタジオ。
トムは、この頃に関し、こう語っている。
"すっかり面食らったよ。"Heartattack and Vine"でやっていた、ゴツゴツした質感の音楽とは違うし、コッポラが求めてるのは、カクテルが似合うような風景だから"

当初、そのコッポラ監督は、トムのデュエット相手として、ベット・ミドラーを希望していたが、ベット側の都合がつかず断念。
2000年に出版された"Wild Years, The Music and Myth of Tom Waits"には、経緯に関して、こう書かれている。

「公式には、ミドラーは、コッポラのプロジェクトには、"スケジュール上の理由"から参加出来ないというものだった。
しかし、このエンターテイメント業界の常套句は、ある事実を伝えていた。
ボーンズ・ハウは、ミドラー・サイドに提案した時、ミドラーが、いくつかの条件を抱えていることを知った。
彼女は、"Divine Madness"というコンサート・フィルム(余談だが、ミドラーは、このライヴで、トムの"Shiver Me Timbers"を歌っている)に出ており、また、女優としても、映画"The Rose"に出演した。
そこで彼女は、ロックンロールのディーヴァ、ジャニス・ジョップリンをモデルとした女性を演じ、鮮烈なデビューを飾り、称賛を浴び、映画のタイトル・トラックを歌い、スマッシュ・ヒットも放っていた。
しかし、彼女の2作目(ブラックなロマン・コメディで、Ken Wahl、Rip Tomとの共演作だった)は、失敗に終わり、結果的に、これが、ミドラーの女優としてのキャリアを4年間に渡り、台無しにしてしまう。
だが、ボーンズ・ハウからのオファーが来た時点では、ミドラーは、トップ女優への成功の波に乗っていると考えており、また、事実、注目されて多忙であった。
"コッポラ監督は、ミドラーの起用を望んでいたから、我々は出来得る手段を使って、接触を試みた"
ボーンズ・ハウは語る。
"私は、ミドラーのマネージャーを呼んだんだが、彼は言った。"ベットは彼女が演技をしない映画では歌いたくないんだ"
だから、私は言った。"しかし、彼女は映画の声になるんだよ。ベットの声が、映画中で流れるじゃないか。彼女にとっても素晴らしい機会だと思う。コッポラ作品に出演した方が良いと思うんだが"ってね。すると、マネージャーは言うんだ。"ミドラーはコッポラよりもビッグネームだ" とさ。
僕は言った。"ジェリー(マネージャーのこと)、もし君がそう考えているなら、彼女は、映画には出ない方が良いと思うよ"
それで、終わりさ"」

代わりにデュエットの相手を務めたのは、ロレッタ・リンの妹・クリスタル・ゲイルだった。
キャスリーンの推薦により、ゲイルの"Cry Me A River"を聴いたトムとプロデューサーのボーンズ・ハウは、好感触を持ち、連絡を試みた。
結果、丁度、"The Tonight Show"に出演するためハリウッド入りすることになっていたゲイルは、コッポラ監督やトムに魅せられ、レコーディング参加を承諾する。

"ゲイルの起用は大正解だった。彼女と一緒に仕事が出来て、実に良かったよ"(トム)

アルバムは、ピアノ・イントロ"Once Upon A Town"で始まる。
ピアノに、コインの落ちる音に続き、"The Wages Of Love"では、少し気取ったトムのヴォーカル(ゲイルに合わせてか、そこまでしわがれていない)、ゲイルのデュエットから、ストリングス、ジャージーなムードにラスヴェガスっぽいトランペット。
ボブ・アルシヴァーのオーケストラ・アレンジが、映画のストーリーを浮かばせるかのようだ。

カジノの喧騒に続いて演奏されるのは"Is There Any Way Out Of This Dream?"。
甘く誘惑的なゲイルのヴォーカルとテディ・エドワーズのテナー・サックス・ソロが印象的。
トムは、この曲は、ゲイルが歌うことを意識して作ったと述べている。

ジャック・シェルドンのトランペットで始まり、終わる"Picking Up After You"に、デニス・バッディミルの洒落たギターに乗ってゲイルが歌う"Old Boyfriends"。
前者は当初からデュエット用に、後者はトム自身が歌うために書かれた曲。

"Broken Bicycles"では、ピート・ジョリーのピアノが全面的にフィーチャされている。
自転車同様に、壊れたかのようなトムのヴォーカルは、ノスタルジーをも、喚起させる。
後半では、列車の過ぎ去る音や虫の音が流れる。

"I Beg Your Pardon"は、シンプルだった前曲から一転、再び、ボブ・アルシヴァーの厚いオーケストラ・アレンジが施されている。
トムのマイクに語りかけているかのようなヴォーカルも絶品だが、テディ・エドワーズのサックス・ソロも、聴き所。

"Little Boy Blue"は、リズミカルなベースに、アル・クーパー調のロニー・バロンのオルガン・ソロが素晴らしい作品。

"The Tango"と"Circus Girl"からなる"Instrumental Montage"は、トム自身によるオーケストラ・アレンジ。
タイトル通りのタンゴでは、叩くかのようなリズミカルなトムのピアノに、ラリー・バンカーのドラムが活躍。
続く、サーカス隊の演奏は、後の作品にも繋がるムードだ。

"You Can't Unring A Bell"は、グレッグ・コーエンのベースに、ヴィクター・フェルドマンのティンパニ・ドラムスというシンプルなバックの前で、トムが押し殺したような声で、"どんな苦しみも耐えろ"と歌っている。(フェルドマンのティンパニは押し寄せる苦しみを表現しているのだろうか)

タイトル曲"This One's From The Heart"からは、再び、ゲイルが登場する。
ゲイル・レヴァントのハープが、天使のような優しさを運び、テディ・エドワーズのテナー・サックスは、ヴォーカルの間を縫って、のびのびと吹かれている。
そんな中、メロディを歌うトムとゲイルは、確実な存在感を持って、対照的な歌声を響かせている。
打ち寄せては引くようなボブ・アルシヴァーのオーケストラ・アレンジも、愛し合いながらも離れ離れの恋人を表現しているかのようで秀逸。
当初から、デュエットを想定して書かれた。

トムの弾くピアノだけをバックに、ゲイルが歌う"Take Me Home"も、90秒程度ながら、優しさに滲み出た素晴らしい曲。
映画の撮影終盤に、コッポラが、"希望を感じさせるような曲が欲しい"と言ったため、生み出された作品だ。

そして、グロッケンシュピール(鉄琴)がメロディを奏でるインストゥルメンタル"Presents"で、アルバムは終了する。

トムは、"女性のために曲を書くのは難しい。自分が普段使っている言葉でも、女性が歌うとしっくりこないものがあるから、そういう時、全部やり直して彼女(ゲイル)に合うように変えていくんだ。まるで女優のセリフを書いているようだった"とコメントしているが、どうして、見事な出来栄えだ。

"One From The Heart"のレコーディングは、1981年9月上旬に終わった。

プロデューサーのボーンズ・ハウは、"One From The Heart"のサウンドトラックを、CBSから単発リリースする予定だった。
しかし、トムは、あまりにもハリウッド的でコマーシャル過ぎる内容に、異議を唱え、ひとりでピアノで弾き語る風に変更したいと申し出た。
一方、コッポラは、映画で使ったまま、収録することを主張する。

だが結局、映画そのものが試写会で酷評を受け、公開後も失敗に終わった結果、CBSは、サントラ・リリースそのものに難色を示し、実際のリリースまでには、8ヶ月を要することとなった。
8ヵ月後、ヨーロッパでも、この映画作品がリリースされた後、イングランドのCBSとの交渉の末、本作は、無事、世に出たのだ。


尚、"One From The Heart"のサウンドトラックを完成させる傍ら、トムは、1981年の映画作品"Wolfen"では、場末の歌手を演じ、"Jitterbug Boy"を歌い、同年、チャック・E・ワイスが発表した7トラック・アルバム"The Other Side Of This Town"のライナー・ノーツに寄稿する等、気分転換もはかっている。

1981年3月からは、2度目となるヨーロッパ・ツアーを行い、デンマークのコペンハーゲンやアイルランドのダブリン、3度目となるオランダを訪れている。
このツアーには、キャスリーンも同行し、トムとキャスリーンのハネムーン旅行は、アイルランドのケリー州トラリーだった。(キャスリーンはアイルランド出身)
3月21日、23日には、それぞれ、イギリス・ロンドンのニュー・ビクトリア・シアター、アポロ・シアターで、その後、4月上旬まで、イギリスのマンチェスター、アイルランドのダブリン、ベルギーのアントワープ、オランダのユトレヒト等で公演を行っている。

7月3日には、カナダ・モンテリアルのエクスポ・シアターでコンサートをしているが、前述した通り、この頃、ニュージャージーでは、ブルース・スプリングスティ-ンが、"Jersey Girl"を初演。
8月24日、ロサンゼルスのL.A.スポーツ・アリーナ公演では、トムもゲスト出演し、ブルースと共に歌っている。


この後、トムは、81年下旬〜82年上旬にかけて、ニュージーランドやオーストラリアでコンサートを行ったり、ラジオ出演したりと精力的な活動を行っていたが、そんな中、朗報もあった。
1977年5月に、チャック・E・ワイスと共に、公務執行妨害で逮捕された事件に関し、無罪を主張し争っていた訴訟が、遂に終了、無罪が立証されたのである。

こうして、過去のゴタゴタが解決・整理されていく中、トムとキャスリーンは、自らの財政状況についても整理すべく調査を行った。
その結果、彼と同格のアーティストに比べ、非常に劣悪なものであったことが判明した。
ビジネスに関しては、知識不足であったトムは、多くの楽曲を作り、ライヴに出てきたにも関わらず、稼ぎの殆どを毟り取られていたのである。
更に、10年前、マネージャーのハーブ・コーエンと交わした契約では、トムの全ての楽曲権利をコーエンに与えることになっており、印税が受け取れないだけでなく、使用権すらままならないことが分かった。
このため、2人は、コーエン相手に訴訟を起こし、以降、トムのマネジメントはキャスリーンが引き継ぐこととなった。

長年のパートナーとの別れは、音楽面においてもあった。
これまでの作品で、プロデュースを担当していたボーンズ・ハウとの共同作業の終了である。

2000年に出版された"Wild Years, The Music and Myth of Tom Waits"には、1982年後半当時に関して、こう書かれている。

「ハウ自身も、予兆に気付いていた。彼とトムは、明らかに違う方向に進んでいたのだ。
""One From The Heart"のサウンドトラックが出た後・・・" ハウは回想する。
"トムと僕は、マルトーニの店でワインを飲みながら話をした。トムは言った。"次のアルバムを作ろうと思うんだけど・・・問題は、君や僕が書いているものを知りすぎてしまったということなんだ。
ボーンズはこの曲を気に入るかな?とか、この曲は、ボーンズが気に入らないだろうから駄目だな、とかさ"
だから僕は言った。"なぁ、トム。僕は君が作るものに影響力を持つべきじゃないと思うんだ。確かに僕等はお互い、よく知っているから、どんなものが僕の好みか、君には分かってしまうんだろうけど"
それからトムは言った。"ピアノで作曲するのも、そろそろ止めようと思うんだ。何度も何度も同じ曲ばっかり作っているような気がしてね"
マンネリから逃れようとするトムを励ます中、ハウは、もしもトムが本当に新しい方向に進みたいのなら、自分との共同作業を止めるのにこれ以上の理由は無いということを悟った。
"だから、僕等は握手をした。それから僕は言ったんだ"いいかい、トム。もし君が僕と、またやりたくなったら、いつでも電話してくれ。どこで何をしていたって、君のところに駆けつけるよ"

"彼と一緒にやるのは、本当に楽しいことだった。だから本当に残念だった。彼程、一緒に仕事をして楽しい人とは、あれ以降、ひとりとして出会っていないんだ"

こうして、友情のワイングラスを前に、実り多い長年のパートナーシップは、終わりを告げた。
ハウは、キャスリーンが、この別れに一役買ったことも付け加えた。
"キャスリーンは、トムを、それまで彼が関わっていた人々全てから切り離したんだ。正直言って、トムには、そうする時期が来ていたんだ。
キャスリーンは彼のために良くやった。彼は多くの人が言う程、ワイルドな人間じゃない。モーテル暮らしが身についていて、健康管理にも無頓着だったんだ。
本当に、変わらなければならない時だったんだよ。彼女は、トムをそれまで付き合っていた全ての人々から切り離そうとした。
そして、残念ながら、僕も切り離された。僕も、過去の人間だったのさ"」


こうしてトムは、デビュー以来の自らの環境を変えていった。
そして、これまで所属していたアサイラム・レコードとも袂を別つことになった。
キャスリーンに背中を押されたトムは、新たな方向へと歩き出したのである。


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