Buzzcocks Story vol.5 1980年1月〜6月


January

17th/ マンチェスターにあるデビルズ・クラブにてジョン・メイヤーはThe Thingsのライブを観る。ライブ後、ヴォーカリストのティムと話をする事が出来た。ジョンは彼等が素晴しいバンドである事を認識する事になる。

20th/ ファンクラブSecret PublicのニュースレターNo.4にジョン・メイヤーが寄稿する。

29th/ ジョン・メイヤーとマネージャーであるリチャード・ブーンはストラトフォード工科大学で行われたThe ThingsのGIGへ出かけて行った。そこでジョン・メイヤーは彼等に新設予定のレーベルからレコードを出さないかと持ちかけた。しかし、その当時The Thingsにはいいドラマーが見つからなかった。そして反対にジョン・メイヤーにドラムをやってくれないかと持ちかけたのだった。これで交渉はあっさりと成立したのである。

31th/ ティム・チャックスフィールド氏、グラハムフレッチャーよりユナイテッド・アーティストに入り、A&R業に就いた。

February

8th/ バズコックスはスティーブ・ディグルの4枚目のコンピレーションのデモ・レコーディングの為、スタジオ入りする。

March

14th/ ユナイテッド・アーティストはEMIより独立。

19th/ ファンクラブSecret PublicのニュースレターNo.5にピート・シェリーが寄稿する。

22nd/ ピート・シェリーは休日を利用してイタリーに滞在する。

April

1st/ ピート・シェリーはホテル「Tramontano」にて「I Look Alone」を書き上げた。

時間にして朝10時から夜12時。そして、これが彼がバズコックスの為に書いた最後の曲となった。18th〜21st/ バズコックスはマーティン・ハネットと共にCheshireのプルート・スタジオに入り、彼等の新しいプロジェクト「Part1-3」のリハーサル・レコーディングを開始した。

21st/ この日ジョン・メイヤーの10代が終わった事を祝ってスタジオ内でパーティーを催した。その後スティーブ・ディグルはシャム69とマンチェスターのアポロシアターでのステージで「If the Kids Are United」と「Borstal Breakout」を一緒に演奏した。

25th/ ジョン・メイヤーとThe Thingsのベーシストのジョーは彼等のデビューをリバプールのThe Lincoln Innに決めた。ジョン・メイヤーはこのGIGによってThe Thingsとの結束を強め、この事により「バズコックスのジョン・メイヤー」としての彼のに「The Thingsのジョン・メイヤー」が侵入して行く事になってしまった。しかし、彼としてはこの問題に他のバンドを巻き込んで行くのは嫌だった。悩んだあげく彼の選んだ道は…、ご存じの通り「バズコックス」ではなかったのだった。

May

11th/ バズコックスはマーティン・ハネットと共にロンドンのアドビジョンスタジオで仕事をしていた。この日は3枚のシングルの裏面に入れる曲を選曲していた。

12th-14th/ 同スタジオにてレコーディング。

15th/ タウンハウススタジオに移動し、ミキシング作業を開始したが、「Are Everything」に取りかかる前にストックポートのストロベリースタジオに移動、「Why She's A Girl From The Chainstore」「Strange Thing」「Airwaves Dream」のレコーディングを行う。

しかし、この時すでにバズコックスは最低の状態をとうに越えていたのだった。

ピート・シェリーは「Product」の中でバンドはドラッグを使っている事を明かした。

「僕らは新しいプロジェクトとして『Part1-3』を開始したんだけど、その時にはコークをはじめヘロイン、アシッド…ありとあらゆる薬物を使っていたんだ。僕はとても疲れてしまった。自分で書いたはずの歌詞からはすでに遠い存在と化し、常に崖っぷちに立っている様な気分だったよ。僕らが仕事をしようとするだろ? 2時間もソレを続けていると頭の中はドラッグでいっぱいになってしまうんだよ。」

そしてピートはこうも語った。

「僕らは薬がなきゃ仕事が出来なくなってしまったんだよ。『Are Everything』を聞いてごらん? プロデューサーがトリップしていたのがよく分かるだろ? 」

彼らがドラッグと共にセッションしている間はスティーブ・ガーベイは姿を見せなかったと言う。後で聞いてみると競馬に行っていたと言う。彼の目に映るバズコックスにはひとすじの希望の光さえ見えなかったのだ。

「僕はバズコックスが進む道には幸せは待っていないと悟ったよ。ピート・シェリーは自分でドラッグと決別しない限りは昔の様な曲は書けないだろうしね。終わりがすぐそこにある事に気付いていたんだ。」

18th/ ジョイ・ディビジョンのイアン・カーティスがアメリカツアーの前日、マンチェスターの自宅にて自殺。

21th/ The Thingsはドラムにジョン・メイヤーを迎え、マンチェスターのビーチクラブにてライブを行った。

22nd/ ラジオ1の為のセットライブをマンチェスターのポリテクニックにて行う。ピート・シェリーは「Strange Thing」をイアン・カーティスとの思い出に捧げた。しかし、この曲はピート・シェリーの歌う気力を低下させ、レコーディングの間中彼を抑制し続けた。彼等は新曲を発表するはずだったが、ソレをしなかったために「バズコックス解散」を暗示させ、さまざまな噂を呼んだ。

ピート・シェリーには曲を書き続ける事は出来なかった。数週間後、彼はZig Zagマガジンのインタビューで「バズコックスは1978年以上に有名になる事はないだろうね」と語った。

24th/ ダムドのサポートでマンチェスターのラッセルクラブに出演した。

26th/ The Thingsがライブを行う。

28th/ マンチェスターのポートランドバーでThe ThingsとThe Renegadesのライブ。ジョン・メイヤーはこの2つのバンドに2つとも出演していた。彼はThe Renegadesのライブでも腕を振るったが彼らとレコーディングするまでには至らなかった。

June

7th/ レコードミラー誌に5/22のマンチェスター、ポリテクニックでのライブ記事が掲載された。

11th/ ジョン・メイヤーが参加したThe Thingsのデビュー・シングル「Pieces Of You/Lost Love」のレコーディングがRochdaleのカーゴスタジオにて行われた。ちなみにリリースはImperial Recordsである。

Buzzcocks Story vol.5 End


注意・このストーリーを転記する場合は必ず確認を取ってからにして下さい。
Kartz


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