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artist : JOÃO GILBERTO
title : 『 JOÃO GILBERTO 【三月の水】』
release : 1973年
label : VERVE RECORDS
tracks ( cd ) : (1)ÁGUAS DE MARÇO 【三月の水】 (2)UNDIÚ (3)NA BAIXA DO SAPATEIRO 【バイア (靴屋の坂道で)】 (4)AVARANDADO 【夜明けのベランダ】 (5)FALSA BAIANA 【偽のバイーア娘】 (6)EU QUERO UM SAMBA 【喜びのサンバ】 (7)EU VIM DA BAHIA 【バイア生まれ】 (8)VALSA (COMO SÃO LINDOS OS YOUGUIS)(BEBEL)【ベベル】 (9)É PRECISO PERDOAR 【許してあげよう】 (10)IZAURA
tracks ( analog ) : side A...(1)〜(5)/side B...(6)〜(10)
members : JOÃO GILBERTO,guitar,vocal ; SONNY O'CARR ,percussion.
producer : RACHEL ELKIND
related website : 『 Joao Gilberto 』(ユニヴァーサル・ミュージック内の公式ページ)




(1)ÁGUAS DE MARÇO 【三月の水】  ▲tracks
 アントニオ・カルロス・ジョビン作曲の(1)。バッキングは殆ど同じことの繰り返し、そして歌詞は“それは○○、それは××”といったイメージの羅列。途中の歌詞にある“三月の水が夏の幕を閉じる”というくだりに、日本人としては違和感を抱いたのだが、日本の反対側にあるブラジルではそのあたりから秋になっていくのだろうか?エンディングに入ってちょっと行ったあたりのスキャットとギターのコードが醸し出す色具合の、何とも言えない曖昧さがいい。


(2)UNDIÚ  ▲tracks
 ジョアンがずぅ〜っと“ウンデュ〜”と言ってる(他にもちょっとスキャット有り)(2)。この曲はジョアン自身による作曲。かなり抽象的な曲で、所謂“ボサ・ノヴァ”のバッキング・パターンとは違うパターン。


(3)NA BAIXA DO SAPATEIRO 【バイア (靴屋の坂道で)】  ▲tracks
 はっきりとしたメロディーがよく判らない分(2)より更に抽象的な印象を受ける(3)。バッキングのコードの中にメロディーが隠れているのかもしれないが、なかなか“これだ”と言い切れる程は読み取れない。部分的には感じることができるのだが。この曲はアリ・バローゾという人が作曲した古いサンバの曲らしいのだが、一体どういうメロディーだったのだろう?原曲を聴くことで、このヴァージョンが更に違うものに聴こえそうだ。


(4)AVARANDADO 【夜明けのベランダ】  ▲tracks
 新しいブラジル音楽の旗手、カエターノ・ヴェローゾ作の(4)。この曲はアルペジオによるバッキング。なのに、そこはかとなくボサ感覚が漂っている。途中、“梅宮アンナもら〜った”と聴こえる所あり。


(5)FALSA BAIANA 【偽のバイーア娘】  ▲tracks
 明るくリズミカルな(5)。この曲も古いサンバの曲で、ジェラルド・ペレイラという人が作曲したものだそうだ。何となくジョアンがニンマリと楽しそうに演奏する姿が目に浮かびそうだ。エンディングの軽やかなスキャットがいい。


(6)EU QUERO UM SAMBA 【喜びのサンバ】  ▲tracks
 もう1曲続けて軽快なサンバの(6)。途中のサックスか何かを模したようなスキャットが楽しい。


(7)EU VIM DA BAHIA 【バイア生まれ】  ▲tracks
 主人公が出身の地バイーアを称える歌、の割にはちょっと“鬱”な印象の(7)。ある程度のパターンはあるにしても、コード進行がコロコロ変る、ちょっと覚えづらい曲。ギターをコピーしてみると判るのだが、途中明らかにジョアンは間違った演奏をしていると思われる箇所がある。それでも普通に聴いている分には殆ど気にならない。ジルベルト・ジルの曲。


(8)VALSA (COMO SÃO LINDOS OS YOUGUIS)(BEBEL)【ベベル】  ▲tracks
 ノン・エフェクトが売り(?)の本作にしては例外の残響感がヴォーカルに施してある、ジョアン作、ワルツの(8)。しかし、突然残響が無くなったり、また復活したり、しかもジョアン本人によるユニゾンのダブル・ヴォーカル。一体何のつもりなのだろう?声に自信がなかったのだろうか?それともサウンドに広がりを持たせたかったのだろうか?


(9)É PRECISO PERDOAR 【許してあげよう】  ▲tracks
 僕にとっては数あるボサ・ノヴァの曲の中でも1、2を争う程好きな(9)。初めて聴いたのはスタン・ゲッツとの共演盤 『 THE BEST OF TWO WORLD 【ゲッツ・ジルベルト・アゲイン】』 でのヴァージョンで、そのヴァージョンもその時はかなり気に入っていたのだけれど、本作のヴァージョンを聴いてしまったら、もうその共演盤の方は聴けなくなってしまった。そこでのスタン・ゲッツがウルサイというか邪魔というか。本作のヴァージョンだけ(歌とギターとパーカッション)で既に完結しているな、と思ってしまう。最後のセリフ“MADRUGADA (夜中だね)”に象徴されるように、深夜の孤独な部屋の風景とその時間の経過する様、そして言葉では言い尽くせない“想い”がそのまま演奏になったようだ。


(10)IZAURA  ▲tracks
 最後は当時のジルベルト夫人〜ミウーシャ(べべウ・ジルベルトの母)とのデュエット(10)。これも軽快な曲。2コーラス目からミウーシャの歌が入ってくるのだが、よくあるような3度のハーモニーではなく、付いたり離れたりしながらもお互いを引き立てている。


 (9)で「本作のヴァージョンだけ(歌とギターとパーカッション)で既に完結しているな、と思ってしまう」と言ったが、そのことは本作全体に言えることでもあって、巷に数多あるボサ・ノヴァから余計な装飾を一切取り払った本作こそ、“ボサ・ノヴァそのもの”なんだなぁ、とつくづく思う。そして、様々な曲をボサ・ノヴァに聴こえるようにした&出来た最初の人こそジョアン・ジルベルトなんだなぁ、とも。どんな曲、リズム・パターンでもジョアンがやると全てボサ・ノヴァになってしまうのは、彼が紡ぎ出す“そこはかとない感覚”のせいなのではないだろうか。ひいては、“ボサ・ノヴァか否か”を判断する基準は、音楽の形式的なこと以上に、この“そこはかとない感覚”を体得しているか否かなのではないだろうか。

 また、本作ではチューニングを合わせるべき共演者(ピアノ他)がいないせいか、ギターのチューニングが半音か約半音下げられているのだが(要は“大体このくらい”という感じでチューニングしたのだと思う)、普通にチューニングしたのとは違う、何か独特の感触がある。“そこはかとない感覚”の一因はそんな所にもあるのかもしれない。

 なお、本作中の5曲(1,5,7,9,10)は3年後の 『 THE BEST OF TWO WORLD 【ゲッツ・ジルベルト・アゲイン】』 で再演されている。念のために言っておくけど、 『 THE BEST OF TWO WORLD 』 もいい作品。「ただ(9)に関しては...」ということを言いたかったまでなので、あしからず。


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