山歩きと旅行 2006年 ハイキング写真

最終更新日 : 2006/12/11


2006年12月11日 熊野古道(15) 清姫の墓から高原熊野神社まで(妻と一緒にツアーで)

清姫の墓・・・滝尻王子・・・不寝(ねず)王子・・・高原熊野神社(6km、約10000歩)

旅行会社のツアーに4回目の参加です。ピカピカの好天候で12月とは思えない暖かさでした。
滝尻王子からは熊野古道らしくなると聞いていたが、いきなり200mの急登となった。ほとんどが私よりも高齢なんですが結構健脚で、脱落者も出ずに登り切ることができました。
登りきったところに剣ノ山経塚跡があり、そこからはゆるやかなアップ・ダウンを繰り返して高原の里に出ました。高原の里からは果無(はてなし)山脈が東に見えました。多分行くことがないだろう果無山脈。
帰りのバスではビールを飲んだので、いつの間にか眠ってしまっていました。


左から、清姫の墓のもみじ、滝尻王子宮、滝尻王子跡


左から、急登の途中にある不寝王子跡、剣ノ山経塚跡、高原熊野神社、高原集落から見た山並み


2006年11月20日 熊野古道(14) 稲葉根王子から清姫の墓まで(妻と一緒にツアーで)

稲葉根王子・・・市ノ瀬・・・加茂・・・大塔村・・・鮎川・・・住吉神社・・・北郡・・・清姫の墓(約11km、16900歩)

今回も旅行会社のツアーに参加です。今回は阪神尼崎駅前から小型バスに乗って紀伊田辺の稲葉根王子へ直行。11時過ぎに到着したが、雨模様のため今回もバスの中で早めの昼食となった。
雨は1時半ごろまで降り続いたが、雨が上がるとお日様が出てきて、蒸し暑くなってきた。私は半袖Tシャツで歩きました。今回は舗装道路が半分、山道が半分で、ようやく熊野古道らしくなってきて楽しく歩けました。


左から、富田川を越して見える市ノ瀬、市ノ瀬王子の楠、一ノ瀬王子跡、一瀬王子碑


左から、庚申道標、鮎川王子跡、住吉神社、住吉神社のもう一方の鳥居


左から、御所平の紅葉、御所平、藤原定家の歌碑


左から、北郡の吊り橋、清姫の墓の入り口、清姫の墓


2006年11月6日 熊野古道(13) 田辺から稲葉根王子まで(妻と一緒にツアーで)

高山寺・・・秋津王子・・・須佐神社・・・三栖廃寺塔跡・・・三栖王子・・・八上王子・・・田中神社・・・稲葉根王子(約12km、18936歩)

今回も旅行会社のツアーに参加です。天王寺から小型バスに乗って紀伊田辺の高山寺へ直行。11時前に到着したが、雨模様のためバスの中で早めの昼食となった。
11時半ごろから遠雷がゴロゴロ鳴る中を歩き出したが、12時ごろから雷が近くなり落雷の音が大きくなった。そして本格的な雨となりました。2時ごろに雨が上がったが3時ごろには再び怒ったような雨となり、雷だけでなくヒョウまで降り出し、大荒れの天気でした。
雨だけが記憶に残ったハイキングでした。


左から、田んぼの横の秋津王子跡、須佐神社の鳥居、須佐神社の本殿、畑の中に佇む万呂王子跡


左から、三栖廃寺塔跡、塔跡の中央に置かれた石、三栖王子跡の碑、三栖王子跡の標石


左から、八上王子跡、八上神社の鳥居、八上神社境内の石碑


左から、田中神社、田中神社の古木(幹の中に手水鉢がある)、稲葉根王子宮、稲葉根王子跡


2006年10月2日 熊野古道(12) 南部から田辺まで(妻と一緒にツアーで)

三鍋王子社・・・鹿島神社・・・芳養・・・天神崎・・・高山寺(約13km、19580歩)

今回は旅行会社のツアーに参加しました。天王寺から南部まで約2時間半で到着。車の方が電車より早く着くことを知りました。
語り部さんから、熊野古道の謂れや、各ポイントの説明を聞くことができたのでツアーも良いものだなと思いました。熊野古道からは外れましたが、日本で初めてナショナルトラスト運動の対象となった天神崎を案内していただきました。


左から、鹿島神社、大神社(芳養王子社)、大神社の境内、芳養王子跡


左から、一里塚、遠浅の岩礁が続く天神崎、沖には丸山と呼ばれる島、天神崎の表示板


左から、潮垢離浜の跡、出立王子跡(1)、出立王子跡(2)


左から、高山寺の山門、高山寺の参道、高山寺の二重の塔、合気道の開祖植芝盛平翁の墓石


2006年9月29日 熊野古道(11) 印南から南部まで(妻と一緒に)

JR印南・・・切目・・・榎木峠・・・岩代・・・千里浜・・・JR南部(約17km、28589歩)

各停を乗り継ぎ、印南に着いたら11時を回っていました。南部に入ると急に梅畑が多くなりました。(さすが南部です)
昔は岩代から海岸線を歩いたらしいが、今は海岸線が痩せてしまって歩けない。ガイドブックに従ってJRの線路を横断するコースで千里浜へ出ました。
千里王子から三鍋王子まではルート表示がほとんど見当たらず、しかたがないので国道を歩きました。ここでも車がビュンビュン走っているのでメチャ怖かったです。


左から、斑鳩王子社、斑鳩王子跡、切目王子社、切目王子跡


左から、改装中の中山王子神社、中山王子跡、万葉歌碑1、万葉歌碑2


左から、岩代王子社、岩代王子跡、千里王子まで千里浜を歩く


左から、千里王子神社、千里王子跡、三鍋王子社、三鍋王子跡


2006年9月25日 熊野古道(10) 紀伊内原から印南まで(妻と一緒に)

JR紀伊内原・・・道成寺・・・御坊市・・・印南(いなみ)町・・・JR印南(約21km、38474歩)

晴時々くもりの天気でした。電車の乗り継ぎ時間が厳しかったのでお弁当は紀伊内原駅の近くのコンビニで買いました。今日も歩いていたのは私たちだけのようでした。世界遺産のルートも寂しいものです。
道成寺は有名な寺だけあって、みやげ物屋さんが並んでいました。安珍が焼き殺されたという釣鐘は京都に移設されており、ここにはなかったです。
後半は海岸沿いの国道歩きが多く、車がビュンビュン飛ばしてくるので怖かったです。印南町のコープでビールと食料を買って、駅(無人駅)で電車待ちしながら食べました。


左から、善童子王子神社、善童子王子跡、愛徳山王子跡


左から、道成寺山門、道成寺の三重塔、道成寺の本堂、道成寺の釣鐘跡


左から、九海士(くあま)王子跡、岩内王子跡、塩屋王子神社の入り口、塩屋王子神社


左から、上野王子跡、宮子姫生誕之地の碑、津井(叶)王子跡の入り口、津井(叶)王子跡


2006年9月20日 熊野古道(9) 湯浅から紀伊内原まで(妻と一緒に)

JR湯浅・・・広川町・・・鹿ヶ瀬峠・・・由良町・・・日高町・・・JR紀伊内原(約17km、29648歩)

晴天の秋晴れでした。今日このコースを歩いたのは多分3人です。私が全ての蜘蛛の巣を破って通りましたから私が先頭のはずです。そして休憩中に男性がひとり、私らを抜いていきました。
鹿ヶ瀬峠は難所とされていますが、傾斜は拝ノ峠ほどもきつくなく、所々に立っている距離表示を見ているうちに峠に着いた。日高町に入ると一本道のためか熊野古道の表示がなくなるので不安になる。100m間隔くらいで丁石があると安心できるが・・・。


左から、松下幸之助氏が奉納した紀伊国屋文左衛門の碑、久米崎王子跡、同 説明板、津兼王子跡、同 説明板


左から、丹賀大権現社、河瀬王子跡、馬留王子跡(東)、同 説明板


左から、鹿ヶ峠(大峠)、沓掛王子跡、爪書き地蔵、馬留王子跡(西)


左から、内ノ畑王子跡、同 説明板、内原王子神社にあると高家(タイエ)王子跡、高家王子跡の説明板


JR紀伊内原駅


2006年9月15日 熊野古道(8) 海南から湯浅まで(妻と一緒に)

JR海南・・・藤白坂・・・下津・・・市坪・・・拝ノ峠・・・有田市・・・糸我峠・・・JR湯浅(約19km、32526歩)

晴れたり曇ったりで多少マシな天気でした。JR海南駅を10時45分に出発しJR湯浅駅には18時25分に到着しました。
海南市からは提灯やら飛び石やら道路表示が多く安心して歩けました。湯浅町では語り部風の人がガイド資料をくれたり伝説を説明してくれたり、また通りがかりの人が道を教えてくれたりと、親切な人が多い町でした。18時30分の電車に乗って帰りました。


左から、藤代王子跡、藤白神社、熊野古道の目印となる提灯、藤白坂の丁石地蔵、お彼岸が近いしるし


左から、藤白坂の丁石地蔵、藤白峠の地蔵峰寺、地蔵峰寺にある藤白塔下(トウゲ)王子跡


左から、阿弥陀寺、阿弥陀寺にある橘本(キツモト)王子跡、橘本神社、橘本神社にある所坂王子跡


左から、泣き相撲で有名な山路王子神社、山路王子神社にある一壺(イチツボ)王子跡、泣き相撲の土俵、蕪坂塔下王子跡


左から、爪書き地蔵、山口王子跡の入り口、山口王子跡、山口王子跡の祠


左から、中将姫ゆかりの得生寺、糸我(イトガ)王子跡、逆川(サカサガワ)王子社、逆川王子跡


2006年9月14日 二上山 (松愛会に参加)

近鉄当麻寺・・・当麻寺・・・二上山雌岳(474m)・・・近鉄二上山(約11km、17170歩)

会社のOBの方々50人でのハイキング。雌岳山頂での昼食は、ビールやお酒を飲む人が多いため長めの休憩でした。高齢者が多いため数人が途中で脱落しましたが、世話役の方が無事回収できました。


左から、当麻寺、当麻寺の半鐘、左甚五郎の作と伝わる一本柱の傘堂


左から、二上山雌岳の表示板、麓の雄岳側から見た二上山


2006年9月4日 熊野古道(7) 布施屋から海南まで(妻と一緒に)

JR布施屋(ホシヤ)・・・矢田峠・・・伊太祁曽・・・汐見峠・・・JR海南(コース間違いを含め約20km、34126歩)

カンカン照りの中、ほとんどがアスファルト道なので、持参したお茶やスポ-ツドリンクはあっと言う間になくなった。途中の自販機で補充しながら走破しました。布施屋駅周辺はコースが分かりにくく時間をロスしました。布施屋駅を10時40分に出発し18時00分に海南駅に到着。


左から、吐前(ハンザキ)王子跡、見つけにくい川端王子跡、和佐王子跡、赤く輝く花


左から、平緒王子跡、奈久智王子跡、見落としそうな松坂王子跡


左から、春日神社内の松代王子跡、菩提房王子跡、少し山の中に入った祓戸(ハラエド)王子跡


2006年7月21日 スイス・モンブラン山 (家内と一緒にツアーで)

ツェルマット===テーシュ===モントルー(シヨン城)===シャモニー===エギューユ・デュ・ミディ===ジュネーブ

テーシュからバスでモントルーへ移動し、レマン湖畔のシヨン城を観光。
シャモニー(1035m)で昼食をとりロープウェーで一気にエギューユ・デュ・ミディ(3842m)へ昇ります。モンブラン(4810m)は目の前にあるんですが、残念ながら雲がかかっていて山頂がかすんでました。しばらく待っているとかすかに山頂が見えました。ビデオには撮りましたが写真は間に合いませんでした。
モンブラン登頂を狙っているのか、鞍部の雪原上にはテントが張ってありました。また、展望台近くの岩山ではロッククライミングもやっていました。

このあと、ジュネーブで一泊し、ロンドン経由で大阪へ帰ってきました。大阪は雨でした。


左から、さようならマッターホルン、ツェルマットからテーシュまでは電車で。


左から、レマン湖、フランス側から来た遊覧船、レマン湖畔のシヨン城


左から(シヨン城内)、暖炉、石弓、牢獄の絞首刑の木


左から、3842mの展望台、モンブラン山頂は雲の中、4人組の登山パーティを見かけました


左から、ロッククライミング、モンブランの雲が一瞬切れたのですが写真が間に合わず。。。


左から、レマン湖(ジュネーブ側より)、ヨーデルやカウベルの生演奏を聴きながら夕食


2006年7月20日 スイス・マッターホルン山、モンテローザ山 (家内と一緒にツアーで)

ツェルマット===ゴルナグラート(3089m)===ローテンボーデン(2819m)・・・リッフェルベルク(2582m)・・・
リッフェルアルプ(2210m)・・・グリュンゼー・・・スネガ・・・フィンデルン・・・ツェルマット

ツェルマットからゴルナグラート(3089m)までマッターホルンを見ながら登山電車で登る。ゴルナグラート駅は観光客でごった返していた。ゴルナグラートの展望台からは、モンテローザ(4634m)、マッターホルン(4478m)などのスイスアルプスが手に取るように見える。ゴルナグラートからローテンボーデンまで登山電車で下り、ハイキングを開始しました。
リッフェルベルクまではガイドさんと一緒に集団で歩き、以後は自由行動となったので、家内と一緒に遥かかなたのスネガを目指して歩きました。グリュンゼーを過ぎたあたりでコースが分からなくなり、現地のハイカーに道を教えてもらってスネガに辿りつけました。
スネガからはフィンデルンを経由してツェルマットまで急な坂道を下りました。


写真左から、夜明け前のマッターホルン、日の出前、日の出(5時50分ごろ)


写真左から、肉眼ではこんなに赤くないです、ほぼ明るくなりました、朝のマッターホルン(7時30分ごろ)


登山電車の車窓からの3枚


ゴルナグラート展望台からモンテローザ方向(以下はその詳細)、ゴルナグラートからマッターホルン方向


写真左から、モンテローザ(4634m)、モンテローザとリスカムの間を流れるグレンツ氷河、リスカム(4527m)


写真左から、Castor(4223m)とPollux(4092m)、ブライトホルン(4164m)、クライン・マッターホルン(3883m)


左から、ローテンボーデン駅からハイキング開始(右に見えるのはブライトホルン)、不明、アルパインクローバー


左から、リッフェル湖の逆さマッターホルン、湖畔のワタスゲ、不明、振り返るとモンテローザが。


左から、キジムシロ、ハルリンドウ、不明、マッターホルンを見ながらお昼を食べる


左から、グリュンゼー、ライゼーとマッターホルン、フィンデルンの村とマッターホルン


2006年7月19日 スイス・ツェルマットへの移動 (家内と一緒にツアーで)

インターラーケン市===ラウターブルンネン===カンデルシュテーク===ゴッペンシュタイン===テーシュ===ツェルマット市

インターラーケンから次の目的地(ツェルマット)まで移動の日。
途中の町(ラウターブルンネン)でシュタウスバッハ滝、トゥルンメルバッハ滝を観光。
カンデルシュテークからゴッペンシュタインまではバスごと列車に乗り込んで移動(写真撮るのを忘れてた)。
ツェルマットへは石油を燃料とする車両は入れないため、ひとつ手前の駅(テーシュ)でバスを降り、鉄道でツェルマットへ入った。


写真左から、ホテルから見える朝のユングフラウとシルバーホルン、細く流れるシュタウスバッハ滝


写真左から、凄まじい勢いで流れ落ちるトゥルンメルバッハ滝(1)、(2)、(3)


写真左から、テーシュ駅で電車に乗り換え、ツェルマットでは電気自動車が主役、ツェルマット駅まえから見たマッターホルン


写真左から、スイスの墓地は花壇です、ホテルの部屋の真正面がマッターホルン、日没(21時ごろ)で少し夕焼け


2006年7月18日 スイス・ユングフラウ山、アイガー山 (家内と一緒にツアーで)

インターラーケン市===グラント===メンリッヘン(2230m)・・・クライネシャイデック(2061m)===ユングフラウヨッホ===

クライネシャイデック===グリンデルワルト===インターラーケン市

グラントのゴンドラ乗り場(943m)までバス。ゴンドラ乗り場からアイガーの北壁が望めました。ゴンドラの終点(メンリッヘン)ではハイカーで混雑してました。日本人が多かったです。アイガー(3970m)、メンヒ(4099m)、ユングフラウ(4158m)、シルバーホルン(3542m)が目前に見えました。
メンリッヘンからはクライネシャイデックまで、お花畑と4000m級の山々を展望しながらの『パノラマコース』を90分かけてゆっくりとハイキングしました。ガイドは現地在住の多田さん(女性)で花の名前を教えてもらいました。
クライネシャイデックからは登山電車でアイガーをくり抜いたトンネルを通ってユングフラウヨッホ(3454mヨーロッパ最高の駅)を観光しました。


写真左から、グラントのゴンドラ乗り場、左がアイガー・中央がメンヒ・右手前は邪魔な山、ユングフラウと白く光るシルバーホルン


写真左から、キジムシロ、ハルリンドウ、バフンアザミ、センボンヤリ


写真左から、コースから見える池、ノコギリソウ、アルペンローゼ、イチヤクソウ


写真左から、アンチリス、アストランディア、コウゾリナ、タマシャジン(悪魔の爪)、ハンニチバナ


写真左から、シレネブルガリス、イワオウギ(紫)、イワオウギ(白)、アカツメクサ


写真左から、ミヤコグサ、ウズラバチドリ、シオガマ、チャボリンドウ、イワカガミ


写真左から、ドックローズ、ウサギギク、ウメバチソウ、アイガー(中央)やメンヒ(右)が近づいてきた


写真左から、ジャコウソウ、キリンソウ、ハイキング終点から見たユングフラウ(中央)


写真左から、アイガー北壁の一部、アイガーで見かけた登山者、ユングフラウヨッホからの景観


写真左から、ユングフラウヨッホで遊ぶ人、Tバーリフトのあるスキー場、下山時にはアイガーは雲の中でした


2006年7月17日 スイス・ローヌ氷河 (家内と一緒にツアーで)

サンモリッツ市(1856m)===アンデルマット===ローヌ氷河観光===インターラーケン市

サンモリッツから次の目的地(インターラーケン)まで移動の日でした。
サンモリッツからアンデルマットまでは氷河特急(臨時便)に乗り、食堂車での昼食、高い石造りの鉄道橋や景色を楽しみました。
アンデルマットでバスに乗り換え、峠(フルカ峠(2431m)、グリムゼル峠(2165m))を越えでローヌ氷河を観光。


写真左から、朝の散歩でサンモリッツ湖を一周(約80分)、湖畔で見かけた救急道具(浮き輪・ロープ・フック付きの棒)


写真左から、氷河特急、峠を登るバスから見下ろしたアンデルマットの町


写真左から、ローヌ氷河、ローヌ氷河への入口、ローヌ氷河の中(氷が青い)。


2006年7月16日 スイス・ピッツナイール山 (家内と一緒にツアーで)

サンモリッツ市(1856m)---ハイジ・ヒュッテ(約2000m)・・・コルヴィグリア(2486m)===ピッツナイール(3057m)===

コルヴィグリア・・・ハイジ・ヒュッテ・・・ハイジの花の散歩道・・・サンモリッツ市

サンモリッツのホテルを起点にハイジ・ヒュッテ(夏の家)まで集団行動。そこからは自由行動となったので家内とコルヴィグリアのロープウェイ乗り場まで歩くことにした。小さな地図を頼りに歩いていたら逆方向に歩いてしまい1時間のロス。コルヴィグリアまでは2時間の急坂でした。コルヴィリグアからはロープウェイで山頂まで行きました。
山頂ではサンモリッツから歩いて登ってくる人もあり、健脚なら登り4時間、下り3時間で往復できそうでした。(自由行動が丸一日あれば十分歩いて往復できたのですが。。。)


写真左から、サンモリッツ市内で見かけたリス、ヘアベル、アルパイン・ムーン・ディジー、不明、不明。


写真左から、ハイジ・ヒュッテへの小道、ケーブルカー、映画で使われたハイジの小屋。


写真左から、なでしこのようなヤマヤグルマ、イブキトラノオ、不明、スプリング・ゲンチアン。


写真左から、コルヴィグリアへの道はお花畑が続く、正面には3000m級の山々、眼下には市街と湖が広がる。


写真左から、ピッツ・ナイール山頂のシンボル像、牛の放牧の間を縫って下山。


写真左から、ミヤコグサ、エーデルワイス、ホタルブクロ、カムパヌラ・コクレアリフォリア


2006年7月15日 スイス・ハイジの冬の家 (家内と一緒にツアーで)

ルツェルン市内観光===マイエンフェルト観光===ユリア峠===サンモリッツ市内(すべてバスで移動)

14日に関空を出発しロンドン経由でチューリッヒに入り、バスでルツェルンへ。ホテルに着いたのが夜の12時前(関空を出てから19時間後)。
ホテルの騒音と時差ボケで一睡もできないまま15日を迎えました。(家内の話ではイビキをかいていたらしいが。。)

15日はルツェルン市内の朝市〜カペル橋〜ひん死のライオン像を観光し、次にマイエンフェルトでハイジの夏の家へ。その後、サンモリッツへの移動途中でユリア峠で一休み。


写真左から、カペル橋と鴨居の絵画、悲しげなひん死のライオン像、ハイジの家のハイジとペーターのキモイ人形


写真左から、ジュリアス(=ユリア)シーザーの軍隊が通ったというユリア峠、ユリア峠の池、


写真(ユリア峠にて)左から、ホタルブクロとダイコンソウ、レンゲソウ、ミヤマムラサキ


2006年5月12日 生駒・つつじ園 (家内と一緒に)

らくらくセンターP・・・水車小屋跡・・・つつじ園・・・なるかわ園地管理小屋・・・らくらく登山道・・・らくらくセンターP(約12000歩)

5月3日のリベンジでつつじを見に行きました。まだ3割くらいがツボミでしたがほぼ見ごろでした。
下山は管理小屋まで上がった後、神津獄方面へ下り「らくらく登山道」をだらだらを駐車場まで歩きました。


写真左から、つつじ園のつつじ、らくらく登山道の木道と大阪平野


2006年5月3日 生駒・ぼくらの広場 (家内と一緒に)

らくらくセンターP・・・つつじ園・・・ぼくらの広場・・・鳴川谷・・・らくらくセンターP(約13000歩)

生駒のつつじは毎年4月末が見ごろなのに、今年は5月3日でもまだツボミでした。そのため「ぼくらの広場」まで上って昼食にしました。
大型連休ということもあり「ぼくらの広場」は人や犬でにぎわっていました。
黄砂の関係でか、大阪平野がかすんでしか見えず、六甲山の輪郭もおぼろげでした。


写真左から、高安山方向、生駒山方向、黄砂にかすむ大阪平野、鳴川谷のシャガ


2006年3月20日〜22日 沖縄本島 (家内と一緒に)

20日:首里城
21日:沖縄村、万座毛、グラスボート、美ら海水族館、名護パイナップルパーク
22日・・・
ひめゆりの塔、平和記念公園、おきなわワールド(玉泉洞)

退職を前に家内と沖縄旅行へ行ってきました。


写真左から、守礼門、首里城


写真左から、沖縄村の水牛、万座毛、グラスボート、美ら海水族館のじんべえざめ


写真左から、ひめゆりの塔、平和記念公園(平和の礎)、おきなわワールド(エイサー)


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