R&R Fragments
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自爆シリーズH
第19回 |
Re: ' Heart Breaker ' |
From: mack |
Dated: '01/08/01 |
というわけでノリマツ(仮名)とも袂を分かち、高校時代からの惰性でTOTO (ちょっと弁解するけど当時出た、Fahrenheit というアルバムは割とアグレッシブで'80年代ハードロックという感じだったのだ) などを適当なメンバーとテキトーに演っていた僕であったが、これは何か違うな、自分には向いてない < ここ笑うところね
ということは流石に分かっていて、かといって今更 フュージョンなどにいけるテクも技量も無い。
そんなときにーつ学年が上の先輩達のバンドで、そのサークルには珍しく R&Rをやってるところがあり、いわば消去法というか必然的に僕はそのバンドの先輩達に接近した(入学式の後に僕を勧誘した髭はそこのドラマーで、それが僕が割と気安く彼らに接近できた素地もあった)。
彼らはオリジナルを創る前段階、と称し憂歌団やRC SUCCESSIONをカバーしていた、大学生には珍しい趣味のバンドだった。RCは高校時代に同級生達が演っていたし、それなりにヒットチャートにも曲を送りこんでいたので僕もそれなりに知っていたが、正直言って憂歌団を聴くのも(そして名前を知るのも)これが始めてだった。
こんなに上手いギタリストが日本にもいるのか・・・
それまでアタマデッカチだった僕は日本人のギタリストといえば、渡辺香津美、大村憲司、松原正樹、和田アキラ、高崎晃(笑)くらいしか知らなかった。ミュージシャンズ・ミュージシャンである、内田勘太郎は何か新しい波を自分のなかにおこしてくれた。
その先輩バンドのスタジオを見学した帰り、便乗させてもらった髭の車のカーステで聴かせてもらったのが「気分」(1984)、彼らには珍しくエレキを全面に導入したアルバムだった。そのB面に「ナイフ」というブルースナンバーがあり、これに僕はKOされた。今思えば、それがブルースとの初遭遇だったのかもしれない。
とはいえ、まだまだ音楽に対してそう真摯だったわけでもない。この頃:
1/中学の同級生だった女の子から電話を貰い(もしくは電話をして)
もしかしたらイケルかも・・・と思って渋谷で逢い、
馬鹿話をしたあげくタダ飯を食われたり、2/サークルで一緒だった女の子(ドラマーだったK子ちゃん)に惚れ、
飲み会で酔払ったあげく、
渋谷の路上で最敬礼して「結婚してくださいっ」
と求婚したり(苦笑されただけでした・・・嗚呼恥ずかしい)、3/夏休みに内藤くん(仮名)と一緒に三浦海岸まで出かけ、
女の子を2人ナンパしたまではいいのだが、ウチ一人が医者の娘で
アウディに乗ってるという話を聞いた途端に
ビビッて「じゃあ、これで」と帰り支度を始め
小心者であることが露呈したり、4/その頃隆盛を極めた宇宙企画(註:アイドル系ギャルが多かったことで
知られるアダルトビデオの制作会社・いまだファン多し・ソフト系)
のビデオを借りるのによりによって、
「ドラえもん‐のび太の恐竜」と「Dr.モローの島」
のビデオでサンドイッチにしてレジに持っていったところ、何故か
レジのお姉ちゃん(J子ちゃん)のツボにはまって電話番号を聞き出せたり、5/とある美容院で髪を洗ってもらってるときに、美容師さん(I美ちゃん)
の胸が顔にあたるので興奮してしまい、「どこかお痒いところございませんか?」
の慣用句に対して、
「ん〜、もうちょっと全体的に」←どこがちょっとじゃー(爆)
と応えたり。
嗚呼・・・小粒ッ!(現在の偽らざる感想)
こんなヤツに音楽を語られては、ミュージシャンも浮かばれまい・・・(タメイキ)
ただ、日本にも色々なバンドがあってイイ音楽をやっているんだ、ということに改めて気付かせてくれたのが憂歌団だった。
ただ、やはり「ロック」が好きだった。
ギターヒーローを求めていた。自分を投影できるようなスーパーマンを・・・
思えば、これは超えるべき壁を求めるような代償行為だったのかもしれない。勘太郎は文句無しにイイし、チャボは光ってたし、チャーは上手くてセンスあった。
けれども何か足りないような、のめりこめないような気がしていた。
そんなときにこのアルバムに/ギタリストに出遭ったのだ:KOOL SOLO
(1982) ALFA AlCA-15鮎川 誠 だ!
ルックス!リアルな音( レスポールカスタム+Marshallの王道 )!
そして、ブルース orientedでありながら、PUNKもやる!といったフットワーク!日本人の演るR&R、に対してなんともいえない照れをもっていた自分にとって、このアルバムはエポックメイキングだった。
聴けば聴くほどハマッた。アルバムを買い漁った。本当に夢中だった。夢中になれる対象があるってナンて幸せなんだろうと思った。ワクワクしてた。恋のようだった。
ときは過ぎ、もう冬になっていた。
試験休みにはサークルの合宿みたいなものがあって、そこで僕はロケッツをやりたいがために、メンバーをなんとかかき集めバンドを作った。その頃は、もう小粒さ加減(苦笑)がサークル内でも露呈してきていて、あまりバンドもやっていなかったのでメンバーを集めるのにもちょっと苦労した。結局、ドラマーは例の髭(今、この瞬間に名前を思い出した・・・M島さん・・・だ)に頼んだ。
こんな曲をやった・・・
♪ HEART BREAKER (Shibayama-Ayukawa)
♪ SUZY-Q (D.Hawkins, S.J.Lewis,E.Broadwater)
♪ KOI O SHIYOUZE (Shibayama-Ayukawa-Sheena & The Rokkets)(参考URL) http://www.rokkets.com/kollect.htm
自分的にはバッチリな選曲だった。渋い!と思っていた
・・・がしかし、AORなそのサークルのなかでは、浮いていたし絶対的に少数派だった(それに下手糞だったし‐苦笑)。小粒なゆえにシンパ作りに失敗した僕は段々と居場所が無くなっていくのを感じていた。
その頃の僕のギターは12ヶ月ローンを組んで買った、ムーンのレゲエマスターで、みんなが持っている StratcasterやLes Paulのなかで、どちらつかずのサマはその頃の自分を象徴しているようだった。
どんなギターを買うか、自分の愛機として持つか、というのは自分のアイデンティティを露わにすることでもある。
レゲエマスターにペダルアタッチメント(エフェクター)を繋ぎ、歪んだ音を作ってみても、
それは何か無理をして突っ張ったふりをしている
チンピラのようで、なにか物悲しいものがあった(今にして思えば、もうちょっとやりようはあったのだけれども・・・)
おまけに着ている皮ジャンはビニール製だった。授業はつまらなかったし、バイトもしけた飲食店の仕事しかみつからなかったし、女友達もできなかった。おまけに、目標とするようなギターヒーローはみつかったものの、活動の支柱となるべきバンドは無かった。
大学入学してから1年が経とうとしていたが、その際に思い描いていた妄想(理想・・・とも言うかも・・・しれない‐笑)は全て泡と消えていた。
情熱の絶対量が足りなかったのだろうか?行動力が無かったのだろうか?こんなことでいいのだろうか?
・・・本人にとっては真剣な、しかし大人から見ると大甘な悩みを抱えたその冬は兎に角寒かった・・・
(多分、続く)