ベートーヴェン交響曲第9番「合唱つき」のおすすめCD・DVDです。

第九は人間的自由を表現したものなので、個性的な演奏の方が魅力的なようです。
楽譜を忠実に再現しただけでは表現しきれない内実があるよう思います。
演奏者や合唱団員、そして聴き手の魂を解放してしまうような魔法が求められる。
そういう意味で、通常の音楽の範疇を超えた表現が必要なのでしょう。

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ネコ禪ハウス
西洋館



                               












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  フルトヴェングラー 指揮
 バイロイト祝祭管弦楽団及び合唱団
 E.シュワルツコップ(ソプラノ)
E.ヘンゲン(アルト)
 H.ホップ(テノール)
O.エーデルマン (バス)
1951年7




”奇跡の名演”


言わずと知れた超名演です。
私も、学生時代にこの演奏に出会ってから、随分と長い間、他の演奏は必要ないのではないかと、
真剣に思っていました。!(^^)!

今でも、これは奇跡としか言いようのない演奏だなと思います。
最近、音質を良くしたCDとかが出ているけど、わたしは、こちらの方が好です。
なぜか分かりませんが、音質の良い方にはそれほど感動できなかったのです。
おそらく、この演奏の凄さは音質云々の問題ではないのでしょう。
むしろ、手を加えない方がいいのではないかとさえ思えます。
たとえば、チャップリンの映画をハイビジョンに起こしても、感動が増すわけでもないでしょうし。(~_~;)
場合によっては、白黒テレビで見る方が泣けるかも知れませんね。

しかし、この演奏は知らないうちに凄いところに連れて行かれると思います。
ほとんど、魔法にかかってしまうような不思議さです。
あらためて聴いてみると、最初の方はそれほどすごいとも思えない。
それでは、一体どこから凄くなるのかと、それぞれの箇所を切り離して聴いてみても、
よく分からかったりします。(^_^;)
ところが、843小節以降のラストの辺りでは確実に世界が変わっている。
この演奏を通して聴くことで何かが変わるのようなのです。
毎回”奇跡”が起きるのです。

ただ、これは本当に”奇跡”なので、基本的にあまりマネをしない方が良いのではと思います。
影響を受けるなといっても無理な話ですが、たとえば、330小節目の"vor Gott"のフェルマータなぞは、
皆マネして伸ばし過ぎではないかと思います。楽譜では、"Gott"は"vor"の倍の長さなんですけど...(^^ゞ。
あらためて聴いてみると、彼はあそこで"伸ばす"のではなく、
逆に時間を"止める"ことを試みたのではないかと思えます。
どちらにしても、例外的で特殊な表現であり、表面的に真似すべきではないでしょう。

いずれにしても、とにかく素晴らしい演奏なので、まだ聴いたことがないという人は、
"フルトヴェングラーの魔法"にかかる覚悟で、是非、聴いてみましょう。(^^♪




 
A.トスカニーニ 指揮
NBC交響楽団 
ロバート・ショウ合唱団
 E.ファーレル(ソプラノ)
N.メリマン(メッゾ・ソプラノ)
 J.ピアース(テノール)
N.スコット (バス)
1952年3~4




”もう一つの奇跡”


実は、この演奏が長年の"フルトヴェングラーの魔法"を解いてくれたのです。
この演奏はフルトヴェングラーとは全く対照的に、とても自然な表現になっています。
にもかかわらず、内容的に全く引けを取っていないのです。!(^^)!

比べてみると、
フルトヴェングラーの演奏が、一種非日常的な空間で、神秘体験のような感動を覚える音楽なのに対して、
トスカニーニの方は、日々の何気ない生活や景色の中に、神秘的な感動を見出すような演奏なのです。

演奏のスタイルがとても自然なので、「合唱部分の歌詞を 曲の通りに全部載せてみました」の ページでは、
トスカニーニの演奏を使用させてもらいました。
この演奏は部分部分を独立させても、自然に聴くことができるのです。

特に、第九を歌っている方は、ぜひ、聴いてみてください。
目からウロコが落ちて、表現が自由になると思いますよ。(^^♪






 F.ブリュッヘ指揮
18世紀オーケストラ 
 リスボン・グルベンキアン合唱団
 L.ドーソン(ソプラノ)
J.ファン・ネス(アルト)
 A.ロルフ・ジョンソン(テノール)
E.ビイルム・シュルテ (バス)
1992年11




”天恵のように美しいフーガ。 大胆な逆遠近法的解釈。”


古楽器とモダン楽器を合わせた編成のオーケストラで演奏されています。
第九が作曲された当時のニュアンスを再現しようとした試みだといいます。
だだし、全然、楽譜どおりの演奏ではないと思います。(^_^;)

といっても、どうも、第九を演奏とは、楽譜どおりの演奏は存在しないのではないかというぐらい、
ほとんどすべての演奏が、”独自の解釈の積み重ねによってに成り立ったセオリーのようなもの”
によって行われているようなのです。

というわけで、この演奏は”一般的なスタイルの演奏ではない”といった方がいいのかもしれません。
いわゆる、“お決まりの聴かせどころ”で、ブラボーしたい方からすると、
許されない暴挙を積み重ねていると思われるかもしれません。
しかし、、それは単に奇をてらったものではなく、
正面から楽譜に向き合って、第九の真実を表現をしているというべきだと思います。
逆に、この演奏が特異なものとされる状況は、今の第九の演奏が如何に、
”お決まりの作法”に縛られたものかを象徴しているようにも、思えます。

具体的にいうと、以下のような感じです。

”275~268小節のテノールのオクターブの上下移動がほとんど聞こえない。”
 テノールの大見栄を切るようなお騒がせ表現を避けている感じです。
 静かに歌が始まっていきます。

”411~431小節の男声合唱がテノール独唱のバックコーラスのようにmfぐらいで歌われる。”
 このテノール独唱は”詩人”です。それは、歌詞を読めば分かると思うのですが、
 ”軍隊行進”的な表現が当たり前のようになっていますよね。(^_^;)
 たぶん、”勝利に向かう勇士のように”という表現だけを取ってそう解釈しているのでしょうが、
 この表現は”恒星の運行のような確かさに貫かれた内的な衝動”とでもいうべきものを
 別のたとえで表現したもので、
 比喩の中心は勇士の”力強さ”ではなく、勝利の”確実さ”の方にあるのだと思います。
 楽譜を見れば分かりますが、ソロのfroh(喜ばしい)の歌いだしはppなのです。
 それなのに、そんな録音どこにもありませんよね。
 ”詩人が花を愛でるようなところから、憧憬の予感が世界に拡がっていって、ffになる。”
 という表現が正解なのだと思います。
 この演奏でも、ソリストはちょっと頑張りすぎのように思えます。
 ブリュッヘンもの希望としては、ソリストにもppから入って欲しかったのではと思います。

”595~602小節 Seid umschlungen, Millionen! Diesen Kuß der ganzen Welt!
 619~626小節 Brüder! über'm Sternenzelt muß ein lieber Vater wohnen.
 の男声ユニゾンが、mfからmpへの変化で歌われる。"
 ここがすばらしい。ブリュッヘンはここをグレゴリオ聖歌として表現するのです。
 "抱かれなさい。幾百万の人々よ!このキスを全世界に!
 兄弟たちよ!星空の向こうには愛しき父がおわすでしょう。"
 という歌詞をまるで修道士の行うミサのように歌うのです。
 この演奏を聴いて、この歌詞はミサのグロリアに対応しているのではと思いました。
 ”いと高きところでは神に栄光がありますように
 地上では善意の人々が平安でありますように”
 グロリアの冒頭の言葉を、人間の視点から表現したものではないかと思えたのです。
 そう考えると、合間のコーラスは呼応する天の声のようにも聴こえます。
 そして、次のような表現につながります。

”654小節"wohnen"のフェルマータをフルトウェングラーの"vor Gott"並に伸ばす。”
 ここは、聖霊を召喚するように、”愛しき父がおわします”と歌い伸ばすのです。
 そして、続く二重フーガでは、まるで薔薇窓から天使の群れが飛び出して来たかのように、
 光に満ち溢れた世界が展開するのです。

この演奏は、第九の真実が実は”フーガ”以降にあるという当たり前のことを、
素直に表現してるだけなのだと思います。
それは本当に美しい天上の響きです。

実は、「第九と美術」のページで取り上げたヴィジョンはこの演奏に大きく影響されたものなのです。
二重フーガ以降の既存の演奏に疑問を感じている方は、ぜひ、聴いてみてください。

(この演奏を聴くときは、音量は抑え目にして、ヘッドフォンは避けた方がよいと思います。)







 J.E.ガーディナー 指揮
オルケストル・レヴォリュショネル
エ・ロマンティク 
モンテヴェルディ合唱団
 L.オルゴナソーヴァ(ソプラノ)
A.S.フォン・オッター(アルト)
 A.ロルフ・ジョンソン(テノール)
 G.カシュマイユ(バス)
1992年10




”ほぼ強制的に目が覚めさせられる名演”


上のブリュッヘン盤とほとんど同時期に録音された演奏です。
ブリュッヘンの方は、その革新性がとても精神的な領域に属するため、
単に、主観的で、曖昧な演奏と取られる余地を残していますが、こちらはそうはいきません。(^_^;)
ほとんど、即物的に、形になったものが突きつけられてしまいます。


ブリュッヘン盤も同様ですが、古楽という手法は、決して、保守的で型にハマったものではないということが
よく理解できる一枚だと思います。
ほぼ、確信犯的にやりたいことやってます。ちょっと皮肉っぽく、”ここ、 出来てないやろ!!”と迫ってきます。
軽やかですが、決して、軽い演奏ではありません。
合唱は少人数ですが、本当に良く響いていて、大合唱に全く引けを取っていません。
何十年も第九を歌い続けて、これこそがベートーヴェンと思っている人は是非聴いてみましょう。
いい意味でショックを受けると思います。







C. ミュンシュ 指揮
ボストン交響楽団
 ニュー・イングランド音楽院合唱団
L.プライス (ソプラノ)
M.フォレスター(コントラルト)
 D.ポレリ(テノール)
G.トッツィ (バス)
1958年12




”高速の器楽的名演”


ミュンシュという人はフルトヴェングラーのところでコンサートマスターをしていたのだそうです。

そのためか、合唱の音色がとても硬質で器楽的です。ところが、人間的でとても熱い感じがします。。
逆に、弦楽器のひょうげんが、声楽的で人が歌っているようです。

それから、このスピード!!この時代ととしては、非常に高速です。しかし、全く速いと感じさせません。
20世紀真っ只中に、20世紀型のセオリーにとらわれなかったのは、カッコいいなとと思います。







L.バーンスタイン 指揮
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団 
ウィーン国立歌劇場合唱団
 G.ジーンズ(ソプラノ)
H.シュヴァルツ(アルト)
R.コロ (テノール)
K.モル (バス)
1979年9


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”パワフル、ゴージャス!超豪華盤の名演”


これはホントにスゴイなあと思います。
”ギリシャ、ローマの彫刻群が立ち並ぶような”凄まじい演奏です。

アマチュアに出来ないのはこうゆうことです。絶対無理。
合唱というより全員がソリストという感じなのです。

正直、ちょっとやり過ぎかもとも思いますが、これぞ、バーンスタインの真骨頂と言えましょう。
超絶技巧を極めたところで、それが自ずとほころんでいくところが、ある意味とても第九的です。(^_^;)

でも、ウィーンの人たちって、こういうノリ、大好きなんだろうなあ。
歴史のある土地ですが、実は全然保守的じゃないのかも知れません。

20世紀の金字塔の一つだと思います。
ある意味、カラヤンのものと双璧というか、対極をなしているように思えます。
私はこっちの方が面白いと思います。聴いてみる値打ちはありますヨ。






 H.ブロムシュテット 指揮
シュターツカペレ・ドレスデン
 ライプツィヒ放送合唱団
ドレスデン国立歌劇場合唱団
H. ドゥーゼ(ソプラノ)
M.シュイテム(アルト)
 P.シュライヤー(テノール)
T.アダム (バス)
1979年4月、1980年3






”第九のベスト!最高の演奏です”


”こんな演奏、生で聴きたかったなあ。”という名演奏です。

ブロムシュテットという人は本当に素晴らしい人だと思います。
当時の東ドイツの最高水準の演奏なのかもしれませんが、ただ、上手いだけではありません。
ソリストと合唱団がとても自然で、喜んで歌っていて、全く力みがないのです。
演奏スタイルはスローテンポの20世紀の正統派という感じですが、
当時の”西側”のものと比べると音楽に対してとても純粋だなと感じます。
とても、家族的な暖かい感じがします。

こんなに、豊かな合唱は他に聴いたことがありません。
何しろ、各パートの動きがすべて聴き取れます。
歓喜の合唱のMのところなど、本当に素晴らしい。
迫力とか、上手いとか、と言うより、とにかく、信じられぐらい”豊か”なのです。
フーガのテノールの入りのA音とか、余裕を持って、楽々”豊かな”響きを作っています。
オーケストラも全楽章を通して本当にすばらしい。

今、第九でどれか1枚と言われたら、これかなと思います。
本当、最高の演奏です。

これは、ブロムシュテットという人の人柄もあるのだろうなと思います。
こういう風に合唱団を歌わせる指揮ってどういうものなのだろうかと思う。
本当に一度この人の指揮で歌ってみたいなあ。(~o~)






 
佐渡 裕 指揮
兵庫芸術文化センター管弦楽団
 神戸市混声合唱団
M.C.ノチェンティーニ(ソプラノ)
手嶋 眞佐子(アルト)
 P.ライオン(テノール)
キュウ=ウォン・ハン (バリトン)
2005年10月

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”これぞ、日本の第九。神憑りです。”


これは本当にスゴイ演奏だなあと思います。

PACの杮落としの演奏なのですね。

歴史的な経緯があります。
その中で、尋常じゃない何かになっていると思います。

彼は本当に泣いていますね。

神戸市混声合唱団はやはりすごい。
お名前を拝見するに、本当にプロのソリスト集団ですものね。
その人たちが見事な”合唱”をしております。

MからNへの男声のユニゾンは本当に何事かと思った。
僭越ながら、私はこれを聴いて、発声のの仕方を含めて、自分の歌い方を変えました。
ありがとうございます。m(__)m

何より、この演奏のすごいところは、
4人のソリストたちが観客として感動して、その合唱に聴き入っていて、
最後の四重唱がまるで賞賛の拍手のように聴こえるところです


終演後の、もはや全然そうとは聞こえないブラヴォーのような雄叫びも、いやな感じがしません。
それはそうだろうと納得がいってしまいました



それにしても、佐渡さんの指揮で一度歌いたいなあ。
PACで歌えたら最高ですね...(^_^;
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