ベートーヴェン第九交響曲の合唱部分の歌詞 シラーの「An die Freude」を訳してみました 原詩の中で第九に使われている部分です。 いわゆる、CDなどに載っている形でございます。 カタカナ読みも合わせて載せました。 |
ネコ禪ハウス 西洋館 |
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「ドイツ語歌詞」について | |||
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冒頭の3行はシラーの詩ではなく、ベートーヴェン自身が付け加えた言葉のようです。 それ以下のシラーの詩もこれで全部というわけではなく、ベートーヴェンの意図に沿った抜粋のようです。 やはり、この詩はこういう形ではなく、ベートーヴェンが第九交響曲の中で、繰り返した形、そのままに読んだほうがよいように思えます。 |
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「カタカナ読み」について | |||
ドイツ語をカタカナ表記することにかなり無理があるので、読むときにちょっと注意が必要です。 (でも、可能な限り近づけようとガンバリました。^^;) Töneはトェーネとしていますが、この”トェ”は”間違っても”とえ”と読んではいけません。これは1音で読んでください。 また、schöner Götterfunkenをショェーネル ギョェッテルフンケンとしていますが、 この”ショェ”と”ギョェッ”も”しょえ”とか”ぎょえ”とか読まずに一気に1音でよんでみてください。”ボェ”も同様です。 また、tとlとm単独の発音を、それぞれ”トゥ””ル””ム”としていますが、tの”トゥ”は”ト”から”お”の音をを引いて、 lとmの”ル”と”ム”はそれぞれ”う”の音を除いて発音してくださいrの”ル”も同様ですね。 ドイツ語はいくつかの例外を除けば、ほぼローマ字読みでよめますが、 読めないところが、カタカナでも表記が困難な部分だったりしますので、 検索エンジンで「ドイツ語」と入力して、ちょっと勉強してみましょう。 便利なページが山ほどありますヨ。(^_^)v それから、実際の演奏を聴くと分かると思いますが、第九の歌詞の読み方というか、発音の仕方は実は様々であります。 Seeleは"ズィーレ"か"ゼーレ"か、Vaterは"ファーテル"か"ファーター"か等々、実に様々な解釈が成り立つのです。 そう思って、CDを聴いてみれば、どれ一つとして同じものがないことに気づくでありましょう。^^; ここでは、比較的、文語的で、歌って美しいとされる発音を載せましたが、あくまで一つのパターンだと思ってください。 |
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ここは長くなりそうなので、歌詞の下に書くことにします。↓移動してください。 |
ドイツ語歌詞 | カタカナ読み | 日本語訳 |
O Freunde, nicht diese Töne! | オオ フロインデ, ニヒトゥ ディーゼ トェーネ! | おお、友よ、この調べではない! |
sondern last uns angenehmere | ソンデルン ラストゥ ウンス アンゲネーメレ | そうではなく、もっときもちのよい調べを |
anstimmen, und freudenvollere. | アンシュティンメン, ウントゥ フロイデンヴォルレーレ. | 歌い始めよう、そして、もっと歓喜にみちた調べを。 |
Freude,schöner Götterfunken, | フロイデ, ショェーネル ギョェッテルフンケン, | 歓喜、美しき神々の火花、 |
Tochter aus Elysium, | トホテル アウス エリューズィウム, | 天国からの娘、 |
Wir betreten feuertrunken, | ヴィル ベトゥレーテン フォイエルトゥルンケン, | 私たちはその炎に酔いしれて、足を踏み入れる、 |
Himmlische,dein Heiligtum! | ヒムリッシェ, ダイン ハイリッヒトゥム! | 崇高なる、あなたの聖殿に! |
Deine Zauber binden wieder, | ダイネ ツァウベル ビンデン ヴィーデル, | あなたの魔力は、ふたたび結びつける、 |
was die Mode streng geteilt; | ヴァス ディー モーデ シュトゥレンク ゲタイルトゥ; | 時の流れによって厳しく引き離されたものを。 |
alle Menschen werden Brüder, | アルレ メンシェン ヴィルデン ブリューデル, | すべての人たちは兄弟になる、 |
wo dein sanfter Flügel weilt. | ヴォ ダイン ザンフティル フリューゲル ヴァイルトゥ. | あなたのやさしい翼が留まるところで。 |
Wem der große Wurf gelungen, | ヴェム ディル グローセ ヴルフ ゲルンゲン, | 一人の友の友になるという▽ |
eines Freundes Freund zu sein, | アイネス フロインデス フロイントゥ ツゥ ザイン, | 大きな賭けに勝った人に、△ |
wer ein holdes Weib errungen, | ヴェル アイン フォルデス ヴァイプ エルルンゲン, | 一人のやさしい女性を獲得した人が、 |
mische seinen Jubel ein ! | ミッシェ ザイネン ユーベル アイン! | 喜びの声を合わせよ! |
Ja, wer auch nur eine Seele | ヤー, ヴェル アオホ ヌル アイネ ズィーレ | そう、地球上でただ一人の魂でも |
sein nennt auf dem Erdenrund ! | ザイン ネントゥ アウフ ディム エルデンルントゥ! | 自分のもの呼べる人もまた! |
Und wer's nie gekonnt,der | ウントゥ ヴェルス ニー ゲコントゥ、ディル | そして、それができなかった人は、その人は |
stehle weinend sich aus diesem Bund. | シュティーレヴァイネントゥ ズィッヒ アオス ディーゼム ブントゥ. | 泣きながらこの集まりから去るのだ。 |
Freude trinken alle Wesen | フロイデ トゥリンケン アルレ ヴェーゼン | 歓喜を、すべての存在は飲む、 |
an den Brüsten der Natur; | アン デン ブリュステン ディル ナトゥール; | 自然の乳房から。 |
alle Guten, alle Bösen | アルレ グーテン, アルレ ボェーゼン | すべての善人、すべての悪人が |
folgen ihrer Rosenspur. | フォルゲン イーレル ローゼンシュプール. | 自然の薔薇の小道をたどる。 |
Küsse gab sie uns und Reben, | キュッセ ガープ ズィー ウンス ウントゥ リーベン, | 自然は私たちに、キスと、ブドウと、 |
einen Freund,geprüft im Tod; | アイネン フロイントゥ, ゲプリュフートゥ イム トートゥ; | 死の試練を経た一人の友を、与えた。 |
Wollust ward dem Wurm gegeben, | ヴォルストゥ ヴァルトゥ デム ヴルム ゲギーベン, | 快楽はうじ虫に与えられ、 |
und der Cherub steht vor Gott! | ウントゥ ディル ケールップ シュティートゥ フォル ゴットゥ! | そして、智天使は神の御前に立つ! |
Froh,wie seine Sonnen fliegen | フロー,ヴィー ザイネ ゾンネン フリーゲン | よろこばしい、彼の太陽たちが飛翔していくように、▽ |
durch des Himmels prächit'gen Plan, | ドゥルヒ デス ヒムメルス プレヒトゥゲン プラーン, | 大空の壮麗なる平原を通って、△ |
laufet Brüder,eure Bahn, | ラオフェットゥ ブリューデル オイレ バーン, | 駆けよ、兄弟たち、あなた達の道を、 |
freudig wie ein Held zum Siegen. |
フロイディッヒ ヴィー アイン ヘルトゥ ツゥム ズィーゲン. |
喜びに満ちて、 勝利に向う勇士のように、 |
Seid umschlungen, Millionen! |
ザイトゥ ウムシュルンゲン, ミルリオーネン! |
抱かれなさい、 幾百万の人たちよ! |
Diesen Kuß der ganzen Welt! | ディーゼン クス ディル ガンツェン ヴェルトゥ! | このキスを全世界に! |
Brüder! über'm Sternenzelt | ブリューデル ユーベルム シュティルネンツェルトゥ | 兄弟たち!星の天幕の彼方に |
Muß ein lieber Vater wohnen. | ムス アイン リーベル ファーテル ボーネン. | 必ず、愛しき父がおられる。 |
Ihr stürzt nieder, Millionen ? |
イール シュテュルツトゥ ニーデル ミルリオーネン? |
あなたたちは崩れ落ちて、ひざまずく。 幾百万の人たちよ? |
Ahnest du den Schöpfer, Welt ? |
アーネストゥ ドゥー デン ショェープフェル, ヴェルトゥ? |
予感するか、あなたは、あなたの創造主を、 世界よ? |
Such' ihn über'm Sternenzelt ! | ズーフ イーン ユーベルム シュティルネンツェルトゥ! | 探求するのだ!彼の方を、星の天幕の彼方に、 |
über Sternen Muß er wohnen. | ユーベル シュティルネン ムス イル ヴォーネン. | 星星の彼方に、必ず、彼の方はおられる。 |
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ドイツ語は学生時代に少しやったというか、やらされただけというかで、あんまり自信がないのだけれど、 やはり、この詩は流暢な日本語訳を読むだけでは、理解できない部分が多々あるように思えたので、あえて、自分で訳してみました。 なるべく、言語に即した直訳に徹して、ドイツ語一行に対して日本語一行で訳すことにしのだけれど、 どうしても、行の順番が前後してしまうところが2箇所できてしまったので、△▽の印を付けておきました。 ここだけ、日本語訳の行が前後しています。^^; 訳してみると、一般に流布している流暢な日本語訳とニュアンスが微妙に異なるところがいくつもあって面白かったです。 それも含めて、この詩について解説してみます。 というより、このすばらしい詩を一緒に鑑賞しましょう。(^_^)v
まず、フロイデ(歓喜)という一番大事な言葉を最初に持ってきます。 その後でこの歓喜を「美しき神々の火花」と「天国からの娘」にたとえています。 ”「美しい神々の火花」、「天国から来た娘」としか言いようのない特別な感情、それが「歓喜」とだ”というわけです。 その後のfeurtrunkenという言葉は「炎」と「酔う」という言葉を複合させた言葉で”炎のように酔って”などと訳されますが、 何に酔っているのかといえば、「神々の火花」である歓喜に酔っているのでしょうから、 ここでは”その炎に酔いしれて”と少し意訳してみました。 「崇高なる、あなた(歓喜という感情)の聖殿に足を踏み入れる」とは、その歓喜にさらに沈潜していくことだと思います。 その歓喜は、”時の流れ、世俗的な生活などによって、厳しく引き離されてしまったものを、もう一度結びつける魔力を持っている。”として、 ”すべての人たちは、歓喜という羽毛のようにやわらかく、やさしい博愛的な感情の中で、兄弟になるのだ。”というのです。 ここには、現在様々に対立し、いがみ合っている人間同士は、本来一つの調和した存在であるという思想があるように思います。 そして、その対立を再び調和させる力が「歓喜」なのだという考えが前提になっているようです。 ですから、ここでいう「歓喜」とはひとつの感情でありながら、個人的なものを超えたともっと大きな力だと考えた方がよいと思います。 この部分をベートーヴェンは大変重視しているようで、曲の中で何度も繰り返します。 そして「歓喜、美しき神々の火花、天国からの娘」で始まるこの合唱は「天国からの娘、歓喜、美しき神々の火花」と結ばれるのです。 ベートーヴェンが一番伝えたかったのはここだと言ってもよいかもしれません。
申し訳ありませんが、ここは一行目と二行目の日本語訳の順番が入れ替わっています。 ここで親友を得ることと、愛する女性と結婚することを 「賭けに勝つ」とか「(狩りで獲物を)獲得する」とかかなり俗っぽい表現を使っていますが、 これを勢いづいた表現と取らない方がよいと思います。 むしろ、これは皮肉を利かせた表現で、 ”人生における本当の勝利とは大きな賭けに成功して一財産を築くことでもなければ、 狩りで獲物を獲たり、戦で戦利品を得ることではないぞ。” と、言う含みを持たせているのではないかと思います。 前段で言われたように、そういったことはすべて、”人々を厳しく引き離す空虚な世俗の習い”に過ぎないものでしょう。 そうではなく、 ”「地球上でただ一人の魂でも自分のものと呼べる」ことが本当の勝利なのだ。 それは、たとえば、「真の友を得ること」であり、「愛する妻を得る」ということだ” と、言っているのでしょう。 なぜ、この内容が前段に続くのかといえば、 人と人が世俗的な面だけでなく、魂と魂が触れ合うような、真の人間関係を持つことで、 「歓喜」というの感情を起すことが出来るからなのだと思います。 自分の周囲に「ただ一人の魂でも自分のものと呼べる」人間関係を作ることが、 「すべての人たちが兄弟になる」第一歩だということでしょう
ここで「歓喜」を私たちにもたらすものとして「自然」というものが出てきます。 最初に、”神々の美しい火花”、”天国からの娘”、にたとえられた特別な感情である「歓喜」が、 次の段で、”真の友人”、”優しい妻”との、魂の関係によって、得られるとされましたが、 この段では、その「歓喜」が、「自然」というものを通して、「すべての存在」に与えられていると、 非常に大きく、展開しています。 「自然の乳房」から、すべての存在は「歓喜」を受け取り、 自然が与えた「薔薇の道」を辿り、自らを働きかけていくと、 自然からの恩恵と、自然への働きかけが、 対句的に表現されています。 自然から流れ出したものが、自然に還るという、呼吸のようなリズムが感じられます。 「すべての善人」「すべての悪人」「うじ虫」「智天使」という言葉は、”右も左も、下から上まですべて”という意味で使われていて、 それは、ここで言う「すべての存在」とは、人間のみならず、生きとし生けるもの、山川草木すべてを含んだ「全世界」を指していることを、 読むものにイメージさせる表現だと思います。 それらが、それぞれの形で、”自然”と結びつくことで、調和的な「全世界」を成して、 その核になる「神」という存在を中心として、呼吸するように生きているというような、 壮大な世界像が展開されていると考えられます。
ここは、非常に瞑想的なところです。曲の中でも、この歌詞とともに、音楽は新しい段階に進みます。 前段で自分の意識が全世界へと拡大した詩人は、自分を生かしている力が、 また、「全世界」の恒星たちをも動かしていることを感じ取ります。 個々の人間がまた、「全世界」の似姿であることを知るのです。 そして、同じ意識に目覚めた「兄弟たち」に呼びかけます。 ”幸いなる歓喜に満ちて、何者にも支配されない、絶対の己の意志により、みずからの道を進むのだ。” 最初にある”froh”という言葉は、”喜ばしく”と副詞的に訳されることが多いようですが、 この言葉は形容詞なので、”喜ばしい”としました。 曲の中でも、感嘆詞のように、冒頭”froh froh”と、2回繰り返されます。 「すばらしい」と意訳したほうが自然だとは思いますが、この言葉は”freude(歓喜)”に通じているのが明らかなので、 あえて、”喜ばしい”で頑張りました。^^; ご了承のほどを...
"Seid umschlungen, Millionen!"は、受身形の命令文です。 よくそう訳される「抱き合いなさい」とは、少し意味合いが違うように思います。 「抱かれなさい」と受身の形にしているのは、人間同士抱き合うのはもちろんですが、 「人々を結びつける歓喜のやさしい翼」に抱かれる意味も含んでいるからでしょう。 「愛しい父」とはもちろん、「Gott(神)」のことです。
"stürzt nieder"は、"下方に倒壊する"と直訳できます。 相当激しく壊れるイメージです。 よくそう訳される「ひざまづく」というのは意訳のようです。 (「ひざまづく」という慣用句があるのかもしれませんが…)。 また、一文目は疑問文ではなく、平叙文です。 相当確信を持って言い切っている感じです。 最後の"?"は、"間違いないだろう?"という問いかけです。 ただ、この完全なる崩壊は、非常にポジティブなものだと思います。 それは、対句的に表現されている二行目との関係を考えると解ります。 "古い姿が完全に崩れ落ちて、世界に自分を投げ出して、世界へ拡大された意識の中で、創造主の存在を感じ取る。" という、大きな予感と憧れの感情が表現されているのです。 ここには、非常に深い神秘的な直観が語られているように思います。 「彼の方」は"あの方"、 「彼方」は"かなた"と読んでください。 両方の言葉の意味をダブらせてイメージすると、 そのイメージが大きく広がっていく仕掛けになっています。 お試しください。(^_^)v |