「ベートーヴェン 交響曲第九番 第四楽章 合唱部分の歌詞を曲の通りに全部載せてみました。」のページに戻る





裏声(ファルセット)のヒミツ



なんと、高音発声の秘密は裏声(ファルセット)にありました。
あのパバロッティの声の芯がファルセットであるということは、
たとえばこのYouTubeの動画(5分過ぎ辺り)を見てもわかります。(^^♪


     

もう、かなり前のことですが、発声についていろいろと工夫していたとき、
「裏声」というものが非常に重要な要素であることを知りました。

きっかけは、第九のあの有名な男声ユニゾンを歌っているときのことでした。
ここはテナーにとってはどう歌うか迷うところです。
胸声主体のベース的な発声で歌うと後半持たなくなり、
頭声主体のテナー発声で歌うと前半が物足りなくなってしまいます。
しかも、その合間の四声のコーラスでは美しい頭声的な響きが必要になります。
ですから、前半はベースにまかせて全体に頭声主体で歌うのがテナーとしては無難な方法なのですが、
歌っている内にだんだん物足りなくなってきたのです。

ある日、私は大胆にも「胸声主体のベース発声と頭声主体のテナー発声を、
数小節ごとに切り替えて歌うことはできないだろうか。」と考えました。
しかし、実際にやってみるとこれがなかなか難しい。
どう難しいかというと、声を頭から胸に落とすのは簡単なのですが、いったん胸に落ちた声を頭に上げるのが難しい。
というより全然出来ない。
あきらめ切れない私は毎回の練習で一度だけはこの発声法にチャレンジすることにしました。
それでも、なかなか上手くいかない。

ところが、本番指揮者のレッスン日に不思議な声が出たのです。
「とにかく大きな声を!」と要求され、胸声か頭声かなど意識する余裕もないまま思い切り発声したとき、
鎖骨と下あごの間を胸声でも頭声でもない第三の声が抜けていったのです。
声量は今までの三倍ぐらいあるのではないかと感じました。

そしてさらに不思議なことに、この日を境に声がバテなくなったのです。
第九は結構重労働なので、毎週のレッスンで最後まで声を持たせるのが大変だったのですが、
この日以降、レッスンの終わりごろに一番声が出るようになりました。
しかも、高音が伸びるようになった。まだまだいけるという感じなのです。

一体あの時に何が起こったのか、そして、そもそも胸声と頭声とは一体何なのだろうと考えました。

調べてみると大変興味深いページを発見しました。
テノール歌手の水野尚彦氏のページです。
この方はパヴァロッティの師匠であったアッリーゴ・ポーラ氏(1919~1999)の元で、
イタリアの伝統的なベル・カント唱法学んだそうです。
この人のページで、私は驚くべきことを知りました。

水野氏は人間の声の種類は基本的に「胸声」と「ファルセット(頭声)」の2種類のみであるといいます。
そして、発声する音の高さによって、「胸声のみ」か、「ファルセット(頭声)のみ」か、
「胸声とファルセット(頭声)を混ぜた声」かのいずれかを使うというのです。
さらに、どの高さで、どの発声法を使うかは男声女声に関係なく、絶対音としてほぼ決まっているというのです。
その説明はかなり詳細なものですが、ごく大雑把にまとめてみると、

「ベース中高音(テナー中音)のA(ラ)から下の音は「胸声のみ」、
ソプラノ中高音(テナー最高音!?) のE(ミ)から上の音は「ファルセット(頭声)のみ」しか使えないが、
その間の1オクターブ半ほどの領域は「胸声とファルセット(頭声)を混ぜた声」が使える範囲である。
また、この範囲でも、低音部では「胸声のみ」、
また、高音部では「ファルセット(頭声)のみ」で発声することも可能である。」

というのです。
驚いたのは、発声法を男声女声ではなく、純粋に音の高さで決めていることでした。
そして、(上の内容を丁寧にイメージしていただいた方はすでにお気づきかと思いますが、)
男声において一般的に頭声といわれている声を、
水野氏が「胸声とファルセット(頭声)を混ぜた声」だとしていることです。
女声にとっては、アルトの低音域とソプラノの高音域以外の声は
「胸声とファルセット(頭声)を混ぜた声」であるということになります。
さらに、水野氏は「胸声とファルセット(頭声)を混ぜた声」において、
その混ぜ方は「胸声99:ファルセット(頭声)1」から「胸声1:ファルセット(頭声)99」までさまざまなに変えていくことができ、
そうすることで豊かな表現が可能だといいます。
そして、もし配分を変えないで歌い続けると“同じ姿勢で同じ作業を続けている状態”のようになり、
長時間歌い続けることは出来なくなってしまう。
逆に「胸声」と「ファルセット(頭声)」のバランスを自在に変えることで「声がバテなくなる」というのです。
(詳しくは、直接、水野氏のページをご覧下さい。

◆◆◆水野尚彦(テノール)◆Naohiko Mizuno(Tenor)◆◆◆
オペラ・カンツォーネ・日本の歌の世界へようこそ。

発声法が紹介されているページはこちら「私の発声法と歌い方のヒント」
水野氏の書かれたことを読んで、第九についての疑問が全て解けたような気がしました。

第九の男声ユニゾンの特に前半の部分は胸声主体の堂々とした響きが求められます。
そして、音の高さも「胸声のみ」の音域から始まりますが、
最高音のF(ファ)は「胸声とファルセット(頭声)を混ぜた声」で発声したほうが楽なのです。
そのユニゾンの合間に頭声主体の響きが求められる四声のコーラスが入りますが、
ここでの最高音はG(ソ)ですから、「胸声とファルセット(頭声)を混ぜた声」で歌う必要があります。

つまり、(ここもじっくりイメージしないと理解しにくいのですが、)
第九のこの箇所で求められる歌い方に全て応えるためには、
「胸声のみ」(胸声100)から「胸声1:ファルセット(頭声)99」の間で適切にその配合を変えていく必要があるのです。
私は今まで「胸声のみ」(胸声100)か、
もしくは、 “習慣的に一定の配分に固定されてしまった胸声とファルセット(頭声)の混ざった声”
ともいうべきもののいずれかで歌っていたのでしょう。

ところが、交互にこれらを切り替える訓練を行うことで、
「胸声」と「ファルセット(頭声)」の凝り固まった結合が徐々に緩んでいき、
大きな声を出したときショックでこの2つが分離して、配分が変えられるようになったのでしょう。
それで声がバテなくなった。
“様々に姿勢を変えて作業できる”ようになったのだと思うのです。

このことは色彩でイメージすると分かりやすいかもしれません。
たとえば、「胸声のみ」を青色、「ファルセット(頭声)のみ」を黄色、
「胸声とファルセット(頭声)を混ぜた声」を緑色とイメージするのです。
配分を様々に変えることで様々な声になるというのは、
ブルーとイエローのあいだで様々に変化するグラデーションのグリーンをイメージしてみるのです。

さて、それからというもの、裏声をどう練習するかに腐心するようになりました。
発声練習のとき、高音が出ないフリをして裏声をだしてみたり、
車を運転しながらCD演奏のアルトに声をあわせてみたり、
昔、カラオケのネタとして歌っていたRCサクセションやEW&F、
もののけ姫などを思い出して口ずさんでみたりなどなど。

そして、モーツァルトのレクイエムを聴いていたある日のこと、面白い練習法を思いつきました。
4曲目の「Tuba mirum」を一人で歌いきるのです。
この曲はバス、テナー、アルト、ソプラノの4人のソリストが一人ずつ順番に歌っていき、
最後は四重唱になるという構成の曲です。
これを全部一人で歌うのです。(^_^;)

音域はベースの五線譜の一番下の第1線上のG(ソ)音から
ソプラノの五線譜の一番上の第5線の上に出たG(ソ)音まで、きれいに3オクターブあります。
もちろん全部キチンと発声するのは難しいのですが、
発声練習の時のように自分に無理のない範囲で歌うのです。
歌詞は難しく考えず適当に母音だけ拾っていきます。
これ、結構ハマりますヨ。
さらに、モーツァルトの音楽の力で、ファルセットが自然に身につきます。
なお、女性の方が胸声を身につけられるかどうかは未検証でございます。
どなたか、やってみます?

しかし、本当にこの練習法でよいのだろうかと、当然のことながら疑問を感じ始めました(^_^;)。
それで、やはりちゃんとした声楽理論の本を読んでみなければと思い、
いろいろと調べてみたところ、ぜひとも購入したい本が4冊出てきました。
全部買うと12000円ぐらいになってしまうなあと頭を抱えたとき、あの「定額給付金」なるものがあることに気づきました。
早速、妻を説得し購入に漕ぎ着けた次第です。このときばかりはソーリの大英断に感謝したものです。(^_^;)

以下がその4冊です。








ベル・カント唱法―その原理と実践』
コーネリウス・L・リード著  音楽之友社







イタリアの伝統的なベル・カント唱法について基本的な知識を得たいと思ったのですが、
びっくりするようなことが書いてありました。
“ベル・カントの全盛は17・18世紀であり、その伝統は19世紀に途絶えてしまった。
現在、一般的に普及している発声理論には問題点が多く、それが現代の声楽家の歌手としての寿命を短くしている。
今こそ、本来のベル・カントを復活させるべきだ”というのです。
そして、18世紀のP.F.トージやG.B.マンチーニの著作を紐解いて、ベル・カントの本来の姿を探っていくのですが、
その中心となる理論は前述した水野尚彦氏がポーラ氏から受け継いだものと非常によく似ています。
こちらでも発声方法は男声女声に関係なく、絶対的な音階によって決まっているといいます。

上の図はその理論を私なりに整理してみたものです。

水野氏のページでは「胸声とファルセット(頭声)を混ぜた声」の理想的に配分された状態が示されていたのですが、
この本では未調整の人間の声をその理想的な状態にする方法が詳細に説明されています。
そして、その方法こそが、トージやマンチーニのベル・カントの訓練法だったのです。
未調整の状態ではベース高音(ソプラノ低音)のE(ミ)の音が換声点(ブレイク)という「胸声」と「ファルセット(頭声)」の境界線で、
ここを超えるときに声がギクシャクするといいます。
そして、このギャップをなくしていくために、「胸声とファルセット(頭声)を混ぜた声」を作り上げていくのです。
そのために、まず自分が普段使わない方の声区(男性は「ファルセット(頭声)」、
女性は「胸声」)を中心に、両方の声区を十分に強化し、融合していくのだといいます。
その際、“ファルセット(頭声)を胸声区に広げていくように訓練する”ことが大切で、
その逆に、胸声区を頭声区に引き上げていくことは厳禁なのだそうです。


その具体的な訓練方法として、“E(ミ)音を挟んで「ファルセット(頭声)」と「胸声」を交互に発声する”練習法が紹介されていました。
ひょっとしたら、第九で私がしていた訓練(?) もこれに近いものがあったのかもしれません。
また、面白かったのは、女性の胸声や男性のファルセット(頭声)が未発達なのは、
声帯の機能の問題ではなく、社会規範、生活習慣といったものが原因であるとしていることでした。

“胸声を使う女性は女性らしくなく、男性はファルセット(頭声)で会話することを許されていない”というわけです。
確かに、男性がファルセットで話したら、ミッキーマウスかお笑い芸人になってしまいますね。
そして、“女性は換声点(ブレイク)であるE(ミ)音の上に2オクターブ、
下に1オクターブの声域を持つのに対し、男性はその逆だったため、
男女とも自分が2オクターブ持っている方の声区のみを習慣的に使っているだけなのだ”というのです。
“17・8世紀に全盛を極めた本来のベル・カントの訓練法で、
使われていない方の1オクターブを活性化させれば、
3オクターブは普通に発声できる”ということらしいのです(!!)


下の図はこの上の声区分布をイメージしやすいように着色してみたものです。
"Voce di testa"(ヴォーチェ・ディ・テスタ)というイタリア語は「頭からの声」の意味で「頭声」の原語です。
"Voce di petto"(ヴォーチェ・ディ・ペット)は「胸からの声」の意味で「胸声」の原語。
"Voce di finti"(ヴォーチェ・ディ・フィンチ)とは「見せかけの声」という意味で、上の二つの声を合成することで作られた、
それ自体に実体のない声であることを表現しています。

しかし、それは無意味なものということではなく、実は声楽の目指すところとは、いかに美しいこの「見せかけの声」を作るかにあるようにも思えます。
また、testaが女性名詞、pettoが男性名詞、fintiが複数形で両性を表していることは、なかなか暗示的です。
二つの声区の音域はそれぞれ自然な女声と男声のそれと重なるからです。



上手くいえませんが、意識の上での、さらには無意識の中にある"性別の壁"のようなものの克服が重要に思えます。
男性が高音を出せない一番の原因は心理的な抵抗感かもしれません。”女性のような声”を出すことに躊躇していまうのです。
歌の練習をする場所として、「車の中」と「お風呂の中」を利用されている方は多いと思いますが、
この2ヶ所では高音の出が違うと感じたことはないでしょうか。
「お風呂の中」の方が高音が出しやすい、「車の中」では高音が出ないという体験です。
私は最初、音が響きやすさとノイズの有無の問題かなと思っていたのですが、それだけでもないようなのです。
そこで気づいたのが「性別の意識」です。
「お風呂の中」というのは最も「性別の意識」の支配から自由な場所なのです。
逆ではないか思うかも知れませんが、ここで言っているのは肉体的な違いではなく、「社会的な性差」の方です。
社会的な性差は「体」の方ではなく、身に着けている「服」の方に表現されているのです。
服を脱いで入るお風呂では、そういった性別についての社会的な意識から自由になっているのです。
一方、「車の中」というのはとても男性的な空間だと言えます。
"女性ドライバー"という表現が成立してしまうぐらい男社会にドップリ漬かった世界なわけで、
実際、バスやタクシーの運転手が女性だったときに驚きを感じない人は少ないと思います。
だから、世の男性が「服」を着て「車」を運転するというのは、とても男らしい行いをしていると考えることができます。
そういう状況で女性の音域の声を出そうとするときの無意識的な抵抗感は尋常ではないのではないでしょうか。
でも、逆に考えると、そういう状況でも普通に高音を発声できるように意識をコントロールすることが、
「社会的な性差」の支配を受けない発声を身に着けるには有効かもしれません。

人間の声というのは、好むと好まざるに関わらず、”性別を表現できる唯一の楽器”なのだと思います。
しかし、音楽における音の高低は、そもそも性別とは無関係ですから、「表現する性別」と「表現者の性別」は、
たまたま一致しているに過ぎません。実際、一部のオペラではズレが生じていますしね。
ピアノの演奏で”左手が男性、右手が女性”と感じているとすれば、それは特殊な詩的イメージだと思いますが、
声楽においては誰もがそういうイメージの縛りを無意識的に、それも、かなり強固に受けているのです。
その縛りから自由になるために意識的な努力をする必要があるように思います。
さもないと、一所懸命に”左手で高音を弾こう”と四苦八苦することになりかねません。
ピアノではフツウに”右手を使う”だけのことが、声楽ではナカナカ難しいということになるわけです。
もちろん、性別の違いを否定したり、倒錯した性意識を持つことを良しとしているのではありません。
健全な「社会的な性差」を維持しつつ、それを”透明”にできる柔かな心が必要だと思うのです。

それは美的な感性に属するもので、ある意味、それを面白がって容認する知的な好奇心と裏表でしょう。
いずれにしても、かなりビミョウな領域に踏み込むことになるので、
それを周囲の人たちに一般化して説明し、適当にシャレにもできる表現能力も大事だと思います。
ちなみに、この文章のオリジナルは私が所属している合唱団の機関紙に投稿したものですが、
それは家族にファルセットの練習するソレナリに正当な理由を理解してもらうためのものでした。(^_^;)

推測の域を出ませんが、女性の場合はきっと逆の苦労があると思います。
「高く細い声が美しい」という意識が喉を狭くして硬化させてしまえば、
豊かな響きを作ることを妨げてしまうかもしれません。
あえて低音の訓練をすることで、より深みのある強い高音が身につくと聞いたことがあります。
”可憐で美しい声”を作るために男性顔負けの筋力トレーニングをするぐらいの”知的な強さ”が必要かもしれません。

ところで、ファルセットの練習をするときに参考になるのがカウンターテナーの歌手です。
きちんと人に聞かせるようなカウンターテナーの歌唱法を身につけるためには、
もちろんプロの指導者にしかるべき指導を受けなければなりませんが、
通常のテノール発声の芯になるファルセットの訓練は、筋肉トレーニングの一種ですので、
そう割り切って参考にさせてもらうのです。
実際、発声に関わるすべての筋肉を緊張させた状態で発せられる声が「最高音のファルセット」らしいのです。
ちょっとグロテスクなたとえですが、ボディビルダーが、技を出す直前の「北斗の拳」のケンンシロウよろしく、
全身の筋肉を緊張させている様子をイメージしてみてください。(^_^;)
この状態で出るのが「最高音のファルセット」ということになるようなのです。
つまりは、「最高音のファルセット」が最も肉体的で男らしい声だと言えないこともないのです。
逆に渋く男らしい低音はむしろ発声に掛かる特定の筋肉を脱力させた状態で発せられるのです。
これはヴァイオリンやギターなどの弦楽器でイメージした方がいいかもしれません。
弦が切れるか楽器が壊れるかぐらいにキツく弦を張った状態で出る音が開放弦の最高音でしょう。
この「表現するイメージ」と「表現者の実際の姿」が全く逆であることが声楽の訓練を難しくいていると思えます。
ひたすら低音のみを歌い続けることは、誤った脱力のみに頼った方法で行うと、
”ポーズをとるだけでウェイトトレーニングをしないボディビルダー”のようになりかねません。(^_^;)
ファルセットの訓練には高音を発生するためだけではない有効性があるのです。

カウンターテナーにはいろいろなタイプがあるようですが、
私が発声訓練のために参考にしているのは、フィリップ・ジャルスキーという歌手です。
最も新しい世代のカウンターテナーで、性別を超えた器楽的な発声をします。
もはや、”女声アルトを思わせる自然な発声”ですらありません。
フルートのようなアルトではなく、オーボエを思わせる息漏れゼロの発声という感じです。
下のリンクをどうぞ。本物のオーボエとの掛け合いが素晴らしいです


Händel Opera Amadigi di Gaula Aria ''Penna tiranna'' HWV11 by Philippe Jaroussky - YouTube:
http://www.youtube.com/watch?v=lvhBrNpBwzU


さて、ほとんどの方はカウンターテナーの歌手を目指してるわけではないと思われますので、
フツウのテナーへの方向転換が必要になると思われますが、ここにもひとつ関門があるように思います。
というのは、カウンターテナーで鍛えたようなファルセットと混ぜるべき、胸声-Voce di pettoは
男性にとっては非常に自然な声なので、一度、高音に対する努力を断念しなければならないのです。

そこで学ぶべきは ズバリ、バリトンボイスなのですが、これは前述した喉の力を抜くだけの素の地声とは違います。
ただ喉を落として歌うカラオケやアマチュア合唱団のバリトンやベースは音程のコントロールが利きませんが、
そういうものではない、きちんと喉位置を決めて発声する正式の声楽を習う必要があるのです。

ただそのときに、先天的なものか訓練されたものかに関わらず、ファルセットの能力が不十分だと、
「あなたはバリトンです」といわれてしまう可能性があります。(^_^;)
しかし、このファルセットの能力を上手に胸声・実声をベースにした独唱の技術と結びつけることができると、
驚くほど自然に高音が発声できるようになると思います。


ここのプロセスをクリアするのは独学では限界がありますので、専門の先生に習うことをオススメします。
なぜ独学が難しいかというと、ここにもひとつ関門があって、
それはどんな人でも「自分の声を知ることはできない」という生理学的な事実です。
これはプロの声楽家にとっては常識的なことのようです。

ここらへんのことは以下で取り上げてますのよろしければどうぞ。(^^♪
〈Vol.02 「録音のススメ」 ー 誰でも「『自分の声』を知らない」って、知ってます?ー〉

高音の訓練は”一つの頂点を目指す”ようなところがあって、試行錯誤を繰り返しても目標を見失いにくいのですが、
下に行く方はわけが分からなくなります。そもそも、どこを目指すべきがよく分からないようなところがあるのです。
たとえば、山の頂上を目指して上っていくときは、目標は一点だけでハッキリしていますが、さて、頂上から下りようとしたとき、
どこを目標にしたらいいのか分からなくなるような感じでしょうか。どっちにでも、下りていけてしまう。
”力の入れ方”は一つですが、”力の抜き方”は様々なんですね。

なお、ほとんどの声楽の先生はファルセットを芯にした伝統的なベル・カントの発声を教えて下さるわけではありませんので、
とりあえず、このあたりの理論については伏せておくのが無難かもしれません。(^_^;)







『CD付き
奇跡のハイトーンボイストレーニング
BOOK』
弓場 徹 著  主婦の友社



なんと、この本には前述のリード氏が提唱するベル・カント唱法を実践するため、
氏から直接学んだ著者の弓場教授が考案した「弓場(ゆうば)メソッド」の練習CDが付いています。

音楽之友社ではなく主婦の友社。装丁やイラストなどもポップス仕様になっていますが、
しっかり、クラシックの声楽の訓練ができる本です!

このCDではベースからソプラノまでのあらゆる声域をカバーするために7段階のプログラムが組まれています。
ファルセットと胸声を交互に発声し、最後にそれらを混ぜて、ミックスボイスを作るプログラムが体験できます。
この本だけで声楽的な声を作るのは難しいかもしれませんが、導入としては大変勉強になると思います。

予想はしていましたが、ここで要求されるファルセット(頭声)は大変な高音です。
男声の最も高い声のプログラムでは、ソプラノ中高音(!!!) のF(ファ)音が、
女声の最も高い声のプログラムではその1オクターブ上のF音が出てきます。
また、参考までにということで、このメソッドでさらにその1オクターブ上の
F音(F7)を発声できるようになった生徒さんの声が収録されており、言葉を失います。
「夜の女王」の最高音の1オクターブ上です。(^_^;)

このメソッド、実際にやってみると結構声が出ます。(大変お世話になりました。)
男性がファルセットを使わないのは、やはり生活習慣の問題なのだということが実感できる1冊だと思います。






『うたうこと 発声器官の肉体的特質
―歌声のひみつを解くかぎ』
F・フースラー/マーリング共著  音楽之友社


フースラー教授の発声についての基本理念はリード氏のものよりさらに哲学的です。
“人間は本来「うたう」という能力を持っていたのに、それを言語能力の発達ともに使わなくなってしまった。
上手く「うたう」ことができないというのは、声帯の「うたう」ための機能を十分に活用していないだけあり、
その本来の機能を再び活用できるようになれば、誰でも見事な歌い手になれるのだ”というのです。
そして、そのことを解剖学の知識を駆使して説明していきます。

この本でも、“全く危険のない訓練法”として、“まず、高音で裏声の練習をすることから始めるべきだ”といいます。
“そうすることで、声帯外の筋肉が鍛えられ、発声の基礎となる「足場枠」が出来る。
その後、最低音域で胸声の練習をすることで、声帯内の筋肉の緊張を最小限に抑えられるようになる”のだそうです。



この本の中で「アンザッツ」という言葉が出てきます。

声の当て方のことなのですが、とても解剖学的な図が掲載されていますが、
上の図はこのそれを私なりに少しかわいらしくリメイクしてみたてみたものです。(^_^;)

興味深かったのは、7つあるアンザッツの内、声帯の下に当てる方法が2つあったことです。

一つめはアンザッツ2というもので、前述した私が第九のレッスンのときに体験した発声にとても似ていると思いました。
これは声を“鎖骨に当てる”やり方で、なんと、伝統的なベル・カントで声門の閉鎖筋を働かせるための基本的な方法らしいのです。

もう一つはアンザッツ6という“首の後ろの下部に当てる”やり方です。
エンリコ・カルーソーが重視した方法で、“「声区の融合」に有効である”といいます。


これらはいわゆる喉を落とした胸っぽい発声とは全く別物で、
いずれも“高音を発声する時にも有効な方法である”と説明されていました。
“高音を発声するときに喉が上方に硬直的に固定されるのを防ぐ”というのです。

また、このアザッツは発声に関わる筋肉の動きに対応しているようなのです。
この筋肉の仕組みについても解剖学的な図版がテンコ盛りなのですが、
下の図は、その働きのを私なりに図式化してみたものです。



発声の技術が進むにつれて、三段階にわたり声帯の懸垂機構が活性化されるようです。

声帯の懸垂機構とは「声帯そのもの以外の発声に掛かる筋肉」のことで、ここを活性化するのがポイントのようで,
発声の技術が進むにつれ、声帯からより遠い筋肉まで鍛えられ、コントロールができるようになるようです。
そうすることで、声帯そのものに無駄な力が掛からなくなるのです。
この図の"下向きの矢印"がとても重要で、この声帯を引き下げる筋肉を強化することで、
どんなに大きな声を出しても喉が上に上がらなくなり、ソリストの発声が可能になるようなのです。

まず、第一段階では日常の話し声のまま歌おうとします。
この段階では声帯を直接伸ばして閉鎖させる筋肉を働かせるときに、声帯そのもを上に引っ張り上げてしまうようなのです。
だから、高い音を出すと喉が詰まってしまいます。図で×がついている舌骨の上の筋肉が暴走するわけです。
アンザッツ1のみの発声はこれになりやすいようです。

第二段階ではそれを修正するために喉を引き下げる筋肉を使います。
また、軟口蓋や奥歯を高く上げることで喉をの空間が広くなります。
こうすることで声楽的な「頭声」が出せるようになるのだそうです。
アンザッツ2とアンザッツ4に関係しているようです。

そして、第三段階では声帯の懸垂機構の”天井”である舌骨を引き下げる筋肉を使うことで、
舌骨の位置を固定させ、そこから釣り下がっている声帯をブレなくコントロールできるようにするのです。

”サーカスのテントをしっかりと張ることで、大胆な空中ブランコが可能になる”ようなものでしょうか。(^_^;)
アンザッツ2とアンザッツ6に関係しているようです。

ここで取り上げなかったアンザッツ3a、3b、はいわゆる「マスケラ」に関わるとても重要なポイントであり、
「胸声」発声のための重要なポイントです。また、アンザッツ5はファルセットに関わる重要なポイントです。
しかし、最初からそちらにばかり意識が行き過ぎると、結局アンザッツ1のみの世界から抜け出せないところがあるようにも思えます。


解剖学的な用語が沢山出てきて、ややこしいと思いますので、少し解説すると、
甲状軟骨と輪状軟骨とは、ちょうど”頭蓋骨の上顎と下顎の関係”のようになっていて、”舌”がある位置に声帯があるような感じです。
ただ、声帯は舌先が上顎の歯の裏あたりに繋がっている感じに甲状軟骨に繋がっています。
それで上顎と下顎の位置を変えることで声帯が伸びたり、縮んだりするようなイメージでしょうか。
かなり乱暴なたとえですが...(^_^;)

それで、その声帯を包んでいる甲状軟骨と輪状軟骨がホントの舌の下にある舌骨に”ブランコ”のようにぶら下がっています。
その”ブランコ”の中の声帯をコントロールするなぞ、ほとんど、”マリオネットにバイオリンの演奏をさせる”ようなものです。
”マリオネット”を動かさずに、”バイオリンの弓”をコントロールするのは至難の業です。
引っ張る"糸"を間違えると”バイオリン”ではなく、”マリオネット”が持ち上がってしまうことにもなりかねません。
やはり、”マリオネット”をコントロールして、”バイオリン”を弾いてもらうほうが自然でしょうし、多彩な表現が可能なように思えませんでしょうか。

というわけで、声帯そのものだけでなく、声帯のを支える周辺の筋肉組織全体をコントロールできた方が、
表現豊かな発声ができるということのようです。

イメージできましたでしょうか。(^_^;)

ただ、このアンザッツの理論を独学で身に付けるのは大変に難しいと思います。
前述したように、自分が正しい発声をしているのか、自身では判断できないからです。
やはり、専門の先生のレッスンを受けながら、声の当て方の参考とするべきでしょう。





『「医師」と「声楽家」が解き明かす
発声のメカニズム』

―いまの発声法であなたののどは大丈夫ですか




この本ではファイバースコープで撮影された声帯の写真を使い、
解剖学的な部位の説明がなされています。裏声と地声(胸声)を比較した声帯の写真もあります。
また、MRIの写真も沢山使われていて、医学的に見た発声のメカニズムを
日本人にあった形で分かりやすく解説しています。
また、後半には喉の疾患の写真がここだけカラーで沢山掲載されていて、医学書としての性質も持っています。

イタリアの女性の話し声はビックリするほど低いという興味深いエピソードが紹介されていました。
ヨーロッパの建築物は石造りでとてもよく響くので、喉を開けて深く低い声で話さないと響きすぎてしまうのだそうです。
逆に日本では襖と畳が全部音を吸収してしまうので、高く狭い声で話す習慣が身についているというのです。
(女性らしさの基準さえ生活習慣によって異なるものになるというのも興味深いことです。)
そのことをフースラーのアンザッツの理論で説明しています。
「日本人は歯の裏に当てるアンザッツ1は得意だが、深い声を作る2と6は身についていない」ということらしいです。

また、呼吸の訓練法で、“40秒以上、呼気が持つよう訓練しなさい”というのには驚きました。
後野氏のイタリア留学時代の師匠は60代後半だったにもかかわらず、
呼気は60秒を超えたそうです。


しかし、これもやってみると結構できます。
考えてみると、水の中に潜っていられる長さだけは、息は吐き続けられるはずですもんね。
要は意識の持ち方一つなのかもしれません。


      「ベートーヴェン 交響曲第九番 第四楽章 合唱部分の歌詞を曲の通りに全部載せてみました。」のページに戻る