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録音のススメ


なんと、人間というのは自分がどんな声を出しているか声を知らない、
というか、知ることができないらしいです。(^_^;)
これは、プロの声楽家の間では常識らしく、
だから、声楽というのは独学不可能なものなのだそうです。

それでは、アマチュアはどうすればいいのかと考え、
まずは、自分の声を録音してみようという結論に至りました。m(__)m

     


突然ですが、私は合唱の練習を録音して、気になるところを聞き直すようにしております。
しばらくこんなことをしていましたら、思うところがいろいろと出てきました。誰かにお伝えしたい気持ちと、
自分の中で問題を整理したいという気持ちが強まってきて、頭の中でグルグルしてきたので、勇気を出して文章にしてみることにしました。
ちょっと、たいそうな話になってしまうのですが、よろしかったらおつきあい下さい。

さて、ことの起こりはといいますと、独唱というものに興味を持って、自分の声を録音してみたときのこと、どうも私が感じている声と違うと感じました。
そして、子供の頃、カセットテープで自分の声の録音を聞いて、ひどく違和感を覚えたのを思い出しました。
「俺の声はこんなじゃない」と感じたものです。

調べてみると、人間は生理学的に自分がどんな声を出しているかを正確に知ることはできないらしいことがわかりました。

ちょっと、ややこしい話になります。

私の発した声は、空気中を伝わり、私以外のみなさんの聞くところとなるわけですが、
その声を発した私自身は、声帯の振動が頭蓋骨に伝わり、それが直接、聴覚神経に伝わることで知覚される「骨導音(こつどうおん)」という音を、
一緒に聞いてしまうらしいのです。
空気中を伝わり、みんなにふつうに聞こえる音を「気導音(きどうおん)」というらしいのですが、
声を発した当人はその「気導音(本人とみんなに聞こえる声)」に「骨導音(本人だけに聞こえる声)」を加えたものを自分の声だと思っているのに対し、
本人以外のみんなは「気導音(本人とみんなに聞こえる声)」だけをその人の声だと思っているわけです。

明らかに食い違っています。
それでは、どちらが正解かというと、もちろん本人以外のみんなが聞いている「気導音だけの声」ですね。
つまりは、”声を発している本人だけは自分の本当の声を知らない”ということになります。
このことは日常生活を送る上ではそれほど問題にならないかもしれません。
しかし、合唱や独唱など、声楽に関わる人間にとっては、けっこうな問題なのではないでしょうか。(^_^;)

そう考えて、私の声楽の先生に相談してみました。

すると、先生はこんなお話をしてくださったのです。

先生がご存知の素晴らしいソプラノ歌手の方に、”どうしてそんな美しい声で歌えるのですか”と聞いてみたことがあったそうです。
すると、その方は、
”私自身は自分がどんな声で歌っているか知りません。私は「この歌い方が一番良い」と教えられた通りに歌っているだけなのです。
しかし、自分がどんな声かはわからなくても、上手く歌えているかどうかは感覚的にわかるのです。”
と、おっしゃられたというのです。

そして、先生は、”自分の耳を頼りに歌うのではなく、声楽の先生に「その声が良い声です。」と、
言われたときの自身の息の流れと身体の動きの感覚を覚えていて、その感じで歌うのです。”
と、教えてくださいました。
”それでは、自分の歌を録音したものを聞くのはどうでしょうか”と、伺ったところ、
”録音も完全ではないのです。やはり、「先生から教わった良い声が出ているときの息の流れと身体の動きの感覚」が一番なのです。
そして、自分の声をいつも先生に聞いてもらいながら、歌い方を身につけて行くのが理想的です。
でも、私も自分の声が知りたくて、ついつい録音を聞いてしまいますね。”と、ものすごいレヴェルのアドバイスをしてくださいました。

確かに、毎日、先生のレッスンを受けながら自分の声を作っていけたら、こんなに幸せなことはないのですが、なかなかそうもいきません。
仕方がないので、完全ではないながらも、録音に頼ることにしました。
そのころは、大昔に買ったMP3プレイヤー(要は音楽再生機です)にオマケでついていた録音機能を利用していました。
ところが、これが本当に使いにくかった。

そこで、いいものがないものかと調べてみると、2、3年前は数万円した小型のPCMレコーダー(要は録音機です)が1万円を切る価格になっています。
これは、買い時だと妻を説得したところ、”この間iPod(最近流行の音楽再生機です)を買ったばかりだから年末まで待ちなさい”と指導を受けてしまいました。
ところが、ある日のこと、家に帰るとその妻が、
”セゾンカードの永久不滅ポイント(クレジットカードの使用期限のないサービスポイントです)が貯まっているのを発見したので、
プレミアム・モルツ(少し前に流行っていたビールです)を買おう”と、うれしそうにしています。
パソコンでチェックしてみると結構な額が貯まっている上に、ちょうど、そのプレミアム・モルツが期間限定で交換景品になっていました。
その当時、妻は友達とサントリーの工場見学に行き、プレミアム・モルツにハマっていたのですね。
まさか、このポイントでPCMレコーダーは無理だよなあとか思いながら、
交換景品をチェックするとAmazon(インターネット専門の世界的な巨大販売店です)の商品券があるではありませんか。
しかも、一割お得な。
さらにAmazonのサイトをチェックすると意中のTASCAM(昔ながらのシブい録音機メーカーです)のPCMレコーダーが7800円の最安値で売っていました。
”このポイントでPCMレコーダーを買ってもいいかな”と妻に相談すると、とてもタイミングが良かったらしく、あっさりOKしてくれました。
つまりは、無料でPCMレコーダーが手に入ってしまった訳で、何とも不思議で複雑な世の中(いろいろ解説が必要です)になったものだと思いました。
(コンナンばっかりや(^_^;))

さて、それからからというもの、独唱の練習を録音するだけではなく、合唱団の練習もすべて録音し、聞き直すようになりました。
このレコーダーがとても音質がよく、操作もカンタンだったからというのもあるのですが、
何より、自分の歌っている感覚と、録音されたものとのギャップがあまりにも激しく、そのミゾを埋めずにはいられない衝動につき動かされてのことなのでした。
世界が180度変わってしまった感じで、”俺は今まで、何を頼りに歌っていただろう。”と落ち込むくらい、聞こえ方が違っていたのです。
はっきり言ってそれを聞くのはメチャクチャ恥ずかしいのですが、聞かずにいられない感じです。
聞き始めたころは、”今日、ここはバッチリ歌えた。納得がいった。”と思った場所は、まずダメなのでした。
また、指揮者やパートリーダーさんの注意や指摘が理解出来なかったとき、録音を聞き直せば、十中八九、納得がいきました。
”そりゃ言うわな”という感じで、なぜ、自分が歌っているときにそれがわからないのだろうと頭を抱えるほどでした。
人間というのは、かくも自分の声に無自覚なのかと驚くばかりです。
そして、さらにスゴイことには、”自分の声”だけではなく、”自分のパートの声”というものも、全然、分かっていなかったのです。
「骨導音」というものは自分の声だけでなく、自分に知覚される「気導音」すべてにヴェールを掛けてしまうようなところがあるらしく、
自分と同じ旋律を歌っている自パートの音を正確に聞くことがいかに難しいかが実感できました。
実のところ、この”録音された自パートの声を聞く”というのも相当につらい作業です。まさにリーダーさんの苦労が伝わってくる思いです。
ひょっとしたら、合唱団というのは”自分の声だけは知らない人間の集団”なのかもしれないなと、とても怖いことを考えてしまいました(爆)。

なんか、絶望的で救いがない話になってきましたが、そればかりでもありません。
自分の声を聞き直しては、歌い、また聞き直しては、歌い、とやっていると、段々、ギャップが埋まってきます。
だいたいこんな感じになっているのではないかということが、分かってくるようになります。
時々、大ハズレもありますが、それは逆に大きなチャンスだったりします。
大ハズレというのは力が足らないのではなく、余分な力が余分なところに使われているわけで、ある意味、カン違いをして、力を持て余している状態とも言えます。
だから、その思い違いに気づくだけで、すぐに修正できることも多いのです。
もちろん、これをやってしまったときは、いつにも増して恥ずかしい思いをするのですが、自覚できただけよかったかなと思うようにしています。
こんなことをやっているうちに、自分が歌っているときにはほとんど自覚できない”ダメな状態”というのが、いくつか分かってきましたので、ちょっと書いてみます。

<汚い母音>
これが「骨導音」の”おせっかい”の中で最も迷惑なものかもしれません。自分の汚い母音の発声にヴェールを掛けてしまい、
けっこうマシに聞こえるようにしてしまうようなのです(!)。
録音を聞くと、高音のAが汚くなりやすいようです。特に長く伸ばすときは、口の奥にOを混ぜないと聞いていられない感じなります。
ところが、歌っている本人にはキレイに響いて聞こえているのです。恐ろしい(汗)。
Eは中音以下でも汚くなりやすいようです。IにEを混ぜて曖昧にする場合でも、同様の音の濁りが生じやすいようです。
これも本人にはそれほど汚く聞こえていません。口の奥にAを混ぜると回避できるようです。
そして、恐ろしいことに、自分以外の人が発している汚い母音にも「骨導音」がヴェールを掛けてしまうようで、
これが原因で、パートとしての、さらには、合唱団全体としての、”汚い母音に対する危機意識”が生まれにくくなっているようなのです(!!)。

だだ、これらの母音の特色は個人の発声技術のレヴェルによって変わるので、すべての人にあてはまるとは言えないとは思います。
ここで言っているのは、私がある段階で経験した限定的な特色に過ぎません。でも、ケッコウ一般的に当てはまるひとつのパターンではあるとは思います。
いずれにしても、合唱団員として歌う限りは、録音を聞いて自分の声をチェックすることがとても重要だと思います。
”なぜ、あの人はあんな声を出すのだろう”と思えるような方は、おそらく自分の声に気づいていません。(^_^;)
名演奏に造詣の深い、耳の肥えた人ほど危険です! 自分の耳は信用できないのです...


<下がる音>
これは、「骨導音」だけの問題ではないと思いますが、いずれにしても、録音を聞くととてもよく分かります。
中音域の音が下がっていくフレーズで、最後、伸ばすときなどは、まず音程が下がっていますが、歌っているときはあまり自覚できません。
どうも、力を緩めて喉の位置が下がった状態で出す音は、音色が厚くなったと知覚されてしまうようで、
このときに微妙に下がった音程が自覚できないようなのです。
音階が下降していっても、喉を落とさないようにする(軟口蓋を上げる)ことで回避できます。
そのとき、声のボリュームが落ちてしまうように感じますが、それは錯覚です。
そこで物足りないと感じて、喉をドカンと落としてしまうから、”ベース低いぞ!”と言われるのですよ。(^_^;)


<遅れるリズムとテンポ>
これはさらに「骨導音」以外の原因が大きいかもしれませんが、録音でホントによく分かります。
自分が歌い出したと思っているタイミングと、実際に音が鳴っているタイミングにズレがあるようです。
ものの本によると人間声帯の仕組みというのは、吹奏楽器よりも弦楽器に近いのだそうで、
人間の声も弾き始めてから鳴るまでに時間がかかるのかもしれません。このタイムラグは音が低くなるほど大きくなるように思います。

でもこれ、いつも、指揮者さんやリーダーさんに注意されているのに、ちっとも直らないことばかりなんですよね。
その直らないこと自体、皮肉にも、これらのことが本人に自覚されていないことを見事に証明してくれているようにも思えます。
パート全体、合唱団全体でそうなってしまうと、ますます自覚しにくくなるようです。
また、これらに対処するためには、独唱のとき、パート練習のとき、アンサンブルのときで、それぞれ全く違う発声の感覚が必要なように思います。
独唱、パート練習、アンサンブルとなるにつれて、自分の発する声のボリュームは上がっていくのに、
”自分に聞こえてくる音の中での、自分の声の割合”というものは、逆に、どんどん下がっていってしまうからです。
実際、アンサンブルのときの録音を聞いても、自分の声がどうなっているか分からないときもよくあります。
もっとも、明らかに自分の声が分かる場合は、パートが上手くいってないときや、自分がダメなときなど(“声が前に出てしまっているとき”など)も多いので、
自分の声が分からない方がよいのかもしれませんが。
いずれにしても、独唱、パート練習、アンサンブルはそれぞれにチェックする必要があるように思います。

さて、こんな試行錯誤を繰り返すうち、自分の声を自分の思うように作っていくとき、とんでもない難しい問題というか”壁”があることに気づきました。
それは、”自分の理想とする声が出せたとき、自分にはそう聞こえない”ということでした(!!)。
なぜなら、自分の声がベストのバランスになっているとは、「気導音(みんなと自分に聞こえる声)」がベストになっているということですが、
声を出している本人には、これに「骨導音(自分にしか聞こえない声)」が加わったものを自分の声として感じることしかできないからです。
つまり、自分の理想の声が出せているときでも、当の本人は”なんか余計なものも鳴っているな”感じてしまうわけです。
逆に、自分の声が理想的に聞こえるときは、実際には”自分の理想から何かが欠落した音”が鳴っているわけです。
録音を聞いた感じでは、そういうとき、高音の場合は”薄っぺらい、堅い声”、
低音の場合は”芯のない音程のコントロールが利かない声”
になっていることがよくありました。
もちろん、自分に変に聞こえる声を出せばいいということではありません。ホントに変な声でも、もちろん、自分にも変に聞こえます。(笑)

それでは、”自分には変に聞こえるであろう理想的な声”を出すにはいったいどうすればいいのか。
いろいろやっているうちにスゴイことに気づきました。

答えは、先生方や指揮者さんやリーダーさんにいつも注意されている言葉の中にあったのです。

「舌根を下げて、軟口蓋を上げて、口の奥にプチトマトを入れているように、下顎を落とさず、口は大きく空けないで、」

と、いつも注意されながら、なぜ、いつまでも直らないのか。
それは、これらを全部まじめに実行すると、”とても変な声”になるからだったのです。(爆笑)

ビックリです。まさかこれは違うだろうみたいな声です。
ところが、これが正解だったのです。

これは”変な声”ではなく”自分本人だけに変に聞こえる声”だったのです。

慣れてくると変でもないのですが、慣れないうちはその声で歌い続けることに抵抗を感じるような声です。
しかし、歌い続けていると、こっちの方が正解だという感覚が生まれてきます。
今まで自分が思っていたものと食い違っていただけだったのですね。


あ、もちろん、私が理想的な声を出せるようになったということではありません。
とりあえず、今の自分にはベストであろう声というものの見当がついてきたというぐらいなのですが、
少なくとも、録音された自分の声に納得がいかないということはなくなってきたように思います。
しかし、正直なところ、まだ、歌っているときには、”この声が今の自分のベストだ”みたいな確信を持つことはできません。

実際には知ることのできない自分の声の録音を聞くことは、実際には見ることのできない自分の姿を鏡に映してみるようなものかもしれません。
そして、鏡に映るものがあくまで自分の”影”であって実体ではないのと同じように、録音の声もまた自分の”影”にすぎないのかもしれません。
しかし、その”影”はまさに鏡に映る自分の姿ぐらいリアルなので、ときに振り回されそうになります。
逆に「骨導音」のヴェールを被った自分の声は、余計なものを身につけてはいますが、
こちらこそが自分の声の実体なので、しっかりと向かい合う必要があります。
今のところ、これらの”合わせ鏡”の間で、自分の歌う方向を模索している感じです。
時々、頭がクラクラしてくるので、なるべく軽く考えるようにしています。(笑)

というわけで、「録音」はオススメです。
レコーダーをお持ちの方は、ぜひ、練習を録音してみて下さい。
また、まだお持ちでない方も、とても安価で購入できる時代になっております。
あるいは、お手持ちのカードをチェックしてみるのもいいかもしれません。
思わぬところにポイントが眠っているかもしれませんよ。




TASCAM
リニアPCM/ICレコーダー
DR-05




本文に登場したレコーダーです。
ちょっと値上がりして、11,000円を超えているようです。
それでもお買い得!!
(けっこう価格が変動するので、リンクをクリックして確認願います。m(__)m)

上位機種もお買い得ですが、これで用は足りるような気もします。(^_^;)

操作もシンプルでで、パソコンへの取り込みも、USBコードカンタンにできます。
ちょっと、太目のボディが音楽用っという感じで、逆に気に入っています。(^^♪


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