バロック時代に好んで使われた楽器の中には、後の古典派・ロマン派の時代には全く使われなくなったものが、いくつかあります。また、生き残った楽器の多くも、その後の数十年間に外観が大きく変わったか、外観がほとんど同じ場合でも細部がいろいろと変化したために、音色や響きがかなり異なるものになりました。
そこで、変化して今日の形になったものをモダン(現代)楽器と呼び、変化する前、変化途上のものや廃れてしまった楽器を、それらの複製(レプリカ、コピー)も含めて、古楽器と呼んで区別しています。つまり、古楽器と現代楽器で同じ名前が付いていれば、両者の基本的な構造と発音原理は同じなのですが、形や材質、音の制御機構などには、多くの違いがあるのです。詳しくは、それぞれの楽器のページをご覧ください。
ピリオド(時代)楽器またはオリジナル楽器という言葉も、しばしば古楽器とほぼ同じ意味で使われますが、これらは本来、「その作品が作曲された当時に使われていた楽器」という意味です(やはり複製も含める)。したがってこの場合は、さらに時代や国・地域による細かい違いが問題になります。
バロック音楽が栄えた16世紀末〜18世紀半ばは、政治的には近世・絶対王政の時代です(日本では江戸時代の前半にあたる)。キリスト教に対抗して、王侯貴族や都市など世俗権力が台頭したため、音楽も宗教的権威を離れた世俗的な領域で発達しはじめました。それまで芸術としての音楽は、もっぱら宗教的声楽曲でしたが、それに加えて支配階級と裕福な市民の社交や個人的な楽しみのために、器楽曲がたくさん作られるようになりました。また、多くの楽器が発明され、従来の楽器にもさまざまな工夫や改良が加えられました。
そこでとくに好まれたのは比較的小さな編成による合奏曲や室内楽曲で、微妙な差異を聞き分ける繊細な感性と洗練された趣味を自負する彼らは、細部にまで意匠を凝らした雅趣に富む音楽を求めました。そして、抑揚をはっきりつけ、一つの音の内でも微妙に表情を変化させながら、親密に語りかけるように演奏するのが理想とされました。このようなバロック音楽の特徴とその表現スタイルは、当時の楽器とその特性を生かした奏法によって、初めて可能となったのです。
ところが、18世紀も後半になると、絶対王政の崩壊、近代市民社会の成立・進展とともに、音楽をめぐる環境は大きく変わります。演奏の場所は宮廷の広間や上流階級のサロンなどから、不特定多数の一般市民が訪れるコンサートホールや大劇場へと移りました。音楽作品には、新興市民階級のエネルギッシュで質実剛健な精神を反映して、よりスケールが大きくダイナミックな(強弱・緩急・高低の振幅が大きい)楽想と明快で聴き取りやすい旋律、そして楽器にはより遠くまで届く大きな音が求められました。
このような要求に応じて、楽器の「改良」が行われ、またそれに見合ったかたちで奏法が変化した結果、個々の楽器は音量の増大に加えて、音域の拡大、全音域にわたる音色の均質化、そして力強く輝かしい音を獲得しました。こうしてほとんどの楽器は19世紀半ばまでにほぼ今日の形になりました。
一方、リコーダー、ヴィオラ・ダ・ガンバ、チェンバロ、リュートなど、バロック時代の室内楽で最もよく使われたいくつかの楽器は、構造上の制約や固有の音響特性から、「改良」の余地が少なかったため、廃れてしまったのです。このようなことから、かつては古楽器に対して「未熟で不完全な楽器」という誤解や偏見もありました(古楽器は音が狂いやすく、調律や音合わせを頻繁に行う必要があることも、このような誤解の一因です)。しかし、「改良」により生き残った楽器にしても、粒のそろったよく通る大きな音が出せるようになった反面、音の陰影や響きのニュアンスは乏しくなりました。
音楽はそれが生まれた時代の社会環境や物質的条件、人々の美意識や価値観などと深く結びついています。もちろん今日の私たちが過去の状況を知って忠実に再現することには限界がありますが、その溝を少しでも埋めようとする努力は、音楽作品の真の価値を理解するために不可欠です。
19世紀の末以来、細々と続けられてきた古楽復興運動(古い時代の音楽、楽器とその演奏法を復元する努力)は、20世紀の最後の四半世紀に入る頃(ちょうど私たちのグループが活動をはじめた頃)には大きく花開き、その成果が広く認知されはじめました。さらに世紀が改まった今日では、ルネサンス・バロック音楽にとどまらず、古典派やロマン派の作品(オーケストラ曲を含む)がその当時の楽器と奏法により演奏されることも珍しくありません。
古楽復興運動はわが国でも着実に広がり、これまでにも多くの演奏家・演奏団体、楽器製作家、研究者を輩出しました。また、古楽関係の学科・講座を設ける大学や、古楽器を音楽の授業に取り入れる学校も増えています。今後もますます多くの方が古楽を楽しまれることを、私たちも願っています。