Tool @ 赤坂ブリッツ
公演のたった1ヶ月前にチケットが発売されるというのはかなり慌ただしいケースだと思うのだけれど、いずれにせよ meantime のしんかいさんのご厚意で4月10日(水)の Tool のコンサートを見ることができた。2001年夏のフェスティバル出演はあったものの、単独来日公演は初めてのこと。 Tool の凄さについては今さら書くまでもないだろうけど、90年にLAで結成されて以来、わずか3枚のフルアルバムにより、米国ロックシーンに新しいヘヴィ・メタルの形式を提示して孤高の地位を築き上げたバンドだ。安易に使われすぎて力を失いかけている「カリスマ」という言葉は彼らのような存在にこそ用いられるべきだろう。どの作品も決して聴いて爽快になれるものではない。むしろどこまでも鬱々と沈み込むダークでヘヴィな歌詞とサウンドなのに、例えば前作 "LATERALUS" は発売第1週で50万枚以上を売って全米初登場1位。確かに演奏は圧倒的に巧くて、複雑なリズムチェンジを繰り返す長大な楽曲も寸分の乱れもなく演奏しきっているのだけれど、この音楽がこれほど圧倒的な支持を受けているという事実には何か背筋が寒くなるものを感じずにはいられない。しばしば語られた 「ライヴパフォーマンスの凄さ」 が伝説として一人歩きしていただけに、この目で確かめられるチャンスに興奮しながら会場に向かった。 赤坂ブリッツという会場にはこれまで何故か縁がなくて、この日が初めてだった。何となく避けていた面もないとは言いきれない。スタンディングは疲れるしなあとか、音楽聴きに行くんだか周りと暴れに行くんだかハッキリしろよなとか、ちょっと歳食った感じで醒めていたってのが正直なところ。でも実際に行ってみると、例えばロンドンのアストリアみたいなフレンドリーなクラブのようで、ビイルでも飲みながらリラックスしてコンサートを楽しめる場所として、なかなか良い印象を受けた。以下、この夜の感想を断片的に記すことにする。 ●Tool の凄さは、他の何にも似ていないことなのではないか。 何かに極端に影響を受けた形跡とか、真似をしたと思わせる先達を思いつかない。現在のところ彼らそっくりなフォロワーも思いつかない。代替物がない、Tool を買うしかないという構造がますますセールスとカリスマぶりに拍車をかける。ある意味 Rush あたりに近い存在かもしれない。 ●外国人が多かった。 予想されたことではあったけれど、アメリカ人を中心にホワイトの客が相当数来ており、大量のビイルをかっ食らって暴れていた。とはいえ、複雑なリズムチェンジを多用した演奏をぴったりフォローしながら、歌詞を一字一句違わず歌いまくっていたのには驚き。そういう話を Tool のレビュウで読んだことはあったものの、本当にこの歌詞を目の前で歌っている人を見るとやはりびっくりする。 ●ギターとベースのユニゾンが、高速でぴったり決まりまくる。 ヴォーカルのメイナードには決して正面からライトが当たらず、常に逆光の中に薄暗くシルエットが浮かび上がる形。かなり不気味な演出。ヴォーカルスタイルといい不思議な身体アクションといい、何を聴いて育つとああなるのかさっぱり見当がつかない。強烈なオリジナリティ。 ●ドラムの素晴らしさは特筆に価する。 スネア/タムの独特のチューニングが耳を引きつけて離さない。寸分の乱れもなく、縦横無尽に叩きまくるものすごいドラムに圧倒される。他の3人が絵としては地味なだけに、ライヴパフォーマンスにおいては完全にドラマーが主役。一瞬たりとも目が離せない凄まじく高速なスティックさばき。 ●"Schism" のベースリフが印象的だった。 レコードで聴いてた時はそもそもベースだということ自体も意識していなかった。ライヴでスポットを浴びながら、延々とひたすら繰り返すミニマルな演奏にぞくぞくさせられた。 ●気持ち悪い映像との絶妙のマッチング。 ステージ上のスクリーンには、Tool のビデオクリップでお馴染みの不気味な映像が断片的に映し出される。これがギター/ベースのリフや、リズムセクションと寸分のズレもなくシンクロしていて、ひどく気持ち良い(=気持ち悪い)。映像効果はピンク・フロイドやラッシュも多用しているが、Tool も真の意味での「プログレッシヴ」なロックだと思った。一体どこまで行ってしまうのだろう。 ●宗教的恍惚感。 とにかく凄まじい技量を見せつける演奏ぶり。スタジオ盤は編集しまくって作ったのかと思いきや、ひょっとして一発録りできるくらいまでリハーサルで練り込んだのではないか。それほどまでに凄い演奏。これまで謎だった米国での異様な人気も、このライヴを見れば納得せざるを得ない。それほど説得力のあるライヴ。演奏そのものは圧倒的にノリにくいリズムで、複雑なリフに固められていることもあり、一斉に頭を振るとか、腕を突き上げるといった一体感はない。皆、ただ立ち尽くすのみ。立ち尽くしたまま、ある種の宗教的恍惚感に浸ったような表情でステージを眺めるのみ。 ●前半と後半に分かれてメンバー退場。 その間、アルバムからの新曲 "Parabol / Parabola" のビデオクリップのお披露目を兼ねて同曲の映像がスクリーンに流れる。トリッキーが主演しているそのクリップの異様さも然ることながら、ライヴの途中で突然ビデオ上映会になってしまうという事実の異様さ、会場全体が立ち尽くしたまま口をぽかんと空けて映像に見入っている姿の異様さ、全てが既成概念を超越した異様な空間。 ●アンコールの前に、メイナードは言った。 (そもそもメイナードがライヴ中にMCを入れること自体が珍しいことらしい) 「これが Good experience であろうと、bad experience であろうと、今日の感覚を大切にしてほしい。 そして、何かポジティヴなことをしてほしい (= Do something positive)」 …ライヴパフォーマンスを行う者にとって、これ以上の締め括りの言葉があるだろうか。 確かに Tool の音楽や付随映像はある種のリスナーにとっては醜悪極まりなく、吐き気を催すかもしれない。だが実際にはことさらに醜悪さを強調して制作された音楽ではなく、メイナードや他のメンバーが人間という生き物の在り方や、ありのままの人生について突き詰めた結果生み出されたものなのであって、紛れもない「現実」なのだろう。とすれば、同じように「現実」を日々体験しながら悶々としていた多くの人々が、Tool の混沌とした汚濁の如き音楽の中から浮かび上がる一瞬の光明に美学を感じるのは何ら不思議なことではない。僕にしてみればこの夜はまさにどうしようもなくバッド・エクスペリエンスにして究極のグッド・エクスペリエンスであったのだけれど、「何かポジティヴなことをせよ」 というメイナードの最後の言葉にはひどく共振するものがあった。 そんな宣教師の説教めいたコトバも含めて、最後まである種の宗教的儀式のようなライヴだった。日本人を含め多くの観客が 「Tool、Tool、Tool …」 というコールを繰り返していた。それは片仮名っぽくない、比較的正確な 「とぅーぉ」 に近い発音であって、妙に耳に残るものだった。 さて、今回 Tool のレポートをここまで引っ張ったことに深い理由はなかったのだけれど、途中からはやや面白がって引き延ばしにかかったフシがある。ある友人と語っていた中でこんな話が出たからだ。 「ライヴレポートって悩むんですよね、観たその瞬間の気持ちを書き付けることと、時間をかけてじっくり文章をまとめることは、二律背反ですから」 そうなのだ。物凄いコンサートを見終わった瞬間の感動。あれを何とか言葉にしたいのだけれど、ろくなコトバが出てきやしない。時間をかければ言葉は紡げるし、セットリストなんかのデータも充実するけれど、文章の鮮度は落ちるし記憶も刻一刻と失われる一方だ。じゃあ一体どの時点でライヴレポートを書けばちょうど良いのか。 彼女は時間をかけると文章がどんどん変化していって、当初の姿とはかなり違ったものになることもあるという。一方自分は細かい表現の修正は行うけれど、全体としては最初に思い描いたイメージに向かって文章を作っていく傾向があるようだ。彼女の話にインスパイアされることが多い最近の自分には、この比較も非常に興味深かった。例えばこのサイトのコンテンツのひとつ "LONDON CALLING" などは、約7年前に書いた原稿を元に打ち直しているのだけれど、てにをはを直す程度のことはあってもテキストの構造自体をいじることは確かにほとんどない。 文章というのは不思議な力を持っていて、書かれた瞬間から独自の生命を持って動き始める。描かれた虚構が現実を上書きし、以後の記憶をねじ曲げていくことすらある。その意味ではコンサート終了直後に書きつけたとりとめもない雑記も、長く時間をかけてこねくり回したテキストも大きく変わるところはない。忘れてはいけないのは 「書かない」 という選択肢があること。にも関わらず敢えて 「書かれた」 文章は、その独自の生命を尊重される権利がある。遠回しに言うと、書き手は心をこめて書く義務があるし、読み手も心をこめて読む義務がある。その結果どうなるか、何が起こるかはこの際あまり大きな問題じゃない。つまり、多くの場合文章を書くことは書き手にとってのカタルシスだったり精神安定剤だったりするし、文章を読むことで読み手は我が意を得たりと膝を打ったり、それは違うだろと腹を立てたりするのだろうけれど、これらの結果についてはもはや僕も貴方も Tool も関知すべき事柄ではない。 いずれにせよ、僕は 「書かない」 という選択肢を捨て、約4ヶ月も経ってからこの文章を 「書いた」。 それ以上でも以下でもない。 (July, 2002) |