16 September 1995
洋楽を聴き始めてから、いろいろな楽器の魅力に取り付かれました。リック・ウェイクマンの華麗な分散和音キーボードに魅了されたこともありました。ビル・ブラフォードのスネアドラムの響きに聴き惚れた時もあります。トニー・レヴィンのスティック/ベースの職人技にもハマりました。
でも、短いなりにこれまで13年ほどロックを聴いてきた現時点での結論は、どうやら「人間の声を超える楽器はない」ってこと。同じ空気の振動には違いなくても、素晴らしい「声」が僕の身体の奥深くにある何かをぎゅっと掴んでぐいぐい揺さぶる感覚、あれだけは他のどんな楽器からも得られないのです。本当に最高の瞬間だと思います。そして、Seal
こそは僕にとってのそんな声の持ち主の一人。最新シングル
"Kiss From A Rose" が全米チャートで第1位、イギリスでもトップ5入りする大ヒットになった彼のライヴを見てきたのでご報告します。
***
会場のハマースミス・アポロは、大きさといい内装の感じといい、ちょうどNHKホールのようなイメージ。3,000人程度収容可能だと思いますが、見事に全席ソールドアウトです。ちなみにオーディエンスの99%はホワイト層。僕の席は前から2列目と好位置でしたが、周囲は可愛い白人の女の子たちがキャーキャー言ってる状況でした。7月に見たテレンス・トレント・ダービーもそうだったし、偶然
Seal と同じ日に別会場でロンドン公演を行った(ので見に行けなかった)レニー・クラヴィッツの購買層も非ブラック系が大半を占めています。ここに、ロンドンのホワイトから見てクールでカッコいい黒人音楽とは何か?という問いに対する答えが集約されています。確かに
Seal なんて伝統的なブラックミュージックからはかなり遠い音楽をやっている一人でしょう。汗臭さとか肉体的な躍動感とは無縁といっていい。現在うちに長期滞在しているぱいぱくんがCDを聴いて開口一番、「スティングみたいっすねー」と評したのですが、まさに的確なレビューでしょう。あるいは「黒いピーター・ゲイブリエル」的な質感を感じさせてくれる音楽のように思います。
さて、会場の照明が落とされ、割れんばかりの歓声と拍手の中で、舞台の幕が左右に引かれると、ステージの奥に観客に背を向けて立つ大きなシルエット。身長2メートル近くある大きな身体を黒のスーツと黒のシャツに包んだ
Seal がゆっくり振り向き、暗闇の中をこちらに向かって歩いてきます。2階席の奥までぎっしり入ったハマースミス・アポロのオーディエンスを満足そうに左右に見渡し、ドラマーのリズムカウントに合わせてショウが始まりました。傑作の
2nd アルバムのラストに収められていた "I'm Alive" です。バンド構成はドラム、ベース、ギターがブラックで、キーボードがホワイト。過剰な演出も派手な照明も使わないさっぱりした舞台ですが、この上なくポジティヴな歌詞を力強く繰り返す
Seal のヴォーカルは説得力十分です。この声を「生」で聴けるなんて…
続く "Wild" は1stアルバムの中でも特に気に入っている曲のひとつ。アルバムより速いアレンジで、芯の太いベースと硬いスネアがキレのいいリズムを刻んで新しい魅力に。"Deep Water" では Seal が上着を脱ぎ、ギターを構えます。横幅もある男なので、ギターが小さく見えるくらいです。歌い出しのヴァースはスポットライトを浴びながら弾き語りで。満員のオーディエンスが固唾を呑んで見守る中、圧倒的な存在感を誇るヴォーカルが、ホールの隅々にまで染み渡っていきます。彼は左利きですが、ギターは右利き用のものを単にひっくり返して弾いているようでした。アルペジオの弾き方がサポートギタリストと逆で、下から上の弦に向かっていたような… アコースティック・ギターに持ち替えての
"Don't Cry" では、Seal の優しい目つきが印象に残ります。西海岸のギャングスタ・ラッパーたちが獰猛な肉食動物を思わせるぎらぎらした目つきをしているのに比べ、Seal
の視線は草を食む乳牛のごとく柔らかい光をたたえています。ファンクミュージックに象徴される過剰なセクシュアリティがほとんど感じられないのが彼の特徴です。やや心配していたバンドの演奏も、的確で満足できるものでした。ベーシストとキーボーディストが重ねるコーラスは歌に広がりを与えていたし、全体として装飾をそぎ落とし、ベース音を核にして引き締めたアレンジも悪くなかった。例えばややスローに決めた
"Whirlpool" でのジャズっぽいクールなピアノや5弦フレットレスベースの響きは、目を閉じて聴いているだけで実に気持ちのいいものでした。
ライヴが盛り上がってきたところで、ドラマーがキットから降りてきてボンゴのようなパーカッションを抱え、静かにリズムを叩き始めます。ブルーの照明に包まれて、キーボードが奏で始めた3拍子のリフは…
そう、"Kiss From A Rose"! まさに今が旬と言えるこの曲を、アンコールではなくて本編で繰り出すという心憎いばかりの余裕。アンプラグド的に再アレンジされたこの曲は、会場全体の合唱を誘いました。さすがに今年を代表する大ヒットだけあって観客にもよく浸透しています。歌い終わった後、満足そうに深く一礼した
Seal が印象的でした。この後は "Killer" や "Crazy" といった大ヒット曲が連発され、周囲も大ダンスホール状態に。いずれの曲も相当アレンジが変えてあり、激しいギターやドラムがフィーチャーされています。"Killer" の聴き所のひとつは、一番最後の歌いきりの部分だと思いますが、ばっちり決めた
Seal の姿は実にカッコよかったです。
アンコールで出てきた彼を迎える拍手と歓声は一向に鳴り止まず、"Thank you, thank you." と2回応えて短くMC。「イギリスでの本格的なツアーは数年ぶりなので、実はすごくナーヴァスになっているんだ。海外ではいくらかやってるんだけどね…
でもイギリスで歌うのは故郷に帰ってきた気持ちで特別なんだ。本当にありがとう」。 確かに今日の彼はナーヴァスだったかもしれません。声が上ずって正確なトーンをヒットしないことも何度かあった。でもそこには確かに1stアルバムのプロモ来日時に、渋谷タワーレコードでのミニ・アコースティック・ライヴで僕を心底震わせたあの「声」が溢れていました。それが確認できただけでもとても価値のあるコンサートだったのです。
最後に歌ってくれたのは、ドラマティックに仕上げた
"Prayer For The Dying" と、僕が一番好きな "Future Love Paradise"。後者の延々と続くうねるようなメロディに溺れて、どこまでも深く深く潜っていくような感覚の中、これこそが今を生きる面白さなのかもしれない、と真面目に思いました。過去の名盤の山に埋もれてレコードを聴き漁るのも、まあ楽しいと言えなくはない。でも「今」の音、「今」の声に触れることほど気持ちいいことってそうそうないんじゃないか?
その意味からすれば、多少演奏曲が少なかったにもかかわらず、心から満足できた夜になりました。
***
Seal @ Hammersmith Apollo set list
I'm Alive
Wild
Deep Water
Don't Cry
People Asking Why
Blues In E
Whirlpool
Kiss From A Rose
Bring It On
Killer
Crazy
-Encore-
Prayer For The Dying
Future Love Paradise
April 2003 追記
本文中にも書きましたが、1stアルバムのプロモ来日時に見たインストア・イベントですっかりファンになり、それ以来大切にしているヴォーカリストです。2ndは地道に売れるロングセラーとなり、人気を決定付けた…かと思われましたが、3rdアルバム発表のタイミングの遅れ、シリアスすぎた内容、レコード会社のプロモ欠如などが影響して、残念ながらその後ヒットが出ていません。同時代の歌い手としては相当にいい声を持っている人だけに、再起のチャンスが訪れることを心から願っています。
|