Diary -January 2004-


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25 Jan 2004
Sunday

「今しか食べられないもの」

 一週間ぶり、どうもご無沙汰です。先週は本当に忙しかった。仕事が多忙であればあるほど時間も早く過ぎますね。こんな時は美味しいものでも食べて自分を 優しくしてあげたいものです。

 何を食べるか。
 そりゃラーメン二郎は好きですが毎日食べるわけにはいきません。高価な食事であればいいってもんでもありませんが、少しくらいは奮発してもいい。できれ ば今しか食べられないものがいいな。その季節に食べてこそ一番、という旬のものを食べることこそ最高の贅沢なのです。今しか食べられないもの、もうすぐ食 べられなくなっちゃうもの。フグなんかじゃなくて。ほら、アレですよ、アレ。

 …吉野家の牛丼。あるうちに食べとかなくちゃ、ね。

 というわけで行ってきました。行ってきたというのはウソだな。金曜の夜、飲み会帰りにまた乗り過ごした京王線。柴崎駅から仙川まで甲州街道を歩いて帰る 途中の吉野家に飛び込んで頼んだ並盛り。牛丼なんて1年以上食べてなかったような気がしますが、変わらぬ懐かしい米国牛肉の味でした。和牛やオージービー フじゃあの味にならないというのだから販売中止もしょうがない。あんまり美味しかったものだから店を出てすぐにポータブルMDプレイヤーを落っことしてリ モコンがひび割れたこともこの際許してあげよう。

 それでは来週末にまたお会いしましょう。


18 Jan 2004
Sunday

「How to be a millionaire」

 昨日の真冬の寒さから一転して穏やかな晴天でした。洗濯物と布団を干し、やっつけるべき問題集をやっつけ、必要な書籍を買いに吉祥寺にチャリを飛ばし、 靴を磨いて本を読んで昨夜作ったカレーを食べてサントリーモルツ<黒生>を飲む。誰と言葉を交わすでもない心落ち着く日曜日が過ぎていきま す。お年玉付き年賀はがきは切手シートが1枚当たったきりでした。

***

 僕らはたいてい両手に指が5本ずつあるので10進法を使っています。つまり10、100、1000…と10の累乗ごとに一桁繰り上がるわけです。これは 単なる偶然で、もし指が4本ずつの動物であれば8進法を使っていたかもしれません。コンピュータは0と1しか知らないので2進法です。

 その延長にありますが、通信の世界では64が基本単位でした。例えば64Kbpsの専用線。「ろくじゅーよんけいびっとぱーせかんど」が正式な読み方で すが、僕らは通常「ろくよん」と読みます。それで通じる(し、それ以上言うとウザい)。専用線の世界はこの基本単位を束ねていくので、高速化するにつれて 128Kbps、192、256、384、512、768…と増加します。これもまともに読む人はいない。「いちにっぱー」「いちくに」「にごろ」「ざん ぱーすー」「ちーろんぱー」などと読みます。微妙に中国語(ていうかマージャン用語か)が入ってきますね。そうこうするうちに回線速度は1Mbpsに達し ます。もっとも今ではメガも小さな単位で、その上のギガやテラなんて単位の超高速ネットワークがざらに存在します。時の経つのは早いものですね。

 何を言いたかったかというと、「区切りのいい」数字の並びといえば1、2、3…とか1、10、100、1000…というものを思い浮かべがちですが、あ る人々にとっては64、128、256、512…という数字の並びこそ「区切りがいい」ものだということ。果たしてこの乖離は埋められるのか、それとも永 遠に超えられない壁なのか。すべての戦争や離婚や虐待をなくすことための鍵はこんなところにも転がっているのではないか。

***

★「お金の国日本の歩き方」(方波見 寧著、小学館)
 分かりやすいように経済の島・金利の島・金融の島・株の国・為替の国の5つに分けてそれぞれ何が行われているかを説明。最終的にはどうすればこの国(日 本)でお金持ちになれるかを考えることになります。結論としては「複利」のメリットを最大限に活かすよう、少しずつ定期的に投資していくことが大切です、 という分かったような分からないような答え。不動産を買ってはいけないこと、生保は極力削るべきであること、通貨の分散を行うべきことはよく分かります。 リスクを取って株式への投資をしないことには、この低金利時代に資産を増やすことはほぼ不可能だということも分かります。問題はそこからですが、あなたな らどうします?

★「なぜ、この人たちは金持ちになったのか 億万長者が教える成功の秘訣」(トマス・J・スタンリー著、 日本経済新聞社)
 アメリカの純資産100万ドル以上の金持ちに膨大なインタビューをこなしてまとめ上げた力作。本当の金持ちとは一体どんな人たちなのかが分かります。意 外なことに彼らはつましい生活を送っており、学校での成績もまあ中くらいで、こつこつと財を成した人が多いのです。確かに The best things in life are free、もしくはほとんどお金がかからないのは事実でしょう。僕もこうして図書館の本を読んだり、TVで映画を観たり、友人たちとベルギービールを飲ん だりするだけで結構楽しめるから。そんなことより大切なのは、誠実さと自己鍛錬と社会性と勤勉さと、そして配偶者の支えがあることなんだそうです。最後の 一点で僕は億万長者になれないことが決定しました…


17 Jan 2004
Saturday

「Copy Left」

 Copyright なら著作権ですが、これはもちろんそのパクリ。「著作権左翼」とでも訳すのでしょうか、要するに文化や情報の公共性をより重視する立場の人々を指す用語ら しい。著作権や知的財産権は確かに大切なものですが、保護が行き過ぎると人類全体にとってはマイナスになりかねません。その辺のところをうまく突いた面白 い言葉遊びだと思います。

 著作権がらみの身近なトピックとしてコピーコントロールCDがありますが、こいつの場合真の問題点は全てのCDプレイヤーでの再生が保障されていない (モノによっては再生不可)ところでしょう。著作権保護に力を入れ過ぎて旧来の「コンパクトディスク(CD)」の規格に準拠しない謎の円盤を生み出してし まった音楽業界の迷走、「私的使用のための複製は許される」という著作権法の解釈がもたらす喧騒、僕らユーザはどっちつかずで錯綜。紛争を鎮める構想なき まま抗争、著作権左翼と右翼の激しい闘争、錚々たるメンツは結局共倒れの葬送。草々。

***

★「ベーカリー・アムール」(昨年9月、@JAL欧州便機内)
 2001年香港映画、原題は「愛情白麺包」。いいねえこの字面。田舎者で冴えないけれど心が純粋な主人公男性と、洗練された美しい女性(ただし男運悪 し)との間のラブコメディ。小道具は届かぬ手紙とパン屋さん。香港映画らしいしつこいギャグも織り交ぜつつ、基本的に素直なラブコメでかなり楽しめまし た。到底モテそうにないキャラが一途な想いの結果として最終的に幸せを獲得するストーリィが僕は好きみたいです。結局のところ。

★「猿の惑星」(@TV地上波、ニューデジタルリマスター版)
 小学生の頃TVで観て以来の個人的古典。何年経っても本当に良く出来ている映画だと思う。衝撃的なラストシーンや猿のメークも然ることながら、何といっ ても愚かな人間社会への風刺が強烈。歴史や宗教の持ついかがわしさも痛烈に描かれています。「〜コロンバイン」を観た後となっては銃を振り回すチャールト ン・ヘストンが虚しく映りますね。小山田クンに「コーネリアス」の名を先に使われてしまったのは僕にとって一生の不覚。


14 Jan 2004
Wednesday

「めくるめく快感」

 先日の横山秀夫の言葉に引っかかるものがありました。男性ならきっと「そうそう!」と理解していただけることでしょう。それは… 『めくる快感』。

 そう、アレをめくる快感の記憶はかなり昔に遡りますね。
 めくってめくって、チラリと視界に入ってくるその瞬間がたまらないのです。「小さい頃からにどれだけめくったか」で影の実力?が養成されるといってもい いでしょう。お互いの会話の端々から「こいつめくり魔だったに違いない」と想像をめぐらしたり、暗に「俺の方がいっぱいめくってたぞゴルァ」などと相手を 牽制したりするのが僕らの常です。(だよね?)

 その点からすると横山氏のもうひとつのキーワード『切り抜く楽しみ』、これはちょっと分からない。少なくとも僕自身にはアレを切り抜く楽しみはなかった けどなあ。でも男性の趣味は様々ですから、中には切り抜いちゃうぞ!っていう半ば常軌を逸した性癖を持ってるやつもいるんだろうな。僕はあくまでそっと指 でつまんで、チラリとめくることに快感を感じる派でしたけど。

 めくられてる側も決して嫌な風ではなくて、何だかお互いの間に不思議な了解事項があったような気がする。僕らはめくりめくられながら大人になるのです。 だから昔よくめくった相手に久しぶりに出会うと何だかホッとする。「よぉ、元気だった?」とか「ありがとね」とかつい声かけちゃったりしてね。相手の方で は訳分からずにきょとんとしてたりするんですけど。

***

 …よく考えてみたら別に男性に限りませんね。

 えっ、何の話だと思ってたんですか? やだなぁ、スカートなんかじゃないっすよ。「辞書」の話ですってば。僕は子供の頃から辞書や事典の類をパラパラめくって読むのが大好きだったのです。子供 から大人になるにつれて、読書の世界が急激に広がります。新聞や映画から受ける刺激も大きい。その中で出会う未知の言葉たちを片っ端から辞書で引きなが ら、僕らは世界を拡大していくのです。ぱらぱらめくりながら、チラリと視界に入ってくる別の言葉。ついそちらに気をとられ、関連語を調べてさらにはまり込 む。そんな寄り道の積み重ねが僕らを構成する。

 ご存知のとおり電子辞書が大流行りのご時世です。薄くて小さくて、引いた言葉がダイレクトに出てくる。寄り道なし。でも僕自身は今も紙の辞書に愛着があ ります。暇な時間にぱらぱらめくって目に留まる言葉を追いかける…という使い方には電子辞書より紙の方が適しているような気がしますし。「めくる快感」を 小さい頃に身につけられるかどうかで、人は大きく変わっていくんじゃないかと思うんですよね。さすがに「切り抜く快感」は身につけなくていいと思いますけ ど。

 なんて言いつつ、カバンにひとつ潜り込ませておきたいので、バレンタインのプレゼントはチョコなんかより電子辞書を激しく希望です。リクエストちょっと 早かったですか女子の皆様。


12 Jan 2004
Monday

「横山秀夫氏の言葉から」

 「うちの家族はよく新聞を読みますよ。テレビにはない『めくる快感』や『切り抜く楽しみ』がそうさせています。ですから、紙は今後も絶対になくならない んだと、新聞の作り手の方々に確固たる思いを持ってほしいですね。」


11 Jan 2004
Sunday

「Shot you!」

 でも本当は最近、ビールより焼酎にハマっています。どちらかというと芋。

 僕の実家の方では焼酎が名産で、子供の頃からお酒といえば焼酎のことだと思っていました。日本酒、というものがあるらしい(そしてそれは焼酎とは全然違 うらしい)と知ったのは大学生になってからです。酒飲み(=焼酎飲み)だった父親のバッドイメージもあり、僕は焼酎だけは飲むまいと固く誓って生きてきた のですが…。2003年は焼酎を覚えた年でした。日本酒だと翌日頭がガンガンに痛いのに、焼酎だと何やらすっきりしています。よく言われる醸造酒と蒸留酒 の違いなのかもしれませんが、とにかく頭痛がない。お酒が残らない。というわけで、最近はもっぱら焼酎を飲むようになりました。

 芋焼酎はそのきつい匂いが苦手だったのですが、今ではあの香りも楽しめるようになりました。芋、というよりはある種の柑橘系の香りのようにも思えます。 最初の舌触りと、口に広がる風味とで微妙に異なる複雑な味わいを醸し出すものも多く、なかなか侮れません。お湯割りで梅干しなんか入れちゃうのはいいちこ みたいな安酒の時だけにして、本当に美味しい芋焼酎などはロックで味わいたい。あとこの季節はお湯割りにして眠る前に温まるのもいいですね。

 なんて書きながら、今飲んでるのは友人のカンヌ土産のボルドーワイン(赤)だったりするんですけどね。結局毎日お酒飲んでるんじゃないか。まあいいや、 昨日今日と図書館にこもってそれなりに勉強もはかどったし、夜はジムで汗も流してカロリーも燃やしたし、ここはご褒美ということで。


10 Jan 2004
Saturday

「毎日お酒飲むんですか?」

 えっ? まあそうですね。でもせいぜいビール1本くらいですよ。どぎまぎしていい加減な答えをしてしまう。彼女は行きつけの美容室のスタッフで、髪など流してくれ てる間によく世間話などをする。こちらがシャンプー台で仰向けに拘束された状態なのに、意外と直球で質問を投げ込んできたりするので侮れない。私もビール 飲めるようになったんですよー、と彼女は言った。ダイエット発泡酒をジンジャーエールで割るらしい。その後美容室近くにあるアイリッシュパブの話などをし て終わったのだが、よく考えてみたらあそこで「じゃ一緒に軽くビールでも飲みに行きませんか?」とかお誘いすべき場面だったのではないか。あれほどしっか り話を振ってもらったにもかかわらず、自分ときたらまったく気が利かない男なのだった。なんてね。

 で、最初の質問に戻ると毎日飲むわけではありません。お酒を飲んだ後は基本的に文章が書けないし、小難しい本も全然頭に入らない。部屋で映画など観ると きにこっそりビールとポップコーンなど用意して、リラックスチェアで(+オットマンで脚を伸ばして)のんびり楽しむくらいかな。

 今日の朝刊によれば、ビールの国内需要は2004年も頭打ちで、各社とも新商品開発の総力戦に突入するらしいよ。ざっくり一覧が載っているのだけれど、 アサヒが3月に発売する「熟撰」なんて良さそうだね。いわゆるプレミアムビールの類で、ドイツ産ホップを用いて余韻の残る香りを演出。キリンは90年の発 売以来初めて「一番搾り」の味をリニューアルするとのこと。サッポロは麦芽や麦を使わないビール風味の炭酸アルコール飲料「ドラフトワン」を2月から発 売。個人的には歓迎できない商品だけれど、低価格競争もやむを得ないのかな。サントリーはビール+麦焼酎という荒業ビアカクテル「麦風」をリリース。スラ ンプに陥らなければいいけれど。

***

★「アメリ」(@TV地上波)
 先にノベライズされた本を読んでしまっていたのでストーリィ的な驚きはなし。主人公のアメリは他人とうまくコミュニケートできず、自分の空想の世界に引 きこもってしまいがちな自閉的女性で、彼女を取り巻く世界もちょっとばかしねじれている。そのねじれを映像的に表現した結果、こんなにもリアリティのない 映画になってしまったという…。もちろんリアリティを追求する必要など端からないのでこれでいいし、僕は観ていて最後まで違和感が拭えなかったのだけれ ど、ほんわかするカワイイ映画ではありました。


7 Jan 2004
Wednesday

「初二郎」

 昨日は仕事で疲れきって更新できず。きっと今後も多忙につき、週末を中心に細々とした更新になる可能性大。どうか悪しからずご了承くださいませ。

 さてその昨日。21時半まで残業した帰り道、仙川駅改札を出たら右に直進。ラー メン二郎仙川店の今年初営業日とあって、待ちかねたジロリアンたちが既に長蛇の列を作っています。長かった。昨年12月27日を最後に9日間の年 末年始休暇に入った同店。それまで週1〜2回ペースで立ち寄っていた二郎、なくなって初めて分かる有り難さ。まさか自分もこれほどまでに依存してしまって いたとは…

 太くて歯ごたえのある不格好な手打ち風麺。こってりしたスープがずっしりと胃を直撃。無料オプションで野菜多めにオーダーしたりすると、これだけで夕ご 飯として十分成立する量と質なのです。これはもはやラーメンではない。「二郎」という名の食事なのだ。ジロリアンたちが好んで口にするセリフ。好みでニン ニクを入れてもらい、ほんの少しブラックペッパーを振ってイタダキマース!

 店内の有線放送から桑名正博の「セクシャル・バイオレットNo.1」や堀内孝雄の「君の瞳は10000ボルト」、さらには桑江知子の「私のハートはストップモーション」などの懐かしいメロディが流れてます。ごく小さい頃に「ザ・ベストテン」で 見聞きしていたこんな曲たちのイントロが取れてしまう自分が微妙に怖かったり。このチャンネルは店長の趣味だと思うのだけれど、彼はおそらく僕より二つ三 つ年上の世代なのでしょう。あ、沢田研二の「恋のバッド・チューニング」がかかった。

 というわけでご馳走さま、今年もお世話になります。そうそう、今さらながら明けましておめでとうございます。…今さらジローかよ。


5 Jan 2004
Monday

「世界一キュートに鼻をかむ女優」

★「ユー・ガット・メール」(@TV地上波)
 これも原題と邦題が異なる映画ですね。原題は "You've Got Mail"なのに、こんな邦題を付けてしまってはいつまで経っても過去形と現在完了形の違いを理解できないよ…と文句が出るのはここまでで、その他は実に 楽しませてもらいました。僕は基本的にどうでもいいラヴコメディが好きなのだけれど、これは中でも良質の部類に入ると思います。当時流行りだった電子メー ルを介しての「出会い系」ネタ、さらに男女ともに書店経営という同業者同士で、お互いに相手をメル友とは知らないまま一方が他方を廃業に追い込んでしま う、というプロットがよく出来てますね。

 主演はトム・ハンクスとメグ・ライアン。どちらもパートナーあり(だが満足はしていない)という設定で、偶然ネット上で知り合った2人はハンドル名で メールを交わすうちに次第に惹かれ合っていきます。ハンクスは本当は優しいのに、現実社会では人当たりが決して良いとはいえないキャラクター。でもメール ではユーモアセンスもあるし、相手に的確なアドバイスもできる。メグはそんな彼を好きになってしまうのだけれど、まあこの映画の成功の90%以上は彼女の 可愛い演技によるものだ。と思わず断言してしまいたくなるほど全ての仕草が可愛らしい。そんな形容詞が似合う年齢はとっくに過ぎているはずなのに、恋して ドキドキしたり打ちひしがれたりする様子を実にキュートに演じてくれるのです。先日観た『デブラ・ウィンガーを探して』の中でメグは「マスコミにはあるこ とないこと書かれるわ」と笑っていましたが、恋多き女優だけにさもありなん。

 さてこんなメールだけの恋愛は成立するのか。そして2人は会うべきなのか会わずにおくべきなのか。正直言ってトムとメグの演じる2人はパーフェクト・ カップルとは思えないし、イマイチ応援する気にもならなかったのだけれど、映画の方は(二転三転の末)お約束のハッピーエンディングに至ります。まあ個人 的には文章を通した恋愛ってのもありかなとは思う。例えばテキスト上の言葉遣いがクールで知的な異性にはとても惹かれるし、逆に稚拙で無教養な文章には大 いに幻滅する。そう思わない? でも実際に対面してみたら文章のイメージとは全然異なってたりもするわけで。生身の相手と話す方がいいって人もいるだろうし、幻滅するくらいなら会わない ままイメージを大切にしたいって人もいるだろう。でも「全ての恋愛には終わりがあるのだから、そもそも恋愛はすべきでない」のか? そんなことないと思うよ。「人を好きになるって、いいですよね」。これは友人の言葉の引用だけれど、ありがちでどうでもいいラヴコメディのような人生こそ 素晴らしい。

 それはそうと、AOL人気が凋落して迷走する今日この頃、スクリーンから流れる "You've got mail!" の機械的なフレーズはますますシュールレアリスティックでカッコよかったです。例によって真の主役は舞台であるニューヨークそのものなのかな。全ての通 り、全ての建物、全ての通行人が本当に映画に似合う素敵な街だなあと思う。久しぶりにまた遊びに行きたくなってきた。


4 Jan 2004
Sunday

「Madness の "Our House" は永遠の旅行者のためのBGMではなかった。」

★「ペイ・フォワード 可能の王国」(@TV地上波、2000年米国映画)
 ちなみに原題は "PAY IT FORWARD"。目的語の欠落した他動詞というひどく座りの悪い誤邦題が寒い。要約すると、1人の人が、3人の人に良いことをする。それを受けた人も、 その相手にお返しするんじゃなくて、別の3人に同様のことをしていく。そうすれば、世界は変わるんじゃないかな、と考えた少年のお話。

 つまりはねずみ講的幸福論なのだけれど、ムーヴメントは少年が考えた以上に広がりを見せ、本当に素晴らしい世界が訪れそうになっちゃう。ここまでの展開 は悪くない。むしろとてもいい。特に中学校の先生役のケヴィン・スペイシーは『アメリカン・ビューティ』の印象を覆す好演で気に入った。ドメスティック・ ヴァイオレンス(DV)のトラウマを抱えた陰のあるキャラなのだけれど、彼の気持ちはよく分かる。女性に心を開こうとせず独り暮らしをする彼は 「manageable days」を何より大切にしている。つまり他者に介入されることなく、自分だけで生活の計画を立てて、全てをちゃんと管理できる日々を。自分で生活のリズ ムを作り、自分で定めたルールをしっかり守りながらこつこつ進めていく。それ以上に落ち着ける時間を、少なくとも現在の僕は知らない。父親が母親を殴るだ けで少年を殴らないとしてもちっとも良くはない、とスペイシーは言う。おっしゃるとおり。愛のない家庭に生まれることほど悲惨なことなどありはしない。

 さてケヴィン・スペイシーは良いのだけれど、お母さん役のヘレン・ハントはちょっと微妙だなという気がした。『ツイスター』にせよ『スコルピオンの恋ま じない』にせよまだ彼女の演技でこれは!というものに出会えていない気がする。それでも父親役で一瞬出演し、ドメスティック・ヴァイオレンスを振るって恐 るべき勢いで去っていくジョン・ボン・ジョヴィよりはマシだろう。ファンとしては残念な配役なのだけれど、本人はどういう気持ちで承諾したのかな。まさか 何でもいいから役をくれなんて言ってませんように。とにかくこの映画の役を観れば Ally McBeal のヴィクター役はよっぽどマシに思えること請け合いだ。

 悪くないと思わせてくれたこの映画だが、ラストにどんでん返しが待っている。これはいただけなかった。ちょっと残念。いや、ストーリィ的にはあれでもよ いと思うのだけれど、最後の場面描写はいかがなものか。キリスト教文化圏的な無理やりのお涙頂戴型盛り上げがくどい。もっと淡々と描いてくれれば感動はよ り大きくなったはずなのに。どうしても過剰な説明を映像でやらずにいられないところが米国映画なんだなあ、と改めて感じるシーンなのだった。

***

★「お金持ちになれる黄金の羽根の拾い方 知的人生設計入門」 (橘 玲著、幻冬舎)
 ロバート・キヨサキの『金持ち父さん貧乏父さん』がベストセラーになって以来、この種の「金持ち本」には枚挙に暇がないが、これは2003年にかなり売 れた部類。キヨサキ本は自分も読んだけれど、結論は「俺は金持ち父さんにはなれないな」。ていうかその前に父さんになる気とか全然ないからさ。それでも多 少は面白い読書だった。お金を殖やすということを純粋にゲームとして楽しむ連中の戯言を聞くのは、洋楽を聴くことを純粋にゲームとして楽しむ連中と語り合 うのとどこか似ている。

 でこの『黄金の羽根』だけれど、ここには一夜にして金持ちになる秘策が書いてあるわけではない。金持ちの方程式は要するに次の1行に集約されるからだ。

 資産形成=(収入−支出)+(資産×運用利回り)

 この式から導かれる金持ちになる方法は次の3つしかない。(1)収入を増やす、(2)支出を減らす、(3)運用利回りを上げる、これだけ。以下本書は資 産運用に関するよくある誤解について、平易な言葉でひとつひとつ論破していく。特に不動産購入が株式投資となんら変わらないこと、永住を前提に家を買って も持ち家が賃貸より有利になることはなく、ローン返済後に手に入った「我が家」に経済的価値が全くないことは、あらためてここで説明されるまでもなく明ら かなことなのに、それでも多くの人々(しかも素人)が毎日争って不動産を購入しているのを見るのはやや滑稽な気がする。

 さて『黄金の羽根』とは何かというと、国家に惜しみなく奪われるサラリーマン生活をやめて法人を作り、健康保険料や年金や税を出来るだけ支払わずに海外 投資などを行い、極力「日本」という沈みつつある船に依存せずに暮らすことだという。具体的には日本国の「非居住者」というステータスを獲得し(その具体 的方法は本書を参照のこと)、「永遠の旅行者」として国家に拘束されないライフスタイルを志向すべきだというのだ。国家は単なる公共サービスの提供システ ムであり、どの国に住むかは個人が自由に選択すべきだ、という考え方には大いに同意する。自分も本当にヤバくなればいつでも日本を捨ててより条件の良い国 家に移れるように目配りしているし、そのために必要な語学力や分散投資についてもそれなりに勉強しているつもりだ。国家なんてフィクションに過ぎないし、 国家が個人を守ってくれることなんて有り得ないのだから、僕らは自分で自分を守るしかない。そのことに早く気づいた人だけが黄金の羽根を拾うことが出来る し、気づかなかった人は船ごと沈むだけという冷酷な事実をどこまで柔らかくて分かりやすい文章で書けるか、という試みのような本なんじゃないのかな。

 僕はどちらかというと、黄金の羽根を拾うことより洋楽を聴くことを純粋にゲームとして楽しみたいと思います。ピリオド。


2 Jan 2004
Friday

「鉛筆と消しゴム」

  ほとんど生産的なことをせずのんびり過ごしてきた年末年始もあと2日で終わります。仕事モードに向けてうまく切り替えられるかな?

★「文房具を買いに」(片岡 義男著、東京書籍)
 2003年話題になった本のひとつ。文房具を買いに行ったら店員の女の子と素敵な関係になっちゃうストーリィなんかじゃなくて、片岡愛用の様々な文房具 類を写真に撮り、その解説文を書くというもの。ここでも片岡のテキストはまったくブレがないんだよね。例によって翻訳調の淡々とした文体で押し通されるん だけど、ある意味お家芸だと思うだけに読んでいて痛快。だってさ、「そしてこの均衡は、僕なら僕の気持ちや頭を、クロスワード・パズルに向けてなんの無理 もなく絞り込んでくれる。」なんていうフレーズに出会える日常なんてあんまりないよ。片岡義男の文章以外に。しかも上のフレーズは頭に消しゴムがついたご く普通の鉛筆について述べたものだったりするわけよ。「頭に消しゴムのついた黄色い鉛筆を用いること、これが英語のクロスワードを相手にするときの、もっ とも普遍的に守られるべき、基本ルールの第一項だ」。半ば苦笑しつつ、いつもの如く片岡ワールドに絡め取られる自分を心地良く感じられる人向けのスノビッ シュな舶来文房具図鑑。

***

 鉛筆は、最近オフィスで見かける機会が減っている文房具のひとつかもしれない。調べたわけではないが、おそらく学校での使用機会も激減しているのではな いか。小学校低学年を除けば最近はほぼ皆無かもしれない。シャープペンシルで細く薄い文字を書くのが素敵なことで、短くちびた鉛筆で太い文字を書くのはお 洒落でない。そういう価値観がこの国を完全に支配してしまったのを感じる。

 僕は今でもオフィスの引き出しに削った鉛筆を何本か忍ばせてあって、ときどき取り出してはシャープペンシルの代わりに文字を書いてみる。鉛筆で筆記する その感触が好きなのだ。少し丸みを帯びた先端で書き付けられる文字にはシャーペンには出せない温かみがある。六角形の木軸は軽くて手に馴染む。確かに削り 始めの鉛筆は長すぎるし、しばらくして良いサイズになったかと思えばすぐに短くなりすぎて使いづらくなってしまう。だがその過程も含めて、極めて人間的な 文房具だと思うのだ。人だって最初は赤ちゃんでそこら辺におしっことか漏らしてたはずなのに、経験を積むにつれて次第に使いものになってくる。でも最後は 衰えて静かに引退し、ひっそりと引き出しの隅で死期を待つ。1本1本にそんな人間的なストーリィを見出すことができる文房具なんて、そうはないのではない か。

 もしあるとすればそれは消しゴムで、これが鉛筆のまたとないパートナーであるところが素敵だ。鉛筆は自らの身を磨り減らして僕らの思考を紙の上に固定 し、消しゴムは自らの身を磨り減らして固定された思考を分解する。書いては消し、消しては書いての繰り返しの末に完成する一定の長さの文章は、あらかじめ 僕らの頭の中にあったものではない。鉛筆を数ミリ短くし、消しゴムの体積を数%小さくする過程で新たに形作られたものだ。時間の経過と自分自身の成長が、 鉛筆と消しゴムの消耗という形で明確に視覚化されている。その感覚すら忘れそうになる多忙なオフィスで、僕はときどきそっとちびた鉛筆を取り出して文字を 書き付けるのだ。あたかもそれを触媒としてどこからか素敵なアイディアがひらめき、こんがらがった事態を打開できることを期待しながら。


1 Jan 2004
Thursday

「New (Type) Year's Day」

 静かな新年を迎えています。初詣の習慣はないし、混雑の中で買い物するのも得意じゃないので、お正月は部屋でのんびり過ごします。例えばウィーンフィル のニューイヤーコンサートでラデツキー行進曲を聴いたりね。そういえばビデオで映画を観てる間にたまたま映ったMXTVで、「機動戦士ガンダム」の劇場版 3作をまとめて放映しているのに気付きました。

***

 ガンダムは今でも僕らの世代に深い影響を与えています。アムロやシャアの台詞のひとつひとつを僕らは鮮明に覚えていて、あらゆる人生の場面ですぐ引用す ることができる。貴方もきっと「貴様だってニュータイプだろうに!」とか叫びたくなった場面があるでしょう。給料表を見て「二階級特進…それだけ、なんで すか…?」とか呟いたことも数知れず。仕事の場面でも「俺を踏み台にしたーっ!」とか「謀ったな!シャア!」とかわめきたくなること数知れずですが、結局 のところそれは自分が「坊やだからさ」。さすがに「ごめんよ、まだ僕には帰れるところがあるんだ…こんな嬉しいことはない…わかってくれるよね、ララァに はいつでも会いにいけるから…」なんて台詞を縦横に使い倒せるようになってしまったら男としてはおしまいだという気もしますけれど。ということは既に俺は おしまいなのか。

 それはさておき、数ヶ月前に深夜にテレビを見ていたら、爆笑問題の番組に「機動戦士ガンダム」アニメ版の総監督・富野由悠季氏が出演してしゃべっていた のを思い出しました。ガンダムにおいては「ニュータイプ」という概念が大きなテーマになっています。特殊能力を発揮するアムロたちは「人の革新」を表す 「ニュータイプ」とされましたが、富野氏によればそれは何も特別な能力ではなく、「物事をありのままに、誤解なく理解できる能力」なのだといいます。そん なもので一般の人間と差別化できるのか、という問いに対して答えるには「その能力があれば先を、未来を読めるようになる。普通の人々は往々にして先入観や 主観に捉われて正しい判断ができず、結果として未来を読み誤って争いが絶えない社会になる」というのです。

 一方、2003年10月31日付の朝日新聞夕刊によると、アニメ版ガンダムの中心スタッフだった安彦良和氏が現在「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」というマンガ版のリメークを試みているそうです。アニメでは手が回らなかった細かい人間関係などを描き込んで、個々のいい味を引き立たせて やりたいとのこと。安彦氏が富野氏と決定的に異なるのは「ニュータイプ」の解釈で、アムロらを一種の超能力者扱いし、ニュータイプ自体をテーマとすること に違和感があるというのです。安彦氏にとってはガンダムのシリーズ第1作はあくまでも等身大の人間たちの物語ということらしい。富野氏はニュータイプ同士 なら人は分かり合える、という話に持っていったわけですが、安彦氏に言わせればむしろ「人は分かり合えない」という前提があり、その現実の対極にある願望 として「ニュータイプ」が置かれたのだといいます。相手のことを思い合いながらなぜか仲間割れしたり、戦争につながったりしてしまうこの世界で、ニュータ イプという神風に戦争を終わらせてほしいという願望があった。そこに現れたアムロがまつりあげられるストーリィがガンダムで、これはいわばジャンヌ・ダル クの焼き直しなのです。

 話がずれてしまいましたが、ちょっと戻って富野氏が掲げたニュータイプの能力は一見簡単なようで実はなかなか難しいものだと思う。僕らは確かにさまざま な主観に支配されています。真に客観的な視点なんて僕らが人間である限り獲得できるはずもありませんが、それに近づくことは不可能ではないはず。物事をあ りのままに受け入れられるようになりたい、それが僕の New year's resolution かな。しばらく前まで「来年はCDを1枚も買わない」なんていう極端な(そしてほぼ不可能な)誓いを立てようとしていたのに比べれば、多少なりとも物事を ありのままに受け入れ始めたってことなんだろうね。

***

 素敵な出会いに恵まれた充実した1年になりますように。


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