Diary -June 2003-


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30 Jun 2003
Monday

「ポストイットなコメントを…」

 お気に入りの文房具を紹介して6月の日記を締めくくりましょう。いろいろなことが起きて、長いような短いような不思議な1ヶ月だったけれど、基本的にか なり良い時期だったと思えるだけに、最後にネガティヴなことを書きたくはないからね。

 付箋紙(ポストイット)が好きで、用途に応じて使い分けています。大き目のサイズのものにその日一日の To Do リストを作って机の隅に貼り付けてから仕事を始めるのが日課かな。ちょっとしたメモはよくある細長い形のものに書き付けます。優先順位で並べ替え、用事が 済むたびにどんどん剥がして進行管理したりね。で、ここ数年のお気に入りは透明見出しのフラッグ。これはメモ用ではなくて、「付箋」の語義に忠実な使用のためのもの。本や資料類に貼り付ける見出し なのですが、通常の紙ベースのものは下の文字が隠れてしまい、いちいち剥がして読んだり、また貼ったりと面倒な上、コピーもそのまま取れないという不便 さ。それがこいつで一気に解決。もう、本読みながらあちこちに貼りまくりですよ。確かにちょっと割高なのですが、何度も剥がして使える耐久性もあるし、何 と言ってもこの種の文房具に対するたった数百円の投資を惜しむことは、自らの知的活動(ってただの読書ですけど)の範囲を大々的に制限することに他ならな いから。

 これを読んだ皆さんが「どんなんだろ?」と買ってくださることにより出荷量が増えて、結果としてコストダウンにつながればラッキー、みたいな淡い期待も あったりなんかして。なーんて取って付けたようなコメントをしてみたり。

 …「取って付けた」ような?
 (タイトルに戻る)


29 Jun 2003
Sunday

「Breakfast in Sengawa」

 朝食は大きく2パターンだ。ひとつは納豆ご飯を基本とするお米もので、もうひとつはシリアルを基本とするプレーンヨーグルトもの。どちらも濃い目のカ フェオレが欠かせない。うっかり忘れると、その日一日鈍い頭痛を抱えて過ごすことになってしまう。

 シリアルは割高だと思っていたのだけれど、とある方から「1グラム=1円を目安に買えば心配ない」と聞いて以来、かなり自由に買い物できるようになった のには感謝している。ディスカウントショップつるかめで安いものを買うことが多いので、糖分の多いものになりがち。でも、朝ならカロリーを多めにとっても いいはずと割り切っている。たいていバナナやりんごやプルーンやイチゴなどのフルーツを盛り合わせて食べる。

 一方の納豆も、元気の出る朝ごはんだ。キムチや刻みキャベツを入れて変化をつけたり、卵や海苔を合わせたりして食べる納豆ご飯は一日を始めるエネルギー になる。美味しいジャガイモのお味噌汁、豆腐と玉ねぎと舞茸のサラダを加えて、シンプルながらも素敵なブランチをいただく日曜日。


27 Jun 2003
Friday

「8月のクリスマス」

 借りていたビデオを、2回観ました。2度目はきっと違うから、という貸し手の方の言葉どおり、最初とは全く異なる印象を受けました。なぜか?を説明する ためにはストーリィを詳細に明かさねばならず、それを行うと上記のように2度観て深く味わう楽しみ方ができなくなる可能性があるので、ここでは伏せておき ます。ただ、作り手の側には最初から見えてるんだよね。2度目どころか、頭の中で100回も200回もなぞったストーリィを映像に落とし込んでいるわけ で。そのことに気がつくと、細部に注意が払われたカットのひとつひとつが、そういう意図で撮られていたと分かってくるのです。何でもないような場面にいち いち泣けて仕方がない。

 簡単にご紹介しておくと、これは韓国のホ・ジノ監督のデビュー作で、主演はハン・ソッキュとシム・ウナでした。ハン・ソッキュは日本でもヒットした 「シュリ」で知られていますね。彼が演じる写真館の青年ジョンウォンは実に優しく包容力がある「いい人」です。常に静かな笑顔を浮かべ、心安らかで、じっ と話を聞いてくれる。しかし独りでいるときにはちょっと寂しげな表情を見せ、その対比がなんとも言えません。一方のシム・ウナが演じるタリムは、若くて活 気があって大胆な女の子。2人は惹かれあいますが、ジョンウォンは決して深追いしようとはしません。もちろん理由あってのことですが、この映画はその辺の 事情をこと細かな台詞をべたべた塗りこめて説明していこうとはしない。むしろ台詞は非常に少なく、淡々とした情景描写で静かに背景を浮かび上がらせる手法 が成功して、観終わった後に深い余韻が残る仕掛けになっています。

 ホ・ジノ監督の映画はこの後の「春の日は過ぎゆく」から先に見ました。2001年秋の東京国際映画祭のコンペティション部門。この時は映画の後のティー チ・インで監督自身の言葉も聞くことができました。彼が語っていたのはこんなこと。「2人の男女が出会い、恋に落ちて結婚し一生一緒に暮らすことが果たし て幸せなことなのかどうか自分にはよく分からない。ハッピーエンディングの描写より、むしろうまくいかなかった恋愛が心の中でどのような記憶に変わってい くのか、その描写の方に興味がある。失恋から早く立ち直る秘訣のようなものはなく、ただ時間をかけるほかない。長い時間だけが、辛い失恋を美しい記憶に変 えてくれる」。

 思えば2001年夏に僕が逃げ出すようにソウルに旅行したのは、単なるマイレージの消化というよりは、辛かった当時の状況からの脱出に他ならなかった。 結論から言えばそれは即効薬たり得なかった。当然です。行った先でも片時も頭から離れることはなく、綺麗な顔をしたたくさんのソウルの女の子たちを眺めな がらも僕が見ていたのは別の顔だったのだから。飛び込みで入った教会のチャペルで1時間近く祈ってみたりしたが「神」が声をかけてくれるはずもなく、帰国 する頃には僕もどうやら悟りかけていた。ただ時間をかけるしかないのだと。長い時間だけが、美しい記憶に変えてくれるのだと。

 だから僕は韓国映画を観るたびに、あのソウルの街並みや人ごみとともに、静かに変わりつつある僕の心の中の記憶と向かい合うのです。「8月のクリスマ ス」もまたハッピーエンディングではありません。しかし、この映画を観終わった後の穏やかで、なだらかな気持ちは決して不快なものではない。むしろ、痛さ が美しさに昇華される瞬間に立ち会える喜びに満ちていると言ってもいいと思います。

***

 明日はタイ料理屋さんでサイトのオフ会があります。カラいもの食べて元気出そう。
 かなり楽しみっす。


26 Jun 2003
Thursday

「おひとりさま」

 帰り際に通り雨に降られたら? 迷っててもしょうがない、近場のお店に飛び込んで食事でもしながら止むのを待つとしよう。それは独りの特権でもある。帰っても誰もご飯を作ってくれるわけ じゃない。帰って自分で作るか、食べて帰るか。あるいは夕食を抜いちゃうって手もあるな。どれを選ぼうと自分の自由、自分の責任。

 独りってのはお気楽そうに見えて結構エネルギーを要する生き方でもある。でも決していじけた寂しい生き方ではないと知ったのは、数年前に仏文学者でもあ る海老坂 武の「新・シングルライフ」(集英社新書)という本を読んでから。図書館で借りて何度も読み返し、結局今は下北沢の古本屋で200円で買ったものが手元に ある。座右の書、といっていい。他人をあてにせず「個人としての生き方」を追求し、孤独(死)と向かい合いながら人生を正しく享受しようとする、極めて前 向きで地に足の着いたシングルライフ論で、率直に言って大きな影響を受けた本だ。86年に氏が書いた中央公論社「シングルライフ--女と男の解放学」を書 き改めたものだが、比較して読むとさらに面白い。

 アサヒ・コムに「ハッピーシングル宣言!」というコラムがあって、ときどき読んでいたのだが、6月30日で最終回になるそう だ。ここに並ぶ30代シングル女性たちの生き方は、結構イタいものからひどくポジティヴなものまで様々で、面白くなくもない(微妙?)のだけれど、結局ど ういう企画なのか焦点が定まっていない気がする。一方、NIKKEI NET のスマート・ウーマンにある「おひとりさまの極意」は徹底していて好きだ。故 岩下久美子さんの遺志を継ぐ「おひとりさま向上委員会」の葉石かおりさんが説く、精神的に自立した女性=「おひとりさま」としての人生の楽しみ方。もちろ ん社会で生活している以上、僕らは決して永遠に一人でいられるわけではなく、一日のかなりの部分を他人と接しながら過ごす。だがその時面白い人と思える相 手は大抵、ひとりの時間が充実している人だ。例えばお昼ごはんひとつとっても誰か友達と食べないと不安になっちゃうような人は、話す内容も得てして薄っぺ らいことが多い。このコラムには決して孤独でもネガティヴでもなく、自らの意思でひとりの充実した時間を過ごす極意が記されている。興味のある向きはぜひ どうぞ。

 さて、「新・シングルライフ」の海老坂氏は「論座」7月号の対談でこう語っている。
「僕は自分が死んだときに、僕のことをやさしく考えてくれる人が何人かいればいいな、という感じです。つまり、僕という存在はそういう人たちの中でしか残 らないと思うから」。

 さすがにシングルライフを実践して69歳まで生きてきた人間の言葉は重くて深いね。


25 Jun 2003
Wednesday

「マイノリティ・リポート」

 今日の新聞の国際面はノルウェーの「ドイツの子」問題が大きな記事になっていた。第2次大戦中に占領軍として駐留したナチス・ドイツ軍の将校を父に、ノ ルウェー女性を母に持つ1万2,000人もの人々のことをいうそうだ。「ドイツの子」たちは多くが「知的障害」とされて差別され、激しい敵意の中で隔離さ れて暮らしてきた。敵の落とし子としてさげすまれ、社会で差別されてきた彼らに対し、ようやく国家による謝罪や補償が実現する見通しになったという。

 僕はマイノリティ差別についてはやや敏感に反応する方だ。時と場所をわきまえる程度にはオトナになってしまったが、口に出さずとも心の中で異議を唱えず にいられない。それは取りも直さず自身が精神的にマイノリティだという意識があるからだ。世の中がきれいに1:1に分かれることなどない以上、すべての人 は多数派と少数派のいずれかに属さざるを得ない。肌の色、宗教、食事、性別、趣味、ものの考え方全般に渡って、僕らは常にマイノリティ問題と向かい合わず にいられない。

 マジョリティに属していると安心できるかもしれない。確かに、世界の誰も自分のことを分かってくれないとしたら耐え難い恐怖だろう。だけど、マジョリ ティに属しているからといって自動的に他人の心が理解できるようになるわけじゃない。安心は幻想だ。のみならず、自分がマジョリティに属していることを証 明するために、人はマイノリティを差別し、迫害し、切り捨てようとする傾向がある。そんなことをしても何の役にも立ちはしないのに。悲しみと憎しみを増幅 するだけなのに。

 ある瞬間にその人が多数派に属するか少数派に属するか。そのこと自体に価値の優劣など存在しない。直ちにどちらが正しく、どちらが誤りであるかを判断す ることはできないし、すべての価値観を正誤や善悪に色分けすることもできはしない。こんな当たり前のことを、僕らは時として忘れてしまう。マジョリティに 属していると、全く無意識のうちに少数派を傷つけるような発言をしてしまったり、差別的な言葉を用いてしまったりする。悪気がない言葉は、それだけに却っ て深い傷を与えるものだ。

 僕が誰かに傷を与えてこなかったかといえば、もちろんそんなことはない。誰かに負わせた傷は2倍の深さになって自分自身を傷つける。僕自身が背負わねば ならない重い十字架がいつまでも肩の上にのしかかる。だがその重みのおかげで、どうやら僕は倒れることなく足を踏ん張っていられるようでもある。してみる と痛みを知ることにも何らかの意味があった。少なくとも、自分次第でそれをプラスに転じて、より強く優しく生きることはできるはず。

***

 そういえば先日、徳山昌守が7度目の防衛を飾った。ボクシング好きの自分だが、特に彼の試合はいつも見るようにしている。具志堅用高さんの13回まで、 あと半分以下の折り返しになった。彼にはとことん頑張ってほしいと思っている。


24 Jun 2003
Tuesday

「Cornerstones」

 お昼はたいてい32階の職員食堂で、窓から外の風景を眺めながら食べる。この季節は曇りがちで、眺望は決して良くはない。遥か下に小さく小さく車や歩行 者が動いている。

 ランチは鶏肉とタケノコ、ニンジン、レンコンなどの煮物料理だった。タケノコの歯ざわりも良かったけれど、個人的には小鉢のオクラが嬉しかった。鮮やか な緑。振りかけられたカツオブシと、あっさりした醤油のマッチング。夏場のオクラが好きなんだよね。納豆に入れるのもいい。何となく、元気が出る。

 ところで子供の頃、「オクラ」は日本語かと思っていた。実は原語が okra なのであって、ちゃんと手元のジーニアス英和辞典にも載っている。アフリカ原産の野菜ということになるらしい。辞書を引くのは大好きだ。

***

 "CORNERSTONE" といえば、洋楽ファン的には STYX の79年の全米2位アルバムのタイトルなのだけれど、これも辞書を引くと「1 〔建〕 すみ石、礎石(起工の期日・言葉などを記す)、2 〔比喩的に〕 基礎(となること〔人〕)、土台」と定義されている。人は生きていく間にいろいろな形で自らの cornerstone を積み重ねながら、その上に人生を築き上げていくんだろうな。僕が辞書を引くのもひとつの cornerstone 作りだ。まだまだだけれど、基礎さえしっかりしていればぐらつくことはない。と思えば、日々の様々な出会いやチャンスを自分の土台にしていくような貪欲さ も必要だってことだろう。要するに「迷ったときはやる」べきだと思うのです。残りの人生に悔いを残さないためにもね。


23 Jun 2003
Monday

「シングルトン?」

 まだまだ梅雨が続きます。時にひんやり、時に蒸し暑く、降ったり晴れたり曇ったり。自分なりに小さな楽しみを見つけながらいかないと、長丁場は持たない よ。

★「ブリジット・ジョーンズの日記」@頂きものビデオ
【粗すぎるあらすじ】
 ロンドン、32歳独身女性、Mr. Right を求めて日々奮闘中。新年の決意は「日記をつけ、タバコとお酒を控えめにし、体重を減らして、恋人を見つける!」。さてブリジットは、軟派でカッコ良さげ な男と堅実で面白みに欠ける男のどちらを選ぶことになるのでしょう?

【見どころ】
 まあ答えはほとんど決まってるようなものだけれど、そこまでの過程を面白がらせてくれるのはやっぱキャスティングの妙なんだろうね〜。僕は原作から先に 読みましたが、レニー・ゼルウィガーのブリジットは、一度この映像を見ちゃうともうこれ以外考えられないというくらいハマってる。この役のためにたっぷり 太って臨んだという超ぷよぷよの彼女、「CHICAGO」での絞り込んだ身体を観た後では同じ女の子とは思えないくらい。正直、可愛いっす。
 ハマり役ということではヒュー・グラントとコリン・ファースも同じこと。原作を読んでいて今ひとつイメージしづらかった2人の男性ですが、なるほどこう いうキャラだったのか!と納得しまくる人選で。周囲の脇役キャラの一人ひとりも同様で(特に父親役のジム・ブロードベントにはやられました)、映画作りに おける「キャスティング」という仕事の大切さをあらためて思い知ったのでした。
 シングルで生きる女性もブリジットのように結婚を目指す女性も居てかまわない。シングルであってもパートナーを持ち、充実した時間を過ごしている人はい くらでもいるし、結婚していてもつまらない人生を送っている人もいくらでもいる。形態は比較的どうでもいいのであって、大切なのは各個人がまず自分自身の 人生をしっかりと生きているかどうかでしょう。そうでなければお付き合いしても長続きしないしね。依存心が顔を出したりしたらもう最悪、たいていの相手は 引いちゃうか、あるいは依存心を逆手にとってDVに走ります。
 そんな意味で、ブリジットが充実したシングルライフを送っていたかどうかは微妙だし、結ばれた男性との生活が安泰かどうかも判断しにくい(実際、原作で はこの後波乱万丈の続編が待ってます)わけですけれど。それでも世界中の30代独身女性たちに圧倒的に支持されたという事実はやっぱり興味深いですね。


22 Jun 2003
Sunday

「映画3本」

 最近映画をよく観ています。映画は、居ながらにして世界中に連れて行ってくれたり、素敵な恋愛を体験させてくれたり、思い切り泣かせてくれたり、人間が 抱える根源的な問題に向かい合わせてくれたりします。時として何億円もかけて構築された世界を、せいぜい千数百円で観られるというのは、実はとんでもない 贅沢なのかもしれません。とはいえ昨夜テレビ放映されていた「チャーリーズ・エンジェル」は見始めて十数分で猛烈な睡魔に襲われ、ぜんぜん観ることができ ませんでした… もうちょっと何か考えさせてくれるような映画の方が好みみたい。今年は大作「マトリックス」の続編が公開されて話題になっていますが、あ れには独自の世界観や哲学があって、それなりに楽しめるのではないかと期待しています。

「バ ティニョールおじさん」@下高井戸シネマ
【粗すぎるあらすじ】
 1942年夏、ドイツ軍の手に落ちたパリで、ユダヤ人の一斉検挙が始まる。冴えない肉屋のバティニョールおじさんは、意図せずして隣家のユダヤ人医者家 族の脱出を妨害することになってしまい、家族は収容所送りに。ところが医者の子供が収容所から逃げ帰ってくる。小さな子供の純粋な瞳に打たれたバティ ニョールおじさんは、当初の予定通り子供たちをスイスに脱出させる手伝いをすることに…

【見どころ】
 普通のおじさんです。頭が薄くて中年太りのおっちゃん。でも根が真面目なのです。誠実なのです。そして僕はそういう人に猛烈に心打たれる。根が誠実な人 が好きなのです。そしてバティニョールおじさんがそれまでの生活を捨て去り、ユダヤの子供たちのために自分ができることを必死にやろうとする姿には、本当 に涙が出てきます。湿っぽくならず、随所に子供らしいユーモアを織り込んだ素敵なシナリオも◎。これは掘り出しモノの映画でした。

「小 さな中国のお針子」@下高井戸シネマ
【粗すぎるあらすじ】
 1971年、文化大革命の嵐が吹き荒れる中国。インテリ層(医者)の家に生まれた青年2人が、反革命分子として山奥深くの村に送られ、「再教育」を受け る。文明から遥か遠く離れた村には文字も書物もなく、過酷な農作業をさせられる青年2人。そんな時出会った村の仕立て屋の娘(お針子)と彼らの物語。

【見どころ】
 禁止されている西欧文学本を密かに入手した2青年が、文字を教えて教化しようと少女に読み聞かせるバルザックの小説。彼女にとっては見たことも聞いたこ ともない世界が開けます。当然のごとく、青年たちは少女に恋をしますから、微妙な三角関係も成立。とまあネタは揃ったわけですが、あまりに情緒過多に流れ ているような気がして最後までのめり込めず。少女と青年のルックスが整いすぎている点、フランス映画のためか過度にセンチメンタルな点などが引っかかりま した。…って迷惑なレビューですねこれ。ただ、文化大革命と「再教育」の実態についてはほとんど知らなかったので、歴史的な観点からは結構勉強になりまし たよ。世界的ベストセラーになっているという原作本を読んだ方がもう少し楽しめたかも?

★「シー・デビル」@テレビ東京
【粗すぎるあらすじ】
 冴えない中年妻。会計士の夫がベストセラー小説家の女に浮気。中年妻激怒&大逆襲。彼女が復讐を果たし、新しい人生を見つけて再出発するまでを描く爆笑 コメディ。

【見どころ】
 醜女系中年妻をロザンヌ・バーが怪演。ただ、映画の後半で自分の人生を取り戻していく過程ではどんどん綺麗になっていきます。女性に限らないのかもしれ ませんが、外面に現れる美しさというのは実は内面の充実度に拠っているところが大きいのではないか。周囲に最近ぐっと可愛くなったりした子がいたら、きっ と何かいいことあったに違いないよ。たとえば素敵な相手が見つかったとか。さて、ベストセラー小説家にメリル・ストリープというのもすごい。何がすごいっ て、これ完全に自爆キャラなのですよ。豪邸に住む大富豪シングル女性という設定ですが、映画の進行につれ化けの皮がどんどん剥がれてボロボロになってい く。大女優にここまでやらせるか、という徹底した汚れ役ぶりが痛快です。彼女にとってもチャレンジだったんじゃないかな?

 洋楽サイト的にフォローしとくと、この映画からは Sa-Fire の "I Will Survive"(恋のサヴァイヴァル)がカヴァーヒットしています(日本盤8cmシングル持ってたりして)。映画中でもほんのちょっと流れたのを確認で きたのが嬉しかったな。


19 Jun 2003
Thursday

「コトバのカケラ」

 今日は午後から天王洲アイルに出張。某航空会社の会議室に同社の欧州現地法人スタッフ(外国人)と業界関係者を集めての会議に出て、ちょっとした英語の プレゼン。あまり緊張はしなかったけれど、読みながら資料の作り込み不足が気になって集中できず。もし次の機会があれば、自分の言葉に噛み砕いてオリジナ ルのプレゼンテーションにしたいものだと思った。9月に出張予定のミュンヘンのスタッフとも名刺交換。見るからに20代半ばの彼、ドイツ人ながら日本通で 日本語も結構しゃべる。この出張が終わると2週間のバカンスに入るんだって。ヨーロッパはやっぱりスケールが違うよね。

***

 最近見かけた新聞記事などから。

★「語る松井秀喜 from U.S.A.」
 いい時も悪いときも「今」が大事、と語る彼の言葉にはすごく納得するんだよねー。
「調子の上がっていなかったシンシナティの遠征の時に、トーリ監督といろいろ話をしました。監督からはこれまでやってきたことを何も否定されなかった。 チームに貢献してきているのだから、今までやっていることを続けてくれればいい、というような話でした」。何も否定せず、あるがままにその人を受け入れる こと。トーリ監督の言ってることは想像以上に深い。

★『<癒し>のナショナリズム』(小熊英二・上野陽子著、慶大出版会)
 「普通の市民」を任じる静かな保守の問題をえぐった話題の本らしい。「新しい歴史教科書をつくる会」に集う人々の実態を調査し、「サイレント保守市民」 と定義している。自らを「普通の市民」と呼ぶ彼らを、上野さんは「『普通』と言えばマジョリティーの通行証を持ったかのように考えているのでは」と指摘す る。「普通」の根拠を示すためか、外からのまなざしを彼らはひどく気にするのだという。小熊さんが言うように、「自分が普通であることを立証するために、 普通でないものを排除していく」日本社会の土壌は間違いなく存在する。僕はそれがひどく息苦しく感じられることがあって、「普通」「普通じゃない」といっ た議論そのものがやや苦手だ。あまり生産的でないような気がするんだけどなー。

★『花狂い』(広谷 鏡子著、角川春樹事務所)
 広谷さんのインタビューから。「生き生きとした老後生活を営むにはセックス抜きには語れないのではないかと。女たちよ、年を取っても恋をしよう、という メッセージを込めました」。「スティーブン・キングの小説のような時間を忘れる物語のおもしろさと、自分の不安や問題意識とを結びつけて書くというのが私 の小説観。読み終えて『生きていてよかった』と読者に思って欲しいといつも考えています」。

★「あきらめから再出発」 ルポ・長野の知的障害者施設「西駒郷」
 知的障害者施設は「刑期のない刑務所」であるという声。何十年も施設の中で暮らさざるを得ないという環境を見直し、障害のある人が地域で生活する「脱施 設」への取り組みが始まっているという記事。長野県の障害福祉課長の言葉。「自由と選択がないのに痛ましいほど整然としている。これでは隔離収容だ。是が 非でも県が責任をもって地域移行しなくては」。

★ファッションデザイナー 横森 美奈子さん。
 「メロンパンが大好きといって幸せそうに食べる人を見ると、こっちも楽しくなりますよね。ファッションもそれに近いストレートなものだと思うんです。オ レンジ色は元気にしてくれるからと身につけている人に会うと、この人は自分をよく知っているなと分かる。人間は、その人らしさに触れたとき、最もうれしい ものだと思う」。
 センスとは感じることである、自分の気持ちが弾むものを発見する感覚にフタをしないでほしい、と横森さんは言います。周囲に合わせて妥協し続ける生き方 は、外見にくっきりとにじみ出るものだと。

★出た、岩月謙司の新作、『母を恋して太る人、彼を愛してやせる人』。相変わらず人目を引くタイトルをつけるのが上手いね。「『3日後日記』でダイエット に成功する!」「ついにわかった! やせる秘密。」という見出しのとおり今回はダイエット本らしい。「なぜ、あの人はやせてキレイになったのか? なぜ、いつもいい友人やステキな彼氏に恵まれているのか? 太めでモテない人生の悪循環を断ち切る革命的ダイエット。」というのだけれど、いくらなんでもこれはやり過ぎだろう。「やせる」=キレイ、ではない。「太 め」=モテない、でもない。ましてや「悪循環」なんかじゃない。問題は痩せてるかどうかではなく、本人が否定的にならず、あるがままに自分自身を肯定して いるかどうかだと思うんだけどねー。


18 Jun 2003
Wednesday

「おばあちゃんの家」

 祖母といえば、僕は母方の祖母ひとりしか知らない。父方の祖母は両親の結婚の少し前にガンで亡くなったとだけ聞かされている。父親は長男だったからおそ らく彼の結婚までは見届けたかったことだろうが、いずれにしても僕にとっては「有史以前」の存在であって、感情移入のしようがない。母方の祖母はといえ ば、この世代の人間にしてはひどくリベラルな思考の持ち主だ。僕が両親と対立したときも、「あなた自身が行きたい道の方を選びなさい。人生は一度しかない んだし、あなた自身の人生なんだから。」といつも味方に立ってくれた。今は田舎で薬局兼タバコ・駄菓子屋のような小さなお店を経営しながら、裏庭で野菜を 作る日々だ。それは漬物や梅干のような形になって、実家経由で僕の部屋にも届く。

 僕の母を入れて4人の子供は皆巣立ち、離れた町で暮らしている。祖父は13年ほど前に亡くなっており、以降は完全に祖母ひとりのシングルライフだ。もっ とも、彼女を慕って僕ら孫たちが盆暮れに顔を出すから、その時期は結構賑やかになる。僕は祖母の現実的でさっぱり割り切った性格と、人生の含蓄をさらりと 表現する言葉に惹かれる。人は歳をとると大抵汚らしくなり、遠ざけられてしまうものだが、祖母に関しては全く逆だ。子供の頃は宿題と着替えを持ち込んで夏 休みの間ずっと田舎で過ごし、おやつの時間にお店から1個ずつもらえたアイスクリームが何よりの楽しみだった。あの夏の思い出を僕ら孫たちは共有してい る。

 悠々自適のように思えるかもしれない。だが現時点では健在とはいえ、糖尿病の上に数年前にガンを患い、大手術を経験した後の体調は決して万全ではない。 一時は化学療法も受け、脱毛や吐き気など副作用に苦しんだ時期もあった。だが祖母は大学病院の先生に頼みこんだのだ。「もう化学療法はやめてください。そ こまでして生きなくてもいい。自分は子供も4人育て、孫もたくさん生まれた。もう十分楽しんだから、あとは無理に治療せずにこのままの身体に任せたい」 と。

 そこから奇跡が起きる。化学療法をやめて好きな物を食べ、自分のリズムで再びお店と畑を切り盛りするようになってから祖母のガンは急速に縮小した。医者 も「信じられない」と絶句したほどだ。身体中に爆弾を抱えているようなものかもしれないが、いずれにせよ今も僕らを迎えて、美味しいお手製の混ぜご飯を 作ってくれる。これはもう何十年も前からの祖母のレシピで、単純な酢飯ベースの混ぜご飯に過ぎないのに、絶妙の美味しさなのだ。「田舎だからこんなものし かないけどねー」と出してくれる手作り味噌のお味噌汁やお漬物など、どうしようもなく素朴で美味しい。もういつまでも食べられるわけじゃない。僕ら兄妹弟 は帰省するたびに祖母の家に足を運び、ご飯を食べながらそう思わずにいられない。この一瞬一瞬を大切にしなければと。

 決して恵まれた結婚生活とは言えなかった彼女の半生を思うと、たとえ体調が万全でないとしても今がきっと一番幸せなのだろうと思う。人生の最も辛く、厳 しいものを見せつけられてきた世代だからこそ、僕へのアドバイスもひどく切実でリアルなのだろう。僕は自問せずにいられない。果たして自分は、歳をとって もこんなにも誰かから愛される存在になることができるだろうかと。


17 Jun 2003
Tuesday

「僕と貴方とオレとキミと」

 6月9日に書いた「ファミリー・アフェア」にそれなりの反響があって驚いているのだけれど、あの文章は僕が書いたというよりは、実際に配偶者を「家族」 と呼んでいる主人公の後輩が僕のココロとキーボードを使って書かせてくれたのであって、僕が喜んだり怒ったりする筋合いのものではない。それより、重要な ことを書き忘れてた。第三者の前で配偶者(あるいは恋人)をどう呼ぶかも然ることながら、2人が互いにどう呼び合うかも大切なポイントだろう。あるいは こっちの方が大事かもしれん。

 ぶっちゃけ、○○ちゃんでも△△クンでも何でもいいんだよ。特に2人にしか分からない由来の呼び名は互いの結びつきをより強固にするだろう。恋愛の基本 はまさにそこにあって、2人の共通体験をどれだけ積み重ねていけるか、大げさに言えば2人だけの秘密をどれだけ作っていけるかにかかっている。それはいい として、ここからは完全に個人の趣味の問題と割り切って聞いてほしいのだけれど、僕はパートナーに対して「おまえ」と呼ぶ人間が非常に苦手だ。男だろうと 女だろうと、相手を「オマエ」呼ばわりするような関係には耐え難い。中には愛情を込めて、あるいはおふざけでそう呼び合っているカップルもいるのかもしれ ない。それは分かる。だから個人の趣味の問題と言ったでしょ? でも僕個人の趣味としては好きな女の子に「おまえさー、それヤバくない?」なんて話しかけることは有り得ない。絶対に有り得ない。

 まあ、敢えて人称代名詞みたいなものを使うとすれば「きみ」か「あなた」かな。普通は名前の一部を使った愛称で○○ちゃんとか呼ぶと思うし、そもそもそ ういう呼び方もせず「ねえ」とか「あのさ」とかが一番多いような気もする。どうでもいいって? だから個人の趣味の問題と言ったでしょ。


16 Jun 2003
Monday

「『バカの壁』の壁」

 もうお読みになったことも多いことでしょう。この春創刊された新潮新書の中で、60万部を売り上げる突出したベストセラーになっている養老孟司の 「バカの壁」。彼の主張はひどく単純です。「話せば分かる」なんて大ウソ。どんなに話しても通じない、どんなに口説いても伝わらない、そこには「バカの 壁」がある。人間は知りたくないことには耳を閉ざし、思考停止に陥ってしまう。日常でもしばしば経験するその壁は、そのまま戦争やテロや人種差別や民族・ 宗教間の紛争につながっているというのです。規模の差こそあれ、本質は全く同じだと。門外漢がぶつ議論なら聞き流すところなのに、生物/解剖/脳方面研究 の権威とあって、思わず手にとってしまうところがミソ。タイトルのつけ方も絶妙ですね。マーケティングがお上手。

 こういう考え方を知ることで、対人関係の悩みから解放されて人生が楽になる人もいることでしょう。その効用は認めるけれど、個人的には100%は同意で きないなあ。確かに頑固で、自分の考えに凝り固まってる人はいます。僕も結構苦労させられたクチだしね。でも、後天的に学習することによって「バカの壁」 を崩すことは可能なのではないか? はっきりとは分からないけれど、その希望を捨ててしまうと教育とか対話とかの意味がほとんど失われてしまう。僕はそっ ちのデメリットの方が大きいんじゃないか、と思う程度にはオプティミストです。つい最近そうなったばかりという説もありますが。この本を読んで「なーん だ、あいつには『バカの壁』があるんだからどうせ話しても無駄だな」と思って思考停止に陥るなら、まさにそこに「バカの壁」が出現しちゃうわけで。ある種 「文明の衝突」論と同類の危うさに溢れた本だとも言えそうです。

 そんなことより残念だったのは、著者が前書きで暴露しているように、これが対談のテープ起こし本であるということ。養老氏もあまりロジック構成を考えず にべらべら思いつきをしゃべってるものだから、これを「本」と思って読書すると非常に残念な気持ちになります。確かに一見話題がつながりながら流れていく ように読めるし、生物学や心理学の小難しい本を読んだことのない人にも読みやすいのかもしれませんが、一段ずつ階段を上りながらきちんと考証していく知的 興奮には欠ける。新書には新書の文字数があるのに、それを有効に用いて論理的に説き伏せるという醍醐味は最初から捨ててある。潔いといえばそれまでです が、個人的には680円出して読むべき本かどうかは大いに怪しい。まあ話題の本として、職場の話題用にざっと目を通す分には悪くないと思いますよ〜。

***

 自分自身を許し、何も憎まず、あきらめずに続けていくこと。
 いい言葉だね。そんな生き方を忘れないようにしたい。


15 Jun 2003
Sunday

「"なる" vs "する"」

 今日は採用試験の会場監督のお手伝いで朝8時から青山へ。主に学生を中心とした受験者の部屋で、朝から夕方まで長丁場の戦いに同席する。マークシート、 記述式、論文。さまざまな分野からの出題で、受験者の知識と思考力が試される。必死に解答用紙と格闘する彼らを眺めながら、その背後に費やされた勉強時間 を思う。夜遅くまで問題集を解いたり、朝早くから時事用語を覚えたり、皆それなりに努力してきたことだろう。でもその努力を泣いて訴えてもダメ、すべては 解答用紙の上に表現されたもので評価される。紙切れたった一枚で。

 もうちょっと突っ込んで言えば、運良く試験に合格したからといって、自動的に「なれる」ものではない。確かにその資格を得て働くことはできるのだけれ ど、真に満足できる仕事をするためには自ら能動的に「する」ことが必要だと思う。自分自身、日々反省しなくてはならないところだ。

***

 家族だって「なる」ものじゃなくて「する」ものだと思う。

 これは英国斜陽系の映画を見る度に強く感じることなのだけれど、ケン・ローチ監督の「SWEET SIXTEEN」は特に情け容赦なかった。先日ビデオで観た「リトル・ダンサー」のほのぼのした温かいエンディングとは完全に対極の痛さだ。

 スコットランドの小さな町、壊れた家族。失業とドラッグとネグレクトと共依存症の袋小路。そんな生活から必死に抜け出そうと、母と姉と自分の「あるべき 家族の姿」の構築を何より夢見る15歳のリアム。でも彼が頑張れば頑張るほど事態は空回りし、悲惨で辛い結果に突き進む。グラスゴー近郊のロケ地、雄大な 川の流れと豊かな自然が強い印象を残す映像だ。出演者のしゃべる言葉は強烈なスコットランド訛りで、ほとんど聞き取れないくらい。4文字言葉連発の「汚 い」脚本だが、これらが映画にリアリティを与えている。大抵はシュガーコーティングして夢や希望を感じさせてくれるべきところ、ケン・ローチ監督は妥協な き厳しさをもって描写する。放っていても「なら」ないから、リアムは一生懸命家族を「しよう」としたのに、ちっとも SWEET じゃない、どこまでも BITTER なエンディングが胸に突き刺さる。

 この映画を観ても何も感じない人もいるかもしれない。多分それはとても幸せな人だ。幸せな家庭に生まれて幸せな家庭を再生産している人だ。そういう人が たくさん増えることは、それはそれで好ましいことなのだけれど、リアムの家族のどこかに引っかかるものを感じる人も、おそらくかなりの数でいるだろう。砂 糖でくるまなかったことには意味がある。だが本当に救いのない映画だろうか。僕はそうは思わない。リアムが「しよう」として失敗したのは、もともと存在し なかった空想の家族だった。リアムはおそらくもうあの町に戻らない。新しい町でゼロから始めることだろう。16歳の誕生日、そこからリアムの本当の人生が 始まる。落ち込むことなんてないよ。新しい町で出会う新しい相手と2人で最小ユニットの家族を「する」ことから始めよう。痛さを知っていればこそ、優しく なれる。分かち合うことから、すべてが始まる。


14 Jun 2003
Saturday

「ワースト3」

 思い立って Hall & Oates の一風変わった裏ベスト盤を選曲してみました。いくつかのオリジナルアルバムとベスト盤は外すという条件付きで僕が選んでみた曲は次のとおり。

01. I'm Sorry
02. Fall In Philadelphia
03. Waterwheel
04. When The Morning Comes
05. Had I Known You Better Then
06. Las Vegas Turnaround
07. Abandoned Luncheonette
08. You're Much Too Soon
09. Camillia
10. Do What You Want, Be What You Are
11. It's A Laugh
12. I Don't Wanna Lose You
13. August Day
14. Did It In A Munite
15. Some Things Are Better Left Unsaid
16. Downtown Life
17. I'm In Pieces
18. Missed Opportunity
19. You Get What You Give / New Radicals


 初期のフォークっぽい作品はとても良いのです。具体的には01〜08の時代。特に "ABANDONED LUNCHEONETTE" からの04〜07なんて本当に素晴らしい。新作 "DO IT FOR LOVE" は80年代の成功を踏まえた余裕を見せつつも、この時期のフォーク/ソウルっぽさを感じさせるところがあって好き。この頃はジョン・オーツのヴォーカル曲 が割と多く収録されていて、しかもその出来がいちいち良いので気に入っています。

 09は "Sara Smile" のヒットで知られる "DARYL HALL & JOHN OATES" アルバム1曲目のポップな曲、10は "BIGGER THAN BOTH OF US" に収録されていたブルージーなソウルで、ハマると滅茶苦茶ディープ。Led Zeppelin の "Since I've Been Loving You"(「貴方を愛し続けて」)にも通じる何かがあるような。11〜13は個人的に偏愛している "ALONG THE RED LEDGE"(「赤い断層」)アルバムから。11のイントロで聴かれる Charlie DeChant の伸びやかなサックスメロディはとても夏っぽい。時がすべてを笑い話に変えてくれることを信じたくなる曲です。12の「君を失いたくない」はフィリー・ソ ウルっぽさ全開の爽やかな曲で、これも大好き。

 14は "PRIVATE EYES" アルバムからのヒット曲なのだけれど、タイトル曲や "I Can't Go For That" の陰に隠れがち。でもひと目惚れに近い恋愛のドキドキ感を伝える名曲だと思うし、もっとライヴでも歌ってくれるといいのに。15はちょっとダーク&へ ヴィ、テーマも抽象的で重いのだけれど、引っかかる言葉がいくつもあります。この Diary にも何度か引用したことがあったっけ。16〜18は89年の Arista 移籍第一弾 "OOH YEAH!" から。中途半端と思われがちなアルバムですが、個人的には初めてCDで買った作品でもありとにかく聴き込みました。テクノロジーとソウル回帰の融合の試み は、今聴き直すと結構楽しめるように思います。

 最後の19はおまけ。新作で New Radicals (すなわち Gregg Alexander)の "Someday We'll Know" をカヴァーしていた点に敬意を表して、唯一の大ヒット曲を。

♪You've got the music in you
 Don't let go
 You've got the music in you
 One dance left
 This world is gonna pull through
 Don't give up
 You've got a reason to live
 Can't forget
 You only get what you give


 音楽の力を信じて、ポジティヴに生きること。情けは人のためならず、回りまわって自分に返ってくる。素敵なメッセージに溢れた曲なのです。


12 Jun 2003
Thursday

「業務連絡」

 ええと、昨今勝手に話題になってる映画「スローなブギにしてくれ」ですが、タイミングよく関東地区では今夜遅くにTV放映されます。浅野温子の演技とと もに、南佳孝の絶妙のタイトル曲を聴いてやってくださいませ。ていうか自分も観たことないので録画しまっす。

***

 最近見かけた新聞記事などから。

★ 僕なんか毎月自由に使えるお金が限られているものだから、友達との食事やコンサートや映画や本やCDにどう配分していくかで頭を悩ませるわけだけど、世の 中には使い切れないくらいのお金を持っている人もいるわけです。人生の残り時間を考えると、明らかに使いきれないだろうっていうくらいに。そういう人には お金を有効に、何か役に立つことに使っていただきたい。貯めこんだお金に埋もれて死んでもしょうがないでしょう。だから、ソニーの大賀典雄名誉会長が退職 金16億円を全額寄付するというニュースには何だか嬉しくなりました。軽井沢に音楽ホールなど作ってほしいとのこと。海外では資産家など「持てる者」が、 いわば社会的な責任として芸術活動のパトロンになり、この手のホールや美術館を建てるケースが多くあります。その積み重ねが芸術・文化の層の厚さの違いに なって現れるわけなのだけれど、日本にもこうした志を持つ人がいるんだなと思うと、ちょっと心が温かくなりますね。

★ 5月から増税された発泡酒ですが、増税分を価格に転嫁したお店と据え置いたお店とでは、後者の方が売り上げ大だったという結果に。据え置きで単品での利幅 は縮小しても、お弁当など抱合せ販売が増えれば結局ペイするわけで。どっちがいいかってことですね。個人的には最近発泡酒はご無沙汰で、ベルギービールや アイリッシュ・スタウトなどを飲むケースが多いです。いや、ケースで買って飲んでるわけじゃありません(笑)

★ 12日の家庭欄には、子連れ再婚の悩みをネットで共有するという記事が。これからますます離婚は増えるだろうし、再婚もごく普通のこととして受け入れられ ていくでしょう。継子を実子と同じように思えず、厳しく当たってしまって悩む人も多いそうですが、仕方ないものと割り切るべきだといいます。むしろ、ある べき家族という幻想を捨て、それぞれの姿を認め合うこと。ゆっくりと家族になっていければよいのだと。夫婦だけの時間を過ごす、2人だけでデートすること も大切なんだって。

★ NYのブロードウェー演劇のトニー賞は、ミュージカル「ヘアスプレー」が8部門を受賞。米紙ニューヨーカーの劇評は「作品は、ありのままの自分を誇りなさ いと教える…。踊る幸せ、着飾る幸せ、太っている幸せ、黒人である幸せ、ゲイまたはストレートである幸せ。舞台はすべて祝福し、劇場を出れば強く自信がわ いて、何でもできる気分になる」。賞の贈呈式ではビリー・ジョエルがタイムズスクウェアで弾き語りする趣向も用意されたとか。粋だねえ。

★ 「ティーンズメール」欄は相変わらずピーコが冴えてる。「恋愛っていうのは、好きになっちゃったほうが弱いのよ」。「人間同士の間で埋められないものはな いし、彼と同じラインに立つことなんかないじゃん。同じラインに立ったら面白くもないし、同じラインに立てば相手が好きになってくれるかというとそうじゃ ないのよ」。「1、2回失恋を経験したほうがいいと思うよ。すると恋愛についての強弱関係ってものが自分で測れるようになるから」。まさしく御意。す げー。

★ 仙川に「つるかめ」というディスカウント食品スーパーがあって。これがもう激安なのです。首都圏を中心としたチェーンで、店名の異なるものも含めて78店 舗出してるらしい。この「つるかめ」を運営する会社の株式を、なんと英国最大手のスーパー、TESCO が公開買い付けして参加に置くらしいのです。サプライズ! 仙川に大好きな TESCO が出現! といっても当面はつるかめのブランドは残し、役員を送り込んで効率化するという「ウォルマート=西友」関係を狙うらしい。ちょっと楽しみな ニュースです。

★ 「詞を書くのは、人生と向き合うこと。いわば座禅。つらくて、ストレスがたまる。小説では、恥ずかしくて言えないような格好いいセリフを主人公に語らせる ことができる。解放された気分になるんです」。深夜にノートPCで小説を執筆するという、さだまさしさん。

★ 書籍広告から。全米ベストセラー『女の子どうしって、ややこしい!』。
「ある日突然、友だち全員に無視された……」
「口をきかない、噂を流す、じろじろ見る… 女の子の巧妙ないじめ=「裏攻撃」の実態を初めて明らかにし、どう対応すべきかを親身にアドバイスする話題の 本!」
「 ○ 「いい女の子は」怒らない ○ ひとりぼっちが怖い ○ 親友が敵になるとき ○ 「冗談よ」でごまかす ○ 恐怖のつまはじき ○ 親にできること」
「苦しんでいるのは、あなただけじゃない---」

★ 山口瞳さんの本が売れているそうです。オヤジのかっこよさってことなのか。でもいいフレーズをたくさん見つけた。
「愉快に飲むためには、他人に迷惑をかけてはいけない。迷惑をかけないためには、酒を飲んでいるときに、絶対に他人のことに口を出さないことだ」
「人生は短い。あっというまに過ぎていく。しかし、今目の前にいる電車にどうしても乗らなければならないほどには短くない」
「俺はまだ30代を過ぎたばかりだ。だからまだ、だからまだ、何かが…」

★ 車いすマラソンの土田 和歌子さん。交通事故にあって下半身不随になりましたが立ち直り、努力を重ねて世界最高記録を出すまでになったそうです。「「車いす」と宣告されたとき は、さすがに気持ちが沈み込んで泣いたのを覚えています。でも、自分のせい、というのもあると思ったんですね。その場にいたのは自分の責任。人のせいには したくないと」。「どうなっていくのかは分からないですが、この先に見えるものは何だろうって、すごく楽しみです」。記事の中で「澄み渡る笑顔」と表現さ れていますが、こういう人からもらう力ってすごいものがある。自分ももっと頑張らなくちゃ。

★ 最後に、6月10日夕刊で見かけたピーター・バラカン氏の言葉から。彼は日本での生活が30年目に入ったという。その昔、音楽番組「ザ・ポッパーズ MTV」の司会などで僕らの世代には大きな影響を与えた存在だ。日本に来て以来、バラエティ番組を中心としたテレビを通して日本を理解してきたと言いま す。70年代のテレビには名作、傑作が多くて気に入っていたそうですが、「自分がテレビに出始めた80年代に、テレビへの興味が急速に薄れた」とのこと。 笑いの質が意地悪になり、揚げ足を取るような、素直に笑えない番組が増えたからだといいます(同感)。「音楽と同じで、子ども時代や10代に触れた番組が その人の原点になることもある。影響が大きいからこそ、もっと作り手の意図が感じられる番組をめざしてほしい」。そうだね。自分もあまりテレビは見ない。 ラジオを流していることが多いかな。ラジオには言葉や音楽で何かを伝えようとする誠実さがあるし、結果として温かいものが感じられるように思います。バラ カンさんが持っているというNHK-FMとインターFMの番組も聴いてみよう。


9 Jun 2003
Monday

「ファミリー・アフェア」

 今日は僕が尊敬している後輩の話をしようと思っているのだけれど、その前に。

 「うちの奥さんがこう言うんですよ…」
 「わたしの主人は仕事ひとすじでして…」

 僕は以前から、職場や居酒屋で飛び交うこんな呼び方に少しだけ違和感を感じていました。第三者と語るとき、自分の結婚相手のことをどう呼ぶか。「僕の妻 が…」か。「私のダンナさあ…」か。これ結構大切です。結婚していなくたっていい。恋人のことをいったいどう呼ぶべきか。

 違和感を感じていたというのは、「家内」とか「妻」とか「主人」とか「夫」とか「ダンナ」という言葉にある種の社会的な役割の押し付けが透けて見えるか らだと思います。「妻」と言った瞬間に、「妻たるものかくあるべし」みたいな倫理的・道徳的概念に縛られてしまう。およそ夫婦のうち女性の側に押し付けら れている役割というのがあって、それを無意識のうちに刷り込んでいく危険を孕んでいる。「夫」とか「主人」についても同じことです。「主人」なんてすごい 言葉だと思うよ。主従関係かと。Master & Servant かと。そういう概念を消し去ると「配偶者」になっちゃうんだけど、これじゃ味気なすぎるよね。恋人の場合はちょっと難しくて、第三者と語るときに「僕の彼 女が…」なんていうちょっとお間抜けな人称代名詞を使わざるを得ない場合もあるでしょう。それにしても、何かもう少しいい言葉はないものかなぁ。好き合っ た同士が、相手のことを指して呼ぶためのコトバ。社会的役割やなんかにとらわれず、お互いがお互いを愛し、大切に思っていることをうまく表現できるコト バ。

 ちょっと座りが悪いのですが、「パートナー」という言葉は使えそうです。「僕のパートナー」、「私のパートナー」。中立的に「自分の相手」であることを 表現できる。しかも partner という単語の語源は「部分(part)を(共に)とる人」という意味で、「2人でひとつ」を構成している感じが伝わりますね。生活や苦楽を共にする仲間、 連れ合いというイメージが好きな言葉です。僕はちょっとロマンティックが止まらない(C-C-Bかよ)ところがあって、全ての人には世界のどこかに「片割 れ」がいるんじゃないか、その2人が揃って初めて完全な人間になれるんじゃないかと思っているフシがある。その「片割れ」を探す旅が「人生」なんじゃない か。早く見つかる人もいれば、一生見つからない人もいる。見つかったと思って一緒に暮らし始めたら、実は全然違っていたということもあるでしょう。それも 人生、本当の片割れを探してまた歩き出せばいいのです。それはさておき、パートナーというカタカナ語がお気に召さなければ、「相方」と言ってもいいです ね。ある女性がしばしば「相方」という言葉をお使いになるのですが、とても粋でカッコいいなぁと思ってしまいます。僕個人はかつてパートナーがいた頃、第 三者の前では「相棒」とか呼んでました。気の合う相手であることをとてもニュートラル&カジュアルに表現できる言葉として気に入ってたなぁ。ちょっと懐か しい。

 でもでも、パートナーも相方も相棒も超える美しい言葉を使っているのが、僕の尊敬する後輩なのです。彼は自分の結婚相手のことを「家族」と呼ぶ。決して 奥さんとか妻とかパートナーなんて呼ばない。「家族」です。「結婚してから家族とCDのダブりを調べてみました」とか「家族の付き添いでコンサートに行っ てきました」とか。正直に言うと、僕は最初の頃、この「家族」が結婚相手のことだと分からなかった。彼女の両親もメタルのCD持ってたのかなー?なんて大 ボケなことを考えていたりしたものです。しかし、ある日突然文脈からそのことを悟った僕は大きな衝撃を受けました。そうか。この言葉があったか。

 結婚という行為は「夫」や「妻」になるためのものじゃない。仕事を持つ自立した女性を「奥さん」の枠に押し込めるためのものでもなければ、交代で家事を 負担したい男性を「主人」の名のもとに偉そうな地位に押し上げるためのものでもない。好き合った2人が「家族」(そう、最小ユニットの家族だ)になるため の約束、家族を「する」ことによって一緒に幸せになろうという誓いこそが結婚じゃないか。実はこれは僕自身の考え方で、「家族」という言葉のオリジナル ユーザである後輩の正確な意図を確認したわけではありません。しかし彼は言葉に人一倍センシティヴな男なので(その点も尊敬してるのだけれど)、きっと何 らかの確固とした考え方に基づく用法だろうと思うのです。いつか機会があったら直接彼に尋ねてみよう。

 2人の結婚式に呼んでいただいた日のことを昨日のように思い出します。本当に幸せそうだった2人の笑顔が忘れられない。彼らにはいつまでも幸せであって ほしいと心から思うのです。幸せな「家族」であってほしいと…


8 Jun 2003
Sunday

「苦労は抜きにしてくれ」

 最近ちょっと緩めの話題ばかり書いててすみません。でもさ、平日はそれなりに働いてますんで、週末くらいゆっくりしてもいいよね? というか、オフの時 間に読む本や観る映画や聴く音楽や会って話す友人たちから得る知識とココロへの刺激が、オンの時間を何倍も充実させることになるのは皆さんご存知のとお り。だから週末は積極的にモードを切り替えています。

***

 とはいえ安藤忠雄さんのような人から仕事について語られると、もう何も言えない。僕の読んでいる新聞の日曜求人欄には著名人の4週連続インタビュー企画 があるのですが、先週から連載中なのが安藤忠雄さんの「感動のない仕事に成功はない」。日本を代表する建築家ですが、彼の壮絶な努力と勉強ぶりは非常に有 名です。大卒なんて学歴が何の意味も持たないことがよくわかる。強く印象に残った言葉を引用してみましょう。

「中途半端にやってもダメですね。必死に全力疾走で勉強する。吸収できる年齢は35歳くらいまでと考えて自 分を追い込んでいかないと本物の力にならないと思う」
「35歳まで必死に学び、80歳でも若い心を持って仕事を続ける。建築だけでなくあらゆる仕事で、その志を貫いてほしいと思っているのですが。」
「本気で取り組めば、面白いことや感動することが必ず出てくる。大切なのは、進路や自分の将来で迷っても、人に判断を頼らないで、苦しくても自分で考え抜 くこと。人が指し示した方向へ何となく歩いていってもワクワクする日々は訪れないと思う。自由に自分で決める。そして責任も自分で取る。周囲の人間にでき るのは、納得するまでやれと励ますことだけ。自分の限界を見極めて、あきらめるのも自分です。」


 実体験を踏まえた言葉だけに重みがあります。すべての苦労は報われる。こういうのを読むと、明日からまた頑張ろうって気持ちになれるから不思議。

***

 そういえば昨日髪を切りに行ったら、スタッフの女性から「ウォンチューねた面白かったですー」と言われて驚きました。でももっと驚いたのは、あそこで引 用した元ネタ曲「スローなブギにしてくれ (I want you)」(南佳孝)を彼女が知らなかったこと。猛烈なジェネレーション・ギャップに頭を抱えそうになりましたが、シャンプー台で髪を流してもらってる途 中だったので抱えることもできず。彼女は僕より10歳ほど年下なので無理もないのかな。「スローなブギにしてくれ」は1981年の角川映画で、主演の少女 役に浅野温子、その他キャストに古尾谷雅人/浅野裕子/武田かほり/春川ますみ/赤座美代子/浜村純/石橋蓮司/岸辺一徳/原田芳雄/伊丹十三/山崎努ら が名を連ねる。僕は片岡義男の原作が大好きだけれど、81年には角川映画を観に行ける身分じゃなかった。まだ小学5年生かな。

 今聴いても素晴らしく良いこの曲は、松本隆の作詞+後藤次利の編曲という黄金チームに南佳孝が曲を合わせたもの。片岡小説のファンだった南が映画化以前 から独自に用意していたらしい。映画のプロデューサーも南佳孝のデビュー作を聴いて以来ずっと、「スローなブギにしてくれ」の主題歌を歌うのは南しかいな い!と直感して準備を進めていたとのことで、偶然って不思議ですね。インパクトのある歌いだし(「♪ウォンチュ〜」)で30代以上なら知らない人はほとん どいないと思われる名曲、スタッフの子にも誰か歌ってくれるといいんだけど。

♪人生はゲーム 互いの傷を 慰め合えれば 答えはいらない
 Want you
 I want you 俺の肩を抱きしめてくれ 理由なんかないさ おまえが欲しい



7 Jun 2003
Saturday

「ある土曜日の記録」

 朝起きてみたら、10分ほど前にメールが入っていた。すれ違って何だかもったいない気分。週末は自然と早く目が覚めるから本当に不思議だ。それでもカ フェオレを飲みながら新聞に目を通し、洗濯機を回して干したりしていると時間はどんどん過ぎていく。今日は髪を切らなくちゃ。お馴染みの吉祥寺のお店に電 話して、午後2時に予約を入れる。吉祥寺と仙川の直線距離は遠くない。電車は東西方向に走るからアクセスがよくないが、小田急バスに乗れば一本だ。白百合 女子大前、新川団地、井の頭公園のそばを通って、30分もしないうちに吉祥寺に着く。切るだけなら仙川にもお店がいくらでもあるけれど、1ヵ月半ごとに吉 祥寺に出向くこと自体が好きらしい。行った先で店長やスタッフと話す内容も面白い。こういう定期的な刺激は大切にしたいものだ。

 帰り道は井の頭線で明大前まで出て、京王線に乗り換えて下高井戸で下車。週末の映画が自分へのご褒美みたいになってきたが、今日も下高井戸シネマで2本 立てを観る。会員になったので1回1,000円なのだけれど、次回で5回目なので招待券を1枚もらえる。つまり5,000円で6本観られる計算で、単価は 800円そこそこ。今日のように2本立ての回もあるから、1本あたりの単純計算は800円を切るんじゃないのかなー? これくらいならビデオを借りて観るよりずっといいや、というのが今の自分の value for money である。今後は「WATARIDORI」や「CHICAGO」に加えて、「ボウリング・フォー・コロンバイン」や「おばあちゃんの家」の上映も決まってい るようだ。2本の感想は別途書くとして、観終わって仙川に向かう電車に乗るとすぐに窓ガラスを激しい雨が叩き始めた。あちゃー。洗濯物をベランダに干しっ ぱなしにしてきたよ。今日は10%の雨予報じゃなかったっけ? だが10%でも降る時は降る。90%でも降らない時は降らない。

 仙川駅から走って帰ると、うちの周りはそれほど降られておらず、風も弱かったので差し込む雨のダメージもほとんどなくてよかった。食事後、お風呂にお湯 をためて半身浴。最近覚えたのだけれど、肩より下くらいまでお湯(それほど熱くなくていい)に使ってそのまま15分くらい待つ。お風呂ラジオでAFNを流 し、新聞とか濡れてもいい本などを持ち込んで読んでいるうちに、不思議なくらい汗が流れ始める。確かに身体の中は血が巡っているのだから、胸から下だけ暖 めてもその血が上半身まで回るうちに身体全体が熱くなるわけだ。のぼせにくいし、本当に面白いくらい発汗してすっきりするのでオススメ。ついでにちょっと お風呂場の掃除をして、湯上りに BRITA で作った冷たいお水を飲み、頂きものの Marillion のアルバムをかけながらこの Diary を打っている。時間はただ静かに流れていく。

***

「ゴスフォード・ パーク」(5/31@下高井戸シネマ)
【粗すぎるあらすじ】
 猛烈に要約してしまえば、「8人の女たち」+「名探偵ホームズ/ポワロ」(海外探偵ドラマ)+「家政婦は見た!」の1930年代英国貴族ヴァージョン。 ただし謎解きはポワロほどじゃないし市原悦子も出てこない。8人の女どころか「階上の男女13人+階下の男女14人」という史上空前のキャスト規模で展開 する重厚なヒューマンドラマ。

【見どころ】
 今年のアカデミー賞で脚本賞を受賞したほか、最優秀作品賞・最優秀監督賞・最優秀助演女優賞・最優秀美術商・最優秀衣装デザイン賞にノミネートされ、 ゴールデン・グローブ賞や英国アカデミー賞など23の映画賞を受賞しただけあって、見どころがいっぱい。
 舞台の「ゴスフォード・パーク」は英国のいわゆるカントリー・ハウス、やや田舎の方にある立派なお屋敷の名前。キジ撃ちのために続々集まった貴族たちの なんと卑しいことか。見かけはゴージャスだし会話もスノッブだけれど、中身は卑しさ全開。しかも身の周りのことひとつできず、すべてを従者やメイドたちに 任せている。それぞれ屋敷の階上と階下に分かれて時が流れる、完全な「身分格差」劇になっている点がまずひとつ。
 そして階上の人々と階下の人々の内部にそれぞれ複雑な人間関係(不倫や反目や…)があり、その内容は階上と階下を往復する従者やメイドたちのゴシップ話 や断片的な情報によって知らされるという独特の設定。さらにすべての登場人物に表と裏の顔、よそ行きと本性の顔があって、そこがどうしようもなく「英国 的」であること。
 結論から言えば、英国(の階級社会)に興味のある人は観てまず損はしない映画。というより、猛烈によく出来ている。ロバート・アルトマン監督の技量なの かどうか、他の作品を観ていないようなのでよく分からないが、普通これだけ大量の登場人物がいれば、脚本が破綻して話の筋を追いかけるだけで泣きそうな作 品になってもおかしくない。だがこの作品では脚本の見事さこそが光る。前半部分で階上の人々と階下の人々の設定を描き込んだ後、屋敷の中で殺人事件が起 こって犯人探しの探偵劇へと突入するが、前半も後半も長すぎなくていいバランスだ。ある程度作り込んだ上で、現場では自由に演技させているフシがあり、俳 優同士のわざとらしくない自然なぶつかり合いも見られる。
 殺人犯探しの謎解きについてあまり真面目に期待してはいけない。一応筋は通るが、重要なのは誰が犯人であったかよりも、それを取り巻く人間模様の奥深さ の方だろう。オープニングとエンディングのシーンの対比もシニカルで、最後の最後までいい味を出している。アカデミーにノミネートされた衣装や美術も凝り すぎなくらい凝っていて、英国らしさ満載。海外の映画賞はたくさん獲っても、日本ではウケないタイプだということも良く分かる。だからこそプチ応援したく なる映画。


6 Jun 2003
Friday

「Midnight hour / almost over」

 午前は前年度の業務についての監査を済ませ、お昼は職場の食堂で豚しゃぶサラダ定食を食べ、午後は業務委託の仕様書を書いたり直されたりして、今日も仕 事が終わる。夜は係長と隣の席の主任の子+別の係の子とで、新宿LUMINE1の7階にてベトナム料理を食べつつあれこれ語る。

 係長は夜の席では仕事の話をできるだけしないように心がける人だが、夏の人事異動が発表されたばかりとあって多少そんな話も出る。春先に直腸ポリープの 手術をして2ヶ月も休んだうちの部長は、やはり交代することになった。実は僕は新しく来る部長の下でちょっとだけ働いたことがある。豪快で、大きな方向性 を指示するセンスのある人だと思うけれど、こういう人に限って実は繊細で緻密な下準備をするのかもしれない。人を見るとき、大抵の場合はごく表面的なもの しか見えない。だが、下にあるものが意図せずして透けて見えてしまうことがある。見なかったふりをして心にしまっておくべきなのだろう、けれど。

***

 泣き言がいつも僕らの胸に響くのは、僕らがみんな泣き虫だから。
 忘れかけていたはずの様々な思いは、ふとしたきっかけで簡単に蘇る。


5 Jun 2003
Thursday

「勇み足サミー?」

 没収された76本のバットは「シロ」だったとのこと。サミー・ソーサ、どうやら本当に間違って持ち込んだバットだったようですね。昨日疑惑の目を向けた のはちょっと早すぎたか。でも「ファンサービスのため」とはいえコルク入りバットを振っていたのは事実。彼もまた僕らと同じ人間で、滑稽で、ちょっぴり哀 しい生きものだった。Windy City 郊外の読者さんから届いたメールによると、米国じゃ早速 David Letterman のトークショーで「コルク入りバットの言い訳トップ10リスト」がネタにされてるみたい。(情報ありがとです!)

***

 新聞広告で「コツコツ働いても年収300万 好きな事だけして年収1000万 -シリコンバレーで学んだプロの仕事 術-」というひどく座りの悪いタイトルの本を見つけました。著者のキャメル・ヤマモトさんなる人によれば、好きな事だけして「稼ぐ人」はこ んな人らしいです。

 ● 常に最悪を考え、「十の最大脅威リスト」をつくる
 ● 大切な商談は、エレベーターの中でする
 ● アイデアは絵に描いて考える
 ● 準備に時間ばかりかけず、即興で動ける
 ● あきらめかけたとき、成功の最も近くにいることを知っている
 ● レシピより先に、試作品を作る
 ● 今やっていることの中からやりたいことを見つける


 「努力が報われない人へ62のヒント!」とあります。年収1000万稼ぐのはこの際どうでもいいとして、自分の仕事に満足できるかどうかは結構重要なこ とだと思う。Diary にはあまり頻繁に仕事の話題を書かないようにしていますが、それなりに考えることは多いです。1日の半分近い時間を職場で過ごしている訳ですし、できれば 何らかの満足を得たいという気持ちはあります。

 一度転職して今の仕事に就いていますが、転職前の仕事が全く無駄だったとは思いません。むしろ満足度の高い職場だったと言っていいでしょう。文章を読ん だり書いたりすることは小さいときからずっと好きだったし、英語を用いたコミュニケーションにも強く興味があった。これが「誰かに自分の気持ちを伝えた い、分かち合いたい」という欲求に基づくものだと感じ始めたのはもっと後のことですが、それはどうやら僕だけでなく、多くの人に普遍的な感情であったらし い。試験勉強をしていた大学の図書館で息抜きにPCをいじっていて、他の大学と結ばれた JUNET などのネットワーク上で電子掲示板遊びをしていてそのことを痛感しました。この時間と空間を超えた「ネット」は間違いなくコミュニケーションの在り方を変 える!と。インターネットが普及するずっと前、1992年頃のお話です。人は平原でのろしを上げて遠くの人に何かを知らせようとした太古の昔からずっと、 誰かに何かを伝えようとしてきた。人間が独りで生まれ独りで死んでいくという決定的な孤独を抱えている以上、この欲求が無くなることは未来永劫あるまい。 そこまで考えたかどうかはともかく、僕は何らかの形で人と人とのコミュニケーションを媒介する仕事をしたいと考えるようになっていました。

 方向性はいくつもありましたが、就職活動中のひょんな流れから(運命的な出会いなんて大抵そんなものですね)、ある国際通信会社の面接を受けることにな りました。リクルーターたちの人間性に惚れ込み、もうひとつの選択肢を最終結果前に放棄してその会社への入社を決めました。何人もの素晴らしい同期や先輩 に出会えたことにも、通信の基礎概念を学べたことにも、ロンドンで1年生活させてもらったことにも感謝しています。飛び込み営業で端から相手にしてもらえ なかったり、僕の失敗でお客さんからこっぴどく叱られたりしたのも今となってはいい思い出。

 ただ、その会社は僕が勤めていた7年間にどんどん変容してしまいました。結論から言えば、入社当時に感じられた気概を失ってしまった。それは時代の要請 として如何ともし難いものだったし、僕ひとりではどうすることもできない大きな流れだったとも思います。このまま会社と一緒に走り続けるべきかどうかを迷 い始めた矢先に、これもまったく偶然に案内を見かけて願書を出した某採用試験に合格してしまいました。筆記試験と2度の面接試験を経て選抜されていくうち に自分の中で志望動機がどんどん強くなり、最後の方では「これは天職だ」と実感できていました。結果として今は、最初の就職の時に放棄した選択肢に近い仕 事に収まる形で日々働いています。この4月でちょうど丸3年。

 「この仕事を」という形で採用されたわけではないので、異動に伴って様々な業務に関わることになります。職場が扱っている仕事は膨大で、今携わっている 観光産業振興なんてのも氷山の一角に過ぎません。教育・文化、暮らしと住まい、福祉・人権、健康・医療、雇用・労働、まちづくり、環境、経済・産業、ライ フライン、安全・防災…。どれも自分の住むこの街にとって重要な仕事ばかり、それぞれの持ち場でベストを尽くしていきたい。企業に7年間勤務した経験も無 駄にはなっていません。今の職場には非効率なところもたくさんありますが、多少なりとも外を見てきた目で、言うべきことはきちんと言うのが僕の仕事なのだ ろうと思っています。それでも時には落ち込まずにはいられないほど無力感を感じることもある。でも、同僚や上司の中に本当に立派な、人間として尊敬できる 人がいることに僕は大きく勇気付けられる。数は多くありませんが、こんな人たちとなら一緒に頑張りたい、と思わせてくれる方と話している時ほど力をもらえ る瞬間はありません。自分も努力して、少しでも彼らに近づきたい。そんな気持ちにさせてくれるのは「組織」で働くメリットのひとつだと思っています。


4 Jun 2003
Wednesday

「Say it ain't so, Sammy!」

 大リーグは上を下への大騒ぎ。というのもサミー・ソーサのバットから使用禁止のコルクが見つかって退場処分になったというのだから。彼は「練習用のバッ トだった。間違って使ってしまったんだ」と弁解しているが、多くの子供たちの夢が失われたことは想像に難くない。アメリカのプロ野球選手は僕らの想像以上 に尊敬を集めるリアルな英雄だ。たいていの子供たちはレギュラーシーズンになると父親に野球場に連れて行ってもらい、力いっぱい "Take Me Out to The Ball Game" を歌う。そんな思い出があればこそ、尊敬する野球選手の八百長を知ったときのショックは大きいことだろう。ソーサが積み上げた500本のホームランの価値 を疑う声が上がっても、もはやどうすることもできない。

 タイトルのフレーズは正確には "Say it ain't so, Joe." というもの。映画「フィールド・オブ・ドリームス」の題材にもなったシューレス・ジョーという選手のワールドシリーズ八百長疑惑に際し、ある少年ファンが シカゴの裁判所(またしても Windy City!)から出てきたジョーの袖を引っ張って言った「ねえ、嘘だと言ってよ、ジョー」という有名なフレーズだ。こんな逸話が脳裏に刻み込まれているか らこそ、僕は Weezer が "Say It Ain't So" と歌ったり、Hall & Oates や Bon Jovi が "Say It Isn't So" なんて歌を作る度に、野球場やグラブや父親とのあまり楽しくなかったキャッチボールなど、余計なヴィジョンに悩まされる。アーティストや楽曲には何の罪も ないのにね。

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 スポーツの話題といえば、プロレスラーの「銀髪鬼」フレッド・ブラッシーが亡くなったのも残念なニュースだった。力道山らと死闘を繰り広げ、噛みつき攻 撃で相手の顔面を血に染めたという彼の試合を直接見たことはもちろんない。それでも昭和プロレスのファンとして、また一歩あの時代が遠のいたことを実感す る名前だ。

 僕らは生まれる瞬間も死ぬ瞬間も自ら選ぶことができない。ただ与えられた期間を日々生きるだけ。生き抜くだけ。だから生きる元気をくれる本や映画や音楽 や友人は、大切にした方がいい。今日は楽しみにしていた本が Amazon.co.jp から届いていた。ビルボード誌のロックチャートのヒット状況をアーティスト毎にまとめたもので、例えばポップチャートではソロの全米#1ヒットがないス ティングが、Mainstream Rock Tracks チャートでは "If You Love Somebody Set Them Free""Fortress Around Your Heart""All This Time" と3曲も1位を獲得していることがすぐに分かったりする(しかも意外にも最大のヒットは7週1位の "All This Time")。 まだ聴いたことのないアーティストの聴いたことのない曲がたくさん載っていて、これからの素敵な出会いが楽しみ。音楽との出会いばかりじゃなくて、サント ラからのヒットなら遡ってその映画とも出会うし、映画の原作本とも出会うことになる。その曲やアーティストや映画や本が好きな人たちとも出会って、さらに たくさんの音楽や本や映画を紹介してもらうことになる。そうして巡りめぐる大きなサイクルの一部に僕もなれるかな? 楽しみな気分のまま、今夜はもう眠ります。


2 Jun 2003
Monday

「Just Another Weekday in Tokyo」

 だから最初に言い訳しちゃうと、2人の仲を長続きさせる秘訣は嫌いな点が共通していることなんかじゃなくて、お互いを(それぞれ究極的には理解しあえな い存在として)できるだけ尊重することだし、ついでに言えば、僕はごく普通のサラリーマンの稼ぎしかないので、べらぼうに金遣いが荒かったりすることはあ りませんが、むやみにセコい買い物ばかりしているわけでもありません。確かに100円ショップは好きですし、仙川には品揃えの傾向が異なる大きめの100 円ショップが3店舗もあることは相当程度に時間をつぶしてくれるのだけれど、安ければ安いほどいいとも思わない。つまり支払うお金に対して、それだけの価 値あるものを提供してくれるかどうかが重要なのであって、例えば7,000円も払って観るの?と思うようなコンサートでも、実際に7,000円に見合う感 動なり喜びなりを提供してくれるのであれば、ちっとも惜しくない。こういう考え方を value for money というようですが、僕の考えるシンプルライフは、まさにこの value for money に立脚するものです。つまり物理的な価格の数字よりは、それに見合っているかどうかの方がずっと重要。もっと重要なのは、見極める「自信」なのかもしれま せんけれど。

 以上、3人くらいへのレスを一気にまとめたので論点がごちゃ混ぜですみません…

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「TWO WEEKS NOTICE」(2002年米)
 ええと、ラブコメです。

 …で終わっちゃいけませんね(笑)。いや、たまにはこういう力を抜けるラヴコメディも観たくなるときがあるというもの。映画ファンサービスデイ、本当は 「WATARIDORI」を観ようと思っていたのですが、午前中に下高井戸シネマに「ゴスフォード・パーク」(感想は後日)を観に行ってみたら、 「WATARIDORI」が来月ごろ上映されることが分かって一安心。ついでに「CHICAGO」も8月に上映されることが決定していました。これであと 2回くらい観られそう。

 さて、この週末のコンセプトを「英国」に決めたからにはどうしてもヒュー・グラントが必要だった。情けない駄目男をやらせたら天下一品の彼、相手役はサ ンドラ・ブロックということで、なかなか新鮮な組み合わせ。億万長者で軽薄な甘えん坊のヒューと、生真面目な社会派弁護士のサンドラがひょんなことから絡 まるストーリィ。ヒュー・グラントの下で働くことになったサンドラは、どうにも耐えられなくなって「2週間前の告知」権を用いて辞表を叩きつけるわけです が、後任に若い美人弁護士がやってきて心がざわつき…というもの。

 ヒュー・グラントはインタビューで言っています。「女性は、こういう駄目男が嫌いだと言いつつ、実は好きだったりするんだよね」。母性本能をくすぐる演 技が得意な彼ならでは。94年の「フォー・ウェディングス・アンド・ア・フューネラル」以降、優柔不断だったり気が弱かったり女たらしだったり、要するに 駄目男を演じ続けている彼ですが、「昔はミスター・ナイスガイみたいな役ばかりだった。でも駄目男のほうが絶対面白いよ」とのこと。

 サンドラ・ブロックについては、今回製作者も兼ねているのですが、コメディエンヌへの挑戦ぶりが見事でした。まあ、ハーバード大卒の社会派弁護士という 役柄ではありますが、公共施設の取り壊しに抗議行動を起こしたり、ダサい服装で走り回ったり、大いびきをかいて寝たり、高速の渋滞中に便意を催して苦しん だり、およそ彼女のイメージとは異なるスタイルを演じています。失敗とは思いませんでしたが、役柄としては「ダーマ&グレッグ」の ダーマの思いっきり高学歴バージョンみたいな感じ(両親も同様)なので、ジェナ・エルフマンのぶっ飛び具合と比べると物足りないのも事実。ただし、サンド ラがプロデュースまでしてこういうコメディに力を入れていることには注目しておいて良いと思います。

 さて、他の見どころもチェックしておきましょうか。
 まずはシェイ・スタジアムにニューヨーク・メッツの試合を観に行くシーン。バッターボックスに立っているサンフランシスコ・ジャイアンツの背番号5番、 あの赤いリストバンドは… そう、新庄剛司! ほんの一瞬で、台詞もないのでエンドロールにもクレジットされませんが、独特の構えからヒットを打ったように見えました。ちなみにメッツのキャッチャーは ピアッツァで、彼は打球を追ってサンドラの席に倒れこんでくる演技をしているのでエンドロールに「Himself」とクレジットされています。

 もうひとつは、ヒュー・グラントが開くパーティでピアノを弾いている女性です。これはもう、声だけですぐに分かってしまうのですが、Norah Jones。"The Nearness of You" をしっとりと弾き語りますが、可愛い表情が画面にアップになるシーンはファンなら必見。米国では昨年の12月公開で、まだアルバムがグラミー効果で1位に なる前のことですが、この映画での露出も多少はポピュラリティに影響したかもしれませんね。

 そして最後の見どころ、それはマンハッタンを縦横に走り回って撮影されたロケ、ニューヨークの街の表情そのものでしょう。ヘリコプターでマンハッタン上 空を飛び、高層ビルを指差しながらその歴史を語るヒュー・グラントもいいけれど、個人的には街の中のデリでお惣菜を買うサンドラの姿に惹かれたりも。そう そう、サンドラはやけ食いキャラでもあって、大量のチャイニーズを出前で取ってはバクバク食べまくるのです。それはもう豪快な食いっぷりで、観ているこっ ちがお腹いっぱいになるくらい。もちろん最後はハッピーエンディング、いろんな意味で「ごちそうさま」な映画でした。


1 Jun 2003
Sunday

「Weekend in England」

 いや、別に週末にヴァージン・アトランティック航空でちょっとロンドンに行ってとんぼ返りしてきたよって日記じゃなくて。かといって1977年全米10 位のバリー・マニロウの "Weekend in New England" につなげるわけでもなく。

 土曜日は台風で朝から雨降りだった。たまっていた新聞のバックナンバーにざっと目を通して必要に応じて切り抜き、適当なご飯を作ってしまうともうするこ とがなくなる。その時点で決定。翌日曜日は月の1日で多くの映画館は映画ファンサービスデイ(1,000円)でもあるし、今週末は映画でも観ようと。それ も雨天曇天に相応しく、英国絡みで固めようと。

★「リトル・ダンサー」(スティーヴン・ダルドリー監督、2000年英)
 やられました。個人的殿堂入り映画がまたひとつ決定。大好きな "英国斜陽系"。「ブラス!」「フル・モンティ」他、僕にとってはハズレのないジャンルだ。並べた2つから想像がつくとおり、舞台はサッチャー政権下の 1984年、イングランド北東部の炭鉱の町。炭鉱はストライキ中、11歳の主人公ビリーの父と兄もスト中で生活が苦しい。母は昨年亡くなったし、おばあ ちゃんは軽い痴呆が始まっている。

 こんな背景がほぼ一瞬にして理解された後は、ストーリィは一直線。ボクシングを習っていたビリーが、隣でやっていたバレエのレッスンに惹かれて飛び入り 参加、才能を見抜いた先生が熱心に指導すると、鬱々とした日々の中で踊る解放感を覚えたビリーはどんどんバレエにのめりこんでいく。それを見つけた父親 は、バレエなんて男のするもんじゃない、生活が苦しいってのに何やってるんだ!と激怒。理解されない悔しさをダンスに込めて一人激しくステップを踏むビ リーに先生が手を差し伸べ、ロイヤル・バレエ・スクールのオーディションを目指して個人レッスンが始まる…

 この後もすんなりとは行かず何度も激しい衝突が繰り返されるが、その背後でひりひりするような絵で撮られた炭鉱ストとその取り締まりの様子や、壊れた家 族が過ごすうら寂しいクリスマスの情景なども印象的だ。してみると、確かにジェイミー・ベルを始めとする俳優陣の演技も然ることながら、この映画のもうひ とつの主人公はさびれた Durham の町の風景そのものかもしれない。同じ色形の小さなレンガ造りの家が密集する住宅街、そこに漂う何ともいえない倦怠感や敗北感がどんより描かれているから こそ、出口を求めるビリーのダンスが映える。実際、The Jam の "Town Called Malice" (悪意という名の町)に合わせて激しくタップダンスしながら町の端から端まで駆けて行くシークエンスは、ダンスの強烈さと町並みの停滞感と楽曲のメッセー ジが完全に一体になった素晴らしい映像だと思う。

 泣かせる父親の演技と、ほろりとさせる終盤の展開は「ブラス!」や「フル・モンティ」でお馴染みのもの。でも大人たちの視点から描かれたそれらとは異 なって、「リトル・ダンサー」では成長に伴う様々な葛藤や疑問が子供の目を通して語られる。父子家庭、失職・貧困、老親介護、ドメスティック・バイオレン ス、同性愛、ジェンダー問題、親離れ子離れ、人生の目的探し… 大きなテーマがさらりといくつも織り込まれ、それらさまざまな障害を乗り越えて成長していくビリー。もちろん感想を尋ねてみたところで、彼はきっと眉間に 軽くしわを寄せ、しばらく考えてからこう言うだけなのだけれど。

"Dunno." (「さあ?」)

 個人的にはオープニングとエンディングで、トランポリンで飛び跳ねて踊りまくるビリーの楽しそうな表情、スローモーションの映像になぜか涙が溜まってし まった。何かに純粋に喜ぶことのできたあの頃を思い出せる自分も、まだまだ捨てたもんじゃない。

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 残りの映画についてはまた今度。


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