Diary -May 2003-


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31 May 2003
Saturday

「好きなこと/いやなこと」

 僕も通勤中に読んでて「これ書こう!」と思っていたら、いつも読みに行ってるサイトに先を越されちゃいました。残念。朝日新聞記事「キムタク10年1位 の秘密」。ご存知女性誌「アンアン」の「好きな男」調査でついに10年連続1位という木村拓哉。彼自身の魅力については僕のテーマじゃないので置いとくと して、興味深かったのは3人の論者が寄せたオピニオン。

「彼と一緒にいると、分かり合えたと感じても、実は何も分かっていなかったと思う瞬間がよくあります。ネコ 的な魅力とでもいうのでしょうか」(フジテレビ制作センター室長 大田 亮氏)

「彼のリアル感は、たとえば『ぶっちゃけ』という言葉にも出ている。彼がほんとうに『ぶっちゃけ』ているの かというと、そんなことはない。けれども、彼はああいう言葉をつかうことによって、人との距離感を縮めるのがうまい」(「GQ JAPAN」編集長他 斎藤 和弘氏)

「私自身、離婚を経験しているから強く思うのですが、長く一緒にいるのにいい相手は、内面的に際だっていい 所のある人より、際だった欠点のない人ではないですか。いい部分にはいずれ慣れるけど、悪い部分はどんどん鼻についてくるから」(漫画家 倉田 真由美氏)

 3人の中では倉田さんのオピニオンが一番面白い。僕の考えによれば、長くお付き合いする相手は好きなことが共通している人より、むしろ嫌いなことが共通 している人の方がいいというものだけれど、通じる部分がなくもない。欠点とは即ち自分から見た相手の「いやなところ」だから。

 つまりね、僕らはしばしば好きな音楽が共通してるとか、好きな映画が共通してるからとかいった理由でお付き合いを始めがちですが、表面的な理由であれば いずれ飽きます。もちろん共通の趣味を通して、互いに深め合っていけるような会話を楽しめる関係であれば悪くない。でも極端な話をすると、例えば彼のタバ コがイヤだなぁとか、百歩譲って喫煙は許せても、吸殻をポイしちゃう習性にはどうしても耐えられないってことがあると思うのです。この手の事柄には「慣れ る」ということがない。一度いやなこととして認識し始めると、彼が吸殻を道端に平気でポイする様子がどんどん鼻についてきます。だから、パートナーにする ならさり気なく空き缶を拾ってゴミ箱に入れちゃうような相手がいい。きっとその方が長続きする。たとえ彼とは音楽の趣味が多少違っていようとも。長い目で 見れば全然どうってことないと思うのだけれど。

 なーんて。僕は勝手なオピニオン・キング。
 フレッシュネスバーガーで好きなのはオニオン・リング。

 これも朝日新聞で見つけたキムタク初フォトエッセイ集「開放区」の広告、同書本文からの引用で締め括りましょう。

「神様からの2番目の奇跡は、いっしょに生きていく人と知り合うタイミング。恋愛だけじゃなくて、自分に とって素敵だなって思う人と出会えた瞬間、きっと、人は『生まれてよかった』って、実感できるんじゃないかな」

 今キムタクがちょっといいこと言った。

***

 昨晩は「産業Night@下北沢Revolver」にたくさんの皆様にご来場いただき、ありがとうございました。個別のお礼はBBSへ、セットリス トは後日 Monthly Texts へ。

 でもって今日の朝刊。案の定出ました、デュラン・デュラン追加公演@日本武道館、7/12土曜日。まったくもって予想通りの展開、叩き文句まで「7/11 公演1時間で完売につき、追加公演決定!」ときたものです。どうせちゃんと日程確保してあったくせに〜。金曜日公演は見送って正解、あとは6/8 の発売日とその前の先行予約にどう対処するか。広告に小さくクレジットされたメンバー名の並び順、「サイモン→ロジャー→アンディ→ジョン→ニック」の意 味合いを考えながらゆっくりコーヒーを淹れる土曜の朝。


29 May 2003
Thursday

「…突然ですが!」

 掲示板で「人生ゲーム ハイ&ロー」が話題になったものだから、いろいろとあの頃のことを思い出してしまった。知らない人のために簡単に説明しよう。これはその昔放送されていた 愛川欽也の司会によるクイズ番組である。だが、単なるクイズものに終わらず、すごろくゲーム風の仕掛けが施してある。視聴者から募集した3家族が競争する のだが、ただの競争ではなく、何と各家族がサラリーマンに扮し、ヒラから出発して「課長」「部長」…と昇進しながら「社長」までの出世を競うゲームなの だった。なんて高度経済成長期的な設定! なんて素敵にモーレツサラリーマン! お父さんは家庭を顧みることなくサービス残業で上司に仕え、付き合いでゴルフに精を出すことが美徳とされた時代を象徴する番組だった。

 そればかりではない。時間の経過とともに単純に前に進む(=出世)ことを目的とし、転職することなど一切想定しないこの番組は、まさに日本の年功序列制 度と終身雇用制度を体現したすごい企画なのだった。何がすごいって、この番組を見ていた日本全国津々浦々の家族たちが、年功序列や終身雇用、さらにはサラ リーマンとしての出世願望をごく当然のことと受け入れて画面に見入っていたのがすごい。ちなみに「人生ゲーム ハイ&ロー」は確か月曜夜7時半とか何とか、夕食時間帯の人気番組だった。ついでに言えば、あの頃はまだ家族が一定程度集まって一緒に食事をするというこ とが、現在よりは違和感なく受け入れられていた時代でもあった。年功序列エトセトラの価値観は2003年現在ほとんど崩壊したか、崩壊しつつあると言って いいだろう。

 さて、「ハイ&ロー」の由来は、確かにゲーム終了時の「社長」と「係長」といった上下関係の冷酷な現実も象徴しているが、端的に言えば番組中のクイズの 回答方法に由来している。「さて答えはこの数字より大きいか、小さいか?」という単純な二択問題により、電化製品や豪華旅行(といっても当時はたかが知れ ていた)が当たる仕組み。ルールが複雑すぎると視聴者離れにつながるが、これは誰にでも分かるシンプルなチョイスで、多くの人を引きつけることに貢献した と思われる。

 しかし何より浅ましかったのは、愛川欽也の顔を描いた「キンキンカード」というアイテムで、他の家族が獲得した商品を横取りできるのだけれど、これはも う人間の欲望丸出しで凄かった。間髪入れず欲しい商品名を「○○ーっ!!」と大声でマイクに叫ぶ家族(唾が飛んできそう)、あれもこれも欲しくてイヤらし い笑みを浮かべながら悩みまくる家族、時には家族内でつかみ合いの喧嘩みたいになりながら他人のものを奪い合うという… お茶の間に日本の中流階級の醜い姿を曝け出す、極めて reality TV な側面も持ち合わせていたのだった。それを見て笑っていた自称中流階級の僕らも、今や不安定な21世紀日本社会の大海原に投げ出され、荒波にもまれながら 日々漂流しているわけですけれど。

***

 タイトルの「…突然ですが!」は、番組中でカードをめくる愛川欽也が、その内容を大仰に読み上げる時の看板フレーズでした。「没収!」ってのもあった なー。また同時期だったか、最初ピンク・レディが司会をやっていた(後に伊東四郎になった?)「ザ・チャンス」というクイズ番組もあって、"Now, get a chance!" という掛け声がCM前に入っていたのを今でも覚えているのだけれど、当時まだ小学生だったこともあり、何て言ってるのかサッパリ分かりませんでした。実は 今でも a chance か the chance か怪しいものだ。似たような例にTVアニメ「ルパン三世」のCMブレイク時に入るカット(ルパンが車に飛び乗るが、つかんだハンドルが外れて車の外に落っ こちる)の際に女性コーラスが歌う "♪Lupin the Third〜" というジングルも分からなかったなあ。「♪ルパンだぞ〜」とか言って誤魔化したりなんかして。有り得ない。

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 昨日「お持ち帰り」しちゃったヱビス<黒>なのですが、率直に言うと少しだけ残念な結果に終わりました。プレミアム・ビールを 標榜するヱビスならやってくれるかも… と期待した自分が甘かった。結論から言えば、国産のスタウトとしては相変わらず「アサヒ黒生」が頭ひとつ抜け出しています。これは本当に大健闘といってい い。ギネスやマーフィーズと比較するのは酷というものですが、これはこれでひとつの完成型と言える傑作でしょう。日本食にも合うギリギリの線を追求しつ つ、スタウト/黒ビールを名乗るだけの誇りを捨て去ってはいない。苦味と深みとアサヒ独特のキレの調和。やや水っぽく、さらりと流れてしまうヱビス <黒>には、それだけの自己主張を感じることができませんでした。でもね、この時期に黒ビールの新作をリリースしたという心意気だけは買いま す。素晴らしい。他のブランドも臆することなく、どんどん新商品を開発してもらいたいと思っています。


28 May 2003
Wednesday

「出会い系」

「今日は家に帰ってからジムで走ってくるからさ。その後待ち合わせでどう?」
「いいよ。でも私と初めて会うのに目印とかなくて大丈夫なの?」
「心配ないって。ひと目で分かるよ。マジで。だってキミ周囲から浮いてそうじゃん」
「ひどーい。でも確かにルックス的にはすぐ分かるかも。私、地黒だし」
「真っ黒?」
「っていうかー」
「こげ茶色?」
「何かひどくない?」
「冗談冗談、じゃあ後でね! 楽しみにしてるよ〜」

 …そんなこんなで待ち合わせの午後11時。

 彼女はちゃんと待っていた。そして明らかに異彩を放つ彼女のルックスは、似たような背格好の子たちに囲まれた中でもはっきりと自己を主張していた。僕は 迷うことなく彼女を「お持ち帰り」した。

***

 ええと、本日発売された期待の新商品、ヱビスビール - ヱビス<黒>を買ってきました。ご覧のとおり、こげ茶色の気品溢れる缶デザイ ン。陳列棚でも異彩を放つそのルックスには、高級感を売りにするヱビスのプライドが秘められているようです。さてお味のほうは… 後日詳しくお知らせする としましょう。


27 May 2003
Tuesday

「後悔するより」

 相変わらずライヴに足を運んでいます。昨晩は渋谷AXで Lisa Loeb のコンサート。行って良かった。素晴らしかった。こんなに好きになるとは思わなかった。

 ライヴは一期一会、多少無理をしてでも見ておくべき、という結論に今ごろ達しました。「見ないで後悔するより、見て文句を言え」とは最近ある方から聴い た名言ですが、コンサートも映画もCDも読書も、「後からでいいや」なんて思っているとその「後から」は永遠にやってきません。いや、実際にはビデオなり 中古CDなり古本なりで後からキャッチアップすることもできるんですけど、それはもう最初に触れることができたあの瞬間とは決定的に違うものに成り下がっ ている。だからこそ安価に入手できるわけで、一見お金的にはお得な感じがしても、感性とかココロへの栄養という意味では完全に大損です。そもそも損得勘定 で語ること自体、語るに落ちる。リアルタイムで接することのメリットを言葉にしようとすること自体に無理がある。

 例えば本当に好きになってしまった人がいるとしましょう。その人への想いをリアルタイムでぶつけるのと、じっと寝かせて10年後に急に思い出したように 告白するのとでは全然違う。これなら分かりやすいですか? 最初にぶつけることができたあの瞬間とは決定的に違うものに成り下がっているわけです。だからみんなリアルタイムで告った方が良いよ! …何だかずいぶん違う例え話をしているような気もしますけど。

***

 下高井戸シネマで観る映画はそもそも周回遅れなので、厳密に言うと「リアルタイム」ではありませんが、相変わらず観たいものがたくさんあります。これか ら観る予定を列挙しておくと、まず今週末の土日どちらかのモーニングショーで「ゴスフォード・パー ク」に行きます。「猟奇的な彼女」も観てもいいんだけど、これはテレビ放映を待ってもいいかな? でもって6月7日・8日の週末どちらか、メイン2本立ての「小さな 中国のお針子」 「バティニョールおじさん」を観に行く予定。6月14日からの週のレイトショーはいよいよケン・ローチ監督の「SWEET SIXTEEN」と、アレハンドロ・ゴンザレス・イニャリトゥ監督の「アモーレス・ぺロ ス」の2本立て。ちょっと体力要りそうですが、個人的には6月半ばの最大のイベントに近い感覚です。とても楽しみ。

***

 もちろん、出会ったその日が「リアルタイム」。中古で拾ったCDも、テレビで深夜に放映されてた映画も、こんなサイトで出会った文章も。きっかけはどう あれ、出会ったということ自体に意味がある。そこから始まるリアルタイムを大切にしたいものです。


25 May 2003
Sunday

「10%の雨予報」

 おかげさまで、ホール&オーツの来日公演にも行くことができました。期待を大きく上回る素晴らしいライヴで、しみじみ感動。洋楽聴き始めの時期、本当に 好きで好きでFMエアチェックしまくって聴いた人たちなので、あの頃の想い出がいっぱい。

♪Starting all over again is gonna be rough, so rough
 But we're gonna make it
 Starting all over as friends is gonna be rough, on us
 But we gotta face it


 80年代前半の大ヒット曲たちも良かったけれど、"CHANGE OF SEASON" に入っていたこの曲をしみじみと聴きました。山あり谷ありだったけど、やっぱり2人でやっていこうというダリルとジョンの静かな決意を感じさせるこのカ ヴァーは、2003年の今でこそ切実に響くようです。

 H&O、といえばH2Oなんですけど(超強引)、「想い出がいっぱい」のカップ リングはやっぱり「10%の雨予報」でした。東京は曇ったり晴れたり、しばらく10%の雨予報モードが続くみたいです。


24 May 2003
Saturday

「ビーナスの乳首」

 週末の朝に早起きするのが好き。もちろん朝寝も好きだけれど、早く起きると週末をたくさん味わえるから。土曜の朝に早く起きてシャワーを浴び、美味しい コーヒーを淹れつつ2日間の計画を立てるのは、何より充実した時間。でも今朝はコーヒーもそこそこに、9時過ぎには家を出てドア・トゥ・ドアで20分の下高井戸シネマに向かう。モーニングショーの「アマデウ ス ディレクターズ・カットを見るために。土曜の朝の電車は空いていて気持ちいいし、それは 朝一番の映画館も同じこと。お客さんには年配のご夫婦が目立った。歳をとっても一番好きな相手同士、手をつないで一緒に映画を観に行けるような夫婦ってい いな。僕はそういう風景を見るのがとても好き。今朝は好きなことばかり起こってる。

 さて、何を隠そうディレクターズ・カット版でないオリジナルを含め、「アマデウス」を観るのは全く初めてのこと。1985年の公開時には全く興味がな かったし、正直に言えば今でもカツラやコスプレで昔のヨーロッパを再現する類の映画は苦手な方だ。モーツァルト自身についても、妹がオペラにハマった時期 に多少教えてもらった程度、あとは学生の時に単位稼ぎで受講した文学部の音楽美学特別講義くらいのものか。その内容にしたってモーツァルトと特に関係が あった訳ではなく、その教授が普段教えている国立音楽大学の学長、海老沢 敏氏が日本を代表するモーツァルト研究家であることを知っていたので、何となく結び付けている程度だ。

 クラシックに関する予備知識がほとんどないままに出かけたこの映画、結論からいうとものすごく楽しめた。もし何らかの事情で僕のように遠ざけていた人が いるとしたら、悪いことは言わないから、騙されたと思って一度観てみてはどうだろう。第57回アカデミー賞8部門受賞、その他各種映画賞を総なめにしたの も当然かと思わせる贅沢な作品だ。もちろんクラシック好き、モーツァルトやその時代の宮廷音楽の背景を知っていればきっとより楽しめる。僕のように「サリ エリって誰? サルトルじゃなくて?」とか言ってる人なんかより。

 ライバルだった宮廷作曲家のサリエリの回想という形で展開されるストーリィは、台詞のひとつひとつが徹底的に練られていて実に素晴らしい脚本だ。あれほ ど苦手だったコスプレ衣装が全く気にならなかったのも特筆に値する。少しでも手抜きがあると全体が駄目になってしまうものだが、ここまで本気でセットや衣 装やカツラ(1,500個以上、経費50万ドル!)を作り込まれると、もはや18世紀ウィーンの街を歩いている自分を疑わなくなっているから驚く。実際に はチェコのプラハでのロケだが、恐ろしく豪華な宮殿の内装や、当時の正確なレプリカを作り上げたという劇場のセットも凄まじい。全編に流れるモーツァルト の音楽も、冒頭の交響曲第25番からラストのレクイエムまで、まさに映画館で大音量で聴いてこその迫力だ。

 ただでさえ長かった本編に、ディレクターズ・カット版で20分を追加してちょうど3時間の長尺になっているが、ひととおり観てみた限り、これ以上カット できる無駄な場面はなかったように思う。180分間、映像と音楽と人物たちに目と耳を奪われっぱなしだった。おそらく多くの人はサリエリに同情するだろ う。彼は凡庸な人間の代表として描かれる。もちろん努力家だし、音楽的にはとても凡人と並べるわけにはいかない。モーツァルトの直筆楽譜を見ただけで音楽 が頭の中で鳴るシーンなど印象的だが、努力だけでは歴史に残る芸術作品を作ることはできない。彼は毎晩神に祈り、純潔を守り、善き行いを続けてきたと独白 するが、残酷にも神は彼ではなくモーツァルトに微笑んだ。わずか6歳のときから神童としてヨーロッパ中を驚愕させてきた彼は、音楽的には紛れもない「天 才」だったが、一方で女好きで下品な言動を繰り返す、よく言えば天真爛漫な、悪く言えば紙一重的な存在として描かれる。サリエリは我慢ならない。神が才能 を与えたのがどうして私でなく、彼だったのかと。嫉妬は、やがて激しい憎悪に変容していく。

 だが僕はモーツァルトにも同じくらい同情する。才能もなければ努力も足りない凡庸な自分だが、それでも彼の苦悩は想像できる。複雑な交響曲やオペラを、 少しずつ譜面に起こしながら苦労して推敲するようなことはなく、あらかじめ頭の中に出来上がっている音楽をすらすらと書き付けたという。それほどまでに 「進みすぎた」人間にとって、この世はおそらく暮らしにくい場所だろう。サリエリでなくともモーツァルトの才能に嫉妬し、足を引っ張る人は山ほどいるに違 いない。それは人間の性であるかもしれず、one of those jealous guys であるところの自分など、そっちの観点から「天才たち」を大いに憐れむのだ。映画中でサリエリがそうしたように、時に嫉妬は人を殺すところまで追い詰める こともある。物理的に殺すのでなくとも、精神的に殺すことだってありうる。

 回顧する老サリエリは精神病院に収容されている。その様子を眺めながら僕はふと思う。こうして隔離され、奇声をあげたり鎖につながれて暴れたりしている 「患者たち」は、ひょっとして精神的に殺された「天才たち」なんじゃないかと。精神病院の中と外を分けるものは、単に自分たちの方が正しいと思う人々の数 の多寡による誤った多数決に過ぎず、時が時なら彼ではなく僕が鎖につながれているんじゃないかと。頭がおかしいとかおかしくないとか、いったい誰がどう やって決める権利があるのかと。

 サリエリはモーツァルトを破滅寸前まで追い込むが、死の淵でレクイエムを書き上げるシーンで奇跡的な和解が訪れる。もちろんそれはモーツァルト側から見 た和解であって、彼がサリエリに感謝を捧げ、赦しを請う場面は、サリエリにしてみればまさしく死刑宣告に等しい。モーツァルトの才能に激しく嫉妬し、さま ざまな策略で彼を陥れたとはいえ、最後の最後までサリエリは彼の才能を尊敬していたし、半ば神に近い形で崇拝し、愛していたのだから。天才と凡庸、人間と 神、芸術と現実生活。さまざまな対立項を絡ませながら、多くのキャラクターを綿密に描きこんで飽きさせない映画だった。

 もちろん小難しい理屈なしでも楽しめる。僕はモーツァルトの妻、コンスタンツェ役のエリザベス・ベリッジの可愛らしさにすっかり魅せられた。胸の大きく 開いた衣装、モーツァルトの才能を信じて支援する様子、仕事の依頼主に対し「今すぐお金を頂戴!」と迫る現実性。地に足の着かない夢見がちな女の子は苦 手、彼女のように現実の生活をシビアに捉えられる子により魅力を感じる。というのは簡単だけれど、結局はあの無邪気な微笑みにやられているだけなのか? 微笑みを抜きにしても、彼女どこから見ても堀ちえみにそっくりすぎないか? なんて茶化す程度には恥じらいも持ち合わせてるつもり。

 モーツァルトを演じたトム・ハルスの破天荒な演技は鮮烈な印象を残す。他の出演者が慇懃無礼なくらい丁寧な英語を話すのに比べ、トムのめちゃくちゃ卑俗 なアメリカ訛りは彼のキャラクターを表現する演出だったんだね。最後に洋楽サイトっぽく落としておくと、映画中何度も繰り返される彼の甲高い笑い、頭に 残って離れないあの高笑いは The Time の Morris Day のパクリだったりなんかして? そして Falco の "Rock Me Amadeus" は最後までかからなかった。当たり前だけどさ。でもってタイトルの「ビーナスの乳首」、これは後に映画「ショコラ」でも引用されてポピュラーになったチョ コレート菓子。「アマデウス」ではサリエリがコンスタンツェに勧め、実に美味しそうに食べるシーンが印象的です。サリエリはどうやらお菓子好きだったよう で、あちこちでお菓子をつまむ場面が出てきます。やっぱりお菓子は幸せの素だよね。なんてオチでいいのかなぁ。

 ずいぶん昔に妹からもらったCDを取り出して聴いてみた。カール・ベーム指揮のウィーン・フィルハーモニー管弦楽団、クラリネット協奏曲 イ短調。映画を観てから聴くと、ひとつひとつの楽器の配置やメロディがこれまでとは全然違って聞こえるから不思議。モーツァルトの頭の中ではこんなにも柔 らかく、優しい響きがいつも頭の中で鳴っていたのだろうか。モーツァルト作品番号(ケッヘル)を確認した。K.622。彼が生涯最後に書いたレクイエムが K.626だから、これはその4つ前の作品ということになる。生前はほとんどその魅力が認められなかった彼の心境、死が間近に迫った中でこれほど優しい協 奏曲を書いた彼の心境を思いながら聴くと、同じ音楽が全然違って聞こえるというのだから、如何に僕が凡庸な存在であるか分かろうというもの。でもさ、何度 も書くけどさ、凡庸な人生/Pop Life こそが本当にファンキーなんだよ。きっとね。


22 May 2003
Thursday

「Eternal Flame」

♪Close your eyes
 Give me your hand, darling
 Do you feel my heart beating
 Do you understand
 Do you feel the same
 Or am I only dreaming
 Is this burning
 An eternal flame


 まさか生で聴くこ とができるとは思っていなかった。
 僕が過ごした時間と同じだけの年月を重ねて、バングルスの4人は、それぞれ素敵な女性になっていた。Debbi、Michael、Vicki、 Susanna、本当に素晴らしい夜をありがとう。


21 May 2003
Wednesday

「Can't Smile Without You」

 川原亜 矢子さんの笑顔が、好きなのです。

 19歳でパリに渡り、努力を重ねてトップモデルの座を勝ち取った彼女の経歴もさることながら、僕は彼女の柔らかい言葉遣いと、優しい笑顔にとても穏やか な気持ちになります。現在32歳の彼女ですが、20代前半までは肩肘張って生きていたのだそうです。さまざまな仕事を経験する中でだんだんと落ち着き、自 信を持てるようになったと。自信という言葉には高慢なイメージもありますが、「自分を信じる」という意味で用いる彼女は「前向きでいい言葉だと思います」 と語るのです。

 愛犬ソレイユと暮らしていることでも知られています。日々のアクシデントや悲しみもソレイユが支えてくれ、生きることの素晴らしさを教えてくれるそうで す。川原さんは前へ前へ新しい道を開拓して広げていきたいと語ります。「そうやって成長していくことができれば、40代になる頃には笑ったときにできるシ ワが素敵に思える、笑顔の絶えない女性になれているかもと思うのです」。笑顔を絶やさない女性を目指す人たちは皆、きっと同じように悔いのない人生を送る ことができることでしょう。
 
 めったに使わぬクレジットカードの利用明細とともに送られてきた、川原さんの優しい笑顔の載ったリーフレットを眺めながら。


20 May 2003
Tuesday

「生存者」

 ちょっと酷な引用だが、敢えて掲示板から引っぱってくると、
>>人肉を食してまでも「生きてこそ」人生に何があるのか・・・。
 というコメントは、大変残念なことだけれど、三重の意味でミスリードされてしまった結果なのではないか。でもそれも当然のことかとも思う。まず第一に、 『生きてこそ』という映画邦題は誤訳も甚だしい。邦題は常に一人歩きしてしまうものだが、原題にはこのような係助詞に相当する強調は一切ない。第二に、約 70日の過酷な体験をわずか2時間に凝縮する映画メディア自体に無理がある。商業ベースでお涙頂戴にならざるを得ないし、アンデス山中に「アヴェ・マリ ア」など流れはしないのだ。そして第三に、この実話の主題は人肉食とは必ずしも関係ない。だがカニバリズムを煽情的に取り上げたマスコミに踊らされた点で は僕も同じだった。少なくとも高校生の時分にこの記録、ピアズ・ポール・リードによる "ALIVE" を読むまでは。

 ウルグアイのラグビー・チームを乗せたチャーター機が、1972年10月13日、厳寒のアンデス山中に墜落した。一面の雪に閉じ込められた状況はまさに 絶望的だったが、10週間後、16人が奇跡の生還を果たす。彼らを生き永らえさせたのは、事故死した仲間たちの死体だった… というノンフィクション・ドキュメントで、事故そのものについては自分も子供の頃から聞いたことがあり、ずっと頭の中に引っかかっていた。まさに冒頭の引 用のような疑問を持ち続けていたのだった。だから、勉強場所として自分の定位置をしっかりキープしていた高校の図書館で、眠気覚ましにぶらぶら書棚を眺め ていて手に取ったこの本からは、電気ショックに近いものを感じた。すぐに貸出し手続きをとって読み耽ったが、まさかその後10回近く繰り返し借りることに なるとは想像もしなかった。出会うべくして出会ったということなのだろう。結局今は新潮文庫版の『生存者 アンデス山 中の70日』(永井淳 訳)という形で手元にある。僕の少ない読書量の中でという前提付きだが、今までのところこれより衝撃を受けたノンフィクションは存在しない。

 この本は、生存者たちに「直接」取材することを許された唯一の記録だ。生存者たちはもとより、その家族や友人たちにも徹底的な取材を行っている。真実 を、ありのままに伝えること。それだけに注力した結果が迫真のドキュメントを生んだ。膨大な情報を丁寧に積み上げて再構築したリードの叙述には、まったく 過不足がない。冒頭2ページのはしがきがすべてを要約し、ヨハネ伝15章13節の引用が無言の力を持って迫る。ウルグアイの歴史から説き起こした第1章 は、たった数ページの中で、この国におけるラグビーの存在と、この事故にラグビー・チームが巻き込まれることになった経緯をきわめて自然な流れの中で説明 する。文庫本のわずか40ページ目、飛行機がアンデスの山肌に激突する時点では、既にページをめくる手を止めることはできなくなっている。

 墜落した機体の中で、大怪我を負うなどしながら奇跡的に助かった者たちが、雪に覆われたアンデス山脈の奥深くで必死に救助を求めて生き延びようとする様 を、リードは淡々と描く。淡々とした筆致が逆に極めてリアルで切実な描写になっており、自分がこのような極限状況に置かれたらいったいどうするかを考えず にいられない。この辺りについてはまさに原文を読んでいただくしかないだろう。人肉食については、ウルグアイ人である彼らが敬虔なカトリック教徒であった ことを念頭に置く必要がある。彼らが感じた宗教的なタブーは、僕らの想像を遥かに超えている。事実、最後までそれを拒んで衰弱死する者もいたのだから。聖 体拝領のアナロジーが受け入れられるかどうかは別として、僕は彼らの多くが「生きる」選択をしたことに、読むたびに震える思いがする。そして万が一自分が 死ぬとしたら、やはり何らかの形で大切な人たちの力になりたいと思うのではないかという気がするのだ。

 人肉食という行為をことさらに取り上げることは必ずしも正しくないように思われる。それは極めて大きなテーマを抱えたこのドキュメントの、ごく小さなエ ピソードに過ぎないのではないか。宗教的な苦悩や信仰心の問題を映画で掘り下げきれなかったのは無理もないが、このドキュメントを読めば多少なりとも捉え 方が変わることだろう。少なくとも僕にとってこの本は、聖書なんかよりずっと切実で、具体的で、圧倒的にリアルに「生きること」について考えさせてくれる 大切な拠りどころだ。読み終える度に訪れる静謐で力強い衝撃と感動は、「こそ」という係助詞が醸し出す道徳的な押し付けがましさや、人肉を食してまでも… といったセンセーショナルな視点とは全く次元の異なるものであるように思われるのだ。


19 May 2003
Monday

「俺の走り」

 前にも書いたことがあるけれど、僕は走るのが好きだ。走っている間だけは日常生活の雑事を忘れて没頭することができる。決して早く走るわけではない。周 りを流れる空気をゆっくりと味わいながら、自分の足で地面を蹴り出す感覚を楽しみながら、新鮮な血液が全身に送り出される感覚を楽しみながら、ゆっくりと 走る。

 かつては会社の寮が市ヶ谷にあったので、夜仕事を終えて寮に帰ってから、着替えて走り始めたものだった。九段下を抜けて千鳥ヶ淵を過ぎると、皇居はすぐ そこだ。皇居の周りをぐるりと走るコースが、僕は気に入っていた。そう思っていたのは僕だけではないらしく、皇居の周りは夜遅くまで多くの人がジョギング していた。それぞれのペースで、静かに走っている。不思議なことに、ほとんどのランナーは反時計回りに皇居を回るのがルールなのだった。確かに時計回りだ と三宅坂の急な上りを走りきらねばならないのだが、僕はときどき普段とは別の夜景を楽しみたくて、あえて逆回りに走ってみたりした。

 皇居の周りを走ることには大きく3つのメリットがある。ひとつは距離が計りやすいこと。皇居外周は約5kmと言われているので、自分の寮から出発して戻 るまででちょうど10km弱になる計算だった。もうひとつは信号がないこと。ぐるりと取り巻く歩道を走っているのだから当然なのだが、有酸素運動にとって 最も重要な一定の心拍数維持が可能なコースは東京には多くない。走っていると必ず信号や横断歩道が出現して中断されてしまうからだ。最後のメリットは、東 京で最も安全なエリアだということ。何しろ数百メートルおきに警官の詰所があり、深夜もずっとパトロールしているから、万が一何かあってもすぐに助けを呼 ぶことができる。

 今はもっぱらジムのトレッドミルで走っている。外を走らなくなってしまった理由も3つある。ひとつはアスファルト上を走ることがもたらす膝や腰へのダ メージ。マシーンで走るときの一瞬沈むような感覚は最初こそ違和感があったが、明らかに膝への負担が少ない。もうひとつは紫外線と汚れた空気。皮膚がんそ の他百害あって一利なしの直射日光を浴びて、ディーゼル車の微粒子物質を吸い込みながら走ろうという気にはなりにくい。ならば夜走ればいいじゃない、とい うかもしれない。それこそ3つめの理由。世田谷の町も夜はかなり暗く、治安も万全とは言いがたい。平たく言えば、今走っていて突然金属バットを持った高校 生6人くらいに囲まれた場合に、戦える自信は正直言ってまったくない。ついこの間まで自分が高校生だったような気がしていたのに、気がついたら30代に突 入し、完全に形勢が逆転してしまったのだった。

***

 できれば外を走りたいのです。実際、マシーンで走っているときも、ちょっとだけ想像力を働かせて左右に流れていく風景を意識してみたりしています。です から安心して外を走れる環境にある人は、ちょっとだけ羨ましい。アラン・シリトーの「長距離走者の孤独」を引き合いに出すまでもなく、走っているとき人は 徹底的に孤独です。他の誰も助けてくれない、自分の心と対話するだけの時間を過ごさねばなりません。だがその孤独は決して寂しいだけのものではない。たと えば自分で自分の行動の責任をとるという、ある種頼もしく力強い孤独でもあるような気がします。多少なりとも走るという行為に思い入れのある人なら、きっ と分かってくれると思うのだけれど。そして分かってくれる人がいればこそ、僕は走り続けることができるのだけれど。


18 May 2003
Sunday

「現実はキビシイ!」

 1日にひとつずつ感想書いてたんじゃちっとも追いつかないですね。最近観た映画の感想をまとめてざっくりと。

「ノストラダムス」(Nostradamus、94年)@テレビ録画
【粗すぎるあらすじ】
 予言者ノストラダムスの伝記映画。ペストが蔓延する中世ヨーロッパで医者として活躍。異端者として迫害されるも、フランス王アンリ2世の死を予言して、 妃カトリーヌ・ド・メディシスに重用される。ヒトラー出現と世界大戦のビジョンに苛まれつつ中途半端に終わる。
【見どころ】
 「大予言」っぽいキワモノ映画を期待すると大外れ、驚異的に正確な時代考証による伝記もの。かといってヒューマンドラマにもなりきれず。最大の見どころ は無駄に豪華すぎるセット/衣装/小道具の割に、中世フランスで英語をしゃべりまくるノストラダムス(チェッキー・カリョ)。「ニキータ」とか「ドーベル マン」とか出てるの? ちょっと観てみたい。

「母の贈りもの」(A Home of Our Own、93年)@テレビ録画
【粗すぎるあらすじ】
 子沢山母さんと子供たちのたくましい生活。みんなで「家」を建てる。善意の人たちが手伝ってくれる。家燃える。また善意の人たちが助けてくれる。家完 成。全く別の説明をすれば、要するにアメリカ版「北の国から」。
【見どころ】
 肝っ玉母さんがキャシー・ベイツ。「ミザリー」「フライド・グリーン・トマト」の大ヒット直後だけに堂々としたものだが、逆に何だか予定調和にも見えて しまう。日本でも人気のあるエドワード・ファーロングくんが長男役でいい演技を見せるが、ちょっと綺麗すぎて、汚れ系ママと調和していないところが見どこ ろか。あとは日系人と思われる優しい隣人ムーンさんが前田吟そっくり。本人だったらこれが最大の見どころ。

「リアリティ・バイツ」(Reality Bites、94年)@nicolaさんからレンタル
【粗すぎるあらすじ】
 大学卒業してテレビ局に就職するも失敗だらけのウィノナ・ライダー。彼女をめぐる年上プロデューサー(ベン・スティラー)と同世代の落ちこぼれ青年 (イーサン・ホーク)の争い。結果? ジェネレーションXの映画でヤッピーが勝つわけないでしょ。
【見どころ】
 確かに「現実は痛い」が今思えば「ジェネレーションX」という言葉自体かなりイタイ。名付け親出て来い。大好きなベン・スティラーの初監督映画、演技も まずまず。「I mean, er, well, I wanted to say, er..」とかごにょごにょ言わせたら天下一品。キャメロン・ディアスにとっての「メリ首」に相当するウィノナ最大の当たり役(万引き以前)で、勉強は出 来るが社会に出るとまるで駄目な空っぽ女を好演。ひょっとして地なんじゃないか? 個人的にはGAP店長になるヴィッキー役のジャニーン・ガラファロの二の腕に惚れた。生活力あるし、パートナーにするなら絶対こっち。あとですね、個人的 な最大の見どころは何とレニー・ゼルウィガーが出演していること! といってもそれに気づいたのはエンドクレジットを観てからで、正直どこに出ていたかも全く覚えてませんでした(10秒くらいの出演で台詞もないらしい)。

僕のスウィング(Swing、 02年)@下高井戸シネマ
【荒すぎるあらすじ】
 夏休み、ストラスブールのおばあちゃんの家に遊びに来た少年マックスと、ロマ/ジプシーのお転婆少女スウィングとのひと夏の淡い恋。2人をつなぐのはジ プシー・ギターの音色。初めてのキス、2人だけの秘密、しかし夏の終わりとともに…
【見どころ】
 「子供もの」+「ひと夏の小さな恋もの」+「音楽もの」+「少数民族もの」。ほぼ想像されるとおりの展開だが、ジャンゴ・ラインハルトという名前やマ ヌーシュ・スウィングという言葉に反応する人なら見て損はないと思う。チャボロ・シュミットやマンディーノ・ラインハルトの演奏は目が覚めるようなみずみ ずしさ。あとは大きな黒い瞳が印象的な少女スウィングに感情移入できるかどうかだろう。「女」になりきる直前の、ある種両性具有的な独特の時期の女の子 (多分この夏を過ぎると「女」になってしまう)だが、ちょっとボーイッシュすぎるかな。マックスが毎日書き続ける日記帳と、文字を使わないロマ民族の文化 のあまりにも悲しいすれ違い。印象的なラストシーンだ。ロマのお婆さんがホロコーストの悲劇的な記憶を語るシークエンスも唐突な感じではなく、民族の歴史 背景をうまく説明させている。

***

 個人的メモ。今日の朝日新聞から。

★実家でやけ酒を飲んでいる僕に、「お世話になっている人のために、選手ではなく、社会人としてまじめにや りなさい」って言ったことがある。(「おやじのせなか」 スキー・ジャンプ選手 原田 雅彦)

★主に欧米のクリスチャンが「君の宗教は何か」と問わずにはいられないのは、キリスト教が歴史的に孕んだ固有の問題性に深く根ざしているというのが本書の 解明である。
 彼等はまず、自らの都合のよいように宗教と宗教ならざるものを区画した。初期における最大のライバル、ギリシア思想を「哲学」として封じてしまったの だ。ギリシア思想の本来の宗教性を無視することで、キリスト教にとって脅威となる牙を抜き去ったのである。(保坂幸博「日本の自然崇拝、西洋のアニミズ ム」に対する宮崎哲弥の書評)



17 May 2003
Saturday

「無償の愛」

 そんなわけで「CHICAGO」のエンディングロールが終わり、僕はようやくシートから立ち上がった。腕につけた TIMEX Ironman をちらりと見やる。5月1日木曜日午後3時半。次の映画は渋谷シネマライズだ。まだまだ時間はたっぷりあるが、僕はさっさと歌舞伎町から渋谷に向かって歩 き出した。

 比喩ではない。文字通り「歩き出した」のであって、僕は新宿駅南口の高島屋方面に向かうと、明治通りを渋谷方面に向かって出発した。新宿-渋谷間なんて ちっとも遠くない。街並みを眺めながら、ちょっとした散歩のつもりで歩くのにちょうどいい距離だ。たったこれだけの区間をわざわざ山手線に乗るなんて犯罪 的だといってもいい。だが時には犯罪者になる快感に捨てがたい魅力があることも否定しない。自分だけのルールをしっかり作って守り、時にそれを粉々にぶち 壊すのはシングルライフの密かな楽しみ。だから僕はときどき150円の大金を支払って山手線に乗り、心の中で小さく舌を出す。

 そんなことを考えているうちに原宿が見えてくる。僕の日常生活にはほとんど縁のない街だ。若い女でごった返す中を縫うように進んでいると、通り沿いに大 きな BOOK OFF が出現した。ひと休みがてら足を踏み入れると、どうやって運び込んだのかと思わせるほど膨大な在庫に圧倒される。目玉の100円コーナーにも読んでみた かったあの本やこの本がずらり。ゆっくり眺めている時間はなかったが、村上春樹はやっぱりあまり置いてないようだった。原宿を代々木体育館方面に抜ける と、NHKホールを経て渋谷はすぐそこだ。パルコの脇の道を入るとスペイン坂の一番上のところに渋谷シネマライズが建っている。ここで2本。1本めの「歓 楽通り」については先日書いたから、今日はもう1本の「少女の髪ど め」の感想などを。

***

 イラン映画、特にマジッド・マジディ監督作品の素晴らしさについては、何度も書いてきたとおりだ。「太陽は、ぼくの瞳」でガツンとやられ、「運動靴と赤 い金魚」でストーリィ運びの妙を見せられて、すっかりファンになってしまった。いずれも素人同然の子供たちが主人公で、彼らの極めて自然な演技ぶりが印象 的な作品だったが、今回の「少女の髪どめ」もその流れを汲んでいる。今作の主人公は多少年齢が高く、思春期の淡い恋を描いた作品とも言 える。とはいえアフガン難民問題を横軸に織り込み、例によってシンプルな映像の中に奥行きを感じさせる物語に仕上げるあたり、やはりさすがだ。その意味 で、日本公開がいささか遅れたのが惜しまれる。これは2001年製作の映画で、たとえばモントリオール国際映画祭でグランプリに輝いているが、それは 9.11テロの直前のことだった。アフガニスタンのタリバン政権による圧政が知られるようになったテロ後の12月には米国でも公開され、批評家たちから絶 賛を受けたという。

 ストーリィはいたってシンプル。公式サイトから引用すると、「主人公は建築現場で働く17歳のイラン人の若者。彼は新たに雇われたアフガンから来た少年 の重大な秘密―実は長い髪の美しい少女だった―を知ったその瞬間から、彼女の秘密を守るためにどんな犠牲をもいとわない守護天使となることを誓う」という もの。自分の仕事を奪われた腹いせに、最初は猛烈ないじめを加えていた若者。この年頃特有のエネルギーのはけ口のなさに起因する荒々しさを感じさせた彼 が、少女の正体を知り、アフガン難民たちの過酷な生活を知るにつれて、180度逆転する。彼女を守ってあげたい、ただそばにいたい。その純粋な気持ちが痛 いほど伝わってくる。自分のことしか考えないエゴイズムの塊だった彼が、初めて他の人の立場でものを考えるようになる。強い人間になる。自己犠牲を惜しま ないようになる。彼女の家族(父親は足を折って動けない)のために、雇い主に泣きついて自分の1年分の給料を前借りして渡そうと試みたり、足を怪我してい る人のために自分の少ない貯金をはたいて松葉杖を作って持っていったり。こうした彼の行動がことごとく裏目に出たりするところが人生の難しさでもある。

 少女を陰からそっと見つめる若者の気持ちは伝わるのか? 実は、映画のラストまで2人は一言も言葉を交わさない。若者は自分の気持ちをどう言葉にしていいのか分からないのだろう。アフガンの少女は気安く男と口を 利いてはいけないとされているのかもしれない。そもそもペルシャ語が理解できないのかもしれない。だが言葉はなくとも彼が捧げる無償の愛を感じることはで きる。最後の一瞬、ほんの一瞬だけ少女は少年の目を見つめて微笑む。その直後、ブルカを下ろして顔と身体の全体を覆い隠し、家族とともにトラックに乗って 若者の前から去っていくのだ。アフガニスタンに帰る彼女は、恐らくは永遠に彼の前から姿を消すのだ。

 降り始めた雨が、地面に残った少女の靴跡に少しずつたまっていく。強烈な印象を残すラストシーンだ。少女の名前はバランといい、この映画の原題にもなっ ているが、これは「雨」という意味だという。雨降って地固まるという諺がイランにもあるかどうかは分からない。だが感覚的には通じるものがあるのではない か。恵みの雨は、未来に向かっての希望のメタファーだろう。若者にとってこれが「恋」だったと認識できるのはずっと後になるかもしれない。だが間違いな く、この経験は彼を大人にした。人はこうして大人になる。貴方も僕もそうだった。そのことをもう忘れてしまったオトナたちこそが観るべき映画。観て優しい 雨で心を洗い流すべき映画。

 貧しいアフガン難民たちが家族同士身を寄せ合い、助け合いながら必死に生きていく姿も印象に残った。核家族化が進み、高い経済水準にある先進国では考え られないあり方だ。家族って何だろう。どうあるべきなんだろう。アフガン難民の町の道端で靴修理をしている老人に、主人公の若者が話しかけるシーンがあ る。「ずっと1人で寂しくないの?」。老人は若者の靴を修理しながら、淡々と答えるのだ。「孤独な男の隣には、神がいる」。

 僕は、ふと隣に目をやった。
 そして、すべてを了解した。


15 May 2003
Thursday

「Cool Struttin'」

 息もつかせぬ徹底したエンターテインメントぶりに、映画が終わったというのに僕はシートの中で固まっていた。スクリーンにはまだまだ膨大な数の裏方の名 前がクレジットされ続けている。この映画「CHICAGO」に 限らず、僕は原則としてエンドロールは最後まで眺める。NGシーン集に笑ったり、思わぬ名前や楽曲クレジットを見つけて驚いたりすることもあるが、大抵は 何も見つけられずに終わる。たとえそうでも、スクリーンに幕が下りて場内に明かりが点くまで、席を立たないのがエチケットだと思っている。どちらかといえ ば、他の客へのエチケットというよりは、その映画製作に関わった大勢のスタッフたちに対するものだ。大道具、小道具、衣装、メーク、ケータリング、スタン ト、エキストラ。その多くはエンドロールでしかその存在を確認できないから。彼らへの感謝の表現として、僕は最後まで席を立たない。

 感謝すべきスタッフのいない駄作のときはどうするかって?
 大丈夫、明かりが点くまで眠りこけてるから、どっちにしろ立たない。

***

 実際、「CHICAGO」には 印象的なシーンが多すぎて、あちこち目移りしてしまう。1回目はレニー・ゼルウィガーとキャサリン・ゼタ=ジョーンズのどちらを見るべきか、虻蜂取らずに 終わってしまったような部分があって後悔した。2回目は割り切ってキャサリンにかなり集中できたし、次に来る台詞も分かっているので、リチャード・ギアや 脇を固める実力派の舞台俳優たちの演技にも目を配ることができたように思う。もしもう1回チャンスがあれば、劇場のもっとも音響の良いポジションに席を 取って、音楽と効果音に浸りたいなあと思ってみたり。

 もっとも印象的なシーンのひとつは、冒頭のヴェルマ・ケリー(キャサリン)の登場シーンだろう。タクシーで劇場に乗りつけ、裏口から楽屋に入るヴェルマ を、カメラは徹底してローアングルで追いかける。タクシーのドアをバタン。「お釣りは取っておいて」。僕のような庶民には絶対に縁がない台詞が夜の Windy City に響く。ひび割れた歩道を、コツコツ音を立てて急ぎ足で歩くヴェルマの脚こそが、この映画最初の見どころだ。さながらソニー・クラークの Cool Struttin' の如し。ワンショットで追いかけるカメラがヴェルマの真後ろに回ると、きびきびとした彼女の歩きは中心線から多少内側に入り込む、実に品のいい脚さばきで あることが分かる。この時点で顔はもちろん、上半身もまったく捉えられていないながらも、この女性が間違いなく映画の「核心」であることが了解される。

 姿勢のいい女性の上品な歩行は、何よりも美しい動作のひとつ。
 この映画の冒頭シーンはそのことを雄弁に物語る。

***

 あとはですね、日本語字幕が御大 戸田奈津子先生だったのですが、やっぱりさすが!と思わせる訳がたくさんありました。これは本当に職人芸。単に英文和訳が得意ならできるという仕事ではあ りません。字幕を出せるスペースは本当に限られていますが、その中に英文ジョークや専門用語もきっちり盛り込んでいくのです。戸田奈津子さんのそれは、何 といっても訳文自体のリズムが良くて。英語のセリフを聞きながら目で追いかけるとちょうど頭に入ってくる、何やら不思議な仕掛けが施されているみたい。 WOWOWなどテレビ放送のいい加減な字幕ではなかなかこうはいきません。

 BGMはもちろん「CHICAGO」サントラ(感謝!)、赤ワインを飲みながら All that jazz♪


14 May 2003
Wednesday

「Don't Say "Monk"!」

 セロニアス・モンクと文句を引っ掛ける駄洒落は、ピアニストの小曽根 真が既にやっていて、モンクの影響を受けて作った曲に上のようなタイトルを付けています。「文句を言うな!」のシャレ。

 小曽根さんは神戸市生まれで、基本的に「ええとこのお坊ちゃん」です。独学でピアノを弾き始めて天才少年と騒がれ、12歳の時にオスカー・ピーターソン を聴いてジャズピアノも始めます。80年には渡米し、ボストンのバークリー音楽院のジャズ作曲・編曲部門を首席で卒業。日本人でもバークリーに通う人はた くさんいますが、ジャズ部門で、しかも首席で卒業となるとたいしたもの。すぐにメジャーデビュー、以後は一貫して陽の当たる道を歩んでいますね。彼のラジ オ番組は、関西弁でのしゃべくりもダサいなりになかなかクセになる魅力があります。ビール会社の提供とあって、CMでしゅわしゅわとビールの泡の音が フィーチャーされると、つい自分も缶を開けたくなってしまう。ぷしゅ。しゅわしゅわしゅわ。

 そんなわけで、小曽根さんのピアノにはオスカー・ピーターソンの影がいつもちらついています。オスカーがまたブルーノート東京に来ますね。前回だったか な、オスカー好きの相手とブルーノートに見に行って、彼の目の前のテーブルをとることができました。タバコ嫌いな彼のために、開演のずっと前から場内は禁 煙。大きな体を揺らして入ってきた彼が、ごつごつした大きな手を鍵盤の上に置くと、それはまるで別の生き物のように軽やかな音を奏で始めます。右手と左手 が転がるように交錯し、玉のようにきらきらした音を生み出して。もう、ほとんどぽかんとして見とれるばかりでした。そろそろ見納めになると思われるので、 ファンの皆さんはしっかり足を運びましょう。

***

 さて、忙しいなりに体調に気をつけるとなると、ある方もおっしゃるように「睡眠」「食事」「運動」を確保することが必要です。特に食事は大切だ。忙しい ときほど、しっかりと栄養を摂るように気をつけたいものです。ちょっと視点が異なりますが、大昔の朝日新聞切り抜きから「長寿12カ条」なんてのを見つけ ました。何とこれ、2000年12月のものだよ。

(1) 食塩を控える。
(2) 動物性脂肪の取りすぎに注意。
(3) 緑黄色野菜や果物をたくさんとる。
(4) 牛乳、ヨーグルトなどの乳製品を積極的にとる。
(5) 魚や肉(内蔵を含む)、大豆から良質のたんぱく質やタウリンをとる。
(6) 食物繊維の豊富な海草を積極的に食べる。
(7) 特定の食材に偏らず、バランスよく食べる。
(8) 食材の栄養、調理法、食べ方を積極的に学ぶ。
(9) 家族や社会のつながりを大切にして、食事は家族や友人と一緒に食べる。
(10) 適度な運動をする。
(11) 小さなことにこだわらず、ものごとを前向きに考えて明るく楽しい生活を送る。
(12) お年寄りを大切にする。


 ふむふむ。
 自分の生活を振り返ってみたり、セルフ・コントロールの行き届いているあの人なら、きっとこれらのことは無意識のうちに実行できてるんだろうな、と想像 してみたり。


13 May 2003
Tuesday

「セロニアス・モンク・ストラップ」

 昨日の写真、 こうして見るといかにもすごい建物みたいでしょ? でも日中の黒田記念館をご存知のお方ならきっとかなり驚いたはず。実はこれ、相当に地味な建築なのです。空から全体的に日光を受けたときには特にどうって ことない造り。しかし敢えて闇の中、日中にはありえない角度から強い光を当ててみる。するとびっくり、建築家自身ですら予想しなかった深い陰影が生まれる のです。浮かび上がる建物の表面が垣間見せる、これまでになかった表情。全く異なる印象を与えずにおきません。

 それがライトアップ、夜間照明の醍醐味。震災後の神戸がルミナリエで大量の観光客を呼び寄せて復興につなげたこと、丸の内の東京ミレナ リオ、京都の大文字送り火の例などを挙げるまでもなく、灯火に引きよせられる蛾の如く、人は夜の光に惹かれる生き物です。 そこにジャズが、たとえばセロニアス・モンクのピアノが流れていれば申し分ない。

***

 今日は靴を買いました。GRENSON はイギリスの会社で、グッドイヤーウェルト製法の丁寧な靴を作っています。やや値は張りますが、それでもエドワード・グリーンなんかよりは手頃な値段。サ イズ8が日本の26cmにあたり、ややきつめに僕の足にフィットします。グッドイヤーウェルトの靴は多少痛いくらいで購入すると、本当に足に馴染むサイズ になっていく。かれこれGRENSONで3足めを購入するリピーターになったのは、履いていることを忘れるくらいに足と一体化する靴をやっと見つけたか ら。他のお洒落はともかく、靴には迷いなく投資します。歩くことは二本足の人間にとってすべての活動の基本。だから歩行を快適にしてくれるアイテムは、他 のすべてを差し置いても手に入れるべきだと思うのです。それが結局充実した仕事や勉強や恋愛につながっていく。英国ノーザンプトンで今日も革をなめす靴職 人たちのクラフトマンシップに感謝しながら、週末は大切に手入れをしよう。

 買ったのは、僕にとって初めてのモンクストラップ。スーツスタイルの場合、革靴はひも靴が原則で、スリップオンは基本的に許されません。僕はバーガン ディのローファーが大好きだけれど、これだって紺のブレザーにグレーのパンツを合わせている時でないと安心して履けやしない。クラシックなスーツに唯一許 されるスリップオン形式のシューズがモンクストラップ。ローファーがアメリカ的な怠惰さを表現した靴だとすれば、モンクストラップにはブリティッシュト ラッドの精神が息づく。実際、イギリス人のビジネスマンもよく履いているしね。…というのだけれど、そんなに理屈をこねなくたっていいじゃない? 自分の足に合ったサイズの靴を、しっかり手入れして磨いて履きさえすればいいんだ。そんなこといちいち僕に指図しないでおくれよ。ファッションルールなん てくそくらえだ!

 なんて、ちょいと「文句ストラップ」。
 椎名林檎みたいだ。


12 May 2003
Monday

「You light up my life.」

 電力危機が噂されています。電力会社の隠蔽体質と、僕らユーザの過剰消費体質の不幸な結婚の産物であるわけですが、全く個人的にちょっと心配しているの は、あの仕事はどうなってしまうのだろう?ということ。冬の間に何度も上野の森に足を運んで、東京国立博物館や清水観音堂に承諾のお願いをしたり、寒空の 下で委託業者と機材を組み立ててテストを行ってきた、「上野地区歴史的建造物のライトアップ」計画は?

 お仕事なんて所詮水もの、でもできることなら注ぎ込んだ時間と労力をいい形で結実させたいものです。上野の森を観光の街に作り変えていく事業の一環とし てのライトアップ、このまま電力危機が本格化すると節電のため中止ということになるかもしれません。幻になるかもしれない試験時の写真を載っけておきま しょう。これは黒田記念館の ライトアップテストです。それぞれ違う色の光を照射しています。

 この建物は日本近代洋画の父、黒田清輝の遺言を受けて昭和3年に竣工したもの。当時を偲ばせる赤レンガ造りで、規模は小さいものの、正面の4本の柱など に凛とした美しさを感じさせます。ところが、なんとこのエリアは夜になると真っ暗になってしまうのです。ホームレスの青テントが立ち並ぶゾーンでもあり、 せっかくの歴史的建造物が観光資源として活かされない。そこで企画されたライトアップ事業というわけです。他にも東京国立博物館も全面的に照らす予定。こ の夏以降電力危機が回避されて、もし実現することになったら、ぜひ皆さんも夜の上野を散歩してみてください。これまでのイメージとは一味違う空間を楽しめ ることと思います。

***

 犯罪の街シカゴ。「CHICAGO」ですっかりそんなイメージを植えつけられた皆さん、映画はさらなるステレオタイプを押し付けてきます。2週間くらい 前だったかな、テレビでやっと「逃亡者」を観ることができました。1993年の大ヒット作ですが、この舞台がやはりシカゴ。妻殺しの罪を着 せられ、ひたすら逃げる医者役のハリソン・フォードと、冷酷に追い詰めるトミー・リー・ジョーンズ。単純にスリリングで、スピーディで、アクションたっぷ りのよく出来た映画です。必死に逃げながらも、自らの濡れ衣を晴らすべく、真犯人を突き止めるハリソン。トミー・リー・ジョーンズもそれを半ば知りつつ泳 がせていたりなんかするわけですが、いい意味で大人の友情みたいなものを感じさせますね。

 個人的には、最初ひげもじゃで誰だか分かんないくらいだったハリソン・フォードが、逃亡中にひげを剃り、服を着替えて、だんだん僕らの知っている「彼ら しい」ルックスに近づいていく逆転の演出が面白かった。逃亡者という役柄上、彼の台詞は多くありませんが、表情と仕草で心情が手に取るように分かり、知ら ず知らずのうちに彼を応援する立場で感情移入している自分に気づきます。このあたり、よく計算された演技だと思います。


11 May 2003
Sunday

「33」

 キリ番ゲットしますた!
 じゃなくて。33歳になりました。うまくいけば一生に8回くらいめぐり合えそうな、ゾロ目の歳です。下手すりゃこれが最後かもしれない。気をつけなく ちゃ。掲示板やメールでたくさんのお方からお祝いの言葉をいただきました。まとめちゃってごめんなさい、でも皆さんどうもありがとう。果たして僕のような 人間がそんなありがたい言葉をいただいていいのかどうかわかりませんが、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。

 どんどん1日が過ぎるのが早くなっていくような気がします。1年もあっという間です。岩月謙司の「女は男のどこを見ているか」については先日感想を書き ましたが、この本の最後に、やや唐突にこんなフレーズが出てきます。「いい人生とは1日が長く感じられること」。人生の宝は、いかにたくさんの思い出を作 ることができたか、ということだというのです。本来、人の人生は、歳をとればとるほど充実した日々になる。1年という時間が歳とともに長く感じるようにな る。そう感じられるかどうかで、いい人生を歩んでいるかどうかが判断できるというのです。充実した日々が増えたかどうか、そして、自分の家で食べる料理が 一番おいしいと感じるかどうかで判断できる、と。

 ここらでちょっとスピードを落として、あたりをゆっくり見回しながら歩いてみたほうが良さそうですね。本当は僕だってもっと温かい何かを探しているので す。

***

 今日は久しぶりに最近の朝日新聞から個人的メモ。

「イチローさんは自分がここまでできる、これはできない、ということをしっかり把握し、できることに集中し ている選手だと思います。自分でコントロールできることと、できないことが分かっている、と言い換えてもいいかもしれません。それを淡々とやり抜いている ところがすごい。プレーヤーには大事なことで、僕が心がけていることでもあるんです」(松井 秀喜)

「自分が持てる力をすべて注ぎ込むこと、それが仕事をするということだと思います。いま、目の前にあるこの 仕事をするために、今日までの自分の経験や努力はあったのだと、精神を絞り込んでいく、尖らせていく」(朝倉 摂)

「最初に触れているのだ。その時は気づかない。二つめあたりにふれたとき、ふれたと感じるが、実はその前 に、与えられているのだ。
 読書とはいつも、そういうものである」(荒川 洋治)


「(田舎には)『隅から隅までその人』みたいな面白い人が居て、東京の人はうすいなあと思う」
「60歳になったとき、『これからは死に向かって転げ落ちるんだ』と気が付きました。残った大仕事は、死ぬことだと思う。死ぬのは大事業よ。生まれるのも 自分の意思じゃなくて、死ぬのも思い通りにいかなくて、真ん中だけ生きろって、へんな気がする」
「いつ死んでもいい。でも、今日じゃなくてもいい」(佐野 洋子)


***

 今日はちょっといい買い物がいくつかできました。まず歯磨き粉の「クリーンデンタルL」。これはある方からお勧めされていたものですが、最初は手にとってしばらく眺めた後、 棚に戻してしまいました。近くのドラッグストアでも100gで1,280円と、決して安い商品ではありません。「騙されたと思って使ってみてよ。本当に値 段だけのことはあるから」。そんな言葉が頭から離れず、今日思い切って買ってみたのでした。薬用歯磨きだけあって、確かにかなり独特の味がします。でもそ れは慣れるでしょう。磨き終わった後のつるつる感、さっぱり感が他の300円程度の商品とはまったく違う。オーラルケア商品には思い切ってお金をかけるべ きだと考えていますが、これはなかなかのヒットです。

 あとはコンサートチケット関係。昨日発売日だったのにうっかり買い忘れていて今日買ったソフト・ワークス。Soft Machine のメンバーたちによるグループで、8月に来日します。9月にはジョン・ウェットンも来る(これも買いました)し、もちろん7月にはオリジナルのデュラン・ デュランも来るしで、今年はいったい何年なんだろう。もうひとつは今年もやります、東京JAZZ 2003。ハービー・ ハンコックは今回はピアノ・トリオらしいので期待できそう。他にはダイアナ・クラールにジョシュア・レッドマン、渡辺香津美となかなかいいところを揃えて くれました。さすがにノラ・ジョーンズは呼べなかったみたいですが、12,000円出してGシートを買うからには、昨年以上にいいフェスティバルになって くれるといいな。

BGM: "OUR TIME IS COMING" - Masters At Work
(けいさん、ありがとうございます!)


10 May 2003
Saturday

「Windy City」

 ミシガン湖から吹きつける強い風で有名なイリノイ州シカゴには、「風の街」というニックネームがあります。ソウルミュージック好きなら、この名を冠した シカゴのグループを思い出すことでしょう。綺麗な女性と犬の散歩中に風が吹いた瞬間を捉えた、多少エロ ティックなアートワークもよく知られています。

 さて今日はそちらのウィンディ・シティのアルバムレビューではなくて、今月1日に映画「CHICAGO」を観てきた感想な どを。この日は映画の日扱いで1,000円で鑑賞できるところがあったので、ゴールデンウィークに引っ掛けてお休みをとって出かけました。歌舞伎町は割と 積極的に苦手な街なのですが、そうも言っておられず新宿ジョイシネマにて。アカデミー賞をたくさん獲ったこともあり、既にあちこちで語られていますので、 僕の感想は箇条書きでポイントごとに。

★ふと気がついたのですが、最近ミュージカルっぽい映画を観る機会が増えています。「ダンサー・イン・ザ・ダーク」「ヘドウィグ・アンド・アングリーイン チ」、先日の「8人の女たち」などなど。この「CHICAGO」はもともとブロードウェイで大評判だったボブ・フォッシー のミュージカルの映画化になるわけです。2001年12月にニューヨークに旅行してきた時にチケット屋さんに並んでみたら、確か「CHICAGO」の当日 券が残っていたような気がします。が、極端にチープな旅行を志向していたので現金の持ち合わせが足りず諦めました。今思えばもったいないことをしたなあ。 クレジットカードが使えないなんて思わなかった。

★というわけで僕は徐々にこうしたミュージカル形式の映画への違和感がなくなりつつありますが、これが大絶賛されて各種の映画賞を総なめにするというの は、やはり「ミュージカル」という舞台芸術形式が日本などと比較にならないほど大衆に浸透している米国ならではだと思います。そしてまた、吹き替えなしで 本人たちがこれだけ歌って踊れる俳優陣が揃っているというエンターテインメントの質の高さと層の厚さ。もう逆立ちしてもかなわないプロたちのレベルの高さ を感じさせてくれる、超豪華な娯楽作品です。

★この映画、やっぱり一番鮮烈な印象を残すのはヴェルマ・ケリー役のキャサリン・ゼタ=ジョーンズ。踊りも、歌も、表情も、身体全体から溢れ出すセクシー さも、他の女優とは格が違います。何といっても目。アイメイクが凝っているのはもちろんですが、視線の持つ力、いわば「目力(めぢから)」がすごい。台詞 なんかなくても目の表情だけですべて語りつくす、吸い込まれそうな目の力。

 以前朝日新聞で読んだ記事ですが、日本人女性の目へのこだわりは強いそうです。ぱっちりと、大きく見せようと。アンケートをとると、「相手を一番最初に 見る部分」「自分のチャームポイント」として米国人は体型とか口とかさまざまな答えが帰ってきますが、日本人は7割が「目」と答えるとか。5年くらい前ま では化粧のポイントは口(唇)だったそうですが、今や9割の女性が目に重点を置くといいます。マスカラやアイラインなどは400億円市場に成長し、3年前 の1.5倍以上。中世イタリアの恋の秘薬は、瞳孔を広げて吸い込まれるような目を演出したといいますから、昔も今も恋の駆け引きは熾烈なわけです。目力で 負けるわけにいかない、という気持ちが女性をアイメイクに走らせるのだと。そんな記事でしたが、ゼタ=ジョーンズの目を見ていると、そういうことがとても よく分かります。

 特に激しいダンスシーンでの視線がすごくて、あれだけハードに踊りながらも視点は客席の一点をしっかりと見据えており、少しもずれることがありません。 ずーっと目だけ追いかけたくなるくらい。今回のキャスティングの中ではヴェルマ役が一番最初から決まっていて、しかも主役でないことを了解の上でキャサリ ン自身が惚れ込んで志願したというだけあって、もう劇的なハマりっぷりを見せてくれます。All That Jazz!

★だから、彼女と比べてしまうとロキシー・ハート役のレニー・ゼルウィガーはいかにも弱い。ゴールデングローブ主演女優賞の受賞はともかくとして、アカデ ミーを逃したのはある意味当然といってもいいんじゃないのかなー。この演技でゼタ=ジョーンズが落としてレニーが獲るようなことがあれば暴動が起きていた かも…

 …ですが、レニー・ゼルウィガーのファンとして一応フォローしておくと、相変わらず彼女らしさは出ていると思うのです。ちょっと頭の弱いブロンドの女の 子をやらせるとピカイチ。口を半開きにした表情がこれほど似合う女の子もいないのではないか。やや首を傾げ、上目遣いに目をぱちぱちさせればさらに上出 来。ですがしかし、この路線では今後の役が極めて限られてくるし、舌ったらずなロリ声もいつまでも武器にはなりませんよね。本人はミュージカル 「CHICAGO」のことはほとんど知らず、役の重みも全く知らずに引き受けてしまって、この映画化が歴史的な意義を持つ大プロジェクトであることを後か ら知って驚いたとのことですから、彼女を責めるわけにはいきません。知っていたら引き受けなかったでしょうし、キュートなレニーを観られる映画がまたひと つ増えたことをファンとして素直に喜ぶべし。

 歌とダンスはほとんどゼロから練習したというだけあって、経験のあるゼタ=ジョーンズやリチャード・ギアとは格段の差がありますが、初々しさを感じさせ ることで何とかカヴァーしてます。たとえばスターになったロキシーが、ステージ上でたくさんの男性ダンサーに囲まれて踊るシーンがあります。これなどマリ リン・モンローを下敷きに、マドンナが「マテリアル・ガール」のプロモビデオでパクったシーンの再現みたいなものですが、レニーも結構いっぱいいっぱいな んですよね。まあそこが可愛いわけですけど。しかし上記2人と比べると圧倒的に胸のボリュームが無いところがレニーの弱さか…

★リチャード・ギア。「プリティ・ウーマン」が大の苦手で、これまでただの一度もいいと思ったことがなかった俳優でしたが、今回は完全に見直しました。カ ネだけが全ての敏腕弁護士ビリー・フリン役を熱演。特に法廷での弁護シーンの立ち回りの迫力とあざとさといったら、Ally McBeal で相当慣れている僕の目にもかなり新鮮かつ面白く写りました。ダンスや歌も、ここまでやれるのか〜とむしろ感心。インタビューなど読んでみると、当然の如 く初期にミュージカルや舞台ものの仕事をずいぶん下積みしているのですね。ギア初挑戦ということでだいぶ苦労したという噂のタップダンスのシーンは、逆光 で後ろ姿になっている部分が多く、本人かどうか分かりにくいのが難点。ただし、ギアに限らずキャサリンとレニーの登場シーンについても、全て本人による歌 とダンスであるとクレジットされています。レニーと組んだ腹話術/操り人形シーンは、おそらくものすごい回数の練習と撮り直しを行っただろうと思います が、本作最大の見せ場のひとつですね。圧巻です。

★実はですね。看守のママ・モートン役で出演しているクイーン・ラティファがまたまたいい味出してるのですよ。「セット・イット・オフ」で 初めて演技を観てびっくりしたのが記憶に新しいところですが、今回も頼れる姉御キャラが炸裂。ロキシーのヘアスタイルネタのところなど爆笑ものでした。歌 のシーンは登場時の "When You're Good To Mama" だけながら、実は歌唱のレベルだけ聴くとこれが一番上手いんじゃないかと思います。ラッパーとして全米チャートヒットもある彼女ですが、普通に歌ってもこ れだけいい喉を持ってるとは。彼女は先月くらいにも別の映画で全米ボックススコア1位を記録していますね。

★もう少し小さめの役に目を向けると、Ally McBeal のリン・ウー役でお馴染みのルーシー・リューがチョイ役で出演します。とはいってもいかにもリンっぽい強気な女、派手な蹴りをかましてくれるのでファンは 注目。Ally McBeal ネタでもうひとつ行くと、ヴェルマが踊るステージのバンドリーダー役で、黒人のピアニストが低くてセクシーな声で曲目紹介を行っているのですが、これがテ イ・ディッグス。どうアリーにつながるかといえば、第3シーズンだったかな、レネといい仲になるセクシーで細身の黒人弁護士、ジャクソン・デューパー役な のでした。言われてみれば確かに!という感じです。テイ・ディッグス自身はシラキュース大学でミュージカルを専攻していますし、昨年は本場ブロードウェイ 版の「CHICAGO」で弁護士のビリー・フリン役を演じてもいます。しかも彼が最近掲示板で話題になった99年の映画「The Best Man」で活躍していた俳優とあって、あちこちに不思議な縁を感じますね。未見ながら「ステラが恋に落ちて」でもいい演技をした模様。ちなみに彼のバイオ グラフィをたどると、東京ディズニーランドでダンサーとして働いていた過去もあるようです。うーむ。

★さらに小さな役ですが、刑務所の女囚役のひとりとして、R&Bシンガーとしてヒット曲を持つ Mya ちゃんが出演しています。もちろんソロで歌も歌って踊ります。エキゾチックで大きな瞳が印象的な彼女、今後は歌より演技のほうに力を入れちゃうのかな?

 他にもたくさん見どころがあります。脚本自体がよくできているので、ダンスや歌はあんまりという方でも、ごく単純に楽しめる映画でしょう。出演者の心理 を表現する手段としてのミュージカル導入という手法は、たとえばアリー・マクビールにおける彼女の妄想シーンのあり方を想像すれば大丈夫。あれより遥かに 違和感なく前後をつなげてあります。こないだ観た「8人の女たち」では敢えて地の演技シーンから唐突に歌と踊りに突入していたわけですが、さすがにここで はお金をかけた編集がなされていますね。ただ細かいことは抜きにして、たまには頭を空っぽにしてエンターテインメントに浸りたい、という貴方にこそお勧 め。実はこの後もう一度劇場で観てしまいましたが、あと数回観てもいいなと思ってます。


8 May 2003
Thursday

「わんわん共和国」

 そういえば雑誌をぜんぜん買わなくなってしまった。少なくとも、「情報源」としての雑誌の魅力はほとんどなくなってしまったといっていい。ネットがこれ だけ普及してしまった現在、情報を得るという目的に限れば、そのスピードも量も質(本音ベース)も、紙媒体が勝てる要素はほとんどない。百科事典の類など は致命的だろう。一度買い込んでしまうと情報更新ができず、大きなスペースを占領して本棚の肥やしになりがちなそれと比べて、Google さえあればそれらしき情報を短い時間で収集することが可能だ。(信憑性については別途確認する必要があるけれど)

 だから新聞で「ロス疑惑」の三浦和義氏が雑誌の万引きで逮捕されたニュースを見たときはちょっとびっくり。しかも「ベルビー赤坂」の書店で万引きした雑 誌というのが、犬の雑誌「わんわん共和国」1冊(税込み880円)だという。わんわん共和国ですよ。僕はこの雑誌を読んだことがないのでよくわからないの だけれど、25万円も所持していた彼が、取調べに対し「有名な俺が万引きするわけないだろう」などとうそぶき、その後「書店のレジに並ぶのが面倒くさかっ た」と万引きを認めたくらいなのだから、きっと単なる「情報」以上の何かがある雑誌に違いない。

 少なくとも自分は、単なる「情報」を得るために紙媒体に対価を払う機会がどんどん減少している。プラスアルファの価値、例えば読み物としての面白さだと か、他とは異なる視点で掘り下げたレビューだとか、綺麗なグラビア写真だとか、何でもいいのだけれどプラスアルファがほしい。それは多分ネットにおいても 同じことで、Google のように情報検索に特化したものとはともかく(それにしてもあれだけ柔軟で強力なサーチ機能があれば十分にプラスアルファ価値だけれど)、一般的なサイト においても、ニュースサイトや単なる情報紹介サイトよりは、何か作り手や書き手の顔が見えるような文章が読めるページを追いかけているような気がする。

 僕もそんなサイトを作れるといいなあ。ある方のフレーズを借りて表現すれば、いつでも「文章修行中」の心を忘れずにいたいものだと思いました。


7 May 2003
Wednesday

「Happy Birthday」

 ある人からちょっと面白い話をききました。

 誕生日は、その日に産まれた人を祝う日ではなく
 その日に命がけで、この世に送り出してくれた母親に感謝する日。


 というものです。とても新鮮な考え方だなあと思いました。こうしている間にも毎日たくさんの誕生日があちこちでお祝いされています。誰かに誕生日を祝っ てもらえるとは、なんと幸せなことなのでしょう。

 世界中で誕生日を迎える/迎えた皆さんに、心を込めて「ハッピー・バースデイ」。


6 May 2003
Tuesday

「カナダからの手紙 …じゃなくて絵葉書」

 ちょっと舌足らずでしたか? 「歓楽通り」「ジョンQ」も悪い映画じゃないと思いますよ。前者は1,000円で、後者は招待券で観たという点は差し引く にしてもです。

 「歓楽通り」で描かれる古いパリの娼館の様子、むせ返るような化粧と香水の香りを画面全体から漂わせる強烈な描写や、次の瞬間には剥ぎ取られてしまう運 命にある娼婦たちの美しい衣装など、美術的な観点では大いに目を楽しませてくれる映画です。「ジョンQ」は確かに保険会社も病院も会社も決定的に悪いわけ じゃないし、だからこそ煮え切らない部分があるシナリオなのだと思います。実際、ロジカルに突き詰めると矛盾点だらけの設定だともいえます。それでも、大 きめのスクリーンで見れば十分に迫力あるエンターテインメントに仕上がっていますし、臓器移植や雇用問題、医療保険やドメスティックバイオレンス、さらに は売名行為に走る上級公務員に至るまで、さまざまな問題提起を行っているわけで、こんな映画が上映されること自体に意味があるという見方もできるでしょ う。振り返って、日本でこういう映画が、デンゼル・ワシントン級の俳優を主役に製作されることがありえるかどうか。僕ら一人ひとりが、こうした問題に「お かしい」と声を上げることがあるかどうか。黙っていては何も変わらない。

***

 カナダに住んでいる後輩から綺麗なオーロラの絵葉書が届きました。丁寧な文字がきちんと並ぶ優しい文面は昔から少しも変わりません。彼が伝える本物の オーロラの美しさをぼんやりと想像しながら、別の友人からいただいたフランス土産の赤ワインを開け、さらに別の友人からいただいた Alice In Chains のCDに耳を傾ける。そう言えばさっきはお風呂で、さらに別の友人からの早めの誕生日プレゼント、ロクシタンの石鹸を使ってみたのでした。 貴重な仲間たちのありがたい気持ちに囲まれて、僕はきっと世界の誰より幸せな夜を過ごしています。

 みんな、本当にどうもありがとう。


5 May 2003
Monday

「Black Coffee in Bed」

 三連休もおしまいですね。
 
 お休みの日の楽しみのひとつは、じっくりとコーヒーを淹れることです。平日の朝は時間もなく、インスタントコーヒーをミルクたっぷりのカフェオレにして 流し込んで出かけますが、休日はそれじゃ物足りない。近所のコーヒーショップ「カルディ」で購入し挽いてもらった豆を、ペーパーフィルターを使ってゆっく りと淹れていきます。コーヒーメーカーで作ればもっと楽ちんなのでしょうが、シンプルライフ気取りの僕は漏斗状のドリッパーに少しずつ手でお湯を注いで抽 出しています。最初の蒸らしが肝心。満遍なくお湯を振りかけたらたっぷり1分は放置します。微かに漂いだす香りが何ともいえません。この待ち時間が何より 楽しみだったりもするのです。

 お湯はもちろん、BRITAの浄水ポットで濾過したきれいな水を利用。普段からごくごく飲んでいますが、コーヒーや紅茶を淹れる時の効果も抜群です。 ちょっと嬉しい便りがありました。ある読者のお方から「BRITAが届き、コーヒーを淹れてこれを書いています」というメールをいただいたのです。僕はも ちろんBRITAの回し者じゃありませんが、自分がこれはと見込んだものは皆さんにもお勧めしたいし、それが実際に皆さんの生活のお役に立てばとても嬉し い。少しずつ広がる輪のことを考えながら、じっくりとコーヒーを淹れるのです。

 そうやってペーパーフィルターでコーヒーを淹れた3日間もこれでおしまい。さあ、気分を入れ替えて明日からまた頑張ることにしよう。カップに残った最後 の一口をごくりと飲み干して。


4 May 2003
Sunday

「こんなところで彼女と…」

 新宿でのプチオフ会に、連休中とは思えないくらいたくさんのご参加をいただきました。どうもありがとうございます。ベルギービールのお店、FRIGOも あんなに混んでるとは思わなかったなあ。ちょっと見通しが甘かったです。でも狭いテーブルにぎっしり、逆に盛り上がって楽しかったですね。と、いつでも勝 手に前向きに解釈しちゃう。Bygones!

 深夜に帰宅してからテレビをつけてみると、NHKでドラマ「スティーブン・キングの悪魔の嵐」の最終話を再放送していました。最初に放映されたときに全 部見たのですが、これはキングのTVドラマ・ミニシリーズの中でも屈指の傑作だと思っています。キングの映像化作品にロクなものがないのはよく知られてい ますが、この「悪魔の嵐」が決定的に異なる点は、最初からTVドラマ化を前提に書き下ろされた全くの新作オリジナルであること。だから脚本にも筋にも無理 がなく、あのじわじわ迫る恐怖を見事に映像で表現できているのです。一方、キングの小説はもともと「小説」という表現形態を意識して完成されているので あって、無理やり映像化すること自体が無茶なのです。キングについて言えば、一見超大作映画になりそうな原作を映画化するのが一番危険。世の監督さんたち は気をつけなくちゃ。

 メイン州の小さな島を恐怖のどん底に突き落とした嵐、事件をめぐって露呈されていく島の人々の閉鎖性と暗い秘密、そして何の救いもないといっていい強烈 な辛さを持って迫るエンディング。旧約聖書のヨブ記が引用されているように、どうして自分が…という謎がほとんど説明されないまま、時に人生の運命として 引き受けねばならない何かを描き尽くしているように思います。信仰の意味を根底から問い直すという意味で、遠藤周作「沈黙」のキング版と言っていいかもし れません。

 オフ帰りの寝ぼけた頭で「悪魔の嵐」を見ていると、あっ!と驚いてしまいました。何と Ally McBeal の第5シーズンに出演していたそばかすのジェニー・ショー役のジュリアン・ニコルソンが出演しているではありませんか。もちろん「悪魔の嵐」初回放送時のアリーはまだ第3 シーズンくらいだったはずなので知るわけもありませんが、何だか嬉しくなってしまいました。そばかすが派手に残っているルックスなので役柄がかなり限られ そうな気もしますが、ジェニー役の演技はとてもキュートだったし、アリーの真似もうまかった。ちょっと懐かしい旧友と再会したような気分。でも調べてみる と、「アリー my ラブ」の脇役たちは実はいろいろな映画に出演しているのですね。全然知らなかった。

 第5シーズンだけ見てみても、たとえばジェニーの恋人グレン・フォイ役のジェームズ・マーデンは、「X-メン」「X-メン2」に出演中とのこと。このシ リーズも未見なのですが、ハル・ベリーも出てるみたいだし、面白そうだなあ。グレンの親友、レイモンド・ミルベリー役のジョシュ・ホプキンスは「パーフェ クト・ストーム」「GIジェーン」などに出演。アリーでは超ナンパな口説き男系弁護士として登場した彼ですが、表情も豊かだし、実は結構演技できそうだな と思っていました。そして最後にリチャード・フィッシュと結婚しちゃう妖艶なライザ・バンプ役のクリスティーナ・リッチって、「アダムス・ファミリー」に 出てたあの女の子だったんですねえ。大きくなったものだ(小さいけど)。他にも「キャスパー」「スリーピー・ホロウ」「バッファロー66」に出演って、結 構いろいろ使ってもらってるんだなあ。どれも見たことがないので楽しみです。さらに、アリーの娘ことマディ役の女の子、ヘイデン・パネティエルだって「タ イタンズを忘れない」などに出演しているらしい。「タイタンズを忘れない」といえば、これまた未見ながら、公開当時に興味深くレビューなどを読んでいたの を思い出します。人種差別問題と、アメリカ人が大好きなアメフトというスポーツを組み合わせ、デンゼル・ワシントンに出演させれば感動的な作品にならない わけがありませんね。

 デンゼル・ワシントン?

 そう、実はオフ会に出かける前に新宿シアターアプルで観ていた映画もデンゼル主演の「ジョンQ」だったのです。果たしてこんなに長い導入文を書く必要があったのかという疑問はさておき。今「い い人」をやらせたら彼以上のキャラクターはいないという感じの黒人俳優ですが、この映画の設定はやや微妙。最愛の息子が心臓病で倒れて心臓移植が必要にな りますが、父親デンゼルはリストラされており費用が賄えない。頼みの綱の医療保険も適用されない。追い詰められた彼が選んだ道は、銃を手に病院に立てこも り、実力行使で移植手術を実現させることだった…というわけですが、何せデンゼルが「いい人」なものだから、鬼気迫る緊迫感とは無縁の映画です。どちらか といえば、アメリカの医療制度が抱える問題を鋭くえぐった社会的問題提起の映画として観るべきなのでしょう。良い医療を受けるには大金が必要で、貧しい者 はまともな医療を受けられない。これは相当に厳しい現実です。

 日本でも他人事ではないはずで、本来こうした映画はもっと広い層に観てもらい、僕らが投票したあの政治家たちがどういう医療政策を掲げているかを考え直 す機会にすべきなのでしょう。でも多くの観客はアクションと安っぽい涙を追いかけるのに夢中みたいで、終了するや否や席を立ち、どこかにがやがやと去って しまったのでした。デンゼルは映画中で息子に自分心臓を移植すべく、自殺を図ろうとします。僕にとってはこの種の自己犠牲シーンに涙を流して感動するのは 難しい。たとえばビョークの「ダンサー・イン・ザ・ダーク」もそうだったように、子供を持ったことがないので本質的に理解できないという理由もあります が、それ以上に自己犠牲を「過度に」美化する風潮をどこか胡散臭いと思っている部分もあるようです。

 さて、再び Ally McBeal につなげると、映画中で手術の申し出を冷たく却下するレベッカ・ペイン院長役のアン・ヘッシュという女優さんは、第4シーズンでメラニー・ウェスト役とし て出演していたのでした。ジョン・ケイジといい仲になるショートカットのブロンド女性ですが、「6デイズ/7ナイツ」とか「ボルケーノ」「サイコ(リメイ ク)」などに出演している演技派女優とのこと。こんな映画でメラニーに再会できるとは思っていなかったのでびっくりでした。トラウマを抱えたエキセント リックなメラニー役をかなり強烈な個性で演じきっていたので、深く記憶に刻まれていたのです。ちなみに本人はレズビアンであることをカミングアウトしてあ る女優と結婚しましたが、その後離婚して以前から付き合っていた男性と結婚、昨年春には男児を出産したとのこと。

 「ジョンQ」に警察の本部長役で出演していたレイ・リオッタが、例によってどうしようもない悪人役だったのはもはやお約束。ヒステリックにわめき散らす シーンをやらせたら天下一品、こういう役がある限り、レイ・リオッタの仕事はなくならない。これも業界におけるひとつのサバイバル方法ですね。

 最後にもうひとつだけ「こんなところで彼女と…」ネタを。前日にやはりNHKでやっていた海外ドラマ「ダーマ&グレッグ」に、パット・ベネターとニール・ジェラルドが本 人役で出演していて大笑いしました。劇中の新婚カップルのためにカーペンターズの "We've Only Just Begun" を歌ってあげたりするのですが、その後2人を "Love Is A Battlefield" で送り出しちゃったりして。まさしく夫婦生活は日々是戦場なり、ってことなのかな。


3 May 2003
Saturday

「歓楽通りの渡辺昇たち」

 渋谷シネマライズで、当初の予想よりロングランになっている「歓 楽通り」を観てきた。「髪結いの亭主」で知られるパトリス・ルコント監督もので、映画は初主演というレ ティシア・カスタがヒロイン役なのだが、どこかで見た顔だと思ったら、イヴ・サンローランをはじめ様々なブランドのファッションモデルをしている 子だった。女性誌の表紙をしばしば飾る顔で、この世界ではトップスターに位置しているようだ。モデルというと大抵細身すぎて僕の好みではないのだが、レ ティシアはふっくらしている部類に入るだろう。そのことも僕の記憶に残っていた一因かもしれない。

 純愛もの、ということになるのだろう。だが屈折している。主人公のプチ・ルイは娼館で生まれ育ち、今は娼婦たちの世話人として暮らす中年男。ある日新入 り娼婦として訪れたマリオンを一目見て、この人は自分にとっての「特別な人」だと直感し、一生をかけて彼女の世話をして幸せにしてみせる、と決意する。と いってもマリオンの彼氏になろうというのではない。彼女にとっての「運命の人」は他にいる、それを探し出して彼女と結びつけることが彼女の幸せ、ひいては 自分の幸せになるのだと頭から信じ込んでしまうのだ。こう書いているだけでも相当に非現実的な設定だ。残念ながら僕はこの時点でほとんど感情移入すること ができなかったようで、以後のストーリィはやや斜に構えて追いかけることになってしまった。ついでに言うと、マリオンは歌手としてステージに立つのが夢な のだが、その歌ときたらちょっと疑問符もので、これでオーディションに合格する設定には無理がある。厳しいことを書いてしまうのは「アリー my ラブ」のエレインを見慣れてしまったせいかもしれないが… まあ、いずれにしても他人が監督し、他人が演技している映画だ。他人のことは、最終的には僕に は関係ないし、映画の設定が僕の理想と異なっているからといって、どうこういう筋合いのものではない。

***

 僕ははっとした。

 村上春樹の「ファミリー・アフェア」という短編に出てくる主人公そのものではないか。これは「パン屋再襲撃」という短編集に収められている作品で、どれ も微妙に後味の悪い作品が並んでいるが、中でもこの「ファミリー・アフェア」に出てくる「僕」のライフスタイルは徹底している。彼の台詞のひとつを取り上 げよう。

「他人のことと僕のことは別問題だ。僕は自分の考えに従って定められた熱量を消費しているだけのことさ。他 人のことは僕とは関係ない。はすにも見ていない。たしかに僕は下らない人間かもしれないけど、少なくとも他人の邪魔をしたりしない」

 これに対し、主人公の妹は激しく反論する。本当の大人の生活というものは、そんなものではない。もっと本音と本音でぶつかり合うものだと。あなたのよう に、自分の基準に合わないといった瞬間に、とたんに興味を失って一切手を触れようともしないような生き方ではないのだと。もう少し背景を詳しく説明する と、妹と「僕」は独身の間同居していたのだが、妹が結婚することになってから2人の間がぎくしゃくし始めている。「僕」は結婚相手になる渡辺昇という男が どうにもいけ好かないし、自分の人生は目標を見失い、ビールを飲んだりたくさんの女の子と寝たりと行き当たりばったりになっている。

 僕自身はこの主人公のようにたくさんの女の子と寝まくることはないが、それでも彼の価値観は痛いほどよく分かる。どうせ他人のことだから。僕には関係な い。そうやって周囲の無数の渡辺昇たちを切り捨てようとする自分が必ずいる。それでいて、誰かに一生懸命かまってもらいたい寂しがり屋の自分も必ずいる。 その延長上に何が待っているのか。「ファミリー・アフェア」でも最後まで明かされることはなく、この短編の先にあるのは漠然とした不安だけだ。主人公は言 う。

「良い面だけを見て、良いことだけを考えるようにすれば、何も怖くないよ。悪いことが起きたら、その時点で また考えればいいさ」

 だがそうでないことは彼自身が一番良く分かっている。そして僕自身も。

***

 漠然とした将来への不安が頂点に達したとき、人は自ら死を選ぶことがあり得る。5月2日付け朝日新聞にネット心中をめぐる3人の論者の意見が掲載されて いて興味深かった。中でも「2ちゃんねる」の管理人こと西村博之氏のそれは彼の聡明さをはっきりと示している。「ネット自殺」問題の原因を2ちゃんねるに 代表されるネット掲示板に結び付けようとするインタビュアーに対し、ネット社会で孤立する若者が増え、仲間を募って自殺に走っていると見るのは間違いだと 答える。日本の自殺者が年間3万人に達する中、いわゆるネット自殺はせいぜい数十人だと。ネットでなくとも、携帯電話でも文通相手でも一向に構わないのだ と。

 彼が突き抜けているのはこの後だ。

「ぼく自身は自殺をしようなどとは考えたこともない人間ですが、自殺についての知識は、自殺を考える人には、救いにもなるものだと考えています。ぼくの考 え方は社会的なコンセンサスからは、ずれているかもしれません。でも、本当に毎日が苦しくて死が解放だと信じている人が『死にたい』と言うのは、誰にも止 められないのではないかと考えています」
「例えば、借金苦とか経済的な理由で自殺に追い込まれる人たちを止めたいのであれば、その人の生活を支えてあげる行動をとればいい。それなのに、そうした 行動はとらず、ただ『死ぬな』とだけ言うのは、ひきょうなことのように感じるのです」


 よく言った。きれいごとを並べて「自殺はとにかく悪だ」とか言ってるオトナたちより、僕は圧倒的に西村君を信じる。彼が僕より6つも年下の76年生まれ であること、さらに次のような台詞を続けていることを思うと、「ファミリー・アフェア」など読んでる場合じゃないことがよく分かる。僕は32年間も、いっ たい何をしてきたのだろう。

「いまの日本は、命を軽く見る方向に動いていますよね。例えば日本政府はアメリカのイラク爆撃を支持した。 あれって『イラク人は殺してもいい』といっているようなもの。それを国家が支持している。国家はなんのために戦争をやるかというと、最終的には自国の利益 のためにやっている。命の大切さを教えないほうが、国家としての政策はうまくいく。そんな国益が前面に出て、個人は背景に追いやられようとしている。 『ネット自殺』よりも、こうした現実のほうがずっと大きな問題だと感じています」

***

 僕はスライ&ザ・ファミリー・ストーンのベスト盤を引っ張り出すと、"Family Affair" をかけながら、漠然とした不安とやらに包まれて、深い闇に落ちていった。


2 May 2003
Friday

「8人の女たちはクリームシチューの夢を見るか?」

 ストーリィは殺人事件をめぐる謎解きもの。1950年代のフランスを舞台に、クリスマス・イブの朝、雪に閉ざされた大邸宅で一家の主が殺される。集まっ ていた家族は一転、全員が容疑者になってしまう。お互いが疑心暗鬼に陥る中、怪しくも美しき8人の女たちの秘密がつぎつぎと明かされる。犯人は、いったい 誰…?

 もちろんシリアスなミステリーというよりは、事件をめぐる女たちの「秘密」と「嘘」とその「暴露」に唖然とさせられるプロットが組んであって、それを楽 しむべきものだ。そしてまた、ミュージカルとまではいかないにしても、歌と踊りで味付けした意外性はかなり大きい。何せ、地のストーリィを演じていたと思 うと突然女優が歌い出し、踊り始めるのだから。何とカトリーヌ・ドヌーヴまで可愛い振り付けで踊っちゃうのである。ドヌーヴに関していえば、彼女も出演し ていた「ダンサー・イン・ザ・ダーク」もミュージカル仕立てだったのを思い出した。あっちは主としてビョークの回想シーンの中で歌が出てくるわけだが、こ の「8人の女たち」のすごいところ、そしてある意味無謀なところは、回想でもなんでもない地の演技からいかにも突然歌に入り、終わるとそのまま地に戻って くる演出だろう。しかも周囲のキャラがそれをじっと見聞きしていたりするわけだが、最初こそ驚くもののすぐに慣れてしまうので心配は要らない。それより8 人のキャラクターをしっかり描き分けた設定と、それぞれを象徴する華麗な衣装などに目を奪われっぱなしだ。ちなみに8人がそれぞれ歌う歌については、英仏版オフィシャルサイトで 試聴することができる。

 どの女優も魅力的だが、特に素晴らしいのはやはりドヌーヴと、シュゾン役のヴィルジニー・ルドワイヤンだろう。シュゾンの切り揃えられた前髪と、意志の 強そうな視線にメロメロになってしまった。太ったんじゃないの、と妹に言われて「胸が大きくなったのよ」と低い声で答えるシーンなど、尋常でない可愛さ だ。ドヌーヴの貫禄溢れるゴージャスな演技については今さら述べるまでもない。豊かな肉体に上品な立ち居振る舞いが組み合わさると女性がどれほど神々しく なりうるかを、全身で表現し尽くす。

 ファニー・アルダンは、長身を活かしてゴージャス&ミステリアスなキャラクターを演じている。タバコの吸い方ひとつをとっても、演技とばかりは言い切れ ない奥深い何かを感じさせる。エマニュエル・ベアールは「ミッション・インポッシブル」でトム・クルーズと共演しているようだが、これもまだ見ていない映 画リストに入っている。メイド服で登場した冒頭では無理のあるコスプレだなあと思ったが、終盤で脱ぎ捨て、髪を下ろしてからはかなり魅せる。1965年生 まれなので、実年齢マイナス15年近い役柄を演じていることになるのだろう。そう考えるとこれまた恐ろしいまでにキュートで小悪魔的な女性だ。イザベル・ ユペールは漫画に出てくるような不満だらけのオールドミス役だが、その実「ピアニスト」などへの出演でも知られるように超演技派。この映画も怪演といって いいのではないか。

 ドヌーヴとアルダンが終盤絡むシーンが圧巻だが、いずれも顔に強いライトを当てて撮影している。もちろん皺その他を隠すためでもあるのだろうが、あれだ けのライトを受けて負けない表情をキープし続けているというのも、カッコいい歳のとり方だと思った。僕にはひょっとすると本当に理解することはできないの かもしれないが、女の子の多くは歳をとりたくない、若いままでいたいと思っているようだ。だがこの映画のドヌーヴやアルダンを見れば、多少考え方が変わる かもしれない。こんな風にカッコいい女性になれるのなら、歳を重ねるのもそれほど悪いことじゃないんじゃないかと。僕自身にしてみれば、若い子にも歳を重 ねた女性にもそれぞれの魅力があると思っているから、要するにあまりたいした問題じゃない。だがその中間にいて、その場にいることをネガティヴに捉えてい る子がいるとすれば残念なことだ。悲しいことだけれど、そういう子には魅力を見出すのが難しい。

 「本当に幸福な恋なんてありはしない」

 ダニエル・ダリューが最後に歌うのはこんなテーマの歌詞だったように思う。映画のストーリィを踏まえれば至極当然な結論なのだけれど、映画館を出るにあ たって、本当にこれでよかったのか?という思いは拭えなかった。アンハッピーエンディングとも言い切れないし、僕自身、本当に幸福な恋なんてありはしない と思っているとはいえ、せめて映画を見た帰り道くらいは「あるかも?」と思って道を歩きたかったりもしたものだから。

***

 そんな日は料理をするに限る。ケイ・スカーペッタじゃないけれど。

 冷蔵庫の残り物を組み合わせて適当な料理を作るのはめっぽう得意だが、この日は何と冷蔵庫が事実上空っぽだった。というわけで仙川で降りて西友に入る と、新しいじゃがいも、人参、玉ねぎが各1個30円。これは買うしかないだろう。シングル世帯の多い街を意識してバラ売りに力を入れているのが西友のいい ところだ。確かに丸正で買ったほうが単価は安いのだが、玉ねぎ5個とか人参4本とかまとめ買いしても使いきれない。

 それではまたしてもカレーか? さにあらず。今回の犠牲者はクリームシチューの素。本来なら冬場に食べきりたかったところだが、半分残してしまっていたのが運の尽き。賞味期限をわずかに 残してこの日見事に美味しいクリームシチューに変身することに。シチューには鶏肉を合わせるのが好み。プラス、例によってキノコを入れるわけだが、今回は ポルチーニ茸を。ポルチーニとの接点は、終電をなくしたとき御用達の居酒屋「東方見聞録」でオーダーする「ポルチーニ茸のクリームスパゲティ」。この種の 居酒屋メニューとしては場違いなほど気に入っているのだが、なぜこれを食すようになったかといえば、昨年英国出張したときに再会した旧友から乾燥ポルチー ニ茸をもらったからだった。そこには彼の几帳面な奥さんのメモが添えられていた。

ポルチーニ茸のスパゲティの作り方(1袋で2人分)

1. ポルチーニ茸をぬるま湯80cc程度に浸して30分〜60分おく。
2. フライパンにオリーブ油とバターを入れ、にんにく1個分のみじん切りをこがさないように弱火でいためる。
3. ポルチーニ茸を軽くしぼってフライパンに加え、白ワインを20cc程度加えてアルコール分をとばす。
4. ポルチーニ茸が油になじんだら、浸した液(+場合によっては湯を少々)を加えて煮つめ、生クリームを40cc程度(好みで)加え、更に煮つめる。
5. 塩、こしょうして味を整え、少し固めにゆでたスパゲティをからめ、仕上げにパルミジャーノチーズを1cup分加えて出来上がり!

Point
★もどし汁を使う
★バターは風味付けと、オリーブ油が高温になりすぎないようにするために使う
★生クリームやチーズはお好みの量で


 美しい文字が並んだ手書きのメモだ。こんなに綺麗な字を書く彼女は、きっと料理も上手なのだろう。そしてそんな奥さんを持つ旧友は、世界で一番幸せな男 だ。僕はそんな決してロジカルとはいえないが絶対に間違っていない推論をしながら、ポルチーニ茸のクリームスパゲティを作る手間を大いに省略した。すなわ ちオリーブ油もバターもにんにく1個分のみじん切りも生クリームも用意しなかった代わりに、ポルチーニ茸は出来合いのクリームシチューの素に他の具材とと もに投入されたのだった。

 果たせるかな、この日作ったクリームシチューは、自分史上最高の美味を誇る一品になった。あまりにも気に入った自分は、棚から赤ワインを一本取り出して コルクを開けた。もちろんカベルネ・ソーヴィニョンを使った2000年のチリ・ワインだ。品種指定ができるならカベルネ・ソーヴィニョンに限る。チリは当 たり外れが少ない。フルボディ気味で渋みが適度に利いたワインが好みだ。これは1年前に妹から贈られた誕生プレゼントなのだった。せっかくの気持ちを1年 も寝かしてしまったわけだが、それすらもプラスに転じることができるのがワインの強み、芳醇な味わいにクリームシチューの出来を祝福され、僕は自分の部屋 というある意味究極のレストランで、贅沢すぎるディナーを楽しむことになった。


1 May 2003
Thursday

「8人の女たち」(8 Femmes)

 今日はお休みが取れたので、入館料1,000円で映画を3本ハシゴして回ったわけだが、時系列的にはまず4月29日(火)に下高井戸シネマで見てきた「8人の女たち」の 感想から書くべきだろう。そうでなくてもこの Diary の時間感覚は破綻しかけている。その日の自分の行動について書いてあることなどまれで、大抵は過去のこと、時には未来に関する勝手な想像などがごちゃ混ぜ になっているのであって、「その日に書かれた文章」程度の意味しかない。それでもできるだけ時間の流れに沿って並べたがるのは、自分なりに何らかの「秩 序」を構築しようとする気持ちを放棄するところまでは突き抜けていないことを示している。

 さて複数の知人から結構面白いよ、と聞いて出かけたわけだが、今になって思い起こすとそれはいずれも女の子だった。そのうちの一人はわざわざ「観に来て るの女の人ばっかりですよ」と忠告までしてくれた。「いいんですか」と。望むところだ、とうそぶいた自分だったが、この日は下高井戸シネマのレディース・ デイだったこともあり、確かにお客さんの8割方は女性だった。のみならず、満席を超える入場者に臨時のパイプ椅子まで並べられる大盛況ぶりなのだった。 ムーヴオーバーでこれだけ動員するというのはよほど人気がある映画ということなのだろう。中には何度も通っている熱烈なファンもいるという。

 …と書きかけたところで時間が尽きた。映画そのものについてはまた後日。


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