Diary -Jan (1) 2002-

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15 Jan 2002
Tuesday

 荒れたところも、荒れなかったところも。今年も成人式が終わりました。

 考えてみれば不思議な行事です。オトナになるスピードなんて、人それぞれ異なっていて当たり前のはず。それを無理やり20歳で横に切って 「成人」 なる冠をかぶせ、1ヶ所に集めて何やらお話を聞いたり、みんなではしゃいだりする。終了後は飲んで騒いで大暴れ。それがオトナになるってことなのか。ちょっと違う。いや大いに違う。

 成人式会場の映像や写真を見ると、スーツだったり着物だったりするけれど、結局みんな限りなく同じ格好をしていて、それがまた不思議。「こうでなければならない」 という決まりがある訳ではないのに、結果として全員が同じドレスコードに従って集合することほど恐ろしい光景はありません。

 …何かに似ている。どこかで見た光景に。

 それは例えば、夏休みの朝に早起きさせられて近くの公園に集合し、集まった人々がラジオから流れる掛け声に合わせて一斉に同じ動作をする、あのラジオ体操の場が持つ不気味な空気に似ている。早朝、日本中の子供たちが広場に集められ、同じ時間に同じ動きをする。これが軍隊の名残でなくて何だろう。「お務め」 終了後、首から下げたラジオ体操カードに 「ご褒美」 としてハンコを押してもらい、その数を競って嬉々とする子供たちと、国のために戦い、勲章の数を競って汲々とする人々との間に差違を見出せないのは、僕だけだろうか。大抵は戦死した後に、申し訳程度に勲章が贈られたり、贈られなかったりするわけなのだけれど…

 でも、今年の成人式に参加した新成人たちは、もうラジオ体操なんて経験していない世代なのかもしれませんね。これまでの20年が長かったか短かったかには何の意味もない。これから何年生きられるかにもほとんど何の意味もない。結局僕らが生きることができるのは、今この瞬間だけなのだから。


 どうやら僕はオトナになるスピードがちょっぴり遅い/遅かったようです。



14 Jan 2002
Monday

買い物特命全権大使: 冬君の物欲日記 『ホットカーペット』

 昨日のマンション訪問で床暖房の話が出たのだけれど、自分自身はといえば冬場はホットカーペットとエアコンを併用しています。これが熱効率的にはもっとも良い、と何かで読んだ気がするけどどうなのかな? 空気を暖める一方で、足元ポカポカ。

 実際のところホットカーペットを購入したのはちょうど1年前で、それまでは長いこと気にも留めていなかったアイテムだったのですが、騙されたつもりになって導入してみるとこれがもう HEAVEN!!! ついゴロゴロしたくなる素晴らしい暖かさで、ネコの気持ちも分かろうというもの。いや何となく、ネコってホットカーペット好きで、手足四本+尻尾を伸ばしきってべったり眠るっつーイメージがあるんですけど。

 今やこれなしの冬は考え難いほどに気に入っているホットカーペット、ちなみにブランドは松下の 「ゆかピタくん」 。その名のとおり、フローリングの床にぴったり吸いつく仕組みなので、ずれたり動いたりということがほとんどありません。2畳相当面積の正方形で、買い値は1万2,000円くらいだったかな。ブランドにこだわらなければ、あるいはお店をいくつか回ればより安く買うことも可能。

 ここ数日、春のような暖かさだった東京ですが、今週半ばからは再び冬の寒さが戻ってくるとか。どうやらゆかピタくん大活躍の季節はまだまだ続きそうです。



13 Jan 2002
Sunday

 職場の同僚のマンションに集まって、鍋パーティが催された。マンション所有者は自分と同年代の男性で、男はあと自分だけ、残り5人が女の子。3連休の真ん中に時間があるのだから、みんなそれなりということで。場所は豊洲、まだ買ったばかりのマンションとあって新品同様。レインボーブリッジを臨む眺望も満点で、ちょっぴりマンション購入に心が傾く。女の子たちは床暖房の暖かさや、無印良品系でシンプルにまとまった食器や家財道具、あるいはバス用品等に驚きの声をあげる。カニ入り魚介類系の鍋と、牛肉系の鍋の2本立てで、ワインも3本空いてとても盛り上がった。

 午後10時、豊洲の帰り道はほとんど人通りもなく、寂しいものだった。

***

 金曜の夜に伊勢丹やなんかで衝動買いしてしまった衣類を、よくよく考え直して返品する。合計5万円以上。やっぱり閉店間際に駈け込みで買い物するものじゃない。ゴメンナサイ。伊勢丹は商品券での返金だったが、丸井はキャッシュだった。その一方で、前回見当たらなかったいい感じのマフラー&ネクタイがあったので代わりに購入。どうやら何事もゆっくりやらなきゃダメみたいだ。自分の場合。



12 Jan 2002
Saturday

 今頃になって、ロバート・キヨサキ著『金持ち父さん 貧乏父さん』を読みました。ご存知2001年の大ベストセラー。アメリカ式に大胆にお金儲けの精神を肯定するスタイルが痛快な1冊。

 自分は音楽は流行りものを流行ってる時期に聴くのだけれど、書籍は何となくベストセラーリスト上位のものを避けてしまうみたい。パラパラめくったりはするし、それなりにあらすじも押さえたりはするけれど、実際に図書館で借りて読むのはどうしてもピークを過ぎてからということに。音楽は時間を取られるけれど、本は自分のペースで読める。つまり64分のアルバムを聴くには絶対64分かかり、同じ時間を費やさなければならないけれど、本は30分で読んでもいいし、1週間かけてじっくり読んでもいい。その自由度がまた良かったりもするのです。自由度が高いだけに、今すぐ買って読まなくてもまあいいか、という気持ちになってしまう。

***

 さて「金持ち父さんの6つの教え」とは何か。

1) 金持ちはお金のためには働かない
2) お金の流れの読み方を学ぶ
3) 自分のビジネスを持つ
4) 会社を作って節税する
5) 金持ちはお金を作り出す
6) お金のためではなく、学ぶために働く

 いやはやおっしゃるとおり。でもね。結局ね。この本を読んで、自分は金持ち父さんにはなれないなー、と痛感しました。むしろ金持ちになる必要があまりないということが分かったというべきか。まあ、「持ち家は資産ではなく負債である」と高らかに宣言する筆者に多いに共感し、カタルシスが得られたので良しとします。中途半端に郊外にマンション買って、通勤に何時間もかけながらローンを払う人生なんてまっぴらご免だい!


 …年末ジャンボ宝くじで\3,300当たったくらいでえらく強気です自分。



11 Jan 2002
Friday

 昔買ったり人にもらったりしたTシャツで、これもう着ないよなあってやつありますよね? 着ないけれど、なかなか捨てられないTシャツ。そのちょっといい再利用法を見つけました。それは、枕カバーに使うのです。

 洗濯してパリっと干したTシャツの中に、枕を入れます。ちょうどいいサイズになってるのですよTシャツっていうのは。まるで枕カバーになるために生まれてきたみたいに。これでベッドの上に、いつでもあの思い出の図柄が。基本的に肌触りのいい素材(のはず)なので実際眠っても気持ちよく、洗濯しやすいのもポイント高し。何なら毎日Tシャツを着せ替えたっていいのです。今日は海のデザインで、明日はヴィヴィッドなイエローで。明後日はシックにブラックにしたっていいのです。

 でも図柄の選択には細心の注意を図りましょう。特にヘヴィメタル系Tシャツの多い貴方は危険。起きてすぐ目の前に朝に相応しくない絵柄があると、かなり寝覚めが悪くなること確実です。

 例えば、目の前にアイアン・メイデンのエディ君や、メガデスのヴィック君が超アップで迫ってきたりすると。



ヴィック君。
「確かに平和は金になる… だけど誰が買うんだい?」



10 Jan 2002
Thursday

すると君は言った。
「人は、人を傷つけずに生きていくことなどできはしない」


なるほどね。
ほんとだね。

君の言葉は確かに今、僕を傷つけた。



9 Jan 2002
Wednesday

★『THE CURSE OF THE JADE SCORPION』

 ウディ・アレンの2001年新作映画。日本では未公開なのかな?
 ウディさんの作品は何となく小難しい印象があって、あまり観ていませんでした。しかしニューヨークの街に慣れ親しんだ帰国便での放映とあれば、これまで馴染めなかった「ニューヨークを誰より愛する男」の映画も楽しんで観られるかも、と思って。

 1940年代の保険会社に勤める被害調査員(ウディ)と、同僚女性(ヘレン・ハント)を巡るラブコメディ。設定が古いだけでなく、マジシャンに催眠術をかけられて自分の保険会社が被害保証している宝石を盗んでしまうハメになるという筋書きもかなり使い古されたもの。知らぬは本人ばかりで、観客には裏が丸見えというギャグなのですが、狙ってのことなんでしょうね。大昔のコメディへのノスタルジアなのかな? 後で知ったのですが、この作品の製作はハリウッドの DREAMWORKS でした。ウディ・アレンと言えばハリウッド大嫌いな小規模作品主義者だと思っていたので、やや意外でしたが、40年代のグランド・セントラル・ステーションやNYの街並みのセットはそれなりに大掛かりで、さすが DREAMWORKS って感じ。

 で、もちろん期待通りに最後はヘレン・ハントと結ばれるわけですが。これって「思い切って告白すれば女の子は必ずそれを受け入れる」という単純な教訓でいいのかな? 真剣な想いはどんな催眠よりも強いということなのか? いかんいかん。映画や小説に必ず何らかの教訓やオチがあるはずだ、と思い込んで接するあたりが既に間違ってる。人生の大部分にはオチがないものだし、学んだ教訓を実際に活用できるチャンスなんて2度と巡ってこないものです。ならばそういうものと割り切って楽しむだけ楽しんだモノ勝ち。オーイエー今日も楽しむぜ。最高級で愛そうぜ。てなことでよろしいでしょうかウディさん。

***

『ハリーとヘンダソン一家』

 これはオマケ。NYからの帰国前夜、どうにも眠れなくて。もう徹夜しちゃおうと思ってテレビをつけたらやってました。以前半分くらいまで観たことがあったのですが、何気に朝4時にテレビつけたときにちょうど前回観たところの続きから始まったので、何か運命的なものを感じてしまいました。そりゃ観るしかないでしょうフツー。いや、オレこういう映画大好きですよ。心温まるし。

 朝6時にホテルに迎えに来るはずだったシャトルバスが到着したのは7時だったことは内緒にしてあげる方向で。それならもっと寝てればよかったYO!



8 Jan 2002
Tuesday


『海の上のピアニスト』

 豪華客船の中で生まれ、一歩も陸に上がることなく、海の上で一生を過ごした男の映画。天才的なピアノの才能を発揮する彼の人生を描きます。

 細かいところは置いといて、僕の印象に残ったのは次のシーン。彼のピアノの才能を聴きつけて、レコード会社の担当者が機材を持って録音に来ます。リリースすればミリオンセラー間違いなし、というその素晴らしいピアノ演奏。しかし主人公のピアニストは最後の瞬間に考えを変えます。

僕から切り離したら僕の音楽じゃない
「君はもう契約したんだ。引き返すことはできないぞ」
僕は引き返す!

 彼は100万枚のコピーを生み出すはずだった原盤を奪い取ります。これで世間の人々がその演奏を耳にする機会は永遠に失われてしまったのです。

***

 ところで、ポピュラー音楽の構造はまさにアーティストから音楽を切り離して何百万枚ものコピーを売るというところにその本質があります。本来目の前で歌われ、演奏されるべき音楽が、小さなCDにパッケージされ、海を越え国を越え言語や文化の壁も越えて、多くの人の家に持ち帰られ、そこで感動を与えたりするわけです。ある意味非日常的かつ非人間的な行為かもしれませんが。それが僕らの日常であり僕らの憧れる非日常なわけで。

 切り離された音楽にしかリアリティを感じられない生き方も、リアルな人生であることに変わりないのです。とびきりリアルな。だから僕らは今日も洋楽CDを買っては聴き続けるのです。



7 Jan 2002
Monday


『白い犬とワルツを』

 先に小説を読んだので、レビュウを書こうかなぁと思っていたら、お正月にNHKで海外ドラマとして放送されてしまいました。ドラマのレビュウも兼ねて。

 ご存知の通り、昨年を代表する文庫本の大ベストセラー。翻訳そのものは新しくありませんが、ある書店の店員さんが気に入って自作のポップで店頭宣伝したところ火がついて。あれよあれよと言う間に100万部超の大ヒット。

 テレビドラマを見た感想は(実に正確にドラマ化されてるなあ)というものでした。スティーヴン・キングなんかの映像化はなかなか難しくて、物足りない部分が多いものですが、これはほとんど原作に忠実な、過不足なきドラマ化だと思いました。

 それは取りも直さず原作に収められている情報量が多くないことを物語っています。実際、薄手の文庫本ですし、設定も展開も淡々としていてあっという間に読み終わる。要するに最愛の奥さんを亡くした老人の元に、生まれ変わりとしての白い犬が現れます。老人はこれをたいへん可愛がりますが、老人の子供たち(といっても大人ですが)にはそれが見えない。お父さんは頭がおかしくなってしまったのではないか?と心配し悲しみますが、いくつかのエピソードを経て、次第に子供たちにも白い犬が見え始める。最後に老人は亡くなりますが、その時… といったストーリィ。

 生と死愛する者を亡くすこと親と子

 誰にも等しく振りかかってくる問題ばかりです。最愛のパートナーと人生を共に過ごしていても、2人が同時に事故に巻き込まれるかあるいは心中しない限り、通常はどちらか片方が先に死に、どちらかが取り残される。僕はそのことを考えると時々気が狂いそうになります。そして世の中のほとんどの夫婦が、片方取り残された後も一見正常に生活を送り、時には再婚なんかしてしまうのを見ると、ひょっとしてそもそも本当に愛する人間と暮らしていなかったんじゃないか?と少し疑ってしまうくらいです。

 あるいは人間の心は、僕の想像以上に強靭な何かで出来ているのかもしれませんが。あるいはそもそも「人間の心」自体が想像上の産物であって、実在していないのかもしれませんが。

 それはともかく、僕はこの本を読んでからかなり猫を飼いたくなっています(おいおい犬じゃないのかよ)。どこかのサイトで見かけた「こんな携帯電話/PHSが欲しい!」という企画には笑いました。どんな携帯/PHSかというと、


    『ボタンが肉球』

 …ぷにぷにかよ!(欲しいけど)



6 Jan 2002
Sunday

『25年目のキス / Never Been Kissed』

 ドリュー・バリモアです。真面目だけどちょっとドジな25歳の新聞記者。8歳サバを読んで高校に潜入し、ティーンの実態をレポートする仕事にトライしながらいろいろなことに目覚めていくロマンティック・コメディ。

 近年のドリュー作品の大ヒットぶりには驚くばかりですが、これも確かによくできたいい映画です。高校生の頃はダサい格好のせいでいじめられ、ちっとも楽しくなかった、その記憶を克服し、25歳にして初めて好きな相手からキスもしてもらう…という設定なのですけれど。ちょっと無理があるかなあ。多分子役上がりのドリュー自身は高校時代から人気者で、デートの相手にも事欠かなかったのでは?

 ま、演技の迫真性がどうのこうのじゃなくて、ホノボノと楽しみながら彼女の役柄を一緒に応援するのが楽しい映画ということで。

***

『ラッシュアワー2 / RUSH HOUR 2』

 バカにしていたのですが。やられました。スゲー。
 『キャノンボール』シリーズが好きだという話は前も書きましたが、これもまさにツボに入りました。お馬鹿なアクションと、ジョークジョークまたジョーク。クリス・タッカーの映画は初めて観たような気がしますが、テンション高くていいですねー。ブラックと東洋系という、ある意味米国社会のマイノリティ同士の組み合わせ。特にクリス・タッカーがカジノで黒人差別ネタで啖呵を切りまくるシーンには爆笑!
 もちろん、相変わらず素晴らしい身のこなしを見せるジャッキー・チェンのアクションにも驚きっぱなし。今から1作目も観てみたいし、早くも3作目が楽しみです。

 そうそう、本編終了後のNGシーン集がこれまた爆笑モノ。これも『キャノンボール』直系ですね。むしろNGシーンだけ集めて1本作ってほしいくらいに気に入りました。



5 Jan 2002
Saturday

 12月にNYに行った時に飛行機中で観た映画とか、年末年始で観た映画なんかがごちゃごちゃしてきたので、少しずつ感想などを書いていくことにします。

***

『グリンチ / Grinch』(ジム・キャリー主演、ロン・ハワード監督)

 クリスマスものということで。気楽な気持ちで見始めたら、何故だか不覚にもボロボロ泣いてしまいました。子供の頃受けたいじめが原因でクリスマスが大嫌いになった、緑色の毛むくじゃらのグリンチ(ジム・キャリー)が、シンディという小さな女の子の優しく純粋な気持ちによって少しずつ心を開いていく物語。いたずら好きのひねくれ者、友達も家族もなく山上の洞穴に犬のマックスと暮らしているグリンチ。

 ジム・キャリーは確かにものすごい俳優だと思います。ただ、時として演技がトゥー・マッチに感じられてしまうことも。でもこの映画は設定が非現実的なこともあって、その滑稽なまでのトゥー・マッチ感がいい感じにハマったみたい。逆にこのグリンチ役があまりシリアスだったとしたら、僕はもっと泣いたかもしれない。泣くべき映画じゃないのは百も承知なのに…

 観ながら僕が思い出したのは、例えば『シザーハンズ』であり、例えば『ナイトメア・ビフォア・クリスマス』といった、ティム・バートンの映画たち。ちょっと悲しい過去を背負ったアンチヒーローものをやらせたら彼の右に出る者はいないと思っているので、ティム・バートン版での演出だったらどうだろう?と想像するのも楽しいかも。

 シンディ役の女の子もとても可愛くて、いい演技をしていました。3歳の頃からCMなんかに出ていたという6歳の女の子。映画は初めてで、200人以上のオーディションを経て選ばれたとのことですが、これから彼女の人生も大きく変わっちゃうんだろうな。個人的には犬のマックスの演技に感心しましたが。15週間の猛訓練の結果だと聞いて、果たして感心すべきだったのかどうかアヤシクなりました。何か良いご褒美をもらえたのならいいんだけど…



4 Jan 2002
Friday

 何度も引用するようですが、Prince & The Revolution に "Pop Life" というヒット曲があります。ここで歌われている要旨は、例えばセレブリティのような人生や、例えば大富豪のような人生は、決して楽しいものではない。本当にファンキーな人生を送りたかったら、平凡に生きることだ、というものです。

 普通に起きて普通に仕事をし(or学校に行き)普通に食事をして普通に眠る。時には普通に恋をして普通に失恋して普通によりを戻す。人生の刺激というものは、そんな平凡な毎日の中にいくらでも転がっているもので、何も派手にスポットライトを浴びることだけが幸せではないよ、ということのようです。

 僕も割と近い考えを持っていて、記号として扱われる「一般大衆」の中にいてこそ見えてくるものとか、楽しめるものがたくさんあるような気がします。例えばベストセラーリストの上位にある本を流し読みするとか、全米ヒットチャートの1位になった曲を聴くとか、流行りのレストランで食事をするとか。それぞれ難癖をつけて、「オレは一般大衆とは違うゼ」とか言いながら別の本を読んだり、マイナーな音楽を偏愛したり、通好みの店を発掘したりするのもまあいいですけれど。それを声高に主張するのでなければ。

 僕が全米ヒットチャートを毎週眺めながら、日本でほぼ唯一米国のラジオ局に近いスタイルでヒット曲を流し続けるAFNを毎日部屋に流しているのも、米国のテレビドラマ/ソープオペラやコメディ映画に夢中なのも、米国のベストセラーリストの上位を占めるキングやクーンツの小説を読むのが好きなのも、結局根っこは同じなのかな、と思います。daboyさんと同じように、アメリカン・カルチャーとかアメリカン・ウェイ・オブ・ライフへの憧れは相当強いのです。ただ自分の場合は幸か不幸か、自由で人生そのものを楽しむアメリカ文化への強烈な愛情を抱えたままイギリスに住む、という不思議な機会があって、そこでまたかなり考え方が変わったのも事実。こうして日々変わっていく自分の感情というのもまた、大事にしたい。My ever changing moods。

 Prince に関して言えば、彼は決して「平凡な人生」を送ることはできないわけで。いや降りるという手もあったのかもしれませんが彼はそれを選ばなかった。その決意を感じながらあの歌を聴き返すと、またいろいろと感じるものがあるかもしれません。



3 Jan 2002
Thursday

 …「芋づる方式に限るよ。えっ、キミたち芋づる方式も知らないの? 芋づる方式。」

 昨日の英語教師ネタの続きですが。思えば授業中に上のような話を始めたあたりから、彼の存在は危うくなりつつあったのかもしれません。

 「ナンパの基本。ブスを軽視するべからず。女は必ず自分より醜い女を近くに配置する習性がある。なぜならば男は女たちを比較したがる生き物だから。綺麗な女たちは、自分より明らかに醜い女を並べることで、結果として自分の価値をさらに高めることを狙うものなのだ」

 そもそもどうして授業中にこんな話になってしまったのかも忘れましたが。彼はノーム・チョムスキーの解説の時に負けない勢いで熱弁を奮い続けました。

 「だから、まずはブスをひっかけるべし。そしてブスの友人ネットワークを通じて美人の女に接近し、隙を見て乗り換える。美人の女には美人の女ネットワークが必ず完備されている。従ってその後は美人をモノにする機会は等比級数的に増大する。これを芋づる方式と呼ぶ。試験には出ないからメモは取らなくていいよ」

 取ってませんが忘れてません。ついでに何の役にも立ってません。何より痛々しかったのは、彼本人がどう見ても女の子にモテてるとは思えない貧弱なルックスとネガティブな思考の持ち主だったという事実。何かトラウマでもあったのかね彼?

 次第にウワサが流れます。彼が古株の教師たちと指導方針を巡って対立し、次第に追い詰められていったという職員室内バトルの様子。クラスメートの1人が、学校から歩いて2分の彼のアパートに遊びに行ったところ部屋には何も家具がなく、着任の土産物なのかお饅頭が一箱だけぽつんと置いてあった様子。

 程なくして彼は突如学校を去りました。1学期の途中で。オトナになるって、大変なことなんだなあ…と思ったのを忘れません。そんな彼のことを思い出すのです。新聞やテレビで、ノーム・チョムスキーの名前を見聞きする度に。生成文法理論っていったい何なのか、相変わらず今でも全然知りませんけど。



2 Jan 2002
Wednesday

 アフガンではまだ鬼ごっこが続いているようで。

 米国に言語学者ノーム・チョムスキー氏という方がいらっしゃって。マサチューセッツ工科大教授。「生成文法理論」の提唱者。言語学の大家にして反戦平和活動家。ある種独特な理論展開で、徹底的に米国のアフガン攻撃(というより罪なき人への攻撃)を「誤りだ」と断じます。米国言論界ではこうした「左派」の存在感は今やかなり薄く、ほとんどの知識人は米国政府を批判できない雰囲気。フランスのジャック・デリダなんかもまだ模索中みたい。暴力の前に知性は無力なのか。バイオレンス・ジャック by 永井 豪。

 じゃなくて。チョムスキーですが。

 何故彼の名が僕の脳裏に刻み込まれているかといえば。それは確か中学2年の春。新しい英語教師として着任してきたばかりの「彼」のインパクトが強烈だったから。上智大学出たてでやってきた彼は長髪に青白い顔の男で、クラスに現れるなり「僕の授業はこのプリントでやります。教科書は使わないから捨ててください」などとほざき、誰がどう見てもコレお前がこないだまで卒論用に使ってた資料そのままコピーして持ってきただろう的なめちゃくちゃ字が小さくて中学2年生には難し過ぎる単語ばっかりのプリントを配り始めました。あっけにとられる僕らを気にする風でもなく。

 案の定、僕らの誰もその文章を読解できなかったわけですが。それどころか「直訳」すらも無理なレベル。1センテンス中に分からない単語が9割くらいあって。洋楽ファンなのにモー娘。の曲しか選べないカラオケボックスに放り込まれたような気分です。"Love Machine" といったら普通は Miracles の76年全米1位ヒットだろおい。まあ百歩譲って Wham! のカヴァーヴァージョンだ。ていうかそんなカラオケあり得ねえ。

「えっ、キミたちこんなのも知らないの? これ、ノーム・チョムスキーだよ。チョムスキー。生成文法理論の。チョムスキー」

 教師の素っ頓狂な声は教室の壁に反響し、僕らの頭蓋に浸透し、以後2度と忘れることのできない人名としてそこに刻印されたのです。ノーム・チョムスキー。生成文法理論っていったい何なのか、今でも全然知りませんけど。

 ところで、この教師を取り巻く状況はこの後急速な展開を見せ始めます。
 (明日に続く。)



1 Jan 2002
Tuesday

 今年も明けました。おめでとうございます。

 一見何でもないことのようだけれど。ただの音楽好きに過ぎない僕のサイトに、たまたまたどり着いてくれた読み手=貴方がいて。毎日が小さな出会い。たまにオフ会でやや大きな出会い。その繰り返しで昨年は暮れました。ある意味奇跡的。今年もたくさんのよい音楽と、素晴らしい出会いに恵まれますように。それだけを祈りつつ。今年も書きます音楽テキスト。

 しかし元旦ともなると、何を書いていいかよく分かりませんね。案外何を書いてもいいのかもしれませんけど。たいていの場合、元旦に行う決意表明なんてものは実現しないと相場が決まっていて。むしろ正月三が日期間限定の効力しかない。であればこの際気合いは入れず、ユルめユルめに今年を展望したく。

 たとえば漢字1字で。

 …「難」。そうじゃなくて。いや確かに難しいんですけどね。「愛」。おいおい愛子サマかよ愛・蔵太かよ違うだろ。ならば「冬」か? まあそのオチも十分に予想されるところですby winter。

 真面目な話、今年も WINTER WONDERLAND をボチボチ作っていくのかなと。基本スタンスはやっぱりお気楽系洋楽サイト的日記サイト(洋楽と日記は適宜入れ替え可)なんだよね。好きなこと書いて、オフではみんなと好きなだけ遊んで、楽しくやっていきたいなと。それだけを祈りつつ。今年も書きます音楽テキスト。

 漢字2字になりましたが。「好」「楽」
 今年もどうかよろしく。




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