Diary -Dec 2001-

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28 Dec 2001
Friday

 これが今年最後の日記になる予定です。2月後半に軽い気持ちで立ち上げたサイトでしたが、思いの外多くの皆さんがアクセスしてくださったおかげで、ここまで楽しく続けることができました。1度でもアクセスしてくださった皆さん、本当にありがとうございます。掲示板や、オフ会を通じてたくさんの出会いがありました。とても楽しい思い出になっています。来年も是非またオフなどを企画していきたいと思っています。

 思っていたより仕事に時間を取られてしまい、なかなかコンテンツの量を爆発的に増やすことができずにいます。あれも書きたい、これも書かなくちゃという思いだけが空回りしています。来年もしばらくはコツコツと地道な更新になりそうですが、どうかよろしくお願いします。

 それでは皆様、よいお年をお迎えください。
 (次回は2002年1月1日に更新できる予定です)



27 Dec 2001
Thursday

 実は今月初めに携帯の機種変更をしました。あ、携帯じゃないです正確には。PHSです。DDIポケットのH"です。いい加減しつこいですね。

 新機種は… SANYO J81 です。 えっ? 2001年も暮れなのにモノクロ端末ですか。折り畳み全盛なのにストレートですか。そうなんです。ストレートのモノクロ端末です。しかも旧機種はJ80、つまり形状・操作性は限りなく同じです。

 実はそこがまさにポイントだったりして。これまで使っていたJ80にはほとんど不満がありませんでした。小さくて軽くて、感度が良くて、音声品質が肉声並に素晴らしくて、時計代わりにもなり操作に余計なアクションの要らないストレート型で。ただ、2年弱使ってきて充電池が弱ってきたようで、それまで8日ほどもっていたのが5日くらいで充電しなくてはならなくなってきたのです。おっと今一瞬引いた貴方はきっと携帯ユーザ。たいてい毎晩充電するんですって? 下手すりゃ帰りの電車の中で電池切れたりするんですって? 電池のもちの良さと身体に悪い電磁波の少なさもH"の魅力のひとつなのです。

 そんなわけで、極力現状の操作性や特色を残しつつ、マイナーチェンジで性能アップできる J81 への機種変は、願ったり叶ったり。事実上0円で交換できたので経済的負担もほとんどなし。Eメール自動受信機能も付いてますます便利。

 ところで昨今の携帯は12和音だとか16和音だとか、着メロで競い合ってるみたいですけど、和音着メロってどうにも気恥ずかしくって。だいたい、騒音の中では気付きにくいように思えるのです。着信を知らせてナンボの着メロ。やっぱりありがちなピロロロロみたいな単音・電子音がもっとも気付きやすいのではないかと。とか何とか言いながら、新機種J81にしてからはガンガン着メロ使ってます。J80にはなかった新機能、それは「録音着信音」

 そう、適当にラジカセの音楽や人の声を録音して、それを着信メロディとして利用できるという機能。これでもはや着メロの選択肢は無限です。ようやくうちの部屋に積み上がっているCDたちにも利用価値が出てきたってなもんです。毎日適当な曲を録音して、電話かかってきたら即イントロクイズモード。あっ電話だ。これは、これは… 『太陽と戦慄 パート2』 (ていうかそんなもん着信音にするな)

 やっぱりはっきり聞こえるのは単音フレーズ。
 今のところ、大好きな Mr. Big の "Green-Tinted Sixties Mind" のイントロのギターを録音して着メロにしています。職場にいる時に電話かかってくるとかなり嬉しいです。明日も誰かかけてこないかな。



26 Dec 2001
Wednesday

 ロンドンのNTTヨーロッパ社に勤める Keith が研修その他で来日しました。Keith は僕が某国際通信会社の英国現地法人に勤めていたときの同僚(歳は向こうが5つくらい上だと思う)で、やはり2000年前後に転職して NTTヨーロッパに移ったのです。99年の秋にロンドンに出張して以来の再会、新宿の韓国料理屋で飲みながら語りました。

 通信業界のこと、日系企業の不思議な慣習のこと、ニューヨークのこと、そしてロンドンでの想い出… 本当に話題が尽きなくて。彼はおっとりした性格ながら、見るところはしっかり見ていて、時には手厳しいコメントもしますが、いつも柔和な微笑みを浮かべていて、実にいい人なのです。

 彼が今年一番よく聴いたアルバムは、Radiohead の "AMNESIAC" だとのこと。僕が "KID A" もよかったよね、と言うと、"KID A" は全然良さが分からなかった、と明言。一番好きなのは "OK COMPUTER" なんだって。ダークな音世界と歌詞の調和がお気に入りらしい。でも最近は Michael Nyman や John Barry なんかもよく聴くし、クラシックにも再び目覚めてきたそうで。僕がロンドンにいて "THE BENDS" を聴きまくっていた頃にはちっとも音楽の話はしなかったのに、お互いに Radiohead を聴いたりしていたんだね。不思議なすれ違い。そして東京での不思議な再会。

 2002年、今度はロンドンでの再会を約して別れました。
 すべての良いことが、キミに起こりますように。Keith へ。



25 Dec 2001
Tuesday

買物特命全権大使:冬くんの物欲日記 『クロノグラフ』

 最近あるサイトでもちょっと話題になった「色」についていうと、最近が好みなのです。あまり暖色系は得意でなかったのですが、例によって人から影響を受けて(僕はいつだって他の人から影響を受けて嗜好を変えていくのです)、最近少しずつ手を出し始めています。

 もっとも、モノトーンは昔から好きなので、例えば全身黒やグレーのグラデーションなんてのも相変わらずカッコいいとは思います。黒が地味な色なんてのは偏見で、自分に言わせればすごく「強い」色なんですよね。これ最強。ただし、その強さに溺れるとすごく平板になってしまい「なんか黒っぽい」で終わってしまうという。そんなときに差し色が効くわけですが、黄色やパープルなんかと並んで、やっぱりもかなり効きます。

 そんなこんなで探していたアイテムに、文字盤が系のクロノグラフというのがありまして。11月下旬の発売日からすごく気になっていたヤツを、12月初旬に買いました。金属部分は鈍い輝きのチタンで、思ったよりずっと軽く、ガラス部分は球面で奥行きを感じさせます。果たしてクロノグラフが日常生活で必要か否かについてはこの際置いといて。ただ、1/20秒ストップウォッチが回転する様子は見ているだけで面白く、ついいろいろな時間を計りたくなってしまいます。部屋から駅までの徒歩所要時間とか、YES の "CLOSE TO THE EDGE" の演奏時間が本当に18分43秒かどうか、とか。(ていうかもっとマシなもの計りたまへ(笑))

 正直言って自分のは別に高い品物じゃないっす。でも全然構わない。自分ではとても気に入っているから。そう、大事なのは「自分が本当に気に入ったモノを身に着けているかどうか」。高かろうが安かろうが関係ない。本当に気に入った素材と色ならば、たとえユニクロのフリースだって立派なお洒落。何より、お気に入りの服やアクセサリーを身に着けていると自信が出てくるし、街を歩いていてもなんだかウキウキしてくるでしょう? 小さなことだけれど、幸せな日々を送るきっかけは、案外そんなところに転がっているような気がして。



24 Dec 2001
Monday

 今住んでいる仙川のマンションの部屋はとても気に入っています。1K、26u強。

 居室が7.5畳くらい、キッチンの方も自分にとっては十分な広さ。バス/トイレ別、独立洗面台なのもポイント高し。やっぱりバスルームは洗い場スペース付きでこれくらい広くないと、リラックスできないから。自炊が楽しいので、2口コンロとグリルもフル稼働中。

 居室の方も、これくらいのサイズでちょうどいいや、って感じ。1Kの部屋に住むメリットは、すべてのものが手を伸ばせばだいたい届く範囲にあるってこと。探しものも範囲限定で探せばいいし、掃除だって簡単。いつも綺麗に片付けておくことができる。これが100平米で部屋が4つもあると、なかなかそうはいかないっすよ。きっと。

 基本的にあまりモノを持たないタイプだし、手に入れたモノも片っ端からどんどん処分してしまう。本当に必要なモノだけ、厳選して手元に置いておく方です。ときどき、処分してしまったモノが必要になって「しまった」と思うこともあるけれど、一瞬のこと。たいていのモノは実はなくても何とかなるし、あっても使うことは滅多にない。そんなわけで、収納スペースにも今のところ困っていません。

 広いこと、速いこと、大きいこと、たくさんあること。

 世の中はそういったものを血眼になって求めているようです。どうやら自分にはあまり関係のない価値観みたい。小さな部屋で、小さなCD/MDラジカセ1台と14インチのテレビ(NEC製、10年もの)1台があるだけだけれど、十分過ぎるくらい。テレビだってニュースと海外ドラマ、映画を見るくらいで、もしなければないでラジオを聴くんだろうな。自分にとって本当に必要なものとか、本当に大切なものが何であるか、それに気づいた瞬間に生き方そのものがずいぶん変わったような気がします。

 あとは猫を飼えたらいいんだけど…



23 Dec 2001
Sunday

 今日はサイトの忘年会@新宿。しまけんさん、茶屋さん、se2さん、ryoさんおしょうさんいずみさんたいようさんと飲み語らう約5時間+α。

 2001年はやっぱりホームページを作ってみた年だったのだなあ、と思いました。上記の参加者の中には以前からの知り合いもいますが、サイトを作ってから初めて知り合った方が4人もいます。不思議な縁です。しかも話してみるといずみさんとは大昔にニフティの「プログレ隔離室」ですれ違っていたことも判明。世の中広そうで狭いものです。

 さまざまな人生を送っている8人が、音楽を好きだという接点だけで12月23日の夜に新宿に集まった。たったそれだけのことでも、僕なんかにはものすごい偶然だと思えてしまいます。ちょっと嬉しくて、ビイルもますます美味しかった。まだあと1週間ほどあるけれど、来年もいい年になりますように。



22 Dec 2001
Saturday

 12月11日(火)午後3時頃。僕はニューヨークのセントラルパーク西端にある、ストロベリー・フィールズにいた。この日は朝から、グッゲンハイム美術館⇒メトロポリタン美術館⇒セントラルパーク散策⇒自然史博物館⇒ダコタアパートへと、ひたすら歩き回っていた。

 ニューヨークのマンハッタンはそれほど巨大な島というわけではない。それでも北端から南端まで徒歩で縦断するとなると相当な距離だ。セントラルパークの横断+αくらいなら何とかなるが、各美術館・博物館がいちいち巨大なので、歩いた道のりも相当なもの。僕はかなり疲れており、ダコタアパートを斜めから眺めるベンチに腰を下ろして、しばらくぼんやりしていると、目の前の歩道をブラックの女性2人が乳母車を押しながら歩いていく。乳母車の中にはそれぞれホワイトの赤ちゃん。つまりベビーシッターだ。人種間の明確な仕事の差違。この後ニューヨークのあちこちで見かけることになる風景だった。

 ストロベリー・フィールズに足を踏み入れることには、少々ためらいがあった。僕は決して、ジョン・レノンの熱心なリスナーではなかったし、ビートルズの大ファンというわけでもない。だが September 11th 以降は彼の音楽に触れる機会が多く、ジョンの考え方にも馴染みつつあった。どこなんだろうと探すつもりで歩き出した僕の前に、あっという間に出現したそのスペース。ダコタアパートから見下ろせるその一角は、拍子抜けするほど小さかった。

 …ぼんやりしたまま何もせず、20分ばかりその場に佇んでいたような気がする。その間、人が訪れては去っていくストロベリー・フィールズ。"IMAGINE" と刻まれたそのサークルでは、ロウソクが消えることがない。訪れたファンたちは、心の中でジョンに何かを語りかけているのか、僕と同じように静かに佇む人が多かった。ジョンへの手紙や花束がいっぱいだったが、時節柄目立っていたのは、先日亡くなったばかりのジョージ・ハリソンの写真や彼が表紙になっている各種雑誌や新聞記事、さらにはジョージ宛ての手紙やジョージが亡くなったことをジョンに伝えようとする手紙の山だった。静かなビートルと呼ばれた男がジョンのところに行ってしまったのだということを、僕は遥かニューヨークのこの地に立って初めて身体全体で認識した。

 ふと顔を上げると若い母親が小さな女の子を連れて散歩に来ていた。女の子がサークルの周りを歩き回って、手紙や雑誌を指差しながら声に出して読んでいた。たくさんの手紙に出てくる George Harrison という名前に気付き、女の子は母親に尋ねた。"Mom, who is George Harrison?"

 「それはこの人のことよ」 捧げられていた PEOPLE 誌の表紙写真を指差して、母親が教える。「この人はね、この間亡くなってしまったの」「ふうん… なんか痩せてるねこの人」

 しかし、母親は娘の次の質問には答えることができなかった。「ねえお母さん、どうしてストロベリー・フィールズなのにここにはリンゴ(Apple)がたくさんあるの?」「さあ、どうしてかしら。変ねえ」

 ストロベリー・フィールズの写真をご覧いただければお分かりのとおり、赤リンゴ・青リンゴがたくさん置いてあった。だがこの若い母親にはビートルズとリンゴの関係がわからなかったのだ。世代を考えれば当然のことかもしれない。そう思っていると、やはりこの場に巡礼に来ていたひとりの老人が静かに母親に語りかけた。「その昔ビートルズが Apple レーベルというレコード会社を興してね。その関係でここにリンゴを捧げる人もいるんだよ」「そうなんですか… 私全然知りませんでしたわ。アップル・レーベルなんて…」 女の子は既に興味を失って母の手を引きながら、もう帰りたそうにしていた。

 そんな会話を耳にしながら、僕もセントラル・パークをあとにした。夕刻が迫り、空気も次第に冷たくなり始めていた。



21 Dec 2001
Friday

 今夜もお疲れです。ちょっとNYから離れて。

***

 その昔、リンス入りシャンプーなんてものが流行った。

 まだ存在はしてると思うけど、どう逆立ちしたって主流ではない。どうして流行ったかというと、その頃「朝シャン」なる風習が一斉を風靡したことに象徴されるように、清潔っぽいのがブームになり、その結果頻繁に髪を洗うことを良しとする価値基準が大衆を支配したことに原因があったのではないか。つまり、何度も(しかも朝早くなんかに)髪を洗わねばならないため、できるだけ面倒くさくない方がよい。シャンプーの後にリンスなんかやってるヒマはない。そこで、シャンプーして洗うとリンスもできているという商品がヒットしたのだろう。

 商品名も安直で、「リンプー」とか「ちゃんリンシャン」なんてのがあったような気がする。前者は「リンス+シャンプー」、後者は「ちゃんとリンスできてるシャンプー」、がそれぞれ語源だ。薬師丸ひろ子のCMだったかな。関係ないけど「恋コロン 髪にもコロン ヘアコロンシャンプー」とかいうのが小学生高学年の頃大ヒットして、クラス中の女の子があの強烈な香りを漂わせて通学してきたのには、子供心にもどきどきしたっすよ。あの香り好きだったんだけど、どこかに在庫残ってませんかねー。当時のシャンプー。

 いかん、脱線した。リンス入りシャンプーだ。

 それは邪道だと私は言いたいのだ。洗浄能力もいい加減なら、リンスのつややかさもいい加減。帯に短しタスキに長し。要するにこれはリンス兼シャンプーであると名乗ってはいるが、リンスでもなけりゃシャンプーでもない。そのどちらからも仲間に入れてもらえない、いわゆる鳥と動物の両方から疎外されたコウモリのような立場にある商品だ。(実際にはコウモリは哺乳類であるわけですが)

 つまり亜流だ。リンスの亜流であり、シャンプーの亜流だ。
 そして日本列島の大半が、こんな亜流のシャンプーを嬉々として購入し、使いまくっては髪を痛めていた時期があったということだ。それも今では昔話になってしまった。亜流シャンプーにまみれた列島。そこは。


 …亜流シャン列島。



20 Dec 2001
Thursday

 さてニューヨーク旅行雑感。主としてフライトについて。

 米国系航空会社は初めて利用したのだけれど、米国人のスチュワーデスは日本とは違ってすごく年配の女性が多かったです。最近は日本の国内線などでも経験者の再雇用などにより年配の方が増えているようですが、そんなもんじゃない。Gramma、と呼びかけたくなるような方もたくさんいらっしゃいました。もちろんベテランらしい気の利いたサービスをしていただけるのならば、年齢性別は一切関係ありません。

 今回破格のNY往復(+アジア地域往復無料航空券)@\39,000であったことは再三書いているとおりですが、それでもやっぱりお客さんは少なかった。少なくとも往路は。だって3人がけのエコノミー席にどれも1人か2人しか座っていないのです。ざっと見回したところ、搭乗率は50%そこそこでした。テロ事件は本当に航空会社に大ダメージを与えているようです。ちなみに復路はあちらに暮らしている日本人たちのクリスマス休暇帰省などもあってエコノミーも満席。ただ、「通路側の席に座れなかった」といってゴネる、というか大クレームを付けまくった日本人男性がいて、フライトアテンダントたちに当たり散らしながら散々粘ったあげく、「このフライトには乗らない!」と言って降りてしまいました。そのせいで離陸時間を1時間オーバー。倫理観の欠如なのか何なのか。ちょっと考えさせられた瞬間でした。

 コンチネンタル航空の機内食は、まあまあでした。自分はあまり食べ物にはこだわらないタイプなので、あるいは甘い評価かもしれません。ちなみに、テロ事件以降ナイフ&フォークはプラスチック性のものになっています。ちょっとチャチな感じ。セキュリティといえば、手荷物検査は本当に厳しいです。持ちこむバッグ類はすべて開けられて、中の衣類にまで手を突っ込まれてチェックされます。身体の隅々までに触れられる、いわゆるボディチェックもありです。逆に言うと、これだけチェックしているうちは比較的安全な旅行ができるということでもあります。これがまた緩み始めた頃がアブナイのではないかと。

 映画はあまり新しいものではなかったのですが、クリスマス絡みの旧作を含めて数本見てきました。そのレビュウはまた明日以降ということで。



19 Dec 2001
Wednesday

 今日はニューヨークネタをお休みして、人事異動について語ろうと思う。
 でも、それが結局またニューヨークなんだけどね。

 先週1週間ぶっちぎってNYで遊び呆け、月曜にお土産抱えて職場に顔を出してみたらば課長がのたまふ「ちょっと来てくれるかな」。大抵良くない知らせに決まってる。いつだって便りがあるのは悪い知らせ。南極しらせ。 「…木曜日から、政策部政策課と兼務ということでよろしく。あ、兼務と言っても、100%あっちの仕事をやるんだけどね。フロアも移ってもらうし」

 マジすか! そして政策課でやる今回の組織横断プロジェクトというのが、ここ関係。といっても日常生活には限りなく関係ない世界経済フォーラム。いわゆるダボス会議、と言えば知ってる方は知ってますよね。毎年1月末からスイスのダボスで開催される国際的な政財界著名人による大会議。これ今年はスイスが降りちゃいまして。やっぱりセキュリティを守れる自信がないと。スイス国軍の警備をもってしてもダメだろうと。○○に刃物。ビンラディンにスイスアーミーナイフ。いやオレは今でもビンラディンは都市伝説だと信じてますが。今ごろヒゲ1本ないツルツルあごでマンハッタンを闊歩しているのではないかと。ビンラディン with マッハシンスリー、これ最強。

 でもってスイスが投げたダボス会議を拾ったのがニューヨーク。今年はNY以下のセキュリティはあり得ないとでも思ったか。ジュリアーニ恐るべし。しかも拾ってすぐにブルームバーグにバトンタッチという極悪非道ぶり(でもないか)。まあ実際には世界最凶のUS ARMYががちがちに警備するんでしょうけど。

 要はうちの「社長」がダボス会議@ニューヨーク(何たる矛盾!)に出席するにあたっての準備プロジェクトチームというわけで。すなわち出席フォーラムの選定&めぼしい著名人との個別会合アレンジ&出張準備&その他モロモロのロジ担。でも事案決定したり関係の役所に便宜供与依頼したりする本当のロジ周りは更に下請けの部署がやるから、自分らはもう少し会議の中身、サブスタンスに関わる作業。端的に言うと膨大な英文和訳と資料作成。会議本部相手の各種交渉ごと。時にはパウエル国務長官との会合アレンジ。まあ普通パウエルは会ってくれんとは思うが。でも一応当たって砕けるのが仕事。

 何を言わんとしてるかと言うと、来年1月末に再び仕事でマンハッタンに出張ってこと。ただし「社長」付き。その他ウルサイ取り巻き付き。考えただけで気が重くなる… が、会場のウォルドーフ・アストリア・ホテルといい、ダボス会議に出席する各界トップのそうそうたる面子といい、楽しみは楽しみ。

 問題はこれから2月半ばまで、またまた毎晩徹夜に近い業務状態に陥って、サイトのテキスト更新がほとんど停止せざるを得ないってこと。暇を見て少しずつ書きますけど、どうか状況ご了解くださいませ。トホホ。



18 Dec 2001
Tuesday

 ニューヨークは美味しい。

 露店がたくさん出ているのですが、そこで買う$1のピーナッツからして美味しい。甘くて、ちょっと疲れが取れるようなほっとさせる味なのです。ホットドッグも美味しい。パンに挟んだソーセージに、ケチャップ漬けのオニオンか、ザワークラウトを乗せて、マスタードを付けてかぶりつくと、そこはどうしようもなくアメリカ。

 そしてNYといえばやっぱりベーグルを忘れるわけにはいきません。可愛いリング状のパン。ニューヨークに多いユダヤ人の食文化とのことですが、誰が食べたって美味しいものは美味しいのです。素材は小麦ベースで、動物性タンパク質を含まないヘルシーな作り。もっちりした食感で、味わい深いのです。

 トッピングはセサミだったりポピーだったり。半分に切ってトーストしてもらい、中にいろいろな具材を挟んで食べると美味しいです。ハムや野菜を挟んでもGOODですが、何といっても相性がいいのはクリームチーズ。これ。溢れんばかりにたっぷりのクリームチーズを挟んでもらってかぶりつく。これ最強。しかも素人にも十分お勧めできる。

 デリも気に入りました。街中あちこちにある DELI には24時間営業のお店も多くて、いつでもどこでも、小腹の空いたニューヨーカーの強い味方。雑貨食料店チックなお店に入り、店の真ん中の台に所狭しと並べられた小皿からプラスチック容器に好きな料理を入れていきます。サラダあり、カットフルーツあり、イタリアンあり中華あり。ぐちゃっと混ざるけれどそんなの気にしない。どうせ食べたら一緒でしょ。レジに持っていって秤に乗せると料金が出ます。いっぱい盛っても$6とか$7とか。店主は中国系だったりインド系だったりヒスパニックだったりいろいろです。その傾向がお店の料理にも表れているような気も。

 最終日の夜は、ホテルの近くをぶらぶら歩いていたところ、Lexington Avenue の28丁目〜30丁目付近がインド人街になっていることを発見。ガイドブックにも載っていた "CURRY IN A HURRY" というお店でベジタブルカレーのセットをテイクアウト。焼きたてのナンと、ミックスベジタブルカレーのスパイスが絶妙にマッチして、ついついバドワイザーの缶をたくさん空けてしまいました。

 そう、日本にいては薄くて飲めないバドワイザーすらも、あの地の食べ物とは絶妙のマッチングを見せるのです。恐るべしビイル者。世界中どこに行ってもその地のビイルを堪能しちゃうのです。



17 Dec 2001
Monday

METROPOLIS- Part 2 "SCENES FROM A MEMORY"

 じゃあ具体的にニューヨークのどんな光景が記憶に残ったのか。総じて、既に9月11日から立ち直り、新しい生活を送り始めているニューヨークを肌で感じる旅だった。

 象徴的だった世界貿易センタービル跡地は、相変わらず瓦礫の山から煙が立ち昇っており、完全復旧はしていない。しかし遠からずあの土地はまっさらになるだろう。場合によっては再びビルが建つだろう。人は脆い生き物だけれど、思ったよりタフなところもある。だが何より人の一番の強みは、すべてを忘れることができる能力だ。忘れ去り、なかったことにしてしまう。この忘却力の偉大さを過小評価すべきではない。絶対に忘れまいと思った事柄でさえ、人は時間をかけて、ゆっくりと、しかし確実に忘れ去る。

  今夜のBGMは例えばこんな感じになるだろう。
 "Across 110th Street" - Bobby Womack
 "Manhattan Skyline" - A-ha
 "Brooklyn" - Steely Dan
 「ニューヨーク・シティ・セレナーデ」 - Christopher Cross
 "7th Avenue" - Ratt

 そして、Billy Joel のアルバム "52nd STREET" の全曲。収録曲の "My Life" で彼は歌い切る。「誰が何と言おうがもう気にしない/だってこれは俺の人生なんだから/だから俺のことは放っておいてくれよ」。この感覚だけは、忘れたくない。



16 Dec 2001
Sunday

METROPOLIS- Part 1 "THE MIRACLE AND THE SLEEPER"

 そもそも今回のニューヨーク行きというのも、例によっていい加減なプランニングだった。実際は自分なんかよりずっとニューヨークを愛するなおさんの方が行きたかったはず。そもそも彼女は例の September 11th の直後にNYでライヴを見る予定があり、実際にギリギリまで行くかどうかを迷っていたくらいなのだ。でも結局諸般の事情でなおさんはNY行きを見送り、なぜかまったく関係ない自分が、11月の下旬になってからぶらりと立ち寄った格安ツアー店であまりにも安い航空券を見つけ、ほとんど衝動買いに近い形で旅行を決めてしまったというわけだ。

 どれくらい安かったかというと、コンチネンタル航空のNY直行便が往復で\39,000である。驚くなかれ、これにはオマケがついている。Sep. 11th 以降たいへんなことになっている航空業界であるからして、当然の如くダブルマイルキャンペーン実施中なのだ。すなわち、初搭乗のボーナスマイルも含めNYに1往復しただけでいきなりグアム or サイパン or その他のアジア地域無料航空券がついてきてしまうのだ。\39,000で。何だかもう冗談としか思えない事態なのだけれど、行かない手はない。今でこそ欧州好きを装う自分だが、95年の3月まではアメリカ文化至上主義者だった過去を忘れてはいない。NYは一番行きたかった都市であり、一番住んでみたかった都市でもある。

 この時期に長い休みが取れたこと、10月の残業代がたっぷり余っていて資金的余裕があったこと、そして出発直前に手配をかけたというのに安価な航空券とホテルが確保できたこと。全てが奇跡的だった。ニューヨークは今年見ておかなければならない。2001年という、テロ事件によって永遠に記憶されることになるであろうこの年に、この目で確かめておかなければならない。奇跡/MIRACLE に感謝する暇もなく乗りこんだコンチネンタル航空の機中で、僕はひたすら眠り続けた。今年いっぱい走り続けてきた仕事の疲れがどっと出たこともあり、来るべきNYでの数日間をフルに活用するためでもあった。数回の食事と断続的な睡眠の末、10時間以上かけて飛行機はニューアーク空港に着陸した。

 (続く)



15 Dec 2001
Saturday

 昨日ニューヨークから帰ってきて、時差に慣れるまで少し不規則な生活を送っています。

 だからというわけでもないのですが、今日は新宿の『さくら水産』で飲んでいてつい終電に乗り遅れ、桜上水までしかたどり着けませんでした。これは史上初めての経験。真のビイル好きは終電を逃がしたりはしないものなのです。しっかり電車で帰宅するか、もしくは最初から朝までビイルで飲み明かすか二者択一。すなわちビイル者失格の烙印を押された夜。「愛に抱かれた夜」はカッティング・クルーの全米#1ヒット。最初の変換が「亜依に抱かれた夜」だったことは隠しておく方向で。

 桜上水から仙川までは多少距離があります。西高東低の冬型の気圧配置、深夜1時頃ともなれば冷え込み厳しく、屈辱的ながらもタクシーに乗ることに。ところが運転手のおじさんが意外にも気さくで楽しい人で、仙川までの短い距離も嫌がることなくOK。道中の話題も弾み、2,090円の料金も特に高いと思わせませんでした。これでこそ商売人なんじゃないのかなあと。ついでにいうと、自分を降ろした後、おじさんは仙川駅前でちゃっかり次のお客さんを拾って甲州街道方面へ向かって行きました。

 Taxi Driver。ちょっとデ・ニーロを思い出す自分はやっぱりニューヨーク帰り。受けてないつもりでも大きく影響を受けているみたいです。旅の感想がまとまったら、少しずつ書いてみる予定。



9 Dec 2001
Sunday

 昨日は meantime の会合に参加。例によってしまけん、daboyの両氏や、初登場となる MORI氏など、多彩なゲストを散りばめて、昼から夜まで長時間に渡って音楽を聴いたりビイルを飲んだり語ったりなどする。世の中には本当にいろいろな人がいるものです。だからきっと面白いのでしょう。自分は終電近くで帰ったけれど、多くはそのまま場所を代えて明け方まで音楽を聴きながら語らったはず。大丈夫だったかな。

 今日は何となく時間が過ぎ去り、夕方に新宿リキッドルームに出かけて The Isley Brothers のライヴに出かけるのが精一杯。Ronald のファルセットは全盛期のまま、というよりむしろますますスゴイことになっているし、Ernie のギターはギュンギュン鳴りまくっていて誰も止められない。踊り、歌い、フロアのみんなが心からハッピーになった午後8時半。7階から1階まで、階段をぐるぐる回りながら降りる途中の壁は落書きだらけ。一番痛かったのは "You love it! KULA SHAKER!" ってヤツだったのは間違いない。これ最強。

***

 明日の午後の便でニューヨークに発ちます。
 毎日読みにきてくださる方には本当に申し訳ないのですが、残念ながら Diary は14日頃まで更新できません。どうかご了承くださいませ。ではでは行ってきます♪



7 Dec 2001
Friday

 つーかですね。今日は銀座で飲んでたですよ。銀河高原ビール@銀座店。
 大学時代のESSの同期が、ロンドンに赴任になるちゅーことで。

 だいたい、本人が遅刻してくるくらいだから主題は割と何でもよいのであって、要するにいつものメンバーでいつもの如く集まって飲む。それが渋谷だったり銀座だったり夏だったり冬だったりするだけのこと。

 しかし今夜は一際盛り上がった瞬間があった。それは、田中真紀子大臣の所管する某省のキャリア官僚たる紅一点、M嬢が出現した時間帯すなわち21時30分頃。おもむろにカレンダーを抱えて登場した彼女、まさかテメーが写ってるとか言い出すんじゃないだろうなとか突っ込みそうになったのだが、実際のところそのとおりであった。しかもセンターで。いわゆる現在のモー娘における吉澤のポジションである。おいおい。

 彼女に言わせれば、周囲の女の子はバイトであって、いはゆるキャリアでカレンダーモデルになっちゃったのは自分だけなのだと言う。決裁権者はもちろん、真紀子大臣。カレンダーモデル? 笑わせてくれる。7〜8月のページで再び主役の座を勝ち取った彼女が取るポーズとはすなわち、ラジオ体操だYO! 大丈夫か日本の海外安全週間。俺月曜からニューヨーク行くんですけど猛烈に不安です。

 そんな彼女も婚約済み。いよいよ結婚するのだという。末永くお幸せに。



6 Dec 2001
Thursday

 先月いっぱいで終わってしまったドキュメンタリー映画の話をしよう。東京都写真美術館ホールで上映されていた映画『神の子たち』のことだ。実は、残念ながら僕はこの映画を見に行くことはできなかった。でも実は、映画ではなく実物を見てきたのだ。だから、このドキュメンタリー映画の内容について少しだけ語ることも許されるだろう。

 覚えている方もいらっしゃることだろうが、2000年7月にフィリピンのマニラ首都圏にあるパヤタスごみ集積場で、豪雨のためごみの山が崩れ、そこで暮らしている数百の世帯が埋まった。助け出された人もいたが、多くは生き埋めとなり、結局そのまま亡くなった。真夏のマニラの生ごみの山だ。死体は猛烈な勢いで腐敗する。ここに住むことは非合法だから、行政サイドではそもそも住民がどれだけいるのかを把握していない(ことになっている)。ざっくり数百人死亡、と発表してそれでおしまいである。

 映画はこの事故の救出シーンから始まるようだ。僕自身がマニラを訪れたのは昨年の秋になってからで、事故の後はほぼ片付いていた。本来は別の用件での出張だったが、せっかくマニラ首都圏開発庁を訪問したこともあり、上司と一緒に頼み込んだのだ。「パヤタスをぜひ、この眼で見てみたい」と。そこは猛烈な異臭を放ち、ハエが飛び交い、ゴム長靴を履いていても一歩歩くごとにごみの中に足がめり込んでいくような、凄まじい世界だった。

 なぜごみ集積場に人が住んでいるのかピンと来ない方もいるだろうか? 好き好んで住んでいるわけではない。生きるためだ。ごみ山、というにはあまりにも巨大な、半径数10kmに及ぶのではないかと思われる見渡す限りの広大なごみ世界で、人々は金目のごみを拾い集めて生計を立てている。事故後、フィリピン政府はごみの搬入を止めたのだが、人々は生活の糧を失ってしまうことから、ごみ捨て場再開のデモを行ったくらいだ。ごみを焼却すればよいではないか、というかもしれない。確かに一理あるが、今度は大気汚染に反対する環境団体が黙ってはいない。しかも、ダイオキシンが発生しないような高温焼却炉は高価で、先進国の援助なしにはたくさん設置することができない。現在のフィリピンの経済状況で、膨大な円借款を返済していけるかというとそれもまた難しい。考えれば考えるほど袋小路だ。だから、ある一定の人々はごみ山に生活の糧を求めざるを得ない。

 「人々」と漠然と書いているが、もっとはっきり書くとそれはほとんど「子供たち」の仕事だ。身体が丈夫な男性や、若い肉体を持った女性には、もっと別の仕事があるからだ。自分が踏みこんだパヤタスのごみ山では、あちらでもこちらでも、5歳前後の子供たちがごみの中に埋もれるようにしてごみを漁り、金属やプラスチックを選り分けていた。もっと小さな乳児を背負っている子供もいる。彼らは、このごみ山で産まれ、多くはそのまま死んでいく。この世の中にパヤタスのごみ山以外の場所、例えば日本の東京の渋谷のセンター街などといったところがあって、コンパクトディスクとDVDとTVゲームソフトを、合計1万円くらい買い込むという生活が存在することを、そもそも知らないままに生まれては死んでいく。

 日本円にして1万円。それはいったい彼らにとってはどれほどの価値なのだろう。同行してくれたJICAの担当者の説明によれば、子供たちが集めたごみを業者に売って得るお金は、確か数十円程度だったように記憶する。そんな暮らしがこの地上にあるのだ。今この瞬間にも。

 だけど、それでも子供たちの眼は輝いていたし、澄んでいたのだ。
 僕は彼らの眼の輝きに、本当に心を打たれてしまったのだ。
 誰も親や、場所を選んで生まれることはできない。たまたま生まれてみたらそこだったのだ。とにもかくにも、そこで生きるしかないのだ。

 僕はこのドキュメンタリー映画に『神の子たち』というタイトルが付いていることに、非常に感慨深いものを感じる。というのは、自分もパヤタスのごみ山を歩きながら、神様のことを考えていたからだ。神様がいるならば(きっといると思うのだけれど)、きっとこの状況をご覧になっているはずだ。どうしてこういう不公平なことをするのだろうと。ひとりひとりの子供たちが大切な存在であるはずではないのかと。

 答えなど出るはずもなかったが、それでも必死に生きる子供たちの姿は、人間という生き物の存在に希望を感じさせるに十分だった。僕はあの光景を一生忘れることはないと思う。そして一生考え続けるのだろうと思う。



5 Dec 2001
Wednesday

 ニューヨークへの出発日がいよいよ来週の月曜日(12月10日)に迫ってきた。どうしても、身の周りでニューヨーク関係のものが気になる。NYにまつわる書籍をパラパラめくったり、Billy Joel の "New York State of Mind" をかけてみたり。

 例えば映画なんかも、たくさん録画してある未見モノからわざわざ『恋におちて』なんかを選んで見てしまう。メリル・ストリープ&ロバート・デ・ニーロ主演。いかにも80年代的な、ちょっとだけ不倫チックな映画だ。ニューヨークの風景がこれでもかというくらいに映し出される。中でも、何度も繰り返し出てくるグランド・セントラル駅の構内と、2人が出会うリッツォーリ書店は印象に残る場所だ。リッツォーリについてはぜひ足を延ばし、美術書を買って映画に出てきた手提げ袋に入れて街を闊歩したい、とも思ったのだが、ガイドブックによれば本店は移転して現在はソーホーの方にあるという。映画の当時は57丁目あたりにあったのだろうか。

 離婚が急増し、最初の結婚を維持することにこだわらなくなり始めた80年代アメリカを生きる中年男女を、デ・ニーロとストリープが好演する。特にデ・ニーロのわざとらしくない演技は素晴らしい。そして音楽が華を添える。デイヴ・グルーシンの、よく転がるキラキラしたピアノのフレーズが印象的だ。

 だが、メリル・ストリープ演じる女性役の声優が、個人的にはあまりにも印象の強い声だったのでどうしても。誰の声だったかって? それは、それは…

 …「大草原の小さな家」のお母さん役の声、すなわち日色ともゑ
 お母さん浮気しちゃだめだよ! ローラが悲しむよ! そしてお父さんことマイケル・ランドンもね!

***

 映画の方はというと、深入りすることなく一旦は別れた2人が時間をおいて再会し、一緒に電車に乗り込んで抱き合うところで終わっている。この後どうなるのだろうか。それは観客の想像に任されているわけだ。本当に好きな人が現れた時、自分の心にウソをつくべきか否か。そして「本当に好きな人」は、結婚した後に現れる可能性だって十分ある。例えば結婚した翌日にでも。



4 Dec 2001
Tuesday

 早く帰れたので、19時からMXテレビで映画『ミスター・ソウルマン』を観る。
 自分にとっては、Sam & Dave で知られる大ヒット曲 "Soul Man" はこの映画のものであって、Blues Brothers のものではなかったりする。どうしても最初に観た方に引きずられてしまうものだ。

 ていうかブラット・パック好きなんですよね。一般にはコッポラの『アウトサイダー』などに出演していたメンツ、すなわちラルフ・マッチオ、マット・ディロン、C・トーマス・ハウエル、エミリオ・エステベス、ロブ・ロウ、トム・クルーズらを指す。一時は映画界を席巻した彼らも、今やほとんどピークを過ぎてしまった。振り返って最大級の成功を収めたのはトム・クルーズなのだろうが、『アウトサイダー』の中では地味な役回りだった。一方で、マット・ディロンなどは低迷期を経て復活し、最近はアブナげなキャラ全開で頑張っていたりする。ロブ・ロウなんて端正な顔立ちで活躍が多いに期待されたものの、お決まりのドラッグ堕落人生を送る。

 そんなわけでC・トーマス・ハウエル主演のこの『ミスター・ソウルマン』は、お馬鹿さ加減が大好きな映画なのだ。ハーバードのロースクールに合格したはいいが、父親は金持ちなのに学費援助を打ちきると言う。そこで画策したトーマス・ハウエル、全身黒塗りになって黒人になりきり、黒人用の奨学金をゲットしようというのだ。バスケットをやらせればド下手な彼、期待どおりのドタバタ劇が展開される。こういうお気楽な FUN ムーヴィーは大好き。それでいて、人種差別の問題についてもしんみり考えさせる。

 しかし主たる収穫2点は別のところにあった。まず、ホイットニーという白人の女の子がトーマス・ハウエル目当てに擦り寄ってくるが、この子のお父さん役を演じているのがレスリー・ニールセン。ご存知、『裸の銃を持つ男』シリーズのドレビン警部役他で有名な彼である。レスリーのすっとぼけた演技は大好きなのだが、ここではブラックに根強い偏見を持つ頑固な親父役を、最後までコワモテで演じてくれる。

 そしてもうひとつは、ハーバードの刑法教授役で出てくるブラック俳優、ジェームズ・アール・ジョーンズ『ルーツ』その他への出演でも知られる、ある意味大御所の彼だが、どこかで聞いたことある声だと思いながら今日も映画見てましたよ(字幕だったのだ)。そしたら。

 … ダース・ベイダーの声優でした。あんなに何回も STAR WARS 観てたのに、声だけこの人が出してたとは全然知らなかったYO! 特徴的な、とても綺麗なアクセントで英語をしゃべります。この教授の役もいい味出してました。ちょっと調べてみると、レスリー・ニールセンつながりで『裸の銃を持つ男 33 1/3』にも出演しており、ハン・ソロことハリソン・フォードつながりで『パトリオット・ゲーム』『今そこにある危機』なんかにも出演していたのでした。う〜ん、何だか得した気分。



3 Dec 2001
Monday

 妹尾河童 著、『少年H』 を読みました。

 妹尾河童という人の名前は知っていましたが、実際に本を読んだのは初めてです。これは彼の少年時代の自伝ですが、神戸で生まれた単なる1少年の見聞記に留まるものではありません。日本が勝つあてのない戦争に突入し、身も心もボロボロになって終戦を迎え、そして復興に向かい始めるまでの、日本近代史の一番の核心部分を、純粋な少年の見方で時々刻々と記した貴重なドキュメンタリーとも言えます。

 訳知り顔のオトナなんか要らない。セノオくんは自分の頭で考える。正しいか正しくないか、好きか嫌いか自分で判断していくのです。何事にも興味津々。首を突っ込み、余計なことを言って怒られる。でもその純粋な視点にはいろいろと考えさせられることばかり。

 活き活きとした文章に「やられた」感ばかりが募りました。激しくオススメ。

***

 兵庫県で少年が身代金目的で誘拐された事件。犯人は消費者金融に4,000万円の借金がある体重130kgの巨漢。そして誘拐された少年の名は「騎士」と書いて「ナイト」と読む。何だか小説が書けちゃいそうだ。

 週末を越して猛烈に風邪を引いた自分に気づく。全身倦怠感+鼻水+喉の痛み+咳こんこん。職場の診療所で薬をもらって飲むと、これがまた強烈で一日中身体がハイになってしまった。仕事なんか手につかない。Because I Got High。イソジンガーグルでうがいをしながらふと気づく。イソジンは明治製菓が作っているということに。もっと美味しくしておくれ。イソジン all the people…



2 Dec 2001
Sunday

 12月。もうすっかり冬だ。

 冬といえばwinter。winter wonderland… などと自分のサイトの宣伝をしている場合ではなくて、ウィンター・スポーツである。中でも個人的にはフィギュア・スケートの季節だ。そんなわけで、フィギュアのグランプリシリーズ、NHK杯をテレビで見ることにする。

 とは言っても今大会は、エントリーしていたロシア選手たちが諸事情により来日しなかった。つまりヤグディンもプルシェンコもブッテルスカヤもスルツカヤも、誰もいないということだ。これは残念。まあそんな状況だから、男子シングルで本田くんが優勝したからといってあんまり感動できなかったなあ。彼はこれでソルトレーク五輪代表の座を獲得したようだけれど、「大一番に弱い」という不名誉な定評を果たして払拭できるだろうか。

 そこへ行くと女子はもう少し期待が持てそうだ。村主 章枝はミスが響いて伸び悩んだが、一方で東海学園大の恩田 美栄がぐっとポイントを上げ、グランプリファイナル進出も決めた。これまであまり注目してこなかったのだけれど、恩田って可愛いね。特にエキシビションでののびのびとした演技と溢れんばかりの笑顔に、すっかりファンになってしまった。

 思い出せば今年の2月、代々木体育館にグランプリファイナルを見に行ったのだった。プルシェンコやスルツカヤの演技はやっぱり凄かったし、ミシェル・クワンのスパイラルの滑らかさ・美しさには本当に感動してしまった。あの時点ではまだ15歳だった新鋭サラ・ヒューズは一際光っていて、以来ずっと応援している。

 テレビでは解説の五十嵐さんの優しく、的確なコメントが聞こえてくる。自分が小学生の頃、男子シングルの選手といえば五十嵐さんだった。五十嵐さんの解説はとても好きな部類に入る。スポーツ番組を見る時に解説者は極めて重要だ。マラソンの解説を増田 明美さんがやっていると、マラソン自体よりも増田さんの美しい声と丁寧な言葉遣いの方に耳を奪われていたりするくらいだ。

 こういう人になりたいなあ、と思わせてくれる人がいることは、いいことだと思う。



1 Dec 2001
Saturday

 今日やることは主に2つある。
 ひとつは、とある精密機器を Sofmap に下取り/買い取りしてもらうこと。もうひとつは、佐世保からいらっしゃるなおさんと2人で濃密な時間を過ごすこと、だ。

 しかし前の夜がちょっと遅めだったこともあり、起きるともうお昼。何やかやであっという間に夕方になってしまう。慌てて新宿に向かい、Sofmap で買い取り査定の順番を待つが、週末のためか大混雑していて、相当時間がかかっている模様。ということは、とりあえず軽く何か食べるしかない。食べるならもちろん吉野屋のねぎだく。これ。ねぎだくってのは、ネギたっぷり、そん代わり肉が少なめ。これ最強。…本気でオーダーしようと思ったが、アルバイトの女の子があまりにもキュートなスマイルだったのであっさり「並」に転ぶ。

 そんなこんなで1時間つぶし、午後6時にやっと順番が回ってくる。免許証のコピーを取られ、書類に記入したところで店員が言うには、「査定には1時間半かかります。今日は午後8時までお支払いいたします」。なるほど。でもね、今日は俺取りに来れそうにないから、明日以降この紙持ってくればいいですよね? 「いえ、日をまたぐお預かりはお断りしております。今日中にお金を取りに来てください」。

 ガッデーム! だって7時から銀座でなおさんとデートなのに、どう考えても8時までに新宿に帰ってこれるわけがない。ずいぶん食い下がったが、Sofmap マニュアル店員はマニュアル以外の対応はできない模様で、同じことを延々と繰り返す無限ループ状態に突入したので諦めて去り、とりあえず銀座へ急ぐ。

 そこで思い出した。銀座/有楽町にも Sofmap ができたんだった。例の宝塚の跡地だったか、無印良品とセットになった巨大な敷地にオープンしたのをすっかり忘れていた。ひょっとすると遅くまで営業しているかもしれない。とにかく急ごう。

 行ってみると、巨大な1階フロア全体が売り場になっていて、なんだか幕張メッセとかのコンベンション会場みたいだった。買い取りコーナーはその片隅にあった。そして何と! 全然人がいない。やっぱり銀座でモノを売るという奇矯な行為に出るのは俺くらいのものか。カウンターのお姉さんに品物を渡し、一刻も早い査定をお願いする。営業時間は9時までだというが、もしそれまでに戻ってこれない場合、明日以降でもよいですか?と尋ねてみると「いいですよ。うちは新宿店とは違って預かりますけど」と言う。なーんだ、お店によって扱いが違うのか。それならそうと最初から言ってくれよ〜。新宿で全く無駄な1時間を過ごしてしまった。ねぎだくも食い損ねて。収穫といえば吉牛の可愛い女の子のスマイルだけ。

 あっ、もうなおさんとの待ち合わせ時間だ! そこでまた慌てて集合場所に走る。シネスイッチ銀座。そう、今日は12月1日すなわち映画の日。当然映画デートである。窓口でお金を払って上映時間を聞いてみると、2時間15分だという。なに!? やっぱり Sofmap の閉店時間には間に合わない。しょうがない、一報入れておくか。電話をかけると、先ほどの女の子とは違う男性店員が出てきた。「それは困りますね… で、次回はいつご来店されるんですか?」 おや? さっきはいいって言ったのに。次に銀座に出てくるのは7日金曜日の予定だ。1週間以内だし、いいよね、と思って「7日です」と答えると、先方は明らかに怒り出した。「それは困ります! だいたい、基本的には日をまたいでお預かりしないことになっているんですよ! 週末を挟んでせいぜい2、3日が限界です!」

 そこでまたブチ切れですよ。お宅の女性店員が「いや別にいいですよいつでも」と言いやがったんだよコノヤロー。社内教育が全然なってないんじゃないかと問いたい。問い詰めたい。小一時間問い詰めたい

 …だが目の前になおさんがスマイルを浮かべて出現し、映画も始まる寸前だったので、あっさり折れることにした。「ハイ。明日取りに来ます。すみませんでした」 おお、屈辱的な敗北宣言!


 そして感動的な再会場面!
 というのは、なおさんとは95年1月の Pearl Jam 日本武道館公演以来、6年以上(7年弱)ぶりの再会だと思うのである。こんなに間を空けて旧友に再会した経験があるかどうかも怪しいくらいだ。そんなわけで、別れた時以降8kg太ったという彼女と、5kg痩せたという自分の感動的な再会場面が、銀座の片隅でひっそりと展開されていた。ちょっと2人の間の距離が、近くなったような気がした。もちろん体重の距離のことですが(逆転はされてないと思う)

 映画は、イースト/ウェスト 遥かなる祖国
 冷戦時代のソヴィエト連邦を舞台に、歴史や体制や過酷な運命に翻弄されるフランス人女性の姿を描く壮大な20世紀ドラマ。軽い映画ではないが、正直に言って、観に行ってよかったと思う。映画を選んでくれたのはなおさん。東側諸国モノや戦争モノはずいぶん詳しい模様。第三帝国とか言うと盛り上がっちゃう模様。なおさんは好みがハッキリしていて、いい意味でミーハーな、チャーミングな女性。自分は大ファンだけれど、特に年下の彼氏募集中ではない模様。それはともかく。

 終演後、「スタバでお茶」企画を立てるも混雑で挫折、結局「マックでお茶」に落ち着く。それとも佐世保ではマクドなのか? いや米軍基地があるから正式に「マクドオォ」って感じか。そんなことはともかく、久方ぶりの逢引は短くも美しく萌え燃え、次の再会を約して別れたのであった。なおさん、そして再会を演出してくれた銀座よ、どうもありがとう!


 …実は翌日もまた銀座に行くんだけどな!




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