Diary -July (2) 2001-

日記才人

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31 July 2001
Tuesday

 昨日ちょっとシリアスになってしまった後でアレですけど。
 まあ自分ではこの振幅の大きさこそ書き続ける魅力だったりするので、ちっとも気にせず書いちまうんですけど。

 一昨日『キングコング』ネタ書きましたね。実は昔からおかしい、変だと思っていることがあるですよ。

 それは、カタカナ表記。

 というのはですね。
 HONG KONG と書いてホンコンと読み、PING PONG と書いてピンポンと読む。

 しからば KING KONG と書いてキンコンと読むべきではないのか?
 (若しくは HONG KONG と書いてホングコングと読み、PING PONG  と書いてピングポングと読むべきではないのか?)

 そこで自分は『KING KONG をキンコンと読み、HONG KONG/PING PONG はホングコング/ピングポングと読む会』の結成を高らかに提唱していきたいわけです。キンコン。ちょっと情けない響きがたまりませんね。ホングコング。いきなり恐い大型類人猿のようですね。


 『ていうかさー、こないだマイレージたまってホングコングに買い物に行ってきたわけ』
 『え〜いいじゃん何買ったのー』
 『ホングコング全然何もなくてさー。ダサい偽ブランドしかないんだよねー』
 『わざわざ休み取って行ったのに無駄だったみたいな』
 『近場の温泉の方が良かったんじゃないのー』
 『だよねー。温泉でくつろいでさー。浴衣着て温泉ピングポングしたりねー』


 …。
 やっぱダメすか。そうすか。

 やっぱり『田村亮子を "タワラちゃん" と呼ぶ会』の方がよっぽど認知されているようで。



30 July 2001
Monday


 ドッジボールといえば、僕らの世代なら誰でも子供の頃やったことのある遊びだろう。だが、アメリカでは「人を標的にする残虐なゲーム」として禁止する学校も出てきたという。昔から禁酒法を施行してみたり、何かと極端な国ではあるが、確かにすぐに標的になるのは動きの鈍い子だったり、足が遅い子だったりするわけで、弱者を狙い撃ちにする遊びだと言えなくもない。

 ところで、このゲームにはローカルルールがたくさんある。自分の小学校では、内野でボールを当てられて外野落ちしても、外から敵を仕留めると再び「命」を得て内野に入れた。他の地域ではどうなのだろう。死者が復活すると解釈するか、いったん野に下った者が時勢に乗じて再び表舞台に上がれる比喩と理解するか、いずれにせよ面白いルールだ。

 似た例に日本の将棋があって、これが西洋のチェスと根本的に異なるところは、敵の駒を取った上で、これを自分の持ち駒として再び戦場に送り込めるという点だという。かつての日本の大名同士の争いでは、捕虜が寝返って相手軍に加わることが決して珍しいことではなかったことの現れだとも言われるが、敵の兵士を「殺す」のではなく、「活かす」ところに視点があるゲームとして、好きな部分だ。

 命の重さをシリアスに捉えていないという議論はあるかもしれない。

 日曜夕刻のNHK「課外授業 ようこそ先輩」は素晴らしい番組だが、2ヶ月ほど前に心臓外科医の先生が、小学校の子供たちに心臓手術のシーンを生で見てもらう、という企画があった。女の子の中にはどくどくと鼓動し続ける心臓の姿、飛び散る血液に気分が悪くなって退室する女の子も出る。だが、心臓を停め、子供たちに丁寧に解説しながら手際よくバイパス手術を進める先生の姿に子供たちの多くは目を見開いて引き込まれていた。

 見事成功した手術に、最後はホッとした子供たち。口々に「先生すごい」「患者さんもすごい」「命の大切さがわかった」などと熱く語り合う様子に、こういう教育が一番大切なんだと胸が熱くなる。

 剥き出しでどくどく動く心臓と、命を救うべく必死に闘う医師の姿を目にした子供たちは、大きくなっても決して安易に他人の命を奪ったりはしないだろう。頭に血が上ってナイフを手にすることがあったとしても、必ず今日の心臓の映像が脳裏をよぎるはずだ。誰も、故なく他人の命を奪うことは許されない。

 死刑廃止論云々ではなく、死刑そのものが不要であるような、他人を思いやり、いたわる社会になれたらいいのに。道端を呑気に歩く猫たちを見ながら、そんなことを考える。



29 July 2001
Sunday


 映画『キングコング』をテレビで見る。

 子供の頃、映画館で見に行ったので印象深い。初めて映画館に連れていってもらったのは『ジョーズ』だっただろうか。その『ジョーズ』も金曜夜にテレビでやっていて、もう何回目になるのか分からないが、流しっぱなしで見ていた。

 どちらも大雑把には動物パニックものに分類できるのだろうが、その性質は全然違う。『キングコング』を今日久しぶりに見て思ったのは、ひどく情緒過多で、冗長なシーンが多いなぁということだった。子供の頃は俳優も全然区別がつかないので、ジェフ・ブリッジスとジェシカ・ラングであることに今日初めて気が付いたくらいだ。ジェシカ・ラングの役どころ、ちょっとオツムの弱い可愛い女優役が時としてうざったくもあり。だいたい、冒頭の能書きが長すぎて、キングコング本体が出現するまでに何十分もかかっていたのは新鮮な驚きだった。

 そこへ行くと、『ジョーズ』の無駄を一切そぎ落とした演出には2001年の今でも驚くばかりだ。冒頭からサメによる襲撃シーンに入る。もっと言うと、オープニングはサメの視点から撮った海中シーンだったりするくらいだ。その後も全く無駄のない脚本でストーリィが展開し、やや荒唐無稽な、サメと人間の洋上対決まで息もつかせぬスピードで突っ走る。

 キャラクターの絞り込みも効を奏したといえるだろう。『ジョーズ』におけるキャラクターは極めて類型的で、簡単に説明できる。ブロディ署長は正義感の強い警官、フーパーは学者/研究者肌、クイント船長は頑固な海の男。せいぜいこれにどうしようもなく俗物で儲けのことばかり考えている市長を加えるくらいだろう。『キングコング』のキャラクターは、ごちゃごちゃしていてちょっと整理しきれていない印象を受ける。

 もっとも、『ジョーズ』におけるサメはひたすら攻撃してくる「悪」の象徴のような存在だが、『キングコング』の方はそれ自体が重要なキャラクターで、言わば純粋無垢な優しい生き物として描かれている点は決定的な違いだ。ニューヨークの世界貿易センタービルの屋上に登るラストシーンで、これでもかというくらい過剰に戦闘機に射撃されるコングの描写は、痛々しさを通り越してむしろ寒いものがある。


 まあ正直なところ、そんなことはどうでもよくて、70年代の映画は、ファッションや音楽やその他もろもろのノスタルジーに浸らせてくれるだけで十分大好きだ。今よりはるかに生きることが複雑じゃない時代だったような気がする。気のせいかもしれないけれど。



28 July 2001
Saturday

 涼しくて過ごしやすかったので、朝からちょっと足を延ばしてみる。川口総合文化センターリリア

 リリアに行くのは初めてじゃないし、行った人ならきっと知ってると思うけれど、駅からの連絡通路で入ったフロアの一角にボランティアコーナーがある。ボランティアに関する情報が大量にディスプレイされており、そうした団体の活動記録ファイルなどもきちんとまとめられている。障害者の方が物販を行うスペースもある。

 コーナーの奥は川口市のボランティア担当出先オフィスになっていて、職員が6人常駐している。(ただし週末は少ないようだ) 自分も地方自治体に勤めているものだから、つい興味があって担当者にお話を伺ってみると、やっぱりこういうボランティアコーナーが行政の施設にあるのは珍しい(市町村レベルでは恐らく全国唯一)のだそうだ。川口市長が「日本一のボランティア市にしよう」という目標を掲げていて、積極的に各種団体のサポートを行っているのだという。

 午前10時から、11階の大会議室で講演会があったので出席してみた。 テーマは「カンボジアNGOの女性自立支援活動 〜性産業における少女たちを通して〜」というもの。カンボジア女性開発協会(CWDA)の代表、キエン・セレイ・パル女史が講師で、少女が性産業に従事させられている実態をドキュメンタリービデオで紹介するなど、リアルで厳しいカンボジア女性たちの現状を直に聞くことができた。

 内戦で疲弊したカンボジアでは、女性が教育を受けるのは困難で、結果として性産業に従事せざるを得ないケースが多い。搾取され、暴力を受け、望まぬ妊娠をし、さらにはHIVに感染して死を待つばかりの女性たち。そんな状況は本を読んだり映画で見たりしてもなかなか想像の域を出ないから、多くの人が生で話を聞けるこうした場を設けることにはとても意義がある。

***

 ちなみに現在自分が某自治体でやっている仕事は、アジア各国の首都や大都市を結ぶネットワークを結成して、それらの都市が共通に抱える問題点を一緒に知恵を絞って解決していこうとするものだったりする。地方自治体にできることには限界がある一方で、逆に国レベルだと身動きが取れない部分もあり、むしろこうした都市間ネットワークから硬直化した国の政策を揺さぶっていくというスタイルもありかな、とも思う。

 その中で、女性の能力開発も大きなテーマのひとつなのだけれど、これは正直言って、日本で毎日を過ごしているとなかなか実態がつかめないのではないか。例えばインドのデリーの担当者が説明してくれる圧倒的な識字率の低さ及び貧困ぶりと、韓国のソウルの担当者が高らかに語る「女性プラザ」の設立計画は、自分に言わせれば全く噛み合っていない。ご存知のように韓国は伝統的に男性優位社会であり女性の力は必ずしも強くないのであって、「女性プラザ」のような箱モノを造っても何も変わらない。むしろそこで何を行うかが重要だろう。

 こんな出来事を思い出す。

 前の会社にいた頃、96年11月にタイのバンコックに出張したことがある。会社のバンコック事務所長はまだ26歳だった僕を、「社会勉強だ」と称していわゆる日本人用のバーに連れて行った。ご存知かもしれないが、バンコックには日本人専用とも言える夜の歓楽街があって、膨大な数のタイ女性が働いている。連れて行かれたバーでも、明らかに出張で来ている日本の会社のオヤジたちが薄暗い明かりの中でタイの女の子たちの身体をまさぐり、女の子たちはお酒を作ってあげていた。もちろん、お金を積めばお店の外に連れ出すこともできる。

 僕についてくれた女の子は、片言の英語を話すことができた。話を聞くと、タイの北東部の出身だった。貧しい農村で、性産業に従事せざるを得ない女性が多いという地域だ。お互い話すうちにすっかり打ち解けて、結局一晩中話をしてしまったのだが、彼女は終始一貫して明るく、希望に満ちていて、性善説に立っているようだった。曰く、見ず知らずの日本人の相手をするのは嬉しいことではないが、家族に仕送りするための手段として割り切っている、お金を貯めてアメリカに留学したいので毎日英語を独学している、最近優しい日本人男性と知り合い一緒に暮らしている、全体として理想通りの人生ではないが満足はしている、とのことだった。

 キラキラした目でじっと僕を見つめて語る彼女の話を聞きながら、その日本人男性とやらが本当に優しくいい人であることを祈らずにいられなかった。あれから5年、彼女は今どこで何をしているのだろう。今でも希望と、人を信じる気持ちを持ったまま生きているだろうか。

 こうした性産業は社会悪だと決めつけて一斉に撤廃することもできなくはない。しかしそうして日本の男たちからお金が落ちなくなった時、彼女たちはどうやって明日を生きるのか。ことはそんなに簡単じゃない。

***

 リリアでの講演会に戻って。

 これをアレンジしたのはカンボジアへの支援を行っているこういう団体だった。大上段に「ボランティア」なんて構えちゃうと堅苦しく聞こえるかもしれないけれど、実は簡単なことなんだろうと思う。つまり、途上国の生活が貧しく苦しいのは事実だけれど、僕らが彼らより経済的に豊かな生活を送っていることに罪悪感を感じたり、わざわざ彼らと同じ生活水準に合わせたり、年収の半分を援助に注ぎこんだりする必要があるとは全然思わない。

 そうじゃなくて、できる範囲でできることをやればいいんじゃない? 例えばお金はないけど時間ならあるよって人なら自分の時間を分けてあげればよいし、家に不要な服や本が余っている人ならそれを提供してもいい。もちろん本当にお金が余っていて、より有効にそれを使ってほしいという人なら、そうすればきっと役に立つだろう。

 講演会では講演そのものが素晴らしかったのはもちろんのこと、団体関係者による、PCプロジェクター操作やビデオの上映、通訳などの手配ぶりやサポートも手際良くて好印象だった。こういう裏方の仕事あってこそひとつのイベントが成り立っている。お疲れさま。



27 July 2001
Friday

 仕事帰りに渋谷に立ち寄ってみました。HMV渋谷店、18:30から来日中の Sisqo のトークイベント。しかしこれが凄まじい人出で、2階フロアはぎっしり詰まった若者で立錐の余地もないほど。Sisqo 自身が超小柄ということもあり、ほとんど姿は見えなかったけれど、元気そうなシャベリを聴いたのでよしとして東急ハンズへ。

 いやホントはこちらが目的で。
 CDを1枚も買わない自分が、12,000円も払って購入するものとは一体何か?

 それはテンピュールの枕。先にハマった妹に騙されたつもりで一度試してみたらもう病みつき。まさに永遠の眠りにつくが如く睡眠に引き込まれる感覚は、履歴書の趣味欄に「眠ること」と書くのを常とする貴方こそ体験していただきたい。店頭に飾ってある現物を触ってみればお分かりになると思うのですが、指で押しこむと、びよ〜んとゆっくり戻ってきます。頭を乗せると、重さを分散して頭の形に枕がゆっくり沈みこみ、柔らかく首周りを支えてくれます。余計な力が全くかからない無重力気分。

 一生の3分の1は眠って過ごしているわけで。それなら少しでも快適に眠りたいものですし、眠ることを楽しめなくちゃ。これほど気持ちよい睡眠と引き換えなら、12,000円なんて全然安いと思えるお買い物だったのです。

 あとはライナスの毛布があれば完璧だね。



26 July 2001
Thursday

 ええと、結論から言うと、女の子の許せないファッションスタイルなんてないっす。女の子は女の子であることに意味があるのであって、何を着ていようとあるいは何も着ていまいと、すべて許容です。できれば着てない方がいいけど。

 それからもひとつ、男性の許せないスタイル(昨日参照)にしたところで、正直言ってどうでもよろしいと思ってまして。実は全然気にかけてなかったりします。しょせん仕事着、その人がちゃんと仕事してくれさえすれば、何を着ていようとあるいは何も着ていまいと、すべて許容です。…いやちゃんと着ててくれなきゃ困る。断固。

 すべては暑過ぎるのが原因でせう。
 この暑い日々、どんなことが一番ツライか考えてみました。

 …「駈け込み乗車はおやめください」の連呼も無視して汗だくで飛びこんだ車両がよりによって弱冷房車だった時。しかも次の駅までチンタラ動いたり停まったりしてる時。でもって噴き出す汗が止まらない時。

 むしろ強冷房車こそが求められている今日この頃。



25 July 2001
Wednesday

 業務連絡です。
 http://user4.allnet.ne.jp/ のURLからジャンプしてきてくださってる皆様、どうかお早目にトップページの新URLにブックマークを変更してくださいませ。むしろ今すぐお願いします。allnet の方は来週初めには消えてなくなりますもので。お手数おかけいたします。

***

 クリームイエローのワイシャツを買ってみました。お気に入り。

 本当はちょっと矛盾してますね。だって日本語でいうワイシャツは white shirt が訛ったもの。黄色いはずがないのです。英語でワイシャツは dress shirt ですね。たまにはちょっとタメになるサイト、winter wonderland。

 もちろん長袖です。半袖シャツ禁止です。それはあくまで自分だけのルール。
 これだけは譲れないというものを持っても、バチが当たるほどじゃないと思う。バチが当たらない程度に、自分が許せないスタイルは例えばこんな感じ。

★ 職場に行ったらすぐサンダルに履き替える人。
★ 紺のスーツに、白いソックスを履いてる人。マーク入りはなお不可。
★ スーツのパンツ丈が短すぎる人。または長すぎて引きずってる人。
★ パンツがきつきつで前のタックが全開になってる人。
★ 逆にパンツのウエストがダブダブの人。
★ ワイシャツの首周りが合ってなくて、ネクタイ締めても指3本入るくらい余ってる人。
★ 素肌にワイシャツ着てる人。
★ 靴がギョウザ靴の人。
       ↑
   分かります? なんかオジサンのビジネスシューズらしいのですが、
   ギョウザの皮のようにシワシワになってるヤツです。

 ぜいぜい。
 どうでもいいと思ってたことがこんなに気になってたなんて。

 えっ、許せない女の子のスタイル? そんなの決まってるじゃないですかぁ。
 でもまずはあなたの意見から聞かせてくださいね(^^)



24 July 2001
Tuesday


 「なんか、芸風変わった?」

 彼女の言葉は唐突だった。
 「そ、そんなことないよ。普通だよ」
 うろたえる自分の声が、ひどく遠くから聞こえるような気がする。
 「ウソばっかり。最近、女の子ネタが多いよ。独りだってことを強調してるし」

 …図星だ。見てる人には分かるのだ。彼女は僕を真っ直ぐ見つめている。
 「芸風なんてさ、いろいろだよ。だいたい、文体や型が毎日一緒だと、読む方も飽きるじゃない? 日記ページを読んだときに、日替わりの、オムニバス短編集みたいな方が好きなんだ」
 しゃべりながら理由を考えるから、どんどん説得力がなくなる。
 「書き手としての気持ちもそう。毎日違う芸風、違うキャラを演じることで、倦怠感から逃げ続けてるのさ」
 「ふうん。そうやっていつまでも逃げ続けるつもりなの?」
 「そ、そうだよ。最後まで逃げ続けることができれば、それは勝ったってことだろ?」
 「何に勝つの? あなたがいつも言ってる勝ち組とか負け組って、いったい何なの?」
 「そ、それは…」

 海から潮風が吹きつけるが、それはちっとも爽やかではなく、むしろ重くのしかかってきた。青い空に入道雲がもくもくと湧き上がっていた。砂浜の水着の女の子たちには、ちっともリアリティがなかった。それを言うなら、僕らがそこにいること自体が、全くリアリティに欠けていた。だが間違いなくそこにいたのだ。理由もへったくれもない。それが男と女。そうだろ?

***

 部屋に戻った自分は、1枚のCDをプレイヤーに放り込む。Stuff の "STUFF"。迷うことなく2曲目の "My Sweetness" をかける。部屋中に染み渡るフェンダー・ローズの音色が、どうしようもなくノスタルジックな気持ちを呼び覚ます。エレクトリック・ピアノの音がこんなに好きになるなんて思いもしなかったあの頃。学校が終わると走って家に帰り、NHK-FMで『軽音楽をあなたに』を必死にエアチェックしてたあの頃。今、自分の耳は Richard Tee の鍵盤だけを追いかける。「いとしの貴女」。僕の思いは、半ば暴力的に83年の夏と95年の夏に引き戻される。

 正直言って、嬉しかった。この広い地球に、ほんの少しでも自分のことを気にかけてくれる人がいたということが、こんなにも嬉しかったなんて。きっと人は、誰かに必要とされているという感覚を得られなくなった時に、自ら死を選ぶのではないか。自分はまだ死にたくないし、その人にも生き続けてほしいと切に思う。

 Richard Tee は、静かにエレピを弾き終わった。
 そんな彼も、もうこの世にはいないけれど。



23 July 2001
Monday


 朝日新聞夕刊に連載された『還暦からの高田賢三』が面白かった。

 ご存知 KENZO ブランドの彼だが、62歳にして意気盛んだ。もちろんライフスタイルに年齢なんか関係ないのだけれど、例えば今年の3月の誕生パーティの招待状が、自らの引き締まったバディを撮影したヌード写真だったと聞くと、並みの62歳じゃないなって思わずにいられない。白い歯をのぞかせ笑っているその写真の上にある文字は "J&J"。jeune et joli、即ちフランス語で『若くてきれい』

 本人はもうケンゾー社を退いていて、日々充実した生活を送っているという。退社してすぐは「これからどうしよう」と真っ白なスケジュールを前に眠れなくなったそうだが、1年かけて吹っ切ったそうだ。専属トレーナーをつけてダンベル等筋トレその他週3回、フラメンコダンス週2回、油絵も画家が教えにきて週2回、フランス語の勉強も週2回。伝統工芸を見る旅で世界中を巡る。

 スゴイ。年齢を重ねてもエネルギーを持ち続けてる。
 そういう人でありたい。ベクトルは違うけれど、常に何かを追いかけていたい。

 『若くてきれい』にこだわる高田賢三は、いつまでも恋愛をしたいのだと言う。喜怒哀楽を共有し、相談相手になる人を今からでも見つけたいのだと。精神的にも体力的にも『若くてきれい』であろうとする彼を、僕は笑い飛ばすことができない。でも一方で、この人は恋愛をしたことがないか、あるいは幸せな恋愛だけをしてきた人なのかも、という気もする。本当のところは分からないけれど。

 気に入った彼のコトバ。
 「年齢も仕事も転換期だから、ページをめくるように家も替えたい」
 「(遺骨は)半分は海に散骨してほしい。きれいな海ならどこでもいいです。海は世界中つながっていますから」



22 July 2001
Sunday


プチ連載: Seoul 旅行記 (最終回) 「明洞餃子〜さよならソウル」

7月14日(土)
03:30
 目覚める。

04:30
 眠れない。ずーっと考え事をしていて、ぐるぐる回ってて。
 仕方なくファミマに出かけて Miller の缶ビールとバナナミルクを買ってみる。どうもこっちのコンビニでは Flavored Milk が目につくのです。バナナ、ストロベリーは当然として、Chestnut(栗)ミルクまであって、各種にぎやかに並んでて。部屋でビイルを飲みながら、考え事に決着をつけて再び睡眠。

09:30
 ホテルをチェックアウト。
 朝食を食べようと出かけた韓国式すいとんのお店はまだ開いておらず、残念。その足で鐘路(チョンノ)まで歩いていくことに。小腹が空いたらスニッカーズ…もいいのだけれど、ここはソウル。コンビニ BUY THE WAY に入って、スニッカーズそっくりのロゴが笑わせる Lotte の "ATLAS" というチョコバーを買ってみます。500W。うむ。まずまず。

 チョンノの様子はこんな感じですが、特異な形でひときわ目を引くチョンノタワーというビルがありまして。国税庁が入ってる建物だそうなのですが、地下6階+地上23階、地下街はショッピングプラザにもなっていて、なんだか便利な感じでした。

10:00
 チョンノタワーの裏手にある里門ソルロンタン(イムンソルロンタン)に入ってみます。
 なんでもここはソウルで最古のソルロンタン店らしい。創業以来90年以上の歴史をもつソルロンタンひとすじの店で、地元ファンが多く、ソルロンタンを食べるならここと、わざわざ食べにくる人も多いそうです。牛の頭や足、骨、内臓などすべてを大きな鍋でじっくりと煮込んだソルロンタンは5,000W。

 牛スープの良い香りのするどんぶりに、刻みネギを自分でたくさん入れて、時々キムチを食しながらいただきます。牛の薄切り肉が何片も入っているのですが、見るからにさまざまの部位の肉。だからこそひと口では語れないだしの奥深さ。周りを見ると、時間帯のせいもあるのかどうか地元客ばかりで、好印象。

10:30
 てくてく歩いてタプコル公園のところで左折。
 そう、ここから仁寺洞(イムサドン)。民芸品や伝統工芸品関係を中心に、細い道の両脇にずーっとお店が並んでいる通りです。いやあ、気に入りました! まだ朝の時間帯だったこともあるのかな、静かな通りにアンティークや民芸品がずらり。1軒1軒、じっくり見ていきます。アンティークものを買い漁る趣味は全然ないのですが、お店を見て歩くのは大好き。前の所有者はどんな人だったんだろう、とかいろいろ考えちゃいます。マジンガーZやゲッターロボなんかの超合金を集めたブリキ系のお店もありました。

 あるお店で、ニコニコした素朴な子供や、楽しそうな家族を描いたレリーフがたくさん展示してあって、その前に立ったら急に目に涙がたまりました。なんだか心のすごく深いところを突かれたらしい。

11:15
 イムサドンを抜けて、景福宮(キョンボックン)に向かいます。ソウルには王宮の跡がいくつも残っていますが、とりあえずこの景福宮くらいは見ておこうかなと。正門である立派な光化門(クァンファムン)をくぐって中に入ると、遠足か修学旅行みたいな韓国の子供たちが大量に整列していて、先生の説明を聞いています。ちょっと方針を変更して、敷地内の国立中央博物館を見学することに。700W。

 韓国/朝鮮文化の流れをひととおり把握できる展示物構成。昨年は台北の故宮博物院に出かけるチャンスがあって、その時にも思ったのだけれど、本当に陶磁器も銅鏡もすべて西の世界から来たんだなぁ、と。日本の歴史博物館で見慣れたものとほとんど同じ色形のものが、遥かに古い年代のコーナーにずらりと展示されているわけです。なるほど。

12:30
 さあ、残り時間が少なくなってきました。地下鉄で思いっきり南へ移動、川(漢江)を渡ります。ソウルは東西に流れる漢江で大きく北と南に分断されていて、地図をぱっと見た時の印象はロンドンのそれと非常に近いです。ただ、テムズ川とは流れる方向が逆ですけど…

 川の南で降りてみたのは狎鴎亭(アックジョン)。韓国の若者ファッションの発信地ということで、ロデオ通りを中心にブランドもののお店などがずらりと並ぶストリート。…でも結論から言うと、街としては全然惹かれなかったです。自分自身が、ブランドや服へのこだわりがほとんどないもので。それより人間そのものの方がずっと面白いし、お金も時間も別の使いかたをしたいなぁと。おなかも空いてきたので、急いでミョンドンに戻りましょう。

13:35
 ソウル最後の現地ご飯。何を食べるか、実は最初から決めてました。
 それは、明洞餃子(ミョンドンギョジャ)! 餃子好きの自分にとって、チェックせずにはいられないお店。見掛けは古い食堂風で、1階席と2階席で約180席。でもお昼時にはぎっしり埋まってすべてのテーブルは相席なのです。しかも現地のお客さんが多い。これは味に期待できる。

 そこで、名物のカルグクスを注文。カルグクスとは、韓国風のうどん。スープは鶏や煮干しで、その中にやや平べったい小麦粉の麺が入り、さらにこのお店ではワンタンのような大きめの餃子が5つくらい入っているのです。味が染みていてとても美味しい。たっぷりサービスされるキムチの味も極上、スープと絶妙のマッチングを見せてます。

 狭いお店の中をキムチやご飯を持って忙しく動きまわる店員のおばさんたち。お客さんに頼まれる前にキムチをどんどん追加していきます。これがこのお店の誇るサービス精神なんですって。わずか5,000W(≒500円)のカルグクスであっても、それだけお客さんを大事にする心が、30年の歴史を誇るミョンドンギョジャの伝統を作り、これだけの忠実なお客さん/ファンを惹きつけているのでしょう。美味しかった。心から、ぜひもう一度食べたいと思う。

14:00
 ロッテホテルの前からエアポートリムジンに乗り込みます。
 まさに帰る頃になって、バスの窓の外にポツポツと雨粒が付きはじめました。睡魔が襲ってくる…

15:30
 インチョン空港着。
 チェックインして入ろうとすると、空港使用料が必要だと。クーポンを買いにいくと、15,000Wもしました。しかしこれは外国人料金で、韓国人は25,000Wだというのだからもっと驚き。土産品などをお買いもの。

16:30
 搭乗直前。空港周辺は激しい雨。まさかこれが、ソウル市内で翌日何十人もの死者を出すことになる豪雨の前触れだとは夢にも思いませんでした。あと1日帰国予定が遅い旅行日程だったらどうなっていただろう…と、今にして思えば恐ろしくもあります。

 さよならソウル。短い滞在ではありましたが、人々の生活や北朝鮮や、その他いろいろなものを見ることができたと思うし、自分の心の整理もできたつもり。どうもありがとう!

 …で、頼むからそこ窓側席に座ったオヤジ、『オレ窓際族だからさ、ガハハ』とか言うのは止めてくれ。最後なんだからさ。もう。

***

(おまけ)
 帰国は福岡空港経由で羽田に戻りました。福岡なんてソウルから1時間ちょいなんですね。本当に近い国、隣国なんだって実感しました。

 福岡国際空港も新しい建物で、国内線ターミナルまではシャトルバスで移動。運転手は女の子でした。窓の外に虹がかかっていたのがとてもキレイだった。国内線ターミナルに着いて、乗換え便を待合室で待っていると、隣に座っていたのはさっきのソウルからの国際線に乗っていた、笑顔のとてもキュートなスチュワーデスでした。あっという間に私服に着替えていたので全然気付かなかったという… 自分と同じ便で東京に帰る途中だったわけですね。

 電車を乗り継いで自宅まで帰り着いたのは、もうすっかり夜中でした。
 とりあえず、『ふたりは最高! ダーマ&グレッグ』だけは見て眠りました…

 これで本当におしまい。旅行記にお付き合いくださり、どうもありがとうございました。



20 July 2001
Friday


プチ連載: Seoul 旅行記 (第4回) 「南大門市場〜ソウル最終夜」

7月13日(金)
09:30
 ビイル飲みすぎで遅めの起床、ホテル近くの「百済参鶏湯(ペクチェサムゲタン)」に出かけてサムゲタンを食す@10,000ウォン。

 サムゲタンとは、丸々とした鶏肉の鶏、その腹にもち米、高麗人参、ナツメ、ニンニク、栗などを詰め込み丸ごと1羽を煮込んだスープ。疲労回復など滋養効果が高いと言われてます。う〜ん、美味い。

 このお店は突き出しのキムチもとても美味。はっきり言って韓国のキムチは日本のそれとは全然別モノだという気がしました。日本のキムチは単に調味料で辛さだけ増幅した、浅漬けのようなイメージがあるのですが、韓国キムチは本来乳酸菌の作用で熟成させる発酵食品。辛いというよりむしろ酸っぱく、「旨み」もかなり違います。

 韓国産トウガラシには、辛さの主成分カプサイシンが少なく、甘味や油といった旨み成分が多く含まれているそうで。そのため韓国のキムチには、程よい辛さだけでなく、味に深みが感じられます。鰹節やその他だしの出るものが一緒に漬けこまれているようでもあり、ビタミンA、Cの量も豊富なんだとか。

10:30
 コーヒー飲みながら絵ハガキ書いて、散歩がてらソウル中央郵便局まで出かけて投函。

13:00
 ぶらぶらした後、ミョンドン近くの南大門市場(ナンデムンシジャン)に歩いて出かける。

 いきなりゴチャゴチャと屋台風のお店の群れが立ちはだかり、人ごみの中を縫うようにして進むと、巨大なデパート『MESA』が出現。1F〜6Fまでぶち抜きのノンストップエスカレータが有名みたいです。試しに上ってみましたが、途中で降りたいフロアがあったのに降りられないというのも便利なんだか不便なんだかよく分かんないという…。正面の特設ステージでサマーファッションショーをやっていたので椅子に座ってしばし眺めてみます。次々服を着替えて出てくる女の子の細いこと細いこと。どう見ても整形顔なのですけれど、これは韓国では全然珍しいことではなくて、かなりの割合で女の子たちは整形しているらしい。結果として、まぶたとかアゴとか鼻すじとか、似たようなルックスになってしまってる女の子たち多し。

 ナンデムンシジャンの印象は、御徒町が無秩序に10倍くらいに巨大化した感じ。狭い路地に軒先までせり出してきた大量の衣類、靴、その他雑貨のお店と人ごみで窒息しそう。狭い路地は至るところで枝別れしており、小さい階段を上ったり、坂道を下ったりしながら複雑に交差しています。あてもなくブラブラ歩いていた自分は迷宮に入り込んだかのような気分に。ていうか、本当に迷子になりかけました… が、奇跡的に MESA を再発見して生還することができました。売る側も買う側もすさまじいエネルギーを発散していて、やっぱり庶民パワーというか、勢いが違うなぁと思った街でした。

  勢いとはちょっと違うと思うけど、お昼時だったせいか、デパートや市場の可愛い女の子店員たちがカウンターの内側でキムチや真っ赤な麺などをパクついているのを見るのは相当違和感ありました。まあ、日本の女の子たちがコンビニおにぎりやサンドイッチを食べているようなものだと思えば、理解できなくもない…?

13:50
 自分もお昼ご飯を食べることにします。

 これはもう、ぜひ本場の石焼きビビンパを食べねばならない。というわけで訪れた全州中央会館(チョンジュチュンアンフェグァン)、これぞ食文化財に指定された全州地方名物の石焼きピビンパプ。ミョンドンの喧騒の中、ひっそりと奥まったところにお店を構えるこのお店は43年の歴史と伝統を誇る名店。もちろん内装も古くて、小さな田舎の食堂を想像してもらえれば近いかも。2階席もあります。お昼時ということもあって、席はあらかた埋まってました。ご飯の上には豆モヤシ、山菜、ほうれん草などの多彩なナムルが飾られ、見た目もきれい。7,500W、汗をかきながら食べ終わりました。。

 確かに素晴らしい美味しさなのですが、日本人観光客だらけ(見たところ9割以上)なので、日本で食べてるような気分になってしまうのが難点?

14:30
 ハンビット銀行(韓国一地価が高いらしい)で少しだけ両替してから、ミョンドンキルという通りの先にある明洞大聖堂に足を延ばしてみました。小高い丘の上から繁華街を見下ろすようにそびえ立つ、ネオゴシック様式の高さ45メートルの尖塔と本堂。約20種類の赤レンガで作られているというのが売りらしい(珍しいのかな?)。カテドラルの中に入って席につき、キリスト像を眺めながら30分ばかりぼんやりいろいろなことを考えました。

 教会のひんやりした空気の中にいると落ち着きます。むしろ積極的に好き。お祈りはお決まりの「天にまします我らが父よ…」で始まるあれしか知らないのですけれど、しばし都会の雑踏から遮断されたこの空間にいると、心の雑念が静かに沈殿していくような気がします。

 教会という建造物は本当に特異だと思う。一歩入ると遥か上空に霞む天井。壁画があることも多く、自然と天を仰ぎ見る形になります。無駄な空間といえばそれまでですが… 決して明るくない建物内部に差し込む光は、ステンドグラスを通して独特の色合いになり、人々の心に何らかの影響を与えずにおきません。神との交信の場として計算し尽くされた構造美に、いつも感嘆してしまうのです。

15:10
 いったんホテルに戻って着替え、ここからお仕事モード。
 実は勤め先がソウル市と深い関係にあることから、ソウル市庁の担当者を表敬訪問することになっているのですね。

16:00
 まず、同行者をピックアップするため、市庁近くの某総務省外郭団体ソウル事務所を訪問。ここには日本の各都道府県から多数の職員が出向しており、自治体国際交流その他業務の支援をしています。

 ここで聞かされた話はひたすら「教科書問題」。韓国世論が大変なことになっていること、自治体レベルの交流も一から見直すこととされ、ホームステイやスポーツ交流などが次々と中止に追い込まれていることが話題になりました。交流事業を止めてしまうのは簡単なことですが、再び築き上げるのには手間も時間もかかるもの。両国政府には慎重な対応をお願いしたいところなのですが…

17:00
 ソウル市庁訪問。
 いきなり先方の部長クラスを紹介され、日本語通訳者を交えて会談開始! でも、自分としては基本的にプライベートで来てるつもりなのでイマイチ仕事モードに切り替わってくれない… 何とか無難にこなして、別の担当者から市庁内を案内してもらいました。

18:00
 ソウル市庁職員が近くの焼肉屋さんに連れてってくれました。美味しいプルコギとカルビをいただきながら、話が弾みます。通訳をしてくれたのはソウル市庁の通訳専門職員の女性。この人がかなり美人で、見とれてしまいました。何年も前にKDDが「世界の美女シリーズ」というTVCMを放映していたのを覚えていますか? 「ゼロゼロワンダフル」って言うやつ。あれの一番人気が韓国編だったのですが、あの女性モデルにそっくりな感じ。

 韓国と日本の生活事情の違いその他について、いろいろ話が盛り上がります。文化面では、日本のアニメなども多量に流入しており、吹き替えで放送されているため、韓国の子供たちの多くはそれを韓国産だと思い込んでいるんだそうです。「日本でも最近は映画『シュリ』や『JSA』が公開されて人気があり、韓国/北朝鮮問題についても認識が深まりつつあります」と話しておきました。

 お肉の後には水冷麺(ムルレンミョン)。平壌式と呼ばれるあっさりスープの冷麺で、そば粉とジャガイモの澱粉で作った麺は半透明でコシがあります。牛肉を煮込んで作った冷たいスープに、肉や野菜などが乗っています。弾力のある麺を、ハサミで適当な長さにカットして食べます。キムチも小皿に取り分けてからカットすることが多く、テーブルにハサミは欠かせません。で、レンミョンは最高にさっぱりしていて美味しかった! 本当に焼肉の後に合うんですよね〜。

 最後にお土産として、ソウル市職員から韓国ポップスのCDをもらっちゃいました。S.E.S. という女の子3人組の2001年リリース "Surprise" というアルバム。ハードカバーのミニ写真集にCDが付いているような特殊装丁盤で、サウンドはとてもポップ。メロディがくっきりして分かりやすく、すぐに入り込めて気に入りました!

20:00
 ソウル市職員たちと別れた後、そのままミョンドンに戻り、夜の街をぶらつきます。
だってソウル最後の夜なんだもの。Glenn Frey が歌ったとおり、"♪You belong to the city / You belong to the night / Living in the river of darkness / Beneath the neon light..." なのです。可愛い女の子が集まり、夜遅くまで、いや朝まで盛り上がるこの街に吸い寄せられるように引き込まれていくのです。

 とりあえずコーヒーショップへ。ついに SEATLE'S BEST の Milkshake (Javanilla) をオーダー! いや〜、お店の外にポスターがべたべた貼ってあって、毎日すごく気になってたんですよね。6,000ウォンもするし。でも、"Sip 'n' Shiver" と書かれたポスターのキャッチコピーどおり、冷たくて生クリームたっぷりで美味しかった。

21:00
 あとはもうただ何もせず、何時間もミョンドンの人ごみに紛れてあちこち歩き、人々を眺めるのみ。人気のファッションビル、ミリオレの前の特設ステージで、素人の若者たちが歌を歌ったり、ダンスを披露したりするイベントをやっていて、黒山の人だかり。多分コリアンポップスなのだろうけれど、ヒット曲みたいなのを歌いまくる男の子や女の子にすごい声援が。途中、Britney Spears "Oops! I Did It Again" に合わせて踊った女の子4人組にはひときわ大きな歓声が上がってました。

22:30
 まだまだ賑わうミョンドンですが、次第次第に静かになっていきます。男性同士のケンカの場面を通り過ぎ、今夜は Hite ビールのスタウト(黒)を買ってホテルに。いよいよ明日の夕方にはソウルを発ちます。あとどれくらい見て回れるかな…
(続く)



18 July 2001
Wednesday


プチ連載: Seoul 旅行記 (第3回) 「北朝鮮へ!」

10:30
 Military Museum を見学。20代の若い韓国兵士が流暢な英語で説明をしてくれます。日本による占領時代の生々しいディスプレイや、朝鮮戦争の血生臭い歴史。やはりこれを踏まえないと、日韓の間に横たわる諸問題を理解することはできないと思う。

 北朝鮮からの亡命者について説明するコーナーでふと床を見ると、金日成と金正日親子のイラストが描かれてました。下手な絵なのに、なぜかとても良く似ていて。既に他界している金日成の顔には赤いテープが大きく「×」状に貼られてました。韓国兵士の説明によると、DMZツアーは韓国内の修学旅行生などもよく訪れる人気コースなのですが、このコーナーで決まって先生が生徒たちにこの親子の顔を踏みつけるよう指示するのだそうです。同じ民族から何度も何度も踏みにじられたその親子の顔に浮かぶ淡い微笑みを見ると、ちょっぴり複雑な気持ち。

 近くのグラウンドでは兵隊たちが軍事訓練を行っている様子でした。

11:00
 展望台へ。
  川を挟んで、軍事境界線以北の北朝鮮内の最南の村も見えますが、これは人が住んでいない宣伝村だという話。立派なビルをいくつも建てて「北はこんなに豊かに暮らしているのです」ということを南側に見せつけているつもりなのでしょう。ずらりと並んだ望遠鏡に500ウォン入れて北朝鮮の風景を眺めてみました。人が歩いている様子は見当たらなかったけれど、建物の間を白い車が1台、走り抜けていったのが印象的。ひょっとしてあれも遠隔操作で動くハリボテの車だったりして… 

 40年間手付かずの豊かな自然に囲まれたこの非武装地帯には、ある種人工的な違和感を感じずにはいられません。殺伐とした、毒々しい風景だという人がいましたが、確かにそんな印象もあり。

11:30
 いよいよ南侵第3トンネルへ。
 これは1978年に発見された、韓国侵略のために北朝鮮が軍事境界線を越えて掘っていたトンネルです。1時間で北から軍1個師団分の兵力を投入できる能力があるらしい。こんなものが78年まで気づかれずに残っていたとは… ディスコブームに乗って世界中踊りまくっている場合ではなかったわけですね。

 ツアーでは韓国側からこのトンネルに約270メートル入っていくことができます。とはいえ、地下73メートルまで潜るので、計算すれば勾配の急なことはご察しの通り。しかも上から水は滴るし、足元が滑りやすくてかなり危険。幅2メートル、高さ2メートルとはいうものの、場所によってはもっと狭く、身長186cmの自分は頭がつっかえることも。空気は急速に冷たくなり、酸素は薄くなる(ような気がする)。

 一番下に着いて平行コースになると、突然「今自分は地下73メートルにいるんだ」ということが気になりはじめます。「もし今地震があったら」「もし停電になってこの照明が切れたら」と急に圧迫感に襲われ、実はプチ閉所恐怖症だったらしいことが判明。あらかじめ分かってる方にはお勧めできないツアーかも。それでも、この地下の見学限界線は軍事境界線より北にあるらしいので、どうしても北朝鮮に足を踏み入れてみたいという方は検討してみてもいいと思います。ちなみに写真撮影はトンネル正面のみ、内部にはカメラを持ち込めません。

 急な坂を手すりにつかまってひたすら登る帰り道はまさに地獄で、みんなゼーゼー言いながら汗だくになってトンネル入口に戻ってきました。体力勝負あるのみです! 外に出ると、照り付ける日差しの下気温は31度。ただ、湿度は東京ほど高くないので、汗は割とすぐに乾いていきました。

12:20
 これでツアーの予定の大半は終了、あとは昼食タイム。
 非武装地帯を抜けて、ドライブイン風の食堂で焼肉を食べます。まわりもみんな観光客ばかりで、要するにこの手のDMZツアー御用達のお店なんだろうな。プルコギの味はまあまあでしたけど、ツアー参加者とテーブルを囲んでいろいろ話せてよかったです。ニュージーランド人の男性に「Crowded House って知ってる?」って尋ねると、"Of course!" とニッコリ。Finn Brothers は今でも元気だよって言ってました。これからスコットランドに引っ越す予定で、その前に生まれて初めて豪州、NZの外に出たよ、ってことで、totally different world だとしきりに語る彼。ビイルを飲みながら楽しく焼き肉を食べます。

15:20
 バスに揺られてソウル市内到着。みんなとお別れ。

15:30
 さて市内散策に出かけましょう。とりあえず、初めての地下鉄に挑戦。
 ソウルは地下鉄網が発達していて、しかも料金が安い(600ウォン≒60円)で市内あちこちに移動できます。日本の地下鉄そっくりの造りで、違和感ほとんどなし。ガイドブックに載っていた「大学路(テハンノ)」で降りてみます。

 かつてソウル大学があった街ということで、小劇場やアート関連施設の多い小洒落た街という触れ込みだったけれど、一歩裏に入るとごみごみした汚い通りが多かったです。疲れたのでコンビニでアイスクリームを買って、しばし道端に腰を下ろして道行く女の子を眺めると、どうもソウルはほっそりしてる子が多い。スレンダーであることが美の条件なのかな。ほとんどの女の子同士(男女ではない)が手を組んだり、手をつないだりして歩いているのですが、大丈夫、すぐに目が慣れます(何が大丈夫なんだか…)。

 街や電車でも迷彩服を着た兵士がよく歩いてます。韓国は徴兵制があるのです。

17:00
 続いて地下鉄で東大門市場(トンデムンシジャン)に移動してごちゃごちゃした街を散策。しかしここで大勘違いをしていることに後々まで気付きませんでした。すなわち、昨晩まで「地図が読める男&人の話を聞く男」を気取っていたwinter、見事に玉砕。昨年出張で訪問した台北やマニラのイメージを思わせたその街並みは、実はシジャンとは全然別方向だったのです。つまり全く違うところを歩き回っていたのですね…

18:30
 地下鉄でミョンドンに戻り、この街を代表する大きなデパート「ミリオレ」に入ってみたり、近くの本屋さんに入って雑誌をぱらぱらめくってみたりする。やっぱりPC関係の本は多い。LeAnn Rimes のセクシーな表紙の雑誌もあったけど、当然すべてハングルだった。でも Destiny's Child 表紙の雑誌のタイトルが "Oimusic" だったのはちょっと違うんじゃないだろうか。Oi! Oi! Oi!

 みんな小さなケータイを持ってて、しょっちゅう電話したりメール打ったりしてる。本当に小さくて、折り畳み型なんて100円ライター2つ並べたくらいしかない。広げたときの薄さを想像してみてください。ううむ、Samsung おそるべし。

19:00
 まだまだ全然暗くならない。韓国は日本と時差がなくて、それでいてかなり北西に位置しているから、日が沈むのがずっと遅いのです。20:00くらいまでは昼のように明るくて、欧州のサマータイムのような感すらあります。街の活気もすごくて、まさに夜はこれからって感じ。

 とりあえず、夕食をとることにしましょう。「シンソンソルロンタン」というお店でソルロンタン@5,000ウォン(≒500円)を食す。ソルロンタンとは、骨、肉、内臓など各部位を、牛1頭分全て煮込んだ白濁色のスープ。コクがあり、胃にやさしい。スープの中にご飯やそうめんに似た麺を入れて食べます。キムチはテーブルに容器があって食べ放題。ここは24時間営業のチェーン店とはいえ、本格的でかなり美味しかったです。

19:30
 どの国にもある(と思われる)ニセモノ STARBUCKS COFEEE。ソウルにもありました。緑色基調の丸いロゴマーク。緑色の店名表記。そのまんまやんけ。その名は PROWSTAR COFFEE。STAR と COFFEE だけで間違って入る客がいるとは思えませんが、店の内装までそっくりだったので入ってから気付く可能性はあるかも。コーヒーショップはたいへん多いです。

20:00
 ニセモノでもなく本物スタバでもなく、SEATLE'S BEST に入ってコーヒーを飲む。こっちの方が混んでなかったし、クーラーもよく効いてたから。そして何よりスタバは日本人だらけだったから。

 絵ハガキにみんなの宛名を書きながら、時々コーヒーを飲んでは街行く女の子たちを眺める。ふと、白いボトムスの子が多いことに気付く。スカート、パンツ、キュロットその他問わず。日本で春先に流行ったベージュではなくて、純白。みんなお尻が小さいので明るめの色でも膨張色にならないってことなのかな。ちょっとよく分からない。少なくとも東京のように、すべての女の子が異様なまでに股上の浅いヒップハンガー+80年代風太ベルトってことはなかった。というか、そういう子がいたら大抵それは日本人の子でした。

 街角からはいろいろな音楽が聞こえてきます。コリアンポップスはもちろんのこと、宇多田ヒカルの "Time Will Tell" が流れてきたかと思えば Milli Vanilli の "Girl You Know It's True"  が続いたりして。

 今夜もファミマでビイルを買いましょう。3大ブランドその2、"Cass"。美味かったやね。
 (続く)



17 July 2001
Tuesday


プチ連載: Seoul 旅行記 (第2回) 「ソウルの朝〜DMZツアーへ」

7月12日(木)
06:30
 起床。
 部屋の古いTVをつけてみるが、教育チャンネルみたいな番組しか映らない。Discovery Channel の韓国語吹き替えみたいなやつや、子供向けのぬいぐるみモノなど。とにもかくにも、着替えて朝のミョンドンに飛び出してみよう。

07:00
 朝の街にはなんとも言えない魅力があって、知らない土地に旅行するとしばしば早朝散歩してしまいます。日中の飾り立てた繁華街をお化粧後とするならば、言わばその街のすっぴんの状態が見られるから。ここミョンドンも、昨晩の喧騒はどこへやら、道端にはゴミ袋や空き缶などが転がる中、朝の通勤通学の人通りがまばらにある程度。でもブロックの突き当たりまで行って大通りを見ると、交通量はとても多く、空気もよくない感じでした。

 こんな繁華街なのに、近くに女子校がありまして、朝早くから制服を着た多数の女の子たちがカバンを持って駈け込んで行きます。制服と言っても日本のようにスカートが激短だったりルーズ履いてたりはしませんで、顔・髪型ともにいたって地味かつメガネの子が多かったのが印象的。進学校だったのかしらん?

 サボイホテルというホテルの近くに STARBUCKS COFFEE がありましたが、そのそばに渋谷のゲームファンタジアみたいな4階建てくらいの派手なディスプレイの建物があり、ガンガン音楽が流れてくるのできっとゲーセンだろうと思っていると、なんと24時間営業!のスポーツセンター。こんなに早朝からかなり混雑していて、出勤・通学前と思われる若い女性たちが窓際のジョギングマシーンみたいなヤツにずらり並んで走りまくっている様はちょっと凄いものがありました。

07:45
 朝食。やっぱりソウルに来たら石焼きビビンパでしょう。
 24時間営業のチェーン店みたいなところがあったので、適当に飛びこみ食します@4,500ウォン(≒450円)。可もなく不可もない味。次はやっぱり有名店に行ってみよう。

 スタバでアイスカフェラテ@3,800ウォンを買ってぶらぶらホテルまで戻ります。ファミリーマートのスポーツ新聞1面は、前日のメジャーリーグオールスター試合、パクvsイチローでした。パクは韓国では本当に国民的英雄扱いみたい。

09:00
 集合場所のメトロプラザホテルから、DMZツアー出発。
 ラッパーの DMX の弟のツアー… じゃなくて、De-Militalized Zone、すなわち国境の非武装地帯見学ツアーです。今日一番大事な携行物は、パスポート。これなしでは国境南北4kmのエリアに入ることができません。ガイドさんは落ちついたトーンできれいな英語を話す、ストレートでセミロングの茶髪がよく似合う細身の女の子でした。小さめのバスに乗り込んだ参加者は自分のほかに5人と小ぢんまり。

 …と思っていたら、案の定途中のホテルで日本人がいっぱい乗り込んできました。ヤクザ崩れのオヤジたち風。いや別にいいんですけどね。でも可愛いガイドさんに向かって「おうソウル美人か。30万ウォンで俺とどうだ? ガハハハハ!」などと下卑た言葉を吐くのはやめろ。海外に出るとこうした日本人の傍若無人ぶりが目に余る。1人で放り出されると何もできないのに、日本人集団になるとすぐこれだ。彼らには日本語を話す韓国男性のガイドがついたので、自分は英語グループに混じって行動することにしました。

 バスは延世大学や、ワールドカップスタジアム(豪華)の近くを通って国境に向かいます。途中の「一山」という新興団地にはマンションが林立してました。言わばソウルのベッドタウンとして整備されたそうで、市中心部まで車で50分、地下鉄・バスもあって3LDK@1,500万円くらいだそうです。そして風景はどんどんのどかな田園風景じみていく… ソウルを少し離れると、自然がこんなに残っているんですね。

10:00
 そうこうするうちにバスは川(臨津江:イムジンガン)沿いに出て、次第に周辺に迷彩色の装甲車が走るようになり、川沿いには鉄条網が目立つようになります。そしてガイドさんがごく自然に言いました。「左手に北朝鮮が見えます」。緑に覆われたなだらかな対岸のエリアは、朝鮮民主主義人民共和国でした。

 非武装地帯に入る前に検問所みたいなのがあって、迷彩服の兵士たちがライフルを構えて多数詰めており、ものものしい雰囲気。韓国兵ももちろんいますが、ブラックやホワイトも多く、国連軍(実はほとんど米軍)だということでした。担当係員がバスに乗りこんできて、乗客ひとりひとりのパスポートをチェックしていきます。ちなみにDMZツアーは韓国人旅行客でも参加できますが、板門店ツアーには参加できないそうです。ここから先は、写真撮影も制限されます。

 いよいよ非武装地帯へ!(続く)



16 July 2001
Monday

プチ連載: Seoul 旅行記 (第1回) 「出発〜到着」

 だいたい、ソウルに行く気なんてこれっぽっちもなかったのです。だって自分は海外でブランドものを買い漁る趣味はないし、垢すりやエステに奔走するOLでもないし。でも、マイレージが15,000マイルたまってしまい、それを本年末までに使い切らなくちゃならなかった上に、15,000マイルで行ける海外都市はソウルかプサンのどちらかだったのです。

 それでも、韓国便は結構混んでるから何ヶ月も前から予約しなきゃ取れないよ、って話を聞いていたので、2週間前であっさり席が確保できたのにはビックリ。そこから俄然興味が湧いてきて、情報収集を始めました。今回ずいぶんお世話になったのは Seoulnavi というサイト。ホテルなんかもここでオンライン予約しましたが、とてもスムーズでした。

7月11日(水)
19:00
 そんなこんなでJAL機中。右隣の窓側席にはスレンダー&ノースリーヴの可愛い韓国の女の子が座ってます。免税店でブランド品や香水なんかをどっさり買い込んできた様子。が、いきなり「気分悪い」と言い始め、スチュワーデスに盛んに水を要求。ううむ…。自分はもちろんスーパードライを。機内食はいなり寿司+ミニ幕の内弁当みたいな軽めのタイプでした。

 そうそう、全然知らなかったんだけど、日本出入国時に提出していたあの出入国書類がなくなっている! 昔から何だかムダだなぁと思っていたのですが、日本人はパスポート提示のみでOKということに変更されてました。

20:30
 ソウルの仁川(インチョン)国際空港到着。3月に開港したばかりとあって、サスガに新品同様。全面ガラス張りの巨大な空港ビルが、オレンジのライトを反射して夜の闇に浮かび上がる横で、大韓航空のリムジンバスに乗ります。料金10,000ウォン(≒1,000円)。約50分でソウル市内へ。

21:20
 ソウル中心部、明洞(ミョンドン)にあるロッテホテル前に到着。さあてチェックイン… ではなくて、自分が予約したのは豪華ロッテホテルのすぐ近くの安宿、メトロホテル。ソウルナビの予約確認書を出すと、フロントのお姉さんがニッコリ笑ってチェックイン手続き。でも、この後何度も体験することになるのだけれど、英語は全然通じなかった…

21:40
 とりあえず部屋に荷物を放り込んで、ミョンドンの夜に飛び出す。さすがソウル最大の繁華街、ホテル前から中心部まで、人また人でごった返してます。銀座というよりは渋谷や新宿に近い雰囲気かな? しばらく歩き回りながら、飛行機の中で眺めてた市内地図の位置感覚を頭の中で再構成。なるほど、こういう街の造りなわけね。地図を読める男&話を聞く男 winter、一瞬にしてソウルを悟る。…などと悦に入っていると、パラパラと小雨が。旅の疲れもあり、翌朝早いこともあり、今夜はこの程度で許してやるからありがたいと思いたまえ、ソウル君。ホテルそばのファミリーマートでビールとおにぎり、スナック菓子を買って部屋に戻り、シャワーを浴びる。

22:30
 けたたましく部屋の電話が鳴った。恐る恐る受話器を取る。
 「ハ、ハロー?」
 と口をついて出た英語に、返ってきたのは流暢な日本語でした。明日予定しているツアー会社から、集合場所についての電話。夕方に成田からかけた時には「メトロホテルまでピックアップに行きます」ということだったのにあっさり変更され、ソウルプラザホテル1Fに来てくれとのこと。でも丁寧に「夜分すみません」と繰り返す韓国のお姉さんの日本語に winter 軽く敗れ去り 08:50集合を受諾。

23:00
 ビールは3大ブランドのひとつ Hite。500mlで2,150ウォン(≒215円)ってことは、発泡酒並みの値段ですね。スナック菓子は、いかにもソウルっぽいものをと思って唐辛子の絵が描いてあるヤツにしてみました(500ウォン)が、あまり辛くはなかったなあ。スナック食べてビイルを飲んで寝る。東京じゃ絶対にやらない不健康モードですが、気にしない気にしない。いよいよ明日から本格的にソウ…
(あっという間に睡魔に襲われ、以下明日に続く)


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