KATE結成までの物語
〜最終回〜

(1998年03月15日)

「始まりと終わり」

 『Short-Pants』は、それぞれ大学受験や就職活動などで忙しくなり、なかなか全
員が揃ってレコーディングやミーティングが出来ない状態になっていた。『集団下校』
の時と同じである。

 かんちゃんとは『Short-Pants』が活動停止の状態になっていた時にも、ちょくちょ
く会っていた。と言っても、レコードやCDを聞きながら他愛もない話しをしつつポ
テチを食べる程度のことだが。それでもなんとなくふたりでシンセをいじったり、で
たらめな歌詞を作ってそれにでたらめなメロディーを乗せ、カセットにちょこちょこ
とフレーズを録音して遊んだり“スタジオライヴ”と称し『集団下校』の曲を即興で
演奏して録音したりということもしていた。気が付くと、そうやって録音したカセッ
トテープが山のように溢れかえっていた。「発表しないっていうのも、なんだかもっ
たいないよなあ。」「単発企画っていうことで、適当なユニット名を付けて出そう
か。」「う〜ん、じゃあ『M.K&T.K』でいこう!」「うひゃ、メチャクチャ適当だな
あ。」Kaseo Recordsの前身であるRemark Recordsからかんちゃんの自宅で即興演奏
をした数曲をまとめたアルバム『Too Excited!』をM.K&T.K名義でリリースした。

 このアルバムをリリースした後、ユニット名についての協議を開いた。『M.K&
T.K』ではあまりに安直な名前なので、ビシッと決めようということになったのだ。い
くつかそれらしい名前が候補に挙がったが、いまいちしっくりとこない。そこで半ば
強引にふたりの名前から練っていくことにした。

 関東正晃:Masateru Kantou
 川瀬哲也:Tetsuya Kawase

 ここでふたりに共通しているのが“Ka”と“Te”。並べると“KATE”になる。「う
〜ん、結構インパクトあるかもな。」「短いし、覚えやすいからいいじゃん。」「よ
し、決定!」『KATE』誕生の瞬間である。その後、膨大なカセットテープから厳選な
選曲をして、1987年7月23日に1stアルバム『ざっとこんなもんさ』をRemark
Recordsからリリースした。これで実質、音楽活動の比重は『KATE』に傾いていくこ
とになった。

 そして高校3年の夏。そろそろ『Short-Pants』も高校卒業の時期と合わせて解散
しようという話しになった。オリジナル曲もすでにいくつか出来ていたし、ちゃんと
レコーディングをしてアルバムを出して解散しようということで、夏休みを利用して
精力的にレコーディングやミーティングを繰り返した。ジャケット用の写真のために
小雨の降る中、野外で撮影を敢行したりもした。

 1987年9月23日。Remark Recordsからファーストアルバムにしてラストアルバム
『あとは散るだけ』をリリースした。たった4曲収録のミニアルバムだったが音作り
や歌詞も非常に練り込まれていて、『集団下校』で出来なかったことをやったという
感じの仕上がりになった。ちなみにアルバムタイトルは当時ハマっていたテレビ朝日
系のドラマ「あとは寝るだけ」からインスパイアされて付けたものである。このアル
バムの発表と同時に『Short-Pants』は解散。田辺は地元の大手デパートに、和多野
は電気工事関係の会社に就職。前川とかんちゃんはそれぞれ大学に進学。私は見事に
美大・芸大受験に失敗。浪人する気もなく、何か面白いことを探そうとプー太郎になっ
た。これで『KATE』に没頭する時間を得ることができた。

(完)

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