27.「’09/04〜05」にっぽん丸・南米と南洋の楽園クルーズ〜2〜

{イースター島 編}



さて、いよいよ「イースター島」です〜!


先住民の言葉で「ラパヌイ(大きな島)」と言うそうです




イースター島には「にっぽん丸」が接岸できる大きな港は無く、沖合に停泊して通船で上陸します。
しかし波が高くて、当初停泊を予定していたハンガロア村沖には停泊出来ず、急遽島の反対側の「アフ・トンガリキ」付近に移動しました。
悪天候も考えて予備日を入れて上陸の為に2日間とってありましたが、明日はもっと天候が悪くなりそうとの事でクルーの方々が「今日、上陸してもらおう」と決断して下さったとのお話しでした。
最悪の場合、上陸出来ない可能性もあったんですね〜 幸運でした!



遠くからですが、鳥人儀式の行われたというオロンゴの遺跡




モアイを切り出したラノララク山




遠くにモアイらしき物が見えて来ました!





一旦にっぽん丸のボートに乗り移り、更に現地の送迎用の通船に乗り換えます




にっぽん丸からの通船、結構波しぶきを浴びます



お〜 さっきより近くに見えます




ち、近い〜




モアイの高さは4m程から最大で20m! 重さも20tから90tもあるそうです。



片山先生の講演を聞かせていただきました。
大昔に台湾辺りから小さな船で南の海に出発した人々がいて、何百年も航海を続けて南太平洋の島々にたどり着いていたそうです。タヒチ、ニュージーランド、更にハワイへ、イースター島へ渡り、もしかしたら北米大陸・南米大陸までたどり着いた人々もいた可能性もあるらしいです。
このニュージーランド〜ハワイ〜イースター島を結ぶ3角形を「ポリネシアン・トライアングル」と呼び、この広大な地域に住む人々は同じ人種で同じ言葉を話しているそうです。
昔の人々は勇敢でしたね。というか無謀と言った方が当たっているくらい危険な旅だったと思います。
そして、そもそも何故こんな危険な船旅を始めたかは今でも分からないそうです。

さとみは戦いで負けた人々が海へ逃げたのが始まりだよと言いますが、何百年も航海を続けたのが謎です。僕の想像では、伝説や過去の記憶などが残っていて、海の遥か先に住みやすい豊かな島が必ずある事を確信していたんだと思うんですが、、、
違うかなぁ〜?


また、別の人々は同じ台湾付近から北へ陸を伝ってカムチャツカ〜アラスカ〜北米大陸へと移動し、最終的には南米大陸まで到達していたらしいです。
もしも陸から行った人々と海から行った人々が南米大陸で出会っていたとしたら、すごい話ですね!
しかも遠いご先祖様は日本人と一緒かも知れない?!
もしそうだとしたら、フォルクローレが何故か心に沁みるのが納得できますね。



最近では、逆に(南米原産のじゃがいもの広がり方などから)南米の人々が航海を続けてポリネシアやアジアに来たのでは?という説もあるようです。



さて予定より2時間遅れての上陸となった為に上陸地に近い「アフ・トンガリキ」は後回しにして、訪問する場所を絞ってタクシーで回る事になりました。


先ずは「アカハンガ」を訪れたんですが、ここは後でご紹介致します。


舗装はされていませんが、こんな道を行きます






 




ハンガロア村に寄りました。
結構観光客も大勢いて、ホテル・レストラン・お土産屋さんも沢山ありました。




次はタハイの遺跡です。ここには左から「バイウリ」「タハイ」「コテリキ」の3つのアフ(祭壇)があります。
アフは神聖な区域なので間違えて足を踏み入れると「ピ〜〜〜!」と警備員に警告の笛を鳴らされます。
小高くなった手前でも一度笛を鳴らされました。

 




アフ・バイウリ





アフ・タハイとアフ・コテリキも大きいです




さとみ、驚きのポーズ(シェーではありません、念の為)




アフ・タハイ




アフ・タハイの大きさが分かります(さとみの左足脇の石を越えると注意されます)





アフ・タハイとアフ・バイウリ




角度を変えてアフ・タハイとアフ・バイウリ






帽子と上目使いの目が可愛いアフ・コテリキ




それぞれのモアイが個性的なアフ・バイウリ



何かの遺跡です






次はアフ・アキヴィです。
通常は海に背を向けて内陸を向いているモアイですが、ここのは海を向いています。
昔はここのモアイと海の間に集落があったけれど無くなってしまったので、今は海を向いている様に見えるとの事、なるほど〜



shigeは何故かここのモアイ達が好きです








モアイ達をバックに




モアイの目線で海を眺める



どこか哀愁漂う背中




何か語りかけてくるものがあります



何て言ってるんだろう?






次にラノララク山に向かいましたが、残念ながらここで時間となり集合場所へ戻る事に。
山には登れませんでしたが、戻りながら何枚か写真を撮る事が出来ました。



山の上の石切り場には造りかけのモアイもあるそうです



山腹にも沢山のモアイがいます




どうやって運んだんでしょうか?



ラノララク山






アフ・トンガリキです。
日本の会社が再建に尽力した事でも有名ですが、15体のモアイが並ぶ様は壮観です。








何故か脇に一人ぽっちのモアイが、泣いてるみたい、、、



これだけ揃うと迫力があります




全てのモアイが違う顔です



脇には赤い石の帽子も落ちています




やはり、何処か哀しげですね〜






さて「アカハンガ」です。
さとみはイースター島でここが一番印象的だったようで「アカハンガ」という曲を作りました。



一緒に回ったエンターテイナーの方々と



大きい石が転がっています





そばに行くと、何と!
うつぶせに倒れたモアイ達だ〜〜!


ここはモアイが無残に倒れたまんまになっています。



仰向けのモアイも




倒れているモアイ達



近くに寄ってみると




どこか哀しげです




「しかしモアイ像、一体何の為に作って、どうやって運んだんでしょうか?」
モアイは1,000体以上残っていると言われています。
それぞれの村の守り神だったとも言われていますが、何故こんな手間をかけて、切り出して、運んで、立てて、、しかも、こんなに沢山、、、ものすごく大変な作業なのに、、、不思議です。
やはり伝説のようにモアイが自分で歩いたんでしょうか?
「あり得るな」と思わされる雰囲気の島でした。




再び通船でにっぽん丸へ。


イースター島出港後、海が不思議な感じで光っていました。











次はいよいよ南米大陸・チリ到着です。

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