『我が心の父アート・ブレイキーを偲んで』 C

−おちゃめな親爺 −

 たとえ何らかの才能があり有名人であってもやはり普段はそのほとんどの場合普通の人間であり、案外彼らの生活圏では目立たないものだ。それだけに皆結構すき放題なことをやっている。ブレイキーとて例外ではなかった。
 ミュージシャンだけではなく世の男達は皆スケベである。しかし彼のそれは公衆の面前であってもかなり露骨で、ほとんど犯罪すれすれ状態で、セクハラなんてものじゃなかった。でも彼のかわいい(ある意味姑息)ところは時と場所をちゃんと計算に入れていたことだ。それを笑ってかわすニューヨークの女性たちもたいした太っ腹だったと思う。

 彼は仕事の面でもかなりアバウトだった。もちろんそれは音楽を演奏すること以外の話だ。たとえば僕自身にとってもこんなことがあった。ある時当時ルーム・メイト(というより僕が居候)だったベースの田中秀彦(現N.Y在住)が電話だと言うので変わるとブレイキーだった。いついつどこで仕事があるから何時に迎えに行いくというものだった。僕は目の前にいる秀彦に興奮してそのことを伝えたのを憶えている。なぜならそのことには伏線があった。それは、それより何日も前に僕とブレイキーはあるクラブで飲んでいた。僕はだいぶ酔いが回っていたのでこともあろうに気持ちが大きくなって御大と同レベル(あくまで酔った上での気分の中での話)のミュージシャンになっていた。それまで何回か一緒に演奏させてもらっていた僕は仕事の打診をしたのだ。そうしたら彼は僕の住所を聞いてから電話番号を書いてよこせといった。
当然僕は当日スーツに着替えて彼の迎えを待つことになる。そして近しい友人には見に来るように伝えてあった。まあ当然の流れだった。
 しかし約束の時間になっても御大は来ず、とうとう音合わせの時間になった。そこまではよくあることなので別に気にはならなかったのだがとりあえず連絡ぐらいはあっても良いと思い気になったので娘のエブリンに御大の電話番号を聞き出してかけてみた。しかしいくら呼んでも誰も出ないので不安になり、日にちを間違えたかも知れないとおもいつつ脳裏をあるものが走った。
 そうもこうもしていられないので、とりあえず現場に向かうことにした。到着して僕はやられたと思った。サウンド・チェックも終わりいままさに演奏が始まるところだった。僕はステージの袖へ行きそこに居たラッパ(テレンス・ブランチャード)に「俺も今日呼ばれてるんだけど」と伝えた。御大は僕が来ているのを知っているのにわざと目を合わそうとしなかった。当時の僕は前述のとおりかなり血の気が多く彼もそのことは百も承知だったからだ。うわさには聞いていたけれど当然僕は許せなかった。その後演奏が終わって(1ステージのみの仕事)僕が詰め寄るのが早いか彼が逃げるのが早いかだった。普段は客やミュージシャンと談笑したり女性を口説くはずが一直線に側に止めてあった仕事用のバンに乗り込んで鍵をかけてしまった。絵に描いたような後ろめたい姿だった。周りからみれば喜劇みたいな光景だが当事者同士にとってみればそうは言ってはいられない。結局僕はマネージャーになだめられる破目となった。今となっては良い想い出だけれど・・・・・・・。後日御大はその年の暮れに彼のビッグバンドのメンバーとして僕をブッキングしてくれた。そしてその後レギュラーとして雇ってくれることを約束してくれた。

 被害者は僕の友人にもいた。日系三世で数々の素晴らしい実績のあるトロンボーン・プレーヤーのビル(ウイリアム)・オオハシだ。彼の場合はもっと悲惨だった。
1970年代後半御大のバンドがやや低迷していた頃の話だ。
 ヨーロッパ・ツアーに同行していた当時のメンバー達がコペンハーゲンでの仕事を終え翌日出発の時間が来ても集合場所に御大が現れない。変に思ったメンバーがフロントに尋ねてみたところ既に彼はチェックアウトした後だった。それも前夜のギャラを全部持ってだ。とりあえず彼らは次の仕事先であるパリに向かった。新聞を見るとやはりそこに広告掲載があった。皆相当頭に来たらしく夜の演奏中に直接クラブに押しかけようと企てた。そしていざ到着してみると案の定「アート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャーズ」はそこで仕事をしていた。後はだいたい僕のときと同じようなものだったらしい。メンバーというかニューヨークのミュージシャンの何と大らかだったことか。

 あまりそのようなことを書くと追悼文ではなくて悪口と誤解され、今はやりの暴露本みたいになってしまうので、このぐらいなら許されるか等と思いつつこのあたりで締めたいと思いますが、とにかくあれやこれや破目を外したにも関わらず充実した晩年を過ごせたのも御大の人徳というかキャラクターによるところが大きいと思います。 

 結局僕は1985年の暮れに個人的都合で一時帰国しなければならなくなり、仕事の断りを御大に申し入れるために会いたいと電話したら「Sweet Basil」でのマッコイ・タイナーのライブに遊びに行っていると言われたので行ってみると、ちょうど休憩中で、入り口のすぐ側で御大はマッコイと椅子を並べて談笑していた。僕が前述のことを告げると、彼は立ち上がり僕をしっかりハグしてくれて頭で頭をぐりぐりしてくれて最後に耳元で僕にだけ聴こえるように一言ささやいてくれた。
 後に東京で精神的にも音楽的にも挫折した僕は負け犬としてニューヨークに帰ったが、当然御大に会わせる顔もなく再起をめざして地道に活動を続けた。そしてその後彼の訃報を知ることとなる。
 彼の最後の僕へのはなむけの言葉、
 「You Are New Yorker」。ー合掌ー