1.プロローグ

 ここでは毎回異なった表題に視点をあててランダムに掲載していきます。まず今回は最初ということもあって焦点を絞らずにプロローグの形をとることにします。

 ジャズを志すものにとってメロディーやアドリブをカッコよく演奏するということはそれす なわち快感の極みというものです。メロディーの方は後ほどということにして、その延長線上にあり、かつまた対岸にあるとおもわれるアドリブというものに関してウンチクを述 べたいと思います。

 ここに現れ出たる8分音符の羅列。

 上がっては下がり、はたまたディレイドディゾルブなるものによって挟まれたるコードトー ン。このよくあるコード進行の各ビートに刻まれた8分音符はその小節によって表情を 変えています。

 次に現れた2小節フレーズの繰り返しパターン。

 小節と小節、つまりコードとコードを結ぶ身元不明の半音階は妙にその存在感をしめし ます。そして次に飛び出したこのフレーズ。

 アルペジオからいっきに上昇して飛び跳ね テンションのられつで宙に舞いパターンを並べて跳ね上がりながら下降、そして一気に 上昇して太陽のコードトーンにぶつかるのです。

 しかしながらそのパワーは 長くは続かず、 スケールのられつというフレーズによってその命は朽ち果てたように思われましたが、

 次 なる最期のフレーズによってその存在感の影を残しなが 闇の中へ消えていったのでありました。

 8分音譜とその仲間たちはスイングビートの原動力として4分音符にはそのバックアッ プを、2分音符やそれより長い音符にはその存在感をより示させています。

 アドリブ(Jazz)を一言で現せばの問いに対する人々の答えはミュージシャンであるかいなや、演奏するときに腹で呼吸するか肺で呼吸するか、頭の右寄りに思考をもって くるか左寄りに持ってくるか、口でものいうか目でものいうか、打算的かそうでないかに よって千差万別でしょう。

 Jazzを愛する人が人間のはかなさを知り、自分のちっぽけさを思い知るとき、自分の 生きざまをJazzの亡霊のむこうに垣間見ることでしょう。

自分の姿みなさんは他人といっしょに演奏しようとするときその姿勢の違いにギャップを感じたこ とはありませんか。僕はN.Yで暮らした10年の間にほとんどそれを感じたことはありま せんでした。それはギャップがなかったのではなくそれを感じ入れない自分がそこ にあったのです。