ギザ・ピラミッド
ホーム お箏のしらべ 国内旅行 イタリア旅行 エジプト旅行 ハヤトの想いで お友達の輪

 

ギザ 地区  

 

あこがれのピラミッドとスフインクスに会える

8月26日〔日)

5:30分起きて6時に朝食。

朝、早起きの苦手な私。
毎朝小田さんのおかげで早起きをしている。


今晩遅くルクソール行きの飛行機に乗るのでスーツケースを整理。

8:45分にドアの外に出しておく。
9:30分出発。このホテルとはお別れです。

        

3大ピラミッドに到着。

 中に入るだけで2000

大きいのはクフ王のピラミッド。見ると圧倒されてカメラの画面に全部収まらない。

クフ王のピラミッドは紀元前2560年クフ王によって建てられました。
一辺230m(現在は220m)・傾斜角51.50の四角錐は、その面が正確に東西南北を向いています。
高さは146m(現在は137m)とピラミッドの中でも最大で、現在でも石造建築では最大です。

   

このおじさんの相棒が写真を取ってくれたけど。
ターバン巻いてスカラベの石くれたけど、チップを要求しカメラ返してくれない。
20ポンド400円払ってやっと返してもらった。

     

大きな穴が盗掘された穴です。ここから中へ入って見学。 

1日午前150人午後150人の見学しか出来ないんだって何故かな?

あの巨大建造物のピラミッド、どうやって作られたのか謎が多く、様々な説が唱えられてきました。

信憑性のある説として、農閑期の国家事業として農民達の手によって作られたということです。
それまでの、奴隷に作らせたという説を覆すものになります。


ピラミッドの中に中に入りました。内部は撮影禁止ということなので行った人のをちょっと覗いてね。

  

長い高い階段をよじ登って王の間にたどり着きました。
玄室の石棺が一つぽつんと残ってました。
番人さんがなにやら石棺に入れという。
石の石棺に横たわって腕を組めという。何か唱えてくれたが言葉が分からないので??

でもこんな大切な遺産の中に入ってもいいのかなー     チップ2ドル要求されたので払いましたよ。
帰り急勾配で降りていって体勢を立て直そうとひょいと頭を上げたらごちーん頭をぶつけたよ。〜〜〜イタタ

朝の見学でよかったよ。くだびれていたらこのピラミッドの急勾配の階段なんて足が痙攣してしまう。
私は、結構平気で上っていけたよ。階段はいつも心臓があおってぜいぜい言って一休みするんですが、
ピラミッドパワーなのかすいすい息切れもなく登れてしまった。

 

   

これが3大ピラミッド、クフ王・カフラ王・メンカフラー王のピラミッドが有名ですね。
    

らくだに乗りました。                                             

                                                               

    頂部には表面を覆う化粧用の石がまだ残っています。    

       

これがスフインクスだよー

                         

憧れのスフインクス。ただ見とれているばかり。しまったスフインクスとキスしてる写真を取ればよかった。

スフインクスのみているのは・・・・・ケンタッキー?

まだ発見当時は砂にうずもれていて顔だけ出していたんだって。
あごひげは現在大英博物館に展示してあるそうです。

この当時はまだスフインクスの体が埋もれていた。


JNN共同制作番組ワイン大国を夢見た男達より。

 エジプトのスフインクスを背景にしたサムライたち。
1864年、幕末、明治維新の4年前に撮られたものだ。
サムライは遣欧使節の一行27人。ヨーロッパ各国に交渉に向かう途中、ここに立ち寄った。
その交渉とは「横浜鎖港」。その「鎖港交渉」のために使節団が結成された。
その正使(団長)に選ばれたのが、外国奉行で岡山井原領主の池田長発(ながおき)だった。

遣欧使節団は、黒船(フランス等の外国船)を乗り継ぎ、上海−アデンを経由して1864年3月26日、
エジプトに立ち寄った。そのときに撮ったのが冒頭の写真である。一行はスフィンクスまでロバで行ったという。
 

昼食はプレンスリゾート

  

 

メンフイス。ダハシュール・サッカラー観光

メンフィイス遺跡

                    
ここにラムセス2世の巨像が置いてあります。  アラバスター製スフィンクス

      

       

ムセスU世の巨像が横たわっている建物を出てすぐ前の広場の
真ん中に、1912年に発見された10mぐらいのアラバスター製
スフィンクスがあります。
ギザのスフィンクスと比べて、こちらのスフィンクスは端正な顔立ちを
しています。
 

メンフィスの遺跡にある建物の1階には、ラムセス2世の巨像が横たえたまま保存されています。
この像は体長が15mもあり、2階の回廊から見下ろすことができます。
新王国時代第19王朝のラムセス2世は、異常なほど自己顕示欲が強く、
あらゆるところに自分の像を建造したり、銘を彫ったりしたことで有名ですがこの巨像もその一つです。
脚の一部は破損しているものの、奇跡的な保存状態の良さで知られています。

サッカラニあるピラミッド

 階段ピラミッド


階段ピラミッドはいわゆるピラミッドの最初の形態で、第3王朝時代サッカラに、宰相イムホテプが設計し、
ジェセル王が築いた物がその始まりである。当初は日干し煉瓦による方形のマスタバとして建立されたが、
後に煉瓦を積み上げて階段状の巨石建造物と成した。一度階段形態が完成した後も、追加して拡張が成された。
完成時の寸法は東西約121m、南北約109m、高さ約60m。


    


ダハシュールにあるピラミッド


屈折ピラミッド


第4王朝期に入ると、スネフェル王が既存のピラミッドを基調に51度の勾配を持つピラミッドを造り上げた。
このメイドゥームのピラミッドは最初に四角錐の形状を採用しており、その意味では画期的な建造物であった。
ただしこれは後に(建設途中に?)崩壊した。このピラミッド(崩壊ピラミッド、偽ピラミッドとも呼ばれる)
については、そもそも四角錐を目指していなかったとする説もある。
また、このピラミッドをスネフェルの物として数えない事もある。

スネフェル王はまた屈折ピラミッドと称される事になるピラミッドも築いた。
これは建設途中に(地上から49m地点で)勾配を約54度から約43度に変更していて、高さは約101mであった。
屈折ピラミッドの形状の理由としては、

勾配が急過ぎて危険な為(崩壊の危険/玄室にかかる重量過多)角度を途中で変更した。
建造中に王が病気になったので完成を急ぐ為高さの目標を下げた。
これはこれが完成形であり、下エジプトと上エジプトの合一を象徴している。
等の説がある


屈折ピラミッド

スネフル王の北のピラミッド(赤のピラミッド)

古代国第4王朝を建てたスネフル王はギザの大ピラミッドを建設した
クフ王の父。
三角形の真正ピラミッドで、玄室の壁がこの地方の砂岩で築かれて
いてやや赤みを帯びているので「赤のピラミッド」と呼ばれています。



 

 

絨毯工場見学

まだ小学生くらいの子供がこの学校で技術を身につけている。
小さい時から勉強ばかりでなく技術を身につけるのもいいよね。
手先が細かいから小さい細い指のほうがいいのだそうです。ものすごく早くてびっくり。
   

 オペロ・メナハウス ピラミッドが目の前に見えるホテル

oberoi hoter

夕食まで2時間以上もある。オペロ・メナハウスのロビーの喫茶でコーヒー杯で粘る。
ほんとなら宿泊施設ならベッドで眠りたいのに休憩だけは気が長いこと粘るのも気が引ける。

ホテルを出て夕食に向かうバスの中から素晴らしい
日没が見える。三つのピラミッドの左側に真っ赤な夕日
 

交通事故があり,渋滞になったり、乗っていたバスが故障で乗り換えというアクシデントが続く。

バスで横になったのが行けなかった。
バス酔いしたのか、疲労なのか?体調が悪い。

夕食は遅めもう8時近い。「フジヤカ」というイタリアンレストラン

食事は普通・・・私は気分がよくなかったので何食べたのか思い出せない。
コーラーを飲んですっきりしたことは覚えている。

頭が痛く食事もあまり食べられなかった。

23:30分発のカイロからルクソール行きの飛行機の搭乗時間が又随分あり、空港内で待たされ、
冷房がものすごく強くじっと待っていると 寒くて、眠くて・・ルクソールのホテルには何時に着くか不安になってくる。

ルクソールに着き、トランクが出てくるのを待ち、取りに行って手提げを椅子に忘れてきてしまった。
バスに乗り込むと、係りの人が手提げを持ってきてくれた。・・・・きっと持ち主探したんだろうね。

バスが出ないうちでよかった。

持ち主に戻るなんて、ガイドさんが「心がけがいい人のとこには、戻ってくる」といってくれた。

靴など入っていたのでなくならなくてよかった。

ホテルに着いたのが02:30分・・・シャーワーを浴びてすぐベットにもぐりこむ。

        

                                          ルクソール