|
あこがれのピラミッドとスフインクスに会える 8月26日〔日) 5:30分起きて6時に朝食。 朝、早起きの苦手な私。
3大ピラミッドに到着。 中に入るだけで2000円 大きいのはクフ王のピラミッド。見ると圧倒されてカメラの画面に全部収まらない。
クフ王のピラミッドは紀元前2560年クフ王によって建てられました。
一辺230m(現在は220m)・傾斜角51.50の四角錐は、その面が正確に東西南北を向いています。 高さは146m(現在は137m)とピラミッドの中でも最大で、現在でも石造建築では最大です。
このおじさんの相棒が写真を取ってくれたけど。
大きな穴が盗掘された穴です。ここから中へ入って見学。 1日午前150人午後150人の見学しか出来ないんだって何故かな? あの巨大建造物のピラミッド、どうやって作られたのか謎が多く、様々な説が唱えられてきました。
長い高い階段をよじ登って王の間にたどり着きました。 でもこんな大切な遺産の中に入ってもいいのかなー チップ2ドル要求されたので払いましたよ。 朝の見学でよかったよ。くだびれていたらこのピラミッドの急勾配の階段なんて足が痙攣してしまう。
これが3大ピラミッド、クフ王・カフラ王・メンカフラー王のピラミッドが有名ですね。 らくだに乗りました。
これがスフインクスだよー
憧れのスフインクス。ただ見とれているばかり。しまったスフインクスとキスしてる写真を取ればよかった。 スフインクスのみているのは・・・・・ケンタッキー? まだ発見当時は砂にうずもれていて顔だけ出していたんだって。
この当時はまだスフインクスの体が埋もれていた。 JNN共同制作番組ワイン大国を夢見た男達より。 エジプトのスフインクスを背景にしたサムライたち。 1864年、幕末、明治維新の4年前に撮られたものだ。 サムライは遣欧使節の一行27人。ヨーロッパ各国に交渉に向かう途中、ここに立ち寄った。 その交渉とは「横浜鎖港」。その「鎖港交渉」のために使節団が結成された。 その正使(団長)に選ばれたのが、外国奉行で岡山井原領主の池田長発(ながおき)だった。
遣欧使節団は、黒船(フランス等の外国船)を乗り継ぎ、上海−アデンを経由して1864年3月26日、 昼食はプレンスリゾート
メンフイス。ダハシュール・サッカラー観光 メンフィイス遺跡
メンフィスの遺跡にある建物の1階には、ラムセス2世の巨像が横たえたまま保存されています。
この像は体長が15mもあり、2階の回廊から見下ろすことができます。 新王国時代第19王朝のラムセス2世は、異常なほど自己顕示欲が強く、 あらゆるところに自分の像を建造したり、銘を彫ったりしたことで有名ですがこの巨像もその一つです。 脚の一部は破損しているものの、奇跡的な保存状態の良さで知られています。 サッカラニあるピラミッド 階段ピラミッド 階段ピラミッドはいわゆるピラミッドの最初の形態で、第3王朝時代サッカラに、宰相イムホテプが設計し、 ジェセル王が築いた物がその始まりである。当初は日干し煉瓦による方形のマスタバとして建立されたが、 後に煉瓦を積み上げて階段状の巨石建造物と成した。一度階段形態が完成した後も、追加して拡張が成された。 完成時の寸法は東西約121m、南北約109m、高さ約60m。
第4王朝期に入ると、スネフェル王が既存のピラミッドを基調に51度の勾配を持つピラミッドを造り上げた。 このメイドゥームのピラミッドは最初に四角錐の形状を採用しており、その意味では画期的な建造物であった。 ただしこれは後に(建設途中に?)崩壊した。このピラミッド(崩壊ピラミッド、偽ピラミッドとも呼ばれる) については、そもそも四角錐を目指していなかったとする説もある。 また、このピラミッドをスネフェルの物として数えない事もある。 スネフェル王はまた屈折ピラミッドと称される事になるピラミッドも築いた。 これは建設途中に(地上から49m地点で)勾配を約54度から約43度に変更していて、高さは約101mであった。 屈折ピラミッドの形状の理由としては、 勾配が急過ぎて危険な為(崩壊の危険/玄室にかかる重量過多)角度を途中で変更した。 建造中に王が病気になったので完成を急ぐ為高さの目標を下げた。 これはこれが完成形であり、下エジプトと上エジプトの合一を象徴している。 等の説がある
スネフル王の北のピラミッド(赤のピラミッド)
古代国第4王朝を建てたスネフル王はギザの大ピラミッドを建設した クフ王の父。 三角形の真正ピラミッドで、玄室の壁がこの地方の砂岩で築かれて いてやや赤みを帯びているので「赤のピラミッド」と呼ばれています。
絨毯工場見学 オペロ・メナハウス ピラミッドが目の前に見えるホテル oberoi hoter 夕食まで2時間以上もある。オペロ・メナハウスのロビーの喫茶でコーヒー杯で粘る。 交通事故があり,渋滞になったり、乗っていたバスが故障で乗り換えというアクシデントが続く。 バスで横になったのが行けなかった。 夕食は遅めもう8時近い。「フジヤカ」というイタリアンレストラン バスが出ないうちでよかった。 持ち主に戻るなんて、ガイドさんが「心がけがいい人のとこには、戻ってくる」といってくれた。 靴など入っていたのでなくならなくてよかった。 ルクソール |