竹島の韓国による不法占拠

竹島(独島)日本海)--現在大韓民国が実効支配中。
日本は不法占拠であるとしてその返還を主張している。

チョンコロよ 竹島を返せ!


竹島の構成と面積

日本外務省の説明:
東島(女島)、西島(男島)と呼ばれる二つの小島とその周辺の数十の岩礁からなり、
総面積は約0.23平方km(日比谷公園とほぼ同面積)



韓国海軍が作った軍事施設がみえる。ところがここに朝鮮人民間住民がひとり住民登録しているそうだ。
韓国の歴史を捏造するためのこじつけである。 どうせ刑務所から移送してきたのだろう。


   





これは日本古来の対馬藩にあった古地図である。
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「竹島領有」で日韓が主張、黙認し合う密約…韓国誌
 【ソウル=中村勇一郎】19日に発売された韓国の月刊誌「月刊中央」は関係者の話として、
竹島(韓国名・独島)の領有権を巡って日韓が1965年1月、自国の領土と主張することを互いに黙認し合う密約を交わしていたと報じた。

 同誌によると、建設相時代に密約交渉を担当していた河野一郎氏の特命を受けた宇野宗佑自民党議員
(後の首相)が訪韓し、韓国の丁一権(チョン・イルグォン)首相(当時)に「解決せざるをもって解決したとみなす」と記された密約文書を渡した。
朴正煕(パク・チョンヒ)大統領(同)も承認したという。同年6月に調印された日韓基本条約で竹島問題について触れないことも合意していた。

 密約文書には、〈1〉日韓両国がともに竹島を自国の領土と主張することを認め、反論に異議を提起しない
〈2〉韓国が竹島を占拠している現状を維持するが、韓国は警備員の増強や新施設の建設は行わない――などの付属条項が含まれていた。

 韓国で保管されていた文書は朴正煕大統領の暗殺後、全斗煥(チョン・ドゥホァン)大統領が燃やしたという。
当時の関係者の一人は本紙に対し、密約文書の存在を認め、「日韓基本条約調印を実現するために編み出した知恵だった」と話している。
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韓国誌の「竹島領有で日韓密約」報道、官房長官が否定
 塩崎官房長官は20日午前の記者会見で、韓国の月刊誌「月刊中央」が、竹島(韓国名・独島)
の領有権を巡り、日韓両国が自国の領土だと主張することを互いに黙認し合う密約を交わしていたと報じたことについて、
「政府としてはそのような密約があるとは承知していない」と否定した。


サンフランシスコ平和条約における竹島の扱い
http://www.ne.jp/asahi/cccp/camera/HoppouRyoudo/Other/Ullundo/HeiwajouyakuTakeshima.htm

http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AB%B9%E5%B3%B6_(%E5%B3%B6%E6%A0%B9%E7%9C%8C)

http://www.pref.shimane.lg.jp/soumu/takesima/


竹島に関しては、我々の情報によれば朝鮮の一部として取り扱われたことが決してなく、1905年頃から日本の島根県隠岐支庁の管轄下にあります。
この島は、かつて朝鮮によって領土主張がなされたとは思われません。

参考リンク
竹島サロン
http://www.mni.ne.jp/~t43200/page021.html

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独島:韓国側の主張覆す古地図発見=共同通信

独島

 「独島(日本名竹島)は韓国領土」という韓国の主張を覆す古地図が発見された、と共同通信が22日報じた。

 共同通信は島根県の「竹島の日」を控え、韓日両国が領有権紛争を繰り広げている独島について、
韓国側の主張を覆す韓国の古地図が発見され、専門家らの関心を集めている、と伝えた。

 この地図は、韓国で独島問題を研究する米国人ゲーリー・ビーバーズ氏(51)が発見、
山陰中央新報社に投稿した。ビーバーズ氏が提示した地図の中には、日本で初めて紹介される地図もあり、専門家も注目している。

 ソウルの某大学で英語教師を務めるビーバーズ氏は、日本政府が竹島を島根県に編入する1905年以前の韓国の文書や地図に独島の表記がないことに関し、
韓国側が独島の古名は古文献や古地図に記されている「于山島」と主張していることに着目。
この「于山島=独島説」を覆す証拠として、独島の北西92キロに位置する韓国・鬱陵島を描いたソウル大学奎章閣が所蔵する古地図3枚を提示した。

 このうち年代不詳の地図では、鬱陵島の東側に描かれた小島に「所謂(いわゆる)于山島」と記され、
その下に「海長竹田」と書かれている。ビーバーズ氏は、「海長」とは竹の種類を指すとみられ、
「于山島」は竹が生えない不毛の岩の塊である独島ではないと指摘した。

 またビーバーズ氏は、1834年に制作された地図に距離を示す目盛りがあることに着目。
于山島を示す「于山」が鬱陵島から東に4キロ離れた場所にあることから、
距離的にみて独島ではなく、鬱陵島の付属島の竹嶼を示していると主張した。

 こうした主張と今回提示された古地図について、日本のある独島専門家は「韓国在住者ならではの調査に基づく新たな発見を含んでいる。
特に『海長竹田』と書かれた地図は、于山が独島でない証拠として貴重」と評価した。

 なおビーバーズ氏は、「竹島の日」条例の制定を機に韓国国内で反日感情が高まったことに疑問を抱き、この問題の研究を始めたと語っている。

NEWSIS/朝鮮日報JNS



「Liancourt Rocks(リアンクール岩礁)」に変わってしまうかもしれない。

 「Liancourt Rocks」とは、1849年1月に独島を発見したフランスの捕鯨船「Liancourt号」の名前に由来するもので、
独島の西洋式名称として使用されている。独島を紛争地域と規定している米国政府も、中央情報局(CIA)や国務省など、

ほとんどのウェブサイトで独島を「Liancourt Rocks」と表記している






敵の敵は味方?でもない



 韓国のサイバーテロ組織“VANK”が、中国の公式ホームページに掲載されている地図に“日本海”と明記されていることに対し猛反発している。
これは先に中国で行なわれた「冬季アジア大会」で韓国の選手が「白頭山は我らの領土」とパフォーマンスを行なったことに対し、
中国側の抗議とインターネットを通じて中国のハッカーが韓国批難を繰り返していることへの報復とみられる。
「冬季アジア大会」での一件は、
韓国側が公式に中国側に謝罪することによって表向き解決したように思われるが、実は水面下では熾烈な戦いが始まっている。
 最近の韓国の新聞を見ていると、やたら中国批難が多い。
「なぜ今アフリカで反中感情が‥‥?」
「ヨン様主演“太王四神記”中国当局が報道禁止命令[中国ネチズン『中国を日本よりも悪く描いた』と非難]」(『朝鮮日報』)といった類の記事だ。
中国の東北工程(高句麗・渤海は中国の領土であったとする研究)に端を発し、
その見え透いた領土拡張主義に猛反発している韓国
(一方そういう韓国もわが国固有の領土「竹島」を自国の領土だと馬鹿げた主張をしているのだが)‥‥。
 “VANK”のパク・ギテ団長は「中国政府に公式の抗議書簡を送付するなど早急な措置を取るつもりだ」と息巻いているが、
しかしそんな抗議に屈するようなやわな中国ではない。
韓国は昔から日本の天皇を“日王”と呼び、格下に表現することによって溜飲を下げ、
優越感をもとうとしてきた小人(しょうじん)国であるが、中国は一貫して“天皇”と正しく表現してきた大人(たいじん)国である。
まして中国にも韓国に負けない強力なサイバーテロ組織がいくつもある。
とても韓国の抗議に屈するような国ではない。
 この中韓の非難合戦は実に面白い。いやもとい、実に興味深い。
国際的な認知を得ている“日本海”という呼称を中国が認めているということは、
「当然のこと」とはいうものの、実にわが国にとっては心強いことだ。
「敵の敵は味方」といいたいところだが、しかしそうも暢気なことばかりいっていられない。
この地図には確かに“日本海”と明記されてはいるが、一方でわが国固有の領土“尖閣諸島”を“釣魚島”と表記し自国の領土としているのだ。
つい先日も尖閣諸島近海で中国の海洋調査船が、わが国の許可なく調査を実施したというニュースがあったばかり‥‥。
日本にとって真に警戒しなければならないのは、実は小人韓国ではなく中国なのである。
そのことを念頭に置きながら、この「中・韓戦」を楽しみたい。いやもとい、注目していきたい。
韓国、竹島不法占拠強化に41億円…後ろめたさで既成事実化急ぐ

島根県・竹島を不法占拠している韓国政府は4日、
今後5年間で約342億ウォン(約41億円)を投じて占拠を強化する計画を発表した。
駐屯する武装部隊の施設増強や接岸施設の拡張、島への輸送船建造支援のほか
、周辺海域を含む資源調査・利用などなど…。
周辺海底地形の勝手な韓国名称提案を、わが国の対抗措置で延期したばかり。
占拠の既成事実化を急ぐ姿は“不法占拠の後ろめたさ”を如実に物語っている。
(SANSPO.COM、2006年05月05日)






韓国は竹島を不法占拠し、勝手にこのような施設をつくり、「監視体制」を整えようとしている。こんなことは絶対許してはならない

 韓国は「ほしいからもらう」というだけ   それではただの泥棒だ
  李承晩ラインなるインチキ領海も撤廃せざるを得なかった韓国
 日本は1905年、竹島を日本領土と宣言。この時、どの国も公式に抗議することはなく、国際法に照らして日本の領土と認められた(念のためいうが、日韓合邦は1910年であり、竹島はこの時編入されたわけではない)。
 そもそも17世紀から、江戸時代の漁民が魚猟地として竹島を利用し、あわび、あしかなどを獲って生計を立てていた。日本がこの島の明確な領有権を主張するのは自然であり、1952年1月に韓国が不法占拠するまで、領土問題など存在しなかった。
 この1952年1月という時期は、日本が敗戦によりまだアメリカの占領下に入っていたときだ。
 つまり韓国は、
日本が主権を失っていた弱い時期に、卑怯にも弱みにつけこんで、
火事場泥棒的に領土を盗んだ
のである。
 もう少しくわしく述べると、当時の韓国大統領・李承晩(イスンマン注:日本では漢字読みの方が知られているためそちらで表記する)が1952年1月18日、韓国付近の公海に一方的に線を引き、漁船立ち入り禁止線とした。これを李承晩ラインという。この李が引いた韓国側の方に、竹島が入っていた。
 これは、まさしく暴挙としかいいようがない。李承晩ラインなるものは、二国間で結ばれた条約でも何でもない。国際法からいっても、こんな勝手な線引きに従う理由はないのだが、韓国は「ラインの中に入った」日本の漁船を銃撃したり、拿捕したりして、強盗もはたらくなどやりたい放題だった。日本政府は猛烈に抗議したが、韓国政府は聞く耳を持たなかった。
 実はこの年、1952年4月にサンフランシスコ講和条約が発効され、日本が主権を回復することになっていた。竹島についても日本領であることが明記されていた。そうなる前の日本が主権を持っていない時=日本がまだ強く抵抗できない時期に日本を叩こうと狙って、韓国側は急いで勝手なラインを引いたのである。
 この李承晩ラインなるものは、1965年の日韓基本条約締結でようやく無効となった。この間、日本漁船は328隻拿捕され、3929人が抑留され、44人が死傷している。
 いづれにせよ、この李承晩ラインは、まったく正当性のないものであり、しかもラインが撤廃された今、韓国が竹島の領土だという根拠はかけらもないのである。
 韓国は占領の規制事実を重ね、占有権を主張する腹積もりなのだ。
 日本政府は「竹島は日本領土である」と主張するだけでは、韓国の無法行為をはねのけることはできない。韓国の暴挙に対抗して、日本も竹島切手を発行するなど、インパクトのある対応をとっていくべきだ。
 日本は日米安保条約を結んでるのだから、韓国の侵略行為に対して、日米共同の軍事行動を起こすことをアメリカに提案すべきだ。
 アメリカは尖閣列島問題では介入しない方針を示しているが、竹島に関してアメリカは竹島を日本の領土であると公的に認めている。
 さらにアメリカも、昨今、ヒステリー的な反米運動を高めている韓国に対して快い感情を持っていない。在韓米軍の削減もすでに決まっている。アメリカは韓国から軍隊を退けることに、大してデメリットを感じない。しかし、日本の沖縄はアメリカにとって戦略的に重要な位置をしめているので、日米安保はアメリカにとって重要なのである。日本政府「日本への侵略行為に対して米軍が動かないなら、わが国にとって日米安保は必要ない」といい捨ててほしい。

于山島(鬱陵島)
は竹島ではない

韓国は竹島(韓国名・獨島)が512年以降、韓国領に組み込まれたと主張しているがそれは歴史歪曲に過ぎない。
下の図は、1530年に韓国で発行した八道総図という地図の、鬱陵島周辺の拡大図であるが、
この地図に載ってある于山島を現在の竹島であると解釈しているのである。しかし、
竹島は鬱陵島の西ではなく南東にあり、大きさにいたっては鬱陵島の3/1000しかないのである。
ところがこの図には鬱陵島とほぼ同じ大きさで書かれている。また、朝鮮半島にはおよそ3,300の島が存在するが、その多くは竹島より大きいのである。
何故この小さな竹島が、他の大きな島より優先されて、済州島を含む10の主要な島と共に地図に載るのだろうか?




三国史記の于山国 in 512

三国史記の于山国 in 512
三国史記

巻四 智證麻于十三年夏六月条

于山国征服、歳以土宜為貢、
于山国
、在溟州東海島、
或名鬱陵島
、地方一百里、恃嶮不服、伊喰異斯夫、為何琵羅州軍主、謂于山人愚悍、難以威来、可以計服、乃多造木偶師子、
分載戦船、抵其国海岸、誑告曰、汝若不服、則放此猛獣踏殺之、国人恐懼則降

13年(512年)夏6月、于山国が服属してきて、年ごとにその地の産物を貢ぎ物として献上した。
于山国
は溟州(現在の江原道)の真東の海上にある島国で、
別名を鬱陵島という
。この島は、百里四方ほどで、それまでは交通が困難であることをたのみとして服属しなかった。
伊喰の異斯夫が何瑟羅の軍主となった。
かれは、于山国の人たちは思慮が浅くて気性が荒々しく、武力だけでは降伏させられないが、計略をもってすれば、服属させることができると考えた。
そこで多くの木製の獅子像を作り、戦船にわけてのせた。その国の海岸につくと、偽って次のように言った。
「お前たちがもし服属しないならば、この猛獣を放って、踏み殺させるぞ。」

三国史記は韓国最古の文献で1145年に書かれているのだが、512年の条に于山国という国名が出てくる。
韓国側は于山国には鬱陵島と于山島の両島が含まれると主張しているが、それは強引な解釈でしかない。
仮に于山島が竹島だとして、何故この無人島が人の住める鬱陵島より優先し、于山国という国名になるのであろうか?
普通は鬱陵国となるのが当然である。このことから、韓国の解釈には無理があるのである。

三国遺事 in 13世紀
三国遺事


巻一 智哲老王

何琵羅州今溟州東海中、便風二日程、有于陵島今作羽陵、周廻二万六千七百三十歩、
島夷恃其水深、橋傲不臣、王命伊喰朴伊宗、将兵討之、宗作木偶師子、載於大艦之上、威之云、不降則放此獣、島夷畏而降賞宗為州伯

何琵羅州、今の溟州の東の海の中に、帆船で二日の行程のところに、于陵島があった。
今の羽陵島である。周囲は二万六千七百三十歩の大きさ。島に住む野蛮人は水の深さを恃(たの)み、
倣岸で新羅に従わなかった。王は朴伊宗に命じて、彼が率いる軍が征伐に向かった。
木造の獅子を作り、大きな船に乗せていった。彼らを脅して言った。降伏しないとこの獣を放つぞと。
島の野蛮人たちは畏れて、降伏した。王が賞として朴伊宗を州伯の座につけた。

三国遺事は13世紀に書かれた文献であり、三国史記に次いで成立したものである。
この三国遺事には、漢字表記は異なるが、発音が全く一緒の、于陵島と、羽陵島が表れている。
前者の島名は于山島の于と、鬱陵島の陵が合わさった表記である。
また、高麗史に出てくる芋陵島や、蔚陵島も漢字表記は違うが発音は同じである。
その他、武陵島と茂陵島も漢字表記は異なるが発音は全く同じである。これらは全て鬱陵島を指す。
韓国は、于山島を現在の獨島であると主張しているが、では、太祖実録に出てくる于山国島や、
太宗実録に出てくる流山国島はどう説明するのか。于山国島や流山国島という島名には、国という漢字が使われている。
竹島は人が住めないので国ではない。
三国史記には”于山国は別名で鬱陵島と呼ばれている”とある。つまり、
于山国に島が付いただけの于山国島は、鬱陵島を指すのである。
従って于山国島の国という字が無くなった于山島も鬱陵島を指すのである。

太宗実録 in 1417
太宗実録

太宗十七年二月壬戌条

安撫使金麟雨、還自
于山島
、献土産
大竹・水牛皮・生苧
・綿子・検樸木等物、且率居人三名以来、
其島戸凡十五口男女并八十六
、麟雨之往還也、再逢颶風、僅得其生

時代確認と対訳


太宗17年は西暦にして1417年である。
于山島という島名が韓国の文献に最初に表れるのが、この太宗実録である。
金麟雨は島民3名を率いて于山島から本土に還ったときに、大竹、芋、アシカ等を持ち帰っている。
また于山島にはおよそ15戸、男女併せて86人が住んでると報告した。
人が住めて竹を産するこの于山島とは現在の鬱陵島を指すのである。
韓国は現在、于山島は獨島であると主張しているが、これは明らかに誤りである。
竹島は人の住めない無人島であり、まして86人もの人間が生活出来るような島ではない。
この太宗実録に出てくる于山島なる島は大竹や芋を産するとある。






http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AC%B1%E9%99%B5%E5%B3%B6


正確な位置関係を示すものとして、グーグルアースを使用する。
最初に、グーグルアースから朝鮮半島、日本列島、竹島、鬱稜島をトレースする。
次に、鬱稜島の測量ミスから出現した架空の鬱稜島(argonaut島)を1867年の「大日本沿海略図」を用いてプロットする。
朝鮮半島と日本列島間にある島は左(西)から順に、argonaut島、鬱稜島、竹島、隠岐島である。


このトレース図を用いて韓国が竹島だと捏造解釈している地図を重ねあわせてみる。重ね合わせにあたって、
朝鮮半島及び日本列島の地形がトレース図に一致するように、元地図を変形させることとした。


<重ね合わせの結果>




以上、これらの地図に書かれている2つの島は「argonaut島」と「鬱稜島」であり、竹島ではありません。

竹島との関わり

鬱陵島から東南東へ約90km(船で2時間)には、日韓で領土問題となっている竹島(韓国名:独島)がある。
現在韓国がこの島を実効支配しているが、日本では韓国政府が竹島領有の既成事実化を図るため
一般人の観光船も許可していると言われ、上陸することもできる。
鬱陵島の道洞港は独島観光船の発着地で、港や船は「独島は我が領土」と書かれた巨大な看板などが並び、
鬱陵島観光者の多くが竹島(独島)を目指す。


鬱陵島より東南東約90kmの沖合いに竹島(独島)を肉眼で見ることができるので、韓国人が最初に独島を発見したことは明白である。
ということが韓国の竹島領有の主張の一つとなっている。
竹島は鬱陵島の標高約200m以下では水平線の下に隠れるため海岸付近からは見ることはできないが、
快晴の日に山頂付近(標高900m程度)に登ればはかすかに見ることができる。

高麗史地理志 in 1452

鬱陵島




鬱陵島は東海中に在り、
新羅時代には于山国と呼ばれていた。この島は時に武陵、或いは于陵とも呼ばれ、
智證王十二年以降から太祖十三年まで、島民は農産物を献上した。穀宗十一年に、鬱陵の土地が肥沃であることを聞いた王は、
使節を島に派遣した。島の中央には大きな山が在り、そこから東の海へは一万余歩、西には一万三千余歩、南へは一万五千余歩、
そして北には八千余歩の大きさであった。島には村落が七ヶ所あり、石仏・鐵鐘・石塔、そして多くの草木が生え、岩が多くある場所では人の居住は不可能であった。
一説には、于山・武陵の二島は距離がそれほど離れていない為、空気の澄み切った日には、互いを望み見ることが出来る。


高麗史地理志は于山国、つまり鬱陵島の事が書かれて、文の最初の方では「称于山国、一伝武陵」と一島説を記述しながらも、
後半のほうでは「于山、武陵、本二島」と二島説を展開している。韓国は後者の二島説だけに主眼を当ててて、竹島韓国領の証拠としている。
しかし記述とは裏腹に、鬱陵島から92Km離れた竹島を肉眼で見ることは、晴天で且つ注視しなければ見ることは難しい。
(注意:与那国島から台湾までの距離は111kmで、一年に4、5回見えるが、台湾と竹島では面積が違い過ぎるので比較にならない。)
世宗実録 in 1454
世宗実録 地理志 江原道襄陽縣
于山、武陵二島、在縣正東海中、二島相去不遠、風日清明、則可望見、
新羅時、称于山国、一云鬱陵島、地方百里、恃険不服、智證王十二年、異斯夫為何琵羅州軍主、謂于山人愚悍、難以威来、
可以計服、及多以木造猛獣、分載戦船、抵其国、誑之曰、汝若不服、則即放此獣、国人懼来降、高麗太祖十三年、
其島人、使白吉、土豆、献方物、毅宗十三年、審察使金柔立等、回来告、島中有泰山、従山頂向東行至海、
一万余歩、向西行、一万三千余歩、向南行、一万五千余歩、向北行、八千余歩、
有村落基址七所、或有石仏像、鉄鐘、石塔、多生紫胡蒿本・石南草、我太祖時、聞流民迯人其島者甚多、
再命三陟人金麟雨、為安撫使、刷出空其地、麟雨言、土地沃饒、竹大如柱、鼠大如猫、桃核大於升、風物称是

『高麗史地理志』では一島説と二島説が併記されているが、この『世宗実録』では、于山、武陵の二島説として書かれている。
しかし二島説を取りながらも、書かれている内容は「高麗史地理志」と同じ鬱陵島のことだけだある。
これら「三国史記」から今までの文献を見ると、于山国・于山国島・流山国島・武陵島・于陵島・茂陵島・芋陵島・羽陵島は、
全て現在の鬱陵島を指しているのであって、決して竹島のことを指しているのではないことは明白である。
海左全図 in 1822
19世紀前半に作製された朝鮮全土の地図に、
海左全図
というものがある。この図には鬱陵島の直ぐ東に島が描かれているが、これが現在の独島であると韓国は主張する。
しかし、緯度・経度を考慮すると、これは鬱陵島の属島であるチュクドであることが分かる。
文献撮録 in 1800年代
于山島という呼び方以外にも、三峯島という名前で独島が呼ばれていたと韓国は主張する。
しかしそれも反論出来る。『世宗実録地理志』や『東国輿地勝覧』に対して、于山島は鬱陵島と同島異名であったとする『文献撮録』の記事がある。
それは李朝に仕えた高級官吏の元鄭容(1783−1873年)の著述である。
『文献撮録』には欝陵島に関する記事として「欝陵島始末」がある。
これは日本側でいう元禄時代の欝陵島をめぐって起こったいわゆる「竹島一件」に関する記述であるが、
そのはじめに、以下のような記述がある。
欝陵島。蔚珍の正東の海中に在り。清明なれば則ち峯頭山根歴歴として見る可し。地広く土肥ゆ。其の竹を産するを以って故に竹島と謂う。
三峯あるを以って故に三峯島と謂う。于山、羽陵、武陵、磯竹に至るも皆、音訛して然る也。 日本の隠岐州と相近い。

鬱陵島には三つの高い峰がある。それは羅里峯(840m)、聖人峯(984m)、
そして弥勒峯(901m)である。三峯島は現在の竹島ではなく鬱陵島のことである。


大東輿地図 in 1861
朝鮮の代表的な地図として、1861年に金正浩の
大東輿地図
があるが、この地図は鬱陵島のみが描かれていて、竹島に当たる島名の記載は無い。
このように朝鮮では、慶尚道の東に在る鬱陵島だけが描かれているものと、
鬱陵島と朝鮮半島の間に于山島が誤って書かれているものと、海左全図のようにチュクドが書かれているものと、3つのタイプの地図が存在した。

鬱陵島検察日記 in 1882
1868年、遂に日本は明治維新を成し遂げる。
そして鬱陵島が問題となるのは1881年5月22日、江原道監詞が鬱陵島捜討官(朝鮮は1696年以後、
3年に一度巡察使を、当時無人島であった鬱陵島に派遣)からの報告を受け、日本人7名が鬱陵島で木材を伐採していると、報告した事から始まっている。
この時朝鮮は日本の外務省に抗議し、併せて副護軍の李奎遠を鬱陵島検察使に任命して鬱陵島に派遣する事になった。
李奎遠が鬱陵島に赴くのが1882年4月。そこで李氏朝鮮の第26代国王・高宗(1863 - 1907在位)は、彼に対し、
「松竹島、芋山島は鬱陵島の傍らに在り、しかしてその相距たる遠近いかん。
また何れの物有りや否や」と下問している。
この高宗の質問に対して李奎遠は「芋山島は即ち鬱陵島にて、芋山は古(いにしえ)の国都の名なり」とし、
「松竹島は即ち一小島にて、相距たること十里(今の2Kmに相当)、その産するところは即ち檀香と簡竹」と、答えている。
『成宗実録』1年8月条に記された「鬱陵島の傍らに小島あり」の小島と同じく、何れも鬱陵島より東に2Km程度離れた現在の
鬱陵郡蔚陵邑道洞里竹島のことで、今の竹島とは全く関係が無いのである。
『東国輿地勝覧』の于山島鬱陵島条には松島、竹島の文字が無く、
松島、竹島、芋山島の三島を鬱陵島と称したのは『東国文献備考』に基づく知識だったからである。

その高宗の不確かな鬱陵島理解に対して李奎遠は、「或いは松島、竹島と称して鬱陵島の東に在りとす。
而(しか)してこれ松竹島以外に別して松島、竹島あるに非ず」と答え、
松竹島(現道洞里竹島)以外に松島や竹島と言う島は存在しないと、高宗の誤りを正している。
この高宗と李奎遠の鬱陵島に対する認識の差は、『東国文献備考』の記述を通じて鬱陵島周辺の地理を認識していた高宗と、
実際の鬱陵島の様子を伝聞し、現実的な鬱陵島像を確立していた者との違いといえる。

そしてその違いは1882年6月5日、鬱陵島から戻った鬱陵島検察使・李奎遠の帰還によって一層明確となる。
李奎遠はその啓文で、「晴明の日、高きに登りて遠眺すれば、即ち千里を窮(きわ)むべくして、更に一挙の石一撮の土なし」とし、
鬱陵島検察日記には「四望して海中にうかぶに一点の島嶼(とうしょ)の見形無し」と記している。
これは鬱陵島の最高峰である聖人峰(984m)の頂上に立ち、四方を望見した結果を述べた部分で、そこからは島影らしきものは何も発見できなかった。
これは、李奎遠の地理的正確さを改めて実証しただけでなく、1880年代の朝鮮の人々には、
現在の竹島がその視野の中に入っていなかった事実を証明するものである

大韓全図 in 1899



写真手前が竹島(チュクド)で左上に鬱陵島の半島部分、右上に観音島が見える。

大韓帝国勅令第41号 in 1900
大韓帝国勅令第41号 in 1900
大韓帝国政府は、1900年4月に禹用鼎に命じて鬱陵島周辺の調査をさせ、6月に報告書を政府に提出した。
それを受けて大韓帝国政府は1900年10月25日に勅令第41号を発した。先ずは
勅令第41号
を載せた官報と、下記の日本語訳を読んで頂きたい。
勅令第四十一号
鬱陵島を鬱島と改称し、島監を郡守に改正した件
第一条 鬱陵島を欝島と改称し、江原道に所属させ、島監を郡守に改正し、官制に編入し、郡等級は五等にすること

第二条 郡庁は台霞洞に置き、区域は鬱陵全島と竹島、石島を管轄すること
ここに出てくる竹島とはチュクドのことであるが、この勅令には「石島」なるものが突然表れる。
韓国はこの石島を現在の竹島(獨島)と主張している。しかし、この韓国主張には根拠が無い。
なぜなら同年、1900年に禹用鼎が鬱陵島を調査
していて、『鬱島記』という本が現在韓国にあるが、竹島には行っていない。
従ってこの勅令に「石島」という名称があっても、それが竹島であるということはあり得ない。
禹用鼎は鬱陵島を一周しただけで、現在の竹島には行っていないことが分かっている。
更にこの勅令が発せられた後の文献を見れば、石島が竹島でないことは一目瞭然に分かる。

大韓新地志 in 1907
1907年に発刊した張志淵の『大韓新地志』では「
鬱島
(1900年に鬱陵島から鬱島に名称変更)
の位置を130度45分から35分に至る」と認識していた。竹島の経度は、この鬱島の外にある。
したがって先の勅令に挙げられた鬱陵島の属島である「竹島(Chukdo)」も「石島」も当然、東経130度45分から35分
に至る間に点在する島嶼であったことを示している。

朝鮮常識問答 in 1946
鬱陵島を極東とする大韓帝国以来のこの領土認識は、日本の植民地支配が終わった後も変わりが無かった。
崔南善(チェ・ナムソン:1890 - 1957)の『
朝鮮常識問答
』(1946年初版)では、朝鮮の地理上の位置を「島嶼を加えれば東経130度56分23秒から124度11分00秒」とし、
「極東は慶尚北道鬱陵島竹島(チュクド)」としてる。
ところが、同じ『朝鮮常識問答』でも、後年の版で示された領土の東限を見ると、経度は初版の際のままにもかかわらず、
地名だけが「慶尚北道鬱陵島独島」と修正されている。

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竹島問題

竹島の領有権に関する我が国の一貫した立場

  1. 竹島は、歴史的事実に照らしても、かつ国際法上も明らかに我が国固有の領土です。
  2. 韓国による竹島の占拠は、国際法上何ら根拠がないまま行われている不法占拠であり、韓国がこのような不法占拠に基づいて竹島に対して行ういかなる措置も法的な正当性を有するものではありません。

    韓国側からは、我が国が竹島を実効的に支配し、領有権を確立した以前に、韓国が同島を実効的に支配していたことを示す明確な根拠は提示されていません。

(地図)日本・大韓民国

竹島

(地図)竹島



結論
以上各種の文献を見れば、于山島は竹島でないことは明白である。朝鮮の文献を年代順に分かりやすく理解する為に、
鬱陵島の名前の変遷リスト

朝鮮人よ。



済州島 
鬱陵島もに日本領だと主張して武力制圧しようか?
住民は喜ぶと思うがどうだい?


李承晩ライン

日韓 もし戦えば


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竹島

red_wind4510


竹島に文句があるなら正々堂々国際司法裁判所に出てきて決着を
つければいいのに、日本が提訴してから待てど暮らせど出てこない。

それもそのはず、日本の正当性が揺ぎ無いため、法廷に出れば負けるから
逃げ続けているのである。(※国際法廷は両当事者が揃わないと開始されない)

参考までに、韓国の史学者が政府批判のついでに吐露した本音をみてみよう。



■ソウル大学 安秉直(アンビョンジク)名誉教授(経済史学者)

今の状況を一言で整理するなら、現政権が、解決できない問題を解決できる
問題であるかのように浮上させて自分たちが民族主義を代弁する勢力である
かのように国民を欺いている形です。

例えば独島問題は歴代政権が解決できないから不問に付していた問題です。
率直に言って、独島関連資料は日本の方がたくさん持っています。日本は
1905年に既に独島に対する国際的認定を受けているからです。我が国は
現実的に領有しているというだけです。もしこの問題が国際司法裁判所に
行ったら、当然文献と証拠をたくさん持っている日本が勝つことになります。
現政権がこの問題を国際司法裁判所に持って行かないのも、このためですね。

1つの肉をめぐって2匹の犬が争っていると考えてみましょう。
1匹が先に肉をくわえたらすぐ逃げだして食べればよいのであって、
肉を奪おうとする他の犬を見て吠えたらどれほど愚かなことですか?
独島問題の解法は、口をつぐむことです。我が国は実質的に独島を
領有しているのだから、心配することはないんですよ。しきりに騒げば
むしろ損になるのに、現政権がしきりに論争の種にするのは、非愛国的な、
ある意味では売国的な行為です。

http://www.new-right.com/read.php?cataId=nr02000&num=886



簡単にまとめれば、

 「韓国は武力で日本人を殺して、日本の領土を奪い、
  武装警官により実効支配を実現し、違法に居座っている」

というだけでなく、

 「裁判もせずに逃げようとしている」

のである。


日本は、1905年に竹島は日本国の領土であると宣言した。
韓国は、1952年4月28日のサンフランシスコ講和条約発効直前に、
国際法違反を承知で公海上に李承晩(リショウバン)ラインを設け、
実力行使で竹島を奪って以来、竹島は韓国領土と勝手に言い張っている。

つまり法律的にも竹島は日本の領土であり、韓国の竹島占領は法律違反である。

 
だからこそ印象操作に必至になっているのだろう。
彼らはまともにやったら日本に勝てないから、日本国内から竹島を譲るような
風潮になるようにどうにか誘導したいのだ。
そして時間を稼ぐと同時に怪しげな証拠モドキを捏造しているのである。
(事実、過去にも偽の証拠を“作った”ことが発覚して失敗している)

とにかく日本のオバサマ方には早く目を覚まして欲しいものである。
 

http://blog.goo.ne.jp/pandiani/c/22233975cd7b58716889809ce44393ea
http://blog.goo.ne.jp/pandiani/e/58c1a74ca5a895b3fcbb4f0a57a9a7ad
http://news.searchina.ne.jp/2005/0615/entertainment_0615_002.shtml
http://www.geocities.jp/ez_shawn007/world/world-now1.htm
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2005/04/21/20050421000014.html
http://japanese.chosun.com/site/data/html_dir/2004/09/10/20040910000036.html
http://news.media.daum.net/digital/computer/200507/01/kukinews/v9480934.html
http://www.pref.shimane.jp/section/takesima/top.html
http://www.geocities.jp/tanaka_kunitaka/takeshima/

空軍参謀総長、自らF-15Kを操縦して独島に出動

 「ここは独島!天気は晴れ渡っている。特に問題なし」

 今月2日午後4時23分、独島の上空に空軍の最新鋭のF-15Kが到着した。金成一(キム・ソンイル)空軍参謀総長が自ら操縦する戦闘機だ。

 金総長は韓国空軍の最高指揮官としては初めて独島の上空で指揮飛行を行うため、午後4時頃、 大邱第11戦闘飛行団の基地を離陸した。

 金総長の編隊は、F-15KおよびKF-16、それぞれ2機からなる。
金総長は7分から8分間、独島の上空を旋回飛行し、鬱陵島管制部隊およびMCRC(中央防空統制所)と交信しながら空軍の対応体制を点検した。

 昨年10月から段階的に導入されているF-15Kの「真価」は、独島への作戦能力からよくわかる。
F-15Kは最高速度がマッハ2.5で、有事の際には出撃してからわずか8分で独島に到着することができる。

 現在、韓国空軍の主力戦闘機であるKF-16は、中部地域から独島まで飛行してから5分以上の空中戦を繰り広げることは難しいが、
F-15Kは大邱基地を離陸すれば、最大およそ1時間の空中戦などの任務を遂行できる。

 金総長の指揮飛行は、新年を迎えて現場のパイロットを激励し、F-15Kの性能を自ら確認するためのものだ。
空軍の関係者は、「空軍の最高指揮官が、自ら独島を守るという意志を直接内外に示したもの」と述べた。

朝鮮日報/朝鮮日報JNS


韓日軍用機、独島上空での「緊迫の10分」

RF-4C偵察機
 「日本偵察機は独島に接近せず回航せよ」

 16日昼、大邱(テグ)空軍第2中央防空統制所(MCRC)では独島に接近する日本航空自衛隊RF-4C偵察機に対し、無線通信を通じて緊迫した声で警告した。

 RF-4C偵察機はF-4ファントム戦闘機を改造したもので、韓国空軍も保有している。

 軍当局は自衛隊偵察機の独島出現が今年に入り初めてである上、韓日両国が鋭く対立した非常に敏感な時期に発生したため、大いに緊張した。

 二度にわたる警告放送にも偵察機が独島への接近を続けると、第2MCRCは東海上で日常的な哨戒飛行をしていたF-4ファントム戦闘機編隊に、
独島付近の上空に緊急出動するよう指示した。

 韓日両国の軍用機が間近に接近し、対峙するという緊迫した状況が発生する直前だった。
幸い、そのような状況は発生しなかったと伝えられた。

 日本偵察機が韓国軍の三回目の警告放送で、日本の方に回航したためだ。
日本偵察機は韓国防空識別圏(KADIZ)外部の10マイル、独島の南方37マイルまで接近した後、独島を離れたと伝えられた。

 RF-4C偵察機は40〜50キロ離れた目標物の写真撮影が可能であるため、この程度の距離でも独島の写真を撮ることができる。

 日本航空機の独島接近は今月8日以来3回目だ。8日には日本朝日新聞所属の軽飛行機が独島上空への進入を図り、韓国防空識別圏(KADIZ)1マイル外まで接近した。

 また、9日には日本海上保安庁の海上哨戒機がKADIZ8マイル外まで接近、韓国軍戦闘機が緊急出動する状況が発生した。
政府と軍当局は9日の海上哨戒機の接近の場合、KADIZを侵犯していないため、日常的な哨戒活動と見なし、問題視しなかった。

 しかし、16日の場合、今年に入り初めて軍用機である自衛隊航空機が出現したという点から、前回の2件よりさらに敏感な反応を見せている。
軍当局はこのためか、偵察機の接近に対し極度の保安を維持するほか、平常よりはるかに少ない関連部署だけにこの事実を通告したと伝えられた。

 軍関係者は「日本偵察機がKADIZを侵犯していないため、問題視するのは難しい」としながらも、
「韓国側が極めて敏感に反応するはずだと知っていたはずなのに、なぜその日、そのような行動をしたのか、理解できない」と述べた。

ユ・ヨンウォン軍事専門記者 bemil@chosun.com


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護国特攻隊”の派遣だってさ。


【竹島問題】島根は”竹島の日”を撤回せよ!・・・”護国特攻隊”の派遣、皇居へ太極旗を刺すデモなど予定 [08/2/22]

 "日本の島根県は竹島の日制定を撤回しなさい"

 日本の島根県が2005年条例に制定した‘竹島(独島の日本式名前)の日’制定(2月22日)の3周年記念行事を大々的に行う中、活貧(ファルビン)団、東海独島守護国民運動本部、独島緑運動連合、韓国海上災難救助団、独島NGO連合等の独島守護愛国市民団体は21日に日本大使館前で"竹島の日制定撤回"を要求する国益守護 反日克日 記者会見を行う。

 これらは「独島と東海の海洋地名が持つ大切さを認識し、IHO(国際水路期間)、世界の地図製作会社、外国メディアに東海・独島が歴史的、地理的、国際法の上で実効的に韓国領土・領海である実体を全方向の先進国へ広報し、法的紛争の強硬に備えて東海と日本内の極右勢力による日本海(Sea of Japan)、竹島地名強硬戦略に強く対応しなければならない」と主張した。

 またこれらは3・1節または光復節に‘独島定住 基盤造成等独島守護汎国民運動’セミナーを開く事にした。

 一方で来月から日本の小中学生を対象に独島が日本の領土だと主張する資料で副教材を作り授業に活用する方案を推進中の島根県の妄発を打倒するため在日本青年海外同胞たちと連帯した‘護国特攻隊’を島根県へ遠征派遣する計画だ。

 日本政府が島根県を先に立たせ2005年2月に減らず口で"竹島(竹島)の日"を制定宣布した後22日に3周年記念慶祝行事を強行しようとする妄発を強力糾弾し、われらの領土独島・私たちの海東海を死守する固い意志で下記のような "民族自尊守護愛国決意"を固くする。

 1.私たちは表では友好的な交流を標榜しながら裏で韓国の歴史を歪曲捏造し独島の名前さえ変え日本領土とし私たちの海である東海を日本海(Sea ofJapan)とごり押しして主張する狡い日本の侵奪野欲盲動を強力に糾弾する。

 1.歴史的、地理的、国際法上厳然たる韓国領土であるわれらの領土独島に対し日本がしつこく領有権を減らず口で主張し東海の名称さえ国際紛争化しようとする日本の陰謀計略を政府と国民が合心して最後まで圧することを強力に主張する。

 1.卑屈な弱腰外交に一貫して国民的怒りを引き起こしている政府の対日外交の一大転換を要求する。

 1.一方私たちは日本が執拗でしつこく独島領有権をごり押し主張することは独島隣近に埋蔵されている石油や天然ガスの後を引き継ぐ新エネルギー資源として浮び上がっているメタンハイドレートなどの豊かな海底資源確保という欲心のためであることも分かっている。

 1.これによって私たちは"独島を EEZ(排他的経済水域)の基点にし、日本の隠岐の間に韓日海洋の境界線を引き多量のハイドレートを確保することができるように外交通商部、海洋水産部など政府の海洋外交努力に拍車をかけること"を強力に促す。

 - 独島問題に微温的に対処し国民の自尊心を踏み付け、歴史的な大罪を犯さないことを政府に強力に促す

 - 李明博次期大統領と文化観光副長官、慶尚北道支社は3.1節に己亥独島を大韓民国東海最東端の国際観光地域として宣布しなさい

 - 国会は警察の代わりに海軍駐屯等竹島警備及び巡視を強化する特別法を制定しなさい!

 - 全国民は日本の『独島侵奪野欲』を粉碎するために総決起しよう!

 - 政府は独島領有権保存のための力強い対応策を迅速に用意しなさい


(竹島の日制定撤回克日本汎国民運動)

 (1)ドイツを手本にすることを日王及び日本総理に促求

 (2)日本文化開放の中断及び消費者は日本製品を使わない汎国民運動

 (3)日本東京中心部日王皇居、島根県、富士山頂上に太極旗を刺す国際遠征デモ

 (4)対馬島もわれらの領土!宣言の後に対馬島奪還運動本部を設置し行動開始

 (5)世界のネチズンたちへ独島は韓国領土、東海は韓国の領海と広報、忘れてしまったわれらの領土対馬島奪還運動展開

 (6)各学校入学式場で祖国の未来青年の責任!キャンペーンで独島死守を若者達が先頭に立つことを促求

 (以上)


>来なくて良い、日本の地が汚れる。


【日本政府の対応】

日本政府はこれら不法犯罪者の武力による行動に対し、
不法移民であるこれら活動者を強力した在日に対し、強制送還を視野に入れ包囲する方針だ。

韓国人の死者が出ても、それは仕方が無い事です。

他国に乗り込むという行為そのものが領土侵害ですし、ましてやその様な非常識な行動を日本という外国で展開するのなら、
国民保護の観点から、機動隊を出動させ、抵抗するものにはありとあらゆる手段で(韓国人の死者が出るのを覚悟の上で)厳しく対応する。

今後不法移民である韓国人を厳しく取り締まるであろう。








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