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JAZZ LIFE 1995年4月号

佐藤允彦
ランドゥーガ道場から 見えるもの聴こえるもの
即興で遊ぶ

 

ある人はナゾの危険思想集団と恐れ、またある人は楽しいお遊戯会と笑う、佐 藤允彦率いる即興音楽ワークショップ“ランドゥーガ道場”。  そのテーマは「即興演奏は誰にでも楽しめる」なのだが、果たして本当に即興演奏は誰にでも楽しめるものなのか? そしてしれはおもしろいものなのか?   佐藤允彦コンダクト×道場生50人によるCD『直会(なおらい)』がそんな疑問に答えます。
取材=池上信次

誰でも即興演奏は楽しめる?!
-ランドゥーガ・マジックの秘密-

“誰でも即興演奏が楽しめる”を掲げて、セッションを重ねてきた佐藤允彦(p)率いる(素人)集団“ランドゥーガ道場”。その“ランドゥーガ道場生”がなんとCDを作ってしまった。音を聴けばわかるが、そこにはまさに“即興で遊ぶ”という前代未聞のコンセプトが生き生きと踊っている。“誰にでも”即興演奏を楽しませてしまう佐藤允彦のランドゥーガ・マジックに迫る。

即興演奏はゲームである?!

 

“ランドゥーガ道場”(★註1)の内容を簡単に説明しよう。
 楽器は自由。ジャズで一般的に使われる楽器はもちろん、ピアニカからウクレレ、もちろん声まで何でもあり。とにかく音の出るものをもって、佐藤允彦作曲の楽譜をテキストに即興セッションを行うもの。  楽譜に書かれているのは4〜8小節の民謡/民族音楽のモチーフ(だいたいが2パターン)。コードはなし。打楽器やベース・セクションにはごく簡単なリズム・パターン。 これだけで、ビ・バップが出来なくても、理論が分からなくても、すべての参加者が“即興演奏者”になってしまうのだ。  そんな彼らがCDを作った。『直会(なおらい)』(日本クラウン)と題されたそのお祭り騒ぎには技術を越えた演奏の喜びがあふれている。

―――“ランドゥーガ道場”は、“即興で遊ぶ”というのが大きなテーマなん ですが、まずそもそも“即興演奏”とは? 簡単に、とはいかないと思いますが、まず佐藤さんの“即興説”をお聞かせく ださい。

佐藤:う〜ん。全部話したら100ページぐらいになってしまうよ。(長考)
 即興演奏をやろうと思ったら、例えばまずゲームの種類を選ばなければならない。ドラクエをやるのか、将棋をやるのか、トランプをやるのかといったことね。選んだら、そのゲームには必ずルールがあるわけだから、そのルールに従って、遊べばいい。
 将棋を選んだ場合、駒の動き方はとりあえず覚えないとゲームにはならない。勝とうとか負けようとか思わなければ、それだけで楽しむ事は出来る。相手が羽生名人ならちっともおもしろくないだろうけど(笑)。ゲームって、自分と相手が同じレヴェルだといちばんおもしろいよね。それが即興の原点じゃないかな。
 もっと進めば、定石がどうのとかいろいろ出てくるわけだけど、レヴェルはともかく、ルールさえ知っていればとりあえず誰でも遊べる。まわりにいるうまい人が、その人たちの将棋を見て、「そんなことしてたら詰んじゃうよ」って言われても、本人たちはそれには関係なく楽しんでるわけだからさ。
また、「おれたちが将棋で遊ぶ時は王将取られても、他の駒残ってればゲームは終わらない」という新ルールを作ってもいいわけだからね。それで楽しめればね。  ゲームの種類を選んで、ルールを飲み込めば、あとは好きにやる。そういうことなんだ。

―――では、ビ・バップと呼ばれている音楽は、ビ・バップのルールで遊んでいるというわけですね。

佐藤:そう。音楽の場合は駒が違うとか(ファミコンの)画面が違うというのはなくて、すべて音でしょう?   ピアノでビ・バップをやろうと思ってもいいし、ピアノでバロックだってできる。でも、ピアノにはピアノの音があってそれは変えられない。そこがゲームとは違うところだけど。この場合のルールは“らしさ”ということかな。共通な“ビ・バップらしさ”ということ。  AくんとBさんの考える“ビ・バップらしさ”は同じではないだろうけど、会話ができないほど離れているわけではないだろうから、“ビ・バップという会話”は成立する。   “バップらしさ”だったり、また“バロックらしさ”というルールが分かれば遊べるわけね。

―――逆に“らしさ”のない音楽も存在する。

佐藤:存在しますね。

―――思いつくのはフリー・ジャズという言葉ですが。

佐藤:でもね、一時期“フリー・ジャズ”っていう“らしさ”がある音楽があったからね。70年代に。  だから、質問の“らしさ”のない音楽という意味では、ぼくらはただ“フリー”とか“フリー・インプロヴィゼーション”と呼ぶことにしている。でもそれは“らしさ”がないのではなく、“何らしさ”でもいいというのは難しいんです。
 音楽的な“らしさ”がなくても、“その人らしさ”というのは存在するしね。  音楽的な“らしさ”がなければ、それを出せばいいし、出ることになる。

―――ではランドゥーガ“らしさ”とは?

佐藤:ランドゥーガにいく前にもう少し“らしさ”を考えてみよう。  “らしさ”というルールだけを考えた場合、相手との接点がなくなってしまうということもありうる。
 例えば、アラブの人とアメリカの人が共演する場合、必ずしも異種格闘技が存在するかというと、必ずしもそうではない。すれ違いということもあるわけだ。  そんなときはコンピュータでいえばインターフェースに相当するものを、その間に置いて、それを仲介にしてアラブらしさとアメリカらしさがつながるというものがあればいいわけ。
 わけのわかんないいろんな人が、仮に話は通じていなくても炬燵(こたつ)を囲んでみんな足を突っ込んでいる状態。それがランドゥーガ。  そのインターフェース自体じゃなくて、その状態、そのイヴェントがランドゥーガと思ってもらいたい。
 インターフェース自体は簡単なものでしょ? 4小節とか8小節の節(ふし)だったりだからね。

トン・クラミとランドゥーガ

―――トン・クラミ(★註2)とランドゥーガ道場はどちらもフリー・インプロヴィゼーションであるという点では共通していますが、その差異はどこにあるのでしょう?

佐藤:根本的には同じです。  トン・クラミはひとりひとりがものすごく確立しているものだからね……。インターフェースなしでも、どういうソフトでも走っちゃうようなもの。
 トン・クラミの3人または4人の全員がフリー・インプロヴィゼーションの経験がすごく多いわけで、もう特定のインターフェースがいらない。  ランドゥーガ道場の場合、楽器買ったばかりでまだ“らしさ”も何もわかんない人もいるわけで、トン・クラミはやたらそういうことをやりまくってきた人だから、ランドゥーガの延長線上とも言える。だからといってトン・クラミが尊いというわけではないよ。
 さっきから便宜上“らしさ”と言ってるけど、厳密に言えば“らしさ”を引きずっていればほんとうは成立していないとも言える。炬燵を囲んだ時だけにできる何かがあるわけで、その何かの部分はもう“らしさ”やバックグラウンドを捨てているんだよね。
 では何を考えているかというと、“この場で何がいちばんおもしろいか”ということになるわけ。

即興のダシの素

―――ランドゥーガのインターフェース部分の節は“即興の餌”というか、短いながらも即興の強烈なきっかけになっています。

佐藤:即興のダシの素(笑)。

―――そのダシの素で、道場生においしい即興を料理してもらおうとした理由は?

佐藤:究極は、どんな人でも即興を楽しめるようにということから。
 ランドゥーガ(★註3)の1枚目はいろんな国の人に集まってもらって日本の節をやることだった。2・3枚目は日本人でいろんな国の節をやった。  で、次は、どこの国でも関係ない人が集まってどこの節をやってもいいじゃないか。と、だんだんエッセンスのところまできたわけですね。
 こういうやり方でフリー・インプロヴィゼーションのひとつの方法を多くの人にわかってもらえたらいいな、とね。  音楽やるんだったら大学のジャズ研にはいらなきゃいけないとか、音楽教室に通わなきゃと思っている人は多いと思うけど、そんなことはないんだ。
 そういうところだと、例えば定石を知っている人が偉かったりするじゃない? でもそういうんじゃなくて、音楽の原点を考えてみると、みんな大昔はそこらへんの木を叩いたり、動物の骨の穴を吹いたりしていたわけだし。そういうふうに考えていかないと、たくさん売れたのが勝ちとか、何かに似ている方が正しいになってしまったりする。とにかくまず楽しくなければいけないんじゃない?
 それにはいろんなやり方があって、ランドゥーガはそのひとつ。

―――では、“よいランドゥーガ”と“悪いランドゥーガ”があるとすればどんなことでしょう。

佐藤:参加している人がみんな同じぐらい楽しくて、同じぐらいつまんないものが、“よいランドゥーガ”なんじゃないかな?
ひとりだけにスポットライトがあたるんじゃなくてね。 世の中の音楽を見てみるとね、例えばヴォーカル。ヴォーカリストを立てるためにバック・バンドがいて、間奏がある。
 ランドゥーガの考え方は違う。誰もが同じぐらい立てて、同じぐらい立つ、うまい人でも ひとりだけ立たずに全体に奉仕する。

―――バンドのギャラが均等に配分される(笑)ような……。

佐藤:だからたぶん、今回録音に参加した人の中にはもっと(演奏が)できる人もいるはずなんだよね。ぼくの方にも反省もあってね、ぼくがちょっとああだこうだと多く決めすぎたかなという気もする。
 理想としては、ぼくが出なくてもランドゥーガというシステムが機能すればいちばんいい。 聴き手は専制君主 

―――フリー・インプロヴィゼーションにおいては、聴く人の存在をどう考えればいいでしょうか?

佐藤:当然なんだけど、聴く人は、ソロをとる人以上に専制君主なわけです。だいたいの音楽は聴く人に奉仕する、聴く人を楽しませるために音楽はある。だいたいね。  でも、それはランドゥーガとは相いれないものだね。大江久仁さんのライナーノーツに「熱帯雨林の中で聴こえる自然音のオーケストラが、究極の音楽だ―――それは無心の音楽である」とあるけど、実にうまく言い表わしているのね。
 熱帯雨林の音を音楽として聴くか、音楽として聞こえるか? 誰かが聴かせてくれてるわけではないものだけど、そこにあるものをどう聴くかなんだ。だから今回のランドゥーガ道場のCDは聴く人によってはつまんないかもしれない。
 例えば、雨が3日も4日も降り続いてザーという音しか聞こえない。つまんないよね。でもその時、「なんでつまんないんじゃいけないの?」という発想が生まれるかもしれないし、同じ「ザー」に差異を見いだせる人もいるかもしれない。
 楽しみ方をどこにおくかという聴き方の問題なんだね。ビートがしっかりしてるとか、メロディがいいという今までの聴き方ではなくて、「こいつここでギャーっていってるけど、そのあとどこにいくんだ?」なんていう聴き方もあるんだと……。

―――ランドゥーガは新しい聴き方も提唱している……。

佐藤:そうなんでしょうね、きっと(笑)。積極的に聴いてくれというのとはちょっと違うかもしれない。そういう音楽の聴き方ができるソフトがまだ少ないんだね。一回そういう聴き方に気がつけば、ポップスもジャズも聴き方が変わってくるはずだよ。

―――聴く人が新しいルールを決めてもいいわけですね。

西洋音楽を引きずりすぎる 

―――だいたいの曲に“コール・アンド・レスポンス”、つまりふたつの対旋律がありますね。このへんには即興のセオリーのおいしいところ、つまり佐藤允彦の即興観が詰まっていると解釈したいんですけど。

佐藤:そうだねぇ〜……。ランドゥーガにはハーモニーがないわけです。それに代わるものがほしかった。  道場やってる人はみんなわかってきてるだろうけど、節がひとつあれば、そこからいろんなところへいけるじゃない?
一息で吹けるほどの短いものでもね。究極はさっき言ったように何もなくてもいいんだけど。  ハーモニーのある音楽は全世界からみれば一部なんですよ。アフリカの部族の音楽はハーモニーがないよね。その分リズムがすごく複雑。
 日本も中国も韓国もハーモニーはない。民族音楽と呼ばれているものについてはほとんどハーモニーがない。

―――「あれっ、ハーモニーがないの?」とすぐ考えるぼくらは……。

佐藤:後ろに西洋音楽を引きずっている。ぼくらはあるテンポがあって何小節あって、というのをふだんやっている。でも勘定する概念のない音楽はいっぱいあるわけ。  みんなで演奏してて勘定を間違えた人がいるとする。でもそれを間違いだと排斥しちゃうのはどうかな、と。校則守んない人だっていいじゃない。それがかまわないということであれば、長髪だって丸坊主だって茶髪でも……。
 ズレてもいいわけですね。それがおもしろかったりするんだよね。  節がふたつあれば、もっとおもしろいかな。ということで、ふたつの節を使った曲が多くある。  でもこれらはぼくがインプロヴァイズしてきたノウハウというわけではない。どうやってやればみんなで楽しく遊べるかな?って出てきたこと。楽しく遊ぶルールのひとつ。

―――「佐藤さんは現場監督。譜面は設計図。道場生は大工。下手な大工もうまい大工もいる。それでも出来上がった建物は美しい」と言った道場生もいました。

佐藤:監督がフェード・アウトしても、もう美しい建物が建つようになってきたんじゃないかな(笑)。だれもが監督になれるんだよ。

★註1:ランドゥーガ道場(RANDOOGA SCHOOL)
2年前、佐藤允彦の提案で始まった、「ランドゥーガ・コンセプトによるフリー・インプロヴィゼーション・ワークショップ」といったもの。  「ジャズ・ライフ」を通じて参加者を募り、ど素人からセミプロまで“誰でも即興演奏を楽しめる”ことを実践している。過去4回開催され、参加者は延べ200人を越えた。  ランドゥーガの『まほろば』には道場生集団も1曲参加しており、味をしめた(?)道場生はこのたびCD『直会(なおらい)』(日本クラウン・CRCJ-9126)を発表することになった。  レコーディングには50人が参加し、50人による大オーケストラ2曲と10人前後の小オーケストラ5組の演奏を収録している。  全曲が佐藤允彦・作曲・指揮によるもの。1曲ではピアノも弾いている。  メンバーはディスク・レヴューのページを参照してください。
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★註2:トン・クラミ(TON・KLAMI)
佐藤允彦(p)、高田みどり(perc)、姜泰煥(as)によるフリー・インプロヴィゼーション・ユニット。  メールス・ジャズ・フェスのライヴ『トン・クラミ・ライブ・アット・メールス・ジャズ・フェスティバル1991』、ネッド・ローゼンバーク(as,b-cl)をゲストに迎えた『パラムゴ』をリリースしている。
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★註3:ランドゥーガ(RANDOOGA)
“ランドゥーガ”とは、佐藤允彦の即興演奏グループ・コンセプトの名称であり、それを実践するグループ名でもある。  1990年、第10回ライブ・アンダー・スカイのステージでデビュー。そのステージではウェイン・ショーター(ss)、アレックス・アクーニャ(ds)、ナナ・ヴァスコンセロス(perc)、梅津和時(as)、峰厚介(ts)、高田みどり(perc)、岡沢章(b)、レイ・アンダーソン(tb)、土方隆行(g) が参加し、ライヴ・アルバム『ランドゥーガ』(エピック・ソニー)を残した。  その後、六本木ピットインのマンスリー・ライヴ、全国ツアーを経てメンバー、音楽的変遷をとげ、現メンバー(勿論このインタヴュー当時)は峰、梅津、高田、岡沢、土岐英史(as)、木津茂理(vo,perc)、YAS-KAZ(perc)。  『KAM・NABI』『まほろば』を発表している。
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