エイコ

chapter 22


「エイコさん、凄い剣幕でしたね?」
声をかけられて、暫く分からなかった。
「ああ、あの時の」
学生が自主管理しているコンサートでチラシ撒きをしているエイコ達に話しかけてきた女の子達だ。
「お巡りさん、行っちゃいましたね」
実に嬉しそうな顔だ。
「お巡りさんが来た時、ああ、もうこれで終わりだって思っちゃいました」
「冗談じゃないわよ、こんな中途半端なところで終わったら格好つかないわ」
エイコもつられて嬉しくなった。
「ほんと。ホッとしました。それにこんなに人がいて」
「思っていた通り、いや、それ以上ね」
改めて見回すと人垣は幾重にも増えてきて、始めた頃の倍近くにまでなっていた。もちろんバンドやそれ目当ての客も多いが、明らかにそれとは無関係と分かるオジサン、オバサン、子供などが目立っていた。
「ところで、最初から来ていたの?」
彼女達はそれぞれ楽器を手にしていた。
「ええ、最初から。見終わったら練習なんです。渋谷のスタジオで」
「へえ、でもありがとう、来てくれて。ところで出演出来る所は見つかった?」
「いいえ、まだ。なかなか無いですね。でも週一でスタジオで練習してますよ、好きだから。ねえ?」
後ろの3人も大きく頷いた。
「最後まで上手くいくといいですね」
「うん。お巡りももう来ないだろうし、これなら……」
あの「何が起こるか楽しみだなぁ」と言った電話の主の事を言おうとして止めた。多分、いや絶対に来ない。来ていたとしても、あの木の向こうで悔し涙を流しながら歯ぎしりしているだけだ。そう思うとますます嬉しくなった。
「これなら、上手くいくわ」
エイコの笑顔につられて、彼女達も笑った。
「じゃあ、最後まで見ていますから。がんばって下さい」
そう言うと人垣の中へ入っていった。

エイコと警官との一件を知らない沢口は、爽やかな顔をしてスタッフに復帰してきた。
「いやー、疲れた、疲れた」
「アンタね、お客じゃないんだから。スタッフなんだからね、一応は」
ミクに咎められると、バツが悪そうに手を合わせた。
「いやー、ついつい、我を忘れてしまって」
「だって、ホント、こういう所で見るのってホントに最高。こういうのって音の善し悪しじゃないよな。日常と超日常との融合性って言うか、なっ室中? そう思うだろ?」
室中は苦笑いをしながらミキサーを調整している。
「バンドにも結構シビアだぜ。ちょっと手を抜くとほら、見てみろよ」
演奏が気に入らないのだろう。前の列の何人かの客が、後ろの歩道に引っ込んでしまった。
「でも、力が入ってるとどんどん集まってくるし。バンドの実力が試されるってわけだな」
いい気になって講釈している。室中は相変わらず苦笑いをしたまま適当に相槌をうった。
「な、いいか室中。お前もそう言うところをよく見ておけよ。これが押しつけられた既成のカルチャーじゃなくってよ、俺達が自ら手に入れた、いや、自らの手で掴み取るべき民衆のカルチャーってヤツなんだぜ。これがパンクの本質部分の………」
たまりかねたミクが口を挟んだ。
「ホントにもう、能天気なんだから。大変だったんだからね」
「何が? 何かあったの?」
「お巡りよ。お巡りが来てたのよ。アンタが盛り上がってる時に」
沢口の顔がサッと青くなった。
「どこ? 今どこにいる? ヤツラは?」
拳を握った手がブルブル震えている。カズミが吹き出しそうになるのをこらえながら言った。
「エイコが話を付けたわ。もうとっくに帰っちゃったわよ」
「なんだよ、それ。呼びに来てくれればよかったのにさ。オレがナシ付けたのに。オレしかいないじゃん、オマワリ相手はよ」
ホッとした顔の沢口は、震えの止まった拳から中指を差し出してそう言った。カナエはストップウォッチを振り回しながら
「だってアンタ、踊りまくってたんじゃないの、こんなになって」
と笑った。そして口々に沢口を肴にし始めた。
「アンタが居なかったら、上手くいったのよ」
「アンタみたいなのが出ていったら、ますます話がややこしくなっちゃうだけよ」
「そうそう、すぐにアタマに血が上るんだから」
「最後には手を出してパクられて、あっという間に中止にされちゃうんじゃない?」
「沢口がパクられたくらいじゃ、中止にはしないわよ」
「そうね、沢口の役割は生け贄だもんね」
心底楽しそうな皆を見て、沢口は口を尖らせている。
「なんだよそれー? オレはいつだって冷静だぜ、レ・イ・セ・イ」
「なに、見え透いた事言ってんのよー」
「アンタにさっきのアンタの踊ってるところ、見せてやりたいわ」
「そうよそうよ、まるでアンタの書く文章そのまま」
「ほんとにシッチャカメチャッカ」
皆、好き勝手に沢口を吊し上げている。エイコもつられて何か言いかけたが、「でも、私も逆上していたっけ」と思い直し笑っていた。

6番目の時だった。一人の客がやって来た。
「すいません、ちょっと来てもらえますか?」
おどおどした顔をして彼女は
「友達が、変な人に絡まれているんです」
「変な人?」
「ええ、友達の手をこう、こう握って離さないんです」
と、自分の腕を握って今にも泣き出さんばかりだ。
「何、それ?」
カズミは理解不能の表情を浮かべている。エイコにも理解不能だ。二人は顔を見合わせた。
ミクが急に声をあげた。
「それって、痴漢?」
彼女は頷いた。
「そう、みたいなんですけど……。でも堂々と握って……」
「そりゃ、オレの出番だ!」
沢口は叫ぶなり、
「どこ? どこだ?」
「あ、あそこです」
と彼女が指さした方へと走った。
「ミクは彼女とここにいて」
と言い残しエイコとカズミもその後に続いた。
客の固まりの後ろの方、三人が揉めていた。男が泣いている女の子の手を掴み、もう一人の女の子が男に向かって叫んでいる。
「テメエ、なにやってんだぁ!」
沢口が男の前に走り出た。男は40歳前後、背広を着た普通のおっさんだ。
「この人、いきなり手を掴んで無理矢理引っ張るんです」
叫んでいた子が沢口に訴えた。
「コノヤロウ、放せ! 放せってんだぁ!」
男の腕を掴み、力づくで振りほどこうとする。男はヘラヘラ笑っている。
「うっ、このヤロウ酒臭い!」
顔をしかめた沢口は掴んでいた腕を思わず放した。
「いってえなぁー、何だよぉー、おネエちゃんと仲良くしようと思っただけじゃねえかよぉー。なぁ、ネエちゃん」
掴まれた方は硬直していて何も答えられない。
「こんなに綺麗なカッコしちゃって、オジサンたまんない。ねっ、おこづかいあげるからさぁ」
「ふざけんな! このクソじじい。とっとと手を放せ」
沢口は再び飛びかかった。その拍子に沢口の着ていた皮ジャンの鋲が男の顎にヒットして二人はひっくり返った。拉致されていた彼女はその隙に友達の所に駆け寄り、しゃがみ込んだ。
沢口は馬乗りになって胸ぐらを掴み殴りつけようとしていた。エイコはとっさに背後に回り込み、振り上げた拳を掴んだ。
「殴っちゃダメ!」
沢口がひるんだ隙におっさんは股間を蹴りあげた。もんどりうって沢口は地面に転がった。
「このチンピラ、暴力ふるいやがったな、おー、訴えてやるからな。この小僧」
転がっている沢口を一瞥し、男はすごんだ。
「手を出したのはあんたでしょうが!」
エイコの言葉に
「知らないね。このチンピラ、どこも怪我して無いじゃないか。オレはホラ」
と、顎に手をやった。血がうっすらと滲んでいる。
「オマエらみたいなチンピラとこのワシと、どっちの方を警察は信じてくれるかなー?」
と気味悪く笑い、
「それに、ネエちゃんもまんざらじゃなかったろ?」
震えている二人を舐め回すように見た。
「おい、チンピラ。いつまでも転がってんじゃねえ。とっとと起きろ。警察まで連れてくぞ、立て!」
と沢口の腹を蹴った。沢口は股間を押さえたままうずくまって立てないでいる。エイコは止めなければ良かったと後悔した。あのまま沢口にやらせるだけやって、その辺に捨ててしまえば良かったと思った。今からでも遅くはない。私がやってやろう。オトシマエをつけなければ。エイコは転がっている棒きれはないかと辺りを見回した。
「ハイハイ、おじさん。私も御一緒しますわよ」
カズミがやけに朗らかな声でに近づいていった。
「警察にお届けになるんですよね? それは最高によろしい事ですわ。さあ、御一緒に。沢口、大丈夫? さ、起きて」
その態度におっさんは
「オレは本気だぞ、いいのか?」
と、またすごんだ。
「ハイ、よろしいですよ。何があったのかはこれが全部ハッキリさせてくれますから」
ポケットからウォークマンを出した。
「全部、録音されてますのよ、アナタが彼女達に絡んでいるところからずーっと」
男の顔はみるみる青くなっていった。
「さあ、御一緒に警察まで」
また一歩踏み出すカズミ。うろたえる男。
「お、覚えてろ!」
ヨタヨタと逃げて行った。

カズミはエイコにVサインを出した。
「よかったぁ。どうなるかと思った」
「だって、記録係だもの」
「助かったわ。ありがとう」
「何言ってんの、お互い様」
沢口はさっきの二人に助け起こされていた。
「いててて、あのオヤジィ、思いっきり蹴りやがって」
「そんなに痛いの、そこって?」
カズミが覗き込んだ。
「痛い痛い、半端じゃなく痛いって。息が吸えねぇんだもの」
「私達、持ってないからねぇ」
エイコとカズミは顔を見合わせて笑った。
「でも、やるじゃん、沢口」
「格好良かったわよ」
「でもあのオヤジ、見えないところばっかり狙ってたんだぜ。キンタマとか腹とか。最初っから狙ってたみたいに」
「狙ってたって?」
エイコは思わず聞いた。
「オレらが騒動起こすのをさ。なんか出来すぎみたいだけど」
「考え過ぎじゃない、タダのスケベな酔っ払いよ」
「だってカズミ、変に思わないか? こんな所で痴漢やったってメリット無いじゃん、青空の下でさ。それにどう見たって強引すぎるし」
そこまで言うと沢口はまだ恐怖から抜けられないでいる二人に向かって
「あ、呼びに来た友達ならミキサーの所にいるから。あそこなら安心できるからさぁ。そこで見ててよ。もう心配ないから。俺達も戻るからさ」
とウインクした。
「どうも、ありがとうございました」
二人は駈けていった。エイコ達も彼女達の後をのそのそと歩き出した。
「可愛いなぁー、16、7かなぁー」
「さっきのオヤジと同じじゃないの、それじゃあ」
カズミに言われても沢口は彼女達の後ろ姿に見入っていた。
「で、話の続きだけど」
エイコは話を戻した。何か気になる。
「いや、ただちょっとそう思っただけなんだ。よく聞く話でさ、仲間を装って内部撹乱するって話。今のは客だけどさ」
「それって、お巡り?」
「いや、わかんないよ。ただそういう話を本で読んだ事があるって言うだけ」
「そんなに心配する事無いよ、エイコ。たまたま、たまたまよ」
カズミに言われ、エイコはそんなものか、と思う事にした。

「どうだった?」とミクに聞かれエイコは要約を話した。さっきの3人組は何事もなかったように室中の傍らで楽しんでいる。
「気持ちワルぅー」
ミクは顔をしかめ、
「こんな真っ昼真から、いい年こいてよくやるわねー」
溜息をついた。
「それって、私達の親とそう違わないんじゃない?」
「そうかもしれない。ひょっとしたらミクの親だったりして」
「止めてよカズミ、ウチのオヤジはそんな事しないって」
キャハハ、と笑った。
その時、シンバルスタンドが勢いよく倒れた。ドラマーが弱った顔している。曲の途中だけに自分で直す事が出来ない。エイコが飛び出そうとした途端、客の一人が走り寄って立て直し、スッと引っ込んだ。車から機材を出すときに手伝ってくれた見知らぬ連中の一人だ。
沢口がエイコに話しかけた。
「あれ? アイツ知ってる?」
「いいえ」
「アイツら見に来てたんだ」
「知ってるの?」
「ほら、アイツらだよ、アイツら。あの……」
思いがけない名前を聞いた。「やったるでぇ」の一団だ。
「邪魔しに来たんじゃないの?」
カズミは不審な顔をしている。
「最初のセッティング、彼等が手伝ってくれたのよ。室中クンの指示で動いていたでしょ?」
「え? あの人達が? さっきから何かちょっとあるとサポートしてくれてるのよ」
ミクは意外そうな顔をした。
「マイクを直したり、アンプをずらしたり、ね」
「ええ、助かってますよ。僕はそんなに動かずに済んでますから」
と、相変わらずの室中。
「へぇー。あの人達がね」
カズミが感心している。
「客がバンドに近寄りすぎないようにガードもしてくれてるんですよ。頼もしいですよ。ほら、あそこ」
室中が指差した所では連中の内の数人が立て膝になって、背中で客がそれ以上前に来ないように踏ん張っている。
他の数人はPAスピーカーの横で、リズムをとりながら立っている。
「あそこで待機してくれてるんです。それで、さっきみたいな時にはサッと行ってくれるんですよ」
室中は嬉しそうに目を細めた。
「格好が恐ろしげだから、客も言う事を聞いてくれてるみたいですよ」
「あの人がここに行け。って言ってくれたんです」
さっきの3人組の一人が「やったるでぇ」の一人を指差した。
「あの人が、ねえさん達ならちゃんとやってくれる。オレらが直接出ていくと揉め事が増して、マズイ事になっちゃうからって」
エイコは感謝した。そこまで考えてくれていたのかと。それに引き替え私ときたら、棒きれを探していただなんて。思わず手を合わせたくなった。
「あの人、皆さんが来るまで、あの酔っ払いがエスカレートしないように少し離れたところで見張っててくれたんです。で、皆さんが来たの分かったから、パッと消えて……」
「かっこ良過ぎるぜ、それ」
沢口は悔しそうに舌打ちした。




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