エイコ

chapter 21


「ねえ」
ミクがステージ横の発電機に給油していたエイコを呼びに来たのは4つ目の沢口が推したバンドがセットし始めた時だった。
「来ちゃったよ、お巡り」
不安そうな顔している。
「えっ? 何で?」
「何でって言っても。来てるんだってば」
「何て言ってるの?」
「代表者は誰だ? って」
「それだけ?」
「うん。ただ代表者は? って」
ここからだと警官の姿は見えない。
「どこ?」
「お客さん達の後ろの方」
「わかった。ガソリン入れ終わったら、すぐ行くから」
二人の警官は観客の後ろ、少し離れたところに立っていた。傍らには白い自転車。若い方はステージが気になるらしく、爪先立ちで前を見ている。
年配の警官はそれには興味無さそうに立っている。
「なんでしょうか?」
年配の警官が薄笑いを浮かべ
「ああ、君? 君が代表者?」
「ええ。まあそんなものですけど」
「これは、うーんと、何をやってるのかな?」
「何って言いますと? 見ての通りの事ですけど?」
「これは、許可は取ってるのかな?」
「はい? 許可って言うと?」
「いや、だからね、道路で君が言うところのコンサートをやっているのだから、その許可をね」
「ちょっと待ってください。コンサートをやっているなんて言ってませんよ」
「え、だけど君、これは違うのかね?」
警官は手を後ろに組み、辺りを一瞥しながら
「これは、コンサートでしょ?」
「いいえ違います。私達が演奏し始めたら、たまたま人が集まっちゃったんです」
「たまたま?」
「ええ。たまたま」
訝しそうな警官にエイコは意識してにこやかに答えた。
「練習したくって。ほら、そういう場所、あんまり無いじゃないですか?」
「これが練習? うーん、練習?」
「ほら、あそこでもやってるでしょ?」
少し離れた場所をエイコは指差した。
「サックスの練習でしょ?」
身をくねらせながら吹いている。
「でも、あれは一人で」
「だから、たまたま集まっちゃったんですよ」
「でもね、ここは道路だからねえ。歩く所なんだよ? ね、歩く所」
「じゃあ、散歩の途中に座り込んでお菓子食べたり、ジュース飲んだりしちゃいけないんですか?」
小首をかしげてみた。
「いやぁ、そういう事じゃなくってね」
若い警官は会話に全く興味を示さずに、まだステージを覗き込んでいる。
「だから、ここでこういう事をやるのは芳しくないんだなあ」
エイコは警官が話している間、一度も正面からエイコの顔を見ていないのに気付いた。意識的に避けているみたいだ。
「言ってる意味がよく分からないんですけど」
そろそろセッティングが終わる頃だ。あのバンドが演奏を始める前に何とかしないと。特にあのボーカルが警官に気付くと厄介な事になるかもしれない。エイコは少し焦った。
「どうしろと言うんですか? 何の問題があるんですか? 人が集まっているのがいけないって言うなら」
これだけは口にしたくはなかった。警官は私達に対してクレームを付けにきたのだ。彼等は彼等なりにやっているのだ。今、この警官と彼等とは何の関わりもない。私達だけで何とかしなければならない問題だ。
「人が集まっているのがいけないって言うなら」
しかし、ここで私達が言いなりになってしまったら、エイコは思った。言いなりになってしまったら、勢いづいた警察は彼等にも矛先をむけるかもしれない。いや、必ず向けるだろう。そうなるとここはどうなる? 単なる日曜日毎の散歩道だ。何ら手のかからない散歩道。「ここは、奪ったり、奪われたりしちゃいけない場所だ。誰のものでもなく、誰のものでもある場所だ」と呟いた自分が、アタマにポンプでありったけの体中の血を送り込んできた。
「あっちはどうなんですか?」
原宿駅の方を見て、とうとうエイコは言った。
「前から困ってるんだけどねー」
警官は答えた。あっけなかった。あまりにあっけなさすぎてエイコは一瞬引いてしまいそうになった。
「困ってるって……? それで……?」
「いやあ……、だからね……君」
警官は溜息をついた後、微笑みながら初めてエイコの顔を覗き込んだ。その微笑みはこう言っていた。「言わなくてもわかっているだろう」「奴等みたいなのはもうこれ以上出てきて欲しくないんだよ」「お願いだから手間を増やさないでくれないか」
「まるで」
エイコは覗きにあった時にやって来た、あのやる気のない警官を思い出した。「何もなかったんだろう」「夜中にガキが遊んでんじゃないよ」「お願いだからこんな事で呼び出さんでくれよ」
「あの時の笑いと同じじゃないか!」と心の中で叫んだ。「言わなくても分かるだろう? ちったぁ気をきかせろよ」と言いたげな顔に、相手の見下した考えが透けて見えた。与し易いと思っているのだろう。一杯になったアタマの中の血は今度は一気に沸騰した。
「ただ踊ってるだけ、ただ演奏してるだけじゃないですか。具体的な問題を言ってくれなきゃわかりません」
「いや、だからね、キミ……、そんなにムキにならないで。そう、そうだった。近所から苦情がきてるんだよ。うるさいって」
「近所ってどこですか?」
「坂の下の方の、ほら、住んでいる人が。とにかくうるさいって」
「私、さっきグルっと見回ってきたけれど、坂の下の方はクルマの音の方が大きくて、こちらの音は聞こえませんでしたよ。それにあの辺りって住宅ありました? だったら、連れてってください。この耳で確かめます。もしうるさいようだったら、私が直接対処します。さあ、連れてってください。どこなんですか?」
エイコは力一杯警官を睨み付けて歩き出した。
「さあ、早く! どこなんですか!」
苦笑した警官は
「いや、ね、だから……。ちょっと音を低くしてくれればいいんだよ、な、おい」
若い警官は急にふられて、
「うん、少し。少しだけね」
と愛想笑いを浮かべた。
「ま、そういう事です。後は時間になったらクルマが入ってくるから、それまでには終わるように。危ないからね」
それだけ言うと二人はさっさと自転車に乗って行ってしまった。エイコは何かまだ言いたい事があったのだが、何が言いたいのか分からず、自転車を漕いでいく二人の警官の後ろ姿を見ていた。
既にあのバンドは演奏を始めていた。

「どうだった?」
ミクから聞いていたのだろう、カズミとカナエもミキサーの脇でミクと話していたエイコを見つけて近寄ってきた。
「付近からの騒音の苦情だって」
「一体何処からの?」
「知らない。連れて行けって言ったんだけどはぐらかされちゃった」
「どこかしら?」
「さぁー?」
室中がミキサーを調整しながら
「様子を見に来ただけじゃないですか?」
「様子を?」
カナエが怪訝そうに聞いた。
「そう。だって、バンド演奏しているのって僕等が初めてじゃないですか。踊りを踊っているのはわかってても演奏はどういうのかは解らない。得体の知れないのが集まって騒いでいるって思ってたんじゃないですか?」
「見りゃわかるのに?」
ミクが不満げに言うと
「そこがお役所仕事。とりあえず把握しておきたいんじゃないかな? それとアリバイ」
「アリバイ?」
とカズミ。
「多分、苦情なんて来ていないと思いますよ。だけど、いつか本当に来るかもしれない、これ以上の規模でやれば。その時に来るであろう苦情に対してのアリバイ」
「うーん」
エイコには分からなかった。実感が湧かなかった。これ以上の規模でやると言う事はこの場所を自分達だけのものにすると言う事だ。踊っている子達から乗っ取ると言う事だ。そこまでしてやる気にはなれない。
「つまり、この状態でやってれば、問題はないわけよね?」
エイコの質問に室中は手を休めずに答えた。
「多分」
なにはともあれ、問題は一つ解決した。あとは最後まで順調に進むかどうかだ。
「でも、さっきで良かったわ」
カズミが囁いた。
「お巡り、今来ていたら怒り出すわよ」
見ると、バンドの前で役割を忘れた沢口が踊り狂っている。ボーカリストは叫んだ。
「お巡りを殺せ! お巡りを殺せ! 奴等は敵だ! 社会の敵だ!」
エイコは溜息を付いた。
「平和、かもね」




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