エイコ
chapter 19
腕時計を見た。あと、30分。1時になったら即セッティングだ。出番が後半の2、3のバンド以外はもう集まってきている。彼等のとりまきも既に数十人ほど居る。ガードレールに腰掛けたり、芝生に寝っ転ったり。真っ昼間というのにワインを一本小脇に抱えているヤツ、見るからに緊張しているヤツも。モヒカンのグループは公園を散歩している犬と一緒になって遊んでいる。飼い主は困惑顔をしている。
エイコ達は車から機材を降ろし始めた。
「よくまあ、こんなにきっちり入れたもんだぜ」
沢口がドラムのスタンドケースに手をかけながら呆れた声を出した。
「ホント、使える奴だぜ」
「アンタよりもね」
笑いながら答えたエイコを見て、沢口は
「パッとしねえのにな。オレを見てよ、オレ」
鋲付き皮ジャンの正装を自慢している。
「さあさあ、早くやったやった、男手は少ないんだからね」
「ちょっと遅刻したくらいでコレだぁー」
カナエに言われて少し悔しそうだ。
カズミとミクは何やら楽しそうに話しながら、降ろされた機材を一箇所にまとめている。
「先にドラムだけ組んじゃいますね。その方がセッティングしやすいから」
最初のバンドと打ち合わせをしていたエイコに室中が話しかけた。
「ああ、じゃ、そうして」
「オレ、手伝うよ」
バンドのドラマーが室中と一緒にケースからドラムを出し始めた。
「1時になったら、歩行者天国が始まるから、そこから全部のセッティングをします。始められるのは20分、いや1時半くらいかな。もし出かけるんなら10分前にはこの場所に戻って来ていて」
「了解」
「えーと2番目は、あっ、いたいた」
各バンドに同じようにタイムテーブルの確認をしている間に、坂の向こうからパトカーが上がって来た。
「午後1時より、この道路は歩行者天国のため車の通行は出来なくなります。路肩に止めている車の運転手さん、速やかに移動してください。午後1時より、この道路は……」
「よし! 1時! セッティング開始!」
エイコの背後で誰かが叫んだ。男の声だった。沢口かしら? 室中かしら? どうでもいい事だ。皆が一斉に歩道から機材を道路中央に引きずり出した。
「オーイ、ドラム、ここでいいかー?」
「オッケイー、ベーアン、その左!」
「ギターアンプはー?」
「そこそこ、そこだってばー」
「これはー?」
「これはそこー! じゃねえ、あっちー!」
怒号が飛び交う。シンバルを持ちながらフッと見渡すと関係者以外の連中までが参加している。
「ねえさん! これはあそこに運べばいいのか?」
強持ての見知らぬヤツが発電機を指さしてエイコに尋ねる。
「ええ、でも重いよ」
「なんの! でぇ、ダメだ。おーい、ちょっと来いー」
また知らないヤツが数人がかり出てきて、ウンショ、ウンショと運び始めた。
運び終えると、
「ねえさん、他にやるこたぁねえか?」
「うーん、あるけど。あなた達誰?」
どこかで見た事あるような……。
「やっ、客! 見に来た人。なあ、オイ」
「そうそう。なんでも言って。手伝っちゃうから」
一瞬怯んだが、楽しそうな顔に負けた。
「じゃあ、彼に聞いてみて」
室中を指さすと彼等は「はいよっ」と走っていった。室中が困った顔をしてエイコの方を見ている。指でオッケイのサインを出すとなにやら指示を出し始めた。
「カナエ、ちょっとー」
車の中でストップウォッチを片手にメモを取っていたカナエが顔を出した。今日のタイムキーパーだ。
「今何時?」
「1時10分」
「わかった。20分になったら教えてね」
「オッケイー」
ミクとカズミはケーブルを伸ばしている。その一本一本をさっきの男達が室中の指示でスピーカーやアンプに繋いでいる。沢口は発電機をかけようとしている。そろそろ時間が迫ってきている。
「動いた?」
沢口には、始動の仕方を伝えてあったのだが、上手くかからないようだ。
「おっかしいなー?」
しきりに首を傾げている。
「このワイヤーを引っ張るんだろ? デエイ!」
勢いよく引っ張ってもリース会社の親父がやった時みたいにエンジンに火は入らない。
「デエイ!」
また、カスった。何度も繰り返すが一向に回らない。大汗をかいている。
「あのー」
エイコの顔を覗き込み
「僕、やりましょうか?」
「?」
また知らないヤツだ。沢口は疲れ果てている。
「ちょっとやらしてください」
何事かごそごそといじってから、おもむろにワイヤーを引いた。
ガガガバババガガガバババガガガバババ! かかった。一発!
「チョーク引いてなかったんですわ」
「あん? 何の事?」
「ほら、これですよ。このレバー」
「ええ、俺、聞いてないよ、チョークの話なんて」
「ごめーん、言わなかったっけ?」
「聞いてない、ない、ない!」
何はともあれ、かかったのだからめでたい。沢口も不満ながら笑っているし。エイコはお礼を言った。
「どうも、ありがとう」
「いえ、僕の方こそ夕べは大変すんませんでした」
「はい?」
「夜中にやるんだとばかり思って電話した」
「ああ、あなたが」
「僕、現場やってたから、できるんですよ」
「発電機?」
「そうそう。でももう辞めちゃった。今はトンカツ屋さん」
カカカカカと笑った。
「で、夕べは?」
「はい。朝までその辺で寝てて、さっきまで原宿でお散歩。物見遊山。3人で。あれは姉弟」
視線に目をやるとアニマル柄のスパッツにフェイクファーのコートを着た眉毛を剃り落とした女のコと、細身のグレーのスーツを着た男のコが並んで微笑んでいた。彼自身はスキンヘッズで白黒の市松模様のスーツ。ピンクのシャツに黄色いシューズ。正直エイコは面食らった。
「いやー、イナカでバンドやってるんですよ。人伝てで今日、面白い事やるって聞いて鈍行で昨日の朝早く出てきたんです」
「バッカですよねー、勝手に夜中って思いこんでるんだから。ホント、すんません。今日楽しんでいきますから、よろしくー」
一人で喋るだけ喋ってふたりの方へ行ってしまった。呆然としているエイコに3人は思いっきりの笑顔で手を振って人混みに入って行った。
「なんだって?」
沢口は好奇心丸出しでエイコに聞いてきた。
「いや、私にもちょっと……よく分からない」
「エイコ、そろそろ時間」
カナエに言われてスタッフを集めた。
「問題は、なし?」
皆を見回し尋ねる。
「なし」
「音の方も平気?」
「大丈夫。全部チェックした」
室中が自信ありげに答えた。
「ミク、予備のガソリンは?」
「いけない、まだ、車の中」
「じゃ、始めたら発電機の所に出しておいて」
「うん」
「カナエ、時間、よろしくね」
「はーい」
「沢口、何かトラブルがあったら、お任せね」
「えー、頼むよー。俺かよー」
「じゃあ、始めましょうか。オッケー?」
「オッケー!」
「カズミ、バンド呼んで」
「うん」
バンドのセッティングが終わったのを見計らって、エイコはマイクの前に立った。バタバタしていて気づかなかったが、かなりの人数が集まっている。明らかにバンドを観に来た人達、それにつられて何事かと足を止める人達。その中には年寄りや子供の姿もちらほら見える。用意をしている時から集まっていたらしい。こんなに大勢の前で喋るなんてかつてなかった。かつてなかったが喋らなくてはいけない。私も人並みに緊張するんだと初めて悟った。目を閉じてみる。ガヤガヤザワザワ。そうだ、ざわついている間に喋っちまえ。
「えー」
声が掠れる。
「えー」
とたんに静かになってしまった。アガる。ヤバイ。
「えーと……」
「ねえさん、ガンバレ!」
「ビビるな! さっきの勢いはどした!」
手伝ってくれたアイツらだ。よし。
「えー、こんなに集まってくれてありがとう! 私達は企画したロードサイド・スナイパーって言います。見れば分かるようにこれは無料です。タダで見て、タダで楽しんでください。どう楽しもうとそれは皆さんの自由です」
「イェーイ!」
「オースィ!」
「ただし、これだけは守ってください。機材を壊したりしない事。壊したらとっ捕まえて弁償していただきます! 演奏の邪魔はしない事。それから、ケンカ。絶対しない事! 私達は楽しむために企画しました。これが守れない人は楽しむ資格などありません! 以上です。何かご質問は?」
「ねえさんはやんないのかよー?」
「はい。今日、全部で7組のバンドに出てもらいます。それら全部が私達の演奏、ステージなんです。分かっていただけますか? この企画そのものが私達ロードサイド・スナイパーの演奏なんです」
「わかったぞー」
「最高によっくわかったぞー」
パチパチパチ。
「邪魔するヤツはオレがファックオフしてやるぞー」
「バカー、そんなヤツいねえって」
「ねえさん、エライ!」
イエェーイ!
「それじゃ、始めます! では!」
タバコに火を付け興奮を静めようとするが、なかなか収まらない。ミクとカズミが傍らにやって来た。
「ステキだったわよー。ほれぼれしちゃった」
「今のテープに録ってあるわ。記事に使えるわね」
カズミはポケットからウォークマンを出して笑った。
「なんて言ったか覚えてない」
でも清々しい気分である事は確かだ。
「企画全部が私達のステージ。なかなか言えないわよ」
ミクまで興奮しているみたいだ。
「上手くいってる?」
「大丈夫。見てごらん、あれ」
カズミにうながされて立ち上がると演奏に合わせて客が飛んだり跳ねたりしている。
「楽しそう」
ミクがはしゃいでいる。
「楽しそうじゃなくって、楽しいのよ」
カズミがリズムをとりながらエイコの気持ちを代わって言った。
「次のバンドはスタンバイしてる?」
「ほら、そこで」
車座になって曲順をチェックしている。
「じゃあ、カズミ、バンドの方はお願いね。ミクは室中クンのサポートに付いてて。私、周りを見回ってくるから」
「任せて」
二人は持ち場に戻って行った。