エイコ

chapter 18


「おっはっよー、起きたー?」
「んーっ、ちょっと待ってー」
「3、2、1、ゼロ!」
「起きたー」
「今レンタカー借りてる、そっちに着くの一時間はかかんないかもしれない」
「んー、わかったー」
「ちゃんと、起きてんのよ」
「はーい」
流しに立って顔を洗う。目の前の窓を開けてみる。晴天だ。
「秋晴れってこういうのかな」
目が覚めた。完璧だ。夕べは遠足前の小学生みたいに興奮してなかなか寝付けなかった。4時くらいまでは覚えている。
それから今日の夢を見た。
客が全然居ない。バンドも来ていない。ミクやカズミ、カナエも沢口も室中も誰も居ない。でも機材だけがセッティングしてある。どうしよう、ここを離れるわけにはいかない。絶望してうずくまる。頭を抱える。突然頭上から何かが降ってきた。ドスンと背後に落ちた。見るとバスケットボールぐらいの大きさのフニャフニャした黒く光る固まり。バウンドしながら機材の方に転がっていく。ダメ! 壊れる! 声が出ない。固まりは機材にぶつかる直前に破裂した。バアァーン! 中から皆が現れた。ミクも沢口もカズミもカナエも室中もバンドも、皆現れた。客も次から次へと降ってくる固まりが破裂する度に増えていく。次から次へ。バンドのセッティングは完了した。ワン、トゥ、スリー、電話が鳴った。「おっはっよー、起きたー?」
ファンデーションを塗り、アイシャドウを引く。口紅はブラウンに近い赤。ジェルを両の手の平で伸ばして髪を掻きむしる。そして手串で後ろに流してメイクは終わり。恐るべき子供達と異名を持つイギリス出身のバンドのレコードジャケットが、前面一杯にプリントされたTシャツに袖を通す。三歳児の裸の男の子と女の子がキスしている図柄だ。いたたまれないほど、ギスギスしていて平和な写真をエイコはとても気に入っている。スリムのブラックジーンズをはく。二十七インチの外側を二センチほどつめたジーンズをはくと途端に気持ちがシャープになる。わずかに締め付けられる足の感覚が気持ちを高揚させるのだ。
用意は万全だ。
「お待ちどおさま」
とミクの後ろに室中。
「ああこれね、噂の」
発電機に目を向けミクが手をかけた。
「うわあ、重たい!」
「でしょ?」
「じゃあ、ボク、運びますね」
ググっと腕の筋肉が硬直したかと見えた瞬間、それは持ち上がった。
「すごーい」
ミクが感嘆の声を上げると室中は体ごとグラっとよろめいた。なんとか持ち直し、ヨタヨタとガニマタで道路の方へと出ていった。ふたりは顔を見合わせて笑った。
「じゃ、車で待ってる。スタジオまで乗ってって」
「わかった。すぐ行く」
編み上げの先のとがったブーツを履き、ドアを閉める。本当にいい天気だ。明け方見た夢はそんなに悪い夢ではなかったんだ。そう思うと体がより一層シャープになった気がした。

用意された機材の山を見て、ああ、私は電車だな、と思った。予算の関係でたいした機材は借りられなかったが、それでもこの軽のワゴンに一回で収まるかどうか不安だった。リストと見比べながらチェックをしていた室中はワゴンの後ろのドアを開け
「積み込みますね」
と、ベースアンプに手をかけた。あわててかけ寄り手を貸そうとするエイコとミクに
「大丈夫。任せて。それよりマイクとかスタンドとか細かいものをまとめてくれる?」
と言うと実に手際よく積み込み始めた。アンプをきっちりと組み入れ、空いている隙間に小物をクッション代わりに詰めていく。二人は目を丸くして見ていた。数分後には後ろの座席になんとか一人分の隙間を空けて積み込みは終わった。まるで職人技だ。
「すごい」
「ほんと」
あんまり凄いと呆れてしまうと言うけど本当に呆れた。スタッフミーティングで沢口が軽は無理だから止せ。と言ったのに室中は予算の事もあるけど、これくらいなら軽でも平気だと言い張った。意味がようやく分かった。
「じゃ、行きますよ。エイコさん、窮屈で申し訳ないけどこれ膝の上に乗せてもらえます?」
あふれたスネアを差し出した。
「室中クン、こんな神業どこで覚えたの?」
エイコはたまらずに聞いた。
「あのね」
代わりにミクが答える。室中は照れくさそうに笑っている。
「あのね、高校の時なんだって」

その人は室中よりも9つほど年上で、室中の高校の卒業生だった。彼は大学をドロップアウトして世界各地を放浪した後、故郷に戻りライブハウスを開いていた。ある日レコード店で、室中は廃盤になったイギリスのバンドのレコードの事で店員と話していた。そのバンドは歴代のギタリスト3人が皆、カリスマ的存在になっている伝説のバンドだったが、とうに解散していた。室中が探していたのはその3人のプレイが時代順に網羅された2枚組のアルバムだった。本国でもプレス枚数が少なく日本では、特に室中の住む地方都市ではほとんど手にはいるような代物ではなかった。店員に手に入れるのは不可能だろうな。と言われ、諦めかけた時に横から割り込んできたのが彼だった。
「オレ、持ってるよ。よかったら貸してやろうか? 売ってやるわけにはいかないけど」
室中は彼に可愛がられた。学校が引けると足繁くその店に通うになった。話をしていく内にわかったのが、室中の兄と知り合いだという事だった。
「オレが大学6年目の時だったな」
「留置所で仲良くなったんだ」
「お互い違う学校だったけど、よく話したよ。アイツは生真面目だったからなぁ」
「だけどオレはナンパだったから、もうちょっと楽しい事しようかと思ってさ」
室中の兄は卒業後、父親の知人の紹介で関西の電機メーカーにもぐり込んだ。それ以来、あまり話をしない兄弟になっていた。
「色々あるんじゃないの? 生きてくためにはさ」
「でも、オマエはオマエだろ?」
貝になってしまった兄を思う度に不機嫌になる室中を、彼は何度となく元気づけてくれた。
「ところでさ、オレにはもうついていけないけど」
そう言って差し出されたのが1枚のレコードだった。真っ赤なカーネーションの花輪をあしらったアルバム。
「エイコに初めて会った時に私が持っていたレコードよね?」
ミクが目を細めてエイコに言う。
家に帰ってヘッドフォンで聞いた。初めて味わう興奮、いや感動だった。そして室中は辞書片手に1曲ずつ訳した。うまくは訳せなかったけれど居ても立ってもいられなくなった。誰かに伝えたかった。それが「昼の放送」に。
その頃ミキサーの使い方やセッティング、機材の扱い方を学んだという事だった。
「東京からも結構いいバンド来てたんですけどね。田舎じゃお客少ないから」
2年で潰れてしまったのだそうだ。
「ボクが高三の時。もしあの店が潰れてなかったら、地元に近い大学に行っていて、こっちには出てこなかったかもしれないな」
「その先輩は?」
「さあ、どうしちゃったかな? 中南米辺りにいるかもしれない」
室中は懐かしそうな目をして笑った。
「彼は教えてくれたんだと思う。思った事はすぐやった方がいいって。いくつもいくつもやってみて、それがダメだったら次にやりたい事をやって。それが上手くいけばOKだし、ダメだったら、またやればいいって。撃てる時に撃つ弾丸は惜しんじゃいけない、って言うのが口癖でした」
ミクは助手席で神妙な顔をして室中の話を聞いている。
「沢口を初めて見た時、随分調子の良いヤツだと思ったんだけど、他の学生と違って、何かしてやろうって目つきしてたんですよ、その先輩と同じ目つきを。だから話しかけてみたんです。ただ、今までの僕の事はほとんど話してはいないけど」
「どうして?」
エイコの質問にちょっと困った顔をして
「だって、自分が何やりたいのか、今まで分かっていなかったから。格好悪いじゃないですか、他人の受け売りみたいで。それに彼の方が知識も豊富だし交友関係も広い。それに何より経験している。とにかく弾丸を撃っている」
「それって良く思い過ぎじゃない?」
エイコは沢口に代わって交渉したときの事を思い出した。
「ええ、少しは。でも数打ちゃ当たるって言うじゃないですか?」
室中は笑いながら、
「沢口を通じてカズミさん達のミニコミから色々な事を知る事が出来た訳だし。それまで外国の有名どころのパンクバンドしか知らなかったから、日本のそれも無名の、僕なんかと同じレベルの所でこんなに面白いものがあったのかって。目から鱗が百枚くらい落ちちゃいました。それに」
少しスピードを上げた。
「それにエイコさん達とも知り合えたし。自分の持っている知識が役に立てそうな事が凄く嬉しい」
恥ずかしそうにそう言うと、また少しスピードが上がった。
「もうすぐね。左に折れたら」
ミクの言葉に反応するように軽のワゴンは左に折れる。十字路の先になだらかな登り坂が見える。登り切ったあの場所、あの路上から撃つんだ、一発目の銃弾を。エイコの胸に銃声が高らかに響いた。




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