エイコ
chapter 15
「無料なんだ?」
「へぇー、歩行者天国でやるんだー?」
「こんなに出るの?」
チラシを出てくる客に一枚一枚手渡しながらエイコ達は右往左往しながら質問に答えた。
「そうなんです。ライブハウスじゃないから」
「歩行者天国の一番奥の方ですからね」
「ええ、お願いだから見に来てねぇー」
客はまだ残っていたが、持参したチラシはものの5分で無くなってしまった。
「あのー、これに出るには何かオーディションとかあるんですか?」
エイコが振り向くと15、6歳ぐらいのパンクファッションの女の子達だった。
「?」
その内の一人がおずおずと
「出さしていただきたいんですけど。私達バンド組んだばっかなんですけどライブハウスとか、パンクお断りってとこばっかりで」
カズミがエイコを肘でこずいた。
「あ、今度が初めてだから。とりあえず一回やってみて。シリーズにするかどうかはまだ決めてないんだけど」
エイコの答えに彼女は一瞬視線を落としたが
「じゃあ、今度のが上手くいったら2度目、3度目って続くんですか?」
そうだった、そんな事は考えてもいなかった。今回の事で頭が一杯でその後の事なんて考えてもいなかった。ミーティングでも話し合った事さえなかった。彼女の問に困ってエイコはカズミを見た。
「出来ればそうしたいんですけど、とにかく私達もあなた達と同じで始めたばっかりなの。だから一回やってみてからどうするか考えてみようと思って」
カズミの答えにミクが続ける。
「こういうのってどう思う?」
「ステキだと思います。何か自分達のものって気がするし、すごく近くに感じるんです。それに代表者ってひょっとして?」
「ええ、私だけど」
「ああ、やっぱり。そうじゃないかって思った。そうなんです。女の人が代表者っていうのも何かすごいステキで」
後ろにいた少女達も頷いている。
エイコ達三人は顔を見合わせた。よくわからないが嬉しかった。
「ごめんなさい。まだ次の事は決まってないけど。よかったら見に来て。その時また声をかけてみて」
エイコの言葉に彼女は
「わかりました。楽しみにしています。がんばって下さい」
軽くおじぎをすると彼女達はそれぞれ「さようなら」と言って出口へと向かって行った。
問い合わせの電話はカズミのミニコミが発売になった時期から急に増え始めた。当日のタイムテーブルの問い合わせを想定していたのだが、思ったより多かったのが出演したいというバンドからの電話だった。その度にエイコはこの間の少女達に言ったのと同じ答えをしていたが、やはり2回目、3回目の事を考えるようになっていた。しかし、あの日の帰りの電車で、ミクとカズミとの3人で話し合ったのだが、とにかく今回が上手くいかなければなんにもならないのだから全ては終わってから反省点と共に皆で話し合おう、という結論になった。だから出演希望の電話が入る度に、とにかく見に来て欲しい、その目で実際に見て欲しい。と繰り返すだけで精一杯だった。だから、そんなエイコの答えで出演希望が観覧依頼へと立場が逆転していくのだった。
夜9時から11時まで、この間はひっきりなしに電話がかかってくる。あと一週間だ。無礼な電話は今の所無い。この時期には他にやる事はそんなには無い。ミクは毎日この時間にはエイコの部屋で電話番をするが、カズミもカナエも沢口もミニコミの次号にとりかかっている。勝負は前日と当日の2日間。でも落ち着かない。気持ちは既に当日になっているのだが、やはりまだ1週間前。6日もある。
ミクはカップを両手で包みながらしみじみと
「ビンボーなくせにコーヒーだけはおいしいのねぇ」
「大きなお世話、いいじゃない、お酒にカネをかけるよりはよっぽど安上がりよ」
「でもそろそろ、ヤバイんじゃないの?」
「うん、一段落ついたらまたバイト、探さなくちゃ」
生活費は確かに心許ない。忘れていたわけではないが、今回の事が終わらないと何もやる気が起きないのだ。既にやるべき事はもう終わっているのだから日払いのバイトでもすればいい事など分かってはいる。しかし、起きている間中、いつもドキドキしている。とても他の事なんかに気が回らないのだ。
「じゃ、そろそろ帰るわ」
11時はもう過ぎている。
「そうね、本日の受付終了。タバコ切らしたからその辺までいっしょに行くわ」
「ん」
部屋を出ると視力が良くなったみたいに感じられた。辺りの空気が秋らしく澄んでいるのにやっと気づいた。あのノゾキ事件以来、台所の窓は開けないようにしていたので部屋の中は風が抜けず、未だ夏のままになっているのだ。
商店街の手前に自動販売機はある。送る時はいつもそこまで。エイコは必ずそこでハイライトを買う。お金を入れてボタンを押して。取り出し口は販売機の下にあるから、おばあさんのように腰を曲げてタバコを取り出す。エイコのその動作がミクは何となく好きだ。いつもクールで堂々としてて。なのにこの時だけは少し違う。右手を販売機に突っ込み、左手は必ず腰にあてている。体中で「どっこいしょ」と言っているようだ。きっとエイコはおばあさんになっても今と同じようにタバコを買うんだろうな。そう考えるとおかしくなった。
「何?」
街灯に照らされたミクの笑い顔を見て
「ううん、なんでも」
「へんなの」
「室中クンがね、よく電話してくるの」
「室中クンが? ミーティング以来会ってないけど元気なの?」
「うん。とても楽しみにしてる、彼」
「初めて会った時はすごくビビってたのにね。なんであんなに気を回すんだろうって思っちゃった。でもミキサーが出来るなんて助かったわよね」
「高校生の時に放送部にいたんだって。だから機械には詳しいって言ってたわ」
ミクは少し黙ってから
「彼、お兄さんがいるんだって。そのお兄さんが昔、運動してたんだって」
「運動?」
「ほら、大学でヘルメットかぶって棒持って」
「ああ、あれ」
「彼が中学生の頃、お兄さんを尊敬してたんだって。お兄さんは何度もタイホされたって。その度に警察って怖くて狡い奴等なんだって思ったって」
「ふーん」
「で、高校生の時パンク聞いて、尊敬してた時のお兄さんの言っていた事が彼の中で結びついたんだって」
「それで?」
「自分でも何かしたいと思ったんだけど、楽器出来ないし。何やっていいのか分からなくて。だから高校の時はパンクのレコードばかり聴いてたんだって。ある日学校のお昼の放送でパンクばっかりかけて、ついでに訳詞もアナウンスしたんだって。そしたら教師が放送室に飛んできていきなりスイッチを切っちゃったんだって。「こんなもの、誰が許可した!」って言って。で、教員室に連れて行かれて」
「どうなったの?」
「廊下を引っ張られてる時、他の生徒が何か言ってくれると思ったんだけど。でもみんな遠くで笑ってたんだって。バッカでー、って顔して。そしたらすごく悲しくなっちゃって、教員室に着いてすぐ」
「?」
「泣いてあやまっちゃったって」
エイコは思わぬ展開に笑いながら
「なるほどね。だから彼、慎重になっちゃうわけだ」
「そうなの。で大学に入ったら何かあるだろうと期待してたんだけど何もなくて。そんな時に沢口と知り合ったんだって。最初はカズミのミニコミを手伝うつもりだったんだけど沢口から企画の話を聞いて、こっちの方が自分は役に立てそうだって思ったんだって」
ミクの顔は心なしか紅くなっていた。エイコはミクの頭を軽くこずいた。
「泣いてあやまったっていうの、みんなには内緒よ。沢口にもそこの所だけは言ってないんだって」
「なんて言ってあるの?」
「啖呵切って、停学3日」
自動販売機の前で二人して声を出して笑った。
「大丈夫、誰にも言わないわよ」
「お願いね、じゃあ」
ミクは商店街へと走っていった。エイコはそれを見送ると自動販売機にコインを入れた。「どっこいしょ」とタバコを取り出した。腰を伸ばすとミクが向こうでこちらを振り向きエイコを見ていた。「おやすみ」と手を振るとミクも手を振り、踏切の方へと消えていった。10月第一日曜まであと6日の透明な空気が、火を付けたばかりのタバコの煙をやさしく抱き上げていった。