エイコ

chapter 14


「ざけんじゃねぇ!」
楽屋の外で大声がした。
「ざけんじゃねぇ! やろうってのか!」
皆、顔を見合わせた。ドアの近くにいたメンバーがそっとドアを開け、様子をうかがうと振り向いて
「ケンカ、ケ・ン・カ」
と小声で言った。ゆっくりとドアを開けるとマシンガンの薬莢をベルトにした男が折り畳み椅子を片手にすごんでいる。
「なんで行かせねえんだよ」
顔はステージに通じる方向を見ている。
「ステージパス、持ってねえだろうが」
向こうから怒鳴り声がした。
「ふざけんな、そんなん、どうだっていいだろう。オレの事は知ってるだろうが?」
「知ってるから尚更だ。それに知ってたって知らなくたって関係ねえよ。いい気になるんじゃねぇ、ボケ」
「何? テメエなんぞ、イヌに食われて死んじまえ!」
「お前こそネコに食われて死んじまえ!」
男はおもむろに椅子を投げつけると、相手の方へと走っていく。
「ヤロー!」
机、椅子が倒れる音、何かを蹴飛ばす音、殴る音。思わず楽屋から飛び出す。他の部屋からも何事かと出てくる。ふたりの男が組み合っている。いや、正確に言えば椅子を投げた男が一方的に殴っている。
「やめろ、やめろ!」
周りにいた何人かが叫ぶが止めに入る者はいない。男の勢いに押されている。そのうち数人の男の仲間が「もういいだろ?」となだめると男は、
「覚えておきやがれ」
捨てゼリフを吐き、出口へと向かって行った。
「あれ、今の」
ギタリストが口にした男の名前をエイコは知っていた。古くからやっている名の知れたバンドのボーカリストで、自主制作ではあるが何枚かのレコードを出している。影響力は大したもので男を慕う若手は多い。彼自身もそういった若手のプロデュースやライブのブッキングをやっていて、既にひとつの流れを持っていた。最近、自身を含むいくつかのバンドのオムニバスアルバムを、メジャーレコード会社からリリースもしていた。
「そう言えば、あの一派はこのホールには出てないなあ」
ギタリストの独り言をエイコは何気なく聞いていた。
「ねえ、あの人」
ミクの声にふと奥を見ると、ひっくり返っていた男がスタッフに抱えられて立ち上がるところだった。鼻血を出している顔の持ち主は沢口の替わりにエイコが交渉したあのボーカリストだ。彼はベソをかきながらようやく椅子に腰掛けティッシュで顔を拭いている。
「なんだよアイツいい気になりやがってよ。入ってきたの知ってたのかよ!」
「いや、突然だったもので」
「要注意になってたんじゃねぇの? 今日は?」
「一応、入口でチェックしてたんですけど。どうやら裏から来たみたいで」
学生スタッフに八つ当たりしている。カズミはエイコに目配せしてゆっくりと彼の所に近づいて行った。
「こんにちは、大丈夫ですか?」
「あ、ありゃ、いやー、変なところ見られてしまって」
まだ鼻血は止まっていない。カズミの後にエイコとミクが立っている。
「どうしちゃったんですか? 今の?」
ミクは横にいるスタッフに問いかけた。学生は鼻をかんでいる男の顔を遠慮がちに見ながら言いにくそうにしている。血のついた丸めたティッシュを床に投げ捨て男が替わりに答えた。
「派閥争い、みたいなもんかな」
「派閥?」

彼の話によると、この建物を管理運営しているのはこの大学の学生なのだが、映画やコンサートのようなイベントはそれぞれのサークルが各自で企画している。しかしサークルのみでは手に負えない事、例えばバンドへの出演交渉や情宣などはその学校やサークルの出身者のいる外部に委託する事もある。
今日の企画は彼が所属しているレコードレーベルが中心となって行ったものだと言う。そのレコードレーベルの主催者がサークルの出身者という事らしい。さっき乱入してきた男達の所属しているレーベルとは、かつては一緒にやっていたのだが、いわゆる方向性の違い(エイコ達には権力争いとしか感じられなかったが)で割れてしまったのだそうだ。どうやら、会場としては恵まれているこの場所を比較的安易に使える彼等と、彼らに排除されてしまったさっきの男達との間にお互いにジメっとした嫉妬心が横たわっているようだ。
「いつのまにか、こうなっちゃんたんだよな。前は一緒にライブハウスなんかでやってたのにな。今じゃお互い顔見る度にコレさ」
と、彼は自分の鼻の頭を殴るマネをした。
「でも、オレも詳しい事はわかんないんだ。レーベル同士の事なんて。アイツだってきっとそうなんじゃないかな? きっとどうだっていいんだよ。ステージに上がって演奏して憂さを晴らす、ステージに上がれなきゃ暴れて憂さを晴らす、どっちも同じ事なんだろうな。慣れ合いになってるかもしれないな」
反権力を売りにしているバンドのボーカリストの吐く言葉とは思えなかった。しかしベソをかき鼻血をすすりながら話している情けない表情はそのセリフを妙に説得力のあるものにしていた。

エイコは明け方にかかってきた電話の事を考えていた。酒の勢いで電話してきた名前も言えないバカヤロウ。自分の都合だけで憂さを晴らす場所を探しているバカヤロウ。でも自分では動こうとしないバカヤロウ。出来る事と言えば自分を棚に上げて他人を非難、攻撃するだけ。ひょっとしたらどこかのライブハウスで見た事のある連中かもしれない。が、今まで見た連中は少なくともステージの上では皆、立派だった。皆、いさぎよかった。そう、少なくともステージの上では。でも、ステージ裏ではお互いの思惑と駆け引きで足を引っ張り合いながらグズグズになっている、クソみたいに一般社会なのだ。一般社会の中の針の穴ほどにもならない小さなクソのような一般社会なのだと。

この日、乱入してきた男達はステージ脇の窓からまんまと忍び込み、待機していた出番待ちのバンドの楽器を巧い事借りてステージに飛び出した。企画の主催者は彼等が演奏し始めてからやっと気付いたが、事情を知らない客はこの飛び入りに大喜びし、この日一番の盛り上がりを見せた。その時、殴られたボーカリストは何がおきているかも知らずにステージ裏でぼんやりとしていた。




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