エイコ

chapter 13


その建物は大学の敷地内にあるのだが、学生の自主管理の元に運営されているため学外者も大きな顔をして入れる事で有名だった。いや、むしろ学外者の利用の方が殆どかもしれない。なにしろこの大学に入った高校の同級生が「怖くてあの建物にはいけないわ」と言っていた、とミクから聞かされていたのだ。
エイコはカズミ、ミクと連れだってやってきた。今夜ここで出演を快諾してくれたバンドのライブがあるのだ。といってもここの学生の企画なので出演バンド数は10個はある。動員もかなり見込まれるため、出入り禁止のライブハウスではチラシを配るチャンスがあまりなかった彼女達には今夜は絶好の機会だった。
チラシはエイコとミクで作った。雑誌から活字を一文字ずつ切り抜いて厚紙に貼る。Roadside sniperと大きく目立つ字はエイコの手書きだ。何度も書いてはミクに「カッコ悪い」「ヘタクソ」などと言われ、いよいよ頭にきてヤケクソに書いたのが結構いい迫力を生んでいた。それを300枚ほどミクの学校の生協でコピーした。
「わっ! カッコイイじゃないの!」
カズミは電車の中でチラシを見て笑った。
「苦労したんだから、古雑誌から文字探すの」
「ミクなんか文句タラタラ」
おおよそ三等分にしてそれぞれのバッグに大切にしまい込んだ。
入場料は500円。会場は大ホール。千人近くは入りそうな大きさだ。開演30分前だというのにほぼ満員だ。受付で聞くと彼等は5番目と言う事だ。出演バンドは全部パンクバンドらしい。客も殆どが皮ジャン、鋲、鎖で正装している。
「普通の学生は来れないよねぇ」
とミクが呟いた。
「確かに」
エイコが答えた。カズミは知り合いがいないかと辺りを見回しているが、ゴチャゴチャしていてわからないようだ。ステージはかなり広い。立派な機材が威圧感を漂わせながら圧倒している。時たまPAから耳なじんだレコードの曲が大音響で鳴り出す。音をチェックしているのだろう。そのたびに客は「オーッ」とか「ギャー」とか叫び出す。その内に「早くやれー」やら「もたもたすんなー」という怒声が飛び交う。もうすでにステージに空き缶やゴミを投げるヤツまでいる。無法地帯だ。いきなり客席の明かりが消えた。瞬間、大音響と共にステージがパッと輝いた。場内の雰囲気に無意識に構えていた神経がふいに途切れた。明らかに違う。いつも見ていたライブハウスとは違う。キャパシティーが大きい分だけ期待がいつもの何倍にも増幅されていたのだろう、緊張感が途切れた。何故だろう? 見ている場所が問題なのか? 
「前に行ってくる」
ミクに話しかけた。ミクは振り向き手を横に振った。聞こえないよ、と口だけで答える。
「前に行ってくる!」
叫んだ。伝わったようだ。かき分けながら前に進む。最前列から10列目くらいまでに来た。波動は直接からだに感じるもののバンドの輪郭は掴めない。この辺りは異常に盛り上がっている。エイコにはそれが伝わってこない。後ろを振り向くと二階席が見える。行ってみようと体を入れ替え後ろに戻る。階段が見あたらない。どうやら一度ホールを出てから階段を上がるみたいだ。分厚い扉を開けて通路に出る。音がそこではっきりと分かった。いつものライブハウスの音だ。でも何だかよそよそしい。二階席に上がり最前列の手すりから身を乗り出し下を見た。ここからは一階が見渡せる。ちょっとブキミに感じる風景が見えた。最前列から10列目までの客とステージが、それ以外の場所と分離していた。まるでそこだけが透明のプラスチックのケースに閉じこめられているようだ。音量は間違いなく体を打ちのめすほど大きいのに何故か疎外感がある。私はここにいるのにここにいない気がする。エイコの耳には何も聞こえなくなっていた。
我に返った。最初のバンドが終わった。客席に明かりが灯る。すると今まで前にいた客が後ろに動き始め、後ろにいた同じくらいの人数が前に移動し始めた。ミク達が見える。二つの入れ違う人波にもまれ立ちすくんでいる。「ミク!」と叫んでみた。カズミが見上げる。わかったようだ。よろけながら手を振っている。その途端暗闇となり2番目が始まった。やはりプラスチックケースだ。溜息をついて固定椅子に座り込んだ。ライブに来ている気がしない。映画館にいるみたいだな、と思う。こんな立派なホールなのに、バンドだって力が入っているだろうに。でも遠い。飽きてきた。まだ2番目が始まったばかりだっていうのに。

「エイコ、始まるよ」
ミクにつつかれて目が覚めた。居眠りしてしまった。彼等の出番だった。
「よく寝れるわねぇ、こんな音の中で」
カズミが呆れて言った。つまらくてと言う代わりにタバコに火を付けた。ちょっとバツが悪かった。
彼等もプラスチックケースに閉じこめられたまま演奏をしていた。ライブハウスで彼等の演奏は何度か見ていた。キャリアのあるバンドなので見た目はステージに負けてはいなかった。でもライブハウスで見たときのような感動は無い。うまくパッケージされたパフォーマンスでしかない。横にいるカズミに
「このバンドってこんなだったっけ」
と尋ねてみた。
「こんなって、どんな?」
「いや、上手く言えないけど品がいいって言うか、その……」
カズミはエイコの言っている事がなんとなく分かった風にうなずいた。
「何かこっちにまで来ないんでしょ? 私もここは初めてだけど何かいつもとは違うわね。なんでだろ? 会場も機材も理想中の理想なのにね」
カズミも同じ疑問を抱いていたようだった。

彼女達は学生スタッフに掛け合って楽屋に通してもらった。彼等は今し方ステージから戻ってきたばかりだった。
「お疲れ様」
カズミが声をかける。カズミが交渉したのが彼等だった。
「あー、疲れた。どうだった、観てた?」
メンバーの一人がシャツを脱ぎ捨てながらエイコ達に向かって言った。
「なんかさー、たまに広いところでやると変な気分だよな。反応がわかんないもん」
と別のメンバー。
「えっ、俺気持ちよかったぜ。ね、かっこよかったでしょ?」
「ウソつけ、始まるまで上がって真っ青になってたじゃんかよー」
皆、終わったばかりでハイテンションになっている。カズミは
「でも、いつもの方がよかったかもしれない」
と言うと、黙ってギターを拭いていたリーダー格のメンバーが
「そうなんだよ。機材もホールも最高なのにさ、客席の奥まで入り込めないんだよな。気分を入れれば入れるほど空回りしちゃうんだよな」
と投げやりに、
「誰のせいでもないんだけどね」
と言ってギターをケースにしまった。
「力量不足かねぇ」
「そんな事はないわよ、演奏は凄くよかった」
エイコの言葉にギタリストは、
「サンキュー。でもまあ、こういう事もあるさ」
とニコッと笑った。
エイコは自分達が抱いていた疑問をバンドも感じていたのが何かおかしかった。こういう全て整ったところと言うのは演奏する人間の憧れのはずなんじゃないのかな? と思っていたのは刷り込みなんだろうか。
楽屋の壁を伝ってステージからの重低音がモゴモゴと響いてくる。
「チラシ、撒きに来たの」
「あっ、一枚ちょうだい」
「俺も」
「オレも」
カズミの手から何枚かが抜き取られる。
「どう、準備は? 万端?」
スティックを小脇に挿んでチラシを見ながらのドラマーの質問に
「うん、みんなで手分けしてチラシ撒きに行ったりしてるだけ。今の所は」
「ウチの本ももう納品したし、問い合わせもそこそこ来てるわ」




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