エイコ
chapter 12
日曜、午後1時、新宿アルタ向かいはとバス乗り場。人待ち顔でごった返している。駅からの人波、繁華街からの返し波、グチャグチャだ。その人の海のほぼ真ん中に30人ほどの得体の知れない固まり。殆どが黒っぽい服。頭は色とりどり。モヒカン、モヒカンよりもっと髪が長く扇状になったトロージャン、地味なところではスキンヘッズ、ヒッピーもどきの長髪もいる。地べたに座り込む者、はいつくばる者、この日差しの中、ロングコートをまとい顔を白塗りにしてる者。さすがにこれだけ人数がいると顔をしかめはしても直接絡んでくるバカはいない。遠くで見ればもっとよく分かるだろう。はとバス乗り場に向かう人波はこの集団を川の真ん中にある大岩のように避けて流れているのだから。エイコはこの風景を俯瞰したところを想像していた。空は相変わらず暑く白く霞んでいる。アスファルトもきっと白い波泡をたてた薄いグレーの川に違いない。さしずめ私達はそこに捨てられたプラスチックのゴミかもしれない。暑い。ボーっとしてきた。
「もうみんな集まったんじゃない?」
ミクが話しかけてきてエイコは我に返った。
「あ、うん。じゃ始めようか」
辺りを見回し叫んだ。
「はい、みんな、こっちに来てー、暑い中どうもごめんなさい。えーと、今日は主演者と私達スタッフ、ロードサイド・スナイパーとの顔合わせ。それと出演順を決めるアミダクジをやってもらうのと、あと一番大切な機材代の徴収でーす。で、私がロードサイド・スナイパーのエイコです」
皆が一斉にこっちを振り向く。顔が怖い。知ってるのもいるが知らないのもいる。ナメられたらまずい。
「それじゃ各バンドの代表の方を一名出してください。それぞれの人数分の機材代を集めて私の所に来てー」
7人の恐ろしげな顔がニコニコしながらエイコの側に寄って来た。
「はい、ウチは4人」
「俺のトコは5人」
「はいよ、3人」
代金を受け取りながら、沢口の用意してきたアミダクジに一本ずつ線を書き入れてもらった。新たに7本の線が加わったアミダクジをエイコは頭上にかざし、
「文句が出るとまずいから、みんな見てるよーにねー」
そう言って線を辿り始めた。30人が車座になってゴールを注視している。
「はい、2番目、5番目はアンタ達、6番目は」
7組の順番が決まった。
「はい、文句は言いっこなしです。いいですねー」
「オイーッス」
「じゃ、すみませんけどそっちの端からバンド名と名前を言って」
カナエに促されて端っこにいたモヒカンから自己紹介が始まった。名前を言う度にホエーとかウーとか声が上がる。バンド間でも知っているとは限らない。名前は知ってても顔は知らないとか、顔は良くみるけど名前は知らないとか、色々あるのだ。
自己紹介が終わり、
「では、場所とタイムテーブル、機材の説明をします」
エイコは室中が裏通りにあるコピーセンターでコピーしてきた地図とタイムテーブル、機材リストを皆に渡した。
「初めに、場所は原宿歩行者天国のはずれです。原宿寄りはローラーや竹の子の人達がやっているので、お互いに迷惑にならないようにしたいからです。ちょっと不便ですがよろしくお願いします。原宿駅よりは代々木八幡駅か地下鉄の代々木公園駅の方が近いかもしれないです。何か質問はありますか?」
一気に喋ると皆一様に静かに聞いているのが、何か妙だった。
「何時に行けばいいの?」
長髪が手を挙げて尋ねた。
「始めるのは一時をめどにしてますが、遅くても、さっき決まった出演順番の30分前には現場に必ず着いていてください」
「はーい」
「お菓子はいくらまでー?」
「バカ。遠足じゃねーよ」
白塗り同士が茶々を入れる。
「スイマセン、こいつバカなもんで」
「いいえ、いいですよ。なんでも質問して。あとでのトラブルは避けたいから」
「大丈夫、デース」
「じゃ、次は機材関係に移ります。えーと、室中クン、説明して」
おずおずと室中は立ち上がった。周りを見渡してミクの顔を確認すると少しうつむいた。深呼吸をして顔を上げると、
「ミキサー担当の室中です。機材の説明をします。場所が場所なんで必要最低限の機材でやります。ギターアンプふたつ、ベースアンプ、以上は生音でお願いします。PAはボーカルとドラムに使用します。マイクはフロントに4本、ドラムに2本立てます。キーボードを使われるバンドはありますか?」
「あっ、ウチ、ウチ」
「えーと、ギターは何人ですか?」
「ひとり」
「それじゃ、ギターアンプを使ってください。いいでしょうか?」
「あー、別段いいよー」
「じゃ、お願いします。音のバランスはドラムを基準にしたいので、アンプ関係が大き過ぎたり小さ過ぎたりした場合はボクが責任を持って調整に行きます。他に何か?」
「ヘーキだろ?」
「なんとかなんべ」
「とにかく初めてなんで、予想できない事があるかもしれませんが、全力を尽くしますんでお願いします」
上気した顔で室中はペコっと頭を下げ、座り込んだ。
「じゃ、今日はこれで終わりです。暑い中ありがとう。当日、よろしくお願いします」
エイコは立ち上がって叫んだ。
「くどいようですが、時間厳守。時間は守ってくださーい」
「ウィーッス」
「お疲れ様でした」
「お疲れーっす」
「なんだよぉ、ちゃんと喋れるじゃんかよー。見直したぜ」
沢口は室中の頭をこずくと、
「いや、この1週間で腹をくくったんですよ」
と照れくさそうに笑った。
「そうだよな、誰もやった事のない事をやるんだもの。やっぱり力入るよな」
「あと1ヶ月、やらなきゃいけない事いっぱいあるわよね」
カナエはアイスコーヒーのストローを口で回しながら言った。
「今週中には印刷があがるから、すぐにでも店に納品するわ。沢口、カナエお願いね」
「私達はチラシ作るわ。ね、ミク?」
「じゃ今日寄ってくわ」
「今週中にボクも機材のチェックし直しとくから」
室中は嬉しそうにそう言うとコーヒーを飲み干した。
エイコ達はアルタ前ミーティングの後、本番までの段取りを話し合うためにそのまま新宿のハンバーガーショップに立ち寄った。生まれて初めてのライブの企画、それも予め決められた場所ではなく路上でのパフォーマンス、別段彼女達が演奏するわけでもないのに何故かステージに立つような昂揚感。ちょっとした不満から生まれたちょっとした思いつきが少しずつ現実化していく、この興奮はなんだ? みんなも同じなんだろうか?
今までは単なる客でしかなかった。家を飛び出した時、新興宗教の経営者に中指を立てた時、すごく自由を感じた。先行き不安はもいろんあったが、そんな事はとるに足らない事だった。ミク達と知り合いライブハウスに通うようになってから、もどかしい世界がハッキリしてきた。子供の頃に持っていた漠然とした怒りや不満、それが他人の作った曲だとはいえ、言葉に出来なかった事象が自分の口からこぼれ出るようになった。世間と自分との違いを自分自身で認識できるようになった。でも、何を自分がすべきか、何が自分を表すかはまだ見えてはいなかった。自分の表現方法を具体的に持っているカズミを実はすごく妬んでいた。私は出遅れたのだ、という気持ちが常に頭から離れなかった。クールを装う事で自分を守ろうとしていたかもしれない。
「でも」
カズミにせよミクにせよ、それにカナエ、沢口、室中、思いつきにみんな乗ってきてくれた、いや乗ってきた。なんの見返りなんて無いのに。どうして? それは面白そうだから、でしかない。他人の言葉はやはり他人の言葉でしかない。ここにいる皆は自分の言葉を見つけたいのだ。誰かのやった事を伝えるのではなく、自分で仕掛けて自分で喋る、そのためにこれをやるんだ、と。
そう思ったエイコはわずかに身震いした。紙コップの底に残った氷を口に流し込みガリガリと噛み砕いた。妙に喉が渇いていた。