エイコ

chapter 09


エイコのバンド交渉は比較的スムーズにいった。パンク系ではなくモッズ系、細身のスーツに細身のネクタイ、先の尖ったブーツでリヴァプールサウンドに近い音を出すグループだった。電話口で企画の主旨を詳しく伝えようと概略を先に話した段階で「オッケィ、オッケィ。面白そうじゃん。一人五百円でいいんだろ。やるやる」とあっけなく決まってしまった。最もその前に電話したバンドは先週解散してしまっていたが。しかし、彼等にしても解散さえしていなければやりたそうな口調だった。エイコは密かに確証を強くしていった。少なくともバンド側は面白いと思ってくれている。これならうまくいくのではないかと。
エイコの所に沢口から電話が来たのはあと3日で交渉締切という夜だった。
「だからエイコさん、俺じゃうまく説明できないから会ってよ。お願いだからさぁ」
沢口が交渉した相手というのが、企画の意図がよく分からなくて
「なんでカネを払わなくちゃいけないんだ。むしろ企画側がギャラを払うべきだろ」
「なんでそんなキケンな場所でやらなくちゃいけねぇんだよ」
とケンもホロロに断ってきた、と言うのだ。
「んじゃ、出なきゃいいじゃないの」
沢口に呆れて言うと
「いや、出て欲しいんだよぅ。何か俺上手く説明できなくて、悔しくてさぁ」
「いやよ、面倒くさい。他のに当たれば?」
「頼む、ホントに誤解されたままになっちゃってさぁ、ヤなんだよ。お願いだからさ。明後日、時間とってもらったからさ」
沢口から聞いたバンドの名前はどこかで聞いた事があるような気がした。が、思い出せなかった。沢口が言うにはすごくカタいバンドらしく、反権力を売りにしていてよく警察ともトラブルを起こすらしいと。どんなライブも納得しなければ出演しないのだが、納得すればノーギャラでも何でも出演するという事らしい。沢口は自信を持って交渉に望んだのだが、どこでどうずれたのだか分からないがえらく怒ってしまったと言うのだ。沢口はここ何年来のファンで、とても悔しくて仕方がないようだった。
当日、沢口に紹介されたエイコはようやく思い出した。新宿のライブハウスで「やったるでぇ」の一団にステージを台無しにされたバンドのボーカリストだった。沢口とはバンドとファンの関係と言うよりはもっと近い、友達、むしろ兄弟の様な関係みたいだ。どうしてそれで分かってもらえないのかがエイコには理解できなかった。3人で連れだって入った喫茶店でエイコが企画の概略を話したところでボーカリストはこう言った。
「ハイ、よっく分かりました。出ます。出ます。いやぁ、ライブを公園で演るんで出ませんか? 出演料がかかりますけど。としか言わないんだもん。またなんで? って聞いても、いや面白いですからまかせてください、の一点張りでさぁ。ちゃんとこういう風に言ってくれればいいのにさ」
「だから、ついムキになっていじめたくなっちゃてさぁ」
と沢口をこづいた。
「いや、だって、ちゃんと言いましたよ。演る場所が無いから作っちゃいましたって」
「ばーか。だからお前の文章は難しいって言われるんだよ。話の主旨がどっか行っちゃって結論で始まって、結論で盛り上げていつの間にか結論もどっか行っちゃうんだものな」
確かに沢口の書く文章はいつも訳が分からない。架空インタビューで有名になった、哲学論文のような文章を書くロック評論家を敬愛している沢口は、やたらにその単語を使うために、難解な上に輪をかけてグチャグチャな内容になってしまうのだ。早い話が政治家の国会答弁みたいなもので、答えが決まってるのに予定の時間を埋めるためになんやかやと形容詞を詰め込んで量を増やしているようなそんな文章だ。カズミが彼のページを減らしてライブのスケジュール欄にしたのも分かる気がした。どうも彼は文章を書くような調子で交渉したらしい。難しく考えなくたってイイです。僕に任せて下さい。大方それだけの事を2時間くらい繰り返していたんだろう。エイコは大して思い入れのないバンドの交渉に引っぱり出された事に少しムカついてもいたが、改めて「うまくいく」と確信した。

「知り合いのバンドから聞いたんだけどさぁ、オレらも出たいんだけどぉ」
エイコは枕元の時計を見た。薄暗い部屋の中でよく見えない。テレビを見るとき以外はかけない眼鏡を探したが、見つからない。時計を近づけてみると5時だ。午前5時。頭が回らない。一体誰だ? こいつは。聞こうにも口も回らない。まだ目が覚めない。
「何とか言ったらどぉなんだよぉ。出させてくれよぉ」
どうやら、酔っ払ってる様だ。変なイントネーションが耳につく。だんだん腹が立ってきた。
「アンタ、今いったい何時だと思ってるんだよ。それに名前は? 人んちに電話して名乗らないのは一体どういう事!」
「おっ、コイツ女だぜ。なあ出させてくれよぉ」
電話の向こうにはメンバーと思われる奴等が何人かいるようだった。エイコは一向に名乗らない事、女と解って猫なで声を出した事、そして何より仲間と呑んだ挙げ句の勢いでしか電話できない、満員電車の中のサラリーマンに対するのと同じ不快感を感じた。明け方の電話という非常識さはまだ許せるとしてもこの中年化は許せない。受話器から酒臭い息が臭う。
「おあいにく様。バンドの公募はしてません」
「なんだぁ、コノヤロ。ケチケチすんなよ。なぁ、いいじゃんかよぉ」
まるで街で女の子の値札を探しながら歩く中年オトコ。こんな奴等がステージじゃカッコつけて偉そうな事を客に口走っているのか。30歳以上は信じられないとか言って。
「おい、ダメだってよ、どうする?」
コイツらは自分一人じゃなんにも決められないのか? 電話の向こうで別のヤツが叫んでいる。
「そんなら、ツブしちゃおうぜぇ」
吐き気がしてきた。
「ツブしにいくかんな」
急に声色を変えるクソ野郎。
「あらそう、どうもありがと。やれるもんならやってみなさい。楽しみにしてるわ」
「……………」
まだ何か喋っていたが、ゆっくり受話器を置いた。
カーテンを開けると太陽の光で辺りはもう真っ白に膨らんでいた。




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