エイコ

chapter 06


アスファルトの照り返しは辛い。夕方になろうとしているのにいっこうに涼しくならない。エイコは食料を買うつもりで外に出たのを後悔していた。しかし部屋には何もない。食べようと思っていたメニューは外に出た途端蒸発してしまった。食欲がない、タバコ買って帰ろうか、でも部屋も暑いし、どうしようか? ブツブツと暑さを呪いながらも商店街まで来ていた。住宅街は時間が止まっていた。
空は眩しいほどの水色で入道雲が切れ切れに流れている。近所の大学も夏休みのため汗くさい学生も姿を見せず、商店街はいつもよりガランとしていた。いつものスーパーに入ると時間のせいか、主婦とおぼしき連中が食材を求めて冷蔵棚の前の試食コーナーでたむろしてる。エイコはそこをすり抜けると夏の特価品のコーナーに行き、安売りの素麺とつゆをカゴに放り込んだ。
店内は寒いくらいに冷房が利いていた。
「エイコ?」
呼び止められて振り向くと、試食コーナーからだった。たむろしていた主婦達はそれぞれ試食した後、いなくなっていた。
「あら、カナエ? なにしてんの」
「バイト。マネキンの」
カナエはカズミのミニコミのスタッフであり、ライブハウスの常連でもある。
「そっかぁ、この辺だものね、住んでるの。でもびっくりした。こういう所だとアンタ目立つわね。すぐに分かったわよ」
「朝までカズミが私の部屋にいたのよ。ライブハウスの出入り禁止の事で、どうしよう? って」
「ああ、あの事ね。キャンペーンはろうって言ってたけど、編集会議で」
「ミクが、やっても無駄って言ったらしょげてたわよ」
「彼女見た目よりも結構気が荒いからね、で、何かいい考えでも浮かんだ?」
「ううん、何にも。後はヨタ話で寝ちゃった」
「あらら、でも私達バンドじゃないからね。客の危機感なんてエゴにしか見えないかもね」
「うん、ミクもそう言ってた」
カナエはウインナーソーセージを売っていた。ホットプレートで焼いたのにマスタードを付けて、客を呼び止めて食べさせては
「新商品ですよー。夏バテ防止にいかがですかぁー」
声を張り上げていた。そのためか少し嗄れ声になっていた。
「一日中ここで立ってると腰が冷えるのよ。どう、食べてみる?」
カナエは爪楊枝のついたウインナーのかけらをエイコに差し出した。
エイコは地元であったウサギの事件以来肉類が不得手になっていた。共食いをしているような気分におそわれてしまうからだ。
それはある日、ウインナーの包装袋の裏の成分表示にポーク、ウサギ等、と表示されているのを見たからだ。しかし他人にその事を言う気にはなれなかった。ウサギが自分である事がエイコには分かっていても、それを人に伝える事がまだ出来ないでいたし、なにしろ今はウインナーだし。
「ごめん、暑さ負けしてて。ありがとね」
「気を付けてね、栄養付けるのよ」
「じゃ、またね」
エイコは溶けそうに熱い空気が待つ出口に向かった。背後では「新商品ですよー。夏バテ防止にいかがですかぁー」とカナエが叫んでいた。

もう時刻は夕方のはずなのに街の気配はユラユラしている。湿気はあまり高くはないのに腕や顎の下にまとわりついている気がする。
「栄養不足かな」
そう言えば、このところあまり食べていない。もともと食は細い方だ。それに食べ物にあまり興味がない。酒も飲まない。なんでわざわざ酩酊する必要があるのかがエイコには分からないのだ。飲んだ上での話、飲んだ上での事、等々があまりにも馬鹿げているとしか思えないのだ。
酔った勢いで絡んでくるサラリーマン、思い出すだけでもむかっとする。朝の通勤電車の中ではまるでおとなしいのに、夜の帰宅途中になると豹変する。酒臭い息をそこいら中にふりまいて免罪符でも与えられたかのように絡んでくる。シラフじゃ何も言えないくせに。それにもまして我慢なら無いのが、飲んだ事による連帯感ってヤツだ。あのナアナアぶり。見てて吐き気がする。やたら同意を求めてくる。行きがかりの人だってお構いなしだ。私らの格好が迷惑だって? アンタらのその行動の方が数万倍社会の迷惑だよ。呪詛の言葉がエイコの胸の中でグルグル回る。
「ねえちゃん、いくらや?」
「アンタの娘なら一体いくらって言うの?」
思い出すだけでもホントに腹が立つのにやはり一つ一つ、克明に思い出してしまう。あんなやつらがドートクとかシャカイキハンとかしたり顔でテメエのガキに教えてるんだと思うと、やはり腹が立つ。腹が立ちすぎる。
かつて社会に刃向かったらしいダンカイの連中だってそうだ。根こそぎおいしいところだけで刃向かって、後の世代には何も残さなかった。今じゃ立派な酔っぱらいになって、当時はらせなかったウラミツラミを私らにぶつけている。ほんとにほんとに心の奥からこう思うのだ。あんな人生送りたかねえや、と。




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