エイコ
chapter 05
ミクとカズミはもともと区内に住んでいて、中学生の時からの知り合いだった。ふたりともそのころからライブハウスに出入りするようになり別々の高校に通うようになってもつるんで遊んでいた。高校を出る頃にはミクもカズミもその界隈ではそこそこの顔になっていた。
ミクは女子大に籍はあるが殆ど行っていない。親には学費だけだしてもらい後は自分でなんとかするからとゴネて、アパートを借りた。そうとうもめたようではあったが。しかし、やはりバイトだけではそう上手く行くはずもなくアパート代と少しのこずかいをもらっている、とエイコに少し恥ずかしそうに告白した。
カズミは実家にいる。大学で経済を学んでいるらしいのだが自分でも大学の経済学というものをよく解っていないのだ。何しろ「4年間、とにかく4年間で自分の好きな音楽の雑誌を作る」のを目的とするために大学とあればどこでもよかったのだから。彼女は入学と同時に行動に入った。創刊号は八頁のホッチキス止め。それまで見てきたバンドで商業誌には載らないバンド10個位を彼女の主観のみで批評したものだった。印刷は学内生協の10円コピー。100部作って4店のライブハウスのチラシ置き場に置いた。アッという間にはけてしまい、気をよくした勢いで2号を一月後に出した。やはり8頁。内容も創刊号とさして変わらなかった。違いは一冊30円で、ライブハウスの入り口でライブの始まる前や終わりに客に売った。これも6回ほど足を運んで完売した。このやり方で5号まで発行したカズミは自主制作レコードを扱う店にも置かしてもらうようになり、そこの広告を受ける事で頁を増やし、発行部数も増やし、自称スタッフも何人か加わるようになり彼女は編集長になった。また、商業誌もマイナーバンドの特集を組む時には彼女達の力を頼るようになってはいたが、実入りはあまり無く持ち出しが殆どだった。が、カズミ達のミニコミはそこそこに影響力のあるメディアにはなっていた。
エイコはミクからカズミを紹介された。カズミはさっさと学校をやめてしまったカズミの行動の速さに興味を持ち一度だけ、何か書いてみないかと持ちかけた。その時エイコの書いた文章は抽象的で世の中に対する恨み辛みで終始していたため強く惹かれはしたものの、バンドの批評をメインにする誌面とは肌が合わず掲載は見送った。しかし、カズミは、おそらくミクも、自分達の持たないなにかザワッとしたものをエイコから感じた。それは決してイヤなものではなく、逆に何か誇らしげなものだった。こうしてカズミも事ある度にエイコと行動するようになっていった。
結局、エイコが気になった電源の事はうやむやになったまま、この夜は件の野外コンサートの話で盛り上がったままいつのまにか寝てしまい、気付くとすでに昼をとうに越していた。
「あらら、今日、何曜日?」
「んっと、金曜? かな」
「ってと、帰るかな、原稿書かなくちゃ」
「私も、たまにはガッコ行ってみるかな」
「私はもうちょっとゴロゴロしてるわ」
「じゃあね、また電話するね」
ふたりが出ていくとエイコはまた布団に寝転がり、昨日買ってきた雑誌をペラペラとめくった。バイトは暫くの間はない。さしあたっての生活費は今月多めにやった交通量のバイト代でなんとかはなる。雑誌を眺めながらなんとなく考えていた。
「一体何をしたいんだろ? 私は?」
あの美容院を辞めた後、ミクやカズミとつるんで日々を送っていた。金がなくなれば即日払いのバイトや、短期のバイトを見つけては生活費を得、どうにか生きている。傍目から見れば無為な人生、生活に見えるだろう。しかし本人はそうは思ってはいない。経済的に厳しいのは確かだ。何々志望のために今を耐えてます、といった事でもない。耐えるという思考などはなから持ち合わせてはいないのだ。10年先、20年先の事を考えないわけではない。ただ、イメージがないのだ。湧かないのではなく、無い、のだ。
学校を辞めたとき、彼女に対してイジメだとかベンキョーについていけないとかの具体的な要因は無かった。学校生活は殆ど平穏無事だった。はっきり言ってしまえば何も無かった。もっと言ってしまえば、何も無さすぎたのだ。
同級生は十代を満喫していたし、教師もそれなりに生徒を一人前と扱っていた。それなら何故学校を辞めてしまったのか? 分かってはいる。理由もはっきりしている。でもそれは言葉に置き換えて第三者に説明できるような事ではない。辞める時に思いとどまらせようとした担任に対して山ほど言いたい事はあった。しかし口にはできなかった。口に出してしまったところで担任には理由として認めてもらえないだろうと思ったからだ。そう、共通語を見いだせなかったのだ。優しく諭されたにしてもきつく叱られたにしても、心の中では楽しむ事ができる程いくつもの反応は芽生えるのだが、それを言葉化しようとすると陰も陽も含め全部が右手に集中してしまい、無意識に中指を立ててしまうのだ。無用な諍いは起こしたくなかったから右手はスカートのポケットにつっこんだままだった。それは同級生に対しても変わりなかった。学校生活を無難に送るためには無表情にならざるを得ないエイコに対して彼女達はさわらぬ神にたたりなしを選んだ。確かにエイコが蒔いた種と言えなくもないが彼女はそれを一年ほどは甘んじた。別段どうでもよかったのだ。
振興住宅街のこの辺りはベッドタウンとしておきまりの人口増加を辿っていたから子供の数は多かった。学区は広いくせに学校の数は少なく校舎の規模は生徒数に見合わなかった。そんな子供世界は逼塞していた。
ある日、近くの小学校で飼われているウサギが何者かに惨殺されるという事件が起きた。子供から大人から全てが怪しかった。それにこの土地に住んでいる者とは限らなかった。はっきりしているのは人間がやったという事だけだった。小屋の鉄網が刃物で切られていたから。遺留品も無くすぐに捜査は打ち切られた。その時の地元のニュースにエイコの心は引っかかった。「器物破損」。ウサギであれネコであれイヌであれ、飼われている、人間以外の動物は器物として扱われている事実を、この時はじめて知った。
「モノ、モノか。者じゃなくって物」
エイコはこの時殺されたウサギになった。わたしは物なんだと理解した。何とも言えない清々しさに頭が包まれていくのを感じた。それから程なくして彼女は学校を辞めた。彼女は思った。
「あー、生きててよかった」