「スペクトル音楽」と「イティネレール」―その活動と思想


西川尚生研究会 3年 芥川純一

06/05/16 発表


0. はじめに

1. 1970年代、「イティネレール」、そして「スペクトル音楽」について

1-1 1970年代の諸潮流

1-2 「イティネレール」と「スペクトル音楽」

1-3 トリスタン・ミュライユの来日インタビュー

2. ジェラール・グリゼーの生涯、著作と作品

3. 反省と今後の展望



0. はじめに

私の研究対象は、1970年代後半に頭角を現した作曲家、ジェラール・グリゼー Gérald Grisey (1946-1998)である。彼はトリスタン・ミュライユTristan Murail (1947-)とともに、作曲家と演奏家のグループ「イティネレール」L’Itinéraireの創始者であり、またいわゆる「スペクトル楽派」Ecole Spectralを代表する作曲家でもある。彼らの活動は多くの若い作曲家に影響を与えたが、その受容は作品の演奏と作曲法の伝授が主であり、まだ幅広く知られ分析の対象になっているとは言いがたい。本発表の目的は、ジェラール・グリゼーの著作と作品を研究する前段階として、彼の属したこの「イティネレール」の活動と美学、そして一般的に「スペクトル音楽」「スペクトル楽派」というものがどのようなものなのか、周辺の状況を明らかにすることである。それにともない、今回の発表ではミュライユが1984年に来日した際のインタビューを分析する。そしてこれからの研究の橋渡しとして、最後にグリゼーの生涯、著作、作品をまとめる。


1. 1970年代、「イティネレール」、そして「スペクトル音楽」について

1-1 1970年代の諸潮流

スペクトル楽派、そして「イティネレール」の活動と接する点のみあげる。

・東洋音楽の研究と評価、電子音楽の発展。

・「前衛」の分岐(あるいは崩壊)と見直し、ポピュラー音楽の台頭。

様々な潮流はまったく独立したものではなく同時的に存在し、お互いに影響を与えている。各作曲家も複数の分野を好みによって取捨選択していった。


1-2 「イティネレール」と「スペクトル音楽」

「イティネレール」L’Itinéraire

1973年に、ミュライユ、グリゼー、それにミカエル・レヴィナス Michael Levinasほかの作曲家によって立ち上げられた、演奏団体アンサンブル・イティネレール Ensemble de l’itinéraireと作曲家によって構成される活動団体。彼らは演奏団体を通し、自らとその周辺の関心下にある作曲家の作品を多く紹介した。特にシェルシなどあまり知られていなかった作曲家の再評価に大いに貢献した。


スペクトル(スペクトラル)音楽Musique spectrale、スペクトル楽派école spectral

「スペクトル(スペクトラル)音楽/楽派」という用語は作曲家デュフールHughes Dufourtの論文『スペクトル音楽』(原題:Musique spectrale, 1979)のタイトルよりとられたとされる。

類似した技法を用いる作曲家としてラドゥレスクHoratiu Radulescuや、シュトックハウゼンKarlheinz Stockhauzenの数人の弟子などもこの楽派に含まれることがある。

この楽派を語る際に欠かせないのが、ブーレーズ Pierre Boulezの創立した音響音楽研究機関IRCAMInstitut de Recherche et Coordination Acoustique/Musique)である。この楽派の多くの作曲家はこの機関の機器を利用しており、実質的にこの楽派の活動を広める拠点となった。


「スペクトル音楽」の作曲技法

その作法は作曲家によって異なるが、いくつか共通する特徴的な技法がある。


1. 音響分析―自然倍音成分を音楽に積極的に利用する

ある音(楽音・自然音)の波形は音響分析により、複数の正弦波とノイズ(すなわち倍音成分)の合成されたものとして分解されうる。「スペクトル音楽」はそのことに注目し、ある音に含まれる自然倍音成分を徹底的に利用しようとする音楽である。

具体的手法:音響合成Instrumental synthesis

加算合成(人工的に倍音を加える)、減算合成(ある音の倍音を再現する)、リング変調、特定の倍音の強調など。主にここから導かれる音響は、いわゆる古典的な和声秩序に収まらず、しかし独立した声部によって形成された音の構造体でもない、組織化された「縦」の音秩序である。


2. 電子機器の利用

上の技法を利用するためには電子機器が不可欠となる。新しい作曲家の使用する音響合成はコンピュータを使用されて行われており、近年ではきわめて複雑化している。


3. 「音響」の重要視

これは技法を支える美学的関心である。この楽派の作曲家は音を音符で記述されるだけの抽象的なものと捉えず、音響としての具体的な音を意識し、音楽を「音響の運動体」としてとらえた作曲を心がけている。このような思想はこの楽派に限らず、すでにこうした活動以前から広まりはじめていた思想である。この裏には西洋音楽以外の音楽、特に東洋音楽の見直しも大きくかかわっている。


4. 展開の作法

    音響を生成してもその展開に裏づけがない場合、曲が単純な繰り返しか「音響の垂れ流し」に終始する。この楽派の作曲家はそこに陥ることを防ぐため様々な展開法を思考した。ミュライユの近年の曲などには曲の構造そのもの(形式、音価、テンポなど)にモデル音から導かれた自然倍音の諸要素を導入するといった複雑な操作がある。また多くの作曲家には音楽の展開に「緩やかな変化」「あいまいさ」が見られ、規則的リズムをあまり使わないのが特徴的である。特にグリゼーはこの問題を克服するため、のちに音楽と時間についての思考をめぐらした。

例:グリゼー『音響空間』Les espaces acoustiquesより「部分音」Partiels(1975)

ミュライユ『ゴンドワナ』Gondwana(1980) 資料1、2を参照。


スペクトル楽派の着想に影響を与えた先駆的試みとされる作品

シュトックハウゼン『シュティムング』Stimmung(1968) 音の倍音構造を探求。

シェルシ     『四つの小品』Quattro Pezzi(1959) ある一音の集中的展開。

『プフアット』Pfhat(1974)2曲 鐘の音を器楽で模倣する。

(関連:黛敏郎『涅槃交響曲』)


1-3 トリスタン・ミュライユの来日インタビュー

トリスタン・ミュライユは1984年に来日した際インタビューを受けている。そのインタビュー記事は、イティネレールそして「スペクトル楽派」の作曲家に関して当事者が語った、数少ない日本語化された文献である。ここではインタビューからこの楽派周辺の作曲家の状況と思想の一端を探る。

   

「イティネレール」というグループの特質


ミュライユ 実のところ、グループのひとつの美学があるわけではなく、私たちが興味を持っている方向がいくつかあるのです。

まず、グループには私やミカエル・レヴィナスを始めとする作曲家がいますが、それぞれは各自固有の美学的関心を持っています。(・・・・・・)

グループの美学についてですが、私たちの興味を非常にひいたのは、音素材の加工と言うことです。そのことは<イティネレール>のいろいろな作曲家たちの共通点ともいえます。彼らの音楽は極端に相違してはいますが、音に対する姿勢と言う点が共通の出発点となっています。1



セリー音楽に対する批判


ミュライユ <アトモスフェール>や<ロンターノ>などのリゲティの初期の作品を聞いて私は非常に感銘を受けました。(・・・・・・)つまり、セリー音楽以外にも可能性があったと言うことです。

船山 あなたはセリーの思想を拒否したわけですね。なぜですか?

  ミュライユ 私にはそれが常に人工的なことに思えたからです。(・・・・・・)セリー音楽は、私が考えるに、まったく気まぐれな人工的なシステムに依っています。まず、半音階の十二の音を使うこと。これは技法的なことです。順列のシステムに従って書くことを、私は「なぜ?」と思いました。そうする根拠がないのですから。それに、半音階と言う組織の中での[音の]長さの扱いやリズムや音色の分類など、また実際、音響学的な面から見てもすべて私にはばかげたことに思えるのです。(・・・・・・)

   ミュライユ そうです。実のところ、セリー音楽は、音楽において、古典的な考え方の最後の変容だと思います。バッハはもちろんですし、フーガとセリーは同じことです。しかし、音楽の真の革命は、シェーンベルクの革命でもセリーの革命でもなく、電子音楽の革命だと思う。それはまず、ピエール・シェフェールであり、ついでシュトックハウゼンの電子音楽で、それが音楽に新しい次元を与え、時間や音などの近くを変化させたのです。個人的には、私はそこから出発したのです。2

 

ミュライユ自身の作曲美学から見る作曲の傾向


   ミュライユ 現在では、音素材にずっとたくさんの興味がもたれるようになっており、それが正に、音を抽象的なオブジェとして考えていた古典的な思想やセリーと大きく異なっているところです。私たちは音を具体的なオブジェとして考えているのです。その意味では、日本の伝統音楽により近いとも思います。例えば、私は日本の伝統音楽が楽器の音をどのように聴くかということを知って大変心を打たれました。それに対して、西洋音楽は、科学的ではないが抽象的だということでしょう。3

2. ジェラール・グリゼーの生涯、著作と作品




3. 反省と今後の展望

今回の発表はもともと主要対象であるグリゼーの一著作を読解し分析する予定であったが、前提を踏まえない状況ではあまりに煩雑になりすぎてしまうおそれがあったので、それを避けるため周辺状況の整理にとどまった。グリゼーではなくミュライユのインタビューを扱うことになった(グリゼーに関するまとまった日本語文献はほぼない)ため、最後のまとめが全体から浮いてしまったことは否めない。しかしながら周辺状況についての理解と技法に関するある程度の予備知識ができたため、次は著作の実際の読解とともに、作品の分析を通した思想と作品の関連性についての研究に進む予定である。またさらなる周辺文献の検索、研究も必要である。


参考文献

単行本

グリフィス,ポール、石田一志・佐藤みどり訳『現代音楽:1945年以後の前衛』音楽之友社、1987年。

Sadie, Stanly. Ed. The New Grove Dictionary of Music and Musicians.29 vols. 2nd ed. London: Macmillan, 2001. “Grisey, Gérald” ”Spectral Music”

Cohen-Levinas, Danielle Ed. Vingt-cinq ans de creation Musicale contemporaine: L'Itineraire en temps réel. Paris: L'Itineraire / L'Harmattan, 1998.

雑誌論文・論文集中の論文

Murail, Tristan、船山隆「ポスト・ブーレーズの若き旗手、トリスタン・ミュライユ、現代フランス音楽を語る」『音楽芸術』第42号、音楽之友社、1984年、63-71ページ。

笠羽映子「トリスタン・ミュライユを招いて行われた『日仏現代音楽セミナー1993』より」『音楽芸術』第51号、音楽之友社、1993年、85-87ページ。

Grisey, Gérald, « La musique: le devenir des sons, » vingt-cinq ans de creation Musicale contemporaine: L'Itineraire en temps réel, Cohen-Levinas, Danielle Ed. Paris: L'Itineraire / L'Harmattan, 1998, pp.291-300.

Grisey, Gérald, Fineberg, Joshua(Trans.), « Did You Say Spectral?, » Contemporary Music Review, Vol.19, Part 3, Routeledge, 2000, pp.1-3.

Fineberg, Joshua, « Spectral Music,» Contemporary Music Review, Vol.19, Part 2, Routeledge, 2000. pp.1-5.

Fineberg, Joshua, « Appendix III: Bibliography, » Contemporary Music Review, Vol.19, Part 2, Routeledge, 2000, pp.135-143.

Ingolfsson, Atli, « Analyse et texture chez Gérald Grisey, » Analyse musicale, Vol.38, La Cité de la musique, 2000, pp.67-74.

Wilson, Peter Niklas, «Vers une "écologie des sons": Partiels de Gérard Grisey et l'esthétique du groupe de l'Itinéraire, » Entretemps, No.8, Paris : Entretemps, 1989, pp. 55-81.


使用音源

Grisey, Gérard. Les espaces acoustiques. Garth Knox(Viola), Asko Ensemble, WDR Sinfonieorchester Köln, Stefan Asbury. (KAIROS)

Murail, Tristan. Gondwana, Désintegrations, Time and again. Orchestra national de France, Ensemble de l’Itineraire, Orchestra du Beethovenhalle de Bonn, Yves Prin, Karl-Anton Rickenbacher. (näive)

Stockhauzen, Karlheinz. Stimmung. Collegium Vocale Köln. (Stockhauzen Verlag)

Scelci, Giacinto. Quattro pezzi per orchstra, Anahit, Uaxutum. Jadwiga Jakubiak et Irena Urbanska(Sopranos), Josef Dwojak et Krzysztof Szafran(Tenors), Carmen Fournier(Violin), Tristan Murail(Ondes Martenot), Orchestre et Choeur de la Radio-television de Cracovie, Jürg Wyttenbach.(Accord)

1 トリスタン・ミュライユ、船山隆「ポスト・ブーレーズの若き旗手、トリスタン・ミュライユ、現代フランス音楽を語る」『音楽芸術』第42巻第6号、音楽之友社、1984年、66ページ。.文中略は発表者。

2 64ページ。

3 67ページ。



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