ショパン《練習曲第4番 嬰ハ短調 作品10-4》の分析

Fryderyk Chopin “Etude in C sharp minor, Op. 10 no. 4”―

200666() 

西川尚生研究会3年 松尾梨沙


  1. 使用楽譜について

3,本作品の形式

4,「指の練習のためのモティーフ」の観点からの分析

(1)A (2)B (3)A’-Coda

5,「作品を秩序づけている要素αβ」の観点からの分析

  1. A (2)B (3)A’-Coda 

6,結論と考察

7,今後の展望



フレデリック・ショパンFryderyk Chopin1810-1849)の練習曲(以下、エチュードとも表記)の特徴としては、次のようなことがいわれている。


「出発と回帰の手法も用いられているが、別の構造原理に基づく曲、つまり曲全体を小さなモティーフないしパターンが貫くような曲が全体的に多くなっている。そうしたモティーフないしパターンは、しばしば技術的課題を例示するために選択されているが、(中略)純粋なパッセージ・ワークに陥っているものもある。しかし、選択されたモティーフを徹底的に追究するため、和声の面白さが随所に生じている。」『ニューグローヴ世界音楽大事典』講談社、1994-96年。「ショパン」p.566より引用。


本発表の狙い

《練習曲第4番 作品10-4》を取り上げることで、ショパンの練習曲は、斬新な和声を取り除かれると単なるパッセージ・ワークに過ぎなくなる、という訳ではなく、和声以外の観点からも、この作品には指の練習的な要素だけではなく、演奏会用作品として構造面での統一感を持たせている要素が存在する、ということを証明する。




  1. 使用楽譜について


1937年から1966年にかけてワルシャワのショパン研究所とクラクフのポーランド音楽出版社(PWM)が出版した「ショパン全集 F. F. Chopin: Dzieła wszystkie」、所謂パデレフスキ版

ポーランドでここ数年出版されてきており、現在最新のショパン全集といわれるヤン・エキエルJan Ekier1913-)編「ナショナル・エディション National Edition of the Works of Fryderyk Chopin vol.2 (urtext), 2000.

・フランス初版譜(1833年パリ出版のSchlesinger版)

・ドビュッシー Claude Debussy1862-1918)校訂によるデュラン版



3,本作品の形式


嬰ハ短調、プレスト Presto, 4分の4拍子、A-B-A’-Codaという典型的3部形式

A… 1小節から第16小節まで、嬰ハ短調

B… 17小節から第50小節まで、嬰ト短調から始まり、あらゆる転調を経て嬰ハ短調に回帰   

A’… 51小節から第71小節まで、ここはAの反復であり、そのままCodaに突入

Coda… 71小節から第82小節まで、嬰ハ短調

曲全体が、第4546小節部分を除くと全て4小節単位で区切ることができる点も含め、形式の観点から見ると非常に古典的であり、「出発と回帰の手法」を用いた骨組み



4,「指の練習のためのモティーフ」の観点からの分析


この曲は、一般的な練習曲の目的である、指を鍛えるためのパッセージ・ワークとみなされる、以下の主要な3種のモティーフで構成されている。それぞれa, b, c とする。

     a             b            c


 

(1)A(第1-16小節)

1-4小節 …高音部譜表で、このモティーフがa, b, c の順で出てきている

5-8小節 …今度は低音部譜表でa, b, c の順

9-12小節 …第1112小節で転調していくが、また高音部譜表でa, b, c の順

13-16小節 …低音部譜表で、a を使って上行し続け、第16小節で下っている


(2)B(第17-50小節)

25-32小節 …高低音部共に、a ばかりで貫かれている

33-40小節 …低音部におけるa の使用と、高音部におけるb の使用が主

41-44小節 …今度はb を多用し、反復進行で切迫感を高め、第4546小節で頂点に達する

4546小節 …ユニゾンの開始点から見るとc の音型に非常によく似ていることや、順序的なことから、今度はc の多用とみなせる

47-50小節 …再びa を多用して、第51小節からAに回帰


(3)A’-Coda(第51-82小節)

67-70小節 …低音部は、Aの第1516小節を2倍に拡大したもので、a を上行させたものが第69小節から一気に下行

71-78小節 …高低音部共にb の連続使用

79-82小節 …嬰ハ短調主和音のみ



5,「作品を秩序づけている要素αβ」の観点からの分析


この曲は、所謂指の練習としてのモティーフa, b, c によって最後まで貫かれていることがわかったが、その一方で、実は冒頭アウフタクトauftakt1拍と第1小節1拍目に存在する以下の二つの要素、即ち、順次進行音型(αとする)とオクターヴによる跳躍音型(βとする)が、この曲を一つの演奏会用作品として秩序づけていることがわかる。この曲のほぼ全てが、この2つの要素に還元されると考えられるのである。



(1)A(第1-16小節)

1-3小節 …嬰ハ短調音階順次下行形αの応用(α4拍分に拡大させたものが第13小節に隠されている)

3小節4拍目と第4小節1拍目 …オクターヴのgis音からcis音への跳躍音型βと同形

4小節 …高低音部双方に見られるオクターヴの跳躍から、βの応用とみなせる

4小節4拍目と第5小節1拍目 …低音部は、属調嬰ト短調音階の順次進行αと同形

                  高音部は、オクターヴ3度下行跳躍β

5-8小節 …低音部は、嬰ト短調音階順次進行αの応用

       高音部は、ドビュッシーに依ると譜例3のように嬰ト短調音階順次進行αの下行形、上行形が共に形成される

7小節 …オクターヴ変化形の3度跳躍下行(β’とする)が現れている

9-12小節 …低音部もfiscisのオクターヴ跳躍(βの応用)が中心となっている

13-16小節 …αの応用


(2)B(第17-50小節)

25-28小節 …αの応用だが、今度は短調の音階に沿ったものではなく、少し変化が生じて半音階的な進行となっている

2930小節 …2拍目と4拍目の音だけ取り出すと順次進行α

3132小節 …典型的なホ短調音階順次進行α

33-44小節 …この辺りからBの最後(第50小節)までは延々と減七の和音が繰り返されている

47-50小節 …半音階的順次進行(αの応用)


(3)A’-Coda(第51-82小節)

67-70小節 …嬰ハ短調順次進行αとなっている

        第6970小節の低音部における下行もαの応用

70小節4拍目と第71小節1拍目 …冒頭アウフタクトの類似形

71-78小節 …半音階的順次下行形(αの応用)


6,結論と考察


このように、この作品は技術的課題を例示する、即ち指の練習と見ることのできるモティーフa, b, c で貫かれている一方で、作品に統一感を持たせている要素としての順次進行音型αとオクターヴ跳躍音型βが、拍の頭や同形のアウフタクトの箇所など、曲中の重要箇所至るところに置かれており、それらは実は、この作品の冒頭アウフタクトに還元され得るということがわかった。それ故、序で述べたように、このエチュードが斬新な和声を取り除くと単なるパッセージ・ワークに過ぎないとは言い切れるものでなく、和声以外の観点から見ても、音型αβによって一つの演奏会用作品として秩序づけられていると考えることができるだろう。


7,今後の展望


今回はショパンの《練習曲第4番 嬰ハ短調 作品10-4》の分析を、和声以外の観点から行ってみたが、ショパンの作品を分析する際、和声は決して避けては通れない重要な要素であり、特にこの作品を見ると、例えば第4小節や第8小節のように、減3度ないし増2度を経過して次の音に繋がっている箇所が幾つも見受けられる(譜例2、*参照)。減7和音が連続する第41小節以降にも増2度関係が働いていることからも、恐らくこれらの音は、ひいてはこの作品を和声面で秩序づけている減7和音へと結び付けられることになるのではないだろうか。よって今後はこの作品を、和声的な面や音程関係からも見てみたいと考えている。

また今回の分析は、この作品が和声を取り除くと、技術的課題を例示するもの、所謂パッセージ・ワークに過ぎないという説を全否定するには、やや弱い主張に留まってしまった。その一因として、そもそも「練習曲(エチュード)」というジャンルが歴史的にどういう位置づけを持つものであるかを把握しておらず、機械的な練習曲と演奏会用練習曲それぞれの性格を、明確に定義づけることが出来なかったことが挙げられる。今後はこういったことも調べていく必要があると思われる。

これらの点を踏まえて分析が行えるようになれば、作品10の他の練習曲も見ていきたい。

(参考文献)

・柴田南雄、遠山一行総監修『ニューグローヴ世界音楽大事典』講談社、1994-96年。「ショパン」p.557-569

・『音楽大辞典』平凡社、1983年。田村進「ショパン」p.1248-1253

George W. Platzman, “A Catalogue of Early Printed Editions of the Works of Frédéric Chopin”, Chicago, University of Chicago Library, 1997.

・門馬直美他監修『最新名曲解説全集第15巻―独奏曲U―』音楽之友社、1981年。

(楽譜)

J.Ekier, ed. “National Edition of the Works of Fryderyk Chopin vol.2 (urtext)”, Warsaw, National Edition, 2000.

I.J.パデレフスキ編『ショパン全集U エチュード』アーツ出版、1992年。

・エディトリアルさぁかす編『ショパン自筆楽譜集完全復刻版―ワルシャワのフレデリック・ショパン協会のコレクションから―』グリーンピース協会、1990年。(“The facsimile edition of the autograph of Fryderyk Chopin's works from the collection of Fryderyk Chopin Society in Warsaw”, Warsaw, Fryderyk Chopin Society, 1990.

Claude Debussy, ed. ÉTUDES”, Paris, Edition Classique Durand , 1915.

 



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