「邦楽ジャーナル」2002年2月号掲載

<続>異国見聞尺八余話 (9)

雪のボールダー

倉 橋 義 雄


雪のボールダー

 そんなつもりはなかったのに、気がついたら、私は1年の3分 の1をアメリカで過ごすようになっていた。と言っても、4ヶ 月のあいだ同じ場所でじっとしているわけではない。1週間単 位であっち行ったりこっち来たり、つまり転々としているわけ である。また、4ヶ月のあいだずっとアメリカに滞在している わけでもない。何度も太平洋の上空を行ったり来たり、時差ボ ケに時差ボケを足して掛けて2乗して、通算すれば4ヶ月間の 滞在というわけである。私は日本国内でも旅まわりの仕事をし ているから、旅また旅の三度笠、けっこう疲れる。体力もさるこ とながら、歳のせいか、とくに心が疲れるね。
 旅の初めには、毎夜かならず奇妙な夢を見る。決して悪夢で はない。どちらかというと心温まる夢なのに、すごく寂しい不 思議な夢ばかり。たとえば、枯草だらけの侘びしい野原の真ん 中にポツンと立っている古臭い料亭で新年会を開く夢など。関 西三曲界の主要な顔ぶれが勢揃いし、なぜかみんなニコニコ。 心温まる新年会。でも誰も一言もしゃべらない。ただニコニコ。 座敷に木枯が吹き、火が消える。寒い。悲しい。寂しい。でもみ んなニコニコ。場面変わって我が家では、火の気のない冷たい あばら屋の中で、幼い子供達は黙々と冷飯を食い、鼻を垂らし ながら父の帰りを待っている。こんな夢見て目覚めたあとは、 たとえそこがニューヨークのマンハッタンのど真ん中であって も、ちょっと意気が上がらない。
 旅の後半は、変な夢は見なくなるが、そのかわり涙もろくな る。何でもないことに、ホロッとくる。テキサスで、越沢明著 「東京の都市計画」(岩波新書)という本を読んで、感きわまっ て涙が止まらなくなったことがある。これ、ぜったい異常だね。
 ところが、コロラド州ボールダーという町に滞在していると きだけは、変な夢も見なければ、涙もろくもならない。かといっ て正常でもない。夢が浮世か浮世が夢か、夢と現実の区別がな くなってしまうのだ。ボールダーは、かつて1998国際尺八 音楽祭が開かれたところ、記憶されている読者も多いと思う。 ロッキー山麓の美しい町である。
 数年前、ここに尺八という楽器に魅せられた数人の男女が登 場して、英文の尺八テキストやカセットやCDだけを頼りに、 手探りで練習を開始した。私が初めてこの町に来たとき、彼ら はみんな初心者だった。一緒に中華料理を食べて、少し酔っぱ らって繁華街をぶらぶらしていたら、空きビルを発見した。そ のビルを見て、みんな歓声を上げた。「ようし、将来かならず <ボールダー尺八協会>を設立して、このビルを買い取ろう!」
 いまも彼らは、やはり初心者のままである。ビルの買い取り も夢のままに終わったようだ。でもその後、彼らは国際尺八音 楽祭という尺八史に残る大イベントをやってのけ、<世界尺八 協会>という凄い名前の団体を作ってしまった。ある意味で、 彼らは夢を実現した。初心者のくせに「ボールダーを尺八のメ ッカにしよう」などと大それたことを本気で真面目に言ってい る。実際に「ロッキー尺八サマ−キャンプ」なるものを毎年定 期的に開催している。
 ニューヨークやサンフランシスコのような心理的に日本に近 い町の人間なら、そんな大それたことは考えない。でもボール ダーは心理的には日本から遠く離れた虹の彼方の夢の町、尺八 に関することなら、どんな夢も大言壮語もまかり通る。えらそ うに威張っている先生も、そこにはいない。だからボールダー の尺八吹き達は、昼間から夢を見て、私もつられて夢を見て、 夜はぐっすり眠ってしまう。
 ボールダーはいつも美しいけれど、とくに雪のボールダーは 夢の町。ある朝、友人の奥さんから「娘を幼稚園まで送り届け てほしい」と頼まれた。私は5歳の娘をソリに乗せ、広々とし た雪原の中を引いて歩いた。見えるのはロッキーだけ、この先 に本当に幼稚園があるのだろうかと不安にもなったが、「まあ いいさ」。ロッキーのほうから舞ってくる粉雪は、朝日を浴び てキラキラ星が降るようだった。娘は心地良さそうにソリの中で、 ずっと歌をうたっていた。ときどき合の手のように可愛い声で 「クラハーシ」と叫んだ。
 そのとき私は「まるで夢みたいだ」と思った。孤独でもあり 孤独でもなく、寂しくもあり、楽しくもあり、つまり完璧だっ た。そんなボールダーだからこそ、私はそこには住みたくない。 いつまでも疲れた三度笠として、白昼夢を見させてほしいから。

(第9話終)