<続>異国見聞尺八余話 (9)
雪のボールダー 倉 橋 義 雄
旅の初めには、毎夜かならず奇妙な夢を見る。決して悪夢で はない。どちらかというと心温まる夢なのに、すごく寂しい不 思議な夢ばかり。たとえば、枯草だらけの侘びしい野原の真ん 中にポツンと立っている古臭い料亭で新年会を開く夢など。関 西三曲界の主要な顔ぶれが勢揃いし、なぜかみんなニコニコ。 心温まる新年会。でも誰も一言もしゃべらない。ただニコニコ。 座敷に木枯が吹き、火が消える。寒い。悲しい。寂しい。でもみ んなニコニコ。場面変わって我が家では、火の気のない冷たい あばら屋の中で、幼い子供達は黙々と冷飯を食い、鼻を垂らし ながら父の帰りを待っている。こんな夢見て目覚めたあとは、 たとえそこがニューヨークのマンハッタンのど真ん中であって も、ちょっと意気が上がらない。 旅の後半は、変な夢は見なくなるが、そのかわり涙もろくな る。何でもないことに、ホロッとくる。テキサスで、越沢明著 「東京の都市計画」(岩波新書)という本を読んで、感きわまっ て涙が止まらなくなったことがある。これ、ぜったい異常だね。 ところが、コロラド州ボールダーという町に滞在していると きだけは、変な夢も見なければ、涙もろくもならない。かといっ て正常でもない。夢が浮世か浮世が夢か、夢と現実の区別がな くなってしまうのだ。ボールダーは、かつて1998国際尺八 音楽祭が開かれたところ、記憶されている読者も多いと思う。 ロッキー山麓の美しい町である。 数年前、ここに尺八という楽器に魅せられた数人の男女が登 場して、英文の尺八テキストやカセットやCDだけを頼りに、 手探りで練習を開始した。私が初めてこの町に来たとき、彼ら はみんな初心者だった。一緒に中華料理を食べて、少し酔っぱ らって繁華街をぶらぶらしていたら、空きビルを発見した。そ のビルを見て、みんな歓声を上げた。「ようし、将来かならず <ボールダー尺八協会>を設立して、このビルを買い取ろう!」 いまも彼らは、やはり初心者のままである。ビルの買い取り も夢のままに終わったようだ。でもその後、彼らは国際尺八音 楽祭という尺八史に残る大イベントをやってのけ、<世界尺八 協会>という凄い名前の団体を作ってしまった。ある意味で、 彼らは夢を実現した。初心者のくせに「ボールダーを尺八のメ ッカにしよう」などと大それたことを本気で真面目に言ってい る。実際に「ロッキー尺八サマ−キャンプ」なるものを毎年定 期的に開催している。 ニューヨークやサンフランシスコのような心理的に日本に近 い町の人間なら、そんな大それたことは考えない。でもボール ダーは心理的には日本から遠く離れた虹の彼方の夢の町、尺八 に関することなら、どんな夢も大言壮語もまかり通る。えらそ うに威張っている先生も、そこにはいない。だからボールダー の尺八吹き達は、昼間から夢を見て、私もつられて夢を見て、 夜はぐっすり眠ってしまう。 ボールダーはいつも美しいけれど、とくに雪のボールダーは 夢の町。ある朝、友人の奥さんから「娘を幼稚園まで送り届け てほしい」と頼まれた。私は5歳の娘をソリに乗せ、広々とし た雪原の中を引いて歩いた。見えるのはロッキーだけ、この先 に本当に幼稚園があるのだろうかと不安にもなったが、「まあ いいさ」。ロッキーのほうから舞ってくる粉雪は、朝日を浴び てキラキラ星が降るようだった。娘は心地良さそうにソリの中で、 ずっと歌をうたっていた。ときどき合の手のように可愛い声で 「クラハーシ」と叫んだ。 そのとき私は「まるで夢みたいだ」と思った。孤独でもあり 孤独でもなく、寂しくもあり、楽しくもあり、つまり完璧だっ た。そんなボールダーだからこそ、私はそこには住みたくない。 いつまでも疲れた三度笠として、白昼夢を見させてほしいから。
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