<続>異国見聞尺八余話 (6)
ああ、マンハッタンが・・・・ 倉 橋 義 雄
若い友人Mが購入したばかりのピカピカのアパートに居候さ せてもらって、快適に過ごした。「このアパートいくらしたの?」 と気軽に聞いたら、「3百万ドル(3億6千万円)」という答 が返ってきたので、ぎゃふん。聞かなきゃ良かった。そういえ ば、そこは今をときめくトライベッカ地区、まだ整備されてな いけれど、活気を感じる町だ。金融の中心ウォール街や世界貿 易センターまで歩いて行ける。 愛くるしいR嬢はまだ22歳。かつて交換留学生として京 都にいたとき少し尺八を教えた。今年ボストンの大学を卒業して、 憧れのニューヨークの銀行に就職した。彼女とデートしたとき、 私の姿を見つけて、走ってきて抱きついてキスしてくれた。 「あのね、ニューヨークって、すごい町なのよ。銀行の仕事は 忙しいけれど、すごく面白い。私の銀行はウォール街にあって、 世界貿易センターのすぐ近くなのよ」 ロックミュージシャンBはマンハッタンからイースト川を隔 てたブルックリンに住んでいる。いつも偉そうに「オレは有名な 音楽家なんだぞ」とうそぶいているが、私はロックのことは知 らない。だから「オマエが有名?ははは」と笑い飛ばす。美しく て楽しい奥さんはスリランカ人。理学博士で蚊の専門家だという。 最近なんとかナイル病という蚊を媒体とする恐ろしい病気が流 行しかけているので、ニューヨーク市の専門職員として、蚊を 求めて毎日ニューヨーク中を歩き回っている。 コンピューター技師Wは、マンハッタンの中でも閑静なアッ パーイーストサイド地区に住む。おとなしくて穏やかな人物。奥 さんもおとなしい。目の中に入れても痛くない一人息子のDは 中学生。川向こうの学校に毎日通っている。 9月の初め、世界貿易センタービルは炎上崩壊した。 私はニューヨーク中の友人知人に片っ端からEメールを送っ て、安否を問い合わせた。それから続々と返信メールがあり、 私の友人知人は「全員無事」だったことが判明した。 3百万ドルのMは、自宅周辺のあまりの大混乱に呆然として、 「起こったことが、頭の中で整理できない」と言う。 R嬢の友人だという女性からEメールがあり、「45分前 にRから携帯電話があった。彼女は無事だ」と知らせてきた。 目の前で世界貿易センターが崩壊し、度肝を抜かれているとこ ろへ、彼女が働いているビルも危なくなって、避難命令が 出た。あとは大混乱、ミッドタウンのアパートにたどり着くま で、ほうほうのテイだったという。同僚の中には「もう二度と ダウンタウンへは行きたくない」と言って会社を辞めた者もいる という。 ロックミュージシャンBはマンハッタンに出かけた奥さんが 心配で、歩いてブルックリン橋を渡ろうとした。しかし警官に はばまれ、仕方なく川辺で対岸のマンハッタンを眺めた。そこ で世界貿易センターが崩壊するのを目撃した。ブルックリンで も人々が路上にあふれて、叫んだり泣いたりしていたという。 奥さんは、やがて歩いて家に帰ってきた。 コンピューター技師Wの家は、事件があったダウンタウンから 遠く離れているので、当然無事だった。けれども、マンハッタ ンに通じる橋がすべて封鎖されたので、一人息子Dが学校から 帰れず、迎えに行ったら戻って来れなくなるので、迎えにも行 けず、しばらく離れ離れの生活を余儀なくされた。 読者おなじみの尺八演奏家ラニー・セルディンのアパートは ソーホー地区、やはり大混乱を極めていた。彼はボランティア として救出活動への参加を希望したが、持病の心臓病がすぐれ ず、体力的に無理だとされた。しばらく悶々としたけれど、や がて当局から「贈物」をもらった。ニューヨーク中どこへでも 自動車で走れる特別許可証という贈物。彼はその贈物を持って、 奥さんと交替で、救援隊や被害者の家族の人たちを輸送する活 動を始めた。 事件当日の夜、ラニーはニューヨーク中の尺八吹きにEメー ルで、「今夜は各自自宅で心を込めて尺八本曲<盤渉>を吹く ように」と指示した。ほぼ全員の尺八吹きが彼の指示に素直に 従い、阿鼻叫喚のニューヨークの町のあちこちで、尺八の音が 人知れず静かに流れた。
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