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■ゲームに見る“歳相応”と“ストレス”の関係 (9/1.2007)
■未熟な決断力 (9/2.2007)
■8周年 (9/3.2007)
■事の大きさ (9/5.2007)
■上陸 (9/6.2007)
■ケイタイカメラの実力 (9/7.2007)
■手 (9/10.2007)
■仰天 (9/14.2007)
■ひとりカラオケ率 (9/16.2007)
■名前の恐るべき力 (9/17.2007)
■遠隔飲み会 (9/21.2007)
■時の河 (9/25.2007)
■追いかけている人 (9/26.2007)
■ブラインド (9/29.2007)
■ブラインド (9/29.2007)
今月はよく日記を書いたなあ。
なんだかんだ言って文章を書くのは好きなので、書き始めると止まらないんですよね。
あとは、学生時代に、ブラインドタッチを練習したのがでかいです。(←北斗の拳のソフト。打つと“アタタタタタタタ・・・”って言うヤツ)
これができると、ペンで書くより、4〜5倍の速度で書けるので(消しゴムもいらないし)ぐっと手軽になります。
今時の小学生はパソコンに親しんでいて出来る人も多いと思うのですが、
私ぐらいの世代は本格的にパソコンに触れたのは大学時代なので、そのときにブラインドタッチを練習している人が多いと思います。
仕事でも直接的に役に立っています。
そういえば、中学のときに学校にパソコン教室が出来て、タウンズというパソコンが入ったけど(windowsはまだこの世になかった)
先生のほうが教えるスキルがなかったのか、授業中、ずっとゲームをやっていた覚えが・・・
ファミコン世代の私達は、windowsもドラクエと同じ感覚で使えるので、比較的容易にパソコンに入り込めたと思います。
今、定年間際の人たちは人によっては使うのに相当苦労していると思います。
私自身が、その歳になったときに、テクノロジーがどんな風に進化しているのか、楽しみでもあり、怖くもあります。
使いやすく進化してればいいけどなぁ。
何にも考えなくても勝手に機械がやってくれる未来。
そうなっても、多分、今と変わらず故障はあって、「全然動かねーぞ!」とかってやってるんだろうけど。
その頃まで、この日記が続いているのか分かりませんが、入力の環境は大分変わっているんだろうなぁ。
そのとき、果たしてキーボードはあるだろうか。
現在主流のblogのようにweb上で入力するシステムに変わったことも大きな変化。
私のように、ローカルで作ってからアップロードするやり方はすでに過去のものなのかも。
website自体はサーバーにあるので、どこからでもアップロードはできるんですが。
この方法も、いつか変えなければならないんだろうなぁ。
■最近聴いている曲 (9/28.2007)
最近聴いている曲。
■SIAM SHADE(D.D.D、No! Marionette、Don't Tell Lies)
前から好きでしたが、ベストアルバムを買ってそればっかり最近聴いています。
■AQUA TIMEZ(1mm、歩み、夜の果て)
早口のラップが好き。シングル曲はポップな感じですが、アルバム曲は結構ロックで好きです。
■宇多田ヒカル(Beautiful world)
エヴァンゲリオンの主題歌。アニメは観たこと無いんですが、曲が好き。
■Perfume(ポリリズム、エレクトロワールド)
アキバ系なアイドルグループ。capsuleの中田ヤスタカを知っていたのがきっかけで知りました。
ピコピコした音です。中田ヤスタカはドラマのLIAR GAMEの曲を作っていたり。LIAR GAMEはマンガが面白い。まさかドラマ化するとは思わなかったけど。。
■鈴木亜美(FREE FREE)
中田ヤスタカがプロデュースしていたので、聴いてみたら結構よかった。良かったけど、鈴木亜美が歌わなくてもいいか、っていう歌ですが。
■ONE OK ROCK(努々ゆめゆめ)
森進一の息子のバンドらしい。この曲しか知りませんが、よく聴いています。
■FENCE OF DEFENCE(時の河)
アニメ三国志の主題歌。カラオケで友人が歌ったのを聴いて、何故か頭から離れず。
来月にはB'z(SUPER LOVE SONG)とTM Network(WELCOME BACK 2)の新曲が出るようなので楽しみです。
■追いかけている人 (9/26.2007)
今日は、かなり久々に会う友人と飲んだ。
最近は、毎日のように会いたい人に会い、遊びたいように遊び、聴きたい曲があれば即手に入れて聴いている。
なるべくテンションが低下しないように、思考の迷路に入り込まないように、気をつけている。
一見して毎日充実しているようなのだけど、
日本人ってのは、根底に、我慢とか忍耐とか遠慮とか精進とか、
そういう類のものに感動する遺伝子みたいなものが刷り込まれているようで、
私のこの生活はいいことなのか、悪いことなのか正直、よく分からない。
ただ、頑張れば何かいいことが待っている、
という時代ではなくなったことにみんなが気づいていて、
そういった時代の変化によって、今日の様々な社会問題(少子化・年金制度やワーキングプアなど)
が現れているということに、ニュースを読まない人だって、何となく空気で感じ取っている。
一握りの人だけが掴めるであろう、夢のようなものを追いかけている人を、毎日のささやかな喜びの合間に応援したいと思う。
■時の河 (9/25.2007)
「時の河」という、結構古い歌のサビが頭から離れない・・・
(フェンスオブディフェンスの歌です。知らない人は聞き流してください。)
■遠隔飲み会 (9/21.2007)
4,5年ぶりに会う友人と飲みに行きました。
かなり盛り上がりまして、けっこう酔っ払いました。(←楽しくなるほど酒がすすむ)
けっこう、と言っても大人な飲み方です。
(決して、以前のようにどこかによじ登ったり、土手から転げ落ちたり、起きたら知らない店のトイレで寝てたりはしません。)
ネットではしょっちゅう会っている為か、久々の感じがしなかったのが不思議です。
外見は久々でしたけれど。ご立派になられて・・・(私は多分老けました。桁が上がったし。)
そんなわけで、色んなことがあるもんですね。
ホームページを長く続けていると。
ずっと前にオフ会で、神戸にみんなで集まったことがありましたが、そういうアグレッシブさは最近忘れている気がするなぁ。
まあ、テレビ会議のように、一所に集まって飲み会が気軽に出来る店が出来たりもすることでしょう。
(↑これ、売れるアイディアか?デカいディスプレイがあれば可能だな。店、開こうかな。)
ここしばらく私のテンションは常に低めですが(←飲んでる時以外)元気になってきた気もするので、
鍵盤に触りたいなーと思います。
曲をつくるのは好きなんですが、つくるのにテンションの高さが必要だったりして、最近は作曲ソフトを起動するところまで至らず、
下手なギターをいじる程度だったので、ちょいと久々にやってやろうと思っています。
鍵盤は触ってなかったのですが、ここ2ヶ月ぐらいはCDを衝動買いしまくって聴いてたんですけどね(枚数数えるのが怖い)
■名前の恐るべき力 (9/17.2007)
「名前」は重要だ。
対象物がそれ自体存在していても、それに名前が無ければ
それを認識するのはとても難しい。
水に水という名前がなかったら、どう説明したらよいか分からない。
水は命に関わる重要なものだから、名前をつける重要性は高く、当然、その言葉が生まれたのは遥か太古のことだろう。
ペットボトルはこれほど普及したからこそ“プラスティックの瓶”ではなく、やはりペットボトルという固有の存在だ。
「肩こり」は英語にはない。
だから英語をしゃべる人には肩こりは存在しない。
肩こりを認識できないから、日本人よりも肩の疲れには鈍感かもしれない。
日本には染物があるので「藍色」は青色とは明確に違う。
だが、英語では深い青と表現する。
虹も6色だ。
ただ、今日着物を着る機会も減ったことから、
将来は日本でも藍色は絶滅して、深い青と表現するほうが適切になるのかもしれない。
私は大学で建築を学んだが、課題で作品を提出するときには必ず、そのタイトルをつけさせられた。
タイトルというのは要するにその作品の名前だ。
これが案外難しい。なぜなら、明確な意図を持った作品でなければその名前をつけることができないからだ。
だから、タイトルの良い作品は、自ずと作品自体も良いものとなる。
3丁目の家とか、T氏邸とか、そういう名前の作品はその名前を聞いただけで、きっと退屈な作品だろう(少なくとも何かしらの新しい視点を含む作品ではない)と想像してしまう。(実際そうでなかったとしても)
安部内閣のことを「お友達内閣」だと名づけた人がいる。
認識したものに名前がつけられるのはその唯一性が認められるからであり、それが正しいネーミングであれば世に広く認知させることが出来る。
野党がナントカ内閣だ、といちいちネーミングする姿に最後はうんざりしたけれど、名前にインパクトを持たせることの重要性には今回色々な人が改めて気づいただろう。
安部首相が首相になるときに、
世のコメンテーターのほとんどの人が、
この国をどうしたいのか、未来のビジョンを分かりやすく国民に語るべきだ、政治家にはビジョンが必要だ、と言った。
安部首相はそれに呼応しこの国の将来像を「美しい国」と命名した。
名前をつけること自体は間違っていないし、
分かりやすさを追求した結果だろう。
スローガンのような名前はそれが合言葉となり、
時に強烈なインパクトを与えることが出来る。
だが、それが逆に、首相と国民の感覚のずれを象徴する言葉となり、批判の対象となってしまったのは大きな誤算だろう。
今考えれば、名前さえつけなければ、もう少し批判も和らいだに違いない。
名前をつけることは諸刃の剣でもあるのだ。
名前には恐るべき力がある。
この強力な手法を是非我が物にしたい。
だが、それには物事の本質を見抜く鋭い目と深い考察が必要だ。
■ひとりカラオケ率 (9/16.2007)
日曜の昼間のカラオケは意外と“一人カラオケ”が多いことを知った。
各部屋で、ごくごく普通に見える皆さんがひとりで熱唱。
“普通に見える”って表現も、じゃあ、普通じゃないってのはどんなだ?と言う感じだけど、
ひとりカラオケって、友達がいないか、ひとりでもものすごいハイテンションになれるか、
どっちかと思う偏見が。。。
(というよりも、そう思われるのが恥ずかしいので一人で行けないんだけど)
ただ、日曜昼間、ざっと見回したところ一人カラオケ率は25%ぐらいに達していた(!!)
(駅から遠いという立地に加えて、たまたま相方がトイレ行ってたとかあるかもしれませんが)
というわけで、三度のメシよりカラオケ好きな私は近いうちに決行しようかなーと考えている次第。
履歴をマニアックな歌で埋め尽くしてやれ!
■仰天 (9/14.2007)
水曜日。“いいとも”観てたら、首相辞意のテロップが・・・
今月一番驚きました。
丁度、注目の代表質問を観ようと思っていたので、何とも。。。
「痛みに耐えて改革を!」
と言っていた小泉さんはいいところで勝ち逃げし、残った負の部分の後処理を任された安部さん。
相次ぐ閣僚の不祥事にどーしようもなくなった安部さん。
たまたま任期中に降って沸いた年金問題に困った安部さん。
同情もするけれど、参院選直後に辞めておけば胃腸の具合も悪くならなかっただろうに。。。
自殺した閣僚も出たことで、その心中、相当参っていたというのも分からなくも無いです。
一国の総理だから、その責任の重さから、この辞任に対して批判が集中するのは当たり前ですが。
それでも何だか不運で気の毒な感じがして、私としてはもう少し頑張って欲しかったと思います。
ただ、今は、民主党に頑張ってもらって色々と議論が活発になることが望ましいと思っているので、
首相が交代しようが、局面がそれほど変わることもないでしょうし、国会がこのまま続けばそれでいいと思いますが。
どうやら次の総理は福田さんになりそうだけど、構造改革と景気対策、しっかり続くのかなぁ。。
格差も問題ですけど、それより、私達が歳を取った時に年金がきちんと貰えるのか、国の借金は減っていくのか、
それが一番気になります。
私達の世代や、今の子供達の世代にツケを残したまま、年金もらい得のままあの世に旅立たれるのもちょっと癪です。
きちんと年金制度改革をして欲しいです。
借金も減らしておいて欲しいです。(私も今、ものすごく税金払っている気がしますが・・)
自衛隊の給油活動も、国際社会に貢献することでモノを言うことが出来る、という論理なのか、
平和を貫くには武力に訴えるべきではないということを何か他の方法で示すことが出来るのか、
自民党と民主党のやり取りに注目したいと思います。
■手 (9/10.2007)
先日ニンテンドーDSの漢字検定ソフトを購入しましたが、
毎日検定を受けた結果ようやく準2級まで昇級できました。
ソフトの設定上、最初は10級から始まり(←小学生レベル)、1級あがるには2度の検定合格が必要な上、1日に1回しか検定を受けられないため、ずいぶんとかかってしまいました。
2級で高卒程度なので、準2級もたいしたことない・・・はずなんですが、結構難しい。
特に部首。
「摩」の部首って何でしょう。
「マダレ」かと思いきや「テ」だったり。ひっかけか!
漢字検定、持っていて自慢できるとしたらやっぱり準1級か1級だと思います。
でもオットセイとか、ワープロ変換しようとしても出てきやしない難しい漢字が目白押しらしいので、
そこまではとてもたどり着きそうもありません。というか、もっと先に勉強することがあるよね。。
中学生のときに、先生が「履歴書に書けるよ!」とか言って英検を勧めていましたけど、
当時の私には、英検4級を取って、履歴書に「中学2年生程度の英語学力です」ってカミングアウトするのはどう考えても
恥ずかしいだろう、と考えて受けませんでした。
漢字検定も本気で受けるとしたら、マニアな1級を受けなきゃ意味ないよなーと思いつつ、今日もコツコツ書き取り練習。
■ケイタイカメラの実力 (9/7.2007)
トップの画像を更新しました。
今日は台風が過ぎたので夕方に行けば面白い雲と夕焼けが撮れるだろうと、近くのインターチェンジ(圏央道)まで行きました。
このインターチェンジは、以前、建設中に撮ったことがあって、その写真もphotoのコーナーの一番下に載っています。
自然を無視した巨大な建造物に最初はびっくりしましたが、出来てしまえば慣れてしまうもの・・・。
便利な施設です。
本当はもっと自然景観の大切さを考えるべきだと思いますが、なかなか現実的な解決策は見当たりません。
この圏央道の建設にあたっては、その与える環境問題についてさまざまな議論がなされました。
圏央道の開発意図の肝である“都市部の渋滞が減ったかどうか”の調査結果が待たれるところです。
(東名まで繋がらないとなかなか成果が出にくいかもしれませんが・・・)
今回の写真、デジカメを持っていなかったので、ケイタイのカメラで撮ってみました。
風景の構図はどのカメラを使ってもそれほど問題ないと思いますが、色が・・・
やっぱり色の再現力のようなものが、きちんとしたカメラと比べて雲泥の差があるようです。
写真よりも実際の風景のほうがもっとカッコイイ夕焼けだった気がするんですけどね。
まあ、ケイタイにそこまで期待はしてなかったので、それでも、結論としてはかなり使えると思います。
でも、やっぱり普通のカメラは手放せないかなぁ。
■上陸 (9/6.2007)
久々に台風が来ています。
私の住まいは東京の西のほうなので直撃です。
割と台風の被害の少ない地域ですが、近くに川がいくつか流れているのでどのくらいの水位になるか心配です。
と、言っても川から20〜30m高いところに家があるので浸水はまずないんですけれど。
将来、引っ越す時に考えるべきことは、交通の便よりも、水害や地震に弱いところを避けることだと思います。
家の隣で建築中の住宅があるのですが、何か飛んでこないだろうなぁ。。。
雨戸閉めていますけれど。
明日、台風一過でいい天気になったら、写真でも撮りに行こうかな。
■事の大きさ (9/5.2007)
(どうでもいいことなんですが、、、)
最近の朝青龍の報道には疑問がある。
確かに、最初の仮病を使ってサッカーをしている映像には驚いたし、
横綱が何やってんだろうって思ってそのニュースを興味深く観た。
私は、別に相撲ファンではないし、ましてや関係者でもない。
でも、こういうゴシップに対して「ツマラナイ報道はやめろ」と言えるほど潔癖でもなく、
ワイドショーネタを見ることが嫌いなわけでもない。
多分、ごく普通のレベルでそういう話題に興味がある。
実際、最初の“腰を怪我しているのにヘッディングシュート”の映像には笑ってしまったし、どんな処分が下るのか注目もした。
でも、モンゴルまで100人もの報道陣が追いかけていって、まるで犯罪者を追うような状況はやりすぎだし、
ちょっと見ていて恥ずかしい。
一歩間違えれば人権侵害。
モンゴルの人に日本人ってみんなそうなのか、って思われたくない。
「ナントカ還元水」「絆創膏」に続いてわずか一週間足らずでまたもや閣僚交代。
私達の税金から給料が出ている国会議員に対しては、公人であるのだから、マスコミもどんどん追及してほしいし、
農相には最終的に大臣という職だけでなく、議員も辞めてほしいと思う。
たかが仮病でサボっただけの横綱は犯罪者ではないし、お金を騙し取った国会議員とでは事の大きさが全く違う。
ワイドショーはともかくとして、普通のニュース番組で大きく取り上げる問題は朝青龍でなくて、もっと他のことだろう。
そんなわけで、最近は朝青龍のニュースになるとツマラナイのでチャンネルを変えることにしている。
■8周年 (9/3.2007)
年に一度の9月3日。
今日は、ドラえもんの誕生日、かつ当サイトの誕生日です。(ちなみに祖母も誕生日)
このサイトは無料のレンタルサーバーに置いてあるんですが、5、6年経った現在も稼動していてくれて
うれしいです。
開設した頃からすれば、blogが出来て、SNSが出来て。。。と、個人ホームページの主流も移り変わってきました。
いつまでこの形態で続けられるか、今後どこかで大きく変えなきゃいけない可能性もなくないのでしょうけど、
しばらくはこのまま続けていく予定です。
blogやSNSの主眼は文章を媒介としたコミュニケーションにあって、必ずしも、1次プロダクツを重視するものではないですが、
私はできるかぎり、自分の発信するコンテンツ(音楽や写真)を大事にしていきたいと思っています。
最近、なかなかできていないですけれど・・・
1周年: 6000hit。( 6000hit)
2周年:15457hit。( 9457hit)
3周年:27888hit。(12431hit)
4周年:38100hit。(10212hit)
5周年:43080hit。( 4980hit)
6周年:48271hit。( 5191hit)
7周年:52803hit。( 4532hit)
8周年:60713hit。( 7910hit)
今年はカラオケサイトに参加していたので少しhit数が増えたようです。
■未熟な決断力 (9/2.2007)
私は漫画が好きです。
昔からそうです。
小説はまったく読まない代わりに漫画ばかり読んでいたのです。
だからと言って別に麻生太郎が好きというわけでもないですが。
子供の頃からずっと読んでいる漫画の中に、
「ジョジョの奇妙な冒険」があります。
とても長い漫画で今でも連載中。もう20年もやっているのです。
その独特な構図の絵も好きだし、話のアイディアも好き。
理屈っぽいところや皮肉っぽいところも好きです。
作者は、“その場面”で登場人物がどのような行動を取ることができるか、その選択肢を絶えず考えているはず。
戦うのか、逃げるのか、それとも助けを呼ぶのか、放棄するのか。
あらゆる選択肢を考える中で、もっとも面白い方法を思いつけば、その物語はとても面白いものとなるに違いない。
そして、理屈っぽい読者に、変なツッコミをされずにすむだろう。
知らず知らずのうちにそうしたことに思いをめぐらしながら漫画を読んでいたのか、そうした思考方法は、大人になってとても役に立っていると思います。
文章を書くにしても、何かを考えるにしても、説得力のあるものにするには、色々な選択肢について考察することが大切だからです。
ところで、私は、決断力は経験に裏打ちされると思っていますが、経験の浅い、“未熟なうちの決断力”には2種類あると思います。
一つは、多くの選択肢を知らないために、すぐに最良と思われる策を選び取れるので、決断が早くなる場合。
たまたまその選択が合っていれば決断力があると周囲に思われるかもしれませんが、実際は他にもっとよい選択肢がある可能性があるので誰かに相談する必要があります。
もう一つは、色々な選択肢が浮かんでしまって、どれが最良か選び取ることができず、決断が遅くなる場合。
とてもいいことだと思うのですが、傍目には優柔不断に見えるので、普段からすぐに最良の策を選ぶ癖をつけつつ、その上で誰か経験のある人に、その選択が合っているか相談することが必要でしょう。
(何の選択肢も浮かばなかったら・・・ちょっと厳しいですが、そういう時もあると思います。)
飛ぶように流れていく毎日の中で、なかなか実践できないことが多いですが、“他に方法はないだろうか”という思考方法は常に念頭に置いておきたいものです。
■ゲームに見る“歳相応”と“ストレス”の関係 (9/1.2007)
昨日は、ネットでテトリス対戦してみました。
“歳相応”というのも必要ですが、
それが特に重要になるのはパブリックな場所だと思います。
プライベートな場所では、必ずしもそれが必要だとは限らない、というのが私の考え方です。
そのとき、面白い、やりたいと思ったことをやる。
忙しさに追われる日々の中、できそうで中々できないことです。
歳を重ねていく過程で、“こう振舞おう”という理想が、あるときは邪魔になって、やりたいようにできずに、ストレスが溜まることも多くなると思います。
その考え方の根底には、自分の行動を他人からの視線を基点に考える癖のようなものがあって、特に社会人になるとそのような傾向は強まるのだと思います。
パブリックな場所では、当然他者の視線を念頭に行動するのだから、そうなるのは必然とも言えますが。
小学校(中・高・大も然り)の同級生に会えば、その時の気持ちに戻るし、正月に学生の親戚に会えば、彼・彼女らと一緒にゲームもします。
そういう時間がとても大切だということは、誰しもがその大小はあるにしても感じているとは思うのですが、それがもし、素直に楽しめなくなったとしたら、それはある意味、精神的な疲労があるためなのかもしれません。
小さい頃に好きだったことが今はそれほどでもなくなるのは、精神的な疲労なのか、歳相応になったということなのか、それは人・場面によって取り方は異なると思いますが、何をやっているときに楽しいと思えるのか(それが将来に繋がる大事なことだろうと、一時の休憩のようなことだろうと)というテーマは人生の各所においてとても重要なことだと思います。
父は私が受験生の時に、何故かパソコンゲームにハマって(今のようなネットゲームではなくパズルゲームばかりですが)、「ちょっとやってみろ」と私の勉強の邪魔をする人だったので、そういうところを見習ってしまったおかげでこんな感じに育ってしまいました。
ああ、もう30歳なんですけどね。
多分、50歳になっても変わらないと思います。親を見る限り・・・
学生時代、修士論文を自宅で書いている間、研究室の同級生のほとんどは、パソコンのメッセンジャーを立ち上げていて、24時間誰かしらが繋がっている状態になっていたのですが、息抜きにくだらないネットゲームをみんなでやって、こんなことやってる場合じゃねーだろ、ってお互い言い合っていたころが懐かしい・・・
その分、睡眠時間が削られるわけですが、何であんなに面白かったんだろう。
昔はよかったという意味で振り返るつもりもないですが、昔よかったことはもう一度やってみたいと思い、昨日、中学・高校時代の友人とネットで対戦テトリスをやってみましたが、面白い。でもゲームが終わったときに、何となく虚無感に襲われるのは何故だろう。
きっと、それが精神的な疲労の正体に繋がる何かなんだろう、と思ったのですが、ゲームをすることが、積極的逃避行動なのか、消極的逃避行動なのか、それとも積極的解決方法なのか。逃避行動なのだとしたら、その時間を勉強に費やせば、果たしてその疲労は回復するのか。
答えは既に知っていると思っていたけれど、体調を崩したりしていたこともあって、ここにきて何だかわからなくなってしまいました。
私は常々“光陰矢のごとし・・・”と考える方でしたが、たまには立ち止まって考えることも必要、と考える時期にさしかかっていると感じています。
・・・・・・そんなことを考えなくなることが、この歳相応であって、私はいかにも歳不相応かもしれませんが、そんなことを考えることで何かが生まれることもあると思うので、今日は久しぶりにこんなことを書いてみました。
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