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DIARY-07-2007

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■隣の人 (7/9.2007)
■医者も人間だしね (7/12.2007)
■原発の耐震性 (7/19.2007)
■「葛藤」と「決断しない決断」 (7/20.2007)
■参院選 (7/30.2007)




■参院選 (7/30.2007)


小泉さんの時は人気者の田中真紀子更迭したりして、けじめのある感じだった。
安部さんは、優しいというか、嫌われ者にはなれないというか、失態閣僚をかばっちゃって“いい人”なのか。
どうしても小泉さんと比べてしまいます。

でも、小泉時代に格差社会の問題が叫ばれて、靖国問題や外交も問題山積。
そのマイナスが全部、安部さんに回ってきた上に、閣僚の失言、失態の数々。

年金問題は、もちろん自民党が悪いと思うけれど、たまたま安部さんの時に出てきた問題でもあって、 これがこのタイミングでなかったらこの選挙結果じゃなかったかもしれない。
パフォーマンスのうまい小泉さんの時なら違う結果だったのかもしれないとも言えるけれど。



政権に交代があってこそ、民意の反映される国だ、という意見には賛成なので、 この機会に民主党に頑張って欲しいと個人的には思います。
でも自民党のオウンゴールだった今回の選挙、民主党で大丈夫なのかしら、とも思うけど。






■「葛藤」と「決断しない決断」 (7/20.2007)


この前、最近の私の作った曲の詞を見て、友人に
「いつも葛藤しているね」
と言われた。

常にいくつかの選択肢(逃げ道)を取っておくような、私の今までの人生のスタイルそのものを指摘されたような気がした。
そのスタイルとは、つまり、何も決断しないことだ。

小さな決断をすると、次の決断の準備が始まり、その決断を越えると次の決断の準備に取り掛かれる。
何かが始まったり、何かが終わったりするというのは、そういう連鎖の中で生まれるのだろう。

逆説的に言えば、「何も決断をしないという決断」を続けてきた結果、特に何事も無く平穏な毎日が送れているのかもしれない。


つい最近、大きな決断をしようとしたけれど、結局、決断をしないという決断に至った。
ただ、大きな決断の前に下した準備の為の小さな決断は、少しだけ事態を動かしはした。
結果が吉と出るか凶と出るのかはずいぶん先のことだろう。
(これを読んでいる方は何のことかさっぱりかもしれませんが・・・)

「葛藤」って青春の代名詞のような言葉だけれど、私の中身はよく言えば若々しく、悪く言えばとても幼稚なままだ。






■原発の耐震性 (7/19.2007)


原発の耐震性が心配です。

今回問題となった柏崎刈羽原発では、“その地域で起こりうる地震”の強さを元に耐震設計しているそうです。
ここにそもそもの疑問を感じます。

阪神淡路大震災の時は未知の断層が動きました。

断層を発見するのが困難なのであれば
(そもそも断層というのは最初から存在していてそれがずれるのか分かりませんが)
原発の近くに今まで知らなかった断層があったとしても大丈夫なように、
“日本で起こり得る地震”の強さを基準にしてその何倍に耐えられるか、といった耐震設計をするべきだと思います。


欠陥住宅などが社会問題になり、数年前に住宅の性能評価制度というのができました。
その中の耐震性の項目では、どの程度の地震に耐えられるかを3等級で表しています。
等級1で阪神大震災クラスの地震で倒壊しない耐震性。
等級2で阪神大震災クラスの1.2倍の強さの地震で倒壊しない耐震性。
等級3では同様に1.5倍です。
阪神大震災の揺れの強さを元にしているのがミソです。


色んな新聞記事なんか読んでると、地震の強さは加速度よりも速度のほうがよりよく表せるとか、 周期が長い地震はどうだとか、色々と新しい見解があるようなので、核の恐ろしさを知っている日本だから、 色んな意見を取り入れて頑丈に作って欲しいと思います。ほんとに。






■医者も人間だしね (7/12.2007)


先日、体調を崩して以来、しばらく薬を飲み続ける羽目になっているのですが、 問題が。
酒が飲めない。
(飲んでますが・・・)

飲む日は薬を飲まないようにしてますが、どうもやはり次の日調子が悪いので、禁酒したほうが良いようです。
アタリマエか・・・


医者には敢えて、酒はだめですか?とは聞いてないんですが、薬の説明書に書いてあるんですよね。
というか、常識と言われればそうなんですが。



そんなわけで、医者から手術の前は禁煙しろと言われた父を見舞いに行ったとき、入院先の病院の玄関で思いっきり吸っているところに出くわしたのを思い出しました。
血は争えないか・・・(とりあえず親のせいにしておきます)






■隣の人 (7/9.2007)


デパートの書籍売り場の通路に設置されている椅子に座る人たち。
疲れたネクタイで熟睡する40代ぐらいの男性。
その横には漫画を読む若い女性。どうやら泣いているようだった。
そして、その横にはヘッドフォンして手足が空気ドラムを叩く帽子をかぶった若い男性。


手を伸ばせばすぐ届くところにいる人たちも、それぞれがまったく違う世界で生きている。


ということは、ひょんなことで、幸せの絶頂から転落したり、逆に、絶望の泥沼から希望の道が開けたりすることも、 至るところで当たり前のように起こっているのかもしれない。
何故なら、私達は毎日のように、違う世界の住人と関係をもつ機会の中に生きているのだから。










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