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僕は引き出しの中が全てだった。なにせ、自力でそこから出る事はできないし、僕以外の誰だってここに来れやしないんだ。唯一引き出しと外を行き来できるのは、虹色の糸を持っているスパイダーくらいのものだ。彼はその糸のおかげでどこにだって行き来できるんだ。僕はスパイダーからいつも外の具合を聞く。仕舞われたポストカードみたいな風景が、外にはあるって彼は言う。鼠以外の生き物がいる事も、彼に教えてもらった。戸棚にはカエルとトカゲが住んでいて、篭の中にはウサギや小鳥が。他にもまだ聞いたような気がしたけど、あんまり覚えていない。 僕にとっては夢見るような毎日だ。灰色の薄暗い世界の中にめくるめく色彩を持った小さな光を僕は知っていた。その事を考えるとあんまり強い感情が僕の中を通り過ぎるので、僕はいつか会うかもしれない誰にも内緒にしておこうと思った。
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「今日、私は鼠をみたよ」 トカゲがほとんど声にならないような声でカエルに向かってそう言った。 「まさか!俺達はずっと何でも見える高台にいるが、この家で鼠なんて一度だってみた事がないぞ!」 「どんな高台にいたって、普段は見えないものもあるさ」 カエルはトカゲとは、正反対といっていい程大きい声で話す。わずかに顔をしかめ、だがトカゲはカエルの方を見ずに独り言のようにつぶやいた。 「引き出しさ。偶然開いていた時にちらとみかけたのさ。まさか引き出しに鼠が住んでいるなんて・・・」 「あそこは蜘蛛の巣じゃあなかったのか」 カエルはスパイダーの虹色の糸を想ってうっとりとした表情をした。あれで洋服を織り上げたら、さぞかし美しいだろう。だが、ガラス扉に映る自分の、原色のまだらの模様の素晴らしさに目をとめると、わずかに満足そうに目を細めた。 「だが、驚くのはそんな事じゃない。鼠なんて生き物としちゃ珍しくもないからな。」 瞬間的に幻想の中にいたカエルは、トカゲの温度のないささやきに現実へと引き戻された。こうなると会話はわずらわしくなってくるものだ。カエルは面倒そうに続きを促した。 「なんだ?まだ何かあるのかい?」 「鼠はオレンジ色をしてたのさ」 そうしてトカゲはようやくカエルの方を向いた。
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ルリリリリ。ルリリ・・・。 この澄んだ音色が小鳥の歌声ということも、スパイダーが教えてくれた。 「キレイだね。僕はあれが生き物の発する事ができる音だなんて信じられないよ。」 だって僕もマネをしてみたんだ。るりりりり。るりり・・・。かん高い、掠れた僕の声は引き出しの壁に吸い込まれるように消えた。似ても似つかない音に僕はとてもガッカリして、鼠と小鳥の違いって何だろう?ってスパイダーに尋ねた。 「違い?違いですって?あなたに足が8本ないのと同じように、わたしには尻尾がない。小鳥の声も同様、小鳥だけのものなのです。そしてそれは、羨む事でもありません」 スパイダーは細い手足を優美に組んで、何故か困ったように笑った。 「だって私達はみんな、始めから同じ所を探す方が難しいではありませんか。」
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誰もが日常は続くものだと信じていた。毎日を生き延びるために支払わなければならない代償があるなんて、思ってもいなかった。おそらく、彼以外は。
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「何はともあれ、この家の中にいる以上私達はファミリーってわけだ。仲良くやっていこうじゃないか。オレンジだからってそれがなんだって言うんだい?」 温度の低い感情を宿らせない瞳で、そうトカゲが言った。 「しかし、引き出しの中なんて不便でしょうに。出てきてあたしの篭に来たら、歓迎するわ。お気に入りのニンジンだって少しくらいならわけてあげてもいいわ」 「俺だって、水の素晴らしさを教えてやれるさ!」 ウサギもカエルも友好的な意見のようだった。ともかく皆新しい住民の発見を喜んでいたから。ただ、鼠と外側の交流はスパイダーの糸によって成り立っているようなものだったので、鼠はそれぞれの心に想像として描かれるのみの存在でしかなかった。 ルリリリリ・・・ルリリリ・・ 小鳥だけが無関心であるかのようにただ歌い続けていた。皆が小鳥の歌を愛していたので会話をやめて耳をすますのだった。
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