暖かくなってきたこともあって、機材ラックの整理について、 今月の11日あたりからずぅーっとあれこれ考えてきたんだけど、 今日でようやく8割方完了。 今度こそ、CASIO VZ-10Mをバリバリつかってやるー。
PSE法について、掲示板で色々と書いたものの、 慣れないことをしたせいで、なんだか肩こっちゃった。
私個人は、PSE法の販売規制下で、 安定的に手に入れられそうな機材だけを使っても、 創作はそれなりにやっていけると思う。 この機材があればこうする、というセオリーは自分の中に確かにあって、 それが曲を特徴付けている場合もあると思っているけれども、 「曲」と「それを演奏する音」という関係は、 一対一で固定化されているものでもないと思うし。 もっとも私は、楽譜に固定化できるような、 はっきりとしたパートばかり使うことが多いから、 そういうことが言えるのかも知れないけどね。
昨日、かな。ありえない夢を見た。 夢の中味が現実離れしている、ということではなく、 その夢を見ること自体が、私にとって意外性が強すぎる、ということ。 ちなんで、私が「ありえない」というフレーズを使ったのは、今まで日記を書いてきて初めて。 それだけ強い意外性を持った夢。
有り体に言えば、「有名人(?)」に恋をする夢。 私は今まで生きてきて、身近でない人間に恋のような憧れを持つこと自体、全く無かった。 それが夢の中では、はっきりと。 しかもなぜその人なのか(どちらかというと好きな部類ではあったんだけど)。 それ以前のこととして、私が「恋愛感情」なるものを、 はっきりとした形でまだ持ち合わせていたこと自体も驚きだよ。
そのせいで、現実世界の私の恋愛感情も、 以前の、カビの生えたような状態から復活しつつあるような。 件のいにしえの恋の束縛から解放されるかもしれないんだけど、結論としては、 「"面倒なことになった"と思いはじめた」。
まーそれはそれとして、 前の金曜日にテレビで「耳をすませば」のアニメ映画をやってたので、久しぶりに見た。 この作品の中のセリフのいくつかは、私の心に残っている。 それが無かったら私が「作曲」をやってなかった可能性もある。 まあ、私の中でそうした重要な意味をもっているかもしれない作品は、 もちろんこれだけじゃないんだけど。
私は最近、Roland D-550というシンセサイザーを手に入れたことで、 「いい音」に関する価値観が結構変わった。 はっきりとこう、というのは言えないんだけど、「無理が通れば道理がひっこむ」みたいな感覚。 それまでにも、音に関して「リアルなのが全てとは思っていない」 と言明してはばからなかったけれども、実感はまだまだ不足だった気がする。
FMシンセ(YAMAHA)、VMシンセ(KAWAI)、iPDシンセ(CASIO)、LAシンセ(Roland)などの、 PCMサンプリングシンセが育つ前のディジタルシンセの、 それぞれの「もてはやされた」系統の音にばかり目がいっていて、 それらがより地味な音を奏でた時の持ち味が、かなり大きいことに、 深く感じ入ったことは無かったのかも知れない。
私は、最近のPCMシンセも、可能性が低い、つまらない、などとは思わないんだけど、 敢えて、前に挙げたような昔のシンセを優先的に使って「無茶」を試みることで、 今まで手に入れられなかった「何か」が獲得できそうな気がしてるんだよね。 まだ漠然とした何か、なんだけど。