Mansun日記第11章 (1998年6月)

MANSUN BIOGRAPHY

《これはインターネットを始めた直後にあっちこっちをのぞき見しては書いてた『英国音楽業界の光と影』という記事からの抜粋です。中味は見ての通り、オフィシャル・サイトにあったバイオグラフィを読んでの感想ですが、初期Mansunの伝記としては最も正確で詳細なものなので、英語が苦手な人にとっては何かの参考になるんじゃないかと。ただし、正確とは言っても、この手の立身出世伝には誇張やホラがつきもので、必ずしもすべてほんとじゃないことはご承知おきください。特に売春婦の話なんて、あまりにおもしろすぎて嘘っぽいなー》

◆ ああ、なんかだんだん地味な気分になってくる。なんか景気いい話ないの? Mansunは?
▲ Mansunですか? えーと、ニュー・アルバムはもう“Six”というタイトルも決まって、10月発売予定だそうだ。今年のGlastonburyへの出演も決まった。それと噂があったB面集は流れたそうだ。
★ そういうんじゃなくてさ、ネットで見つけたおもしろい話とかないの?
◆ 元の名前はGrey Lanternだったというのは?
★ ほんと? だからファースト・アルバムのタイトルがあれだったわけ?
◆ なんでもPink Floydを意識したんだそうだ。それからMansonに変わって、最終的にMansunになったわけ。ブレイク前のMansunの詳しい履歴も載ってる。このDark Mavisという人のバイオグラフィはちょっとすごいよ。このまま本にしてもいいくらい。
▲ 知りたい知りたい!
◆ バンド結成の時、みんなChesterに住んでたんだけど、Andieを除くと、オリジナル・メンバーでChester生まれの人はひとりもいないんだよね。ご存じのようにPaulはLiverpool生まれだし。
● ああ、Liverpoolもやっぱり捨てがたいわ‥‥
◆ Paulはアート・コレッジを、StoveはLiverpool Graphic Arts Collegeを出ているんだけど、Bangor Universityを放り出されたChadが働いていたChesterのパブに、この2人が入り浸っていたのが、オリジナル・メンバーの3人が出会ったきっかけ。
★ しかしPaulとStoveはふたりともグラフィック・デザインをやってたんでしょう? それがなんでバンドやることになったの?
◆ PaulとChadは学生時代、いろんな学生バンドに出入りしてたんだけど、ほとんど遊びで、べつに真剣なものじゃなかったそうだ。一方StoveはMansunに入るまで、楽器なんてさわったこともなかった。よってこの3人はデビューするまでプロのバンド経験なし。Andieだけは小さいころからドラムをやっていたそうだけど。
▲ 信じられないよね。ずぶの素人があれだけ‥‥っていうのは前にもあったけど。
★ EMFがまさにそうだったよね。
◆ もっともPaulは11才の時から曲を書いていたそうだけどね。それでその3人が集まって、バンドを始めたんだけど、あくまで趣味の範囲で、プロになるつもりもなければ、人前で演奏するつもりもなくて、ただ、仕事の憂さ晴らしのため、日曜日にスタジオに集まって練習しているだけだった。ちなみにMansunの曲のほとんどに入っている打ち込みリズムは、ドラマーがいなくてドラム・マシンで練習していたときの名残りなんだって。
● それはEcho & The Bunnymenと同じだな。
★ ドラマーっていちばん人材不足だからね。
◆ それでいちおう4曲入りのデモ・テープは作ったけど、べつにそれをラジオ局とかレコード会社に送ろうとかいう気もなくて、自分で持ってるだけだった。
▲ なんか無気力なやつらだな。
◆ だからもし偶然がなかったら、たぶんMansunは今も日曜バンドのままだったろう。ところが、たまたまLiverpoolのリハーサル・スタジオへ他のバンドを聴きにやってきた某A&Rマンが、そこで練習していたMansunを聞きつけて、テープはないのかとたずねたのがデビューのきっかけ。それでも彼らはテープを渡したがらなかったんだけど、強引に持って帰ったんだそうだ。
▲ なんなんだよ、こいつらは!
◆ そのテープがLondonへ持ち帰られて、A&Rサークルの間にでまわったとき、「史上最大の争奪合戦が始まった」というわけだ。それで国内外のレーベルがどっとMansunの元へ押しかけてきて、契約を迫った。
★ それもEMFのデビュー時みたい!
◆ ただEMFとの違いは、彼らはそれを全部断ってしまったことだね。
● 欲がないっていうのか、なんていうのか(笑)。
★ たしかに変人だとは思ってたけど。
◆ いろいろ賄賂も積まれたんだってさ。金とかドラッグとか女とか。
● 女?!
◆ そう。レコード会社から差し向けられた売春婦がシャンペンもって、Paulの家のドアをノックしたんだそうだけど、彼はそれを見ると、酒だけ取って、女の前でドアをぴしゃりと閉めたんだって。
★ なんで私の好きになる人ってそういう人ばっかり‥‥(笑)
▲ でもありありと想像できる!
◆ でもって彼らはそういう誘いをすべて断って、自費で“Take it Easy Chicken”のシングルを千枚作り、レコード・ショップに卸した。これが1995年の9月のこと。ちなみにAB面とも同じ曲で、それというのも2曲をレコーディングする金がなかったからなんだって。スリーブを作る金もないから、ただ紙にMansonというスタンプを押しただけのものだった。しかしこのシングルは48時間で完売。
★ 今や貴重なコレクターズ・アイテムだね。
◆ ここで初めて営業らしいことをして、このシングルをJohn PeelSteve Lamacqに送ったんだけど、2人とも、この聞いたこともないバンドの自主制作盤を聴いて仰天し、John PeelはすぐにJohn Peel Sessionに出演を依頼してきたし、Steve Lamacqはこれを彼のラジオ番組のシングル・オブ・ザ・ウィークに選んだ。
▲ ああ、それってManicsのデビュー時にそっくり!
◆ そこでいやでもセカンド・シングルを出さなきゃならなくなったんだけど、彼らが選んだのは、できたばっかりのインディーSci Fi Hi Fi。それも正式な契約結んだわけではなかったらしい。《ここの情報はちょっと変で、“Take it Easy Chicken”もSci Fi Hi Fiから出てるから、これはあくまでMansunの自主レーベルだと思う。間違ってたらすまん》 ついでにここまで人前での演奏経験もなし。
★ 普通と逆だよね。普通は地道なギグを続けて、名前が売れ、レコードも出せるのに。
● わざと人と違うことをするのを喜んでるみたいだな。
▲ でもMansunは本来ライブ・バンドというより、レコーディング・バンドだったんだね。
◆ このシングルはインディー・チャートで4位に入った。そこでギグもやらないわけにはいかなくなり、Mansunの初ギグはLiverpoolのLomax clubというところ。これは15分間続いて、最後は観客との乱闘で終わったそうだ。
★ えー! それはMary Chainそのもの!
▲ 人と違うどころか、英国ロックの王道を行ってるじゃありませんか。
◆ というのも、客は新人を冷やかしに集まった地元バンドのメンバーばっかりで、誰もまじめに聴く気なんかなかったらしい。Mansunが初めてまともな大きいギグを体験したのは95年末、彼らのデモを聴いたTim Burgessが、CharlatansのUKツアーのサポートを依頼してきたのだ。
● えー! それも知らなかった。同業者で初めてMansunを認めてくれたのがTimだったなんて!
◆ 私もSuedeかManicsなのかと思ってましたよ。あれだけ礼賛連ねているから。
● Timえらい! 人を見る目があるじゃない。
▲ ていうか、あの人は若いバンドにもよく目配りしてるよ。Suedeもだけど。
◆ というわけで、名前は変に売れちゃったのだが、Mansunはまだレコード契約もなければマネージャーもいなくて一文無しの状態だった。彼らがよく言う「マネージャーもいない、レコード・ディールもないバンドがここまで来た」っていうのは、この頃のことを言ってたんだね。そして1996年1月、「とうとうやむをえない必然に屈して」英国のParlophone RecordsとアメリカのEpicと契約。
▲ メジャーとなんか契約するもんじゃないのに‥‥
★ でもいきなり大メジャーってのはすごいよ。
◆ この契約にあたって、Mansunはいくつか条件を付けた。それは1枚のシングルのプロモーションを念入りにやる代わりに、立て続けに大量のシングルを出すこと、音楽に関してはバンドが絶対の決定権を握り、すべてセルフ・プロデュースにすること、「練習代わりに」できるだけたくさんのツアーを組むことだった。
● 2番目はよくわかるけど、あとの2つはどういうことなのかよくわからないっていうか‥‥
★ ていうか、普通のバンドはなるべく避けたいと思う条件だよね。
▲ たしかに。ノルマ契約は最悪だし、ツアーだってしんどいし。メジャーがバンドを酷使するっていうのはみんなが嘆くけど、これじゃまるで自分で自分の首しめるようなもの‥‥と普通なら思うけど。
★ だいたい、それまでの怠惰さと正反対じゃない。
● なんでなの?
◆ 知るかい。少なくともレコードいっぱい出したり、ギグをいっぱいやれば、衆目は集めるし、名前も売れるけど‥‥
▲ でもそのぶんバンドの消耗も激しい。特にものを作るってのは大変なことなんで、ソングライターがいちばん大変。下手なバンドならそれだけでつぶれる。
◆ ま、それに関してはPaulは自信があったようで、自分でも自慢にしてるわね。とにかくそれがMansunのとった戦略だったのだ。それで鬼のようなシングル攻勢とツアー攻勢が始まる。彼らがしょっちゅう口にしている、初期の御乱行はすべてこの時代の話。
★ それ、具体的に何やったのか知りたかったんだけど。
◆ 何ってお決まりのやつよ。ドラッグや酒におぼれたり、ホテルをぶっこわしたり、PAをぶっこわしたり、観客を殴ったり、警察に捕まったり‥‥
▲ 一通りやったわけね。それもMary Chainみたい。
★ ていうかまるでEMF‥‥
◆ ただ、EMFとの違いは、EMFはそれが最後までやめられなかったのに対して、Mansunは途中で「これではいけない」と悟って、すべてきっぱりやめたことね。たまたま前座をつとめたCastのマネージャーと契約を結んで、この人が歯止めになってくれたみたい。
★ そういう人がEMFにはいなかったんだよなー。
● ていうか、Mansunがそういうことやってたってほうが信じられない。ものすごくクールで理知的じゃない。なんでそんなになっちゃったんだろ?
◆ とにかく何もかも初めての経験なんで、自分でもどうしていいのかわからなかったみたい。
▲ ああ、それはまたMary Chainそっくり! そういやシンデレラ・ボーイズっていうところも、Mary ChainやEMFとそっくりだよね。
★ でもあの人たちと違って、田舎者じゃないぶん、立ち直りも早かったと。
▲ べつに田舎者じゃなくても同じだと思うな。成功は人を狂わせるってのは。
● でもまだMansunはそこまでも行ってなかったんだよ。1位になって狂うっていうんならわかるけど。
◆ それが彼らの言う、「人が5年かけてやることを半年でやってしまった」ということなんだよ。それでデビューアルバム“Grey Lantern”がいきなり1位になってからは、皆さんもご存じの通り。
★ 確かに景気のいい話だけど、でもこの人たちだって明日はわからないからねえ。
▲ 縁起でもないことを!
★ だってそういう人が多すぎるんだもん。
◆ あんたね、私が“Grey Lantern”のリビューで「伝説の誕生」とまでうたいあげたのはなんでだと思う? Mansunこそ永遠に語り継がれ、愛され続ける伝説のバンドになるという確信があるからこそじゃないか。あのときはNo.1になったなんて夢にも知らなかったんだよ。
● MMの表紙にそう書いてあったのに。
◆ それはただ最高って意味かと思ったのだ。間違いなく、Mansunは次代の英国ロック界を担うバンドになる。
▲ それにPaul Draperって絶対へこたれないタイプだと思うな。自信も自覚も十分だし。そういうところBrettに似てるかもしれない。
◆ そうそう。あのBernard脱退とSuedeバッシングの嵐の中でも、私はこの人は絶対立ち直って、世間を見返してくれると信じてたもんね。
● 確かに最近、どん底状態の私と★に対して、◆▲の支持するバンドは大当たりするというジンクスもあるしね。
◆ どん底って言うけれど、★はMary Chainが復帰したし、●はLotus EatersやFrazier Chorusがまだあることがわかったし、いいことずくめじゃない。
▲ StrangeloveとEMFの解散は惜しんでもあまりあるが。
◆ でももう春なのよ! 夏はそこまで来ているのよ。♪ラララ〜
★ というわけで、なんだかわけがわからないうちに盛り上がって終わり。