通学風景 -Novel- novels by 笹木 一弥



「ジリリリリ… 」

目覚ましが鳴り、僕は飛び起きた。以前の僕なら1個の目覚ましじゃ足りず、

5個の目覚ましをセットした上で、母親の蹴りまで食らわなければ起きられなかった。

それがどうして、こんなにもすっきりと起きられるようになったのか、

それにはちょっとした秘密がある。



僕は、橋本和宏。ごく普通の高校2年生だ。電車で一駅のところにある

県立高校に通っている。小さい頃から低血圧で寝起きの悪かった僕にとって、

この一駅の電車通学はまさに地獄。入学した時からしょっちゅう遅刻を繰り返していた。



ある春の日、僕は友人にノートを写させてもらおうと、奇跡的に早く家を出た。

僕にとっては奇跡的な時間だけれど、他の人にとってはごく通常の時間、

僕は通勤ラッシュの電車に死にそうになっていた。少しでも新鮮な空気が吸いたいと、

場所を移動していくうちに、ついに一番奥まで入り込んでしまった。



そこに、女神がいたんだ。


彼女は、僕より1?2歳年下に見えた。右手で吊革につかまりながら、左手で本を持って

器用にページをめくっていた。まるで本の中に飲み込まれてしまったかのように、

電車の揺れもものともせず、一心不乱に本を読み続けていた。彼女の本には

きっと手製だろう布のカバーがかけられていて、タイトルはわからなかったが、

彼女の表情からその本には相当楽しいストーリーが書かれているんじゃないかと思った。



僕は、その笑顔にひきこまれた。


今までラッシュに悲鳴を上げていたのが嘘のように、僕はその日の通学時間を楽しんだ。

1秒でも長く、この時間が続かないかと願った。しかし正確なダイヤは無情にも僕を

次の駅へと運んだ。彼女に降りる様子はなく、僕は後ろ髪を引かれる思いで電車を降りた。

すぐに振り返ったけれど、人垣の向こうに、彼女の姿を見ることは出来なかった。

その時僕は、 「明日もこの電車に乗ろう」 と心に決めた。