BOOKS(書評・感想)
バッハからの贈り物 鈴木雅明 加藤浩子 著 大学講師加藤浩子さんのインタビューにBCJの鈴木雅明さんが答える形式で書かれている。バッハの生涯をたどり、具体的な作品を紹介し、楽譜も示しながらインタビューが繰り広げられる。途中にBCJのリハーサル風景がそのままシナリオのように再現されていて興味深い。後半には鈴木氏のバッハに対する思い、キリスト者としての思いが語られている。そしてわれらが青木洋也先生のことも期待されるカウンターテナーとして紹介されている。 では印象に残ったいくつかの鈴木氏の言葉を紹介しようと思う。 ♪バッハの音楽は乾いているものにしみこんで行く力がある。 キリスト教のことを少しは知らなくては、バッハ理解はできないという人もいますが、"知る"かどうかではなく、問題は"信じる"かどうかだけです。そもそも問題は知識ではないんです。クリスチャンでない人がキリスト教を理解する必要はない。 "理解する"のは知識ですることではない。 ******************************** 「聴衆と共にバッハを語り、共に感動し、共に神を仰ぎ見ることができれば、これに優る喜びはありません。」
♪バッハは音楽の感覚が血の中に染み込んでいる。土着的で、地に足がついている。センチメンタルではな これは日本人にはない側面。感傷というものはもろい。悲しみはもろさとは違う。バッハは"死"というものに対してきちんと向き合っている。
♪バッハの音楽は器械体操のようなものではなく、もっと即興的で自由奔放なもの。
♪連れ去られる颯爽感と引き込まれる感覚がある(フーガの部分など)。連れ去られた先には濃密で深い世界がある。
♪バッハが語りかけてくれることは、信仰者であろうとなかろうと、一人一人に別の事であってバッハの演奏によって何が引き起こされるかわからない。…・・ それは演奏が素晴らしかったからとか音楽が素晴らしかったからというものでもない。そこに神がはたらいていたからにすぎない。
♪人間だから完全に仕上がったという瞬間はない。本当に練習を重ねてこそ充実した音楽ができるわけだが、どんどん毎日変わっていくものでもある。新しい発見がどんどん出てきて、飽きることがない。
♪演奏は生身のもの。音楽そのものが生きている。作品というものは仕上がったものではない。
♪ドイツ語は拍節感、強弱がある言語。ラテン語はなめらか。小節線も必要ない。
♪ドイツ語圏の宗教改革派たちにとって、言葉に対する信頼は非常に強かった。「神の言葉は生きてあなたの骨の髄をわけるまでに貫くであろう」言葉とは即ち神から出る言葉であり、生きて働くものであった。
♪指揮のテックニックは備わっていたほうがいいと思うが、指揮というものは習うべきものなのかどうかわからない。音楽が確たるものとして自分の中に形作られることが大事であると気づいた。指揮など習ったことはない。いきなり始めた。
♪BCJの演奏はタイミングや音程がよく合っている。ピタッと合うことは気持ちがいい。BCJのメンバーは音程とタイミングに関しては、非常に敏感だし厳密。 みんなが自由奔放にやったらバッハではなくなってしまう。これは束縛することではない。だけど自在感は大切なこと。みんなの自由な演奏志向こそ統一的な強い意志を生み出す。結局バランスの問題。
♪音楽というものは"可能性の束"
♪BCJの演奏はリヒターやフルトヴェングラーの演奏を抜きにしてはありえない。
♪「バッハを理解するためにはキリスト教の信仰が必要か」と問われたら、ぼくの立場からは「是非とも必要です」と応えるしかないんですね。ぼく自身のバッハ理解を自分の口から言う以上、ぼくはキリスト教の立場でものを見ていますからね。だからバッハはこうですという一つの像があるとして、その同じ像を共有したいと思ったら、キリスト教という点を共有しないではありえないんです。
という鈴木氏の実に真摯な熱い思いが語られた読み応えのある本でした。
リハーサルでは私たちと同じようなことを鈴木氏に指摘されるBCJのメンバー。
「あ、同じこと言われてる」なんて・・・レベルは違うんですけど、こんな感想をもってほくそえんだ私でありました。(MK)