友との別れ

俺の友達に泳ぎが出来ない友達のRがいた。小学校・中学校と同じ学び舎で、下校時に
もそいつの家に遊びに行きテレビゲームをして遊んだものだ。また、中学校に入ると
同時に違う友達のGが出来て、3人でカラオケや、ゲームセンターで対戦ゲームに
熱中したものだ。俺達3人は仲が良くて家族で付き合うほど仲が良くなっていった。

 中学校の思い出の中には、その友達と遊んだ事、生徒会の事が今でも鮮明に思い出せる。
夏の体育の時間、必ず友達のRは見学していた。ところが2学期の終了直前、友達のRは
いきなり海水パンツに着替えて水泳の授業に参加したのだ。相変わらず泳ぎが出来ない。
10mも泳ぐとすぐに、水中で立ってしまい5m位歩いてから泳ぎ出す。そんな事を
繰り返して2学期が終了した。

明日から夏休み。「今年の夏はヤッパリ海にでも行きたいよな〜」と友達のRの家で
話をしていた。俺たちが住んでいる県には海が無いからである。そこに突然Rの父親が
現れて、「じゃー今度の日曜日にでもみんなで海水浴に行こう」と唐突に言い放ったのだ。
コレには俺と友達のGが面食らった。友達のRは泳ぎが全然出来ないのに「海水浴など
行ける訳が無い」と俺は思っていたからだ。勿論Gも同じだった。Rの家を出てGと
一緒に帰りながら「R泳ぎ出来ないのに海水浴行って大丈夫なのかな?」「おやっさん
が一緒だから大丈夫だよ」などと話をしながら自転車をゆっくり走らせていた。しかし
不安は解消出来なかった。その気持ちはGも同じだった。「今度の日曜日まで5日有る
からプールで練習しよう。10mしか泳げないRじゃ真っ黒焦げで帰って来るのが落ち
だぜ」等とはなして帰宅した。

翌朝、といっても正午過ぎだったがRとGから電話が掛かってきて「何やってるんだよ!
もうお昼過ぎてるぞ!」お叱りの電話だった。正直に言って5日で泳ぎが出来るほど簡単
ではない事が解っているからだ。でもRがやる気を出している以上行かないわけには
いかない。海水パンツを慌てて用意してRの家に向いRとGと合流してプールに
向つった。Rは相変わらず泳ぎが出来ない。息継ぎが全然上手くいく手足が上手に
動かない。「もっとリズミカルに!」俺が檄を飛ばす。Gは自分で泳いでいて全然Rの
面倒を見ようとしない。時々プールの渕に上がっては「どう?R上達した?」と
聞くだけだった。日曜日まで残す所あと2日。全然上達しないRに俺も呆れ返っていた。
「もーどうにでもなれ!」半分諦めの気持ちでプールに通い詰めていたのだ。

日曜日当日、5時にRの家に集合して海水浴に出発した。最低最悪の日曜日の始まり
であるとこの時誰が予想しただろうか。

俺は全然眠れずに当日を向え、行きの車中では爆睡していた。Gも同じだった。
3時間後海水浴場に到着して、海の家でRのおばちゃんが作ったおにぎりを食べて
いよいよ海水浴の開始である。天気は快晴、水温はとても温かく海水浴日和である。
午前中は多少頭がモウロウとしていた事とRが泳げないので、浅瀬でゆっくり遊んでいた。
しかし午後になると頭もシッカリしてきて「せっかくの海だチョット泳ごう」と俺と
Gで話をしていた。そして遠くのVの所まで泳いでいた。それがソモソモノ間違い
であった。俺とGがVまで往復している。その状態をRは只、見ているしかなかった。
しかしあまりにも俺とGが簡単に泳いで帰って来るのを見ていて、Rも泳げると錯覚を
したのだろう。なんと俺たちの後を着いて来てしまったのだ。当然泳げる訳が無く慌てて
引き返す。俺とGが砂浜で休憩をしていたところ、Rが見当たらない。「家族の方で
泳いでいるのだろう」俺は思っていたし、Gも同じ事を考えていた。突然ライフセーバーの
人達が海水浴場の中に飛び込んでいった。「誰かが溺れたらしい」悪夢が脳裏を過ぎる。
2人で「まさか!」と思いながら引き上げられてきた人の顔を見た。悪夢が的中した!
友達のRである。しかも意識が無い。俺が慌てておやっさんを呼びに行く。しかし広い
海水浴場と気が動転しながら訳が解らず叫んでいた。「おやっさん!おやっさーん!」
何回叫んだだろう。声が枯れるまで叫び続けながら走った。皆俺のほうを振り向く。
恥ずかしいという気持ちなんか微塵も感じなかった。Rの命が掛かっているのだ。
おやっさんは声が枯れてから直に見つかった。その頃救急車のサイレンが聞え始めたのだ。
Rの家族と俺は海水パンツのままライフセーバーの人に聞いて、病院に向つった。
「Gが付いているから大丈夫だ」「頼むから死なないでくれ!」俺は心の中で叫び
続けた。Rのおばちゃんは泣きじゃくっている。Rの妹は只呆然としていて何が起きたか
解らない状態である。ただ、おやっさんは全くひるむ事無く病院まで運転していた。
病院に到着した。救急車の赤い回転灯がまだ回っている。直に病院の中に駆け込み先生に
話を聞いた。肺に水が入っていて呼吸していない状態だったらしい。しかし、
ライフセーバーの人が肺から水をだして、マウストゥマウスの人工呼吸を施した為一命は
取り留めた。但し、「意識が未だ戻っていない」先生から話された時愕然とした。
「何て事をやっちまったんだ!」友達のGは放心状態で何を話しても上の空で話しに
ならない。しかしおやっさんは違っていた。「Rは助かるのですか、助からないのですか」
先生に話を聞いている。俺はいつも冗談ばっかり話しているおやっさんと全然違う
おやっさんだった事に驚いた事を覚えている。
「命には別状は無い」先生が言い放った瞬間、おやっさんのビンタが俺とGの顔に入った。
その後に「シッカリしろ!」とだけ言われた。俺は全く意味が解らなかった。Gも同じだった。
「Rを溺れさせた事で叱られているのか」と思った。しかし、おやっさんは「オイ、
何死んだような顔しているんだ?シャキっとしろ!シャキっと!Rは命には何ら問題は無い。
それより、お前達の方が心配だ。Rが死んだとでも思ったか」なんて笑い顔を作りながら
話している。その笑顔はいつものおやっさんの笑顔だった。冗談交じりのいつものおやっさん。
「何で。何で!俺等が目を離したからRは。Rは!」と俺は枯れた声で叫んだ。
「確かにお前達が目を離したのは駄目だった。しかし、Rは生きている。もうすぐ意識も戻る」
おやっさんが話した。俺とGは涙が止まらなかった。そして、時間では1時間後、しかし
俺にとってはその1時間が何日も経っているかの様に思えた。Rが意識を取り戻したのだ。すぐに
ベッドに寄り添う。Rは多少咳をしながら、「何で病院にいるの」第一声だった。その後
おばちゃんが涙を出しながら泣いていた。色々とRと話をしている内に、「俺とGが見えなく
なったのでVの所まで行っていると思って追いかけたのだけれども全然足の着かない所でモガイテ
いたら波にのまれて意識が無くなった。」と言われた。ショックだった。俺とGは其れからRに
対しての友達の意識が何か違うものになった。今まで以上にもっと深い繋がりが出来た瞬間だった。
Rは2日後退院して地元に戻ってきて、真っ先にGを誘って遊びに行った。おばちゃんが暖かく
出迎えてくれて嬉しかった。しかし、海水浴から帰ってきて俺はオヤジと3時間話す事になった。
おやっさんよりも厳しかった。人、一人の命の問題。友達との問題。色々教わった。
友達が二度とそんな目に会うことも嫌だし遭わせたくない。この出来事が俺の人生の考え方が
身に付いたきっかけになったのだと今でも思う。

その後も俺達は暇を見つけてはゲームをしたり、漫画をRの家に読みに行ったり3人で
カラオケに行ったり、ホトンド3人で行動する事が日課みたいな物になっていた。

時が過ぎて俺達も高校に進学する事になり、俺・R・Gそれぞれが違う学校に進学
する事になった。しかし高校1年多感な時期である。カラオケ好きな俺達はRが
「ギターを始めたい」と話し始めので、俺は中学の頃からバンドを組んでいて多少の知識
とギターを「売りたい」と言う友達も居たので、俺がRのギターの世話をした。
Gは元々ルックスが良く歌も上手だったので「Gがヴォーカル。Rがギターで俺がドラムだな」
とRの家に集まってはそんな話をしていた。当時俺達はそれぞれ、好きなアーティスト
が違っていたので音楽の質が異なっていた。俺が好んで聞いていたのが「
THE BLUE HEARTS
Rが好んで聞いていたのが「
BOOWY」Gが好んで聞いていたのが「米米CLUB」だった。
必然的にコピーするアーティストも決まってくる。しかし、俺達は「やりたい曲をそれぞれが
話し合ってそして1人2曲持ち合って、取り合ず6曲コピーしよう」という事になった。

俺はその頃バンドに燃えていて高校の友達と1組、中学の時の違う友達と1組、
そしてメインとなる「
THE BLUE HEARTS」が好きで集まったメンバーと組んで、
3バンドとRとGと俺と仲良し3人組のバンドと、とてもバンド活動で忙しかった
時期だった。そして、自宅がある果物を手広く作っていたので冬に剪定という
作業をオヤジと一緒に手伝っていた。バンド活動の為のアルバイトである。剪定作業は
冬の寒い時期に行う。広葉樹の葉が落ちた所で果実を実らせる為に不必要の枝を落とす
のである。北風が強い日は帰りにオヤジと一緒に温泉に入ってから帰ってくる事がとても
楽しみだった。

そんな時期が続いて高校2年生の冬休み1月9日だった。俺は最後の休みの日をRの家で
過していた。
ギターが上手になっていたRには驚いた。Gはアルバイトで来られなかったが、本当に
上手になったギターが印象に残っている。冬の日が暮れるのは早い。俺はRの家を出る時に
「R。また遊びに来るからな!またって言うのは明日かも知れないし、ずぅっと来ないかもな!
わははは」そんな他愛もない何気無く話した言葉がRと交わす最後の言葉だった。

1月17日俺はオヤジと一緒に鼻水を垂らしながら下ろし風が吹き荒れる中アルバイトを
していた。その日は北風が思った以上に寒くそして冷たかった。しかし、オヤジと俺は日が
暮れるまで剪定作業に精を出した。暗くなって茜色に染まる夕日を見ながら入る温泉が
たまらなく好きだからだ。体の心まで冷え切り、疲れきった体に暖かく最初は熱い露天風呂温泉に
漬かり、帰りにソバを食べて帰る。オヤジと俺の密やかな楽しみだ。自宅に帰って20時からの
大河ドラマをオヤジと見て21時からの映画を見、そして寝る。その日も予定通り進むと思っていた。
自宅に帰った瞬間オフクロから「Rが亡くなった」耳を疑った。当時俺は免許を所持していなかった
ので、通学用に使っていた自転車でRの家に向つった。自慢であるが、当時俺は友達が運転していた
原付バイクを追い越す位の脚力を持っていた。その原付バイクを追い越した時以上の速さでRの
自宅に向つって自転車を運転した。家に到着した時には息を切らして肩が上下に動いていた。
玄関をまたいでリビング、茶の間に入った瞬間、全身から力が抜けた。茶の間の奥に床の間が
有るのだが、其処に薄い敷き布団に頭を北に向け、掛け布団の上には刀が置かれたRの姿が
あった。顔には白い布が被されている。

交通事故だった。前日ミゾレが降った為、おばちゃんが学校まで送迎していて、その帰宅途中に
タンクローリーに突っ込まれたらしい。ウォークマンを聞いていたRはそのテープの入った入れ物が
「くの字」曲がるほどの衝撃だったらしい。友達の中では俺がは遅く駆けつけたらしい。Gに連絡して
「Rが死んだ。今から行くから用意していてくれ。俺とGとR」訳のわからない言葉を並べていたらしい。
その事すら全く記憶に無い。Gの家に到着してRの家に向っている時Gが「バンド組めなくなって
しまったな。」俺は何も話せなかった。
1週間前Rのギターが上手になったからそろそろGと一緒に課題曲を始めようかと思った矢先
だったからだ。近くの酒屋でワンカップを3個購入して1個はRの墓前、1個はG、最後の1個を
俺が飲んだ。初めて自分で酒を購入して飲んだ酒が親友の死に対しての酒だった。味なんて感じ
取れなかった。ただただ、涙しか出てこなかった。

翌日、Gと一緒にRの家に線香を上げに行った。到着した時にいつもは冗談ばかり話している
おやっさんの姿があった。Rが海で溺れた時も気丈に振舞っていたおやっさんが、「よーおまえら」
とても元気が無い。肩をガックリと落として生気を搾り取られた人見たいにみえた。その後に
「R居なくなちゃったよ…」何も話す言葉が見つからなかった。線香を供えるために家に上がった
ときにおやっさんが泣いていた。右手で目を覆いながら肩を引く付かせながら、小刻みに見える
おやっさんの肩。見ている俺とGも涙が出そうだったが、俺は堪えた。自分の中で「未だ泣けねー」
と思っていたからだ。亡くなって2日目だから、
Rの通学していた友達が来ていた。主の居なくなったRの部屋で俺の全く知らない人間が笑い声を
飛ばしていた。俺は訳も解らずその高校の人間に「お前ら!帰れ!」と怒鳴っていた。腹が
立っていた。友を亡くした悲しみ。その悲しみの中笑っている人間を許せなかった。Rの
同級生達と喧嘩寸前になってGが止めに入った「いいかげんにしてくれよ!お前もお前だよ!
こいつ等はRの高校の友達だぜ!同じ友達じゃないか!」それでも俺は許す事が出来なかった。
Gの言葉の意味はよく理解できた。しかし、俺の心の中の苛立ちを、親友が居なくなった悲しみを、
その苦しさから逃れたかったのだ。続々とRの部屋の人たちが帰って行く。残ったのは俺とGと
近所の中学校からの友達が数名。台所から1升瓶を持ってきて昨夜同様飲み始めた。
もうRは棺の中に入っている。顔に白い布も被されていない。最後の見守り役として
俺とG、そして何も喋る事の出来なくなったR、3人で最後の夜を明かした。Rの顔を
はじめて見た俺は涙が止まらなかった。Gも同じだった。涙ながらにRに向って「バカヤロー、
ふざけるな、」等の卑劣な言葉を浴びせた。しかしもうRには聞えないのだろう…
気が付いた時には東の空が紫色に染まっていて、その紫色は徐々に暁色に変化し、
結露の出来た窓から黄色い太陽が顔をだした。

世間一般で普通の日であった為、俺は一度自宅に戻り学生服に身を包み学校へと登校した。
しかし明け方まで日本酒を飲んでいたのである。酒臭くない、訳が無い。学校に登校して
直に出欠の確認がある。その時に「先生。今日は友達の葬式と気分が悪いので早退します。」
朝のホームルームが終わって直に早退した。1分でもRの側に居たかったのだ。自宅に戻る時に
「そういえばココ3日、全然寝ていないな」とか思ったら急に眠気が襲ってきた。わずか7分
くらいの中で中学校の時のRが海に溺れた思い出が蘇った。そして、告別式。俺とGだけが
友達として家の中で正座をしながら参列した。怒鳴り散らした高校の人達は外で待機している。
読経が始まり、そして最後の別れ。俺とGが出した生花の花を散りばめた棺。俺も花を手向けた。
もう涙が止まらず釘を刺す前に家の外に出て大泣きしていた。Gは俺の隣まで来て
俺の肩を思いっきり叩いた。「さー最後だ!お前の姿Rに見せてやれ!」俺は大泣きしながら、
思いっきり叫んだ「R!さよなら!」Rを載せた黒い車がクラクションを響かせ走り去って行く。
骨は拾いに行かなかった。その間Rの部屋で俺が世話したギターを弾いてGが歌を歌った。俺の
ギターはそんなに上手な訳ではない。Rが弾いていたギター、Gがヴォーカル、俺がドラム…
永遠に組む事の出来なくなったバンドを夢見ながら、約3時間後おやっさんの両手に乗るくらいに
軽くなったRが帰ってきた。俺とGはおやっさんに「俺達今でもRの友達だし居なくなっても
Rのおやっさんは、俺達のおやっさんだよ!」と話して帰宅した。

その日は3日間ホトンド寝ていなかった為何にも食べずに、そのままベッドに横になった。
その夢の中プールサイドに俺が居てGが勝手に泳いでいてRが相変わらず息継ぎが出来ないで
もがいている。そして疲れてだろうか、どうしただか解らないがGが俺の隣に来て、
Rも疲れてだろう泳ぎを止めて上がって来た。そしてRが俺とGに向って「よ!今まで
ありがとうね。先に行って待っているよ」そして今までプールだった所がいきなり海に変わって
いてRがそれはもう綺麗なクロール自由形で遠く彼方に消えていった…

そんな事を思い浮かべながらバンド活動をしていた時に更に追い討ちが俺を襲った。
3人で遊んでいたGの訃報が俺の元に入った。ヤハリ交通事故だった。バイトの帰りに
路面が見ずらい所での立体交差進入を間違えて真ん中の上下の点滅信号に激突。即死
だったらしい。その後3人で良く通ったカラオケ屋も閉店してしまって、俺等の思いでは
俺の心の中で、Rが死んだ時のGとのギターヴォーカルセッションと、「今度遊びに来るからな。
今度っていうのは明日かも知れないし、ずーっと来ないかも知れないよ!」この言葉である。

俺にとっては決して忘れられない出来事。命の尊さ、友達の死そして其れを
思い出させる曲。親友の2人が見守ってくれているから俺はもっと強くそして、
友の分まで生きようと思う。

宮崎アニメの「紅の豚」が上映された。そして、ビデオ販売も決定して俺は
即座に購入した。改めて「紅の豚」をしみじみ見ていた。映画館で見たときは
感じなかったけれども、最後、ポルコ
=ロッソがカーチスとの闘いの後フィオの
語りに入ってから流れるエンディングテーマ「時には昔の話を」という曲が
流れるのである。其処の曲だけを聴いて俺は大泣きした。Rが亡くなって、
その10ケ月後にGも居なくなって。その時に聞いた曲の歌詞を載せます。

 

 時には昔の話を 歌=加藤登紀子

時には昔の話をしようか 通いなれたなじみのあの店

マロニエの並木が窓辺に見えてた

コーヒーを一杯で一日

見えない明日をむやみにさがして誰もが希望をたくした

ゆれていた時代の熱い風に吹かれて

体中で瞬間(とき)を感じた そうだね

 

道端で眠ったこともあったね

どこにも行けないみんなで

お金はなくてもなんとか生きてた

貧しさが明日をはこんだ

小さな下宿屋にいく人もおしかけ朝まで騒いで眠った

嵐のように毎日が燃えていた

息がきれるまで走った そうだね

 

一枚残った写真をごらんよ

ひげづらの男が君だね

どこにいるのか今ではわからない

友達もいく人かいるけど

あの日のすべてが空しいものだとそれは誰にも言えない

今でも同じように見果てぬ夢を描いて

走りつづけているよね どこかで

 

さて、Rが亡くなって9年が経ちます。そしてGが
居なくなって8年…俺にとってはその間、歩いてきた
道は「ドウだったのか」毎年この時期になると考えます。
そして、「俺には違う友達が出来たぜ」「そっちの世界
はどうだい?」等と決まって位牌・遺影の前で語り掛け
ます。Rはいつも同じ笑顔で、そう9年前の、あの同じ
笑顔で俺を迎えてくれます。おばちゃんも、元気になり
俺を暖かく迎えてくれます。そう…昔のままの同じあの、
暖かさで…

ちょうど今日1月17日がRの命日に当たります。
「本当に9年も経ったのだな」と云う気持ちと
「俺の中でRは未だに生きている。そしてGも」
冬の寒い時期になってミゾレが降ると否が応でも思い出す
あの出来事…「もう誰にも悲しい思いはさせてたくないし、
してもらいたくない。」9年間経った今でこそ思える愚直な
までの気持ちです。

俺の目の前で苦しんでいる友達や仲間がいれば、苦しみを
変わる事は出来ないけど手を差し伸べる事は出来る。それが
お節介と言われようと。その差し伸べた手を握り締めるのは
他ならぬ差し伸べられた、相手なのである。

俺は思う…自分が居る事でその辛さや苦しみ、思いを互いに
解り合って行けば。少しは、その苦しみが俺が居る事で小さく
なるのなら…何らかの役に立てれば…そう思って居る。9年前
の自分のあの辛さ・切なさ。誰にも味わってもらいたくない。
違う形で友達の役に立ちたい。

そう…上の世界で見守っているR・Gに出会ったときに、
「やっぱりお前らしかったよな〜」って言われる様に…
             2002年1月17日 作



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