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20040825(水) 三位決定戦:長嶋JAPAN×カナダ&巨×中 第二戦@東京ドーム
本日は、
長嶋JAPAN×カナダ戦
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清原情報
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巨×中 第二戦
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近×西 第三戦
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高井、今季初勝利!
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合併問題
をお送りします。
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和田毅「プロの意地を」−3位決定戦先発登板
> 金メダルの夢を絶たれた日本チーム。25日の3位決定戦に先発登板する和田毅と城島のダイエー・バッテリーらが、ナイターで行われた準決勝第2試合を観戦し、銅メダルをかけて戦う相手の戦いぶりを研究した。試合はキューバが勝ち3位決定戦の相手はカナダに決定。カナダには1次リーグ(20日)で9−1と快勝したが、この日は八回表までリードするなどキューバを最後まで苦しめ、油断できない試合になりそうだ。
> カナダ戦で7回無失点と好投した和田毅は「プロの意地があるし、勝って(五輪を)終わりたい。持ち味を出していくしかない」と意気込んでいた。(共同)
頼むぞ!和田投手!(o゚▽゚)o!
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笑顔と涙と、長嶋ジャパン晴れやかな銅
> 長嶋ジャパンが銅メダルで幕を下ろした。野球3位決定戦で日本はカナダと対戦し11−2で快勝。目標の優勝はならなかったが、日本選手団として84年ロサンゼルス大会の32個を抜いて五輪史上最多となる33個目のメダル獲得を果たし、有終の美を飾った。日本国内で脳梗塞(こうそく)のリハビリを続ける長嶋茂雄監督(68)の夢を乗せた“ドリームチーム”は、今大会限りで解散。日本球界は08年北京五輪に向け、新たな歩みを始める。
> ◇
> 完結した。長嶋ジャパン24戦士が刻み続けたアテネ物語。結果は銅メダルだった。だが、下を向く者は誰1人としていなかった。8月25日午後2時20分、晴天。緑の天然芝の上で、ともに抱き合い、ともに泣いた。
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> 「最高の形で終わることができました。結果はついてこなかったけれど、精いっぱいやった。前回は悔し涙だったけど、今回はうれしさも入っていると思う。前回とは違う涙です」
> vb > 赤く目を腫らした松坂(西武)は、胸にこみ上げた4年間の思いを一気に吐露した。前回シドニー大会では3位決定戦の韓国戦で負け投手。メダルの夢を閉ざされ、1人涙した。あれから4年。「リベンジじゃない。成長した自分を見てほしい」。17日のキューバ戦で五輪初勝利。敗れはしたが、準決勝の豪州戦でも粘りの投球を見せた。平成の怪物は、2度目の大舞台でさらなる進化を遂げた。
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> 長嶋監督の下、史上初めて実現したプロ単独の“ドリームチーム”。誰もが勝つのが当然と考える中、見えない呪縛(じゅばく)、襲い掛かる重圧…。3人のコーチ陣は常に胃薬を服用した。環境の違いから岩隈(近鉄)、金子(日本ハム)らが風邪で次々とダウンした。底を付くテーピングと湿布薬…。それでも、満身創痍(そうい)の選手たちは、誰もグチをこぼさなかった。『フォア・ザ・フラッグ』は、24戦士の心の支えだった。
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> 準決勝で痛恨の敗戦を喫し、日本中が待ち望んでいた金メダルを逃した前夜、病と戦う長嶋監督から檄文(げきぶん)が届けられた。『勝っておごらず、負けて腐らず。諸君たちのためのオリンピックだったと思うために有終の美を飾ってください』。松坂は言った。「監督のメッセージでチームが一つになれた。違う結果で報告したかったけど、精いっぱいやったと分かってくれると思う」。
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> 4年前のシドニーで号泣した中村(近鉄)は、宮本(ヤクルト)と抱き合い喜びを爆発させた。「4年間は長かった。金に等しい銅です。完全燃焼しました」。五輪用に打撃を改造するなど、メダルへの執着心を持ち続けたノリも、長嶋監督の使命を帯びた『伝道師』の1人だった。
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> 3位決定戦ではカナダを13安打11得点で粉砕した。「これがアピールできる最後の舞台。単なる3位決定戦じゃない!」。試合前のバスで主将の宮本は大声で訴えた。残されたプロの意地、日本代表としての誇りを身体の奥から搾り出した。
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> 満願成就は果たせなかった。だが、日本で一戦を見守った長嶋監督は、ベンチにかけられた背番号「3」のユニホームにナインが触れるのを見て目を細め、試合後は「私の中には金メダル以上のものがいくつかあります」と最大級の賛辞を贈った。ありがとう、長嶋ジャパン。夢がある限り、人はさらに大きく成長するから…。
> (山田貴史)
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> ★長嶋監督のメッセージ
> アテネでの長い戦い、本当にお疲れさまでした。けが人も多数出ていると聞いています。みんなボロボロになるまで、よく戦い抜いてくれた。きのう(24日)の負けを引きずらず、きょう(25日)有終の美を飾れたことは、諸君たちの精神力の高さの証明です。この精神は、日本のファンの方たちが見ていました。
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> 今大会、私の中には金メダル以上のものがいくつかあります。
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> キューバに勝ち、日本プロ野球のレベルの高さを世界に示せたこと。日本のファンの方たちが野球というスポーツを通じて一喜一憂したこと。チーム間の壁を超えて本当に一つにまとまってくれたこと。そして一番は、諸君たちが得たものです。これは誰もが得られるものではありません。諸君たちは今回、アテネで得たものを決して忘れてはなりません。
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> 野球というスポーツの楽しさを再認識してくれたファンもたくさんいることでしょう。日本へは胸を張って帰ってきてください。本当によくやってくれた。
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> 最後に今回、私はアテネに行くことはできませんでしたが、日本チームを応援していただいた、たくさんのファンの皆様、応援ありがとうございました。また、日本チームを陰から支えてくれたスタッフの皆様、お疲れさまでした。感謝しております。
> (カナダ戦後、長男の一茂氏が代筆し、代表宿舎にファクスで送った)
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> ★打ちまくった宮本、主将の喜び
> 1次リーグで打率.517を誇った主将の宮本(ヤクルト)は、この日も2安打を放ち、銅メダル獲得に貢献した。「金メダルを狙いたかったし、十分狙えるメンバーでしたが(試合前に)責任を全うしようとみんなで話したんです」。主将として重圧も受けたが「このメンバーの中でキャプテンをやれる喜びもあった」と振り返った。
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> ★谷は夫婦メダル
> 谷(オリックス)が、柔道女子48キロ級優勝の妻・亮子(トヨタ自動車)とともに五輪史上3組目の夫婦メダルに輝いた。24日の豪州戦で右足首をねんざし、この日の3位決定戦を欠場。ベンチで敗戦を見守り「負けたらプラスにならない。悔しさだけが残る。満足はできない」と心情を吐露した。また、すでに帰国した亮子は、福岡市内で「一生の思い出。夫にはお疲れさまといいたい」と話した。
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> データBOX
> ▼野球が獲得した銅メダルで、今大会における日本の総メダル数が33個(金15、銀8、銅10)に到達。84年ロサンゼルス大会の32個(金10、銀8、銅14)を抜いて歴代1位に躍り出た。
> ▼メダル別では、金15個は64年東京大会の16個に次ぐ2位、銀8個は56年メルボルン大会の10個に次ぐ2位タイ、銅10個は84年ロサンゼルス大会の14個、92年バルセロナ大会の11個に次ぐ3位タイとなっている。
> ▼この活躍で、日本オリンピック委員会(JOC)から支給される報奨金(メダリスト1人につき金300万円、銀200万円、銅100万円)の総額が制度導入後4大会目で1億3100万円と史上初めて1億の大台を突破した。
> ▼谷佳知は柔道女子48キロ級優勝の谷と夫婦でメダルを獲得。過去には体操で2組(相原豊・俊子、小野喬・清子)あるだけで、異競技では史上初の偉業となった。
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> ◆中畑清ヘッドコーチ 「選手はすべての力を出し切ってくれた。大きいもの(金メダル)を取れなかったのはわたしの責任。長嶋監督は野球の伝道師になってくれと望んでいたが、選手は最高の姿を見せてくれた」
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> ◆大野投手コーチ 「和田(毅)は最初から飛ばしたが、しっかりゲームをつくってくれた。打線も援護してくれて、チーム一丸で戦ってくれた。強いチームです。上原、松坂も加え3本柱がきっちり機能してくれた」
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> ◆和田(西武) 「結果が金メダルじゃなかったのが悲しい。個人的なことより、チームが金を取れなかったことが悔しい」
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> ◆福留(中日) 「目指していたものを達成できなかったが、誰ひとりとして気を抜いた人間はいない」
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> ◆小笠原(日本ハム) 「最後に勝って締めたかった。責任を全うしたかった。このメンバーで最後に勝てたのは本当にうれしい」
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> ◆木村(広島) 「これだけのメンバーの中で、自分が出る時は厳しい状況の時だと思っていた。合宿の時に(けがで)みんなに迷惑をかけたので、打てて本当によかった」
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> 長嶋ジャパンの歩み
> 02年12月 2日 長嶋茂雄氏が日本代表監督に就任。「五輪の聖地アテネにぜひ日の丸を掲げたい」
> 03年 7月 9日 日本代表編成委員会で中畑清氏のヘッド兼打撃コーチ、大野豊氏の投手コーチ、高木豊氏の守備走塁コーチの就任が決定
> 03年11月5〜7日 五輪地区予選を兼ねたアジア選手権で中国(13−1)、台湾(9−0)、韓国(2−0)を下し、3戦全勝で6大会連続の五輪出場権を獲得
> 04年 1月 5日 長嶋監督が1球団2人までとする代表派遣枠の拡大を正式要請する意向を明かす
> 04年 1月22日 長嶋監督が派遣枠の拡大を断念
> 04年 3月 4日 長嶋氏が自宅でめまいを訴え、都内の病院に緊急入院
> 04年 3月 5日 検査の結果「左大脳の中程度の脳梗塞(こうそく)」と発表。関係者を通じて「私がいなくても選考会議を」と病床から五輪スタッフ会議の決行を指揮
> 04年 3月31日 五輪日本代表1次登録リストに長嶋氏を監督として登録
> 04年 6月24日 日本代表24選手発表。長嶋監督は「聖地アテネの空に日の丸を掲げてくれると信じています」とのコメントを発表
> 04年 7月13、14日 長嶋監督の壮行試合(キューバ戦)視察が見送りに。試合前に一茂氏を通じて『君たちは私の意志を継いだ伝道師だ』と選手にメッセージを伝える。試合結果は1分け1敗(第1戦1−1、第2戦5−6)とキューバに惜敗
> 04年 8月 2日 長嶋監督がアテネ五輪で現地指揮を執らないことを正式発表。中畑ヘッドコーチが代わりに指揮を執ることに
> 04年 8月 4日 日本代表24選手が千葉県成田市のホテルに集合。長嶋監督の直筆による背番号「3」が入った日の丸と各選手へのメッセージが、一茂氏によって代表チームに渡された
> 04年 8月 5日 日本代表チームが合宿地のイタリア・パルマに出発
> 04年 8月11日 アテネ入り
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> ★小早川毅彦★
> 五輪の最後に、長嶋ジャパン会心の戦いを見せてくれました。選手やコーチは試合前、異口同音に「きょう(25日)負けると何も残らない。何か結果を残して帰る」と話していたものです。プロ・アマ混成だった前回シドニー大会はメダルなしに終わりましたが、長嶋監督から送られていた「有終の美を」のメッセージ通り、銅メダルを獲得してくれました。
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> メダルの色は当初の目標とは違ってしまいましたが、堂々と胸を張って帰国してほしい。ただ、今後に向けて反省点もあります。たとえば日本は1次リーグで全試合を勝ちにいっていたようですが、五輪という大舞台での戦い方としてはどうか。全部トップスピードで駆け抜けようとすると、バテがくるものです。
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> また、選手がバットやヘルメットなどの道具運びから打撃練習中の球拾いまで、すべてこなしていました。試合に集中してもらうためには、せめて制限エリア以外ではサポートスタッフのさらなる充実、増員を考えてほしかったと思います。
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> 五輪期間中、国内プロリーグを中断してアテネに全精力を注いだ台湾に対し、日本のプロ野球はペナントレースを続行しました。1球団2人という選手枠の問題を含め、“ドリームチーム”をつくるためには日本の現状からいって仕方ない部分もある。ただ、4年後の北京大会で金メダルを手にするには、何をするべきか、もう今から考えないといけません。
> (サンケイスポーツ専属評論家)
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> ★赤飯で慰労会
> 3位決定戦で勝利を収めた長嶋ジャパン。宿舎に戻った選手、スタッフが参加してミーティングを兼ねた食事会が開かれ、中畑ヘッドコーチが「銅メダルだったけど、これは金と同じ価値がある」と労をねぎらった。食卓には赤飯と尾頭付きの鯛が振舞われ、2大会ぶりのメダル獲得を祝った。
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> ★日本球界の声
> ◆根来泰周プロ野球コミッショナー 「準決勝は残念だった。中畑や松坂の顔を見た時、心中を察し、涙が出てきた。あんまりプレッシャーをかけ過ぎた。勝負は時の運、不運。結果が金であろうと、銅であろうと、みんな一生懸命やったんやから、ちゃんと迎えてやることは大事だと思う」
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> ◆巨人・清原 「あれだけの選手が必死になって取ったメダルです。プロを代表していったメンバーですから、よく頑張ったと思います」
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和田毅−城島バッテリー、メダルの次は日本一に照準
> 野球3位決定戦で快勝の原動力となったのは、先発・和田毅投手(23)と先制2ランを放った城島健司捕手(28)のダイエーコンビ。日本一バッテリーが攻守のリズムを生み出して、日本を銅メダルへと導いた。戦いを終えた長嶋ジャパンのメンバーは27日に帰国。28日からプロ野球公式戦に出場が可能となる。
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> ゆっくりと自らの歩みを確かめるように、ダイヤモンドを一周した。ホームベースを踏むと、ヘルメットを取って両親が見守るバックネット裏の歓声に応えた。4番・城島が一回、左中間に先制の2ラン。銅メダル獲得の礎を築いた。
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> 「プロというのは結果がすべて。落ち込んでばかりはいられない。最後の試合に集中しようと話しました」
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> 24日の準決勝で、豪州にまさかの0−1完封負け。金メダルの夢が消える痛恨の敗戦を喫したが、ショックから4時間後、午後8時には再びスタンドにいた。準決勝第2試合のキューバvsカナダ戦視察のためだ。「当然のこと」。長嶋ジャパンの4番は言い切った。
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> 「選んでくれた長嶋監督のため、快く送り出してくれた所属チームのため、最後までプロらしく戦おう」
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> ともに視察した先発の和田にも、そう告げた。むろん、その意識は「(金以外の)他のメダルでは意味がない」と話していた和田も同じだった。
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> 「絶対に勝って終わりたかった。それがプロの意地です。最後にいい結果が出てよかった」
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> 5回を投げて2点を失ったが、立ち上がりから飛ばす投球が打線にリズムを与えた。「行けるものなら、行きたい気持ちはある」。若きエースは北京五輪での金メダル奪取にも思いをはせる。
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> 日本一バッテリーは、気持ちを切り替えて首位争いを続けるチームに戻る。「誰ひとり後悔している選手はいない。胸を張って帰らないと」と城島。球界再編問題で注目される中、2年連続の日本一を狙う王ダイエー。五輪の経験を糧に成長したバッテリーが、今度は揺れ動くチームを引っ張っていく。
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> ★黒田完ぺきリリーフ、「最後なので寂しい」
> 2番手で登板した黒田(広島)は、カナダ打線を3回1安打無失点とピシャリ。八回には3連続三振もマークした。今大会は1次リーグを含め計3試合で9回3安打無失点と絶好調。「何も考えないで城島のミットを目がけて投げました。毎試合が緊張の連続。このメンバーでやるのが最後なので寂しいですね」と五輪を振り返った。
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> ★上原は「1球の重み勉強させてもらった」
> 松坂と並ぶエースの上原(巨人)は「(金メダルを取れず)残念ですけど、みんな一丸となって試合ができた」と大会を振り返った。15日の1次リーグ初戦でイタリア相手に6回無失点の好投。しかし、21日の第6戦・台湾戦で4番・陳金峰に浴びた先制3ランに反省が残る様子で「1球の重みを勉強させてもらった。日本に帰って生かしたい」と力を込めた。
みんな、感動をありがとう!(つД`)ノ
君たちの雄姿、絶対忘れない。
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清原が25日二軍戦で実戦復帰!29日にも一軍合流
> 左手甲骨折でリハビリ中の巨人・清原和博内野手(37)が、25日のイースタン・リーグ、ロッテ戦(千葉マリン)に『4番・DH』で実戦復帰することが24日、明らかになった。最短なら29日のヤクルト戦(神宮)から一軍合流。さあ、番長のお帰りだ!
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> 顔が違う。動きが違う。だれも寄せつけないような威圧感を漂わせて、番長は“そのとき”に備えていた。お待たせしました。リハビリに励んできた清原が、ついに実戦復帰する。
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> 「清原やトレーナーからの“だいぶよくなってきた”という報告を受けて出場を決めました。手の状態を実戦で確かめたいということではないかな」といいながら、高橋二軍監督は驚きの表情を浮かべた。
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> 驚異の回復力だ。6月19日の阪神戦(東京ドーム)で死球を受けたときの診断は全治3カ月。今季絶望は濃厚とさえいわれていた。それが…。28日の日本ハム戦(鎌ケ谷)に出場後、一軍に経過報告の予定。堀内監督の決断次第では、29日のヤクルト戦(神宮)から一軍に合流する可能性も出てきた。
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> ジャイアンツ球場での練習を終えた清原は「(一軍復帰は)上の人が決めることでしょ」と言い残して車に乗り込んだ。その顔には“さあ、いくデ”と書いてある。
> (阿見 俊輔)
(」゚O゚)」<早く帰ってきてください!
終戦になってしまいそうです(つД`)ノ
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巨人奇跡へ木佐貫締め!9月反攻?やっと完成V方程式
> (セ・リーグ、巨人5−4中日、21回戦、10勝10敗1分、25日、東京ドーム)耳をつんざく大歓声にもニコリともしない。九回から登板の木佐貫は最後の打者・井端を内角高めの直球で空振り三振に打ち取る。自力Vが消滅した後の113試合目にして、遅ればせながら完成した勝利の方程式だった。
> 「最後、しびれた場面で出て行くので、肩すかししないようにしないといけません。抑え? 言われたところで投げるだけです」
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> 24日の試合前に通達されたストッパー転向は、“綱渡り”だ。先発した12日の中日戦(ナゴヤドーム)で7勝目をあげた後、体調不良を訴え20日の広島戦(広島)にむけた調整では、走る量を落とし、ほぼ毎日握るボールも2日間握らせず、疲労回復を最優先させた。
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> 24日からの首位決戦は登板予定がなかったが、ひとつも負けられない首位決戦を前に指揮官は急きょ、抑えの久保との“入れ替え”を決意。再びパンクする危機と背中あわせで、『背番号21』の豪速球に逆転Vのわずかな希望を託している。
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> 援護する打線はこの日も一発頼み。仁志が四回、中日・山井のスライダーをとらえて23号ソロ。一回の先頭打者本塁打に続く2本目のアーチはチーム通算219本塁打となり、セ・リーグのシーズン記録に並んだ。
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> 「由伸も帰ってくるし、けがで戦列を離れている選手も帰ってくる。これからもっと打てる」と仁志の言葉に力が入ったが、アーチ頼みの現状は変わらない。
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> 「木佐貫? あれが本来の姿。巨人NO.1だよ。(抑えでの起用は)本意じゃないけど」
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> 苦肉の策でストッパー起用を決断した堀内監督の表情も、すっきりしない。残り27試合。巨大戦力が、2つの“わら”にすがりながら逆転Vをつかみにいく。
> (林 健太郎)
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> ◆辛勝に巨人・須藤ヘッドコーチ 「きょうは守り勝ち。それに尽きる。今季初めてじゃないか」
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> ◆三回無死一、二塁でバント失敗後に逆転2点二塁打の巨人・堀田 「すみません。本当にすみません。結果オーライです。ランナーを進められなかったことを考えるとゾッとします」
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> ★林が勝利投手の権利目前で降板
> 先発の林は点をとれば取られる、の繰り返し。勝利投手の権利獲得を目前にした五回二死一塁で交代を告げられた。「何もないです」とうなだれた左腕に、堀内監督は「よく我慢した方だ。普通ならもっと早く代えている」とおかんむり。
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> ★二岡が右ひじ強打も大事には至らず
> 二岡が六回無死一塁のピンチで、左翼との中間にあがった飛球をダイビングキャッチ。併殺を完成させたが、このダイブで右ひじを強打して途中交代した。幸い大事には至らなかったが、二岡は「自分でもよくわからないけど、握力がなくなった」とヒヤリ。三回一死満塁で右前タイムリーと打撃も復調気配だけに、首脳陣も胸をなでおろしていた。
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> ■データBOX
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> 巨人は仁志の2本塁打で、今季チーム本塁打数が219本となり、昭和60年に阪神がマークしたセ・リーグ記録に並んだ(西武も昭和55年に219本塁打で、これらは歴代2位タイ)。歴代1位は昭和55年、近鉄の239本塁打。今季の巨人はここまで113試合を消化し、1試合平均は1.94本。このペースなら残り27試合で52本を上積みし、最終的に271本までいく計算で、プロ野球記録を上回る勢いだ。
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> ■シーズン本塁打5傑■
> 本塁打 球団 年度 平 均 試合数
> 239 近鉄 昭55 1.84 130
> 219 西武 昭55 1.68 130
> 219 阪神 昭60 1.68 130
> 219 巨人 平16 1.94 113
> 212 近鉄 昭60 1.63 130
> 【注】平均は1試合平均本塁打数。
> 今季の巨人は25日現在 b >
> ★工藤が3度目のFA権取得
> 巨人の工藤公康投手(41)は25日、自身3度目となるフリーエージェント(FA)権を取得した。過去2度のFAではいずれも権利を行使してダイエー、巨人に移籍しているが「シーズン中なので考えたいとは思わない」と話した。
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> また巨人ではタフィ・ローズ外野手(36)がすでに24日、外国人選手としては初めてFA権の資格取得条件をクリアしたほか、小久保裕紀(32)、仁志敏久(32)両内野手、井出竜也(33)、清水隆行(30)両外野手も新たにFA権を取得。ローズは来季から外国人選手枠を外れることになる。
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> 各選手への対応に関して清武球団代表は「試合に集中しているだろうし、話し合いはシーズン後にしたい」と交渉を急がない姿勢を示した。
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> ■セ・リーグ順位 【2004年08月25日現在】
> 順位 チーム 試合 勝数 負数 引分 勝率 差
> 1 中 日 106 60 43 3 .583 -
> 2 巨 人 113 59 51 3 .536 4.5
> 3 ヤクル 104 53 49 2 .520 2.0
> 4 阪 神 107 51 55 1 .481 4.0
> 5 横 浜 102 44 55 3 .444 3.5
> 6 広 島 104 45 59 0 .433 1.5
かなり厳しいが…最後まで諦めるな!ジャイアンツナイン!(o゚▽゚)o!
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近鉄逃げ切り勝ち!梨田監督が3位射程に決意新た
> (パ・リーグ、西武4−6近鉄、25回戦、西武13勝12敗、25日、西武ドーム)5点差の八回に投入したカラスコが3ランを打たれるなど、冷や汗の勝利に梨田監督は「もう少しすんなりいけると思ったけどな」と苦笑い。それでも先発山本が好投、抑えの福盛も復活。打線も同点の七回に4点を奪った。「3位と3ゲーム差か。五輪代表も帰ってくるし、あきらめないで最後まで頑張るよ」とプレーオフ進出へ向け、決意を新たにした。
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> ◆七回に勝ち越し適時打の近鉄・大西 「チャンスで打ったのは久しぶり。調子は良くないが、いい打者のタイミングの取り方を観察した効果が出た」
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> ■パ・リーグ順位 【2004年08月25日現在】
> 順位 チー ム 試合 勝数 負数 引分 勝率 差
> 1 ダイエー 115 66 45 4 .595 −
> 2 西 武 115 66 48 1 .579 1.5
> 3 ロッテ 116 56 57 3 .496 9.5
> 4 日本ハム 114 55 57 2 .491 0.5
> 5 近 鉄 113 52 59 2 .468 2.5
> 6 オリックス 113 41 70 2 .369 11.0
(」゚O゚)」<3位までもう少しだ!
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燕・高井7回零封!“大人の投球”370日ぶり白星
> (セ・リーグ、広島0−6ヤクルト、21回戦、ヤクルト11勝10敗、25日、広島)別人に変身した高井はマウンドでも冷静さを失わない。20歳になった左腕が“大人の投球”で今季初勝利を手にした。
> 「ファームでやってきたことが一軍でできました。藤井さんやベバリンが故障でチームがピンチなので、ボクがカンフル剤になりたい」。試合後は胸を張って、頼もしいセリフを口にした。
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> 先頭打者を出しても崩れなかった。圧巻は七回だ。先頭に四球を与えて無死一、二塁。ここからシーツ、そして東北高の先輩の“赤ゴジラ”嶋を連続三振。最速146キロの直球にクイックで打者の間合いをずらすなど、巧みな投球で7回7安打無失点。プロ1年目の昨年8月20日の広島戦(広島)以来、370日ぶりとなる白星だ。
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> ケガ人続出のヤ投手陣に待望の“救世主”が登場した。先発を期待された春先は、制球難でオープン戦2試合の防御率が実に24.75。開幕を待たずに二軍落ちした。
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> 猛暑の今夏も気温が50度近くになる戸田グラウンドで腐らず走り込み、肉体改造を続け、78キロの体重を83キロにビルドアップ。ユニホームのズボンがきつくなるほど体形が変化したころ、一軍の先発の柱だった藤井、ベバリンがそれぞれ今季絶望的となる緊急事態。チームの危機にこの日登録され、即結果を出した。
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> 若松監督は「高井はハマってくれたな。今日みたいな投球をしてくれたら安心、サイコー」。背番号『16』の復帰に手放しの喜びよう。まだ自力Vが残るヤクルト、もちろんあきらめるには早すぎる。
> (河野 聖)
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> ◆高井についてヤクルト・古田 「勢いがあった。ランナーを背負ってから球がけっこう決まったよね。(投手陣に)ケガ人が多いけどやるしかない」
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> ★佐藤真、岩村が援護弾
> 古田と並んでチーム最年長39歳の佐藤真が四回、1号3ランで20歳の高井を援護。「いい場面で打ててよかった」と笑顔。七回には前日の守備で左足の甲を強打し、痛み止めを飲んで出場の岩村が130メートルの36号3ラン。「高井が頑張っていたけど、追加点が取れなかったから」と滴る汗を心地よさそうにぬぐった。
流石東北高校OBだ!(o゚▽゚)o!
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選手会が抗議の回答文書送付…コミッショナーは“無視”
> 労組・日本プロ野球選手会(ヤクルト・古田敦也会長)は24日、12球団代表者会議で特別委員会の開催が拒否されたことを受け、日本野球組織(NPB)に抗議の回答文書を送付。根来泰周コミッショナー(72)に特別委開催の指令の発令を要求するとともに、法的手段で争う姿勢を示した。
> この要求に対して、根来コミッショナーは同日すでに「(23日の)実行委員会の意見は選手契約に関することではないと解釈した」と話し、発令する意思がないことを明かしている。
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> 23日の12球団代表者会議で、経営者側は特別委開催の代替案として議決権のない「オリックスと近鉄の統合に関する委員会」(26日)の開催を選手会に申し入れていた。
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> しかし、選手会は古田会長が「こんなばかな話はない」と語るなど、この統合委は特別委に代わる委員会にはあたらないと判断。あくまで通常の事務折衝の一部として話し合いに応じる姿勢を見せた。今後はこの事務折衝の場で、球団合併が選手契約に関する事項に該当することなどを訴えるなどとしている。
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> また選手会は、今回正式に特別委の不開催が決定されたことで法的手段で争う構えを明らかにしている。機構側で選手会の交渉窓口に当たる伊藤修・選手会担当顧問(中日参与)は今回の回答文書について「根来コミッショナー、豊蔵実行委員会議長が協議のうえ、25日午後に返答したい。法的手段といっても、双方とも話し合いを続けたいと思っている」などと話している。
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> ★29日までに合併正式契約…オリックス・小泉球団社長
> オリックスの小泉隆司球団社長(63)は24日、東京・内幸町のコミッショナー事務局を訪ね、根来コミッショナーに近鉄との合併に向けた契約内容の詳細について報告した。会談後、小泉氏は記者団にコミッショナー側からは異論がなかったとし、すでに合併仮調印をしている近鉄と、29日までに正式契約を結ぶと言明。「30日の実行委員会で合併が承認されるよう、野球協約に沿った申請書を出す」との見通しを語った。
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